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米タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」が決まりました。
2018年12月13日 木曜日 雨のち曇り 

「パーソン・オブ・ザ・イヤー」。
米タイム誌が、その年に良くも悪くももっとも影響を与えた人物や団体を選ぶ(今年の人)。

今年は一人ではなくジャーナリストのグループとなった。
業績が称えられたジャーナリストらの筆頭には、
トルコのイスタンブールのサウジアラビア総領事館で行方不明となった
サウジ人記者のジャマル・カショギ記者が挙げられた。

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結婚届を出しに行って、そのまま殺害されて切り刻まれたという
記憶にも新しいひどい事件だった。
殺人集団が十名程入国して、仕事を果たして出国した事までわかっていて、
CIAもその首謀者を名指ししているのに、
逮捕できないというのだから世の中はほんとうに怖ろしい。

去年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」は女性達だった。
セクシャルハラスメントから端を発してミーツーと続いた年で、
TIME Person of the Year: The Silence Breakers(沈黙を破った人たち)として、
セクシャルハラスメント被害を公表した女性たちや性的暴行の被害を告発した
女性たちが選出され、彼女達の顔写真が表紙を飾った。

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 私が学生の頃に読み始めた<TIME>の1960年代には(必須科目だったので)、
「マン・オブ・ザ・イヤー(Man of the Year)」と言われていたが、
その後1999年には、男性だけでなく女性も対象であるため、
<パーソン・オブ・ザ・イヤー>へ改名された。
それ以前には、女性が選ばれたときには
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー(Woman of the Year)」といわれていた。

 そのころの上智大学の外国語学部では、
入学すぐに週一回TIME(タイム)購読の授業があった。
高校時代にこの国際英文ニュース誌のことは知っていたが
受験の参考としてパラパラと見る程度だった。
ニューズウィークとともに、現代英語のお手本とされていて、
政治、経済、文化、モダン生活、エンターテイメント、最新医療事情等など、
その当時の日本では手に入りにくい<外国>のニュースが独自の視点で書かれていた。

TIMEはほとんどが文字でモノクロの写真が少しあったくらいだった。
英語科の生徒は、タイムの多くのコラムの内から一つを選んで毎週読まねばならず、
次の週の授業では、その内容を短く英語で説明したり書かされたりした。
大変な授業だった。
そのうえに「宗教学」「心理学」「倫理学」「哲学」さらに「英国史」
「商業英語」などもあり、そのほとんどの授業が英語で行われた。
日本語だって難しい内容を、神父様が英語でなさるのだから、
私はもうまったくお手上げだった。

 第三次試験までの入学試験を突破して入学した外国語学部英語科は、
クラスメートのほとんどは、東京の 雙葉女子学院、女子学院、
聖心女子学院と、地方の女子学院からの方が多く、
男子校でかっ歩していた生徒は私ぐらいだったかもしれない。
彼女たちはすでにかなり話す英語にたけていて、
一方わたしの高校時代の英語教育は、年配のM先生で
(今思うと発音は日本式の)、バートランド・ラッセルなどの
難しい英文を訳すだけの授業だったから、
上智入学後はほんとうに大変だった。

https://keico.exblog.jp/238824586/
寒い朝は、きれいな朝! 半世紀前の思い出にふけって!
2018年10月22日 月曜日 晴れ

 そんななかで、<TIME>で忘れられないのはやはり
1964年11月22日のジョン・F・ケネディ大統領のテキサス州ダラスでの暗殺事件。
John F. Kennedyアサシネートassassinate(暗殺)という単語を初めてみたのは、
その翌週のタイムだった。
でもたしかその年のマン・オブ・ザ・イヤーは、
ケネディ暗殺に伴い副大統領から昇格した
Lyndon B. Johnson(リンドン・ジョンソン)だった。

 卒業してエールフランス航空に入社して数年後にパリに赴任した。
そのパリでも英語誌のタイムは読んでいたが
(というよりフランス語のルモンドなどを読むより楽だったのだ!)、
その間覚えている表紙は
1972年のニクソンとキッシンジャー大統領特別補佐官だった。

 帰国して数年後の1982年には、マン・オブ・ザ・イヤーは人以外が選ばれれて「
コンピュータ(The Computer)」だった。
パリ駐在時代の1970年代はじめからコンピューターを使い始めていたので、
時代の先端をいっていたのかもしれない。

その後出向してホテルメリディアンチェーンの日本代表としての六年間を
休みなして世界中を回って病に倒れて仕事をやめたのだが、
その翌年のマン・オブ・ザ・イヤー1988年も人以外で
「危機に瀕した地球(The Endangered Earth)」だった。
もうその頃から地球は危機に瀕しはじめていたのだ!

前世紀最後の2000年にはせんだって亡くなったGeorge W. Bush(
ジョージ・W・ブッシュ)第43代米大統領。
女性はQueen Elizabeth II(エリザベス2世)もあり、
数年前にはアンゲラ・メルケル。

 毎年今頃になるとタイム誌の表紙をみて、
なつかしく昔むかしのことをいろいろ思い出すのだが、
いまでは、雑誌は買わずにネットで毎朝のTIMEのブレイキングニュースの
さわりを読むだけになってしまった。





by pretty-bacchus | 2018-12-13 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

二人のすてきな男性との三時でした。
2018年11月26日 月曜日 晴れ 

 日没がまた早くなった。
夕焼けがきれいな借景のひとときを愛でてから銀座四丁目にでかけた。
車が混んで少し遅れてしまった、、、、。

 十一階のイタリアンで待っていてくださったのは、
先月に二十数年ぶりのお目にかったSさんと、
そして今夜何十年ぶりかにあったKさん!
Kさんはむかし連れあいの会社で数年仕事をしてくれた人で、
その後大手のS社で洋酒部を大きくして活躍なさった方。

なんと当時輸入していたスペインのM社ののクリアンサ1995年を
持ってきてくださって乾杯! 
最期の一本なのだそうです。感激!
二本目は2011年のサンジュリアンのシャトータルボ!

つもる話しに華が咲いて素晴らしい数時間!
 Sさんは不思議な魅力を持った方で、今夜もまた私はSマジックにかかって
いろいろ話し、、、、少しはしゃぎすぎてしまったよう。

ありがたいご縁に感謝の一夜でした。

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赤坂の高田さんの処に移って
バーアルマニャック・フランシスダローズ1954を!
(Sさんのバースデイヴィンテージです)

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(沢山写真を撮ったのですがSDカードが読み込めません、、、)


https://keico.exblog.jp/238796065/

連れ合いの喜寿のお祝いは、先月再会したSさんのイタリアンでした

2018年10月5日 金曜日 曇りのち雨



by pretty-bacchus | 2018-11-26 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

秋の一夜を友と語り、エドアルドヴァレンティーニを偲んで
2018年11月9日 金曜日 曇りのち小雨

 今夜はKさんと数ヶ月ぶりに食事ができた。
久しぶりのふくさんで。
若い彼女と話していると、どんどん元気になっていきました。
ありがとう!

 ワインはお預かりいただいていたエドアルド・ヴァレンティーニの
トレヴィアーノ・ダブルッツオ2001!
日本にわずか400本しか入らなかった幻の銘酒。
赤のモンテプルチャーノダブルッツオ、ロゼのチェラソーロと共に
幻のワインといわれて、イタリアの名店でさえ、メニューリストにあるが、
なかなかお目にかかれない造手のワイン!

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(熟成した白は濃く深く、、、チェラソーロのようは色合い!)

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久しぶりの名物ふくかつは美味しかった〜〜〜!)


