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黄色いミモザは春一番の花、希望の色なのです!
2020年3月9日 月曜日 曇り ミモザの日?

 イタリアでは昨日が「FESTA DELLA DONNA(
フェスタ・デラ・ドンナ=女性の日)」だった。
男性が日ごろの感謝を込めて、お母さんや奥さん会社の同僚などにミモザを贈る習慣があり
「ミモザの日」とも呼ばれるようになったのだそう。

 ミモザの思い出は沢山ある。
パリでは二月になると黄色いミモザがニースから届く。
エールフランスの佳き時代には、パリから日本へ毎年ミモザがたくさん
カーゴ便で送られてきて、社員皆んなで楽しんだものでした。
青山ビルの中地下にあったケイフローリストさんにもさしあげたことがありましたね、、、、
なつかしい佳き時代の思い出です!

 パリのお花屋では二月になると南からミモザが入荷する。
あるいはオランダからのも多い。
同じ頃にオランダからは色とりどりのチューリップが店頭を飾る。
街の屋敷の塀からは白や紫のリラの花が顔をだすのもこの頃。
そしてもう少しすると黃色のレンギョの花が街もオートルートの両側にも咲き始める。
黃色は春の希望の色
寒い暗い冬がようやく終わるのだと、、、いつももう思ったものだ。
 
 前世紀に住んでいたパリの十五区のアパルトマンの一階はお花やさんだった。
オランダ人の背の高い男性ががオーナーで、とても良くしてくれた。
仕事の帰りには毎日のように寄って、お花をかって帰宅した。
一束十本で10フラン(200円くらい)だったから、色違いを楽しんだりもしたが、
やっぱりこの時期は黃色が多かったな!

 ダニエルというゲイの若者が日本の池坊に興味があるというので、
母から教本を送ってもらって、ときどき説明をしたりしていた。
お花の基本は、万物の基礎と考えられてきた(天・地・人)になぞらえた
<真・副・体>と呼ばれる三つの役枝で構成されているのよ、と言ったりしたら、
次からの彼の花束は、ただ丸い形のパリ風ではなくア ラ イケノボウになって、
下町の女性達にとても喜ばれていた。
懐かしい〜〜なつかしい思い出です。

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2015年1月18日 日曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年の巴里十五区の初夏


 白いリラが咲き、黃色のミモザがやってくると、
あ〜〜やっと春が来た! 道が凍らなくなるのだ、、、よかった〜〜〜、と思ったもの。
パリの西南のポルト・ド・オルレアンからオートルートを南に20分ほどで
オルリー国際空港に着く。その道を毎日自分で運転して通っていたのでした。
五十年も前の頃です。
(そのころは未だ成田空港もシャルル・ド・ゴール空港も存在しなかった)

黄色いミモザは春一番の花、希望の色なのです!_a0031363_186569.jpg
前世紀末のパリのアパルトマン
 (黄色いチューリップの後ろはミモザ!
黄色は春まちの頃の希望の色なのです。1999年とあります)

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(時には黄色いバラも、、、)
黄色いミモザは春一番の花、希望の色なのです!_a0031363_21252852.gif

 パリではそろそろ黄色いミモザがニースから届く頃かしら?
エールフランスの佳き時代には、毎年ミモザがたくさんカーゴ便で送られてきて、
社員皆んなで楽しんだものでした。
青山ビルの中地下にあったケイフローリストさんにもさしあげたことがありましたね、

でも、黄色い花のトップはなんといっても黄色いプランタジュネ、エニシダの花でしょうね。
フランスの西南部の旅にとくに多くあったような気がします。
オーヴェルニュ地方の神の家シェーズ=デューの取材の折りに通った田舎道での
このジュネの花は圧巻でした。
明日にでもブログ内を探してアップしましょう!
〜〜〜〜〜〜〜〜

 夜明けが六時をきった。
二十四節季の啓蟄もなかば、来週末には春分だから、本当の春はもうすぐですね。
コロナウィルスが心配のなかですが、、、、。

 借景の庭の下の方に、オナガがみえた、、、あら、あら、、とカメラをかまえるころには
もう飛んで行ってしまいました。
また明日きてくださいね。

黄色いミモザは春一番の花、希望の色なのです!_a0031363_19583154.jpg

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〜〜〜〜〜

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黄色は希望の春の花色>透きとうった花瓶に巴里を想って
2017年1月17日 火曜日 晴れ 

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2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

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2011年12月6日 火曜日 曇り  その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973(今回二日目)

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2011年12月17日 土曜日 巴里のお花やさん
☆回想のわが巴里の街1990~2000〜巴里のお花やさん
黄色いミモザは春一番の花、希望の色なのです!_a0031363_21502897.jpg
(一昨年のパリでも寄ってみましたが、彼は歳をとりオランダにかえってしまったそうです)

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2008年5月22日 木曜日 晴れ/a>
緑の手を持つジャポネーズ

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2011年12月17日 土曜日 
☆回想のわが巴里の街1990~2000 =十五区のアパルトマン
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris ~1990~2000
 


by pretty-bacchus | 2020-03-09 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

人類初の月面到着の記念日。 1969年7月21日この時私は三度目のパリに着いた 
2019年7月21日 日曜日 雨  (遡って、、、、この日の記録を)
 令和元年七月十二十一日

 今日は人類初の月面到着の記念日。
1969年7月21日、この時私は三度目のパリ行きの機内にいた。 

 出発の羽田空港(当時はまた成田がなかった)は、テレヴィの中継を見る人でごった返していた。
その一角に万歳!ばんさい! その万歳三唱は、アポロの月到着を祝うのではなく、
私がパリへ発つのを見送りにきてくれた数十人の人が
全員手をあげてお祝いをしてくれていたのであった。
母は涙をかくせずに、でもにこにこと手をふっていた。

 月に人類初到着のニュースで送られた私は、その興奮が機内に残るまま巴里に到着した。
パリでも空港のテレヴィはそのニュースでもちきりだった。
人類初の月面到着その時間にオルリー空港に到着した。日本時間午前5時18分。


