生きる歓び Plaisir de Vivre。人生はつらし されど愉しく美しく:♪Journey海外2018PAR巴里
2020-05-25T14:12:02+09:00
pretty-bacchus
人生は辛く哀しいことが多すぎる。でもアール&プレジール・ドゥ・ヴィーヴル生きる歓びをめざしたい。心豊かに美しくいつも明るく生きていきたい。 Photo by Keiko Katagiri (奈良桜井の聖林寺十一面観音菩薩 国宝)
Excite Blog
パリのブーランジェリー パン屋さん
http://keico.exblog.jp/238469604/
2018-04-17T23:58:00+09:00
2018-04-19T08:13:06+09:00
2018-04-19T08:13:06+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
久しぶりに御徒町まで出かけた。午後からやはり小雨になってしまったが、
荷物があったし足元が悪いのでタクシーにした。
飯田橋あたりから左折をしてくるくると細い道を廻ったりしてあっという間に御徒町の駅へ。
こんなに近くだったのかしらと思ううちに目的地に着いてしまった。
Mさんとはなんと10数年ぶりにお会いすることになった感じ。
昔懐かしい話に花が咲いた。
ご主人が亡くなられてすでに二十一年が経ったのだと言う。
三十代後半だった彼女がすでに五十代後半になっていて、その後再婚もしないで
一人でがんばっているという話を聞きながら、相談事に乗っていただいた。
本当に人生って大変なんですね、、、
そんなことを話しながら、近々一緒に食事をすることにした。
さて今日の写真は昨日の続きでパリのブーランジェリー パン屋さん。
フランスではパン屋さんは、祝日でも一斉にお店を閉めず、かならずどこかが開いていて、
値段も高騰させないと昔聞いたことがあったが今もそうなのだろうか、、、、。
毎年バゲットのフランス一を決めるコンテストがあったりして、2015年の
一番おいしいバケットを焼いたお店が
マレー地区を廻っていただいていたときに通った道にあって、行列ができていた。
翌朝のパンを買って、でもあまり良い香りで助手席で少しいただいてしまった。
地元の友人がこうして時々新しい情報のお店に連れて行ってくれるってありがたい。
でも彼女の本職はフランス政府公認のオフィシャルガイドだから、
街の歴史や美術のお話しをじっくりお聞きしたかったのに、
それもあまり出来ずに残念だったな、、、、。
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パリの民泊と巴里のショコラティエ
http://keico.exblog.jp/238468983/
2018-04-16T23:58:00+09:00
2018-04-18T22:33:29+09:00
2018-04-18T22:19:55+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
フランスでは去年一年で八百軒のホテルが廃業したという信じられないニュース。
過去二十年で最多の数なのだそう。その数は想像を越えているが、
当局も困っているという。
その原因は、民泊の人気が高まってホテルの利用客が減少したことだというが、
そうなのかもしれない。
かくゆう私も、今回も前回も友人が管理する個人のお宅にお世話になったから、
これも<民泊>なのだろう。
なにが一番良いっていえば、やはり値段の可愛さと干渉されない自由さかな?
書類を机の上に散らかして出かけても誰も入らないので安心とかもイイ!
でもホテルでは毎朝換えてくれるバスタオルやシーツ交換は数日おきなのが
四つ星ホテルと違うところ、、、。
パリのアパルトマンを今世紀初めに手放したので、
その後はノートルダムを見下ろせる友人のアパルトマンにお世話になったりしていたが、
それも数年前になくなってしまった。
2011年は友人がオーナーの三つ星ホテルに逗留したが、それもなくなり困っていたところ、
その後友人が紹介してくれたのが十五区の見晴らし最高のアパルトマンだった。
2014年の志村ふくみ先生のパリ個展の折には、
一週間お世話になってすっかりこの<パリの民泊>が気に入ってしまった。
(民泊の窓からは180度が見渡せた)
https://keico.exblog.jp/20563389/
2014年12月19日 金曜日 晴れ
雨のパリ、アパルトマンからの眺めをふりかえって
今回は、セーヌ右岸のサントノーレ通りのピラミッドの近くの五階(日本では六階)。
いにしえのエレヴェーターがごとごとと動くなつかしい建物で、
螺旋階段があって、私の昔のパリの住まいに似ていて嬉しかった!
オペラ通りには二分、ルーヴル美術館にも数分という便利な場所ですっかり気に入っている。
でも前回も今回も一番困ったのが、トイレがウオシュレットがないことだった。
そこで役だったのが、日本から持っていった昭和紙工の無香料の<流せるおしりふき>。
OSHIRIFUKI TOWEL 体ふきにも使えるので便利。
“フランスの街角のスナップ楽しみに拝見しています、とメールやコメントいただいているが今回は本当に写真を撮れなかった。カメラは三台持っていったのだが、使ったのは一台だけだった。Fujifilm X-T2& FUJINON XF10-24mmF4 R OIS
ブルゴーニュでの仕事を前に、体調の調整を大切にしたので、無理をしないにして、午前中はお部屋にいて、午後からだけ出かけた。それもイクコさんの車が多かったので、車窓からのスナップだけ。今考えるともう少し行動すれば良かったな、、、て後悔している!
いつも必ず行っていたカフェにもいかれなかったな、、、。アンジェリーナもラデュレもラ・メゾン・デュ・ショコラ行かれなかったし、新しいティーサロンも探訪できなかった。
でも彼女の案内で、ショコラティエやブーランジェリーはいくつか入ってみることができた。マイヨール美術館での藤田嗣治の回顧展の後に、近くのお店に入って、チョコとオレンジピキュールを換えたし、近くの歴史あるチョコラのお店でショコラを飲むことができた。美味しかった〜〜〜〜〜!
(ジャック・ジュナン フォンダン・ショコラJacques Genin fondeur en chocolat ラ・メゾン・デュ・ショコラの元シェフパティシエのジャック・ジュナン氏のお店でホテルGeorge VやホテルMeuriceなどにも卸しているという)
お店の角を曲がってリュードゥバックには何軒ものお店が続いていた。
そしてお茶をした昔懐かしきお茶屋さん
次のパリでは行きたい処をイクコさんにあらかじめお知らせしておきましょう、、、。~~~~~~~~~~
(昨日は感激の夕食をとったのですが、まだブログを書けていません、、、)
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ある日のモンパルナス界隈のカフェ&ブラスリー
http://keico.exblog.jp/238451821/
2018-04-07T23:58:00+09:00
2018-04-10T03:53:32+09:00
2018-04-10T03:06:52+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
朝起きるのが愉しみ!
この季節はすばらしいですね〜〜〜!
日に日に新緑がまして借景のシデの木は彩りをましてくる。
二十四節季で<清明>、(暦便覧)によると、
万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也。
清浄明潔の略。地上に目を移せば、百花が咲き競う季節である。
帰国してからいつの間にか四日がたってしまった。
なにもしないままに日が過ぎてしまって、だらしなさにちょっと反省!