四月にルマーカさんでふくさんと狩野さんと一緒にいただいて感激!
そして今夜はさらに香しい香りと味を満喫した。
すごいワインだ!

https://keico.exblog.jp/238509722/

エドアルドヴァレンティーニのトレビアーノダブルッツオ2001をいただきました

2018年4月15日 日曜日 雨のち曇り 風強し


 現地の亜流の品種のトレヴィアーノを崇高な美酒に創り上げた
エドアルドヴァレンティーニ。
このワインを前世紀末に日本に紹介できたのは
悲喜こもごもの私のワイン史のなかで輝かしいことだろう。

 エドアルドヴァレンティーニさんを初めて訪れたのは1996年のことだった。
二度目には、ゆきさんもご一緒いただき、
その時わたしが書いた記事が雑誌に掲載された。
<フォトエッセイスト カタギリケイコ>の誕生だった。

イタリアのアブルツオに住む仙人のような哲学者&ワインの造り手の
エドアルド・ヴァレンティーニさんは大のジャーナリスト嫌い。
そんな彼に「貴女は世界でただ一人の私の肖像写真家ですね」と
言っていただいたのが私が撮った写真。

そして突然の訃報に接したのは2006年の五月だった。
その間に、とても深い交流がつづいたのでした。

 その後このブログを見たオランダの雑誌からの連絡でオランダの雑誌にも
大きく載ったのです。

「ワインのことは大地に聴け」= 1996年
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(日経ムック<イタリアグルメ&ロマン紀行>より)<br clear="all">
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http://keico.exblog.jp/3567502/
2006.,5,05 こどもの日、母三保子の誕生日、そしてヴァレンティーニさんの初七日
Edoardo Valentini 初七日に 交わせし手紙 手にとりて

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(1998年のお手紙をミラノの駐在員の春子さんが訳してくれたのです、、、、)
今となっては、写真嫌いであった彼の貴重な記録となってしまった。

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  息子さんとお孫さんの三人の写真。
(家族の写真は、大きく引き延ばして送ったが、
それはイタリアの著名な肖像画家に依頼されて、
三代の肖像画となっているそうです)

 雑誌の掲載の後、ダイレクトプリントをお送りした。https://keico.exblog.jp/3563300/
2006.05.04 木曜日 祝日
Edoardo Valentini 冥福を 祈りて飾る 友のさけ

 そのお礼のお手紙の一部には、
 「貴女の写真は芸術作品です。なぜならば、無言の映像ではなく、
 貴女がほんの一瞬のあいだに解釈し捉えとどめたその人を、
その人柄をエピソードや物語についてを、
 貴女の撮った写真が語っているからです。全てが最高に美しい!」
 と書いてくださっていた。
 (実はそのお手紙はいつもハンドバックに忍ばせている。)

  たった一度ポーズを頼んだのがこの写真。
 三代にわたる男性を撮りたいと思ってお願いした。
 この写真に私はサインをしてお送りした。
 その意図も以心伝心でわかった彼は、この写真から肖像画を依頼したという。
 私が送った小さい写真は、
ヴァレンティーニさんの机の上にいつもおいてあるという。

  アデュー我が友よ!

https://keico.exblog.jp/12129258/
2011年2月16日 水曜日 晴
過去のフォトエッセイストとしての記録

2001年の1月1日にこんなブログが残っていました。
https://keico.exblog.jp/2253914/
1998年の記録
1998年の日記の一部からを記録

 なつかしい二十年前のことを思い出しながら杯を挙げました。

なぜか哀しい晩秋の一夜でした。




by pretty-bacchus | 2018-11-09 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

雨の日に親しい友人の訃報が届きました。
2018年11月6日 火曜日 雨

 雨のなかにフランスから成田への飛行機が着いた。
なつかしいパリからの直行便<AF276便>で
シャトードゥピゼーのボージョレヌーヴォーが着いた。
去年はJALだったので、
今年はエールフランス航空の便でと思っていたのでとっても嬉しい。

<AF 276>は懐かしいフライト番号
五十年前の大学卒業の翌日にエールフランス航空に入社した。
最初に覚えたのはフライト番号で、当時の北回りアンカレッジ経由のフライト番号は
<AF271便>パリへの返る便名は<AF272便>。
次に覚えたのはTYOとかPARとかのスリーレターのアブリビエーションだった。

懐かしい半世紀前のことを思い出しているのは、
最初の上司だった原滋さんの訃報が奥様から届いたから。享年八十五歳!
厳しい上役だったが、優秀でまた自由な方だった。
彼はエールフランスのパリ主席駐在員、タヒチ空港長などを歴任しながら、
最後まで管理職になるのを固持した珍しい人で、
1980年代にくすぶった会社の組合運動にも加わらなかった。

その後は初代ホテルメリディアンチェーンの日本支社長、最後はカーゴにいらした。
(パリの駐在を終えて帰国していた私は、
その後数年して、彼の後任としてそのホテルメリディアンチェーンの
アジアパシフィック代表を引きついた。
発展途上の三色旗をかついだようなホテルチェーンであったので、
仕事はやりがいがあり面白かった。

一年365日休みなくオフィスワークをこなし、世界中のホテルを回って
マーケッティングをし、日本からのお客様をどんなふうに送ったら良いかを
パリの本社に報告をするのも私の仕事だった。
そして私は最後は六年後に病に倒れて職を辞した。
その間ハラサンはずっと陰に日向に守って下さった。

彼は定年で辞めてからは、なんと好きな演劇とオペラの道にも進まれた。
 新国立劇場のこけら落としの、フランコゼッフェレリのオペラ<アイーダ>の
オーディションを受けて見事に合格して奴隷の役で助演参加したこともある
オペラ狂だった!
一ヶ月の練習のあと見事に<舞台>にでていらした。
(私は新国立劇場の賛助会員になっていたので、何度も鑑賞させていただいた)

ゼッフィレッリ豪華絢爛な舞台で舞台の上を本物の馬がぱかぱか、、、、。
ホセクーラ、グレギーナ、ファンティーニと蒼々たるオペラ界の面々が
東京のオペラ劇場の舞台を彩り、大成功を収めたのだ。
その舞台で知り合ったノルマファンティーにと彼は
その後親しくおつき合いをなさっていらした、、、、。

前世紀末にヴェローナのアレーナディヴェローナの
オペラ三昧の機会をくださったのもはらさん!

(写真は、1995年8月23日、ヴェローナのアリーナのオペラ<アイーダ>の
昼間の舞台装置の様子。左端にカメラバックを持って立っているのがはらさん。
夜の催しの席を確認の為に、こうして昼間に自由に入ることができるのだ)
(ヴェローナでは五日間のオペラ三昧で、
この夜はフランコゼッフェッレリの演出の最高の舞台だった)

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(Aug.1995 Verona,Italy ヴェローナの街ではビートルズの曲が流れて、、、、)
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http://keico.exblog.jp/19861610/
2014年6月1日 日曜日 晴れ
1995年のパリ、英国、北欧、ヴェローナ、ヴェネツィア、ボルドー

https://keico.exblog.jp/20103520/
世代を超えての引き継ぎのお手伝いが終わりました
2014年8月16日 土曜日 雨のち曇り


 そしてこの晩秋の時期にはシャトードゥピゼーのボージョレヌーヴォーの
難しい翻訳をいつも手伝ってくださっていた。

 公私ともにいろいろ教えをいただいた素敵な先輩だった。
尽きない思い出に枯れ葉が散って、、、、眼が潤み、、、、、、。


心よりご冥福をお祈りいたします。

 〜〜〜〜〜〜〜
このWeb日記にも何度も登場している。

お元気でいらっしゃるのでしょうね!とブログに書いたのは数ヶ月前だった。

https://keico.exblog.jp/238682886/

平成最後の隅田川花火大会に、半世紀前のプティトリアノンを偲んで

2018年7月29日 日曜日 曇りのち晴れ


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(エールフランス航空入社の年に、クリスチャンディオールのユニフォームを着て、
当時の羽田空港ですね。原さん撮ってくれた一枚です)

https://keico.exblog.jp/237072053/

久しぶりに能楽堂で野村萬の狂言<八句連歌>と梅若玄祥の「雲林院」を鑑賞

2017年6月1日 木曜日 晴れ 能楽堂


https://keico.exblog.jp/20368705/

ズービン・メータ指揮<モーリス・ベジャール振付演出

ベートーヴェン「第九交響曲」>

2014年11月09日(日) 雨


https://keico.exblog.jp/20064905/

新国立劇場でオペラ研修所試演会を鑑賞

2014年8月2日 土曜日 晴れ


https://keico.exblog.jp/19881643/

ヴィッラ ヴィーニャマッジオの三つ星ワインのカクテルレセプション

2014年6月5日 木曜日 雨


前年の十一月にきたばかりだが
今回は6月6日にイタリア文化会館 アニェッリホールで行われる
<ガンベロ・ロッソ イタリアワインガイド日本語版発表会;への出席のため。