人類初の月面到着の記念日。 1969年7月21日この時私は三度目のパリに着いた _a0031363_05131706.jpg



 当時は外国に、それもパリへ旅発つというのは珍しく大変なことであったのだ。
大正時代の詩人文化人の萩原朔太郎が、旅上(純情小曲集)を刊行したのが1925年、
父がまだ十代の頃。
それからすでに27年がたっていたとはいえ、まだまだフランスは遠い國だったのです。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

横光利一は1936年2月18日の東京駅での見送りには三重にも列ができ、
女優高杉早苗らが花束を送ったそうです。
2月20日に39歳の横光は川端康成、中山義秀、画家の佐野繁次郎、姉の静子らに見送られ
神戸を出航したとウィキペディアにありました。

そして1936年3月27日にフランスのマルセイユに着いたのだそうです。
この旅の経験をもとに、渡欧体験の『旅愁』が書かれたのですね。
1943年(昭和18年)『旅愁』第三篇を刊行。
子供の頃に父が買ってくれたこの本をいまだに大切にもっています。
そして中山義秀が家に遊びにいらしたという父の話を覚えています。

 私がパリの駐在員として送られたのは、その後1970年代初めのジャンボ就航の
大量旅時代の始まる頃でした。
エールフランス航空機が日本就航から十八年もたっていたのです。
その頃は大卒の初任給がまだ一万数千円だった頃、
東京パリの飛行機運賃は確か600,000万円位でしたから、
なんと今の30倍もの飛行機運賃だったのです。

 パリにではすでに松本弘子さんがピエールカルダンのそばで活躍していて、
さらにその後に岸恵子さんがイヴシャンピ夫人としてパリの住んでいらっしゃいました。

寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!
2018年1月25日 木曜日 マイナス四度の朝

 月に兎がいると信じていた子供のころの思いはかなく、
月から送られてくる映像は、ごつごつとした石ばかり、、、。

あれはもう五十年も前になるのです、、、、、、!
フランス語もおぼつかない私が突然の巴里駐在員に任命されて、
あれよあれよというまに巴里で仕事をすることになったのは、、、!

 エールフランス航空のパリ駐在員として日本から派遣されたこの日から、
私のパリ駐在員3年10ヶ月が始まった。
それは涙と感動の二十代の若き日の体験であったが、
逆単身赴任の形のかよわい日本女性へのパワハラが始まった日でもあった。
しかしこの日がなければ私の今はない。
波乱万丈の私の人生の大切な思い出の第一歩から半世紀がたったのだ。

 
 慣れない仕事に疲れ果て、ホテルに帰ってドアをしめると崩れるように座り込み
崩れてしまっていた、、、、。
 英語科だったから、フランス語は第二語学で不十分、その後の日本経済台頭のまだまだ前だったから、
“日の出ずる国>からの女性駐在員は、それはそれは大変だった。

最初の数ヶ月は、テレビもない冷たいホテルの部屋で、一人涙に暮れたことが何度あったことか、、、。
あのころ、、、、、あの頃も今もいつも、わたしは必死で戦っているような気がする、
人生というまか不思議な魔物と、、、、。
あの苦しい体験と、それを乗り越えた自分自身の自信と強い思いがなかったら、
その後の私は、また別の路を歩んでいたことだろう、、、。

そして、これでもかこれでもかと襲ってくる人生の苦境や、まさかの坂に負けそうになりながらも、
生きることを楽しむことは出来ていないだろう、、、。

凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 
そしてワタシは逆単身赴任でパリに発ったのだ。
人類初の月面到着の記念日。 1969年7月21日この時私は三度目のパリに着いた _a0031363_20392888.jpg
〜〜〜〜〜〜
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着

友人達の羨望と嫉妬さえかっての単身赴任のパリ、、、
その頃のパリは、萩原朔太郎の時代とははるかに違うが、やはりまだまだ遠かったのだ、
渡航の自由化がはじまってはいたが、まだまだパリは遠い都だったから、
日本からパリの空港にお着きになるのは各界で活躍なさっている方々が多く、
それはそれは目を見はるような方々が多かった。

2005.07.20のブログ
満月の 月の兎は 今はなく

パリへの駐在の記念日は アポロ11号 月に着く
2004.07.22


いつもこの日にはあの時代の暗いパリを思い出してしまっている。

 凍った高速道路を運転してオルリー空港まで通わなければならなかったのあの頃、、、。
グレーの空の冬のパリは3時半ごろには暗くなりはじめる。
朝も10時半ごろまではお日様の顔を見られない。
パリの西南のポルト・ド・オルレアンからオートルートを南に20分ほどでオルリー国際空港に着く。
(そのころは未だ成田空港もシャルル・ド・ゴール空港も存在しなかった)

早朝の高速道路は氷がはり、ヴェルグラ(氷結注意)の標識が続く。
暗い朝に車のダウンライトをつけて(パリはアップは禁止なのだ)、
凍りついたオートルートA6を南下して
数十分の道を仕事場のオルリー空港に通ったものだ。
滑りそうになって何度もハンドルをもったまま道の端によって止まり私の方が凍りついた。

 日本から到着するAF273便は午前5時頃の到着だった。
東京からのテレックスが入ると、私たち駐在員は、特別アテンドのために
フライト到着前に空港について機首までVIPをお出迎えをしなければならなかった。
(当時はもちろんメールなどはなく、航空会社ですら、唯一の通信方法が、
カタカタカタと印字をしながら入ってくるテレックスだったのだ)

わずか数人しかいない日本人駐在員であるし、女性は一人だったから、熱がでようが、
ガードレールにぶつかって車がぼこぼこになろうが、
暗い道を必死でハンドルをにぎらねばならなかった。

 日本からの朝のエールフランスの第一便のAF273が着く頃には、
空港はるかに真っ赤な朝日が昇り始める、、、
日は昇る、あ〜今日もまた新しい朝がきた。大きく深呼吸して私の朝は始まるのだった。

シャンゼリゼ大通り121番地の二階のエールフランス航空のティケッティングカウンターに移るまでの
一年十ヶ月後は、今思うとなんと大きな夢と可能性をもった歳月だったろうか、、、!