これではいけないと朝は起きて朝食を食べて、、、と頑張ってみるが、また横になってしまう。
これが時差かしら?今まで時差をあまり感じたことがないから、やはりこれも歳なのだろう。
今回のパリはカメラは三台持っていったのに、あまり写真を撮れなかったが、
それでも歩いているときとか車窓からとかもいつもレンズは動いていた。
ある日のモンパルナス界隈では、藤田嗣治の回顧展を皮切りに、彼の住んでいた家や、
そのアトリエを見ることができたし、なんと今回久し振りにあったピエールさんが、
若い頃に働いていたレストランに藤田とマムの社長がきていたこともわかって、
なんだか藤田を巡ることにもなった。
彼の住んだモンパルナス界隈にも数日車で行ってみることが出来た。
このあたりはパリのカフェブラッスリーの歴史が深いお店がいろいろある。
ルドーム、ラセレクト、ブラッスリードゥリラ、ラロトンド、ラクーポールなどなど、、、、。
もう一つの芸術家の界隈のモンマルトルの丘にもたってみたく、出発の日に向かったが、
車が混んでいて断念したのは少し残念。
旅の楽しみは帰ってからの写真の整理にもあるのかもしれない、、、。
車窓から撮ったモンパルナス界隈をボケボケだが何枚かアップしましょう、、、、。
Le Dome はフリュドゥメールとあるようにお魚が美味しいお店。横をまがるとルドームのお魚やさんがあり、一般の人も買うことが出来る。
(((旬の帆立貝や大きな鮭などが並んでいる、、、、)
(ラロトンド)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(夜のモンマルトルとクーポールの内部は2011年12月のブログから)
https://keico.exblog.jp/14138304/
今日の巴里 06 December 2011 Paris〜La Coupoleラ・クーポール
2011年12月6日 火曜日 その三
La Coupole ラ・クーポールは、モンパルナスのヴァヴァン交差点にあるブラッスリーで、
フジタやキキの時代のエコール・ド・パリの時代に、
パリで一番大きなブラッスリーとして賑わっている。(はじめは1927年)
多くの文人、画家、写真家たちの足跡が刻まれたこの界隈!
アール・デコ様式の内装で座席は500近くあるという。
お昼はフランス人が八割もしめるが、夜は八割が外国人というが、
それでも顔をみたことがある映画関係の人や集い、
三つ星レストランにはないシンパシーあふれるお店なのだ。
いつも混雑しているが、なんともいえない熱気に包まれていて、華やかな雰囲気があり、
昔は、日本からのお客様の接待のおりには時々いっていた。
(プラトーアンペリアルは豪華!) (まず下の段が置かれる、、、) (上の段は、、、、、、)
(このあたりは、いくつもおしゃれなブラッスリーがあって夜は遅いのです、、、)
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巴里の写真と動画を少し整理しましたが、、、、
http://keico.exblog.jp/238447861/
2018-04-05T23:59:00+09:00
2018-04-09T15:52:01+09:00
2018-04-08T03:07:00+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
今回巴里に着いたときもそうだった。
無理をしないにしようと思ったので、疲れを感じたらゆっくりと部屋ですごすようにしていた。
帰国してからもそんな感じ。
昔は帰ったらすぐにバゲッジの中身をいっきに片付けるのが常であったのに、今回はひとつづつ、
ゆっくりと淡々と、、、。書類は書類の場所に、お土産類はおみやげの場所に、
そしてチーズは冷蔵庫に、、、そしでまたベットでゆっくり、、、、。
大きなスーツケースのなかの衣類などは、三日をかけて着たものは順々に元の衣紋掛けに、、、
最後に残ったのももとのもどして、、、やっと少し片付いた。
今回はあまり写真が撮れなかった。
車で走っているときの車窓からのスナップと、
巴里前半に数時間歩いたチュイルリー公園からの夕焼けとセーヌ川の流れだけだった。
少しだけ整理ができたので、アップしておきましょう。
(180324pm631セーヌと夕陽)
(180324pm634セーヌと犬と)
(だいぶ水かさが増している、、、、)
(180324pm653セーヌと夕陽と観光船)
(180324pm658セーヌ河に船が行く)
(180324pm712セーヌと夕陽)
そしてほんの数分間のセーヌ河の流れと夕陽の動画も、久し振りのiMovieを使って
YOUTUBEにアップしてみましたが慣れないのでダブったりして長くなってしまいました。
セーヌ川の流れは動画にするとそのうごめきを楽しめるようです。
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/qQGq2BTG22U" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>
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(遡って)フランス十七日目は出発の日です、巴里よまたあう日まで!
http://keico.exblog.jp/238445970/
2018-04-02T23:58:00+09:00
2018-04-30T16:45:00+09:00
2018-04-07T02:43:52+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
(遡って、、、、)
午後二時には部屋をでなければならない。
零下三度の寒い日に着いて、その後の天気はワタシの体調にあわせたようにぐずぐずして、
今回はあまり太陽に恵まれなかった。
<晴れ女ケイコ>はいったいどうしてしまったのだろうか、、、、。
部屋をきれいにかたづけてチェックアウト。
お部屋も地の利もとてもよくて、ありがとうございました。
最後のお昼をイクコさんと隣のカフェでとった。
パリの物価はとても高く、ちょっとしたサラダ仕立てでグラスワインをとって
一人35ユール(五千円弱)くらいなのに、いつもカフェは一杯の人。
数軒先の魚河岸お茶屋さんが一年前にオープンしたお店のお茶漬けランチが13ユーロで
とても美味しかったが、今日は閉まっていて残念。ここはお持ち帰りのお弁当もしているので、
次回は重宝しそうな感じ、、、。
パリの北あたりを少し走ってもらって空港の道をとって五時少し前に到着。
最後のお茶を空港のPAULでして、チェックインカウンターへ。
いくこさんは最後まで送ってくださって、名残惜しくてウルウル、、、、。
ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました!
(なつかしきムーランルージュを車窓から、、、、何十年もまえにエールフランスとホテルメリディアンチェーンの合同イヴェントで、いくつもの催しをここでしたのは、昨日のことのようです)
昨日と今日は、テロの情報がながれていたようで、出国の手続きもかなり厳しく、
スカーフもジャケットも脱がされてボディーチェック。
パスポートコントロールの後は、時間はたっぷりあったが、目の前のデューティーフリーに入る元気もなく
JALのファーストクラスラウンジへ。今回もアップグレードで嬉しい!
ラウンジの受付で搭乗券を見せると、フランス人ホステスが、“ご案内します、
とオーヴァーナイトバックを持ってくれて先に歩いた。
十六席のソファーがあるコーナーで、どちらになさいますかと聞かれて右端奥にした。
彼女がオーヴァーナイトバックを置いたとたんに、それが倒れてわたしの右足脛を直撃。
う〜〜痛いと思ったが、まあ大丈夫だろうと、その時はそのままにしてしまった。
イイ事の後には必ず悪いことがおこるのは人生の常!
搭乗時間は八時ということで、その時間にお迎えにまいりますと、いうことだったので、
Macで少し遊んだ後についうとうとしてしまった。
(JALのカウンターでは、イースターのお菓子をいただいた)
(ルーヴル美術館でみつけた書類フォルダーはMacブック13インチのピッタリなの!)
気がついたら八時をとっくにすぎていて、急いでK45番の搭乗口へ。近くてよかった。
八時十五分搭乗。ゴトゴトゴトと長いランウェイの後に、気持ちよく離陸。
左旋回で遠くのエッフェル塔が見えていた。
さようならパリ、又あう日まで!