明日の発表会はメディアと関係者だけしか出席できないので、それに先だって今夜は
半藏門のアルゴの個室をお借りして十数人をお招きして
小さなカクテルレセプションを催した。
ガンベロロッソで選ばれたこの造り手の四つのワインの
テイスティングをしていただこうという志向だった。

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(ハラさんは大雨のなか遠方からいらしてくださって、フランス語でスピーチをしてくださった。)

https://keico.exblog.jp/19141627/

プリマ ノルマ・ファンティーニの<ノルマのお料理教室>

2013年12月7日 土曜日 晴れ 

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(フランコゼッフェレッリの壮大な舞台アイーダは新国立劇場のこけら落としだった。
顔をくろく塗り奴隷役の彼は左のほうに写っている))

https://keico.exblog.jp/19103042/

新国立劇場オペラ研修生による公開マスタークラスとオペラ・コンサート

2013年12月4日 水曜日 晴れ


https://keico.exblog.jp/17169714/

ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ


https://keico.exblog.jp/15774661/

時空を越えて、、函館~東京~京都~巴里

2012年7月15日 日曜日

平成24年7月15日(日) 晴れ


https://keico.exblog.jp/14549102/

<木村伊兵衛天然色でパリを撮る、秘蔵写真でよみがえる58年前の町並み>を見て

平成24年1月28日(土) 曇り


https://keico.exblog.jp/16970105/

2001年のヴェニスの写真(銀塩にて)

2011年3月29日 火曜日 晴 その一

2001年の旅のカテゴリーに再録。


https://keico.exblog.jp/14176742/

☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

2011年12月16日 金曜日 雨 その二


https://keico.exblog.jp/14175732/

☆回想のわが巴里の街1980~1990 ~メリディアンチェーン

2011年12月13日 火曜日a0031363_21252852.gif

☆回想のわが巴里の街1980~1990


https://keico.exblog.jp/14105309/

☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

2011年12月4日 日曜日


https://keico.exblog.jp/12897874/

梅雨の間にいにしえのふみそっと見て>>梅雨深しいにしえのふみそっと見る

2011年6月15日 水曜日 曇り


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(1973年、 タヒチ就航の第一便で
タヒチに飛んだ、、、
駐在代表のはらさんとボラボラのバリハイの山を
バックに)

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 (こんな時もあったのですね、、、、、、
ほんとに信じられません、、、、)




https://keico.exblog.jp/10987807/

誕生日に宇宙よ友よありがとう!

2010年7月15日 木曜日 曇り



by pretty-bacchus | 2018-11-06 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

<江戸学>の師匠と久しぶりにお目にかかれて幸せでした
2018年10月30日 火曜日 晴れ

 T氏のお招きで銀座のクラブEへ。半年ぶりくらいかしら?
御年八十七歳の御大とはずいぶん昔から親しくさせていただいている。
江戸っ子を絵に描いたような素敵なお方! ある中堅の会社のオーナー会長さん。

 いろいろお持ちしたものがあるので、下から電話をすると軽やかに
階段をおりてらしてくださり、とても八十七歳とはみえないお元気さ!
そしていつもながらのダンディーさ!

 このクラブは、あまり大きくないが、そのオーナーママのSさんは
銀座ではながく、なんとも素敵な女性!
そしてアルピニストであり、単独行もなさり、ヒマラヤ登頂の経験もある方。
そしてお料理がとてもお上手で、今夜も秋刀魚のお料理に、
つづき鰯、そして牡蠣のグラタン、最後は鶏料理で見事! 

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(はい、ママ〜〜〜チーズ!)
(ワインはシャトードゥピゼーのボージョレブランとロゼドゥソワレ!)

前回うかがったT家の九代と長く続く家系の事や、
会長に退かれた後のことなどもまた話題になって、
奥様のお加減なども少しだけ、、、。
三人の歳が離れているのにとてもなごやかな一時。さすが銀座の名クラブのママ!
こういうのってとっても嬉しいな、、、そしてとってもありがたい。

 どうやら今夜はTさん貸し切り?の感じで、
六時から始まった晩餐はあっというまに九時半になっていた。

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(途中からチーママ?も加わって、、、、)


 江戸っ子のTさんは日本橋の生まれて、会社は神田にある。
神田あたりの古の事や三社祭、浅草吉原最後の本当の芸者みなこお姐さんの芸を
見せてくださった方で、私の江戸学?のお師匠様!
いまでは、江戸の文化を今に引き継いでいるあのあたりの事を
詳しく知る方もだんだんに少なくなっていくのだろう。

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 ずいぶんいろいろと<粋>なお座敷におともさせていただいている。
浅草に残る江戸文化の名残のくみ踊り、
二三松さんの二弦の鼓(継承する最後の方のよう)、
太鼓持ちの七好さんのお座敷、そして小料理やさんなどなど。

吉原に生きた<芸を売っても身は売らぬの<みなこお姐さん>の最晩年の
<芸>のお座敷も素晴らしいものだった。
当時のデジカメのニコンで撮った動画をこのブログにアップしたことがあったが、
浅草の観光協会からご連絡をいただいて、記録として残してくださったようだ。

 ありがたい数時間をすごさせていただき、十時前においとま。
銀座では十時以降は数カ所のタクシー乗り場まで歩かないと
タクシーもハイヤーもダメなのだそうだ。

 タクシーでお帰りになるTさんに送っていただき、
ひとみさんとお約束していてある十六階のジャズライブへ。
“昔だったら一人で夜のバーへいくって<不良>っていわれましたよね〜〜〜”
“いや、、、素敵ですよ〜〜〜!”

夜は更けていきました、、、、。

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(十六階のロビーで東京タワーを撮りながらセルフ!)

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(今夜のトリオはとてもイイ! トランペット&ヴォーカルは、、、、、)

〜〜〜〜〜
ブログにいろいろ書いていたので、すぐに出てきましたね。
(ブログのWeb日記って素晴らしい〜〜〜!)
少しブログをひもといておきましょう。

https://keico.exblog.jp/17543456/

久しぶりに銀座でお食事&銀ぶら

2013年3月29日 金曜日 曇り後雨


https://keico.exblog.jp/238001242/

八十六歳のダンディーな男性との銀座の宵は<芸>をしのびて

2017年11月15日 水曜日 晴れ 久しぶりの銀座

<みなこお姐さん>の最晩年は、


https://keico.exblog.jp/9262462/

浅草の釜飯やさん、浅草寺、そして、、、

2009年11月16日、月曜日 曇り


http://keico.exblog.jp/10015808/

2010年2月19日 金曜日 

晴れ春の宵は新装なった「金村」で桜鍋


http://keico.exblog.jp/10730598/
2010年5月31日 月曜日 晴れ
芸一筋九十年を生き抜いた最後の現役芸者みな子お姐さんが亡くなった。
(ブログより)最初にお目にかかったのは、一昨年だった。
豊吉さんのお招きで、浅草三社祭と浅草見番での
「くみ踊り」のご招待いただいた時だった。
観客席で、粋にお着物を召されて、きちんと正座している後ろ姿は、
それはそれはきまっていた!
会が終わってスナップをとらせていただいて少しお話しをさせていただいた。

http://keico.exblog.jp/7123842
2008年5月18日 日曜日 晴れ
浅草神社の浅草三社祭と浅草見番での「くみ踊り」

 一度お姐さんの芸を皆さんに見ていただきましょう、、、と
豊吉さんがおっしゃってくださって、
実現したのは、翌年になっていた。
みな子お姐さんの「華より花」の出版お祝いということで、
八重子さん、岡本さん、連れ合いも一緒にお招きを受けた。

http://keico.exblog.jp/8488357/

2009年6月23日 火曜日 晴れ 暑い一日

浅草吉原に残る最期のお茶屋&料亭「金村」を再訪


みな子お姐さんの「華より花」の出版お祝い=前章
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 “今日は水谷先生のお祝いと、みなこさんのお祝いで、鶴亀をやらさせていだきます。
庭の砂ハ金銀の〜、、、、珠を連ねて敷妙の〜、、、、、五百重の錦や瑠璃の枢。
シャコのゆき桁瑠璃の橋。
池の汀の鶴亀は、蓬莱山も与処ならず〜〜〜君の恵ハ、、、、
ありがたや〜、、、、、、(中略)
めでたけれ〜〜〜〜!よう〜〜〜!