 最初の冬は泣きながらのパリの毎日だった。花のパリであるはずが涙涙のパリであった。
選ばれて駐在員としての憧れのパリでの仕事だったはずなのに、、、、、と、何度涙したことか。
でもこのくらいの寒さでは涙は凍らなかったのだ、、、、、、。

 友人達の羨望と嫉妬さえかっての単身赴任のパリ、、、.。
その頃のパリは、萩原朔太郎の時代とは、はるかに違うが、やはりまだまだ遠かったのだ。
渡航の自由化がはじまってはいたが、まだまだパリは遠い都だったから、
日本からパリの空港にお着きになるのは各界で活躍なさっている方々が多く、
それはそれは目を見はるような方々が多かった。

岸恵子さんや松本弘子さんや高田美さんや何人かの画家はすでにパリに暮らしていて、
その次の時代を作った高田賢三さんや森 英恵さんがパリでの仕事を始める頃だった。
空港の出発VIPサロンではアランドロンやオナシスが静かに出発前のシャンパンを楽しんでいたり、、、
東和映画の川喜多長政、川喜多かしこご夫妻が、日本とパリを往復して映画のお仕事をなさり、
かしこ夫人はいつもお着物でなんとシックだったことか!
彼らがフランスから日本へ紹介する映画を見るのが楽しみになった。

團伊玖磨さんにお目にかかると彼の本を読み音楽を聴く、
外交官の大高さんがスイスに赴任なさるとスイスのことを知りたくなる、
三船敏郎がロケにくると、次の帰国の時にその映画を見る、 、、、、
外交官、芸術家、商社の方々、映画俳優、そしてお忍びの政治家達、、、と、
おそらく日本にいたらお目にかかれなかった方々と、お話しする機会が増えて、
そのお仕事関係のことにいろいろ興味をもったものだ。

 西洋の美しいモノを日本に紹介しようとサンモトヤマの茂登山長市郎さんや、
吹田貿易の吹田安雄会長にお目にかかったのもこの頃だった。
そんな日本からのVIPの到着と出発のお手伝いをするのが当初は私の仕事の一部であった。

 まだ日本の新聞も本屋さんもない時代だから、葉書で関連本を父母に頼んで集めてもらい、
安い船便でパリに着くのが待ち遠しかったものだ。
 冬の暗いパリも本を読みながら、教会の鐘を聞きながら、セーヌ河畔を散歩しながら、
そして時には美術館や音楽会にいったりと、、、 。

ああ〜〜だめだ、涙が止まらなくなった、、、、。
何度かパリに来てくれた母とも思い出話しに花が咲いた一日でした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人類初の月面到着の記念日。 1969年7月21日この時私は三度目のパリに着いた _a0031363_21252852.gif
いろいろのブログがなつかしいですね〜〜〜!

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四半世紀 昨日の如くか 夢なりか

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想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

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つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu

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写真の整理で 旅の記憶を ひもといて

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凱旋門に励まされての遠いパリの日々

制服は当時のパリファッション界の寵児のクリスチャンディオールの特別製。
一人一人がヴァンドーム広場近くのアトリエで仮縫いをしてくれたのですから、
なんという贅沢なユニフォームだったことでしょう。

空港では帽子もかぶらなければなりませんでしたが、シャンゼリゼのオフィスでは脇においていました。

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クリスチャンディオールの制服は、中の白いブラウスの襟前は長方形のリボンで、
濃紺の襟ぐりが広いラウンドの襟から
それが見え隠れするのです。袖も洒落ていました。
そして胸には小さなエールフランスのマークの入った記章。
このユニフォームを着たくて試験を何度も受けた人が多かったそうです。


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(そしてパリで数年たって、、、、、)

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中東への出張☆回想のわが巴里の街 1980~1990

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巴里の夢回転木馬ごとごとと

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☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
このブログには、なつかしくも辛い思い出が書かれています>>>moreへ。

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☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念


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☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

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☆回想のわが巴里の街1965~1973 Memoires du Voyage Paris 凱旋門に励まされての日々
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ

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時空を越えて、、函館〜東京〜京都〜巴里
平成24年7月15日(日) 晴れ

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二十世紀の巴里への旅を追憶して

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ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

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木村伊兵衛のパリ、銀塩最後の私の巴里のエッフェル塔とコンコルド広場
<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>

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四半世紀前の仕事ライフと十五年前の巴里を

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☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念


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☆回想のわが巴里の街 ~ 我が人生を振り返って
 
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☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜メリディアンチェーン


by pretty-bacchus | 2019-07-21 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

セーヌ川洪水のあとのパリは雪模様だそう
2018年2月6日 火曜日  晴れ 

 一昨日パリのセーヌ川洪水の写真をのせてばかりなのに、今はパリでは雪が降っているという。
友人からのメールには街の様子が送られてきた。
Envoyé de mon iPhone>と撮ってすぐにメールしてくれるので、日本いながらにして
パリの雪の様子がわかって楽しい〜〜〜!
でも足が悪く杖をついている彼はどんなにか大変だろう、、、、。

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(フランスのテレビの天気予報)

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(photo by Yasuhiro Suita in February 2018, Paris)


 アールヌーヴォーのメトロの駅にも雪が積もってとってもフォトジェニック。
それにしても水が引かないセーヌ川はどうなってしまうのだろう。

 その昔、そう四十数年前に、ヴェルグラと呼ばれる凍った道や、雪の積もるオートルートを走って
仕事場のオルリー空港まで自分で運転して通ったころをなつかしく思いだしている。

 パリでの最後の雪の記憶は三十年前のこと。
シャンゼリゼの映画館で友人と
<2010年12月9日に
 巴里は雪アランドロンの頃想い

ブログから>>>
寒さがましてきた十二月、
パリでは、三十年ぶりの大雪でエッフェル塔や空港が一時閉鎖したという。
三十年前の大雪の日、私はパリにいた!
友人と珍しくシャンゼリゼ大通りの映画館で、アランドロンの映画を見ていた。
夕方遅くに地下からあがった私たちは驚いた。
あの大通りが、もう〜〜一面の雪だったのだ。
そうか、、、あれから三十年がたつのだ、、、、感無量! 

