生きる歓び Plaisir de Vivre。人生はつらし されど愉しく美しく:♪JourneyAbroad海外1970
2014-12-31T23:43:26+09:00
pretty-bacchus
人生は辛く哀しいことが多すぎる。でもアール&プレジール・ドゥ・ヴィーヴル生きる歓びをめざしたい。心豊かに美しくいつも明るく生きていきたい。 Photo by Keiko Katagiri (奈良桜井の聖林寺十一面観音菩薩 国宝)
Excite Blog
1977年<AF Japan 25th Anniversary>頃の思い出
http://keico.exblog.jp/16827814/
2012-11-18T23:58:00+09:00
2014-12-31T23:11:58+09:00
2012-11-19T23:36:23+09:00
pretty-bacchus
♦JourneyAbroad海外1970
昨日の雨で洗われた葉がますます色づき風に揺れてとてもきれいな朝。
ゆっくりとウィークエンドを過ごすことができた。
京都からヨウコさんがでてらして、久しぶりにゆっくりとお食事をご一緒できた。
来年の春に開講するふくみ先生とお二人の芸術学校のお話しもいろいろうかがうことができた。
来年は京都通いが多くなりそうな予感?
〜〜〜〜〜
エールフランス時代の上役だったHさんが、ピカサでエールフランスの記録の更新なさった。
<エールフランスジャパン 二十五周年アニヴァーサリー>は、
1977年、今から三十五年前の時代。
成田に新東京国際空港が開港する一年前。
私はパリの駐在から帰国して数年たっていた頃だった。
東京からパリはまだ直行便がなくてアンカレッジ経由かモスクワ経由のシベリア線の頃。
1972年4月にはB747が東京-パリ間に就航しいよいよ大量輸送時代が始まり、
日本からのグループがパリを訪れるようになり始めて数年がたっていた頃だった。
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2011年12月4日 日曜日 <<< (クリックしてください。)
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発
その頃は羽田と東京に事務所があって、街の事務所は日比谷の三井ビルの一階二階だった。
人数は数十人だったろう。
二十五周年の記念の冊子を作るために各部署の写真撮影があったのを覚えている。
]
なつかしい集合写真だが、あまりはっきりせずに残念。
記録としてブログに載せておきましょう。
(前列右から二人目がワタシ)
そして盛大に行われた二十五周年のパーティーでは、私は自分でデザインした着物を着ての出席だった。
(ハンドバックは着物ように特製のエルメスのクロコ)
パリ時代に着物をきたのはほんの数回だったが、帰国してからは着物のことが多くなった。
お茶のお稽古に精進したのもこの頃からだった。
〜〜〜〜〜
その十年ほど前に入社の頃に、クリスチャンディールの濃紺のユニフォームを着て、羽田空港で。
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2011年6月15日 水曜日 曇り
梅雨の間にいにしえのふみそっと見て>>梅雨深しいにしえのふみそっと見る
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2011年12月12日 月曜日 その一 雨のち曇りのち晴れそして、、、
☆回想のわが巴里の街1973~1980 =旅と滞在ホテル
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雨の日曜日に<美容院>の思い出
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2012-10-14T23:59:00+09:00
2014-12-31T23:29:36+09:00
2012-10-17T20:46:23+09:00
pretty-bacchus
♦JourneyAbroad海外1970
夕方まで雨、でも日曜日の雨は静かでいい、、。
少しゆっくりと思い出にふけっている雨の日曜日。
昨日の美容院は日本では私にとって最初の経験であった。
夏の汗と冷房の乾燥で傷んだ髪の毛と地肌のトリートメント。
今までのトリートメントと違うのは、カメラで地肌を撮って状態をみて幾種類のシャンプーの中から
最適を選ぶというちょっと楽しい試み。
カメラの方に興味がわいてさっそくしてもらうことにしたのだが、
シャンプー前のまだ汗びっしょりの地肌を撮るということで抵抗した、、、。
二百倍で撮られた地肌と髪の毛がそのカメラの液晶にすぐ現れて、その汚れがわかる。
それから数種類あるシャンプーのなかから最適が選ばれる。
その前に、薄白い泥のような乳液で頭中よくマッサージ。
これで地肌の汚れを呼び出すのだという。
それからは普通にマッサージをしながらシャンプーをしていただき、あとは田中店長のいつものブロー。
(このような仕方は十年ほど前にパリのレミーの美容室でしたことがあった)
(携帯電話ほどの真ん中のがカメラ)
(施術前)
(施術後はきれいになっている)
いろいろお話しを聞きながらの数十分は癒しの時間。
ここの美容院はかれこれ十年ほどになるが、田中さんはじめ十数人のスタッフは
皆んなプロフェッショナルでとてもイイコ達が多い。
(スタイリストの中原さんと小野さんをノーファインダーでカシャッ〜〜)
店長とスタッフの写真は下記のブログにも。
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2011年12月4日 日曜日
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発
美容院ってシャンプー&カットとともに癒しの場所を思っている。
誕生日の時などは、ブローの席についたら、店長が“ハッピーバースデーツウユウ〜〜”と
歌い始めて、スタッフの皆さんが一緒に和してくださっ、なんだか少し恥ずかしくって、
嬉しくもおろおろしてしまったり、お疲れですね〜〜とシャンプーの後にゆっくり肩のマッサージを
してくださったり、時にはうとうとしているとそっとそのままブローをしてくださる。
http://keico.exblog.jp/13089212/
2011年7月15日 金曜日
満月、そして誕生日でした。
ある時は、午後にカットとブローの予約をしてあったのに、仕事追いまくられて出かけられず、
4時少し前に美容院にかけこんだのに、田中さんは、“まかしてください、となんと
マッサージもついたシャンプーブローを35分でしてくださって感激!