(今日のシャンパンは、ポールジェのウインストンチャーチル2013年を選んだが、、、、)
(おつまみは蛸のマリネ、、、)
たんたんとしゅっぱつしてから十七日は少し長かったが、ただ淡々とすごした日もあったが
それはそれは充実した日々であった。
イクコさんという聞き手がいらしてくれたお陰で、昔むかしのパリの思い出を
思いっきり話すことができて、まさに<回想の巴里>。
そして新しいパリの発見もあって、次の希望の光がいくつもみえてきた。
(am4:07)
そしていま、たんたんとパリを離れて日本に向かっている。
機内は八席のうち乗客は私一人で、ゆったりとした帰国の便。
足のけがの臨時の治療をしていただき、隣の席にベットを造ってくださり少しうとうとした。
今は機内でWi−Fiがいつも使えるので、フランスでお世話になった方々へのお礼のメールをいれたりして
機内の一時をすごした。
離陸後30分ほど後の夕食。
佐藤伸ちゃんの機内のフレンチをいただいてみたかったが、
今日は彼の担当ではないようなので、日本食を選んだ。
どこで日付け変更線をこえるのだろうか、、、、それをiPadはどんなふうに対応するのだろうかと、
オンにしておいたが、わからずに時がすぎてしまった。
不思議だ、、、、こうしている間にも時間が流れて、西から東へ飛んで、また淡々と日本に帰っていくのだ!
なにもしがらみがなくなった、その頃には飛行時間がもっと短くなっているだろうから、
パリが恋しくなったら飛行機に乗りパリで数日数十日をすごし、
日本に帰りたくなったら、また飛行機にのって母国に帰る、、、。
友達が病気になったらお見舞いにパリまで飛んで一緒にしばらく時をすごす、、、
というようなことが出来る時代になるかもしれない。
でもそのずっと先は哀しい時もやってくるのかもしれないが、、、、。
でも、そんな時代がくるまで永く生きていてみたいな、、、とふと思ってしまう、、、。
(am1:06)
(パリ時間1:42 朝焼けの空が美しくなりはじめた、、、、)
(だんだんと明けてくる、、、、)
朝焼けがきれいだった。
暗い空が藍色になり、赤い色が空と雲のあいだにうごめき始めた。
新しい一日の始まりなのだ!
時はいやおうなく一日一日を刻んでしまうのだ、、、、。
(am4:08、、、、刻々と時は流れて、、、、、)
着陸予定が早まっての朝食は午前六時。
ヴィシソワーズとリゾットのあとに果物の盛り合わせ。
どれも美味しくいただいて旅の最後のなりました。
(パリ時間のpm6:41 )
フライトは一時間も到着時間が早くなって二時四十分着とのこと。
フライト時間が十一時間五十五分>>十時間五十五分だった。
フライトスケジュールは半年に一度かわり、今回は3月29日からのようで、
その前後は少し誤差がでるのだという。
永くもあっというまの四年ぶりのフンスへの旅は終わりを迎えています。
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パック復活祭イースターのフランス十六日目はルーヴル美術館へ
http://keico.exblog.jp/238444007/
2018-04-01T23:59:00+09:00
2018-04-07T02:50:23+09:00
2018-04-06T01:54:18+09:00
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♪Journey海外2018PAR巴里
(遡って、、、、)
イースターのパリは朝からテレビで各地の御ミサのライブ中継が行われていた。
ポワソンダヴリル=エイプリルフールはどこかにいってしまったよう。
あと二十四時間でフランスを発つことになったと思うとなんだかふと力がぬけてくる。
今回の旅は淡々と発ったが、次々とすることができて多忙な旅となった。
そして回想のパリの旅となった。
体調のことも考えて、今回はイクコさんにフルアテンドをお願いした。
昔むかしは、お客様のアテンドをしたこともある身が、
今はこうしてお手伝いいただく歳になってしまったのだ。
彼女はその上プロのなかのプロ。
フランス政府公認のガイドの免許ももっているし、運転も最高に上手。
自分の立場をわきまえていて、気が利いても、出しゃばらずに空気を読んでくれる。
なかなかこいう人は少ない。
すっかりいろいろお任せして、ワタシはたんたんとフランスでの仕事をこなして、またパリに戻ってきた。
彼女の本領のガイドで美術館を巡りたくて、
「パリ・ミュージアム・パス」を購入してもらってあったのだが、まだ一度も使っていなかった。
シリチャンに今日のお天気をきいてみたら、雨はふらないよう、、、。
出発の支度を少しすませてから、午後に宿を飛び出した。
サントノレ通りを渡りリヴォリ通りを渡れば、そこがルーヴル美術館なのだから行かない手はない!
リボリ通りからも入館できるのだが、庭を少しあるいてカルーゼルの凱旋門をくぐって
ガラスのピラミッドから入ってみた。
日曜日の午後で、それはそれは混みあっていた、、、、。
ルーヴル美術館は広いので、まずは腹ごしらえ?レストランに入って一人飯。
イースターなので、サラダと玉子が入ったお料理をお願いしてゆっくりと時をすごした。
ドゥノン翼の一階から入り右に曲がると向こうにみえるは<サモトラケの ニケ>
ギリシアのサモトラキ島の神殿で出土したサモトラケの ニケは、
ヘレニズム時代のギリシア彫刻の比類なき傑作。
この翼のある大きな勝利の女神は大好きで、ルーヴル美術館に行くときは
必ずまずこの階段を昇ることにしている。
まず15段、さらに18段、そして最後の12段の階段を上ってニケに面会!
台座を含めると六メートル弱の女神像!
石をそ〜と触ってみて、“こんにちはお久しぶりです!
数段昇り、右の部屋からイタリア美術の棟に入って、まずはボッティチェッリ。
(180401pm350ルーヴルボッティチェッリ)
ずらりと名画が並んでいて、、、くらくらするのはこのあたりから。
モナリザの部屋は新しくできていて、すごい人、人、、、、、人。
押されるままに進み、そしてぐるりと廻って右の方に出されてしまった。
(この見張りのオジサンが怖い!)
180401pm355ルーヴルモナリザ
180401pm355ルーヴルモナリザ3
180401pm355ルーヴルモナリザ4
その裏には、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作がさりげなく壁にかけられていて、なんだか不思議!
小さい頃に美術書でしか見られなかった名画の数々が、手を伸ばせばさわれる距離にあるのだから、、、、。
180401pm355ルーヴルモナリザ裏のダヴィンチ
これ以上歩くとまた足がいたくなると判断して、三時間半の名画鑑賞に終止符をうった。
ニンテンドー3DSのオーディオガイドやルーブル美術館オーディオガイドもあるが、
次はイクコさんの説明で専門家の話を聴きながら、名画の旅をしてみたい。
フランスで迎えたエイプリルフールと復活祭。
子供の頃に父や母と遊んだ<四月馬鹿>のことを思い出しながら、最後のパリの午後を独り歩いた。
街は子供連れが多く、甘栗売りや、街頭芸人で賑わっていた。
次はいつになるのだろう、、、ふと母と歩いたシャンゼリゼ通りに行ってみたくなったが、
無理はしないにしよう、、、、。
宿に帰って旅の思い出に少し酔って、、、、の最後のパリでした。
(180401pm511ルーヴルの甘栗や)
(180401pm511ルーヴルわきの人形遣い)
〜〜〜〜〜〜
写真の整理ができていない、、、、
180401pm355ルーヴルドラクロワ
180401pm355ルーヴルモナリザ裏2のダヴィンチ
180401pm505ルーヴルカフェマルリー
~~~~~~~~~
パリ最後の夕食は、近くのカフェでジャンヌダルクの金の銅像をみながらの独りめし。
今回の旅は、新しい事も沢山ありましたが、回想のパリとなったように思います。
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元ランブロワジーのメートルドテル&ディレクターソムリエのピエール ル ムラックと再会して
http://keico.exblog.jp/238440193/
2018-03-31T23:58:00+09:00
2020-05-25T14:12:02+09:00
2018-04-04T04:54:01+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
残すところあと二日、四十八時間となった。
仕事は終わったが、早い飛行機がとれすにパリ滞在がのびている。
午後にパリの街を少し走っていただいてマレー地区あたりまで出かけてみた。
(プラス ドゥ ヴォージュのレストラン ランブロワーはなつかしいですね〜〜〜!)