 その話を父にも話したことを思い出した。
今日は父の命日だったのだ。

 〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/11696615/
2010年12月11日 土曜日 晴
サンルイ島の雪景色
寒い朝に起きたら巴里の友人からメールが入っていた。

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by pretty-bacchus | 2018-02-06 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

パリではセーヌ川の増水がまだ引いていないという
2018年2月5日 月曜日 曇り

 セーヌ川が増水しているというニュースはすでに二週間も前からだった。
先週には水位がさらに上昇しパリを含むイルドフランス地域圏の数千人の住民が
洪水発生の可能性に備えて避難したという。

 その後川沿いの歩道が冠水しルーブル美術館の地下展示部分は閉鎖されて地下のお店が
閉められているという。
地下で流されたネズミが通りに上がってくるなどしているというから怖い〜〜〜。
そういえば歴史のなかでルーヴルの前身の建物内にネズミがうゆうよしていたというのを
読んだことがあった。

 少なくとも31日朝までは5.5メートル以上の水位のままで、中心部から水が引くまでには数週間かかると
みられているという。
パリ経由でヴェニスを訪れている写真家の小瀧さんもフェイスブックでレポートなさってらした。

 お正月を日本で過ごし先週パリに帰った画家の友人は、そのセーヌにビックリしたようで、
さっそくiPhoneでスナップを送ってくれた。
驚くほどの水にビックリ!
石段を十数段ほど下りた観光客用の遊覧船「バトー・ムーシュ」乗り場の石畳は水で埋まってしまっている。
乗り場案内のアーチの案内塔は上の方まで水で埋まっている。
ブキニストや船上生活者たちはどうしているのだろう?

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photo by Yasuhiro Suita in February 2018, Paris)


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(これでは船が橋の下を通れない、、、、)




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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 なつかしいパリのいろいろからセーヌ河畔が出ているブログをみながらなつかしく思い出している。
パリではセーヌ川の増水がまだ引いていないという_a0031363_21252852.gif



http://keico.exblog.jp/2473214/
2005.10.23 巴里にて
何想う秋をみつめる乙女あり
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http://keico.exblog.jp/7789931/
2009年1月5日 月曜日 小寒 始動
セーヌ河畔のブキニスト、Memoires du Voyage 2008Paris
パリではセーヌ川の増水がまだ引いていないという_a0031363_5183737.jpg  (土曜日の朝のブキニストはカップルが多かった。
(セーヌ河畔のブキニストは、パリの魅力になったのはいつのころからなのだろうか、、)

http://keico.exblog.jp/19829855/
2014年5月24日 土曜日 晴れ
1996年6月の巴里セーヌ河畔の三人
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(Paris le 18 juin 1996,Une promenade dans la Seine)

パリではセーヌ川の増水がまだ引いていないという_a0031363_233126.jpg
(この石畳の水の底?)


http://keico.exblog.jp/19851497/
2014年5月30日 金曜日 晴れ
1998年6月の巴里 セーヌ河畔とコンコルド広場のコンコルド

http://keico.exblog.jp/19927300/
2014年6月22日 日曜日 雨のち曇り少し太陽が その一
1996年6月21日 夏至の日のパリ、セーヌ河畔

http://keico.exblog.jp/20004907/
2014年7月15日 火曜日 曇り
誕生日に巴里セーヌ河畔の桜のコンタクトプリントを愉しんで


by pretty-bacchus | 2018-02-05 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!
2018年1月25日 木曜日 マイナス四度の朝

 この寒さはなんと四十八年ぶりとか、、、と話をしていたら
美容院の女性達は、“生まれていません〜〜〜。
そうですよね、、、、。

エールフランスの駐在員でパリに住みはじめた頃のことですね。
寒い寒い朝の凍り付いたオートルートを自分で運転していた頃ですね。
あのことはいまよりもっともっと寒かったように思います。
懐かしいですね〜〜〜!

 先週のフェイスブックに、十三人の女性が壇上に揃ってそれぞれのユニフォームを装た写真が
掲載されていました。
昨年11月27日は<エールフランス航空日本就航六十五周年>だったのです。
1952年11月27日 午後9時45分に日本初便が、東京国際空港からパリへ初めて出発したのだそう。
まだ私が、小学生のころのことですね。

昨年十二月にフランス大使館で行われた<エールフランス航空日本就航六十五周年>の
レセプションの写真でした。
なんとも懐かしいですね〜〜〜!

制服ファッションショーが開かれて、
日本就航の1952年から現在までの全十三着が披露されたのだそう。
これらは当時のオリジナルで<世界で最も美しくエレガントな制服>と言われ、
現在もフランス本社の文化遺産部で大切に保管されているそうです。

寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!_a0031363_19012101.jpg

六十五年で十三種類だったのでしょうか?
私が着たのは左のブルーが夏用、その右が紺でクリスチャンディオールで1966年から
1970年代中頃までした。
私のお納戸にも残っていますので、いずれ取り出してみましょうかね。
ユニフォームは当時の<スチュアーデス>の制服でしたが、
地上職員でもお客様と接する部署によっては制服を与えられていたのでした。

 日本では、寸法を計りサイズにあったユニフォームがパリから送られてきましたが、
パリの駐在員として出てからは、クリチャンディオールの専門クテュリエのブティックで採寸され
仮縫いをされて、まさにオートクテュールの感じだったのです。
靴も専門の靴屋さんで作られていました。

