タグ:☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage ( 149 ) タグの人気記事

子供の日は母の九十八歳の誕生日、成田山新勝寺の五百羅漢のことなど
2018年5月5日 土曜日 晴れ 子供の日は母の誕生日

 綺麗に晴れた子供の日。
今日は母の誕生日。 満九十八歳になる。
元気な声で、“まだまだ大丈夫でしょうと、電話のむこうで凛としている母を誇りに思う。

母の母は下総の由緒ある家柄の血を引き、明治の頃に、
東京の麹町の女学校にお馬車で通った嬢様だったのに、時代は容赦なくすべての人々を巻き込んで
戦後の混沌とした時代に突入した。
(加藤本家の祖は後醍醐天皇の忠臣 藤原師賢公から<藤>の一字を賜り
加藤という名字をたまわったのだそう)
母の時代は、まだまだ戦後の大変な時期で、とても苦労をした話をよくきいていた。

https://keico.exblog.jp/20698495/
2015年1月9日 金曜日 晴れ
母との話しは戦後七十年の日本の歴史そのもののようだ

https://keico.exblog.jp/21013568/
2015年3月15日 日曜日 晴れ 風強し
母とお弟子さん高校生が表千家東京稽古場へ
a0031363_22484984.jpg
(この着物は、昔々私が母にプレゼントした塩瀬の付下げで松の模様が裾から一面に上にのぼる。
一つ紋で茶席にももちろん着られる)


 偶然つけたテレビの番組の<美の巨人たち あなたの知らない『成田山新勝寺』美しすぎる寺!
建築シリーズ(2)>をみながら、そんな母と昔話に花が咲いた。
本堂の華麗なる装飾の圧倒的な美しさ、江戸彫刻の真骨頂の新勝寺の
すばらしさを再確認した感じだった。

三重塔の特別の御開帳や釈迦堂の五百羅漢の彫刻をテレビの画面で見ることができた。
五百羅漢で囲まれているこの釈迦堂の回りをお祈りしながら百回も廻った
<お百度参り>をしたことを思い出した。
小学校の高学年の頃に、おじいちゃんが胃がんで入院していての回復のお祈りの形だったに違いない。

 夜は世界卓球のライヴを見て、逆転勝利をした卓球の伊藤選手に拍手。
なんと母曰く“ワタシもでて闘いたかった! 脅威の九十八歳なり!

2017年1月2日 月曜日 晴れ
http://keico.exblog.jp/23521524/
2017年1月2日 月曜日 晴れ
お正月二日目はおばあちゃんの夢をみて、子供の頃をなつかしみ

a0031363_21231447.jpg
(今日のグーグル)


 夜は岡田シェフの処へ。
いつも満席なのに、今夜は席があった。
久し振りに鎌倉野菜、プロシュートの盛り合わせ、ボンゴレビアンコ、そして最後はピッツア!
若い彼と話をいていると元気をもらえるような感じ、、、。

 ときどき内装を直していて、奥の部屋にかけられていた私の写真は今は、
エントランスのすぐ右にかけられている。
前世紀の、エールフランスの機内誌<BONN VOYAGE ボンヴォワヤージュ>の取材で訪れた
ペリゴール地方の旅で撮ったロマネスクの教会。赤い芥子の花がきれいな時だった。

a0031363_16185460.jpg


http://keico.exblog.jp/12577186/
2011年10月14日 金曜日 曇り後雨〜
フォアグラとトリュフの国のワイナリー  〜ドルドーニュとロットの流域〜

<<<新フランスワイン紀行第四回>>は、
☆80号1998秋号 ペリゴールの五月<<<新フランスワイン紀行第四回>> 
<フォアグラとトリュフの国のワイナリー
 〜ドルドーニュとロットの流域〜>>として発表された。
タイトルページ二面と中の全部の写真も記事の執筆もで、あまり詳しい情報がなかった当時は、
とても注目されたという。
(記事の執筆と写真スカイブティックも私の写真だった))

a0031363_21293484.jpg
=================================================================
a0031363_2130756.gif
==================================================================
a0031363_21345211.gif
==================================================================
(このページの左上は、シャトー・ドゥ・ティルガンのサンテグジュペリ伯爵
(クリックして大きくすると記事が読めます)


 ドルドーニュ、ペリゴールは、フランス南西部の歴史的地方。
リムーザンと接する北東部の古代の結晶岩台地や南西部の肥沃なドルドーニュ川の
段丘地帯など周辺を除けば, 大部分が第三紀の石灰岩の低い台地からなり,
ドルドーニュ川とその支流ドロンヌ川,イル川がそれを刻んでいる。

 ドルドーニュ川 La Dordogneは、全長約 500kmのフランス南西部の川。
マシフ・サントラル北部の火山モン・ドールに源を発し, オーベルニュの高原を
深く刻んで峡谷をつくりながら南西流したのち, 西へ転じてアキテーヌ盆地を横切り,
ボルドーの北でガロンヌ川と合流してジロンド川に注ぐ。

 ドルドーニュ川のもう一つの支流ベゼール の谷は,
世界有数の先史時代遺跡の宝庫として知られている。
レゼジ・ド・タヤック の町を中心に, 1940 年に発見された洞窟壁画で有名なラスコーを含む
150 もの遺跡が散在している。

 ペリゴールは,工業化・都市化のあまり進まない農村地帯であり、 中小農民が大多数を占め、
地域ごとに多様な特産作物が栽培されている。
(ブドウ, タバコ,果実,イチゴなどで、トリュフとクルミは有名)。
また畜産や家禽の飼育も盛んで,フォアグラの主産地として知られている。

  森と川が、つくり出す優れた自然&田園風景, 豊かな史跡に恵まれていて、
サルラ Sarlat を中心とした〈ペリゴール・ノアール〉は, フランス有数の観光地となっている。

a0031363_0413961.gif
(サルラの朝市)

a0031363_1942493.gif
(ペリグーの朝市)


by pretty-bacchus | 2018-05-05 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Comments(0)

ようやく青空がでたパリ滞在四日目は友人達と会えて嬉しい〜〜〜!
2018年3月20日 火曜日 青空がでた! 
(ネット環境が悪くて、遅れに遅れて、パリ四日目の記録です)

 パリについて初めて青空が出た〜〜〜!
部屋は四方にベランダと窓があるのに、全部建物の谷間で、
机に座っていてわずかにでも空が見えるのは一個所だけ。
その窓が東側とわかったのは着いて四日目の今日!
建物の後ろに太陽が昇ってきたのだ、、、、不思議な感覚だった。

a0031363_23585560.jpg
 (でもやがて雲がでてきてしまった)

a0031363_23591615.jpg


 昨日ギャラリーラファイエットで買ったバナナとオレンジで軽い朝食をすませた。

a0031363_00101320.jpg

 十二時半にイクコさんがジョインして広場の脇のタクシー乗り場へ。
昔はタクシーを待つのが時間がかかったが、今はユーバー時代となってタクシーを見つけるのが簡単になった。
初めてセーヌ川を渡って左岸のサンジェルマン地区、オデオンの後ろの通りのイタリアン<カーサビーニ>へ。
知る人ぞしるパリでも美味しいイタリアン。


a0031363_23593731.jpg

ヤスヒロさんとサンドリーヌがすでに着いていて
“お久しぶりです〜〜〜”
パリに住む友人画家で、彼が十代から親しくしていたから、もう四十数年になる。
お互いに歳をとるはずだ。

a0031363_00015391.jpg

 まずはコチのカルパッチョから、次はポモドーロのパスタ。
ワインはお店のキャラフの白。そしてデザートはフルーツサラダ。
小さい頃の事故でハンディキャップがあるのに、まったく健常者と変わらない会話が続く。
日本語だけならともかく、フランス人の友達ともちゃんとお話しができているから、
ほんとうに不思議な美しい姿!

a0031363_00011236.jpg


a0031363_00004218.jpg


a0031363_00022775.jpg


Casa Biniは、フィレンツェのアンナ・ビーニが二十年前にパリ六区rueGrégoirede Tours通りにオープンした
タリアンで、瞬く間に人気になったという。
一階と中二階と二階があり、いつも満席。
細い道だが、夏には小さいながらテラス席で太陽を浴びながら上質でおいしい料理を楽しむことができる。
トスカーナ風のインテリア、食器も素敵、もちろんお味は最高!

