生きる歓び Plaisir de Vivre。人生はつらし されど愉しく美しく:♪Journey海外2004~05仏伊
2017-05-21T17:42:32+09:00
pretty-bacchus
人生は辛く哀しいことが多すぎる。でもアール&プレジール・ドゥ・ヴィーヴル生きる歓びをめざしたい。心豊かに美しくいつも明るく生きていきたい。 Photo by Keiko Katagiri (奈良桜井の聖林寺十一面観音菩薩 国宝)
Excite Blog
2005年晩秋の巴里の<オペレーション・モノクロ化>
http://keico.exblog.jp/17202139/
2013-01-22T23:59:00+09:00
2015-11-06T00:59:17+09:00
2013-01-24T03:09:01+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
今月になって遊んでいたイニシエノ巴里のモノクロ化。
ブログにアップした後の雑なデータをただモノクロ化していったのだが、
なんだかむなしくなってきていた。
最初は、3x2,3x4,16x9と取り混ぜてトライし、
http://keico.exblog.jp/17142409/
2013年1月11日 金曜日 曇
昔のパリの写真をモノクロで遊んで、、、
次に2005年10月の巴里で、
LUMIX DMC-LX1/LX2/LX3で撮った16x9の細長写真をモノクロ化。
http://keico.exblog.jp/17158561/
2013年1月13日 日曜日 晴れたり曇ったり その一
雪降る東京で古の巴里を白黒にして、、、
次に車窓からのほんの数枚。
http://keico.exblog.jp/17153507/
2013年1月14日 月曜日 初雪 その一
初雪にパリの写真の白黒化と遊んでみたが、、
次に雨の巴里を数枚。
http://keico.exblog.jp/17164611/
2013年1月15日 火曜日 曇のち晴れ
モノクロ化の冬の巴里と白黒の初雪の東京
そして一昨日の、<ロダン=考える人>
http://keico.exblog.jp/17190821/
2013年1月20日 日曜日 曇り後はれ 寒い一日
2011年の冬のパリの<ロダン=考える人>をモノクロで遊んで
妙にノスタルジックなモノクロになって郷愁を誘うのだが、なんだか今のちゃんと撮られて
モノクロ写真を観るにつけ、私のこれはいったい何なのだと自己嫌悪。
極めつけは、yoshipassのブログで、M9 & S-ANGULONで撮られたすっばらしい〜本当のモノクロを
拝見して完全にダウン。
Yoshi-A の写真の楽しみ yoshipass.exblog.jp
http://yoshipass.exblog.jp/19166536/
<Monochrome の時を刻む街で>
いままでのジャンルに入らないのも途中でモノクロ化してあったのだが、
もうブログアップはや〜〜めよ、次の巴里までにモノクロにあったカメラを探して挑戦してみよう、、、
なんて思い始めていた。
ああ、それなのに、毎回コメントで励ましてくださっていたNKさんから、一昨日のブログで
<オペレーション・モノクロ化>という新しい言葉をいただいてしまった。
quote:Commented by k7003 at 2013-01-22 03:57
「オペレーション・モノクロ化」を熱烈歓迎します。
世のため、人のため。写真する人すべてに、このブログ熟読させたい。ブラボー(^^)/
unquote:
クシュンとしている時のこういうコメントってとっても嬉しいし、
すぐその気になってしまうのは良いのか悪いのか?
郁子さん、婆美以さん、さくらさん、mokonotabibitoさん、 galleryFさん達にも励まされて、
そしてあのヴェニスや巴里を夢のように撮られる小瀧達朗さんにまで鍵コメントをいただいて、
なんだかとっても嬉しくなって、、、。
http://keico.exblog.jp/17126928/
2013年1月8日 火曜日 曇
ギャルリーバウハウスで小瀧達郎写真展 「VENEZIA」を鑑賞
とそんなわけで前置きが長くなりましたが、今回は最後の「オペレーション・モノクロ化」をご披露します。
主に2005年の10月に撮ったもので、オリンパスの広角のものと、2011年12月の初冬の巴里。
まずは2005年から
(Paris, Oct,2005, Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂、友人のアパルトマンからの朝の全景。もう二度と撮れないアングルだ)
(Paris, Oct,2005, Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂、正面ファサードを見上げて)
(Paris, Oct,2005, Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂、北のファサード)
(Paris, Oct,2005, La Seine、朝のブキニスト)
(Paris, Oct,2005, La Seine、サンルイ近くで)
(Paris, Oct,2005, La Seine、花市場近くで)
そして手ぶれ補正が内頃の夜の手持ちのノートルダム
(Paris,Oct.2005 La Seine et Le Notre Dame a minuit)
次は、サンジェルマンへ、、、
(Paris, Oct,2005, Place de Furstemberg フュルスタンベール広場 Musée National Eugène-Delacroix ドラクロワ美術館の前で)
(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くで)
(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くで)
(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くで)
(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くのマルシェで牡蠣やさん)
次はセーヌを渡ってのシャンゼリゼにて
(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通りの近くにて)
(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通り)
(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通り)
(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通り)
そして、プラス・ドゥ・ヴォージュへ
(Paris, Oct. 2005 Place de Vosges プラス・ドゥ・ヴォージュの角のカフェで)
(Paris, Oct. 2005 Place de Vosges プラス・ドゥ・ヴォージュの公園で)
(Paris, Oct.2005 Restaurant L'AMBROISIE a 9 Place de Vosges, 三つ星の最高峰のレストランランブロワジーの玄関から )
(Paris, Oct.2005 Restaurant L'AMBROISIE a 9 Place de Vosges, 三つ星の最高峰のレストランランブロワジーの最初のサルのお花と壁のタピスリー )
あまり長くなってしまうので、2011年1初冬の巴里のごく一部の<オペレーション・モノクロ化>は
続きで、、、
continue、、、2011 Operatton Monochrome
~~~~~~~~
おまけの二枚は1994年の巴里。
銀塩時代のコンタックスStとContax G1 with viogon24での写真をスキャンしてあったので。
>>>モノクロ化は後でしてみましょうか、、、。
1994.oct. Paris Deux Magots, Contax ST (サン=ジェルマン=デ=プレのカフェ・レ・ドゥー・マゴ )
(Paris,oct. 1994 Les Deux Magots,
(ガラスの中の写真を撮っていたら、ギャルソンの写真もどうぞ、、、、って、ポーズをつってくれて、、
こういうのがまたパリのカフェの楽しいところ。
左のギャルソンはもう二十年もここで仕事をしていると話していたが、まだいるのかしら?)