友人の妹さんは、この制服を着たくてパリのエールフランスの試験を何度も受けたが、うからずに別の航空会社に入ったものでした。


 大正時代の詩人文化人の萩原朔太郎が、旅上(純情小曲集)を刊行したのが1925年、
父がまだ十代の頃。
それからすでに27年がたっていたとはいえ、まだまだフランスは遠い國だったのです。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

横光利一は1936年2月18日の東京駅での見送りには三重にも列ができ、女優高杉早苗らが
花束を送ったそうです。
2月20日に39歳の横光は川端康成、中山義秀、画家の佐野繁次郎、姉の静子らに見送られ
神戸を出航したとウィキペディアにありました。

そして1936年3月27日にフランスのマルセイユに着いたのだそうです。
この旅の経験をもとに、渡欧体験の『旅愁』が書かれたのですね。
1943年(昭和18年)『旅愁』第三篇を刊行。
子供の頃に父が買ってくれたこの本をいまだに大切にもっています。
そして中山義秀が家に遊びにいらしたという父の話を覚えています。

 私がパリの駐在員として送られたのは、その後1970年代初めのジャンボ就航の
大量旅時代の始まる頃でした。
日本就航から十八年もたっていたのです。
その頃は大卒の初任給がまだ2万円位だった頃、東京パリの飛行機運賃は確か600,000万円位でしたから、
なんと今の30倍もの飛行機運賃だったのです。

 パリにではすでに松本弘子さんがピエールカルダンのそばで活躍していて、
さらにそのあとは岸恵子さんがイヴシャンピ夫人としてパリの住んでいらっしゃいました。

寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!_a0031363_19224662.jpg
(11月27日エールフランス航空は日本就航六十五周年を迎えたというニュースメールが
着いていた。
1952年11月27日 午後9時45分に日本初便が、東京国際空港からパリへ初めて出発したのだそう。
まだ私が、小学生のころのことだった)


 オルリー空港に二年、パリのシャンゼリゼ121番のエールフランスのカウンターで二年弱。
この四年間のパリの経験がなかったら今の私のフランスとの関わりはおそらく生まれていなかったでしょう。
そして23年間のエールフランスでの仕事がなかったら私の人生はどんな別の人生になっていたでしょうか。

 二十五周年記念の時の写真が残っていて、ブログにアップしていました。
会社で行われた大きなレセプションに、自分でデザインしたアバンギャルドな着物を着て出席していました。
なんとも懐かしいですね〜〜〜!

 雪の東京で昔のパリを思い出しています。
なぜか涙が止まりません、、、。
寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!_a0031363_21252852.gif
 〜〜〜〜
十年前のブログがなつかしいですね〜〜〜!

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2007.04.25 水曜日 雨
四半世紀 昨日の如くか 夢なりか

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2007.04.26
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu

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2007.07.25 火曜日
写真の整理で 旅の記憶を ひもといて

http://keico.exblog.jp/9187764
2009年11月1日 日曜日 
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々

制服は当時のパリファッション界の寵児のクリスチャンディオールの特別製。
一人一人がヴァンドーム広場近くのアトリエで仮縫いをしてくれたのですから、
なんという贅沢なユニフォームだったことでしょう。

空港では帽子もかぶらなければなりませんでしたが、シャンゼリゼのオフィスでは脇においていました。

寒い日には昔のパリの寒さを思い出すのでしょうか!_a0031363_4481324.jpg









(数週間前にHさんが送ってくださった写真です。空港で撮ったのでしょうか、、、、
クリスチャンディオールの制服は、中の白いブラウスの襟前は長方形のリボンで、
濃紺の襟ぐりが広いラウンドの襟から

それが見え隠れするのです。袖も洒落ていました。
そして胸には小さなエールフランスのマークの入った記章。
このユニフォームを着たくて試験を何度も受けた人が多かったそうです。

 デザイナーであった叔母が、学生の頃につくってくれた緑のアンサンブルに似ていて驚いたのを
覚えています。
デザインブックか何かで見たのかもしれません、、、洒落た叔母でしたから、、、)

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2011年6月21日 火曜日 晴れたり曇った
巴里の夢回転木馬ごとごとと

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2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
このブログには、なつかしくも辛い思い出が書かれています>>>moreへ。

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2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

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2011年12月5日 月曜日 パリへ出発
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris

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2011年12月11日 日曜日 その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ

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2012年7月15日 日曜日
時空を越えて、、函館〜東京〜京都〜巴里
平成24年7月15日(日) 晴れ

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2012年12月14日 金曜日 晴れ
二十世紀の巴里への旅を追憶して

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2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ
ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

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2014年8月28日 木曜日 晴れ
木村伊兵衛のパリ、銀塩最後の私の巴里のエッフェル塔とコンコルド広場
<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>

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2014年10月31日 金曜日
四半世紀前の仕事ライフと十五年前の巴里を

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2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念


More>☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
by pretty-bacchus | 2018-01-25 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

土手には今年もエンジェル・トランペットが咲き始めました
2015年6月14日 日曜日 曇り

今週は毎日のように外での食事が続き、そのうえ天気がなんともよくなく、さすがに疲れた。

うとうとした日曜日になったがとってもゆっくりできたようだ。
お野菜やらパスタやらでありあわせの夕食。

 最終もまたお約束がいくつか入っていて少しいそがしくなりそう、、、。
でもこわれる内が華と思ってがんばりましょう〜〜〜。

土手には今年もエンジェル・トランペットが咲き始めました_a0031363_1333452.jpg

(土手には今年もエンジェル・トランペットが咲き始めた、、、)
by pretty-bacchus | 2015-06-14 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(2)

<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって
2014年7月14日 月曜日 晴れ

 ドイツの劇的な勝利のニュースの頃に、明け始めた借景の木でミンミン〜〜〜と初蝉が鳴いた。
ほんとうの夏がくると日の出時間の少し前に鳴きはじめる蝉も、初めの頃はこうして暑さを感じる朝に
鳴くことがよくある。
そういえば、それはいつも巴里祭のころだったから、今年は梅雨明けが遅れているのだろう。