http://keico.exblog.jp/9150550/
2009年10月22日 木曜日 晴れ
6645メートルのメラピークに挑んだ友人の会
思えば私は小さいときから美容院にもとても恵まれて過ごしてきた。
<禍福はあざなえる縄のごとし>を地で行くような一生で、青天の霹靂に何度もあっていて、
年を重ねる毎にそのアップ&ダウンは幅を広げてアップアップしているが、
こうして元気で毎日を過ごししていられるのは<天地人>のおかげだと思っている。
天に見守られ地に足をついて人々に恵まれの毎日があるのだと心から思うのだ。
いつもありがとうと手をあわせている。
遠いご先祖、記憶にある祖父母、両親、叔父叔母、兄弟、従兄弟達、先生方、
そして友人&知人達の恩恵を受けての今があるのだ。
それに現代においてはウェブ友もいる。
セ・ファンタスティック!
(と、このオプティミストなのも良いのかもしれない)
衣食住に関してもアップ&ダウンはあるものの、
それぞれにそれなりに恵まれてきたのではないだろうか。
そして美容院もそれはそれは恵まれていただろう。
子供の頃は祖父母の敷地にあった床屋さんで、髪は<おかっぱ>にしていた。お祝い事の時々には
髪をきれいにして新しいお洋服を着て、写真屋さんで撮ってもらった写真が残っている。
小学生のいつのころからは覚えていないが、町の上手な美容院に行くようになって、
とてもよくしていただいた。
気付けの上手なおう先生とカットの名手のお嬢様がいらして、高校生の時にはお下げに三つ編みの
長かった髪を思い切ってバッサリ切った。
友人達は失恋をしたと思っていたようだが、そうだったのだろうか、、。
大学生の時もずっとその美容院で、先生方は結婚式の時にはホテルオークラまで
いらしてくださったものだ。
パリ駐在時代の二十代後半からは<レミー ポルトレ>。
ジャクリーヌの紹介でいったその美容院はルーブルに近いオペラ通りにあった。
そのあと彼はそこをやめて髪のこと指圧のことなどいろいろと勉強して腕を磨いた。
アレキサンドル(Alexandre de Paris)というパリの一流美容師の片腕にまで上り詰め、
ヨルダンの王妃にこわれて数年ヨルダンにいっていたこともあった。
今はチュイルリー公園に近い細い道で、<Salon de coiffure Paris REMI PORTRAIT>の
オーナーになっているが、十数席の小さな店はいつも年配の女性で一杯。
髪を洗いながら、助手の女性が足のマッサージをしてくれたり、
時間があると小さな小さな別室でトリートメントをしてくれる。
十数年前に、髪の健康にあたえる重要性を唱え、
« Cheveu, parle-moi de moi »と本を執筆している。
パリに行ったときはいつもなんとか予約の間をぬってしてくださるありがたい友。
ミレニアムを祝ってレミーとジェラールの三人で食事をしたことがあった。
彼の写真がどこかにあったとおもって、2000年時代のデジカメのデータをさぐってみたら出てきた。
(初期デジカメなのにexifデータがちゃんと残っていて撮影日の何時何分までわかるのだ。)
(19 December 2000, Paris)
(今のホームページの彼)
この時の真夜中のエッフェル塔!