(すでに下記にアップ済みでした)
http://keico.exblog.jp/14576500/
2012年1月30日 月曜日 雪模様 のち晴れ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二]]>
雪降る東京で古の巴里を白黒にして、、、
http://keico.exblog.jp/17158561/
2013-01-13T23:59:00+09:00
2017-05-21T17:41:18+09:00
2013-01-15T22:03:44+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
寒い朝。
こう寒くては出億劫になってしまう。
枯れ木にやってくる鳥たちと話しながら、またまた<モノクロ遊び>をしてしまった日曜日。
(NEX-5に14 Jan.pk Carl Zeiss Biogon T*28mmF2.8で遊んで、、、)
2005年のパリの旅の写真のモノクロ化で遊んでいるが、、、。
http://keico.exblog.jp/i44/
JourneyAbroad旅海外2005 ( 65 )
http://keico.exblog.jp/14576500/
2012年1月30日 月曜日 雪模様 のち晴れ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二
と、、、、この日のブログで、かってブログにアップした2005年10月のパリの
小さいデータの写真をモノクロ化したのをアップした。
まずLUMIX DMC-LX1/LX2/LX3で撮った16x9の細長写真で、これからパリに発つ
友人にわかりやすいように場所の名前も書いたのに、一瞬にして消えてしまった。
どうしてか未だにわからない。
もう疲れて再挑戦はやめようと思っていたのに、何人かの方から励ましのコメントやメールを
いただいたのでもう一度だけトライしてみよう。
すでにブログ用に縮小サイズダウンしたデータ(500k)と、もともとの5メガ位のデータでは、
どんな風に違ってくるかも試してみたいものだ。
まずサン=ジェルマン=デ=プレ界隈から
(Oct.2005 Paris, 巴里は犬連れの人が多い、、、)
(Oct.2005 Paris, Saint-Germain-des-Prés,
(Oct.2005 Paris, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ教会)
(Oct.2005 Paris, 文房具やさんに入ったら子供が絵本を選んでいた)
(Oct.2005 Paris, Saint-Germain-des-Prés, サン=ジェルマン=デ=プレ、カフェ・レ・ドゥー・マゴ (Les Deux Magots)
下のカフェ・ド・フロールとともに多くの文化人に愛されてきたカフェ。
ヘミングウエイもサルトルも、、、)
(Oct.2005 Paris ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)
(Oct.2005 Paris ノートルダム大聖堂の反対側の広場にあるシェークスピア専門本や、このおじさんはよくココに座って本を読んでいる)
(少し歩いてサンセヴラン教会の前のカフェで一休み、、、サンセヴラン教会 Église Saint-Séverin)
(サンセヴラン教会 Église Saint-Séverin の椅子を良く撮っていた=2005年の過去ログに椅子いろいろのカラーあり)
場所をかえて、、、
(Oct. 2005 Paris, Place des Vosges プラス・ドゥ・ヴォージュの角のカフェで友人と待ち合わせ、、、)
(宿に帰る途中の細い道で、、、、)
そして夜のノートルダム界隈、、、
(27 Oct.2005 La Seine et Le Notre Dame a minuit)
〜〜〜〜
この前のは
http://keico.exblog.jp/17142409/
2013年1月11日 金曜日 曇のブログへ
昔のパリの写真をモノクロで遊んで、、、
続きは、
オリンパスの4 x 3写真とニコンのを数枚を、明日に、、。
(日が燦々と照っているコンコルド広場に近くで、、、
どうして皆んな下を向いてあるいているのだろう、、、とカシャッ)
〜〜〜〜〜〜〜
More>>>いろいろのブログから
http://keico.exblog.jp/16444285/
2012年9月26日 水曜日 晴れ
「ココ・シャネル」と「ココ・アヴァン・シャネル」
http://keico.exblog.jp/16537299/
2012年10月5日 金曜日 晴れ
スティーブ・ジョブズさん、そして<ブラッサイ パリの越境者>、
http://keico.exblog.jp/4183923/
2006.08.25
夏の夜に歴史彩るアンリ・カルティエ=ブレッソン
http://keico.exblog.jp/5540374/
2007.05.06 日曜日 雨
エリオット・アーウィットの写真展へいざ
http://keico.exblog.jp/5545750/
2007.05.07
エリオット・アーウィット写真展
http://keico.exblog.jp/6126882/
2007.09.06 木曜日 風雨強し、台風近し
アデュー ルチアーノ・パバロッティさん
http://keico.exblog.jp/7171924/
2008/06/02 Mon 雨
アデュー! イブ・サンローランさん(Aduie! Yves Saint Laurent)
http://keico.exblog.jp/14142714/
2011年12月8日 木曜日
今日の巴里 08 December 2011 Paris
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☆回想のわが巴里の街2000~2010 新しい現像ソフトで
http://keico.exblog.jp/15599849/
2012-06-19T23:23:00+09:00
2017-05-21T16:07:44+09:00
2012-06-19T23:26:16+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
太陽のない朝ってどうしてこんなに暗いのだろう、、、
光のあたらない緑ってどうしてこんなに暗いのだろう、、、って、あたりまえのことなのに大きなため息。
午後になって日本中が台風圏に巻き込まれた。
古代の昔から台風の被害が語られているのに、今に至ってなんら解決策がないのは、
自然の脅威のおそろしさなのだろう。
夕方になって借景の木々がぎしぎしと揺れてきた。
いよいよ関東地方にも上陸するのだろう。
Adobe Photoshop Lightroom 4をいろいろ試しているが、まだいまひとつ自分のものにならずに試行錯誤。
2005年のパリの数枚を現像。
この頃は、教会の椅子、公園の椅子、カフェの椅子と椅子を撮ることに凝っていた時代。
もう一度ゆっくりと撮って歩きたいという願いを込めながら、新しい現像ソフトでのトライアル。
残された人生は長くないのだ、、、と思いながら。
2005年10月の巴里、、、サンセヴラン教会
○
http://keico.exblog.jp/14576500/
2012年1月30日 月曜日 雪模様 のち晴れ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二
http://keico.exblog.jp/i44/
☆回想のわが巴里の街2000~2010
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☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二
http://keico.exblog.jp/14576500/
2012-01-30T23:58:00+09:00
2017-05-21T16:08:55+09:00
2012-02-02T01:26:20+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
http://keico.exblog.jp/14568477/
2012年1月29日 日曜日 のブログへ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005
http://keico.exblog.jp/14549102
平成24年1月28日(土) のブログへ
<木村伊兵衛天然色でパリを撮る、秘蔵写真でよみがえる58年前の町並み>を見て
からの続き、、、
2005年10月の巴里の続きは、
小さな巨人LUMIX DMC-LX1で撮ったものから、、、
小さくてバックにも入るので、どこへでも持って行かれて便利だった。
でみ、これはやっぱり色も空気感もなんだかカメラの限界ですね。
(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 27October 2005、ポンサンルイから手持ちで)
(この初期のLX1は手ぶれ防止もなかったので、これが限界か、、、)
(18 October 2005, Paris カフェの赤シャツおじさん)
(23 October 2005, Paris サンジェルマン近くの文房具やさんにて)
(23 October 2005, Paris カサンジェルマンの交差点、犬とおじさん)
l
(25 October 2005, Paris 枯れ葉の路肩、、、生粋の江戸っ子で粋を好んで野暮を嫌ったという木村伊兵衛!
“マロニエの枯れ葉が石畳の上にちってましてね、、、おつなものですよね〜〜。と。
(25 October 2005, Paris サンセヴラン教会の前のカフェにて)
http://keico.exblog.jp/2482837/
2005.10.23 巴里にて
サンセヴラン教会の椅子
http://keico.exblog.jp/2385178/
2005年10月23日 日曜日
巴里 サンセヴラン教会
(23 October 2005, Paris 教会の椅子にて)
(23 October 2005, Paris 公園ではおじさん達が話に興じている午後、、、)
(23 October 2005, Paris )
(24 October 2005, Paris サンルイから橋を渡ってノートルダム寺院の後ろにでる。アコーディオンのおじさんがなんとも楽しそうに、、、)
このカルティエに数日いると、毎日ノートルダム寺院やサンジェルマン近くを歩くことになる。
(25 October 2005, Paris このシェークスピア専門店は巴里で一軒だとか?) (このおじさんにはよくあった、、、))
(29 October 2005, Paris , 地下鉄は危険だといわれても一人でないときは時には利用する)
(この出入り口も今はない、、、)
(29 October 2005, Paris , サンジェルマン近くではこのカフェはどうしてもスナップしたい一つ、、、カフェ・ドゥー・マゴー)
1994年の銀塩時代の、コンタックスでのしゃしんがスキャンしてあった。
1994.oct. Paris Deux Magots, Contax ST (サンジェルマン広場のカフェ ドゥーマゴー)
1994.oct. Paris Deux Magots, Contax G1 with viogon24
(ガラスの中の写真を撮っていたら、ギャルソンの写真もどうぞ、、、、って、ポーズをつってくれて、、
こういうのがまたパリのカフェの楽しいところだ。
左のギャルソンはもう二十年もここで仕事をしていると話していた)
この写真は
http://keico.exblog.jp/13199478/
2011年8月2日 火曜日 曇り その二のブログへ
次の簡易スキャニングはサンジェルマン広場のカフェ ドゥーマゴー
http://keico.exblog.jp/7788542/
2009年1月3日 土曜日 のブログへ
おだやかな三が日が過ぎましたMemoires du Voyage 2008Paris
http://keico.exblog.jp/4183923/
2006.08.25のブログへ、
こんなのも書いて他のですね
夏の夜に歴史彩るアンリ・カルティエ=ブレッソン
(29 October 2005, Paris , サンジェルマン近くではこのカフェのもうひとるはカフェ・ドゥ・フロール)
(野菜の盛り合わせいろいろのクリュディテは、私も大好きだが、この大通りではどうもですね、、、、)
(29 October 2005, Paris , サンジェルマン近くのマルシェはレパートリー豊かでそれは楽しい、、、)
マルシェの写真は一部アップしてあるが、
http://keico.exblog.jp/i34
カテゴリ:JourneyAbroad旅海外2008
まだまだ未現像のが沢山ある、、、いずれ整理をしたいものだ。
そして今夜もやはり夜景で締めよう、、、、!