a0031363_00024622.jpg

 ゆっくりと二時をすごして、少し歩いてティーサロンへ。
ここは数年前まで和菓子のお店だったそうで、今はアイスクリーム屋さんのようだ。
何十ものお茶のリストがあり、ワタシは<AMOUR>というなのお紅茶をいただいた。
清潔な店内で、またいろいろお話しに花がさいたのでした。

a0031363_00025894.jpg


a0031363_00031917.jpg

次の約束があるので、四時過ぎに再会を約してオデオンの角でお別れ。

a0031363_00061113.jpg


 一度部屋に帰って、雨上がりの道をオペラ通りを横切ってサンタンヌ通りの友人のお店へ。

a0031363_00035974.jpg

a0031363_00041351.jpg


パリで生きている日本女性は沢山いるが、彼女もその一人。
1970年代中頃にパリにきて、幾多の苦労を重ねながらも、今は美術界で成功している希有な日本女性。
メートルと呼ばれるほどの実力者となっていてい、今は長男のアキミちゃんがその元で修行をしている。
彼が生まれた頃からのおつきあいなので、もう三十五年になるのだ。
積もる話はその頃のパリのことが多く、どうやら今日も<回想の巴里>になった感じ。

 お店が終わって一緒にリシュリュー通りの日本人のチーズのお店<ひさだ>さんへ。
三十年もののコンテ、熟れ加減最高のブリ、干しぶどうなどを買って彼女の新居へ。

a0031363_00081332.jpg


a0031363_00082985.jpg


a0031363_00075029.jpg
(春になると白い木蓮が咲く木々の上には三日月が笑っていた、、、、)

a0031363_00053642.jpg


a0031363_00065765.jpg
(このパッサージュの同じ場所で二十年前にこのような写真を撮ったことがある)

巴里で一番美しいといわれるプラスパレロワイヤルの回廊を通って下の道へおりへ、
ギャルリー・ヴェロ・ドダを抜けて、ルーヴル宮の脇にでて、少し歩いた処が今度の新居。

 どこかで夕食のまえに、まずはシャンパンとおつまみで乾杯ということだったのに、
結局いろいろの思い出話しに花がさいて、遅くまで話しこんでしまったのです。
こんなパリの宴もなんともありがたく素敵です!

 夜のルーヴル通りを十数分歩いて家についたのは、真夜中でした。
ありがとうございました。

 パリに住む男性画家と女性美術家、そしてフランス政府公認ガイドの資格を持つ女性のそれぞれの
異国>での活躍をほんとうに嬉しく思える一日でした。
a0031363_21252852.gif



by pretty-bacchus | 2018-03-20 23:58 | ♪Journey海外2018PAR巴里 | Trackback | Comments(0)

パリ三日目はサンテグジュペリ伯爵がベルジュラックから上京してくださって
2018年3月19日 月曜日 小雨のち曇り パリ三日目  4800歩。
(ネット環境が悪くて、四日遅れになってしまいましたが、パリ三日目の記録です)


 今朝も零下一度の予想。
今回のパリは少しゆっくりしたいので、あまり予定はいれていない。
ほんのいくつかのマストが終わればあとは自由の身?
つらつら考えてみたら、八日もパリにいられるのは、何十年ぶりかもしれない。
前世紀にだってなかったろう、、、いつも仕事を終えるとすぐに日本へ発ち、また次の仕事でアメリカとか
アジアの国での会議に数日でかけてと、そんなタイトがスケジュールのあいまのほんの数泊のパリだった。

 きっと今後もこんな自由な一週間はもうやってこないだろなと思うと、本当ならあっちへいったりこっちへ
いったりしたいのかもしれないが、それも切迫感が全然ない。
いくつかの美術館とレストランにいってみたいが、それも今日でなくても良いように思えてしまう。
まあ、、、いいか、、、。

a0031363_07501400.jpg

 朝早くに日本からもってきているラクラクフォンの聞き慣れない音がした。
どうやらショートメールが入ったようだ。
なんと、サンテグジュペリ伯爵から!
“今パリに向かっている電車からです、、、、今日のお夕食は大丈夫ですか?
おっほ〜驚き〜〜〜〜!
日本を出る前に今回パリに一週間ほどいることをお知らせしてあったので、週の初めにパリで
お目にかかれるかもしれないとは思っていたが、さいそくするのも気が引けてそのままになっていた。

ショートメールは使ったことがないワタシが返事を書いた。それも日本語入力で英語変換をなんとかして、
たどたどしい返事を書いた。
場所と時間の確認ができて、彼の最後のメッセージも、see you tonight at 8.と短く、
おそらく慣れないことをなさっていらしたのだろう。

 フランソワ=クサヴィエ・ド・サン=テグジュペリ伯爵Comte FX de Saint-Exupéryと知り合いになったのは
1997年のことだった。
エールフランスの機内誌の取材で訪れたペリゴール地方の名人とワイナリーの取材で、
ラスコーの壁画などの後に訪れたのが、ベルジュラックにほど近いシャトー・ドゥ・ティルガンだった。
アペラシオンがペシャルマンというのは、今でも知名度がないが、そのことは全然知らなかった。
訪れた館は十七世紀からの壮大な敷地のなかに建つ少し古びれたシャトーだった。
葡萄畑や野菜畑、ワイン倉も訪れて試飲もさせていただいた。

その時の取材記事は、エールフランスの機内誌ボンヴォワヤージュ<BON VOYAGE>の1998年秋号に
五ページにわたって掲載された。
フォトジャーナリスト 片桐敬子が生まれてまだまもない頃だった。

 その後たっての依頼でシャトー・ドゥ・ティルガンをぼちぼち日本にご紹介することになったのだ。

https://keico.exblog.jp/12577186/
2011年10月14日 金曜日 曇り後雨〜
フォアグラとトリュフの国のワイナリー  〜ドルドーニュとロットの流域〜


a0031363_21293484.jpg
==============================================================

a0031363_2130756.gif

===============================================================================

a0031363_21345211.gif
ドルドーニュ、ペリゴールは、フランス南西部の歴史的地方。
リムーザンと接する北東部の古代の結晶岩台地や南西部の肥沃なドルドーニュ川の段丘地帯など周辺を除けば,
大部分が第三紀の石灰岩の低い台地からなり, ドルドーニュ川とその支流ドロンヌ川,イル川がそれを刻んでいる。==============================================================================

 それから八年たった2005年の一月に、編集長の菊池さんのご尽力で日仏会館の企画で、
エールフランスの機内誌<BON VOYAGE>を土台にした写真展が、毎年一月に行われることになった。
その最初の展覧会に、フランス文化の礎になるペリゴール地方をとりあげることに最終に決まったのは
前年の晩秋のころ。それからの一ヶ月半はその準備で忙殺されることになった。

 写真を選び、プリントは奈良の岡村印刷の社長が、新しいドラムプリンターのシステムで大きくして下さった。
パネルにして展示するのはアオヤマさんがすべてしてくださった。
普通の写真展ではものたりないと考えた私たちは、
フランス史の原点とも言えるこの地方の文化を紹介する<日仏交流の夕べ>を企画した。
三週間の写真展の最後段階で大きなレセプションをすることにして、伯爵にいらしていただくことになった。

さあ〜〜大変、いい加減なことは許されない。かくして
その間だワタシは、招待状つくり、プレスリリーズ、当日のしつらえなど全ての準備にあけくれた。

https://keico.exblog.jp/1470215/
2004.12.24
ようやく写真展の案内ができた。

写真展の折りに創ったこの地方の説明と地図
a0031363_21442737.jpg

 写真展には多くの方がいらしてくださり、最終日のレセプションも大成功で、写真はその夜の内に
奈良へ運ばれて、次の奈良日仏協会での会へと発展したのだった。

https://keico.exblog.jp/1586550/
満月にフランスより着きし王子様(サンテグジュペリ伯爵)
2005.01.25

https://keico.exblog.jp/1602681/
2005.01.30
サンテグジュペリ伯爵をお招きして奈良での写真展

 その後、京都をご案内して、祇園での夜、翌日京都は雪となり、雪の龍安寺と金閣を
お見せすることができたのでした。

https://keico.exblog.jp/1621298/
2005.02.02 サンテグジュペリ伯爵、京都で最期の日に
雪の金閣寺と竜安寺石庭

(その頃の事はブログに少しだけ書いたのが残っている)


 今日の待ち合わせは八時にプラスドゥテルヌの魚料理のお店。
友人が呼んでくれたウージェーというタクシーシステムで来た車はなんと真っ白なアルファロメオ!