(このお茶屋さんのお紅茶はとても美味!)
()
(帰りはオペラ界隈を通って、、、車窓から)
明日の復活祭と翌日は<ランディーパック>でお店がほとんどおやすみのことがわかって、
午後から頼んであったチーズやさんとお茶屋さんへ。
久田惠理さんが十年ほどまえから一区のRue de Richelieuにオープンしたチーズ専門店
<Fromagerie HISADA Paris>は本当にすばらしい。
先週に行って、三十ヶ月のコンテやブリやブルー、そしてトリュフバターやパスタリゼしていない
バターをお願いしてあった。
真空パックをしてくださってチーズの名前も上に書いておいてくださったので、
帰国してのチーズ好きな友達の喜ぶ顔が眼にうかぶ。
夜はピエール ル ムラック、元ランブロワジーのメートルドテル&ディレクターソムリエをお招きして
Restaurant TOYOへ。
https://www.restaurant-toyo.com
イクコさんが先週連れて行ってくださっていて、ワタシももうすっかりのお気に入りになっている。
https://keico.exblog.jp/238422216/
2018年3月23日 金曜日 パリ七日目 曇りのち小雨
パリ七日目は、モンパルナス界隈から昔のアパルトマンへ
(車窓の角はモンマルトルの有名なカフェのラ・ロトンド)
(向こうの角はル・ドーム、いずれもモジリアーニやフジタたち画家がいつも通っていたカフェだ)
七時半に現地で待ち合わせて、私たちは五分遅れたのだが、店に入らずに外に立っていらした。
“ボンジュール、、、久し振り〜〜〜、
“お互いに年をとりましたね、、、、
“幾つになりましたかね、、、
“もう七十をすぎましたね、、、、
ピエールオジサンとはもう三十数年の仲良し! (ピエール ル ムラック Pierre le Moullac)
彼がまだ<ル コキーユ>というレストランにに居た頃からだから、いや四十年前になるのだろうか?
(そのころは今のランブロワジーのベルナールパコーさんも一緒だったのだ)
奥の三席をとっておいてくださったので、ゆっくりとお話しができて時がたっていった。
日本式のカウンターでのフランス料理は初めてのようで、一つ一つ静かに質問しながら愉しんでくださった。
嬉しいな楽しいな、、、、!
(オーナーシェフのとよさんは、東京店オープンで日本へ。スーシェフのイズミさんが繊細がお料理をつくってくださいました)
今回パリでフジタの回顧展を見た話をしたら、
なんと彼はル コキーユの時代に、最晩年の藤田嗣治とあっているというのだ!
“え〜〜? いつ?
“若い女性とシャンパン「マム」の社主のルネ・ラルーと一緒でしたよ、、、
「マム」が最晩年のフジタを応援して、ランスにシャペルフジタを造ったのはフジタが亡くなるほんの
数年前だから(フジタが亡くなったのは1968年) 、ピエールさんが十代の後半?
その頃ベルナール・パコーさんさんが<ルバロア>から<ル コキーユ>に来て一緒に仕事をして、
パコーさんが「ランブロワジー」オープンした1981年にはピエールさんも一緒にいったのだ。
若い頃は皆んないうにいわれぬ苦労をしていたのだ。
ブルターニュから出てきたピエールさんの最初のパリの部屋は、
手を伸ばすと端から端まで届いてしまうようだったと聞いたことがある。
そんなふうに皆んなフランス料理の歴史の一部をになっていたのだ。
その彼も本当に歳をとってしまった!
家族ぐるみのおつき合いをした数少ないフランス人で、最高に信頼できる人!
近くのメトロまで送るといっても、数分歩いて帰るからと、
再会を約してモンパルナスの闇に消えていった後ろ姿は映画の一コマのようだった。
ここでもまた回想のパリとなったのでした。
https://keico.exblog.jp/238422254/
2018年3月22日 木曜日 晴れ パリ六日目は、<Foujita les années folles>と題された大回顧展
藤田嗣治の没後五十年記念の大回顧展を鑑賞することができた
藤田 嗣治
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤田嗣治
〜〜〜〜〜〜〜〜
https://keico.exblog.jp/237133097/
ピエール(Pierre le Moullac)と伯爵とやすひろさんのこと。
more>>>ブログ内ピエールのこといろいろ
https://keico.exblog.jp/2399470/
https://keico.exblog.jp/2473245/
https://keico.exblog.jp/2401355/
https://keico.exblog.jp/23862717/
https://keico.exblog.jp/7752929/
https://keico.exblog.jp/22615401/
https://keico.exblog.jp/22214824/
https://keico.exblog.jp/14162419/
https://keico.exblog.jp/21336778/
https://keico.exblog.jp/5703002/
https://keico.exblog.jp/7171924/
https://keico.exblog.jp/13799497/
https://keico.exblog.jp/7775435/
https://keico.exblog.jp/13224030/
https://keico.exblog.jp/16999025/
https://keico.exblog.jp/14176904/
https://keico.exblog.jp/14339545/
https://keico.exblog.jp/14109827/
https://keico.exblog.jp/7217551/
https://keico.exblog.jp/19976209/
https://keico.exblog.jp/9608331/
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少しゆっくりできて夜は久し振りの<パサージュ53>へ
http://keico.exblog.jp/238437207/
2018-03-30T23:58:00+09:00
2018-04-02T17:26:44+09:00
2018-04-02T17:26:44+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
さすがに疲労困憊。
母と話したら、今の若い人はすぐ疲れたって言うのね、、、と、言われてしまったが、
ワタシはもう若くないのです!
午前中に写真の整理や書類の整理。ブログも少し更新できて、午後をゆっくりできた。
何もしないパリはもったいないとも思うも、それはそれで<ワタシの巴里>で良いとしましょう、、、。
今夜は、ジュンコさんに予約していただき、イクコさんと<パサージュ53>へ。
今回もまたショートポーションのムニュ・デギュスタシオンで、
すべてのお料理が実にレベルが高く、席がとれないのはもっとも。
(出たばかりのロワールのグリーンアスパラとモリーユ茸が豪華に!)
(ワインは珍しい造り手のムルソー! なかなかでした)
オーナーシェフの佐藤伸さんも出てきてくださって、
お料理のことワインのことなどいろいろお話しできた。
(リノヴェーションなさったそうで、さらにシンプルなあつらえに、ハイセンスなお花が映えていました)
オープンして一年でミシュランの一つ星、翌年には二つ星になってパリっ子を魅了している
十八席のこがらなお店。(JALの機内食のファーストクラスのフランス料理も担当なさっている)
もう何年も前からパリでミシュランの☆をとっているほとんどのレストランには
スーシェフとして日本人が活躍しているそう。
この十年にもいくつものフレンチも日本食もオープンしているが、今回はあまり行かれなかったし、
もう新しいお店を開拓しなくとも、行きつけの気心がわかったお店があればいい、、、。
そんな思いのパリでした。
(パリにはパッサージュと呼ばれる、こんな感じの通りがいくつもあるのです)
パサージュ53前回は、
https://keico.exblog.jp/20510911/
雨のパリはストライキで混雑、でもディナーは豪華にいただきました!