(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 25October 2005、夜のノーとれダムを手持ちです)
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☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005
http://keico.exblog.jp/14568477/
2012-01-29T23:58:00+09:00
2017-05-21T16:09:36+09:00
2012-02-01T01:40:04+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
ほとんど終わっていたのに、、、)
2012年1月29日 日曜日 雪模様 のち晴れ
静かな日曜日。でも寒い。
日本中が寒気におおわれてしまっているようで、北国も日本海側も大雪の被害が出始めているという。
友人の妙高あたりも三メートルを上回ったという。
雪かきだけでも大変だろうに、暖房が充分でない被災地はどんなにか辛いことであろうと思いながらも何も出来ないわたし。
工事の音が無い日曜日で久しぶりにゆっくりと寝ることが出来たようだ。
巴里の写真集を抱いたまま寝てしまっていて、痛い腕が痛い痛い、、、。
昨夜から始めてしまった写真の整理、、、
木村伊兵衛さんの泣けてくるような幽玄なコンコルド広場を何でもみてしまうと、自分の写真の稚拙さを思い、全てを滅却したくなる誘惑にかられてしまう。
しかし、、、いやまてよ、巨匠とアマチュアの違いは承知の上で、せめて一個人の趣味の世界の写真と思いなおそうではないか、とぶつぶつ言いながらマックに向かって写真の整理をはじめた。
デジタルに移った2000年以前のポジ&
ネガは、おそらく生きている間には整理ができないであろうとことは確実になりつつある。
せめてデジタルカメラを使い始めた2000年からの旅の写真の整理だけでも少ししようではないか、、、と、心を新たにして外付けハードをマックにつなぐ。
二十一世紀になってからの海外の旅は、2000年、2001年、2004年、2005年、2006年、2008年、2010年、2011年。
カテゴリの<JourneyAbroad旅海外2005>
http://keico.exblog.jp/i44
<JourneyAbroad旅海外2005>以降からは、すでにこのブログをはじめていたから日時の記録はできているが、旅上での数行と一~二枚の写真だけの日が多い。
Journey abroad旅の思い出
Journey abroad旅1960~
Journey abroad旅1970~
Journey abroad旅1980~
Journey abroad旅1990~
Journey abroad旅2000~
JourneyAbroad旅海外2005
JourneyAbroad旅海外2006
JourneyAbroad旅海外2008
JourneyAbroad旅海外2010
JourneyAbroad旅海外2011
JourneyAbroad旅海外2012
エプソンの当時のP2000にバックアップしたデータの内2005年以降の巴里の部分だけでも少しづつ現像をすませよう。
この時は、出たばかりの
= ニコンD70にNikon AF-S VR Zoom 24-120mm、
= LUMIX DMC-LX1 そして
= Olympus E-300にZUIKO DIGITAL ED 7-14mm
それから望遠用に
= CanonEOS 20Dに 出たばかりのEF70-300mm F4-5.6 IS USM
といういでたちだった。
私たちが使えるデジタル一眼レフが出て数年のことで、いろいろ試写=挑戦をしたいという気持ちもあったのだろう。
http://keico.exblog.jp/2418575/
2005.10.22のブログ
EOS 20D 望遠テスト
http://keico.exblog.jp/2385012/
2005年10月19日のブログ
車窓から 枯れ葉のパリは 我が街か
バックアップを二カ所に置いているので、一つを手元に置いて時々六年前の<☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage>を回想することにしよう。
カテゴリの<JourneyAbroad旅海外2005>のそれぞれの日に写真を加えながら、、、、。
おやおや、、、、おもしろい、、、巴里の空も空気もいっしょのはずなのに、なぜか今の巴里と違う。
粗末な、いや素朴なバス停が今ではガラス張りのバス停になっていたり、アレキサンダー三世橋のエンジェルが金色に変わっていたりと、パリの街の変遷がいろいろかいま見られるではないか!
巨匠は巨匠、私はわたし!
巨匠が語っていたように、
“カメラのファインダーをのぞく人間に、
感受性と観察力さえあれば、誰でも時代や文化を切り取れる記録者になれる”
その上わたしは好奇心旺盛だし、少し言葉ができるから彼らの生活に入っていくことができる。
そしてデジタルの時代なのだから、撮った写真を写真友&ブログ友と享有することが出来る。
めげずに趣味のアマテュア写真を続けましょうね、ね!
〜Memoires du Voyage〜
51,0,204);"> La Ville de Mon Paris!
まずは、2005年の出発前に発売されたばかりの
= Olympus E-300にZUIKO DIGITAL ED 7-14mm
= CanonEOS 20Dに EF70-300mm F4-5.6 IS USM
すでにブログにアップしたモノは除いて、、、。
( rue de Furstenberg Paris, 29October 2005)
( Place Furstenberg Paris, 29October 2005)
(Quai de Montebello,29October 2005)
(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 24 October 2005 ポンサンルイから夕陽に輝くノートルダムを)
(Notre Dame de Paris ,24 October 2005)
(北側のマリア様は大好き)
http://keico.exblog.jp/14194928
2011年12月19日 月曜日 晴れ その一
のブログへ
☆回想のわが巴里の街2000~2010〜 Paris ノートルダム寺院
( Paris ,23 October 2005
巴里は犬を連れている人が多い)
(サンジェルマン近くの道で ,20 October 2005)
( Paris ,29 October 2005)
( Paris ,25 October
2005,ノートルダム寺院の南側の遠景、望遠一杯で)
( Paris ,25 October
2005,ノートルダム寺院の屋上の獣たちを、望遠一杯で)
Cathédrale Notre-Dame de Paris, 29October 2005)
(Place de Vosge Paris, 28 October 2005)
(26 October 2005 Place de Vosge, Paris)
(26 October 2005 Restaurant L'Ambroisie ,Place de Vosge, Paris)
(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 28October 2005)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
次は、
小さな巨人LUMIX DMC-LX1で撮ったものから、、、
でみ、これはやっぱり色も空気感もなんだかカメラの限界ですね。
(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 27October 2005、ポンッサンルイから手持ちで)
(この初期のLX1は手ぶれ防止もなかったので、これが限界か、、、)
続きは明日、、、
]]>
黄葉のパリは五穀豊穣のパリでもある
http://keico.exblog.jp/13589028/
2011-09-13T23:59:00+09:00
2017-05-21T16:12:17+09:00
2011-09-15T00:23:30+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
日の出 05時21分 : 日の入 17時53分
月の出 17時56分 : 月の入 05時55分
突然のミンミンゼミの声で目がさめた。6時21分。
おかしいい、、、いつもなら日の出数分前には蝉が鳴き始めるのに、、、と思いながらまたうとうとした。
そしてやがて二度とその蝉の声はしなかった。
9月の半ばに5日も続いている熱帯夜なのだ。もうそろそろ本当の秋になってほしいものだ、、、、、。
2005年と2006年のイタリアフランスの写真の整理をボチボチしているのだが、
すでに中途半端にブログにアップしてしまっているのもあり、再度現像しなおしたのもありと、
へんに混まざってしまった
少しずつブログにアップしていこう。
今夜は、秋の街角と味覚を、、、、いずれも古いルミックスのコンデジでのスナップ。
(2005.10.26 PARIS マルシェで秋の味覚を、、、ジロルだけやイチジクなども、、、、)
2005.10.29 巴里にて 出かける前にサンジェルマンのマルシェを一回り、、、、。
(レズ一トル 晩秋からは牡蠣のお店が増えてくる、、、酔っ払いおじさんも嬉しそう〜〜〜)
(ペトロシアンのソーモンフュメは最高に美味!)