 八時ぴったりに着いたら、エントランスで伯爵が出迎えてくださった。
“お久しぶりです〜〜〜”
“オンネヴィエイェ ツーレドゥー” お互いに年をとりましたね。
といったら、“いえ貴女は少しも変わりませんよ、、、、”と。
フランス人だ〜〜〜!

a0031363_07513499.jpg
{メニューを選ばれる伯爵)

a0031363_07572042.jpg


a0031363_07552888.jpg


 日本でののお客様のこと、お隣の食品会社の社長のYさんがお気に召して
くださっていることなどの報告のあとは、積もる話に花がさき、、、、
伯爵のご家族のこと、昔の日本滞在の思い出、パリで行われている展覧会のことなどなど
話はつきないのでした。

そして2005年のレセプションにお招きした方のお子さんが毎年のように伯爵のお城を訪ねているようで、
どなたかはわからなかったが、日仏交流の夕べを催したワタシはとても嬉しくなったのでした。

 牡蠣のあとはコキーユサンジャック、
伯爵が選んでくださった、ムルソーシャルム2013はなんとも美味!

 明日はまた早く汽車でベルジュラックまだ帰られるという。
最後の記念写真を撮って、なごりを惜しんだのでした。
ほんとうに有り難いことでした。

a0031363_07560114.jpg
(おみやげにいただいた手作りのキーフォルダーとプティプランスの元本)
a0031363_21252852.gif

by pretty-bacchus | 2018-03-19 23:58 | ♪Journey海外2018PAR巴里 | Trackback | Comments(2)

ネット環境が悪くて、五日遅れになってしまいましたが、パリ二日目の記録です
2018年3月18日 日曜日 パリ二日目 氷雨 零下三度
 (ネット環境が悪くて、五日遅れになってしまいましたが、パリ二日目の記録です)
      (写真の説明はあとから、、、、)

 雨の音で眼が覚めた。午前七時。
すでにオートマティックにパリ時間になっているIpadのシリチャンに聞いてみた。
“シリチャンおはよう、今日のお天気は?”
“今日は寒い一日でしょう、、、。
画面をみると、零下三度!

 起きてみたらなんと昨夜はあのまま雪だったよう、、、。
初めての部屋の初めての夜はやはり少し不安だった、、、。
三月のパリなのに、まるで真冬の巴里のようだ。
今日のパリは冷蔵庫の中より寒いだろうという予報。

 アパルトマンの暖房は十分ではない。
エントランスを入って右側の高いところに温度計が立て掛けてあるのでみたらなんと17度。
これでは寒い。どうやらリヴィングの暖房があまり効かないようだ。
昔々パリのアパルトマンにあった、なんていうか鉄パイプが勝手に並んでいるようなもの。
形と同じでなんだかおかしくなってきた。

エントランススペースには暖房が入っているようなのでリビングに通じる扉を開けっ放しにして。
キッチン突き当たりの奥のバスルームに暖房機がよくきいているので、その扉もあかっぱなしにした。

 寒い。ともかく日本から持ってきているヒートテックの重ね着。
イクヨさんが置いていってくれたホッカイロを腰に貼る。
でもなんとなく自然なこんな生活は、それはそれで嫌いではないし、なんとかガマンができる。

 すでに二日目で時差はとれてしまったようで、それでもしばらくベットに横になって、
iPadで日経新聞などを読みながらゆっくり過ごす。

朝ご飯は何も無い。でも昨日ご馳走を食べたから今日は何もなくてもいいかもしれないな、、、、。
キッチンを探してみたがコーヒーメーカーはあるがコーヒーのカプセルがない。
緊急用に日本から持ってきた即席スープが三つあるのでお湯を沸かそうと思ったら、
電気ケトルの中に汚れた水が入っていて、そのうえ周りはカルキで真っ白になっている。
このケトルでお湯を沸かす気にはならない。
パリの水は何十年たっても変わっていないのだ!

しょうがない、、、イクコさんが買って置いてくださったミネラルウォーターで我慢することにしよう。
それからお土産に買ってきたカステーラと、JALの機内でいただいたジャンポールエヴァンの
チョコレートで朝食とした。まぁ痩せていいかもしれない、、、うふ〜。

a0031363_21470405.jpg

a0031363_21560165.jpg


また少し横になってiPadを手に音声入力でブログの原稿書いたりしながら、、、。
午後になって雪がやんだようなので、すぐ近くのカフェへ出かけた。
一人だけれど少し大きな角のテーブル席をいただいてゆっくりと。

a0031363_21510040.jpg

a0031363_21475861.jpg

ハムとビオ玉子のサラダを注文。飲み物を頼むと普通はリエットとかのおつまみがついてくるので、
エヴィアンとグラスワインのサンタムールを頼んだのだが、ポップコーンだった。
そのうえ赤ワインの味がどうもおかしい。なんとなくギャルソンに聞いたら二日前に開栓したらしい、、、。

a0031363_21485468.jpg


 このカフェの角のこの席は楽しい。
サントノレ通りとピラミッド通りの角にあって道行く人がなんともフランス的!(当たり前ですね〜〜〜)
お洒落なマダム、杖をついたお爺さん、腕を組んで楽しそうな若いカップル、
あら、、、、静かによりそう老年のお二人。
自転車でいく人も、人力車のようなホロの車にのっているカップル、、、。
そのうえ日曜日なので、家族ずれが多い。

a0031363_21500814.jpg


a0031363_21513886.jpg

a0031363_21521201.jpg

a0031363_21521201.jpg

a0031363_21525582.jpg

a0031363_21533575.jpg

a0031363_21540757.jpg


 ああ〜〜ワタシはパリにいるのだ、、、と妙な感慨。
今回のパリは、乗り気がしないままに時がたってしまってなんとなく出発した。
ただ時が流れるように、淡々とその日がやってきて、動く絨毯にのったように機内の人となった。

そこでは予期せぬ事がいろいろ待っていた。
まるで人生に疲れ切ったワタシに神様が下さった<新しい経験>だった。<未知への旅>かもしれない。
ファーストクラスは何度もいや何十回ものっているのに、まったく違った体験だった。
それはハードの面ではなくて、ソフトの変化なだったような気がする。

 ふと半世紀前の今でも忘れないエールフランスのファーストクラスで味わったあの感慨を思い出した。
さりげないサービスと笑顔。その機内には<異国の食べ物と文化>が一杯詰まっていた。
“マドモアゼル ビアンヴニュ! 離陸前にシャンパンはいかがですか、?
“メルシームッシュ〜〜〜アヴェックプレジール、、、、
それまでは使ったことがないフランス語での受け答え、、、。

離陸後に始まる食事のサービスは、その頃の日本では味わえないものだった。
ワゴンが静かにおされきて始まるフランス料理の饗宴
美しくもられたサラダ仕立てのオードブル、フォワグラやキャビアのサービス、
そしてそれぞれにあわせたシャンパンやワインが一緒に、、、。

メインディッシュのキャレ ダニョーは、お客様の好みに焼かれて温かいままはこばられて、
目の前でナイフがいれられる。
赤身からジュ〜〜という音が聞こえるような感じで暖められて、あの機内専用のリモージュのお皿にもられて
席に置かれる。 ボンナペティ、マドモアゼル! 

当時は日本では、まだレアーのこんな子羊をだすお店がなかったようで、キャレダニョー
エールフランスの機内が一番美味しいと評判となった。
ちょうどそのころに既にフランス料理の研究をはじめられていた辻静雄さんも絶賛していらした。
1960年代後半のことだった。

 それから五十年の機内食の歴史は、機内のソフトのサービスの歴史にもなるかもしれない。
1970年代初めには、大量海外旅行時代がやってきて、日本からも沢山のグループができて、
我もわれもと海外にでかけはじめ、なんとワタシはそんなお客様をお迎えするためにパリの駐在員として
派遣され、オルリー空港とシャンゼリゼ121番地にエールフランスの日本人応接係として
四年弱のパリ滞在となったのだから、、、。

 それから半世紀の紆余曲折の機内食とサービス。
機内では、決まった時間に起こされての食事から、<食事はいりません>という小さな張り紙を
はって寝ることが出来るようになり、カップラーメンがセルフサービスとなり、、、、
そして今では最初の食事だけが決まってサービスされ、あとは自由な時間にアラカルトで選べる、
とその変遷はなかなかおもしろい。