 今日は七月十四日、<キャトルズ ジュイエ>は日本でいう巴里祭。フランスで一番盛り上がる大きな
祝祭日。ほんとうは、フランス共和国の成立を祝う日 (Fête nationale) 。
1789年のフランス革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃の一周年を記念して、
翌年1790年におこなわれた建国記念日 が起源だそうだが、
日本では、『巴里祭』という映画を輸入し配給した東和商事社長の川喜多長政・川喜多かしこご夫妻が
『巴里祭』という邦題を考えられたと言われている。

 1,2,3 <アンドゥトゥロワ>の次に覚えたフランス語は<キャトルズ ジュイエ>だったかもしれない。
(スワサント ディセット(77は60+10+7) や、95はキャトルヴァン キャーンズ (4x20+15)など、
しちめんどくさい数字の言い方はずっと後になってからしかすらすらと言えなかった、、、)

 シャンゼリゼ大通りには黒塗りの車に先導された戦車や大砲車が列をなしてのパレードで
現役の大統領が聴衆に挨拶をしながら、勝利の象徴のL'Arc de Triomphe 凱旋門からコンコルド広場へ向かう。
広場での式典にはフランスの閣僚や時には各国の代表が出席する。

空にはフランス空軍が三色旗の煙をだしながら凱旋門の上をかすめて飛び去る。歓声が沸く、、、。
夜はTour Effel (エッフェル塔) の目の前に広がるParc du Champ-de-Mars (シャン・ドゥ・マルス公園) で
花火があげられる。

一昨年のブログから
http://keico.exblog.jp/13086064/
2011年7月14日 木曜日 晴
暑く疲れた一日でした。パリ祭に

フランス2のニュースで、パリの革命記念日のシャンゼリゼ通りの軍事更新をキャプチャーしたもの、
<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_23182664.jpg

<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_23184953.jpg


(数年前の友人の写真から、、、)
<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_0385295.jpg
  空軍のジェットは列をなして飛び始め、やがてアクロバットごときに飛び動く
<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_0393845.jpg
(ノートルダム寺院の真上を飛ぶヘリコプター)

 巴里のその時刻、日本時間では七月十五日午前二時(パリ時間十四日午後六時)に
私はこの世に生を受けた。その日は暑い日だったという。
フランスに西洋に憧れていた父の願いがかなって、娘はパリでの祭りの歓喜の頃に
此の世にあらわれたのだろう、と小さい頃から親も私も勝手に思っていた。
(その父は一度もパリにはいかずに、何度招いてもうんといわずに、その代わりに、
母が何度もパリを楽しむことになった、、、)

 大学の卒業式の翌日からエールフランス国営航空に入社した私は、翌年にはアコガレのパリを訪れて、
友人達の羨望と嫉妬さえかったものだ、、、。
その頃(四十数年前)のパリは、萩原朔太郎の時代とははるかに違うが、やはり、まだまだ遠かったのだ。

 その四年後には、パリへの日本人駐在員とし赴任して四年間のパリの生活をすることになった。
羽田空港で万歳で家族と友人達に送られて、私は当時はめずらしかった女性駐在員として旅だったのだ。

 仕事は厳しく大変だった。
ジャンボ飛行機就航で、旅行者が大量に増え始めるその時期だった。
日本から到着したVIPのお世話をするのが主な仕事だった、、、、。
その頃は、セリーグの巨人が優勝すると、パリにご招待された頃だったから、高校の大先輩の
長島さんと再会したのもあの頃だった、、、。

岸恵子さんとか、松本弘子さんはもう活躍なさっていた。
東和映画の川喜多長政、かしこご夫妻が、日本とパリを往復なさって、かしこさんはいつもお着物で、
あこがれと羨望の気持ちで、チェックインや荷物のお手伝いなどをしたりして、、、
かしこさんとお嬢様の和子さんは、数々の名作を日本に紹介していらして、
よく父と話をしていたので、お目にかかれるのがとても嬉しかった、、、。

 サンモトヤマの茂登山長市郎さんや、吹田貿易の吹田安雄さん達が、ヨーロッパの美しいものを
日本に紹介するために、自ら年に何度もパリにいらしてらした、、、
グッチもルイヴィトンもマイセンも日本にはまだ紹介されていなかった頃である。

 お客様の荷物がミッシングになると、大きな荷物置き場をかけまわり、フランス人に驚かれた。
でもそうすると必ず出てきたのだから、、、。
三船敏郎さんのスペインから東京への乗り継ぎ便に遅れそうになったときは、地上と機長にお願いして
出発を少し遅らせていただいた、、、、日本で重要なお仕事があったのだと聞いたので、、、。
帰国後自筆でご丁寧なお手紙をいただいて、そのお人柄に接してとっても嬉しかったり、、、。
思い出はつきない、、、、な。

 外交官、芸術家、商社の方々、映画関係、そしてお忍びの政治家達、、、と、おそらく日本にいたら
あまりお目にかかれなかった方々と、お話が出来たのも、パリに駐在していたからだろう、、、と思う。
(そうそうアランドロンともビーズをしました!<<<年がわかろうというものですね)

 英語科だったから、フランス語は第二語学で不十分、その後の日本経済台頭のまだまだ前だったから、
“日の出ずる国、からやってきた小さな女性駐在員は、それはそれは大変だったのです。
最初の数ヶ月は、テレビもない冷たいホテルの部屋で、一人涙に暮れたことが何度あったことか、、、。

 後半の二年は、あの56メートルの凱旋門を見つめながら、ジョルジュサンクのメトロを降りて、
泣きながらシャンゼリゼ大通りのエールフランのオフィスに出勤、トイレで泪をふいてから
仕事場についた毎日が続きましたね、、、。
今でいうパワハラ的なことが多くあったのです。
でも、やがて私は、、、、それを乗り越えて、パリに住む幸せをかみしめながら、一歩一歩大人?!に
なっていったのです。