(サンジェルマン近くの朝一で、、、)
(お花やさんも秋の色)
(2005.10.17 Paris La nuit)
宿への帰途は途中下車でノートルダムの広場でタクシーをおりた。
黄色い葉が散り、いよいよ秋深い巴里である。
〜〜〜〜〜〜
(2005.1028 Paris) 巴里にてのブログより
http://keico.exblog.jp/2418554
ホテルコルベール通りを左に入ったところに珍しい色鉛筆をうっている店がある。
宿から近いので、毎日通っている小さな通りにある。
太くで重いので、毎回数本ずつしか買っていけない。
ぎりぎりぎりと、扉の下がすれる入り口を久しぶりに入ったら、店主が覚えていてくれた。
フランス語にすこしなまりがある人だ。
むずかしそうな本がたくさん並ぶ店の入り口に、この色とりどりの鉛筆が並んでいる。
ポーランドからくるということは今度初めて知った。
いつも何本かを買った。店主がそ〜とカードを数枚だして、この絵はいかがですか、、、と。
おもいろいのを2枚買うことにした、
なんとなくおつきあいのつもりだった。
次に店主は、文庫本くらいのペーパーバックをしめした。本の題名はGENERALS。
多分ポーランド語なのだろう。
「これは私が書いた物です、、、、彼は静かに微笑んだ。
どうやらお国ではすごい作家のようだ。
「今はひとりで住んでいます、、、、。
その言葉に彼の歩んだ人生が凝縮されているような気がした。
パリは人類のるつぼといわれるが、ホントニ、、、、
年老いて異国で暮らす人ありき、年重ね巴里に旅する女あり
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病いえて想うはいつもパリの秋 (2005年の秋)
http://keico.exblog.jp/13550517/
2011-09-10T23:59:00+09:00
2017-05-21T16:13:02+09:00
2011-09-11T00:55:35+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
一週間の立つのが何と早いことか!
時は移りゆくのに、夏の暑さは相変わらずで、湿気が高いつらく暑い一日だった。
昨日のブログで、さくらさんがサンセヴランあたりは愛犬ブルゴーニュ君との散歩道だったとのことで、今日もそのあたりの何枚かをアップしておこう、、、。
なかにはすでに載せたもののあるが、、、、まだまだ未現像のがたくさんある、、、、。
若い頃は春のパリが好きだった。
歳を重ねるごとに、あのグレーの空になる冬の少し前の晩秋のパリがとても好きになった。
日本の四季のように、季節感のあるパリ、、、、次はいつになるのだろうか、、、、。
Oct.2005 Paris サンセヴランの教会のパイプオルガン
(この頃私はパリの街の椅子を良く撮っていた、、、
椅子に一人ぽつねんと座る男の背中にはそれぞれの重い人生があるのだろう、、、と思いながらシャッターをきった)
Oct.2005 Paris セーヌのほとり
日本のお彼岸の感じでお墓まいりの花があちこちで売られている。
セーヌのほとり花市場も菊でいっぱい、、、、。
Oct 2005 Paris サンジェルマン近く。
Oct.2005 Paris セーヌもよどみブキニストの店もひまそうな午後、、、。
Oct. 2011 Paris
巴里は二人ずれが良く似合う街
若いカップル、変なカップル、男と男、、、
でも俄然年老いた男女がそぞろ歩いている姿はなんとも絵になる
Oct. 2005 Paris ヴォージュ広場 Place de Vosge
Oct.2005 Paris 空が青いのに、暗いセーヌを見つめる少女
(Oct, 2005 下からもテラスからも絶対に撮れないノートルダム聖堂の南側のガーゴイル)
(Oct, 2005 対岸のある建物から出たっばかりの70~300で手持ちで試写をしたもの、、、)
(そして夜のノートルダム聖堂とセーヌ川、Oct. 2011 Paris La Seine et Notre Dame)
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重陽の節句は救急の日となった
http://keico.exblog.jp/13538275/
2011-09-09T23:59:00+09:00
2017-05-21T16:14:01+09:00
2011-09-10T00:36:14+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
朝方にはっきりと夢をみた。
どこかかの病院の医局で先生方と話している私。
“頭の左上の方からなんだか風がながれるのです、、、、”と世間話をしていたら、
“それならちょっと調べてみようか、、、”と友人ドクターがおっしゃって、
イスに座って、前屈みになり、そのまま板に顔をつけると上から機械が降りてきて、、、、
すぐにわかるようで、先生が、“ああなにもないね、、、、
“いやいや待って、、、もう一度しよう、、、と上から機械を強くおして、頭の後部をもう一度ごしごし、、、
“大きな脳腫瘍がみえるね、、、でも陽性の感じだな、、、
って、、、
もうビックリしているところで目がさめた。
これってなんだろう、、、。
二月の乳癌は去年の10月にみた夢が現実になって早期発見となったわけで、
今回の夢はおそらく未来に起こる事柄なのかしら?
だって、こんなに簡単に脳の中がみえる機械ってまだないはずだから、、、、。
重陽の節句だが、なにもせずに一日が終わってしまった。
もう優雅な催しなどは当分いやずっとできない日本になってしまったのかもしれない。
そんなことよりも水の被害をふせぐ研究とか地震予知とかに人智を注ぐべきなのだろうから、、、、。
9月9日はきゅーきゅーの日なのだ。
夕方から2005年のパリの写真の整理をはじめた。
サンセヴラン教会の猫の動きをまず、、、、。
猫がやってきた、、、)
(左にいったり、、、)
(右にもどったりして遊んでいたら、、、)
(あっという間に屋根の一部になってしまったみたい、、、)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
追記:
別名「菊の節句」とも言われ旧暦の9月9日の重陽の節句は
新暦では10月5日なのだそうです。
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五月雨や想うは宇宙青い空
http://keico.exblog.jp/12714463/
2011-05-31T23:59:00+09:00
2014-08-07T00:47:17+09:00
2011-06-01T02:27:52+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
どうしよう、、、、五月ももうお終い。
このあせりはいったいなんなのだろうか。^
我の突然の病の無常感、3.11からのやるせなさ、癌や事故で無くなる人の多さ、、、、、
早い梅雨、五月晴れの少なさ、、、地球の動きのおかしさまでがやるせなくなる。
こんなはずではない、もっと明るく生きなければワタシラシクナイと思うのだが、
いかんせん、、、、、
今までと違うのだ。
その上家の中を見回すと、そのちらかりようは半端ではない。
少しずつと思っていたが、あらためて残された命の長さを思うとき、すこし気持ちがあせってしまう。
どんなふうにかたずけようかと、部屋ごとのレイアウトを描いて、三年予定の表を作ったりしても、
なかなかはかどらない。
その上、パリのアパルトマンを引き上げたときにパリの友人にあずけてあるモロモロのかたずけもある。
最晩年は日本とフランスに半分づつ住んで、、、と夢見ていたが、いまこうして病を得ては、
それも夢の又夢に終わってしまうような感じだし、、、。
夏までには渡仏の予定だったがそれもキャンセル、、、あ〜あ。
あっっらら、、、五月って五月病と言われるくらいだから、どうやら私も五月病発病かしら?
あ〜した天気にな〜れ!
<五月晴れ梅雨に消されて五月病
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(2005年のイタリア、フランスの写真の整理を始めたら、、、やめられなくなりました。
今回はニコンNX2で現像をしてみた)
(2005.10.17 am0:19)
(ロシアの有名な川だったと思うのだが、名前は忘れてしまった、、、)
(海に流れ込む少し手前の水の流れ、、、、、、
下の地図の左斜め上あたりがそれだ。
座席に地図に刻々と出てくると、まるで鳥になったような気分になる。
飛行機の旅のファンタスティックなところだ!)
(このあとまもなく白海にいたり、ハラサンに着ないからメールを打って聞いてみたのを思い出した)
(ノヴォシビルスクの北西だからあとからグーグルアースで見てみよう、、、)
(2005.1015 pm19:05 ヨーロッパ大陸に入ったのだろう)
この時の旅は、
http://keico.exblog.jp/2335423
2005.10.17の機内にて、マッターホルンも見えた
満月と にらめっこして お国入り
http://keico.exblog.jp/11289389/
2010年9月14日 火曜日 晴れ
イタリア北東部のロヴェレートとブレンネル峠
これをニコンで撮ったものとデータ。
宇宙の青さはなんと素晴らしいのだろう〜〜〜〜〜〜〜!
あ〜〜旅心がふつふつとわいてくる〜〜〜〜。
~~~~~
(上部ライン下の水色は、一枚目の写真の宇宙の青をコピペ。宇宙の色はなんと清らかなことか!)