 そう、1970年代後半だったろうか、ボーイング機が新しくなったある時期に、
ジャンボの二階がサロンバーになったことがあった。
ファーストクラスからの螺旋階段を上ると、左側にバーカウンターが数席あり、少し高い椅子に座って、
お洒落にアペリティフやディジェスティフを味わえる。
奥にはふっかりしたソファー席が向かい合わせの四席と二人掛けの二席があり歓談を楽しめる。

そんな時代も長くは続かず、、、、二階席はやがてざわざわしたグループ席に変わっていってしまった。
寄港地もアンカレッジ経由やモスクワ経由がなくなり、今は直行便
パリはますます近くなったのだ。

 会社をやめてからは、ワタシはずっとJALにお世話になっているので、現在の三色旗会社のサービスは
よくしらないが、ことナショナルフラッグのJALとANAはどんどん改善されていっているようだ。

 そして今回のJALのパリ直行便。アップグレードでファーストクラスにお世話になって、その激変に驚嘆した。
機内のコンフィギュレーションは旅をさらに快適にし、ビジネスは小さな個室仕様の席が沢山できた。
外の空が見えないその席の仕様はワタシはすきではないが、多くのお客様がプライヴァシーが保てるので、
指定希望なのだそうだ。

 ファーストは左の窓側に二席、右に二席、そして真ん中に二席づつの八席。
どんなに太った人でも座れるような座席、その前にはオットマンと荷物置き、その上には20インチほどの画面。
一人の席で窓を四つも占領してしまっている。

キャビンアテンダントは以前のように押しつけがましくなく、さらりとサービスをしてくださる。
お酒のサービスもTPOをしっかりと食前酒、食中酒、食後酒、そしてお茶のサービス。
今回のメニューは、彼女たちも初めてのサービスのようで、愉しみながらしてくださった。
(この詳細は後日写真とともに掲載いたします)

a0031363_21552363.jpg

 パリのカフェで二時をすごして、さてセーヌ川あたりまでと思った頃にまた雪が突然やってきた。
傘はもってきているが、風が強いし、すべると怖い、、、。
それでもピラミッド広場まで歩いて左折、ルーヴル美術館を右にみて
ぐるりと廻って、宿に戻った。

 なんという静かな日曜日だったろう!
夜は一人で、近くの中華で軽く食事。
クラゲともやしのサラダと、野菜そば。
 またふりだした春の雪をコートに受けながら帰路につきました。

a0031363_21544467.jpg

a0031363_22012776.jpg


a0031363_22023694.jpg
(また雪がふってきたようだ、、、、)

a0031363_21252852.gif
a0031363_21252852.gif
by pretty-bacchus | 2018-03-18 23:58 | ♪Journey海外2018PAR巴里 | Trackback | Comments(0)

寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!
2018年1月25日 木曜日 マイナス四度の朝

 この寒さはなんと四十八年ぶりとか、、、と話をしていたら
美容院の女性達は、“生まれていません〜〜〜。
そうですよね、、、、。

エールフランスの駐在員でパリに住みはじめた頃のことですね。
寒い寒い朝の凍り付いたオートルートを自分で運転していた頃ですね。
あのことはいまよりもっともっと寒かったように思います。
懐かしいですね〜〜〜!

 先週のフェイスブックに、十三人の女性が壇上に揃ってそれぞれのユニフォームを装た写真が
掲載されていました。
昨年11月27日は<エールフランス航空日本就航六十五周年>だったのです。
1952年11月27日 午後9時45分に日本初便が、東京国際空港からパリへ初めて出発したのだそう。
まだ私が、小学生のころのことですね。

昨年十二月にフランス大使館で行われた<エールフランス航空日本就航六十五周年>の
レセプションの写真でした。
なんとも懐かしいですね〜〜〜!

制服ファッションショーが開かれて、
日本就航の1952年から現在までの全十三着が披露されたのだそう。
これらは当時のオリジナルで<世界で最も美しくエレガントな制服>と言われ、
現在もフランス本社の文化遺産部で大切に保管されているそうです。

a0031363_19012101.jpg

六十五年で十三種類だったのでしょうか?
私が着たのは左のブルーが夏用、その右が紺でクリスチャンディオールで1966年から
1970年代中頃までした。
私のお納戸にも残っていますので、いずれ取り出してみましょうかね。
ユニフォームは当時の<スチュアーデス>の制服でしたが、
地上職員でもお客様と接する部署によっては制服を与えられていたのでした。

 日本では、寸法を計りサイズにあったユニフォームがパリから送られてきましたが、
パリの駐在員として出てからは、クリチャンディオールの専門クテュリエのブティックで採寸され
仮縫いをされて、まさにオートクテュールの感じだったのです。
靴も専門の靴屋さんで作られていました。

友人の妹さんは、この制服を着たくてパリのエールフランスの試験を何度も受けたが、うからずに別の航空会社に入ったものでした。


 大正時代の詩人文化人の萩原朔太郎が、旅上(純情小曲集)を刊行したのが1925年、
父がまだ十代の頃。
それからすでに27年がたっていたとはいえ、まだまだフランスは遠い國だったのです。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

横光利一は1936年2月18日の東京駅での見送りには三重にも列ができ、女優高杉早苗らが
花束を送ったそうです。
2月20日に39歳の横光は川端康成、中山義秀、画家の佐野繁次郎、姉の静子らに見送られ
神戸を出航したとウィキペディアにありました。

そして1936年3月27日にフランスのマルセイユに着いたのだそうです。
この旅の経験をもとに、渡欧体験の『旅愁』が書かれたのですね。
1943年(昭和18年)『旅愁』第三篇を刊行。
子供の頃に父が買ってくれたこの本をいまだに大切にもっています。
そして中山義秀が家に遊びにいらしたという父の話を覚えています。

 私がパリの駐在員として送られたのは、その後1970年代初めのジャンボ就航の
大量旅時代の始まる頃でした。
日本就航から十八年もたっていたのです。
その頃は大卒の初任給がまだ2万円位だった頃、東京パリの飛行機運賃は確か600,000万円位でしたから、
なんと今の30倍もの飛行機運賃だったのです。

 パリにではすでに松本弘子さんがピエールカルダンのそばで活躍していて、
さらにそのあとは岸恵子さんがイヴシャンピ夫人としてパリの住んでいらっしゃいました。

a0031363_19224662.jpg
(11月27日エールフランス航空は日本就航六十五周年を迎えたというニュースメールが
着いていた。
1952年11月27日 午後9時45分に日本初便が、東京国際空港からパリへ初めて出発したのだそう。
まだ私が、小学生のころのことだった)


 オルリー空港に二年、パリのシャンゼリゼ121番のエールフランスのカウンターで二年弱。
この四年間のパリの経験がなかったら今の私のフランスとの関わりはおそらく生まれていなかったでしょう。
そして23年間のエールフランスでの仕事がなかったら私の人生はどんな別の人生になっていたでしょうか。

 二十五周年記念の時の写真が残っていて、ブログにアップしていました。
会社で行われた大きなレセプションに、自分でデザインしたアバンギャルドな着物を着て出席していました。
なんとも懐かしいですね〜〜〜!

 雪の東京で昔のパリを思い出しています。
なぜか涙が止まりません、、、。
a0031363_21252852.gif
 〜〜〜〜
十年前のブログがなつかしいですね〜〜〜!

http://keico.exblog.jp/5483900/
2007.04.25 水曜日 雨
四半世紀 昨日の如くか 夢なりか

http://keico.exblog.jp/5485974/
2007.04.26
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu

http://keico.exblog.jp/5914771/
2007.07.25 火曜日
写真の整理で 旅の記憶を ひもといて

http://keico.exblog.jp/9187764
2009年11月1日 日曜日 
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々

制服は当時のパリファッション界の寵児のクリスチャンディオールの特別製。
一人一人がヴァンドーム広場近くのアトリエで仮縫いをしてくれたのですから、
なんという贅沢なユニフォームだったことでしょう。

空港では帽子もかぶらなければなりませんでしたが、シャンゼリゼのオフィスでは脇においていました。

a0031363_4481324.jpg









(数週間前にHさんが送ってくださった写真です。空港で撮ったのでしょうか、、、、
クリスチャンディオールの制服は、中の白いブラウスの襟前は長方形のリボンで、
濃紺の襟ぐりが広いラウンドの襟から

それが見え隠れするのです。袖も洒落ていました。
そして胸には小さなエールフランスのマークの入った記章。
このユニフォームを着たくて試験を何度も受けた人が多かったそうです。