(二鼓は二三松さん、水谷八重子さんも聴き入っている!
この日はニコンDカメラの動画でほとんど最後まで記録が
残っているが、まだ整理をしていない)

 お客さんのお酌をしながら、一緒に日本酒(菊政がお好きだった)を
美味しそうにあがる。
少しお酒が入った方が良い声がでるとおっしゃりながら、、、、。
そのお三味線とお歌は見事だった。

背筋をピンと伸ばした凜とした姿は、私たちを圧倒し、
そして心から楽しませてくださったのだ。
最初の一曲は、お祝いの「鶴亀」で、89歳とは思えぬ色つやと色気!
こういう日本女性が、今の時代に生きて
現役でお仕事をなさっていることは奇跡に違いないと思った。

 <一族は秋田や北海道で豪農であり、長女であった彼女は、大正のはじめに7歳で
両親と一緒に東京にでたが、それはだまされていて一家は苦労。
11歳で芸者見習いとして奉公に出るが、父親は、
花魁と芸者が違うのだと言うことを何人にも確認してのことだったという。

“お転婆であったから、、、”とからりと語るみなこ姐さんだが辛くないはずはない!
寝る間も惜しんで芸の道にはげみ、12歳のときにはお座敷に出るようになり、
16歳で下の者に教えるまでに上達して一人前の芸者になってしまった
そして1945年3月の東京大空襲で九死に一生を得て、
廃墟と化した吉原で再起を図ったのだ。> 
(ブログより)


 次にお目にかかったのは、浅草の釜飯やさんで、
ラフな感じの洋服で、幇間(ほうかん)の櫻川七好さん、
鼓の二三松さんもご一緒だった。
この時、みなこおねえさんは、大腸のポリーブの簡単が手術を受けた後で、
少し痩せられていたが、浅草のことなど、をいろいろお話しなさりながら、
やはりお酒を飲んでらした。
ご自宅のお風呂は入りにくいので、近くの銭湯にいくのだが、
都からは月4枚の券しかでないなどとも、、、

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2009年11月16日、月曜日 曇り
浅草の釜飯やさん、浅草寺、そして、、、

 「吉原の芸者は器量が良くて売るんじゃない、芸で売るのだ。
「芸は打っても体はうらぬ」花魁と芸者の区別が付かない所はたくさんあったが、
吉原はきっちり分かれていて、厳然たるしきたりがあったのだという。

それを厳と貫いて、江戸から受け継いだ日本の芸を、大正初期から学び、
今に伝えて、現役で芸の師匠をして女芸道をかっ歩していたのだ。
(本物の芸者は吉原芸者で、赤坂でも新橋でも、神楽坂でもないといってらした)
芸一筋に生き、戦中、戦後から現在に至る吉原の栄枯盛衰を
“最後の吉原芸者”として見つめてきた姿が、
ご著書『華より花』にはいっぱい詰まっている。

「今が一番幸せ」が口癖だった。
人を楽しませて、ご自分もシアワセと、それが生き甲斐だったのだろう。

 最後にお目にかかったのは、今年の二月だった。
「桜なべ中江別館 金村」で、それはそれは楽しく桜鍋をご一緒させていただいた。
吉原の大門近くに最後まで残ったお茶屋&料亭「金村」は、
昨年人の手に渡ったが、見事に甦っていた。

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2010年2月19日 金曜日 晴れ
 春の宵は新装なった「金村」で桜鍋

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(みな子おねえさんと、鼓の二三松さんと豊さんで
記念写真。
豊??さんの今日のネクタイは、桜色のエルメスで、馬の柄!
馬肉の桜なべ屋さんのお食事にあわせていらっしゃるとは、なんともお洒落ですね〜〜〜)

a0031363_1492238.jpg (89才とはどうしても思えぬお元気さと姿勢!)


 6月になったら、この「金村」さんをお借りして、桜鍋をいただき、みな子お姐さん、
二三松さん、七好さんの江戸の芸を10人ほどで鑑賞しましょうと、
豊吉さんはお考えになっていらしたのだ。

 芸一筋90年 <華の生涯>を生き抜いた最後の現役芸者みな子お姐さんは
逝ってしまった。
その最晩年に、日本の女性のすさまじい美しさと生き様に接することができ、
その芸の深さを鑑賞できたことに深く感謝している。
五回という少ない回数だったが、凝縮した時であり、
いろいろ学んだことでもあった。
心よりご冥福をお祈りしよう。
合掌。

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2008年10月21日 火曜日 晴れ
神田淡路町界隈と浅草吉原の最期のお茶屋さん

http://keico.exblog.jp/7123842/
2008年5月18日 日曜日の三社祭のブログ

http://keico.exblog.jp/7125108/
2008年5月18日 日曜日の三社祭の続き

昨日の浅草神社の浅草三社祭のくみ踊りのの写真のつづき
続き、、

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2009年6月23日 火曜日 晴れ 暑い一日


浅草吉原に残る最期のお茶屋&料亭「金村」を再訪幇間の七好さん、
鼓の二三松幇間(ほうかん)七好さんは、たますけ師匠のお弟子で、
日本に四名しかいない職業で全員浅草花街に属しているのだという。
いわゆるたいこ持ちといわれ、お座敷の雰囲気を盛り上げる
ヨイショする芸風の道化役的仕事なのだ。



by pretty-bacchus | 2018-10-30 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

寒い朝は、きれいな朝! 半世紀前の思い出にふけって!
2018年10月22日 月曜日 晴れ
 
 寒い朝は、きれいな朝!
でも風邪気味の感じがまだ抜けなくてぐずぐつしていて、なんかだ侘しい秋の風!

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 上智の外国語学部のクラス会があったが出席できなかった。
ぎりぎりになって近況を書いて、欠席のメールをだしていて申し訳なかった。

 優秀な方々が多いクラスだったから、卒業後社会で活躍する方も多かったが、
結婚後はお家に入る人も沢山いて、そんな時代だったのだろう。
女子が入学可能になってまだ何年もたっていなかったので、
その頃は女子クラスと男子クラスが作られていた。

カトリック修道会イエズス会が開設した大学で、日本初のカトリック大学だが、
信者でなくとも入学ができた。
すでに1960年代にはICU(国際基督教大学)や聖心女子大学とともに
語学教育を重視している大学として有名になっていて、
文学部とは別の外国語学部(現在の国際学部)ができていた。

ウィキペディアによると
上智大学の起源は、1549年(天文18年)カトリック教会イエズス会の宣教師であった
フランシスコ・ザビエルが、日本人の旺盛な知的好奇心や高い道徳性、
誠実性に感銘を受け「日本のミヤコ(都)に大学を」と
日本での高等教育機関開設を構想したことにある。
しかし、ザビエルの志は禁教令により叶わず、改めて1905年(明治38年)に
ローマ教皇ピウス10世が、日本での高等教育機関設立をイエズス会に託し、
ウィリアム・オコンネル司教を親善大使として明治天皇宛に親書を託し派遣。
オコンネル司教が東京市長、帝国大学総長、桂太郎首相と精力的に会談を重ねた結果、
1913年(大正2年)に設立された>とある。

 <カトリック系の大学であるため、一般教養科目にキリスト教や西洋哲学関連の講義が多く、
積極的に履修することやカトリック信徒と交流をもつことでキリスト教への理解を
深めることができる。国際教養学部以外の学部では「キリスト教人間学」4単位が
必修となっているが、「人間学」の授業は実質的には心理学や倫理学などであり、
聖書やキリスト教が講義内容と関連がないことも多いが、
その根底にはキリスト教ヒューマニズムという崇高な精神に基づいて
講義が行われている。また、初等教育や中等教育における体育と同様の
「ウェルネスと身体」2単位も必修科目となっている
 