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「パリ歴史地図」を楽しみながらメリークリスマス!
http://keico.exblog.jp/11783936/
2010-12-25T23:59:00+09:00
2017-05-21T17:40:33+09:00
2010-12-26T03:43:09+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
夕方まで静かな週末を過ごすことができた。
めずらしく手元には「パリ歴史地図」。クリスマスにはぴったりの一冊かもしれない。
ジャン・ロベール・ピット編の大判本の「パリ歴史地図」
<ジャン=ロベール ピット, Jean‐Robert Pitte, 木村 尚三郎.>: は大好きな本で、いつも近くにおいてある。
クリスマスメールに友人からパリの雪の写真をメールでおくっていただいて、
なんだかとっても<巴里>が懐かしくなったのだ。
フランスの地方の魅力も尽きないが、パリの街の成り立ちの頃のルテシアのガリアの時代からはじまる
パリの歴史はとてもおもしろい、、、華やかで残酷で、日本の歴史のおもしろさとは、
ひと味違っためくるめく人間の歴史をかいま見ることになる。
そして、その歴史が、巴里のどの場所で起こったことかを、この本の図でみると、さらにイメージが膨らむ。
日本の木の文化と違い、石の文化は往事を今に残していることが多いのだ。
パリのはじまりはシテ島。
紀元前三世紀にケルト系パリシア人がこの島に住み始めたということは周知の事、
フランク族の王クロヴィスが506年に、首都(シテ)と宣言してから、シテと呼ばれるようになったのだという。
パリを旅する人が必ず訪れるノートルダム寺院 は、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂
(Cathédrale Notre-Dame de Paris)。
フランス語で<「我らが貴婦人」聖母マリア>は、現在もパリ大司教座聖堂として使われている。
その起源はローマ時代までさかのぼり、ノートルダム寺院の敷地にはユピテル神域だったのだというが、
ローマ崩壊後キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。
(このあたりの土地や水源などについては、ジャン=ロベール ピットのパリ歴史地図の図面をみると、
ルテティア時代の事がいろいろ書かれていておもしろい!)
ノートルダム寺院は1163年に現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成されたのだというから、
なんと62年もかかったのだ。
ファサードを構成する双塔は1250年頃まで工事が続けられ、最終的な竣工は1345年の記録があるというから、
さらに100年以上もかかっているのだ。
その後19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、
その他多くの部分が改装されて今にいたっているのだ。
(2005.10.24朝日が輝き始めた時間に、南面のノートルダム寺院)
聖堂の工事は内陣から始めるのだという、内陣があれが日々の祭儀が行えるからだそうで、まず、
シテ島の端の東の後陣側から起工、内陣部分をととのえて、西正面と鐘塔が最後だった。
素材はパリの石だったと言うから、パリは岩盤だったのだろうか。
ゴシック建築を代表する建物であり「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産と一緒に、
1991年にユネスコの世界遺産に登録された。
ノートルダム寺院を撮った写真は銀塩時代もデジタルになってからも沢山ある。
ここ数年は、対岸のアパルトマンの四階から撮る機会に恵まれている。
窓を開けると、東側から昇ってくる朝日に輝く南側一面が見渡せる。
散歩でサンルイ島へと歩くときは、後陣をじっくりとながめられる。
(2005.10.22の真夜中に、対岸のアパルトマンの四階から。 無謀にも手持ちでトライしているが、1/6秒でなんとか絵としてはみることが出来る)
北側にはあまり観光客はいかないようで、ゆっくりと歩くことが出来、反対側のお土産物やさんなどで、
おじさんとおしゃべりをしたり、、、、。
この、日の当たらない北側だが、北扉口中央柱には優美な聖母子像が立座している。
金槌のような物で悪魔をたたきのめす暴力的なマリア様だ。
(聖堂の北側をずっと歩くとこのコーナーにでる、この道も好きだ、、、
道のむこうのカフェにすわって聞いている人もいる。鳩も静かに耳をかたむけているいみたい、、、、)
正面にはこの時期、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られているだろう。
聖誕祭のごミサには昔々一度だけ座したことがあるが、もう一度あの荘厳な場に座ってみたいものだ、、、、。
(夜、セーヌ川を渡りシテ島に立ち、正面に佇むと、何ともいわれぬ世界に引き込まれていく、、、、)
(グルッと一回りして、サンルイ島に渡り、後陣を拝する。
サンルイ島にかかる橋からながめるノートルダム寺院は、まるで宇宙船のようだ。
このカットは年賀状につかったことがある)
大聖堂の上にあるシメールのギャラリーに行くには、大聖堂の建物の外にある入り口から
狭い螺旋階段を登っていかねばならない。
四十年前にたった一度だけその外階段を上ったことがあったが、もうこれからは無理だろうな、、、
(対岸の四階から超望遠で撮ったガーゴイル)
聖誕祭に、ノートルダム寺院の歴史をひもときながら、静かに写真の整理をしているのも良いものだ。
ブログ初公開のも何枚かある、、、、
今年はテレビでヴァチカンのごミサの中継が見られるだろうか?
BSテレビのライブで初めて中継されたのは、十五年くらい前だろうか?
すごい時代になったものだと、その感動はいまだに脳にしみついている。
その他のフランス関係の歴史書、美術書や、通ったオペラや音楽会美術展のカタログ、
食べ歩いたレストランのメニューなども、全部まだパリの友人の家に預けたまま、、、。
いつの日か、またパリにアパルトマンを借りられたら、それらを見ながら、、、教会の鐘の音を聞きながら、
最晩年を送りたいと思っているが、、、、さてさて、そんな日がやってくるのだろうか、、、、。
神のみぞ知る!
メリークリスマス!
最後は友人から届いた、昨年のクリスマスのノートルダム寺院とエッフェル塔
〜〜〜〜〜〜
(追加)1970年代初めの若かりし頃の私、この写真はNというプロが撮ってくださった)
===========
http://keico.exblog.jp/11647524/
散る黄葉思いはいつも我がパリよ 2010年12月1日 水曜日
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ロイターのニュースが今入りましたので、、、
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黄葉に、晩秋のパリなつかしみ
http://keico.exblog.jp/11629623/
2010-11-27T23:59:00+09:00
2014-05-27T00:27:07+09:00
2010-11-28T19:37:09+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
真夜中に西の空にきれいな月がみえた。
(月の出 20時52分 : 月の入 10時11分
朝の月がみえるかなって、思ったのに、起きてきたらどんよりした朝、、、、
それならば、、、、もう一度ベットにもどって、、、
寝床で<積ん読>状態の本の山を右、左、枕の向こう、、、、と、
ジャンルを変えてぱらぱらと読みながらの数時間。
あ〜〜つかれた、、、横になっての読書って結構肩がこるものなのですね、、、。
土曜日ってやっぱりいいな、、、
でも、早い、もう一週間がたってしまったのだ。
そして来週の土曜日はもう師走! どうしよう〜〜〜
だんだんと晴れてきたようで、よかった〜〜〜〜。
借景の落葉樹は昨日よりさらに黄金色にかがやいている。
なんだか、今年のこの色は、いつもより鮮やかに見えるのは、気候のせい、
それとも私がメランコリックなのかしら、、、。
ご到来物の秋の幸で至福のブランチ、、、、
新潟からの新米でご飯をたいて、
京都の大黒屋さんの有馬花山椒、松茸こんぶ、利尻昆布の佃煮と一緒に。
もう、、、美味しくて新米ととってもよくあって三膳もおかわり、、、
またまた太ってしまいそう〜。
ブリ大根は、骨までいただけて、、、、なんとも美味!
北海道のジャガイモとにんじんで肉じゃがを作って、、、。
これでは、お昼から赤ワインが飲みたくなる、、、土曜日だからいいわね、、、て自分に甘えて、、
とぶつぶつ言いながら、結局シャトー・ドゥ・ピゼイのボージョレヌーヴォーを開けて、、、
友人達からの五穀豊穣に感謝の週末。
マックもなおってメールの整理も大半終わった。
写真はさくさく現像できるし、数日ベランダ越しに黄葉をみていたら、
やっぱり巴里の秋がなつかしくなった。
このあいだは、ほんの一部だったので、もう少し死蔵している<巴里の晩秋>のPC現像をしてみよう、、、、
でも始めるとやっぱりのめり込んでしまって、これでは体に良くないな〜〜〜
http://keico.exblog.jp/11547090
モンタンの枯葉の巴里や君想う 2010年11月9日 <<<< click,please.