 デザイナーであった叔母が、学生の頃につくってくれた緑のアンサンブルに似ていて驚いたのを
覚えています。
デザインブックか何かで見たのかもしれません、、、洒落た叔母でしたから、、、)

http://keico.exblog.jp/12936763/
2011年6月21日 火曜日 晴れたり曇った
巴里の夢回転木馬ごとごとと

http://keico.exblog.jp/14105427/
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
このブログには、なつかしくも辛い思い出が書かれています>>>moreへ。

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

http://keico.exblog.jp/14105468/
2011年12月5日 月曜日 パリへ出発
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris

http://keico.exblog.jp/14153200/
2011年12月11日 日曜日 その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ

http://keico.exblog.jp/15774661/
2012年7月15日 日曜日
時空を越えて、、函館〜東京〜京都〜巴里
平成24年7月15日(日) 晴れ

http://keico.exblog.jp/16988936/
2012年12月14日 金曜日 晴れ
二十世紀の巴里への旅を追憶して

http://keico.exblog.jp/17169714/
2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ
ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

http://keico.exblog.jp/20142455/
2014年8月28日 木曜日 晴れ
木村伊兵衛のパリ、銀塩最後の私の巴里のエッフェル塔とコンコルド広場
<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>

http://keico.exblog.jp/20339858/
2014年10月31日 金曜日
四半世紀前の仕事ライフと十五年前の巴里を

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念


More>☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
by pretty-bacchus | 2018-01-25 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

黄色は希望の春の花色>透きとうった花瓶に巴里を想って
2017年1月17日 火曜日 晴れ 

 なんとも良いお天気だ。
寒さをいいことに家で少しかたずけものを、、、。

透きとおったガラスの花瓶は、その昔パリのノミの市で五十フランくらいで買った可愛いのとか、
どっしりと重いサンルイのクリスタルとかもいくつかあって花によっていろいろ楽しんでいる。

でも一番愛着があるのはなんてことはない巴里十五区の裏路地の小さなお店で求めて
ずっと巴里のアパルトマンで使っていたもの。

 そういえば、何年かまえに銀塩時代のパリの写真の一部をデジタル化したときに数枚混じっていたはず。
ごそごそとMacの中を探してみたらありましたね、、、、。

http://keico.exblog.jp/20770872/
2015年1月18日 日曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年の巴里十五区の初夏

 黄色いチューリップの後ろはミモザ!
黄色は春まちの頃の希望の色なのです。
アパルトマンの一階はお花やさんだったので、季節の花が十本一束のお買い得でいつも帰宅の時に
いただいたのでした。

a0031363_186569.jpg
(1999年とあります)

a0031363_1862168.jpg
(時には黄色いバラも、、、)
a0031363_21252852.gif
 パリではそろそろ黄色いミモザがニースから届く頃かしら?
エールフランスの佳き時代には、毎年ミモザがたくさんカーゴ便で送られてきて、
社員皆んなで楽しんだものでした。
青山ビルの中地下にあったケイフローリストさんにもさしあげたことがありましたね、、、、
なつかしい佳き時代です!!

 青い空が切れいた冬の午後でした。

a0031363_039375.jpg


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 寒い寒い冬がようやく終わるころ、パリではまず黄色いレンギョが芽吹き始める。
「あ〜〜やっと春が来た! 道が凍らなくなるのだ、、、よかった〜〜〜、と思ったものだ。
パリの西南のポルト・ド・オルレアンからオートルートを南に20分ほどでオルリー国際空港に着く。
(そのころは未だ成田空港もシャルル・ド・ゴール空港も存在しなかった)

http://keico.exblog.jp/5626037/
2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris


http://keico.exblog.jp/14132757/
2011年12月6日 火曜日 曇り  その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973(今回二日目)

http://keico.exblog.jp/14192747/ 
2011年12月17日 土曜日 巴里のお花やさん
☆回想のわが巴里の街1990~2000〜巴里のお花やさん

a0031363_21502897.jpg (車で帰ってきたばかりで戸口であいました)

a0031363_21512577.jpg (お客様も交えてロンとサンドリンで記念写真を!)

a0031363_21524857.jpg (友人にお花を買って、今度はお嬢様も一緒に!)

a0031363_21541390.jpg (ミモザやムスカリや
チューリップ、もちろん季節のシクラメンも。
(大きなシクラメンが900円!)
昔も今も10本で200円くらいで、オランダ直輸入のこのお花屋さんは安いし新鮮、そして親切がお店です)


http://keico.exblog.jp/7137639/
2008年5月22日 木曜日 晴れ/a>
緑の手を持つジャポネーズ

http://keico.exblog.jp/14192627/
2011年12月17日 土曜日 
☆回想のわが巴里の街1990~2000 =十五区のアパルトマン
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris ~1990~2000
 
by pretty-bacchus | 2017-01-17 23:59 | ☆Nature空,海,夕陽,緑花,鳥蝶 | Trackback | Comments(2)

借景の木々をみながら危険だった旅の思い出に、、、
2015年11月18日 水曜日 小雨 魚真

 久しぶりに借景の緑を愛でていた。
右方の木に望遠を構えて、、、、え〜〜? 何あれは? 刀が機の間を動いている。
そうではなかった、どうやら借景の庭には植木やさんがはいっているようだ。
それにしても随分と高い木なのに、、、、。

 正面のアオギリの木はもう葉がすっかり駆られていた。
え〜〜〜レンズの中に人の顔!
ビックリポン〜〜〜どうしてこんなに此方のベランダの近くの空中に人がいるの?
きっと高い梯子をかけているのだろう、、、、、、。

a0031363_19355035.jpg
(ひよどりじょうごの実は萎み始めていた、、、)

a0031363_1937295.jpg
(葉が減って黄葉も、、、、、遠きのアオギリの葉もない、、、、)

a0031363_19375447.jpg


a0031363_19381760.jpg
(なんとりりしい若者の植木やさんだろう)


 ニュースは暗いニュースばかり、、、。
無差別テロのニュースがますます広まり、次のターゲットは商業地区のデファンスとか空港かとかの
未確認情報が飛び交う中に届いたニュースは<米国からパリ行きの2機、緊急着陸 >

[ロサンゼルス 17日 ロイター] - 米国からパリに向かっていたエールフランス機2便が17日、
匿名の爆破警告を受けたため目的地を急きょ変更し、緊急着陸した。700人超の乗客乗員は無事。
米連邦航空局(FAA)などが明らかにした。
このうち、ロサンゼルス発のエールフランス65便(エアバスA─380)はソルトレークシティーに着陸。
乗客らはターミナルに移動した。ソルトレーク・トリビューンが空港関係者の話として伝えたところによると、乗客乗員は497人。
米連邦捜査局(FBI)は声明で、脅迫内容を裏付けるような証拠は機内で見つからなかったと明らかにした。
ユタ州の地元メディアによると、乗客は同便に再び搭乗し、パリに向けて出発した。

 もう一つのエールフランス55便(ボーイング777)はワシントン郊外のダレス国際空港から離陸した後、
カナダのハリファックス国際空港に目的地を変更。乗客乗員262人は既に降機した。
ハリファックスの警察当局は、警察犬を使い機内で爆発物を捜索したが、結果については明らかにしていない。
エールフランスは声明で、両便ともに「離陸後に匿名の脅迫があった」ことを明らかにした。
その上で「当局が主導して電話の発信源を特定するための捜査にあたる」と説明した。

〜〜〜〜〜〜〜
そして夜半にはa0031363_21252852.gif

【パリ=本間圭一】パリ同時テロ事件で、フランスの検察当局は19日、パリ近郊サンドニでの
仏警察と容疑者側の銃撃戦で、イスラム過激派組織「イスラム国」の幹部で、同時テロの首謀者とされる
ベルギー国籍のアブデルハミド・アバウド容疑者が死亡したと発表した。