2014年12月10日 水曜日 風強し、、、雨
レストランに行くときに初めてユーバーを使ってみた。
カードでの前決済なので、チップをあまり考える必要もなく、下りたら評価をするので、
イヤな思いはしないという。
入力して数分できてしまうというこの新しいタクシーシステムのお陰で
、なかなか拾えなかったパリのタクシーも容易になり、また運転手さんも親切になったという。
日本ではどうなのだろうか、、、、。
さあ、あと残すは二泊。
今回の旅に思い残すことがないようにしたいね、、、
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ポンロワイヤルで水かさが増しているセーヌ川を渡ってパリの左岸までお散歩
http://keico.exblog.jp/238424125/
2018-03-24T23:58:00+09:00
2018-04-11T00:55:32+09:00
2018-03-27T08:22:57+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
(いよいよブログが追いつかなくなって、メモだけて詳しいことと写真は帰国してからになってしまいそう)
夕方に一人で自分の足で初めてチュイルリー公園を越えて、水かさが増しているセーヌ川を渡って
右岸から左岸へ歩いた。
ポンロワイヤルの下を通る観光船に手を振りながら動画を撮って愉しんだ。
(宿のエレヴェーターは映画の中の世界!)
さあ、明日からは仕事モードに切り替えなければいけない。
ガンバッテ行きましょう、、、と励まされて、、、。
(大相撲 鶴竜が四度目の優勝の知らせが東京のツレアイから入った)
(その他の写真は帰国してからのなるでしょう、、、、)
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藤田嗣治の没後五十年記念の大回顧展を鑑賞することができた
http://keico.exblog.jp/238422254/
2018-03-23T23:59:00+09:00
2018-04-11T02:25:54+09:00
2018-03-26T10:02:58+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
藤田嗣治の没後五十年を記念して、マイヨール美術館ではじまったばかりの
<Foujita les années folles>と題された大回顧展を鑑賞することができた。
レオナール・フジタは1886年生まれで1968年に没、
フジタが活躍した1920年代の作品を中心に、約100点の作品が公開されていたが、
その多くは初めて観るすばらしい作品だった。
1913年にパリに渡り、モンパルナスに集った前衛芸術家のグループの一人として活躍したフジタは、
その才能がパリで花開き、日本画の技術を取り入れた独特の画風がパリでセンセーションを起こしたのだ。
乳白色の裸像の数々や、金色の背景に浮かびあがる細長い少女たちなどなど、、、、
ピカソやモディリアーニ、ブランクーシなどと同じ時代を過ごした日本人画家の
初期から終末への記録が見事に回顧されていた。
貧しかった時代をへて、1922年頃からは名声を裕福になり、肖像画の仕事もひっきりなしに入って
時代の寵児になっていったそうです。
その頃の時代(二つの戦争の間で平穏であると共に、どこかそれを通り越して、
皆が浮かれ饗宴を繰り広げていた)をパリは<Les années folles>といわれている。
展覧会では当時の新聞記事やフィルム、写真(アンドレ・ケルテスによる写真など)、
その時代を知ることができる多くの資料と共に、また画材なども展示されていて、
その上その時代の動画は実におもしろかった。
最終章の一部屋の壁を埋めた四つの部分から成る三メートル四方の「Big Compositions」は、
カタログでも観たことがなかった作品で、しばし立ちつくしてしまった。
尊敬したとされるミケランジェロ、ロダンなどに捧げられた作品ということで、
その独特のヌードが描かれている大作。
そして最後に日本画の一曲の屏風に、彼の日本人の原点を見たようなきがした。
ミュゼが建つのは、パリ七区のセーヴル・バビロン地区グルネル通りで、
「ボン・マルシェ」をはじめ、老舗のブティックやショコラトリーが多い街。
マイヨール美術館となっているので、最初にマイヨールの作品の数々を鑑賞してから一階に下りて
フジタの大開個展を鑑賞。
外にでてリュードゥバックの古いショコラトリーでいただいたショコラの美味しさ!
そこで、フランス国公認ガイドの資格をもつ森本育子さんから、
その後のフジタの波瀾万丈の生き様のいろいろを聞くことができた。
中国へ従軍画家としての仕事時代、さらに第二次大戦が始まり日本に帰らざるを得なくなった時代。
そして再びパリに戻ったのは1949年だったのだそう。フジタ六十三歳の時。
その後はフランスに帰化、カトリックの洗礼をランスの大聖堂で行った。
最晩年にはシャンパンメーカーのマムとテタンジェの後援をいただいて、
あの動かせない大作<シャペルフジタの内装>を描ききった。
亡くなったのはチューリッヒの病院だったが、
今は洗礼を受けたその地のシャペルフジタの敷地内に眠っている。
ワタシは1998年にエールフランスの機内誌<ボンヴォワヤージュ>の取材でその地ランスで、
その両社とも訪れて取材させていただき、シャペルフジタの内部の写真も撮り記事を書いたことがある。
その写真は年賀状などにも使ったし、
偶然にも、その一枚はこのMacのデスクトップにいつもあるので、アップしておこう。
(ランスのシャペルフジタの内部。藤田嗣治最晩年の力作のフレスコ画で覆い尽くされている小さな祈りのシャペルの正面)
https://keico.exblog.jp/11307720/
2010年9月19日 日曜日 晴れ
<煌めきのシャンパーニュ> ヴァンダンジュの秋を行く
この日は、まだおまけがついて、そのフジタのあトリエだったシテファルギエールを訪れることができなのだ。
(回顧展は写真撮影はオーケーだったので、作品も動画も沢山撮っているし、
もっと書きたいことは沢山あるが、それは帰国したからになるだろう)
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パリ七日目は、モンパルナス界隈から昔のアパルトマンへ
http://keico.exblog.jp/238422216/
2018-03-23T23:58:00+09:00
2018-04-11T00:56:45+09:00
2018-03-26T09:34:44+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
(いよいよブログが追いつかなくなって、メモだけて詳しいことと写真は
帰国してからになってしまいそう)
午後からモンパルナス界隈へ。クーポール、ドーム、セレクトなどの老舗のカフェが並ぶ界隈。
昨日の藤田嗣治の没後五十年<Foujita les années folles>と題された大回顧展に続いて、
今日は1917〜1924年住み仕事をしていた場所を訪れることができた。(photo)
ドームの隣のカフェで昔のパリ、四十数年まえの仕事をしていた頃の事をいろいろ思い出して、
イクコさんに語ってしまった。
今回もまた回想のパリになりそうだ。
(photo)
(画家フジタはこの建物の中で1917〜1924年住み仕事をしていたとある)
そして昔住んでいたブシコ-通りへ車をつけていただき、
角の花屋さんでいつものようにチューリップを買って、またまた昔を思いだし、、、。
郷愁のパリだけでなく、これからのワタシの巴里をみつけなければならないような気がするのに、、、。
一度、車をヴォージュ広場に向かっていただき、ランブロワジーにご挨拶。
途中で、バゲットフランス一番というお店でパンを買って、、、、。
夜は、三年前にオープンしたTOYOという今評判のレストランへ。
高田賢三のお抱えシェフだった中山豊光さんが開いた評判の店。
白木の十四席のカウンターを個室の素敵なお店。
シェフは日本店オープンのために帰国中だったが、スーシェフのイズミさんとソムリエの敬くん、
日本人が創るフランス料理にしたづつみをうったのでした。
(その他の写真は帰国してからのなるでしょう、、、、)
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パリ五日目はサンロック教会近くの日本茶のお茶やさんでお抹茶をいただきました。
http://keico.exblog.jp/238420011/
2018-03-21T23:58:00+09:00
2018-04-11T00:57:53+09:00
2018-03-25T07:52:02+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
今朝も朝から青空になった。窓をあけてみたが未だ寒い。
今日は何も予定をいれでいなかったので、お昼過ぎまでゆっくり出来た。
今回は体調いまいちでの出発だったし、なにかぎゅっと拳をにぎる元気もないので、
あるがままにパリにいよう、、、と思っていた。
幸い気をつかう四つ星ホテルでもなく、友人の知人の貸しアパルトマンなので、我が家にいる感じで、
異邦人エトランジェではなく、久し振りのパリジェンヌでいたいな、、、って考えていた。
それでも三年三ヶ月ぶりのパリはいろいろと変わっていて目から鱗!