 第三次試験までの入学試験を突破して入学した外国語学部英語科は、
クラスメートのほとんどは、東京の 雙葉女子学院、女子学院、聖心女子学院と、
地方の女子学院からの方が多く、
男子校でかっ歩していた生徒は私ぐらいだったかもしれない。
彼女たちはすでにかなり話す英語にたけていて、
一方わたしの高校時代の英語教育は、年配のM先生の(今思うと発音は日本式の)、
バートランド・ラッセルなどの難しい英文を訳すだけの授業だったから、
上智入学後はほんとうに大変だった。

「宗教学」「倫理学」「哲学」さらに「英国史」「商業英語」などもあり、
すべて英語で行われた。教科書も刷り物だったものもあった。
日本語だって難しい内容を、神父様が英語でなさるのだから、
私はもうまったくお手上げだった。

その上、週一回、TIME(タイム)購読の授業があった。
高校時代にこの国際英文ニュース誌のことは知っていたがパラパラと見る程度だった。
ニューズウィークとともに、現代英語のお手本とされていて、
政治、経済、文化、モダン生活、エンターテイメント、最新医療事情等など、
その当時の日本では手に入りにくい<外国>のニュースが独自の視点で書かれていた。

同じ時期にあったLIFE誌は写真が多かったが、TIMEはほとんどが文字で
モノクロの写真が少しあったくらいだった。
生徒は多くのコラムの内から一つを選んで毎週読まねばならず、
次の週の授業では、その内容を短く英語で説明したり書かされたりいた。

アサシネートassassinate(暗殺)という単語を初めてみたのは、
ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺された
(1963年11月22日)の翌週のタイムだった。
三省堂の<コンサイス>にはあったが、高校時代に英単語暗記に持ち歩いた
英語基本単語熟語集の<赤尾の豆単>にはなかったと思う。

 当時は満員電車の京成で片道二時間をかけて通っていた私は、電車が遅れると
遅刻で部屋には入れずに、廊下の扉に耳をつけて授業を聞いたこともあった。
ある日電車のなかで立っていられなくなり崩れてしまい、
夏休み前に病に倒れてしまったのだ。
それでも夏休みの最後のほうには、ワンダーフォーゲル部の部活で、
北アルプスを大きなザックをかついて歩いていたのだ。
(高校時代には山岳部だったが、上智には山岳部がなかった)

 レポートは英語で書き、それもタイプをしなければならず、
タイプは近くの日米学院に通ってならったのだった。
日米学院では英文速記も習っていた。
まだ携帯のタイプライターなどあまり日本にない時代で、母の友人の
貿易会社のIおじさまの事務所でおかりしたのを覚えている。

キー配列はQWERTY配列のタイプライターだった。

卒論の時には、持ち歩けるタイプライターを買ってもらったもんだ。
レミントンかオリベッティかな?)

 そして東京オリンピックでは英語科のほとんとの学生が
ボランティアで活躍していた。
なつかしく当時のいろいろを思いだしている。

クラスのトップスリーのR子さんは、男子クラス一番のHさんと結婚して
素晴らしいカップルと羨ましがられたが、
五十歳を過ぎた頃ご主人がなくなられたのは知っていた。
もう何十年もあっていたかったが、今日のメールに
<お返事いただけて嬉しいです。お忙しい毎日すを送っていらっしゃるのですね。
びっくりポンや!です。
わたしは20年前に未亡人になりましたが、その4ヶ月前に初孫が生まれ、
悲しさ、寂しさを少しは和らげてくれました。
その孫が、今はイリノイ大学の3年生で、次の孫はジョ―ジア工科大の1年生、
その下に2人います。つまり娘の子供が4人、そして長男のこどもは2人で
計6人のおばあちゃんです。
近いうちにお会いできれば、嬉しいです。
今日の参加は19人でした>

 なんとまあ彼女らしい書き方!
そして優秀なDNAを引き継いでいらっしゃるのだな! って感激。
早くおあいしたいですね。


 第二語学のフランス語は、アテネフランスと日仏学院に通っていた。
最後のほうは十人ほどの個性的な方々のクラスで、
すでに社会人のかたもいらっしゃり、フランスにまもなく行く予定の
ピアニストTMさん、バレーリナもいらっしゃり、
後にレイモンオレヴィエの奥さんになったTマリさんもいらっしゃり、
またKさんも!(彼からは二年前の誕生日になつかしい写真をお送りいただいたのは
ブログで書いている)
年にたった一度の誕生日に、フェイスブックにアップしてくださった私の若い頃の写真!

http://keico.exblog.jp/23005143/

なぜか涙がとまらない、嬉しいのか悲しいのかわからない誕生日

2016年7月15日 金曜日 雨のち曇り 

「人がボウリングのピンのように」 

仏革命記念日の惨劇のニュースは、辛いつらいニュースだったが、

その日にとどいたK氏からのフェイスブックからの書き込みは衝撃的だった。


http://keico.exblog.jp/23005206/

2016年7月16日

誕生日に届いた五十年前の写真と詩 


https://keico.exblog.jp/23513906/

皆様今年も一年ご覧いただきありがとうございました。

2016年12月30日 金曜日 晴れ


 秋らしい一日に体調いまいちで、ぐずぐずと過ごしてしまったが、
半世紀も前のことをいろいろ思いだして、
ノスタルジックな古き良き時代への郷愁に遊んだ一日だった。




by pretty-bacchus | 2018-10-22 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

朝から氷雨。ようやく涼しくなってきた宵は素敵な出会いがありました
2018年10月12日 金曜日 雨のち晴れ

 朝から氷雨。ようやく少し涼しくなってきた。
もう十月の真夏日はないようだ。ほっ〜〜!

 ずっとお家ごはんだったので、久しぶりにタクシーツーメーターでお夕食。


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秋の夜長の帰りはやはり赤坂の高田さんのバーBへ。
あと何回こられるかわからないので、なるべく一緒にいきましょうね、、、と
最近は連れ合いも一緒してくれている。

 バーに座るときには必ずお隣の方に、“失礼します、、、と言って静かに座る。
いつもの一番右の席には連れ合い、その隣に私。
左隣の方の視線をぎんぎん感じたとたん、
“ようやく会えましたね、、、フジズカさんですよ!” と高田さん。

 思わぬ先客がいらしてほんとうに驚いた。
 どのくらい前かしら?
高田さんから、Fさんを知っていますかとフルネームと会社名をうかがった。
“はい〜〜〜よくお話ししましたね、、、
“ぜひお会いしたいとおっしゃってますよ、、、
そしてそれからまた十数年がたっていた。

“えー! すみません、、、かなりワインが入っていて酔ってます〜〜〜。
どなた、、、でしょう〜〜?
“ほら、いつも会いたいとおっしゃっていたFさんですよ〜〜〜。

三十年らい私に会いたい会いたいと言ってらした方?!
“え〜〜〜!”
なんと三十数年前にお電話だけの交流があったフジヅカさん。
私がまだエールフランス航空&ホテルメリディアンチェーンの仕事をしていた頃から
かもしれない。 もう三十年以上も前のことになるのですね!

写真雑誌などの出版社のオーナー社長さんで、銀座にあった京セラ・コンタックスクラブの
サロンの町田さんと鬼沢さんとの接点もあった。
ワインを一度お送りしたことがあったが、その後自然に連絡もとだえていた。

この今夜の偶然の出会いに私は驚き、一瞬だけ酔いが覚めたが、、、、、
結局、またご一緒に赤ワインをいただいたのです。

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(飲まない連れ合いは後のほうで、ニコニコ、、、、!)