まずは、ぼけぼけのセーヌ河畔の黄葉を、、、
写真を撮っている時って、時々ふっと思うことがある。
この一瞬は、この時しかないのっだ、、、と。
一期一会、この当たり前のことを、シャッターを押すときに確認しているような気がする。
知らなかった国を初めて旅する時、若い頃は、“またくるから、その時ゆっくりと過ごしましょ、
沢山写真を撮りましょ、、、って思ったものだが、いつ頃からか、
この訪れが最初で最後になるだろうな、、、、って、思うようになった。
感慨も深くなるが、重いカメラを何台も持ち歩いての街中歩きはだんだん辛くなってくるから、
写真撮りも、そこそこになる。
一時期の巴里では、ケイコが巴里に着いた〜〜と、はせ参じてくれるアッシー君がいたのだが、
彼もいまでは南仏に移ってしまった。
ぶれぶれでも、この一瞬の記録を残そうと、暗い中に必死でシャッターをきることもあった。
今のように、進歩をしたカメラもレンズも、もちろんデジカメも無い頃だから、
写真屋から返ってきたネガ・ポジが真っ暗だったり、あるいはたった一枚の記録がのこっていたり、、、、
そんな時代の写真は、おそらく戸棚の奥で死蔵され、私の消滅の後にすてられてしまうだろう、、、、と、
この頃思っている。
せめて、デジカメになってからの記録は、少しだけでもハードディスクの中に残しておいて、
ときどきブログにアップしてみるのも良いかもしれない、、、、なと、思い始めている。
そんなわけでまず一枚は、超ボケの一枚。
時は秋のまっただ中から冬への第一歩の、一瞬の真夜中の巴里のノートルダム寺院。
友人のアパルトマンからはノートルダム寺院が対岸の目の前、
真夜中に二重窓なのに音楽が聞こえてきた。
なんだろう、窓をあけると寺院前の広場には白いテントがいくとも張られていて、
騒がしい。
どうやら、年に一度の一日25時間の最後の時を過ごしているようだった。
2005,10,24のミッドナイト、この日のあと1時間後の2005.10.25 am0100時に、
夏時間から普通の時間帯に変わるその瞬間。
私は持参していた三台のデジカメの内の超望遠を取り出した。
どれも一眼デジカメの初期のものだった。
Canon EOS20には70~300
Nikon D70にはNikon AF-S VR Zoom 24-120mm
Olympus E-300にはZUIKO DIGITAL ED 7-14mm
いずれもその年に出たものばかりだった。
いろいろ試写がしたかったのだ。
でもあまりにも遠すぎて無理のようで、真正面の寺院と月をを撮っただけ。
大きくなった樹が黄色に輝いていた。
当日の月日の出を調べたら、
日の出入・月の出入 (計算地:東京)
日の出 05時55分 : 日の入 16時55分
月の出 22時03分 : 月の入 12時28分
2005.10.25 am0000
下弦の月
月の出 23時03分 : 月の入 13時07分
友人のアパルトマンの四階の窓を開けてカシャッと手持ちで撮ったほんの数枚。
最初で最後の千載一遇のチャンスに、私は不覚にも三脚をたてなかったのだ。
Exifをみてみたら、プログラムオートで1/2秒でシャッターがおちていた。
Canon20Dに70~300のレンズの望遠側だし、手ぶれ軽減装置などがない時代のカメラとレンズなのだから、
さもありなんなのだが、、、
この時の巴里は、イタリアでの三日間の仕事を終えて、久しぶりの巴里で
(大きな目の手術をして三年間は飛行機がダメだったのだ)で、予定されたパリでのの七日が
楽しみだったのだが、友人が病気になり、私の全ての予定をキャンセルせざると得なかったのだ。
見義不為無勇也(ぎをみてなさざるはゆうなきなり)、涙をのんでの決断だった。
巴里は永遠、また次の機会があるだろう、、、と。
人生七転び八起き、、、、いや、旅にはハプニングはあたりまえなのだが、、、、
いけないいけない、写真の整理は、人生のひとときを振り返ることになってしまうのだ、、、
〜〜〜〜〜〜
そして翌日、冬時間になった早朝のノートルダムは、清かった。
(枯れ葉は舞い始めて、、、、四階から下のケ・ドゥ・モンテベロを見る)
(散歩の一が歩き初めて、、、)
(セーヌ河の水は輝き初めた)
再度望遠を出して、ノートルダム寺院の南面の薔薇窓を連写。
#IMAGE|a0031363_1920466.jpg|201011/28/63/|right|640|426#]
(薔薇窓の模様がはっきりと見える)
(これも超望遠の手持ち(450mm相当)、
聖人の像が立ち並ぶこの面の写真はおそらくあまり無いだろう)
〜〜〜
明日にでもまた少し巴里の秋のデジタル現像をしてみよう。
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モンタンの枯れ葉の巴里に君想い>>モンタンの枯葉の巴里や君想う
http://keico.exblog.jp/11547090/
2010-11-09T23:59:00+09:00
2017-05-21T17:42:32+09:00
2010-11-10T12:18:10+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
モンタンの枯れ葉に乗って郷愁の巴里
枯れ葉のことを書いたのは11月2日、
偶然に去年の11月2日にも、同じようなことを書いていたことを発見。
季節の移り変わりっておもしろい、、、、。
http://keico.exblog.jp/9193966/
枯れ葉の頃にはジャック・プレヴェール&イヴモンタンのLes feuilles mortes
2009年11月2日 月曜日
(風で歩道にからからと枯れ葉がまっていく、、、)
(2005年10月19日 pm5:30 イタリアからパリに着いて空港からホテルの途中でタクシーの窓からのスナップ。
モンタンの家の近くです)
それならばと、ちょうど繋いでいた外付けのハードディスクにある2005年の
秋のパリの未現像のフォルダーをあけてみた。
あります、あります、、、、秋のスナップショットでまだ整理していないのがた〜くさん!
未整理のままお蔵入りになるであろう、これらのフォルダーは、
このままになってしまうには少しばかり惜しいような気がするのだが、、、、
後世になって、奇特な誰かが、私のマックやハードディスクを整理してくれたら、
お宝画像がでてくるかもしれないな、、、、って、ふと何十年か後の事が楽しくなってきました、、、、。
忙中閑ありで数枚を少しレタッチしてアップしてみた。
夜の巴里を初期のコンデジでのスナップだから、こんなものだろうが、記録としては充分だ。
あの時一緒に歩いてくれたJさんはどうしているだろう。
彼の家は、枯れ葉の頃に彼岸に発ったイヴモンタンが住んでいたサンジェルマンに近い、、、、
晩秋の巴里がなつかしい。
(2005.10.16 夜のセーヌ川)
(翌日の巴里は晴れていた。ノートルダムに向かってのお散歩の途中)
(少し歩いてサンセヴラン教会に入って、、、、、お祈り、、、)
(お花屋さんで秋のお花を、、、可愛い子がママへのお花を選んでいるところでした)
(カフェの表の椅子に座って、目を見つめながら語り合って二人が素敵でした!
お隣の人がそれも見ているのもほほ笑ましい〜〜〜〜)
(お隣のカフェでは叔父さんが新聞を読んでいました)<
br clear=all>(随分歩いたようですね、、、、プラス・ドゥ・ヴォージュに出てしまいました。
犬のお散歩のマダムが見えて、思わずシャッターをおしましたが、ブレブレでした)
(シャンゼリゼ大通りとジョルジュサンク通りの角にルイヴィットンがオープンしたのはこの年だったのですね)
(翌日も良いお天気で、いよいよ枯れ葉が舞う頃となりました)
(サンジェルマン界隈でしょうか、、、黄葉した木の前にはマリア様のスタテューがありました。
ゴミ箱が外にでちるのは、今日はゴミ集めの曜日なのですね)
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イタリア北東部のロヴェレートとブレンネル峠
http://keico.exblog.jp/11289389/
2010-09-14T23:59:00+09:00
2014-08-07T00:43:14+09:00
2010-09-16T16:58:54+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
ようやく少し涼しくなったようで、、、、、、
ゆっくり熟睡。
でも、なんだか熱っぽい感じ。
夏の疲れがでたのだろうか、、、、
今月の後半はいろいろ予定で一杯、、、、今日は少し休むことにしよう。
一昨日のブログで2005年のイタリア・フランスの旅のリンクをはったら、
2005.10.17のイタリアへの機内から
Iさんがゆっくり見てくださったようで、ロヴェレートというトレントの街の
モダンが美術館の建物に興味を持って下さった。
(はるか無効に見える山はアルプス!)