ル タン パス ヴィットなのだ。
明日のストライキのニュースの前にこのあたりはすでに何かかがおかしくなっていて、
昨夜からネットがおかしいと思っていたら、朝からネットが完全におかしい。固定電話もテレビもダメ。
昨日からおかしかったので悪戦苦闘していたが、どうやらこの地区全てがダメということがお昼頃にわかった。
テレビのニュースも聞けないし、ネットニュースもみられない。
今日の天気予報とシリちゃんに訪ねることもできない。
ずっぽりとWeb社会の恩恵を受けている身がなんだかおかしくなるほどだ。
熱もさがったようなので、午後遅くに近所の出かけてみた。
サンロック教会を通り、パン屋さんで明日の朝のパンを買って、花屋を探して、ふと二本目を右に曲がってみた。
(教会の上の空も青く、、、、)
花屋のお兄さんがお花作りに精を出していて中にはいってみたが、中リップもアネモネもなく、
あまり感じが良くなかったのですぐでてしまって、あら、、目の前に茶 宗円の看板が。
そっと扉を押して入ったら、とても感じの良い女性がおうたいしてくださった。
とても高い椅子が四脚あって、よっこいしょとようやく座ってからお話しをうかがった。
どうやら、煎茶の祖といわれている永谷宗円さんの子孫が始められたパリのお店のようで、
いろいろお茶の説明をしてくださった。
そのあとはお抹茶と手作りのお菓子をいただいて、部屋のネットがこわれていることをお話ししたら、
Wi-Fiもつかわせていただけて二時をゆっくりとすごせたのでした。
(窓際に置かれた茶釜からお作法にのっとった手さばきでお湯をくみお茶を点ててくださった)
帰りに別のお花やさんで、紫のヒヤシンスをかって帰宿。
(とても感じのいいマダムでした)
部屋がいっぺんに春らしくなりました。
パリジェンヌ五日目の記録です。
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ようやく青空がでたパリ滞在四日目は友人達と会えて嬉しい〜〜〜!
http://keico.exblog.jp/238419757/
2018-03-20T23:58:00+09:00
2018-03-25T06:57:14+09:00
2018-03-25T01:37:19+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
(ネット環境が悪くて、遅れに遅れて、パリ四日目の記録です)
パリについて初めて青空が出た〜〜〜!
部屋は四方にベランダと窓があるのに、全部建物の谷間で、
机に座っていてわずかにでも空が見えるのは一個所だけ。
その窓が東側とわかったのは着いて四日目の今日!
建物の後ろに太陽が昇ってきたのだ、、、、不思議な感覚だった。
(でもやがて雲がでてきてしまった)
昨日ギャラリーラファイエットで買ったバナナとオレンジで軽い朝食をすませた。
十二時半にイクコさんがジョインして広場の脇のタクシー乗り場へ。
昔はタクシーを待つのが時間がかかったが、今はユーバー時代となってタクシーを見つけるのが簡単になった。
初めてセーヌ川を渡って左岸のサンジェルマン地区、オデオンの後ろの通りのイタリアン<カーサビーニ>へ。
知る人ぞしるパリでも美味しいイタリアン。
ヤスヒロさんとサンドリーヌがすでに着いていて
“お久しぶりです〜〜〜”
パリに住む友人画家で、彼が十代から親しくしていたから、もう四十数年になる。
お互いに歳をとるはずだ。
まずはコチのカルパッチョから、次はポモドーロのパスタ。
ワインはお店のキャラフの白。そしてデザートはフルーツサラダ。
小さい頃の事故でハンディキャップがあるのに、まったく健常者と変わらない会話が続く。
日本語だけならともかく、フランス人の友達ともちゃんとお話しができているから、
ほんとうに不思議な美しい姿!
Casa Biniは、フィレンツェのアンナ・ビーニが二十年前にパリ六区rueGrégoirede Tours通りにオープンした
イタリアンで、瞬く間に人気になったという。
一階と中二階と二階があり、いつも満席。
細い道だが、夏には小さいながらテラス席で太陽を浴びながら上質でおいしい料理を楽しむことができる。
トスカーナ風のインテリア、食器も素敵、もちろんお味は最高!
ゆっくりと二時をすごして、少し歩いてティーサロンへ。
ここは数年前まで和菓子のお店だったそうで、今はアイスクリーム屋さんのようだ。
何十ものお茶のリストがあり、ワタシは<AMOUR>というなのお紅茶をいただいた。
清潔な店内で、またいろいろお話しに花がさいたのでした。
次の約束があるので、四時過ぎに再会を約してオデオンの角でお別れ。
一度部屋に帰って、雨上がりの道をオペラ通りを横切ってサンタンヌ通りの友人のお店へ。
パリで生きている日本女性は沢山いるが、彼女もその一人。
1970年代中頃にパリにきて、幾多の苦労を重ねながらも、今は美術界で成功している希有な日本女性。
メートルと呼ばれるほどの実力者となっていてい、今は長男のアキミちゃんがその元で修行をしている。
彼が生まれた頃からのおつきあいなので、もう三十五年になるのだ。
積もる話はその頃のパリのことが多く、どうやら今日も<回想の巴里>になった感じ。
お店が終わって一緒にリシュリュー通りの日本人のチーズのお店<ひさだ>さんへ。
三十年もののコンテ、熟れ加減最高のブリ、干しぶどうなどを買って彼女の新居へ。
(春になると白い木蓮が咲く木々の上には三日月が笑っていた、、、、)
(このパッサージュの同じ場所で二十年前にこのような写真を撮ったことがある)
巴里で一番美しいといわれるプラスパレロワイヤルの回廊を通って下の道へおりへ、
ギャルリー・ヴェロ・ドダを抜けて、ルーヴル宮の脇にでて、少し歩いた処が今度の新居。
どこかで夕食のまえに、まずはシャンパンとおつまみで乾杯ということだったのに、
結局いろいろの思い出話しに花がさいて、遅くまで話しこんでしまったのです。
こんなパリの宴もなんともありがたく素敵です!
夜のルーヴル通りを十数分歩いて家についたのは、真夜中でした。
ありがとうございました。
パリに住む男性画家と女性美術家、そしてフランス政府公認ガイドの資格を持つ女性のそれぞれの
<異国>での活躍をほんとうに嬉しく思える一日でした。
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パリ三日目はサンテグジュペリ伯爵がベルジュラックから上京してくださって
http://keico.exblog.jp/238416268/
2018-03-19T23:58:00+09:00
2019-12-24T01:26:12+09:00
2018-03-23T08:14:36+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
(ネット環境が悪くて、四日遅れになってしまいましたが、パリ三日目の記録です)
今朝も零下一度の予想。
今回のパリは少しゆっくりしたいので、あまり予定はいれていない。
ほんのいくつかのマストが終わればあとは自由の身?