 芸術の都巴里の逸品たち、自然豊かなフランス全土の食とワイン、風物、、、
私たちは毎週末にフランス中を、いや欧州中を旅しながら、フランス駐在を楽しみ始めた。
フランス人たちの粋とエスプリ、マナー、冷たそうな裏の優しさ、人間愛、なども
この時代に自然とわかっていったに違いありません、、、。

二十代から三十代に養われたヨーロッパ文化は、その後の人生に大きな豊かな感性を与えてくれた。
(それは日本文化の基礎があってのことなのだが、、<<<両親に感謝!)
その後、フランス人庶民のおもしろさや、ハイクラスや貴族の方々とのサンパナ交流も、
この時代の自分があるから、フラン人のその両方の素敵さや、いやらしさも納得できたのでしょう、、、。

あの苦しい経験と、乗り越えた自分自身の自信と強い思いがなかったら、その後の私は、
また別の路を歩んでいたにちがいない。
そしてこれでもかこれでもかと襲ってくる人生の苦境や晴天の霹靂、まさかの坂に負けそうになりながらも、
それらをなんとか乗り越えて、生きることを楽しむことは出来ていなかっただろう、、、。

 パリに住んで仕事をしたことも、偶然の神の采配というのなら、神様ありがとうございます。
(でもドラマティックなアップ&ダウンの人生も、そろそろゆっくりしたくなりました。
神様、どうぞ晩年はもう少しゆっくりさせてくださいませね、、、、お願いします、、)

 今年もまた、バースデーイヴは、iTunesでラジオの142ストリームある中のinternationalの番組の内の、
Chanteurs.org(64ビートレット)のFrench songs since 1890 of the dead artists、artists perdu
で、パリ祭の夜のパリの生音楽を聴きながら、一人でこれを書いている。
いつもは、この中のJazzセッションで、ニューオーリンズのジャズハウスからのライブとか、
BBCのオペラとかクラシックがBGMになっているのに、今日のこの日は、やはり、フランス語のアクサンと、
昔のシャンソンが妙に良くにあう、、、
あ〜〜あの曲が始まった、、、ロンタンロンタン〜〜〜〜

 こんな一握りの幸せも、Oさん達に言わせると、“贅沢な、、、"ということになるかもしれない、、、。
でも彼らは、きっと、私が山にこもって清水を求めて歩き回り、自給自足の生き方をしても、
“贅沢な、、、" そう言うに違いない、、、。

 あ〜!ダミアの曲が始まった〜〜〜〜
パリのフォーブールでは、ダン・ラ・リュー街では、、、、、、いい曲だ、イイ声だ!
そう、、、、パリの街では、パリの人口だけの人々の生き方があり、笑い声も泪もあるのだ、、、。
東京だって、日本だって同じ、、、。

ソンブルディマンシュ(暗い日曜日)<ダミアの歌< は時にはいいけれど、明るい日は必ずくる、、
それぞれが、それぞれの人生の“生きる歓び“を味わいたい、、、この世に生を受けたのだから、、、。
この二十世紀から二十一世紀への歴史的瞬間に生きていて、それを愉しめることに感謝!
(そしてスティーブジョブズさん、ありがとう!)

バースデーイヴに、、、キャトルズ・ジュイェの曲が流れて、、、、。

 あの<巴里>での生活とその後のフランス通いがなかったら、今頃私はどんなふうに別の生涯を
送っていたのだろうか、、、とふと思う事が多くなった。
それだけ歳をとったということなのだろう。

 かたや京都では、祇園祭の酔いよい宵宵宵山。
今年は巴里にも京都にもいかれずに、東京の片隅でぐったりとして十六夜をながめながら横たわっていた、、、
嗚呼!

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2013年7月14日 日曜日 曇り 雷雨
木槿の隣に最後の山梔子の花が

http://keico.exblog.jp/15324687/
2012年5月15日 火曜日 雨
肴あり友ありて飲み緑雨

http://keico.exblog.jp/14153200/
2011年12月11日 日曜日 その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ
☆回想のわが巴里の街 ーシャンゼリゼ

〜〜〜〜〜〜〜〜
<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_21252852.gif
 このシャンゼリゼ121番地は1970年代はじめに、二年間毎日通っていた事務所があった。
まだそのころはリドがあり、クラリッジホテルがあり、そしてパンナメリカン航空のパリ事務所があった。
<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_4555099.jpg
(2006.12.00 冬でもこんなの空が青いこともある! 

<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_9423869.jpg
  (2008.12.19 遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)

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(June 1998 Parisコンコルド広場)

<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって_a0031363_16234335.jpg
(1999.12.09 雨のコンコルド広場、ミレニアムまであと22日の夜に)= ★OldPhoto銀塩写真のデータ化の内

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

http://keico.exblog.jp/13216621/
2011年8月5日 金曜日 晴
シャンゼリゼ大通りの麦畑とパリの思い出

http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/7306016/
2008年7月14日 火曜日 暑い一日だった。
"Le Quatorze Juillet"=マイ・バースデーイヴに、、、




by pretty-bacchus | 2014-07-14 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(10)

巴里の夢回転木馬ごとごとと
2011年6月21日 火曜日 晴れたり曇った巴里の夢回転木馬ごとごとと_a0031363_21252852.gif

http://keico.exblog.jp/12930040/
昨日のブログ
<東京―パリを2時間半で 超音速、無公害機構想>

 一夜明けて、、、
東京―パリを2時間半のニュースで少し夜更かししたので、遅い時間に起き出した。
凄い時代になりましたね、、、” と家人。
何のお話し? ああ、、、、まだ寝ていたい〜〜
東京―パリを2時間半のニュースが各紙に載ってますよ、、、
私はすでに真夜中にブログに書いていますよ〜〜〜。日本の新聞より早いのですよ〜〜〜うっふふ、、、