ロヴェレートは,アルプスの山々に囲まれた自然豊かな小さな街。
人口4万人の文化都市。
1912年まではオーストリーの一部であったという。
中世の昔から城塞都市として栄えた文化都市なのだそうだ。
第一次世界大戦では戦場となり,多くの戦死者を出したという。
ロヴェレートはイタリアの西方東部の街で、
ブレンネル峠をこえるとそこはもうオーストリーという都市で、
この峠はアルプスを越える峠の歴史の中でも、海抜が低いこともあり南北を結ぶ交通のポイントにあり、
古代ローマ以前・以降とも大変重要な起点であった。
石器時代からの記録があって、BC3200年頃アイスマンIcemanもこの峠の西の氷河を通過したとか、
962年〜神聖ローマ帝国の皇帝たちがローマへの道として通過とか、1494年9月には、
ニュルンベルクの画家アルブレヒト・デュラーAlbrecht Durerが南に越え、峠の絵を残したとか、
1580年モンテーニュが峠を南に向かったとかのいろいろの歴史がある。
もっとも語られているのが、
1769年 13歳のモーツアルトが峠を通過。
1786年 ゲーテ南に越えて、『イタリア紀行』が書かれている。
1912年 D.H.ローレンスが通過して、『イタリアの薄明』を書いた。
そして、1943.7.25の夜半に、第二次大戦時ムッソリーニ首相辞任で、
ドイツ軍の山岳旅団が戦闘体制で峠を越えて、同盟国イタリアを実質支配した。
ヨーロッパの旅は、陸続きの歴史が彩られているから、旅をするときには、
とても楽しい歴史の勉強にもなって大好き!
でも、今車で通過しても、上って下っての道は険しく、
この時代には軍団を率いてどんなにか大変な旅だったろうか、、、、
ここに高速自動車道が開通したのは1963年11月17というから、その数年後には私たちはインスブルグから、
レンタカーでこの峠をこえてイタリアに入ったことになる。
その十数年後には、ミラノとザルツブルグに貿易会社駐在事務所を開いたのも、
この自然と文化的環境に魅せられて、そしてトニーザイラーさんとかフリッツさんとかの
ご縁をいただいたからだろう。
〜〜
この2005年の10月の旅は、イタリア商務省の二日にわたるイタリア北部の食材とワインと建材の商談と
懇親会のであった。
その間の一時に、この近代美術館で行われていたフィリップダンカンの印象派コレクションの
鑑賞をさせていただいた。
日本から招待された十数人だけの為に閉館時間後にあけてくださり、
キュレーターの女性の説明をゆっくり聞きながら、
モネ、ルノアール、マティス、シスレー、ゴッフォ、などなど、ワシントンから来た62点を鑑賞できた。
その時の写真の多くはまだ現像していないままなので、少し整理しようと思ったのだが、出てこない〜〜〜。
日本からイタリアへの直行便の到着間近の夕陽の写真を数枚だけ、、、、、
(太陽をこんな一で撮れるのは、一万メートルの機内からだけだろう)
やがて陸地が見え始めて着陸の少し前、、、)
]]>
日曜日は、旅の記録の整理を少しだけ、、、
http://keico.exblog.jp/8713010/
2009-07-26T23:59:00+09:00
2014-08-07T00:46:31+09:00
2009-07-28T00:12:14+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
NKさんが数年前の飛行機雲の写真をアップしてらした、、、旅心を誘われた写真だ!
そうだ、、、、2005年のイタリアとフランスの旅の写真の整理が終わってない。
後半のフランスは大分ブログにもアップしたが、全般の三泊四日の(いや二泊三日だったかな?)
はほとんどそのまま眠っている、、、いつかしないと、きっとずっとお蔵入りになってしまうだろう、、、
まだ手に着かずうろうろしていたら、なんとDuke Noriさんがお仕事帰りの仙台から名古屋にフライトの車窓の
写真をアップなさった。もうだめだ〜〜〜〜
よ〜〜し私も少し頑張ろう〜〜〜。
外付けのHDに入っている2005年の海外の旅のフォルダーをクリックした。
あるある、、、、15.87ギガもあるではないか。
まずは、2005年10月16日出発、31日帰国の分から始めよう、、
この旅は二度といかれぬ経験の旅であったのだから、もう少しちゃんと整理をしておかなければならないのに、、、
最初の三泊四日はイタリア商務省のご招待で、北のトレンティーノ地方の食とワインの商談に
日本から数社が招待されたの折りのだが、超ハードスケジュールの旅だった。
この時の機材はLUMIX DMC-LX1 をハンドバックに入れ、
NIKON D70にいつもの24〜120mのズームレンズをつけて機内持ち込みバックの中に、
OLYMPUS E300にZD7〜14mの広角ズームを、やはり機内持ち込みにして、
CANON 20Dに70〜300mがついてスーツケースに入れたのだった。
母と姪御達に送られて東京〜ミラノ直行便は初めての経験だった。
(美しい! 窓枠のアートにわくわく、感動!)
(ヨーロッパ大陸に入る少し前のロシア上空かしら? こうして記録をみるとその時の記憶が昨日のことのように甦ってくる。
機内から見える地上と、眼前の画面と、PCでは始まったばかりのグーグルアースの初期と遊んでみたのだが、、、、)
(遙かにマッターフォルンを右に見て、、、、ミラノマルペンさ空港到着。
ミラノまでの飛行時間は11時間35分。
これから東に向かいヴェローナまで、その後北上して真夜中にロヴェレート着。
http://keico.exblog.jp/2335423
ロヴェレート
満月と にらめっこして お国入り 2005.10.17
http://keico.exblog.jp/2342110/
ロヴェレート
2005年10月17日。午前xx時xx分。
トレント・ロヴェレート近現代美術館
フィリップダンカンの印象派コレクションを独占見学させていただいたのは感激!
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マティス愛で イタリアの秋 豊穣ぞ(バックデートをして)2005年10月17日 月曜日
(ほとんど寝ずに早朝にバスで出発、、、
このまま北上するとドロミテ山塊を越えてブレンネル峠を越えてオーストリー国境となる、、、)
(2005年10月17日 月曜日 チーズ工場の見学)
(Museo Storico della Guerra戦争博物館となった城、ROVERETO)(商談の合間にバスの中から城などを撮るのだが、このオリンパスZUIKO DIGITAL ED 7-14mm の広角レンズのなんと重たかったことか!)
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在りし日の 重い思いの 城跡の(バックデートをして)2005年10月18日 火曜日
(19 0ct. 2005 Milano>Parisの機内から夕陽の輝きを、着いた下界のパリは雨上がりでした、、、)
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車窓から 枯れ葉のパリは 我が街か 2005年10月19日 水曜日
この後のパリは久しぶりのパリだったのだが、友人の病の看病をすることになって滞在が伸びたのだ、、、、。
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機内の模様
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2008-12-14T23:41:00+09:00
2015-01-17T06:09:39+09:00
2008-12-09T23:48:18+09:00
pretty-bacchus
♧Journey海外2004~05仏伊
2005.10.17
2005年10月16日 日曜日
雨の高速は意外にすいていて、11時10分に成田空港第一ターミナル着。
空港では母と弟の奥様と姪たちが送ってくれた。下の弟の二人の女の子ゆみこちゃんと和奈ちゃん。
しばらくあわないうちに大きくなって、五年生と二年生になったいた。
恥ずかしそうに握手をする。弟はいつも写真をもってあるいているが気持ちがよくわかる。
少しお話をして一緒に写真を撮ってお別れする。ボンヴォヤージュ!