 積もる話しはコンタックスカメラのこと、昔々のコンタックスクラブのこと、
そしてワインのこと、、、エトセトラ、etc.
彼はまだカメラをすべてお持ちのようで、私は十年ほど前にST,RX ディスタゴン、
プラナーなどカメラ終活をしたことなどもお話しして、、、
(でもG1とG2とホロゴンもプラナーも残っているのですが、、、)
そして今のお仕事やWebのこと、私のブログもご紹介したりして、、、、。

 杯を重ねるうちにハウスワインではない更に美酒をいただきたくなって、、、。
こっそりお預けしてあるヴィッラヴィーニャマッジオグランセレクションを
だしていただいて、また乾杯!
もうこうなったら私は酔っているのです! 
となりの連れ合いはオレンジジュースと乾き物、、、なのですが、、、。

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 フジヅカさんは最近お知りあいにあったYさんとご一緒で、
かたや三十数年前のあこがれの君!<<私??
一番左端にいらした御仁はもうず〜〜と私を凝視したまま!
なんと失礼なと心で思ったのだが、このギャップの話しに驚かれたのでしょうし、
どうやら日本の方ではないよう、、、。

 本当に不思議なご縁で、こうして三十数年ぶりにお目にかかり美酒をご一緒に
かたむけることができましね!
ラヴィエベル!人生は素敵です! ね!

〜〜〜〜〜
 追記:翌日早速にお礼のメールをいただきました。

片桐 敬子様 今晩は。
お陰様で、京セラ・コンタックスクラブとワイン関係30年来?の「まだ見ぬ君」
敬子さんとご主人様に本当に偶然お目にかかれ、重ねてご縁の継続性を実感出来、
重ねまして、誠に有難うございました。
また、以前に頂きましたワインのお礼もまだでしたのに、昨夜も?、
貴重で美味しいワインをいただき、誠に申し訳なく、誠に有難うございました。
自虐的ではありますが、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と鑑みる日々でしたが、
敬子さんの仰る「生きる歓び Plaisir de Vivre. 人生はつらし、されど愉しく美しく」を
旨に、久しぶりにワクワク感を持ち、頑張ってみよう的にガンバリます。
懲りずにお付き合いいただければ幸いです。
今後もよろしくお願い申し上げます。
H F拝
〜〜〜〜〜〜

 嬉しいメールをありがとうございました。
本当に不思議なご縁で、こうして三十数年ぶりにお目にかかり
美酒をご一緒にかたむけることができましね!
ラヴィエベル!人生は素敵です! ね!

 私どもは波瀾万丈の人生でしたが、その最晩年にこうして人のご縁を享受させていただけるのは
ラヴィエベル!人生は素敵です! ね!

 スナップを添付します。
この写真を私のブログにつかわせていただいてよろしいでしょうか?
〜〜〜

このバーBは時に素敵な人間関係を掘り出してくれているのです。
私のブログには、最初の頃は店名も高田さんのお名前も書かなかったのですが、
なんと、高田さんの昔のお友達がたずねていらしたり
ヨーロッパやロシアからも店を探していらっしゃるのだそうです。

Web時代って不思議な世界を生み出すことがあるのです!
乾杯!



by pretty-bacchus | 2018-10-12 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

久し振りに熟女二人の真夜中のマック論&WEB噺

2018年10月10日 水曜日 晴れ


 丑三つ時に携帯がなった。

遠くにおいてあったガラケーの方に手を伸ばしながら、、、、

今頃誰かしら? 京都の美江さんか、東京の良恵さんからかしら!


“もしもし、、、”

“もし~~もし、ケイコさん~~~お元気ですか?”

“はい、いまボージョレヌーヴォーの翻訳が終わったばかりで一息ついています~~”

“そう良かった~~、、、、久しぶりにブログを更新しようとおもったら、

開かないのです~~~”

 東京の良恵さん>水谷八重子さんでした。


今つかってらっしゃる二台のMac Power Bookのようで、

Mac室?のデスクトップはあまりおつかいでないよう、、、。

様子をきいたら、どうやら私と同じ問題をかかえてらっしゃる。

数週間前からとうとうエクスブログも、以前のサファリでは開かなくなっていて、

今はグーグルクロム。

そのうえOSはマウンテンライオンのままなのですから、どうしようもないのですが、、、。


そのことをお話しして、八重子さんはもう一台のマックブックの方の

スノーレパードで開いたら大丈夫のよう。

、その次はエクスブログが新しい管理画面になって写真のアップの方法が変わってしまったので、

まだ慣れないよう、、、。

左手に携帯をもってらっしゃるようで、右手だけの操作なので時間がかかる、、、、

そんなこんなで久しぶりに一つブログをアップ出来たようです。

良かった~~~!


https://funnygirl.exblog.jp/27153494/

先生

2018-10-10 01:55


 思えばMac菌を良恵さんにうえつけてしまってから何年になるのでしょうか?

二十年くらいになるのかしら?

まだ以前の川口マンションにいらしたころで、

夜遅くにお宅におじゃましたのが懐かしく思い出されますね。


http://keico.exblog.jp/2124653/

夏の宵 熱女二人の マック狂

2005.07.25


 そして初めてのブログをアップなさってからもう十二年にもなるのですね。

真夜中までお宅におじゃまして、そのころはMac室でのデスクトップででした。

(ネコちゃんが入らないように、Macの特別室があるのです!)


2006-06-07 19:41で

https://funnygirl.exblog.jp/3199649/

はじめまして


私のその日のブログは

http://keico.exblog.jp/3707157/

2006.06.07 水曜日 晴れ 暑し

友人の猫とマックに(八重子さんのお宅に)


そして、、、

https://keico.exblog.jp/23308251/

晩秋の宵に水谷八重子さんと久しぶりに長い間お話しした

2016年10月19日 水曜日  曇り 

先だって水谷八重子さんと久しぶりに長い間お話しした。

昔はよく真夜中に電話で話した時代があって、話題はMac本体のことが多かったが、

今回はiPhoneのこと、そして音声入力のsiriチャンのこと。

相変わらず女二人がITの話題!


 そしてもちろんブログの話!

八重子さんももう十年もブログを書いていらっしゃる。

最初の頃はすこしお手伝いしたが、その後はタイトル画面もサイドバーも

季節に合わせて換えたり、そしてなによりも内容は新派のお芝居のことなど

彼女ならではのいろいろでファンを楽しませてらっしゃる。


 その後はMacの話しやウェブの話してこ一時間の真夜中のWeb談義になりました。

今はフェイスブックはあまりなさらずに

もっぱらツツイッターかインスタグラムだそう、、、、。


 八重子さんといえば、<良恵>時代はジャズ、そして<二代目水谷八重子>を継承なさったのは

1995年で、その後はお芝居と歌。

新派は今年百三十周年を迎えて、十一月には新橋演舞場で新し出し物に挑戦なさるよう。

歌は最近はヤマハホールでなさっているが、その昔は

ホテルの宴会場で、シャトードゥピゼーのボージョレヌーヴォーの樽を割っての

素敵な会をなさってらした。

懐かしいですね~~!


http://keico.exblog.jp/6227808/

2007.09.26 水曜日 晴れ

ボージョレの 樽を割いて なつかしの宵 by Yoshie & 水谷八重子


ここでは、八重子さんの新派にかける情熱、明治大正昭和の人情を、

その美しい日本語を日本を現代の日本人に伝えていきたいという思いもを書いています。


http://keico.exblog.jp/6464765/

「ボージョレヌーヴォーの樽を割って、水谷八重子、良重時代の懐メロを唄う夕べ」

2007年11月20日 月曜日 曇のち雨

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 良恵さん時代から八重子さん時代と思い出はこのブログのなかにもた~くさんあって、

秋の夜長に再読しています。


http://keico.exblog.jp/2163794/

2005.8.11

失明の危機を脱した2001年の手術の思い出

(八重子さんの知りあいにお願いして病室にMacを買った思い出)