 オランド大統領は演説で「わが国は戦争状態にある」と宣言し、IS掃討のため、
シリア空爆をさらに強化することを表明したのだ。


 一方、ISは新たなビデオ声明で「ワシントンにある米中枢を攻撃する」と恫喝した。
何と言うことだ。

フランスに住む友人達は今回は難を名逃れたとはいえ、外出をなるべく控えているという。
パリへの旅の多くがキャンセルになり、冬の旅はますます寒いものとなってしまうだろう。
新しいパスポートも再発行されて、クリスマスのパリへ旅立とうと思っていたのだが、
これも止めた方がよいだろう。
それでなくとも寒いパリで、去年あれだけ<怖い〜〜>を思った旅だったのだから、、、。
旅の途中で弟や柳澤さんがなく亡くなってしまったりと、、、、。

http://keico.exblog.jp/20518631
2014年12月12日 金曜日 パリ 雨の暗い朝 その一 
雨の暗い巴里の朝に弟の訃報をうけました(旅のカテコリにも)巴里四日目

http://keico.exblog.jp/20528141
2014年12月14日(日) 霧の朝、巴里六日目
ノートルダム大聖堂とリルケ、Xマスイリュミネーション 

a0031363_107710.jpg


a0031363_10115033.jpg


 思えば海外の旅を始めて早や五十年になる。
半世紀か!
何百回という出国記録があり、欧州のなかでも飛行機を加えるとすごい数になる。
いろいろの事故に遭遇しながら、よく今までこうして無事に生きていられたものだと、、、、感慨を新たにしている。
以前ブログに書いているが、まだまだ書き切ってはいないだろう。

そうそう、1970年代はじめかな?、アラブゲリラが爆弾をしかけた飛行機に乗って事故にあったことがあった。
当時は、パンナムの機がオルリー空港で爆破されたりと、いろいろの事故があった時期。
私はエーフランスの駐在員としてパリに送られてオルリー空港に勤務していた。

 週末を利用してローマ行きの機に乗った。
乗客は半数以下のキャラベル機が、ローマのフミチーノ空港によろよろと到着したのだ。
少し前から機内はとても静かでスチュアーデスもでてこなかった。
普通は空港中央の建物の近くの駐輪場に近づく飛行機はどんどん空港の原っぱの端のほうに向かっていった。
おかしいな、、、と思い、手荷物を膝に置いた時に機内アナウンスがあって、急いで静かに後ろの出口から
降りるように、、、と。キャラベル機は出口が後ろの梯子なのだ。
(この時、一番先に奇声を上げて機から飛び出したのはなんとイタリア人のスチュアーデスだった。
おそらくかなり前から事情を知っていて震えていたのだろう)。

 遠く眼前には何台もの消防車? バスに乗せられた私たち乗客は、小雨が降り出した空港の端っこの野原で、
飛行機から順番に降ろされて運ばれてくる一人一人のチェックドバゲッジを確認して、
別のバスに移されるということが何十回も繰り返されて、何時間もかかってやっと解放された。
最後にはチェックドバゲッジがひとつ残って、中には爆弾らしき物があったと翌日聞かされた。
爆弾がしかけられていたが、それが幸運にも不発に終わったと後でわかった。
翌日の新聞の一面はこのニュースで飾られたものだった。

荷物の検査が終わって特別ゲートから税関を出たところで長い間待った連れ合いと会えて、、、
とたんに安心したのか、体ががたがた震えて鳴き出してしまったのを覚えている。

 まだまだこれからも海外の旅にはでることになるだろう。
グループの旅ならば、エージェントの方がいろいろしてくれるだろうが、一人旅をしていれば、
これからもいろいろ起こることだろうが、、、、さてさて、、、、。
いずれにしても、ますます旅でのハプニングは多くなるだろうから、荷物をなるべく少なくすることと、
常備薬は少し多めにもっていくことだろう。
(フィルムがなくなっただけでもかなり苦労が少なくなったに違いない)

 遠くの異国に住む友人達を思いながら、、、、。

http://keico.exblog.jp/6042978/
2007.08.23 木曜日  青い朝顔は五輪かな
旅での波瀾万丈の出来事いろいろ

http://keico.exblog.jp/7072885/
2008年5月3日 土曜日 雨のち曇りのち少し晴れ 今日は三回目
旅の記憶にーーテルアビブ

http://keico.exblog.jp/7821613/
2009年1月16日 金曜日
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙

http://keico.exblog.jp/7945576/
2009年2月11日 水曜日 
「ハドソン川の英雄」チェスリー・サレンバーガー機長の独占インタビュー

http://keico.exblog.jp/10437146/
2010年4月16日 金曜日 曇り時々雨、みぞれで寒い
残る花散るを忘るるみぞれかな(飛行機事故の記憶)

http://keico.exblog.jp/11129076/
2010年8月12日 (木曜日) 曇り
25年前の日航機墜落事故「御巣鷹の尾根」の日

http://keico.exblog.jp/14105427/
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり

http://keico.exblog.jp/14109860/
2011年12月8日 木曜日  曇りのち雨 
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー忘れられない事

http://keico.exblog.jp/17169714/
2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ
ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

http://keico.exblog.jp/17389355/
2013年2月27日 水曜日 雨後ち曇り
熱気球の事故が起きてしまった(気球の思い出)

http://keico.exblog.jp/14339545
平成24年1月4日(水) 晴
前世紀のエールフランスの食器と天馬

http://keico.exblog.jp/19990751/
2014年7月12日 土曜日 明け方に
台風一過、大阪と東京で台風の香港を思い出している写友がいました

http://keico.exblog.jp/20032334/
2014年7月23日 水曜日 晴れたり曇ったり
熱帯夜に飛行機事故の旅の思い出にふけって

http://keico.exblog.jp/20092154/
2014年8月12日 火曜日 曇り時々小雨 免許更新
<日航機墜落事故>から二十九年、芙蓉の花に送られて

http://keico.exblog.jp/20497010/
2014年12月9日 火曜日 家を出発十二時
厳冬のパリに着きました、、、

http://keico.exblog.jp/21548754/
2015年8月12日 水曜日 晴れ
国際宇宙ステーション内のレタスと御巣鷹山事故から三十年に思いを寄せて

~~~~~
http://keico.exblog.jp/7725595/
この機内の模様

http://keico.exblog.jp/2335423/
2005.10.17
十五夜とにらめっこしてお国入り




by pretty-bacchus | 2015-11-18 23:59 | ☆JourneyAbroad海外の思い出 | Trackback | Comments(2)

夕方の曼珠沙華と猫じゃらし、夜の彼岸花、そして<情熱のシーラ>
2015年9月20日 日曜日 晴れ

 日の入りがどんどん早くなる。
昨日は17時44分だったのに、今日はなんと17時42分と一日で二分も早いのだ!

日の出入・月の出入 (:東京)
  日の出 05時26分  : 日の入 17時42分

 日没前に少し散歩をしようと日の入り一時間まえに家をでた。
すでに太陽は西に傾きすぎていて、きれいな光の土手はすでに過ぎてしまっていた。
それでもいつもの真っ暗な土手ではなくて、陽の光が少し残った道を歩くことができた。
昨日とはまたひと味一差し違った土手の彼岸花を撮りながら、どこか遠い処を見ている自分があった。
不思議な秋の訪れだ。

a0031363_5271896.jpg
(彼岸花は木陰や木の下に咲いている、、、)

a0031363_5281082.jpg


a0031363_5291313.jpg


a0031363_5294211.jpg
(枯れた花もまたオブジェ!)

a0031363_5302281.jpg


a0031363_5305290.jpg


(土手の角を曲がったら、、、)
a0031363_5313896.jpg


a0031363_532215.jpg


a0031363_53410100.jpg


a0031363_5344567.jpg


 彼岸花は「曼珠沙華」「死人花」「幽霊花」「死人花」「地獄花」「天蓋花」「狐の松明」
「狐のかんざし」「剃刀花」。そして「葉見ず花見ず」
ほんとうに摩訶不思議な花だ。
放射線状の舌状花で見た目にも華やかなのに数日の命の花。
リコリスという名でも呼ばれているそうだが、やっぱり「曼珠沙華」という名が好き!
サンスクリット語の(梵語)の“Manjusaka”(マンジュウシャカ)からきていて<天上の赤い花>という
意味であるという。

秋のお彼岸の時期に咲くから<彼岸頃>。また法華経の「摩訶曼茶羅華、曼珠沙華」から彼岸花と
名付けられたというとも。
戦時中には非常時に食用とされていたというが、毒性が強く時により死に至ることもあったという。

a0031363_5362753.jpg

 (通りにでたとたんに街灯が灯って五時をつげる街の音楽が流れた)

a0031363_5374068.jpg
(グルッと回って家路に着く頃には、もうとっぷりと暮れかけていた、、、忘れられたように猫じゃらしが
ざわめいていた)

a0031363_5383920.jpg
( pm6:10まだ青い空が残っている薄暮のころとは、こんな時間帯なのだろうか!)

 夜の闇にうごめく姿は、なぜか妖艶というより、土からにゅっと細長い腕をだして、
地上の人間達を悩ませ、あざけり笑っているような気さえしてしまう、、、。
花言葉はなんなのだろう、、、ネットで調べてみたら、
<情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出>そして<想うはあなた一人>というのもあって
なぜか彼岸花は悲願花!
長い茎の上にだけ花だけが咲き、花が落ちてから葉が出るのだそうで、今年はぜひそれをみてみたいものだ。

a0031363_5402042.jpg


a0031363_5425150.jpg



http://keico.exblog.jp/20224446/
2014年9月23日 火曜日 晴か曇りか 秋分の日 Autumnal Equinox
曼珠沙華、彼岸花、幽霊花、狐花、そして「相思華」

(今年の彼岸花は)
http://keico.exblog.jp/21654850/
2015年9月16日 水曜日 雲りのち雨
ピオーネ、シャインマスカット、種なし葡萄、そして曼珠沙華

http://keico.exblog.jp/21657789/
2015年9月17日 木曜日 晴れのち曇りのち雨
サーロインステーキと彼岸花とかけてなんととく?

http://keico.exblog.jp/21665898/
2015年9月19日 土曜日 晴れ きれいな朝 午後には真夏日?
朝の緑とヒヨドリジョウゴから真夜中の二種のミントのモヒートまで

 そして、、、、
日曜日の夜の楽しみはは<情熱のシーラ>
あと数回を残すだけだろう。
モロッコからマドリッド、そして今はリスボンとエストリルと昔々の何度か訪れたことのある街街。
スペイン内戦、第二次世界大戦時のスペイン、モロッコ、そしてポルトガルを舞台としたテレビドラマ。
時代に翻弄されながらもたくましく生きた主人公のシーラ・キローガ。仕立てやという仕事を持ち、
スパイとしても国を守った情熱と決断の女性の物語。
彼女自身が着ているファッションもすばらしい!

 1940年代の実話に基づいたベストセラー作品の原題 El tiempo entre costurasのテレビ化だそうで、
何十年も前に訪れたことのある街々が昨日ことのように眼前に舞い、主人公のシーラが着る当時の
ファッションは、デザイナオーの叔母が創ってくれたいた洋服を彷彿とさせてくれている。
どこかリューカンボンのシャネルの本店を思うのは時代が同じ頃だろうか、、、。
~~~~~
(このブログ内でもいろいろ書いていた)