でも新聞には、あまり大きく扱われていなかったのは、ニュースソースが同じで、
その詳細がわからないためだろう。
でもネットはすばやかった。
午後一にはグーグルの検索で、すでに何百万という記事がヒットした。
その原理も機体の詳細もわかったので、追記として昨日のブログに図を追加した。

 2050年には就航だが、2020年には試運転が始まるらしいから、なんとかお願いして、
その試運転に潜り込ませていただこう、、、。
そのままあの世行きでも、研究結果に寄与できれば嬉しい、、、とバカなことを考えていたら、
なんとコメント欄で、ご一緒しましょう、、、と先制攻撃をいただき、ほんとに驚いてしまった。
  
 パリ巴里パリ、、、、
横光利一の<旅愁>の頃は、ヨーロッパを旅行するには船で一月もかかっていたあのパリ。
萩原朔太郎の「旅上」の
「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん」

フランスへは行きたくても容易には行かれなかった「ふらんす」は、
それはそれは遠かったのだろう。

 時は移り、コンステレーションで三十数時間かかっていた五十年代のジェットセットは、
外交官や岸恵子さんや松本弘子さんの時代。
そして時がまた少したち、1961年にはボーイング707が南回りで経由でパリへと飛んだ。
東京 - 香港 - バンコク - カルカッタ - カラチ - クウェート - カイロ - ローマ - フランクフルト - パリと、
その南回りのエールフランス便で、私は1965年に初めてのパリの地を踏んだ。

それを妬んである出版社の年上男性にいじわるをされたこともあったりした時代だった。
パリってそれほど、行きたくても行かれないあこがれの都だったのだ。
そしてその後、ボーイング747が就航して、70年代初めにその地に四年も住むことになり、
それから何百回と訪れることになってしまうとは神のみぞ知ることであった。

http://keico.exblog.jp/9187764
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 

 それからすでに四十年か!母も連れて何度もいっているパリへの入国スタンプは何百回にもなっている。
すでにアパルトマンは引き上げたが、最晩年をパリと東京の両方に住もうと思った夢も、
今回の病気で半ば失っているが、こうして新しい高速ロボットの時代に突入したら、
また次の世界が見えてくるかもしれない。

きっと、最期の夢はあまり大きくない豪華客船で、<旅愁>の世界での旅も良いかもしれない、、、、と、
うつらうつら思い始めている。
その時はどなたとご一緒なのかしら?
宝くじがあたったら、いままで仲良くしてくださった友人や写友の方や何人もご招待して、
パリ行脚がしたいな、、って、これも見果てぬ夢かしら?

巴里の夢回転木馬ごとごとと_a0031363_1331981.jpg

(好きな写真の一枚。1999年12月、西暦2000年まであと22日とエッフェル塔に灯がともる。
メリーゴーランドが回って人々を夢に誘っていた、、、。

この時代のコンタックスツアイスレンズで、夜に手持ちで一瞬のこの写真を撮るのは至難の業だっただろう、、、)

巴里の夢回転木馬ごとごとと_a0031363_1353142.jpg

(いずれも2005年10月)
巴里の夢回転木馬ごとごとと_a0031363_136262.jpg



More>>1997年と2000年のエッフェル塔は
by pretty-bacchus | 2011-06-21 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(6)

雪のパリ サンルイ島の雪景色
2010年12月11日 土曜日 晴

 寒い朝に起きたら巴里の友人からメールが入っていた。

<2010年12月9日に
 巴里は雪アランドロンの頃想い

 寒さがましてきた。
パリでは、23年ぶりの大雪でエッフェル塔や空港が一時閉鎖したという。
23年前の大雪の日、私はパリにいた!
友人と珍しくシャンゼリゼ大通りの映画館で、アランドロンの映画を見ていた。
夕方遅くに地下からあがった私たちは驚いた。
あの大通りが、もう〜〜一面の雪だったのだ。
そうか、、、あれから23年がたつのだ、、、、感無量! >

と書いたら、巴里の友人からiPhoneで撮った、サンルイの写真を送っていただいた。
とても寒いそうだ。

雪のパリ サンルイ島の雪景色_a0031363_15194089.jpg

by pretty-bacchus | 2010-12-11 11:11 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(6)

ヨーロッパにも寒波到来、パリにも雪が
2009年12月20日 日曜日 晴れ
ヨーロッパにも寒波到来、パリにも雪が_a0031363_21252852.gif

 Kさんが病に、、、、心配だ。
40代はいろいろ心身共に変化がおきる年代だと思う、、、。
私も24年の楽あり苦ありであったが充実した第一線での仕事を突然に辞めたのも、
社内のごたごた以上に、体が要求したのかもしれないと思う。

辞めてすぐに大きな手術で甦った。晴耕雨読の人生後半をと思ったのだが、そうはとんやがおろさなかったわけで、、、、

 ヨーロッパもすごい寒波が襲って来ている模様で、英仏海峡のトンネル内でパリロンドン間の
ユーロスターが途中でえんこ(でもこれは寒波とは関係ない故障だったようだと思ったのだが、、)
トンネルの中で18時間も立ち往生で、2千人以上の乗客が翌日まで車内に閉じ込められたのだそう、
、、、。遭遇したお客様はどんなにか苦しかったことだろう、、、、
食べ物も水もなくて、一時は零下五度まで下がって皆震えていたという、、、
でも全員無事でよかった〜〜〜。
 (やっぱり寒波により事故が起きたよう。氷点下の地上から暖かいトンネルに入った際に
電気系統が故障したようだ)

 パリも雪とのことで、Yさんから写真がメールで着いた。
ノートルダム寺院の前では、マルシェ ドゥ ノエルは今まではなかったのに、
今年は真夜中まで賑やかなのだそうで、あ〜〜一年前だったらよかったのに、、、、、

 去年の今日のシャンゼリゼ大通りのマルシェがなつかしい〜〜!
http://keico.exblog.jp/7770647/
遡っての巴里の記録 七日目 2008年12月21日 日曜日 曇り

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by pretty-bacchus | 2009-12-20 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(4)