2004年にこのブログを始めたときに日記から記録を少し移した、2001年の芝増上寺の朗読会での、

泉鏡花の滝の白糸、『義血侠血』からのことも、、、。


http://keico.exblog.jp/735085/

夏姿 猫好きの友 美しき

2004-07-24 20:45


http://keico.exblog.jp/1570398/

写真展芳名簿、水谷八重子さんがいらしてくださって、、、

2005.01.20


http://keico.exblog.jp/1867357/

水谷八重子 あじさい

2005.04.21


http://keico.exblog.jp/2124653/

夏の宵 熱女二人の マック狂

2005.07.25


http://keico.exblog.jp/2131861/

大女優 百年祭に 憩う夏

2005-07-28


http://keico.exblog.jp/2141109/

2005.08.01

初代水谷八重子生誕百周年記念


http://keico.exblog.jp/2265491/

2005.9.23日の新橋演舞場


http://keico.exblog.jp/2163794/

失明の危機を脱した思い出

2005.8.11


http://keico.exblog.jp/2265001/

老い演ず 友の舞台に 豊穣の時

2005.09.23

母が


http://keico.exblog.jp/2794406/

2005.12.08

大つごもりー製作 水谷八重子 -Yaeko Presents

京舞いを観に飛んできてくれた母の写真も

八重子さん宅へMacのアドヴァイスに行ってご馳走になった写真も。


http://keico.exblog.jp/2909038/

大つごもりー製作 水谷八重子 -Yaeko Presents

2005.12.25


http://keico.exblog.jp/2921532/

大つごもり 越すや越されぬ 狭間なり

2005.12.27


http://keico.exblog.jp/3210563/

水谷八重子 佃の渡し

2006-02-17


http://keico.exblog.jp/3225063/

よろよろと 春を探しに 佃島

2006.02.19


http://keico.exblog.jp/3471030/

ネクタイで 音聖祝い 春たちて

2006.04.12  水曜日 雨後くもり


http://keico.exblog.jp/3707157/

2006.06.07 水曜日 晴れ 暑し

友人の猫とマックに(八重子さんのお宅に)



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 (狂女を演じる八重子さん。ほんとうにうまいですね~^^!)


http://keico.exblog.jp/4915043/

水谷八重子 樋口一葉 おおつごもり朗読四年目

2006.12.29


http://keico.exblog.jp/5027225/

遅れたる 賀状は気持ち あまた込め

2007.01.23 火曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/5208388/

サンテグジュペリ伯爵からメールが入った

2007.03.07 水曜日 曇り


http://keico.exblog.jp/5538540/

母の誕生日、ままありがとう!

2007.05.05 土曜日 晴れのち曇り


http://keico.exblog.jp/5638100/

2007.05.25

新派水谷八重子「怪談 牡丹燈籠」フラッシュニュース


http://keico.exblog.jp/6176999/

九月十六日は歌姫マリア・カラスの命日です。

2007.09.16 日曜日


http://keico.exblog.jp/6478727/

2007年11月23日 金曜日

最初に舞台写真を撮った時です。


http://keico.exblog.jp/6700473/

2008年1月20日 日曜日

新派120年記念 初春新派公演「新玉の寿」「女将」


http://keico.exblog.jp/6906652/

水谷八重子さんのお芝居「四人は姉妹」の最終日

2008年3月16日 日曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/6968620/

父想い 祖母憶う路 花散りて ✿ฺ´☆`✿ฺ 

2008年4月3日 木曜日 今日も花曇りかしら


http://keico.exblog.jp/7015656/

2008年4月16日 水曜日 のブログへクリック

「水谷八重子ディナーショー、良重は歌うもう一度 ON BIRTHDAY」


http://keico.exblog.jp/7180540/

2008年6月5日 木曜日 

新派120年記念舞台の『鹿鳴館』の水谷八重子さん

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(このドレスは数十年前に初代が鹿鳴館の景山朝子を演じたときに、細野先生が創られた衣装で、

今ではその金襴の生地は作れないという。

八重子さんは大事にそういう衣装も継承している)


http://keico.exblog.jp/7406279/

2008年8月17日 日曜日 雨


雨の日曜日に旅の思い出にしたる<八重子さん薬師寺で

薬師寺での八重子さんが「三蔵法師」を演じた荘厳な儀式も忘れられない。


2004年の5月5日に行われた、奈良の薬師寺の玄奘三蔵会大祭の祭事で、

天理大の雅楽部による幻の天平芸能といわれている「伎楽」で

三蔵法師」が無言で演じられたのだ。


二十数年前に天理大学の雅楽部が、NHKの委嘱により復元演奏に努めた天平の伎楽曲。

薬師寺さんの依頼で新伎楽「三蔵法師」に取り組み、

平山郁夫画伯の壁画完成で玄奘三蔵院が完工した記念の年に、

片岡仁右衛門丈が三蔵法師を演じられ、

その後何人かの方が演じておられるが、が女性は初めてで、女性が演じる玄奘三蔵に、

ため息があちこちから聞こえたのが、昨日のことのように想い出されている。


http://keico.exblog.jp/7406282/

2004年の5月の記録に

2008年8月17日 日曜日 雨


女性が演じる玄奘三蔵でした。

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2004年に奈良の薬師寺さんで行われた五月の「三蔵法師」の荘厳な儀式の写真をアップ。

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(新派の水谷八重子演じる新伎楽「三蔵法師」)