http://keico.exblog.jp/1855972/
2005.4.17
ただぼ〜と一日鳥と春の午後、「永遠のマリア・カラス」

http://keico.exblog.jp/4183923/
2006.08.25
夏の夜に歴史彩るアンリ・カルティエ=ブレッソン

http://keico.exblog.jp/5540374/
2007.05.06 日曜日 雨
エリオット・アーウィットの写真展へいざ

http://keico.exblog.jp/5545750/
エリオット・アーウィット写真展
2007.05.07

http://keico.exblog.jp/5544486/
生き恥をさらすブログに五月雨
2007.05.07 月曜日 曇り

http://keico.exblog.jp/6126882/
2007.09.06 木曜日 風雨強し、台風近し
アデュー ルチアーノ・パバロッティさん

http://keico.exblog.jp/7171924/
2008/06/02 Mon 雨
アデュー! イブ・サンローランさん(Aduie! Yves Saint Laurent)

http://keico.exblog.jp/7296620/
「エコとエゴ、日仏の違い」のトークショウ
2008年7月11日 金曜日 晴れるかな、、、、

http://keico.exblog.jp/7735443/
2008年12月13日 土曜日 曇り
旅の支度に満月を忘れて、シュヴァリエ・ドゥ・タートヴァンなど

http://keico.exblog.jp/19976322/
1999年9月の写真
マルセリーヌガンスのジュネーヴのレセプションにて

http://keico.exblog.jp/7796724/
2009年の年の初めに思ったこと
2009年1月6日 火曜日 はれ

http://keico.exblog.jp/8808468/
2009年8月13日 木曜日 晴れ
免許証書き換えと東京のおのぼりさんと「ココ・シャネル」

http://keico.exblog.jp/10750242/
2010年6月4日 金曜日 晴れ
花の女 フランソワーズ・ジローの回顧展

http://keico.exblog.jp/11296076/
英国ロイヤル・オペラ・ハウスの『椿姫』観劇
2010年9月16日 木曜日 雨、あめ、、、、、

http://keico.exblog.jp/14142714/
今日の巴里 08 December 2011 Paris
2011年12月8日 木曜日 

http://keico.exblog.jp/14162322/
2011年12月12日 月曜日 その一  雨のち曇りのち晴れそして、、、
☆回想のわが巴里の街1973~1980 =旅と滞在ホテル

http://keico.exblog.jp/14162419/
2011年12月12日 月曜日 その二
☆回想のわが巴里の街1973~1980 -シャネルとラデュレ
a0031363_16302659.jpg(08 December 2011 Paris,
rue Cambon, Chanel)

http://keico.exblog.jp/14181574/
今日の巴里 15 December 2011 Paris
平成23年12月15日(木) 雨

http://keico.exblog.jp/14189077/
今日の巴里 16 December 2011 Paris
平成23年12月16日(金) 雨雨雨の冬の巴里 その四

http://keico.exblog.jp/14182547/
2011年12月16日 金曜日
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris 1990~2000ー三つのシュヴァリエ

http://keico.exblog.jp/14192627/
2011年12月17日 土曜日
☆回想のわが巴里の街1990~2000 =十五区のアパルトマン
 ☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris ~1990~2000

http://keico.exblog.jp/13799497/
2011年12月18日 日曜日
☆回想のわが巴里の街~フランス人との交流歴 

http://keico.exblog.jp/14195254/
2011年12月20日 火曜日 雨
☆回想のわが巴里の街 ~ 我が人生を振り返って 
我が人生を振り返って

http://keico.exblog.jp/14228383/
☆回想のわが巴里の街〜帰りの機内にて その二
2011年12月20日 火曜日 雨上がり その三

http://keico.exblog.jp/16444285/
「ココ・シャネル」と「ココ・アヴァン・シャネル」
2012年9月26日 水曜日 晴れ

http://keico.exblog.jp/17032096/
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage 2008 バックトゥー2008年12月19日
2012年12月19日 水曜日 その二

http://keico.exblog.jp/17245942/
銀塩時代の写真の<オペレーションモノクロ化>
2013年1月30日 水曜日 晴れ

http://keico.exblog.jp/17920915/
東京>京都>二川>東京の旅
2013年6月6日 木曜日 曇り

http://keico.exblog.jp/18078487/
猛暑の京都でダウン、アルスシムラは午後からに
2013年7月10日 水曜日 晴れ 猛暑日

http://keico.exblog.jp/18355750/
雷雨の中を映画鑑賞<ジャンヌ・モローの「クロワッサンで朝食を」>
2013年8月12日 月曜日 曇り 夕

http://keico.exblog.jp/19949581/
2014年6月26日 木曜日 曇り
1997年の今月今日6月26日の私の巴里=パリのカフェの歴史
★ 銀塩時代の写真の<オペレーションデジタル化

http://keico.exblog.jp/19946335/
★OldPhoto銀塩写真のデータ化は遅々としてすすまない
2014年6月27日 金曜日 雨

http://keico.exblog.jp/19976209/
2014年7月6日 日曜日 曇り
前世紀最後のシャネルのファッションショー巴里
パレ・デ・コングレで行われた1999年10月08日のシャネルのファッションショー
a0031363_4215088.jpg


http://keico.exblog.jp/20835025/
2015年1月31日 土曜日 晴れ 
1998年6月コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式  
★OldPhoto銀塩写真のデータ化
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


by pretty-bacchus | 2015-09-20 23:58 | ☆Daily life日々の事など | Trackback | Comments(6)

ゼノビア女王のパルミラの遺跡群は破壊され、ハリド・アスアド氏も殺害
2015年8月20日 木曜日 雨

 雨の朝、けだるそうに名残のミンミンゼミが鳴いている。
夕方にはすでに聞こえるのは虫の声、、、。
秋なのです!