彼の友人のジェラールでいつも私の足になってくれたジェラールは、
(モンマルトルの丘の上のテルトル広場で。
一人の時の巴里での夜の写真のときは、ジェラールがいつも運転役をしてくれた。
本職はインテリア会社のオーナー、副職はタクシードライバー、そしてケイコの写真撮りの助手?と
ボディーガードを務めてくれた。
そんな時には車の屋根の上の<TAXI>のマークにカヴァーをかけてしまってくれた)
パリにはユニークな人がたくさんいる。そして色んな人に助けられて今の私がある)
http://keico.exblog.jp/13201187/
2011年8月3日 水曜日 雨
簡易スキャンで夜の巴里モンマルトルと凱旋門を
パリでのもう一つの美容院は、シャンゼリゼのオフィスから数分歩いた
ジョルジュサンク通りを右に曲がってすぐの建物の奥まった処だった。
オルリー空港からシャンゼリゼ121番地の二階の日本人応接係に移って一番驚いたのは
このカウンターでは、身ぎれいにしていることもとても必要といわれて、
一週間に一度だけ、お昼休みをかけて近くの美容院で髪とマニュキュアを
してもらうことになっていた。
大学の卒業式まで化粧っ気なしの私だったから、パリでの生活は一つ一つが驚き。
クリスチャンディオールのユニフォームだったのですから!
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2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々
〜〜〜
パリの駐在から帰国してのしばらくはエーフルランスのオフィスが日比谷の三井ビルにあり、
美容院はすぐ近くの帝国ホテルの地下の大場美容室。
大場先生もご健在のころで、私の担当はゆみこさんという女性。
彼女とは仲良しになって有馬稲子さんと三人で、横浜アリーナでのマイケルジャクソンのライヴを
観に行ったりしたこともあったな、、、(あ〜〜懐かしい〜)
さてその後は青山に事務所が移り近くの美容院に。
会社を辞めてからは、身内の会社が四ッ谷の後に代官山の自社ビルに移り、
この近くの美容院でもとても良くしていただいた。八十年代後半のことだろうか。
そのビルも今は無い。
そして今は四ッ谷の愛子先生のお店Tでお世話になっている。
ここは実は八重子さんのご紹介だったが彼女は来ていない。
以前はビョウインよりビヨウインが習慣だったのに、このところそれが反対になってしまっている。
セ・ラヴィ!
雨の日曜日に<髪>の思い出に浸った一日だった。
〜〜〜
more>>>このブログ内で美容院
more>>>このブログ内で美容院と検索してみたら、いろいろ書いていたのですね。
〜〜〜〜〜〜
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散歩道 一足早い 春の色
久しぶりの散歩。5時すぎにでかける。
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どんよりと 明けゆく空に 緑泣き
2006.04.19 水曜日 曇り
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[カルティエ現代美術財団コレクション展]の最終日
2006.07.02 日曜日 晴れ 熱い暑い一日
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日曜に 春を探して カメラ持ち
2008年3月9日 日曜日 晴れ
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春遠からじと 待ってた春が やってきた
2008年3月22日 土曜日
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すさまじい一日だった。
2008年5月28日 水曜日 晴れ
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暑い〜〜〜!
2008年7月23日 水曜日 晴れ 極暑日
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母と久しぶりに会って、、、、
2008年8月20日 水曜日 晴れ後、雷雨
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80歳の井上さんのヴィンテージワインを味わって
2008年10月30日 木曜日 晴れ
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友ありて 春宵一刻 味深し
2009年3月20日 金曜日 晴れ
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雨の日曜日も静かでいいなあ〜〜〜
2009年5月17日 日曜日 雨のち曇り
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真夜中の くちなしの香に 酔い和して
2009年6月17日 水曜日 晴れ
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蝉かぼそくも 一声鳴いて 葉をゆらし
2009年9月20日 日曜日 晴れ
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今年はあと二週間もないの、、、そんな!