つらつら考えてみたら、八日もパリにいられるのは、何十年ぶりかもしれない。
前世紀にだってなかったろう、、、いつも仕事を終えるとすぐに日本へ発ち、また次の仕事でアメリカとか
アジアの国での会議に数日でかけてと、そんなタイトがスケジュールのあいまのほんの数泊のパリだった。
きっと今後もこんな自由な一週間はもうやってこないだろなと思うと、本当ならあっちへいったりこっちへ
いったりしたいのかもしれないが、それも切迫感が全然ない。
いくつかの美術館とレストランにいってみたいが、それも今日でなくても良いように思えてしまう。
まあ、、、いいか、、、。
朝早くに日本からもってきているラクラクフォンの聞き慣れない音がした。
どうやらショートメールが入ったようだ。
なんと、サンテグジュペリ伯爵から!
“今パリに向かっている電車からです、、、、今日のお夕食は大丈夫ですか?
おっほ〜嬉しい驚き〜〜〜〜!
日本を出る前に今回パリに一週間ほどいることをお知らせしてあったので、
週の初めにパリでお目にかかれるかもしれないとは思っていたが、
さいそくするのも気が引けてそのままになっていた。
ショートメールは使ったことがないワタシが返事を書いた。
それも日本語入力で英語変換をなんとかして、
たどたどしい返事を書いた。
場所と時間の確認ができて、彼の最後のメッセージも、see you tonight at 8.と短く、
おそらく伯爵も慣れないことをなさっていらしたのだろう。
フランソワ=クサヴィエ・ド・サン=テグジュペリ伯爵
Comte FX de Saint-Exupéryと知り合いになったのは1997年のことだった。
エールフランスの機内誌の取材で訪れたペリゴール地方の名人とワイナリーの取材で、
ラスコーの壁画などの後に訪れたのが、
ベルジュラックにほど近いシャトー・ドゥ・ティルガンだった。
アペラシオンがペシャルマンというのは、今でもあまり知名度がないが、
そのことは全然知らなかった。
訪れた館は十七世紀からの壮大な敷地のなかに建つ少し古びれたシャトーだった。
葡萄畑や野菜畑、ワイン倉も訪れて試飲もさせていただいた。
その時の取材記事は、エールフランスの機内誌ボンヴォワヤージュ<BON VOYAGE>の
1998年秋号に五ページにわたって掲載された。
フォトジャーナリスト 片桐敬子が生まれてまだまもない頃だった。
その後たってのご依頼でシャトー・ドゥ・ティルガンのワインを
ぼちぼち日本にご紹介することになったのだ。
https://keico.exblog.jp/12577186/
2011年10月14日 金曜日 曇り後雨〜
フォアグラとトリュフの国のワイナリー 〜ドルドーニュとロットの流域〜
==============================================================
===============================================================================
ドルドーニュ、ペリゴールは、フランス南西部の歴史的地方。
リムーザンと接する北東部の古代の結晶岩台地や南西部の肥沃なドルドーニュ川の段丘地帯など周辺を除けば,
大部分が第三紀の石灰岩の低い台地からなり, ドルドーニュ川とその支流ドロンヌ川,イル川がそれを刻んでいる。==============================================================================
それから八年たった2005年の一月に、編集長の菊池さんのご尽力で日仏会館の企画で、
エールフランスの機内誌<BON VOYAGE>を土台にした写真展が、
毎年一月に行われることになった。
その最初の展覧会に、フランス文化の礎になるペリゴール地方をとりあげることに
最終に決まったのは前年の晩秋のころ。
それからの一ヶ月半はその準備で忙殺されることになった。
写真を選び、プリントは奈良の岡村印刷の社長が、
新しいドラムプリンターのシステムで大きくして下さった。
パネルにして展示するのはアオヤマさんがすべてしてくださった。
普通の写真展ではものたりないと考えた私たちは、
フランス史の原点とも言えるこの地方の文化を紹介する<日仏交流の夕べ>を企画した。
三週間の写真展の最後段階で大きなレセプションをすることにして、
伯爵にいらしていただくことになった。
さあ〜〜大変、いい加減なことは許されない。
かくしてその間だワタシは、招待状つくり、プレスリリーズ、
当日のしつらえなど全ての準備にあけくれた。
https://keico.exblog.jp/1470215/
2004.12.24
ようやく写真展の案内ができた。
写真展の折りに創ったこの地方の説明と地図
写真展には多くの方がいらしてくださり、最終日のレセプションも大成功で、
写真はその夜の内に
奈良へ運ばれて、次の奈良日仏協会での会へと発展したのだった。
https://keico.exblog.jp/1586550/
満月にフランスより着きし王子様(サンテグジュペリ伯爵)
2005.01.25
https://keico.exblog.jp/1602681/
2005.01.30
サンテグジュペリ伯爵をお招きして奈良での写真展
その後、京都をご案内して、祇園での夜、翌日京都は雪となり、
雪の龍安寺と金閣をお見せすることができたのでした。
https://keico.exblog.jp/1621298/
2005.02.02 サンテグジュペリ伯爵、京都で最期の日に
雪の金閣寺と竜安寺石庭
(その頃の事はブログに少しだけ書いたのが残っている)
今日の待ち合わせは八時にプラスドゥテルヌの魚料理のお店。
友人が呼んでくれたウージェーというタクシーシステムで来た車は
なんと真っ白なアルファロメオ!で、ステキな男性がショファー!
八時ぴったりに着いたら、エントランスで伯爵が出迎えてくださった。
“お久しぶりです〜〜〜”
“オンネヴィエイェ ツーレドゥー” お互いに年をとりましたね。
といったら、“いえ貴女は少しも変わりませんよ、、、、”と。
フランス人だ〜〜〜!
{メニューを選ばれる伯爵)
日本でののお客様のこと、お隣の食品会社の社長のヤマザキさんもお気に召して
くださっていることなどの報告のあとは、積もる話に花がさき、、、、
伯爵のご家族のこと、昔の日本滞在の思い出、パリで行われている展覧会のことなどなど
、、、など話はつきないのでした。
そして2005年のレセプションにお招きした方のお子さんが
毎年のように伯爵のお城を訪ねているようで、
どなたかはわからなかったが、日仏交流の夕べを催したワタシはとても嬉しくなったのでした。
牡蠣のあとはコキーユサンジャック、
伯爵が選んでくださった、ムルソーシャルム2013はなんとも美味!
明日はまた早く汽車でベルジュラックまだ帰られるという。
最後の記念写真を撮って、なごりを惜しんだのでした。
ほんとうに有り難いことでした。
(おみやげにいただいた手作りのキーフォルダーとプティプランスの元本)
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ネット環境が悪くて、五日遅れになってしまいましたが、パリ二日目の記録です
http://keico.exblog.jp/238415666/
2018-03-18T23:58:00+09:00
2018-03-25T07:01:45+09:00
2018-03-22T22:07:19+09:00
pretty-bacchus
♪Journey海外2018PAR巴里
(写真の説明はあとから、、、、)
雨の音で眼が覚めた。午前七時。
すでにオートマティックにパリ時間になっているIpadのシリチャンに聞いてみた。
“シリチャンおはよう、今日のお天気は?”
“今日は寒い一日でしょう、、、。
画面をみると、零下三度!