 パルミラが過激派組織に占拠されて早や三ヶ月。
時々流れるニュースでは、すでにら政府軍は撤退させてすべてが過激派組織支配下に置かれていうという。
パルミラには2000年前の古代ローマ時代の神殿や円形劇場の跡が残っていたが、
どうなってしまったのだろう。
シリアやイラクで文化財の破壊を繰り返していたが、パルミラでもすでに二世紀に作られた
貴重なライオンの像も壊されてしまったようだ。

 一昨日には世界的な考古学者殺害パルミラ博物館の元館長、ハリド・アスアド氏が殺害されたという。
八十二歳、アスアド氏は世界遺産に登録されているパルミラ遺跡の研究や保護に五十年年以上にわたって
携わっていて日本との交流もある方だが、一か月ほど前から拘束されていたということ。

イギリスを拠点にシリアの内戦の情報を集めている「シリア人権監視団」によると、
氏は18日、パルミラの広場に連れてこられ、市民の目の前で殺害されたということ。
そしてこの組織では、女性奴隷制度のような「奴隷制復活」して、奴隷市場まで設立して、
女性や子どもは「戦利品」として扱われ始めたというのだから、なんとも辛いニュースが続いている。

 遠い昔のこの地を旅した頃を思い出して手を合わせている。
        〜〜〜〜

 昨日のナナハンさんのミクシーでは、その様子が書かれていた、少し拝借させていただこう。

「パルミュラの悲劇が拡がらないよう」
シリアのパルミュラ遺跡はゼノビア女王の君臨した 隊商都市だった。遺跡の管理に長年心血を注いだ
ハリード・アサド博士がISに捕まって拷問にあい 「秘宝の在処」を問われ、頚を切られ、
遺体は
遺跡に晒された。 アサド一族のインテリの長だったハリード博士の冥福を祈り
つつ~~~。

    〜〜〜〜〜〜〜
(このブログを始めた2004年からすでに何度もパルミラについては書いていた)

http://keico.exblog.jp/21258934/
2015年5月22日 金曜日 晴れ
健康散歩は冷し中華で沈没となりました
a0031363_23524420.jpg
〔1993年の旅にて、パルミラの遺跡に沈む夕陽を)


http://keico.exblog.jp/21248538/
2015年5月18日 月曜日 曇り後雨
シリアの世界遺産都市パルミラが無事でありますように、、
a0031363_5351882.jpg
(右に立つ陰が柳澤社長)

http://keico.exblog.jp/18925185/
2013年11月6日 水曜日 曇り
世界遺産の旅の写真を年賀状に、、ゼノビア女王

(二十五億年ごろに地球は燃えつきて、あの太陽に飲み込まれるのだという、、、)
a0031363_1617492.jpg
 (1997年頃に撮影、、、<パルミラの遺跡には今も夕陽が毎日沈む。
ローマ帝国を敵にまわした3世紀に存在したパルミラ王国の「女王」ゼノビア女王。
シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、やがて四世紀にローマに滅ぼされたのです)
(家庭用のチープなスキャナーなので色がでませんね、、、)

http://keico.exblog.jp/18949959/
2013年11月9日 土曜日 雨のち晴れたり曇ったり
やがて燃えゆく地球からパルミラの夕陽を

http://keico.exblog.jp/12135645/
2011.02.17
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書の旅

http://keico.exblog.jp/10584167/
2010年5月8日 土曜日 曇り
Memoires du Voyage 旅の写真を絵はがきに
a0031363_23262518.jpg  (パルミラの夕陽、丑年か未年かしら?)


http://keico.exblog.jp/20528141/
2014年12月14日(日) 霧の朝、巴里六日目 

ノートルダム大聖堂とリルケ、Xマスイリュミネーション

http://keico.exblog.jp/17104083/
2013年1月4日 金曜日 晴れ
いただいたお年賀状に返事を書いて

http://keico.exblog.jp/16983306/
2012年12月13日 木曜日 晴れ
旅で撮った世界遺産の写真で年賀状の記録

http://keico.exblog.jp/16032551/
2012年8月25日 土曜日 晴れ
シリアとルーマニアで亡くなった日本女性のご冥福を祈って

http://keico.exblog.jp/14948410/
2012年3月28日 水曜日 晴れ後曇り
都にも春がやってきました

http://keico.exblog.jp/14099744/
2011年11月29日 火曜日 晴れ
新しい核医学検査 ホネシンチグラフィー を受けました。

http://keico.exblog.jp/13224030/
2011年8月6日 土曜日 晴
1980年代後半からの旅の思い出いろいろ

http://keico.exblog.jp/14192627/
2011年12月17日 土曜日
☆回想のわが巴里の街1990~2000 =十五区のアパルトマン
 ☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris ~1990~2000

http://keico.exblog.jp/5971643/
2007.08.08
Condolence  内田勝久さんが亡くなった。

http://keico.exblog.jp/5770820/
2007.06.22 金曜日
夏至きたり 古の旅はるかなる 

http://keico.exblog.jp/3220372/
2006.02.23
旅の記録、幻のエピローグ

http://keico.exblog.jp/3220300/
2006.02.20
ブログ上での旅の記憶のはじまり

http://keico.exblog.jp/653487/
2004.07.14
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅

http://keico.exblog.jp/651204/
2004.07.13
追憶はゼノビア女王を偲ぶ旅
a0031363_202639.jpg
 
 ローマ帝国を敵にまわしたゼノビア女王。シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、
やがて4世紀にローマに滅ぼされた。
そのパルミラの遺跡には今も夕陽が毎日沈む。

http://keico.exblog.jp/2253897/
2002.1.1 世界遺産の写真
記録から>世界遺産の写真があるもの。



by pretty-bacchus | 2015-08-20 23:59 | ♪World Heritage世界遺産 | Trackback | Comments(2)

夏至の最後の日に思い出に酔って
2015年7月6日 月曜日 雨のち曇り

 今朝もなんとも暗い朝。
同じ雨でも暗さがどうしてこんなに違うのだろうか!

 土手には昼顔の蕾が凛として明日を待ち、トランペットエンジェルは清らかにほんの数輪咲いていた。

a0031363_1293643.jpg
(昼顔の蕾は明日への希望ですね)

a0031363_1303931.jpg


#IMAGE|a0031363_131763.jpg|201507/08/63/|mid|984|657#]

a0031363_1313446.jpg


 今日は二十四節気の夏至の最後の日。
明日からは小暑(7/7~7/22)。そして少しずつ日が短くなる。

 夏至のブログ内記事をみてみたらいろいろ出てきた。
夏至の時期に訪れた国は数々あるが、やはりパリの夏至祭りの<フェットドゥミュージック>の想い出と、
北欧のフィヨルドの旅の記憶が鮮烈に甦る。

 旅っていいな〜〜〜とあらためて実感!
 あ〜〜でかけたくなりました。
今年は三月の旅が延期で四月になり、それもキャンセルになってしまっている。
いつになったら飛び立てるのかしら〜〜〜?

日の出入・月の出入 (計算地:東京)
  日の出 04時30分  : 日の入 19時01分
  月の出 21時56分  : 月の入 08時50分
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/19927300/
2014年6月22日 日曜日 雨のち曇り少し太陽が その一
1996年6月21日 夏至の日のパリ、セーヌ河畔
★OldPhoto銀塩写真のデータ化の整理をしていたら、
北欧の夏至の頃の翌年には、同じ頃のまさに夏至の日に撮ったパリの写真があった。

“セーヌ河畔になぜこんない人が出ているの?
“今日は夏至だからです、、、”と、日本語がわかるジャクリーヌが言っていたのを思い出した。
なにか特別な夏至祭りの催しがあったのだろうか、、、残念だ。

a0031363_21252852.gif
a0031363_4164042.jpg
(21 June 1996 De la fenêtre de voiture de l'autobus )
コンコルド広場の午後は雲が多かったのだ)

a0031363_4224299.jpg
(21 June 1996, Le soleil couchant dans la Seine au solstice de l'été )

a0031363_429048.jpg
(夏至の日のセーヌ河畔はすごい人だった)

a0031363_4295828.jpg
(ノートルダムの向こうに夕陽は沈みゆく、、、)

a0031363_431458.jpg


a0031363_4303361.jpg

 富岡八幡宮の提灯やのぼりがたって、御神輿が鎮座ましていた船を撮った、その翌日が夏至だったのだ。
a0031363_562172.jpg


http://keico.exblog.jp/19923614/
2014年6月21日 土曜日 曇り
夏至の東京と北欧ノールキャップの沈まぬ太陽

http://keico.exblog.jp/19923614/
2014年6月21日 土曜日 曇り
夏至の東京と北欧ノールキャップの沈まぬ太陽

a0031363_2443340.jpg


a0031363_245186.jpg
(04July 1995 ノールキャップで沈まぬ太陽を拝す)



by pretty-bacchus | 2015-07-06 23:59 | ☆Nature空,海,夕陽,緑花,鳥蝶 | Trackback | Comments(5)