http://keico.exblog.jp/7690772/

2008年11月25日 火曜日 

「水谷八重子のディナーショー、良重は唄う懐かしのポップス、八重子は唄う新派の世界」


http://keico.exblog.jp/7180540/

2008年6月5日 木曜日

新派120年記念舞台の『鹿鳴館』の水谷八重子さん


http://keico.exblog.jp/7212219/

梅雨の晴れ間の日曜日に

平成20年6月15日(日) 晴れかな~~~


http://keico.exblog.jp/7255920/

2008年6月28日 土曜日 曇り

「ショー・マスト・ゴー・オン」<< 水谷八重子さんのブログより


http://keico.exblog.jp/7406279/

2008年8月17日 日曜日 雨

雨の日曜日に旅の思い出にしたる


http://keico.exblog.jp/7409271/

蝉時雨に旅の思い出に酔って、、、、

2008年8月18日 月曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/7635198/

「水谷八重子のディナーショー良重は唄う懐かしのポップス、八重子は唄う新派の世界」

2008年11月5日 水曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/7654192/

「良重は唄う懐かしのポップス、八重子は唄う新派の世界」ディナーショーの試食

2008年11月11日 火曜日 曇り 寒空


http://keico.exblog.jp/7690772/

「水谷八重子のディナーショー、良重は唄う懐かしのポップス、八重子は唄う新派の世界」

2008年11月25日 火曜日 曇り後雨


http://keico.exblog.jp/7859380/

初春新派公演「太夫さん」の千穐楽

2009年1月25日 日曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/8061908/

嵐の音を聞きながら 明日の準備を

2009年3月13日 金曜日 曇り後雨


http://keico.exblog.jp/8036850/

八重子さん誕生日ディナーショーの試食会

2009年3月5日 木曜日 晴れのち曇り


http://keico.exblog.jp/8065850/

2009年3月14日 土曜日 雨のち曇り夕方晴れ

嵐が去って 雪の富士山が輝いた

裾野市民文化センターでの出演で富士山がきれいでした。

この時は大きな劇場で撮るので、

フォトブラさんにいろいろ教えていただいたのでした。


http://keico.exblog.jp/8072393/

2009年3月15日 日曜日 晴れ

新派の大女優水谷八重子さん、シャンソンを唄う。


http://keico.exblog.jp/8187057/

2009年4月16日 木曜日 晴れ水谷八重子ディナーショー ON BIRTHDAY,良重は歌う


http://keico.exblog.jp/9284625/

2009年11月20日 金曜日 曇り

水谷八重子さんは酒の神バッカスを演じたのでしょうか


http://keico.exblog.jp/10258378/

風騒ぎ開花宣言ときめきて

2010年3月22日 月曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/8187057/

2009年4月16日 木曜日 晴れ

水谷八重子ディナーショー ON BIRTHDAY,良重は歌う

北村英治さんも出演なさって、、、


http://keico.exblog.jp/11105983/

炎暑に新派のお芝居観劇

2010年8月8日 日曜日 晴れ


http://keico.exblog.jp/13925953/

フラッシュ:水谷八重子「歌は私のミニドラマ・エルヴィスにも挑戦」

十一月一日 火曜日 晴


http://keico.exblog.jp/13950335/

2011年11月4日 金曜日

水谷八重子「歌は私のミニドラマ・エルヴィスにも挑戦」 その二


http://keico.exblog.jp/14499127/

初春新派公演の<東京物語>

平成24年1月21日(土) 2012 曇りのち雨


http://keico.exblog.jp/15076526/

2012年4月16日 月曜日 晴れ

水谷八重子さんバースディディナーショー<歌は私のミニドラマ>


http://keico.exblog.jp/15584457/

新派観劇とフレンチの夕べ<100年の時をさかのぼる美食の航海へ>

平成24年6月16日(土) 雨


https://keico.exblog.jp/16575941/

<歌は私のミニドラマ 水谷八重子> スイートベイジルでのライヴ

2012年10月10日 水曜日 曇りのち雨

[#IMAGE|a0031363_0332925.jpg|201210/13/63/|right|1010|671


https://keico.exblog.jp/23308251/

晩秋の宵に水谷八重子さんと久しぶりに長い間お話しした

2016年10月19日 水曜日  曇り 


 八重子さんのお芝居も唄も一昨年までずっと撮らせていただいていたので

記録はこのMacの中に沢山あるし、ブログでもずっとアップしてきました。

右サイドバーの検索に<水谷八重子>と入れてクリックすると

まだまだいろいろ出てきますね、、、、。






by pretty-bacchus | 2018-10-10 06:38 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

今年の誕生日フィーバーは終わりました、また来年!
2018年10月7日 日曜日 晴れ 三十二度

 借景のシデの木と、梧桐、そして右の常緑樹のあいだを
鳥たちがとびかっている。
十月の真夏日は珍しい。世界の気温がどんどんあがっているということで、
毎年辛くなるような気がする。

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(カーテンとガラス越しにカシャカシャ)


 今夜はヴァレットのオカダシェフが連れ合いの誕生日をしてくれることのなっていた。
日曜日なのに遅くにでかけたのに、イヤな顔一つせずに迎えてくれた。
オープンしてすでに四年、早い時間は予約のとれない店になってしまった。
若い人達に美味しいものを廉価でというもっとうでヤマシタさんと頑張っている。

 時には辛口の批判もする私たちなのに、なんともすなおに聞いてくれて、
次回にはさらりとなおっていたりする。
今時めずらしい素直な若者達で、私たちはパパ、ママといわれてしまっている。

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 お野菜シリーズと、ハムの盛り合わせと、小蛤のパスタ、そして
辺りが暗くなって“ハッピーバースデー”の曲に乗って、大盛りのケーキがあらわれた。
小さなローソクを消して、スタッフのみんなで“おめてとう〜〜〜!”

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(苺も沢山のせてくださって、、、プレートにはパパと!)


ご近所なので、彼の数年前の大手術も、去年の救急車騒動も良く知っているので
思いは深いよう。 ありがたいことです!

 若者達のパワーをいただいて、もう少し長生きしてくださいね。
(お正月を迎えて、私の誕生日を一緒に祝えて、自分の誕生日をすごして、
毎年毎年、、、と数年前の手術のあとにしみじみとしてえいた連れ合いなのです。

今年の誕生日フィーバーもお終いですね。また来年!
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(最後まで送ってくださって、、、、ありがとうございます〜〜〜!)

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(オミナエシが咲いていました、、、、)

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(桜の枝の枯れ葉でしょうか、、、、)




by pretty-bacchus | 2018-10-07 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)

連れ合いの喜寿のお祝いは、先月再会したSさんのイタリアンでした
2018年10月5日 金曜日 曇りのち雨

 まだブログに書けていないが、先月の27日に、
突然お電話をいただいて二時間半後に東京駅でお目にかかったのはS氏だった。
1995年のカステロディガビアーノのレセプションでお目にかかっていたのだが、
なにせ二十数年前。

その頃愛住町でイタリアンをなさっていた彼は、
今では四つのイタリアンのオーナーになってらっしゃる。
その一つが歴史的建造物の東京ステーションホテルの地下の
イタリアン<エノテカノリーオ>

 アミューズや味わい深いお野菜をいただいて、パスタを少々。
そしてワインは、彼のご希望で私が持参した
シャトードゥピゼーのロゼドゥソワレ<黄昏時のロセ>。
二本目はシャトードゥティルガンの赤2015。

 彼は私の事をいろいろ知ってらっしゃるようだが、ワタシは何も知らない。
ただ彼はシャトードゥピゼーの大ファンで、
すでに現地モルゴンのシャトーにパスカルデュフェートルを三回もたずねていて、
五月の香港でのヴィネクスポにもいらしてパスカルと再会なさったよう。

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(27 September 2018)

 そして瞬く間に三時間がたっていた。
昔の事、ワインのこと、波瀾万丈の私の歴史も少しだけ、、、と、
ワインの杯が増える度に、聞き上手なS氏に話してしまっていた。
彼のこのお人柄がお仕事成功の秘密なのかもしれない!と思った。

 白が基調の三十六席のお店。
東京ステーションホテルの正面を入り、
右手のシャンデリアの煌めくダイニングルームを右にみて、
二つ目のエレヴェーターに乗って地下一階のレストランフロアーへへ。
広い廊下で、左>左に曲がると和食、中華、
そして一番奥にこのイタリアンのお店がある。
エントランスを入るとイタリアモダンの上品な内装の心地よい照明下に数卓が、
そして左に一段上がった処のバーラウンジのカウンターには九席。

北イタリア、エミリアロマーニャ料理をベースにしているそうで、
それぞれの産地から届く素材のこだわり、生ハムは秋田県での自家製、
さらにルコラや葉野菜は、オーナーみずから二十数年前から
故郷の福島県で有機栽培しているという。
比較的軽くいただける心癒されるお洒落なお店。

 すっかり気に入ってしまった私は、
今夜は雨の中、そのお店にツレアイとおじゃました。
誕生日イヴをするにはとってもよいと思ったの!

 前回はごちそうになってしまったが、今日はメニューを
しっかりみせていただき、マネジャーのイクチさんのお薦めで
中のコースでいただくことにした。
シェフのおまかせディナーコース “Cena Speciale”
全九品だか魚料理をのぞいていただて小前菜/前菜/冷たいパスタ/パスタ/お口直し/
お肉料理/デザート/小菓子&カフェと、季節の味わいを楽しめるメニューをいただいた。

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(この黒毛和牛のいちぼが最高でした!)


 最後には一日早いバースデープレートのデザートをご用意いただいて感激!
一本のロウソクをふっと消して、お誕生日おめでとう!
ここ数年大きな手術や病気をしているツレアイは嬉しそう!
よく喜寿まで生きながらえてくれましたね。よかったですね!

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最初の乾杯の杯はシャンパンを軽くいただいたので、
お肉の時にあけていただいたシャトードゥティルガンの赤で
“おめでとうございます!”
(サンテグジュペリ伯爵からもお祝いのメールをいただいていて嬉しい!)

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(おみやげにお持ちしたのは、Sさんのお好きなシャトードゥピゼーのブランとモルゴンシバリット
右にはシャトードティルガンの赤2015!))


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 シェフ、マネージャーの方々にお送りいただいて
感謝の一夜でした。
何十年か前に仕事で一度お目にかかっただけのS氏とのご縁が、
新しいご縁を生んだようです。
ありがたいことです!

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(井口さん、渡辺さん、栗本シェフが最後までおくってくださって、、、)

#IMAGE|a0031363_02585975.jpg|201810/08/63/|mid|860|573#]
(エレベーターのなかで)




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 細い雨が降りつづく東京駅から車で帰宅。
小さい土手の道には枯れ葉が散り、、、、葵の花が夜を彩っていました。

 次の年もまたいっしょに誕生日を祝えるかなというのがもっぱらの話題。
あと十年、あと五年、、、といいながらも終活に身が入らないのですが、、、。

 歳を重ねていくということは山あり谷ありを一歩一歩歩き、
辛さや哀しみを乗り越えて、そのあとには喜び楽しみと嬉しさがあるのですね。

<森羅万象>の神々に願いと祈りと感謝をこめて手をあわせてての誕生日でした。


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by pretty-bacchus | 2018-10-06 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)