幼い二人は覚えたてのフランス語で手を振っている。
母はいつものように涙なみだだ、、、、。一昔少し前まではいつも父と母がいたのに、、、、。
思い起こせば1965年の初めてのフランス行きの時以来いつも母は別れ際に泣いていた。
涙もろいこともあるが、やはりこれが最後かもしれないとおもうのだろうか。
出国スタンプが二百回をこえての旅のなかにはいろいろあった。
危険なこと、飛行機の事故、車の事故、タクシーの事故、、、、、数えたらきりがない。
最後の旅ではとうとう眼を失う危機に面してしまったのだから、
母の泣くのはいたしかたないのかもしれない。
当の本人もいつも、なるよにしかならない、、、でも神様がいつも助けてくれるに違いない、、、
なんて思っているのだが、、、
AZ787便 ボーイング777。
長距離でアリタリアに乗ったのは初めてである。
いくつになっても新しい体験は期待心がはずむ。
「ボンジョルノ、シニョーラ、、、、、機内はすでにイタリアである。
12:55 発は遅れて13:15分発。
ミラノまでの飛行時間は11時間35分。
雨が上がったばかりの空港は各国の飛行機が待機していてすでにノスタルジックくな雰囲気、、、、。
昨夜は一睡もしていないので、頭はもうろうをしているがなんとなくうきうきしている私。
四年前の4月の旅で眼をわずらって以来、海外の旅はさけるようになっていた。
眼の中にはシリコンが埋め込まれて網膜をつっている。
最初の六ヶ月は、ガスが目に残っているので、気圧の違う飛行機は禁止だったし、
あまり重い荷物はいけないといわれているので一人旅は危険が伴う。
無理をしないにしようと思っていても旅に出てしまえばそうもいかないことがたくさんある。
でも今までと違い会議用の書類がないし、フィルム数百本がないし思い銀塩カメラは
デジマメに変えたので、だいぶちがっているはずだ。でもチェックインバッゲッジは23キロ。
カメラとマックは手持ちなのでこれで15キロほどか?
アップグレードをしてくれて、Cクラスの一番前の席をとってくださったが、中で10のKに変更。
右後方にエンジンと翼がみえるので、おもしろい写真がとれるかもしれない。
雲を抜けると青空がひろがり空の旅の始まりである。
一時間後に昼食:食前酒はスプマンテ、ラビオリとペンネを白ワインで。
白身の魚とアスパラかす、赤ワインを一杯。
デザートのイチゴのときにスプマンテをおかわり。
機内でも相変わらず飲んでいる。
二時間後ほど北海道上空をすぎた印がでた。現地時間へあわせてすこし寝よう。
日本時間午後4時。現地イタリア時間午前9時に時計を合わせる。
何百回もの旅の習いは変わっていない。
現地の言葉の映画を見たり、雑誌を読んだりもするが、今回はマックにむかった。
ワープロのソフトをひらいて文字の大きさを18ポイントにしてリラックスした姿勢で、、、、。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
海外に出なかった4年の歳月は地上ばかりでなく機内もIT環境が進んでしまっていた。
すべての席に電話機がつき、デスク脇から出てくる8インチくらいの画面ではタッチパネルで
音楽映画などがみられる。
正面の地図には刻々と飛行帯が動き現在の状況をしら是てくれる。
新しい携帯PDAのM1000で電話をしてみる。
ダメ。さすがに地上一万メートルでは電波がとどかないのだろう。
試しにiBookとブルーツースでつながるかを試したがこれもダメ。
あ、、、正面の画面にアラビア半島とヨーロッパの地図が出始めた。機はモスクワに向かっている。
あ〜〜カスピ海、北海も、、、。
ウラル山脈ってあんなに長く北から南までつづいているのか、、、。
かって自分の足であるいた都市や土地の上空を通っていると思うとなんだかとてもわくわくする。
一昔前だと、パーサーを捜して「今どの辺りをとんでいるのですか、、と聞いたものだ。
彼らも経験と勘で「あの、形はx○半島ですからそろそろ、どこどこです、、、なんて答えていたのに、
今は地図上の赤い印をみて窓から確認するとその上にいるのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチが今生きていたらどんな想像がわくのだろう、、、なんてふと考えた。
iBookの電池があと2時間45分。半分になった。
少し別のことをしよう。
ふと気がつくと正面画面にモスコー、レニングラードが出てきた。14時30分。まもなくサンとペテルスブルグか、、、。
モスクワからまっすぐにのびた北の端をとっているらしい。害今度は−72度。うわ〜〜寒そう。
表は一面の雲海。え〜〜WHITE SEAなんてあるの?
モスクワの真北の位置。地図ではかなり大きな感じです。(Hさん教えてください。)
15時30分
ストックホルムに向かっている。さっきから機は大分揺れている。シートベルト着用にアナウンス。
追い風が168キロの表示になった。そのためか到着予定時間が5分ほど早まった。
風に影響ってすごいんだ、、、。ミラノまであと2時間22分の表示。
外は相変わらず雲海。
ストックホルムからからワルシャワ、ベルリン、ウイーンの上空をとおってミラノまで南南西に進むのかしら?
ということはアルプスを超えるのだから、今日のファイナルデスティネーションの
ロウ゛ぇレート上空もとおるのかもしれない。
ブレンネル峠ももちろんだろう、
17時、日本時間では24時。もう皆寝ていることだろう。
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http://keico.exblog.jp/4473144
2006.10.10
2006.10.10の機内にて
パリ時間 午前10時
JAL405機内にて
今シベリアの上空。
離陸して5時間がたった。
食事も終わり、満席の機内は暗くなってお休みの時間、、、。
離陸のアナウンスに機内のネットは年末でおしまいなので、今は無料の知らせがあった。
よ〜〜し!
スチュアードに聞いてもJALの機内で、だれも知らなくて、いらいら、、、(この期に及んで〜)
昨日登録したHPをクリックしたら、JAL無料のページがでてきた。
試行錯誤で機内でのネットに成功!、、
すごい、右の眼前にジベリアの氷の大地、目の前に封切り前の映画、BGMどころではない。
なんとさくさくHPがみられる、、、、無料で早い!
あきらめていた機内ネット、それも無料ネットに挑戦。
無料でネット接続に成功!
グーグルアースでシベリアの上空をみた。、、、、眼前の画面と同じ形がマックの上に踊っている、、、当たり前だ。
というより、これってJALはグーグルアースをつかっているのかしら?
と思ったがそうではないのは当たり前!
機長席の画像だろうからもっとライブに違いない。
あとでそ〜〜と機長席を訪れてみようかしら〜〜^^
昨日は全然寝てないのにネラれない、、、いや寝られずにネットサーフィンの後、
仕事(今度のプロジェクトに必要な原稿を書いてます)もどきを楽しんでいる。
この興奮を友人達にメールでどんどん時間を追って知らせて、なんと機内で返事をうけとっているのだから、
時代は進んだ〜〜〜〜!
離陸してから一時間後に書き始めた時間の記録をアップして、マックを閉じよう、、、だって、
4時間した電池か持たなくてあと2時間半しかない。
電池は上の戸棚だし、休んでいるまわりに迷惑だから、、、
隣のおじさんがびっくりしてこっちをみているし、、、、
カシャッカッシャッの写真もコードがなくて入力できない。
~~~~~~~~~~~~
旅の記録
061010am4:30 就寝
061010am7:00 起床
061010am8:00 出発
061010am9:30 渋滞に巻き込まれやっと成田空港着>>チェックイン、
グローバルカードのお陰で列ばずにすんで、ほ〜〜〜
061010 am11:40 30分遅れて離陸
すすきが白くきれいに揺れている、風とジェット気流に揺れて手をふっているようだ。
一句浮かんだ。
デコラージュ すすきの波に おくられて
(デコラージュ、アテリサージュ、、、など航空用語を学んだ数十年前がなつかしい、、、、)
061010pm12:40 サーヴィス開始
パリ時間に変更
06:40 タービュランス
白と赤のワインブラスを持ち上げて数分我慢、、、
ワインはシャブリとブルゴーニュ赤で和食のメニューをいただく。
(画面ではハバロフスカシャッ、、、、写真を撮る。)
061010am07:10
061010am07:40
061010am08:40 サーヴィス終了
〜〜〜〜〜〜〜
眼前の画像に雨が降ってきた。
窓を開けてみた、、、が晴れている。
機長席の正面のまどだけ水がながれているみたいだ、、、
雪原が酸くなりなって緑が現れてきた。
35000フィート ノボシブスク、だそおうだ。
868k/h
(このiBookのことえりのカタカナ変換がわからない)
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061010 pm17:19
パリまであと6時間少々、、、
少し寝るとしよう>>>>>>
大変な旅なのに、旅そのものに楽しみを見いだしてたのしんでいる自分に杯を上げよう!!
ボンヌコンティヌアシオン、ボンヴォワヤージュ!
(機内で初めてネット環境を愉しんで、google Earthで、地上との画像を愉しんだ日に、、、)
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