起きてみたらなんと昨夜はあのまま雪だったよう、、、。
初めての部屋の初めての夜はやはり少し不安だった、、、。
三月のパリなのに、まるで真冬の巴里のようだ。
今日のパリは冷蔵庫の中より寒いだろうという予報。
アパルトマンの暖房は十分ではない。
エントランスを入って右側の高いところに温度計が立て掛けてあるのでみたらなんと17度。
これでは寒い。どうやらリヴィングの暖房があまり効かないようだ。
昔々パリのアパルトマンにあった、なんていうか鉄パイプが勝手に並んでいるようなもの。
形と同じでなんだかおかしくなってきた。
エントランススペースには暖房が入っているようなのでリビングに通じる扉を開けっ放しにして。
キッチン突き当たりの奥のバスルームに暖房機がよくきいているので、その扉もあかっぱなしにした。
寒い。ともかく日本から持ってきているヒートテックの重ね着。
イクヨさんが置いていってくれたホッカイロを腰に貼る。
でもなんとなく自然なこんな生活は、それはそれで嫌いではないし、なんとかガマンができる。
すでに二日目で時差はとれてしまったようで、それでもしばらくベットに横になって、
iPadで日経新聞などを読みながらゆっくり過ごす。
朝ご飯は何も無い。でも昨日ご馳走を食べたから今日は何もなくてもいいかもしれないな、、、、。
キッチンを探してみたがコーヒーメーカーはあるがコーヒーのカプセルがない。
緊急用に日本から持ってきた即席スープが三つあるのでお湯を沸かそうと思ったら、
電気ケトルの中に汚れた水が入っていて、そのうえ周りはカルキで真っ白になっている。
このケトルでお湯を沸かす気にはならない。
パリの水は何十年たっても変わっていないのだ!
しょうがない、、、イクコさんが買って置いてくださったミネラルウォーターで我慢することにしよう。
それからお土産に買ってきたカステーラと、JALの機内でいただいたジャンポールエヴァンの
チョコレートで朝食とした。まぁ痩せていいかもしれない、、、うふ〜。
また少し横になってiPadを手に音声入力でブログの原稿書いたりしながら、、、。
午後になって雪がやんだようなので、すぐ近くのカフェへ出かけた。
一人だけれど少し大きな角のテーブル席をいただいてゆっくりと。
ハムとビオ玉子のサラダを注文。飲み物を頼むと普通はリエットとかのおつまみがついてくるので、
エヴィアンとグラスワインのサンタムールを頼んだのだが、ポップコーンだった。
そのうえ赤ワインの味がどうもおかしい。なんとなくギャルソンに聞いたら二日前に開栓したらしい、、、。
このカフェの角のこの席は楽しい。
サントノレ通りとピラミッド通りの角にあって道行く人がなんともフランス的!(当たり前ですね〜〜〜)
お洒落なマダム、杖をついたお爺さん、腕を組んで楽しそうな若いカップル、
あら、、、、静かによりそう老年のお二人。
自転車でいく人も、人力車のようなホロの車にのっているカップル、、、。
そのうえ日曜日なので、家族ずれが多い。
ああ〜〜ワタシはパリにいるのだ、、、と妙な感慨。
今回のパリは、乗り気がしないままに時がたってしまってなんとなく出発した。
ただ時が流れるように、淡々とその日がやってきて、動く絨毯にのったように機内の人となった。
そこでは予期せぬ事がいろいろ待っていた。
まるで人生に疲れ切ったワタシに神様が下さった<新しい経験>だった。<未知への旅>かもしれない。
ファーストクラスは何度もいや何十回ものっているのに、まったく違った体験だった。
それはハードの面ではなくて、ソフトの変化なだったような気がする。
ふと半世紀前の今でも忘れないエールフランスのファーストクラスで味わったあの感慨を思い出した。
さりげないサービスと笑顔。その機内には<異国の食べ物と文化>が一杯詰まっていた。
“マドモアゼル ビアンヴニュ! 離陸前にシャンパンはいかがですか、?
“メルシームッシュ〜〜〜アヴェックプレジール、、、、
それまでは使ったことがないフランス語での受け答え、、、。
離陸後に始まる食事のサービスは、その頃の日本では味わえないものだった。
ワゴンが静かにおされきて始まるフランス料理の饗宴!
美しくもられたサラダ仕立てのオードブル、フォワグラやキャビアのサービス、
そしてそれぞれにあわせたシャンパンやワインが一緒に、、、。
メインディッシュのキャレ ダニョーは、お客様の好みに焼かれて温かいままはこばられて、
目の前でナイフがいれられる。
赤身からジュ〜〜という音が聞こえるような感じで暖められて、あの機内専用のリモージュのお皿にもられて
席に置かれる。 “ボンナペティ、マドモアゼル!
当時は日本では、まだレアーのこんな子羊をだすお店がなかったようで、キャレダニョーは
エールフランスの機内が一番美味しいと評判となった。
ちょうどそのころに既にフランス料理の研究をはじめられていた辻静雄さんも絶賛していらした。
1960年代後半のことだった。
それから五十年の機内食の歴史は、機内のソフトのサービスの歴史にもなるかもしれない。
1970年代初めには、大量海外旅行時代がやってきて、日本からも沢山のグループができて、
我もわれもと海外にでかけはじめ、なんとワタシはそんなお客様をお迎えするためにパリの駐在員として
派遣され、オルリー空港とシャンゼリゼ121番地にエールフランスの日本人応接係として
四年弱のパリ滞在となったのだから、、、。
それから半世紀の紆余曲折の機内食とサービス。
機内では、決まった時間に起こされての食事から、<食事はいりません>という小さな張り紙を
はって寝ることが出来るようになり、カップラーメンがセルフサービスとなり、、、、
そして今では最初の食事だけが決まってサービスされ、あとは自由な時間にアラカルトで選べる、
とその変遷はなかなかおもしろい。
そう、1970年代後半だったろうか、ボーイング機が新しくなったある時期に、
ジャンボの二階がサロンバーになったことがあった。
ファーストクラスからの螺旋階段を上ると、左側にバーカウンターが数席あり、少し高い椅子に座って、
お洒落にアペリティフやディジェスティフを味わえる。
奥にはふっかりしたソファー席が向かい合わせの四席と二人掛けの二席があり歓談を楽しめる。
そんな時代も長くは続かず、、、、二階席はやがてざわざわしたグループ席に変わっていってしまった。
寄港地もアンカレッジ経由やモスクワ経由がなくなり、今は直行便!
パリはますます近くなったのだ。
会社をやめてからは、ワタシはずっとJALにお世話になっているので、現在の三色旗会社のサービスは
よくしらないが、ことナショナルフラッグのJALとANAはどんどん改善されていっているようだ。
そして今回のJALのパリ直行便。アップグレードでファーストクラスにお世話になって、その激変に驚嘆した。
機内のコンフィギュレーションは旅をさらに快適にし、ビジネスは小さな個室仕様の席が沢山できた。
外の空が見えないその席の仕様はワタシはすきではないが、多くのお客様がプライヴァシーが保てるので、
指定希望なのだそうだ。
ファーストは左の窓側に二席、右に二席、そして真ん中に二席づつの八席。
どんなに太った人でも座れるような座席、その前にはオットマンと荷物置き、その上には20インチほどの画面。
一人の席で窓を四つも占領してしまっている。
キャビンアテンダントは以前のように押しつけがましくなく、さらりとサービスをしてくださる。
お酒のサービスもTPOをしっかりと食前酒、食中酒、食後酒、そしてお茶のサービス。
今回のメニューは、彼女たちも初めてのサービスのようで、愉しみながらしてくださった。
(この詳細は後日写真とともに掲載いたします)
パリのカフェで二時をすごして、さてセーヌ川あたりまでと思った頃にまた雪が突然やってきた。
傘はもってきているが、風が強いし、すべると怖い、、、。
それでもピラミッド広場まで歩いて左折、ルーヴル美術館を右にみて
ぐるりと廻って、宿に戻った。
なんという静かな日曜日だったろう!
夜は一人で、近くの中華で軽く食事。
クラゲともやしのサラダと、野菜そば。
またふりだした春の雪をコートに受けながら帰路につきました。
(また雪がふってきたようだ、、、、)
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