2009年12月19日 土曜日 晴れ
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髪切って落ち葉踏みふみ帰り道>>髪切って落葉ふみ踏み回り道
2010年12月5日 日曜日 晴 その二
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パリからの友人と嬉しい一夜
2011年8月27日 土曜日 曇り
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☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発
2011年12月4日 日曜日
http://keico.exblog.jp/14150458/
☆回想のわが巴里の街1965~1973 凱旋門に励まされての日々
2011年12月10日 土曜日 凱旋門
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旅の記憶に浸って>リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリア
http://keico.exblog.jp/8013747/
2009-02-28T23:59:00+09:00
2014-05-06T05:31:12+09:00
2009-03-01T12:04:43+09:00
pretty-bacchus
♦JourneyAbroad海外1970
English Here
今日でもう二月もおしまい、早かった、ほんとにあっという間だった。
夜の番組の探検世界ロマンは、イグアスの滝だった。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr135.html
ヴァリッグ航空のインターラインに招待されての旅で、世界遺産になってすぐのころだから1985年頃か、、、
リマ経由で、リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリア、
アルゼンチンのブエノスアイレスと贅沢な旅だった。
ブラジルとアルゼンチンの2カ国にまたがるイグアス国立公園。
そのシンボルが世界三大瀑布の一つ、イグアスの滝だ。
森を抜けると眼前に現れた大瀑布は、眼をつむると今でもはっきりと脳裏に浮かぶ。
300の滝に悪魔ののど笛などなど、テレビを見ながら、、、、
あ〜〜なつかしい、、、、
機上からみたあの瀑布を撮ったのはたしかミノルタの当時の新しい機種だった。
それにしてもその折りの写真はどこにあるのだろう。
1996年以前の写真は数カ所にある。
いずれ整理をしておきたいが、いつになるやら、、、
そう、あの国境の境にあるホテルでお目にかかった素敵な紳士は、今どうしてらっしゃるのかしら?
思い出は、滝の歴史の1億年には及ばないが、、、、脳裏のどこかに深く残っていて、
何かのおりに突然出てくるものなのだな、、、
曇りの土曜日は、原稿の準備と思索の一日だった。
(雀さんは元気だな〜〜〜) (ふくらんでいるから、寒いのだろうな〜〜〜)
(午後から少し光が明るくなった、、、)
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旅の記憶にーーテルアビブ
http://keico.exblog.jp/7072885/
2008-05-04T08:08:00+09:00
2014-12-31T23:39:36+09:00
2008-05-04T09:12:59+09:00
pretty-bacchus
♦JourneyAbroad海外1970
English Here
一日中ナニカしていたが、とってもゆっくり出来た感じだ。
カメラの試写などをしたり、本を読んだり、、、、お掃除もお洗濯も、、、、
連れ合いは一日、テレビの前で、本を読んだりしているのだが、テレビはうるさ〜〜〜い!
途中、伊達公子さんの今日の模様がながれたら、映画「靖国」のことや、なんと、夕方の番組で、
日本赤軍の岡本こうぞうが、生きていてイスラエルでは未だに英雄あつかいの映像がながれていた。
「連合赤軍あさま山荘事件」の頃には、私は、パリ駐在で日本にいなかったし、
当時は日本の新聞も数日遅れてパリに着いたから、ニュースは、慣れないフランス語で少し見ただけだった。
もちろんまだインターネットもなかったのはいうまでもない。
(しかし、航空会社でコンピューターが使われ始めたのは、この頃で、私は異国でオロオロしていた、、)
テルアビブで、日本の赤軍の岡本こうぞうが乱射事件をおこしたすぐ後で、
なにかの事情で、パリから南回りの便に乗ることになったことがある。
パリを出発して>アテネ>テレアビブ、、、、機は途中から揺れに揺れて、稲光が光り大雨があったりして、
なかなか到着しない、、、
どうしたのかなと思っていたら、片脚が一本落雷にあって壊れたというアナウンスがあった。
機内は騒然となった。なんとか片肺着陸で嵐の中を無事にテルアビブ空港に到着。
トランジットだから、普通なら30分ほどでまた機内に乗り込むのに、いくらまってもアナウンスがない。
乗客は100人ほどだったろうか?
その後わかったことは、機材をボーイング社から取り寄せるから、数時間かかるということ、
そして、パスポートを預けて街に出てもよいということだった。
しかし、日本人だけは入国禁止。
この空港で、日本人によって銃乱射が行われたのかと、、、
悲惨な気持ちで数枚のシャッターをおした記憶があるが、、、、、、
空港の食道も閉まっていて、飲み物だけで8時間くらいまたされてやっと機内の人となった。
旅の数がふえれば、それだけ、いろいろの事故に遭遇するのは必須だ。
それは時代が変わっても変わらないことだ。
随分多くの事故に遭遇してきた。
http://keico.exblog.jp/6042978/
〜〜〜〜〜〜
と、ここまで書いて散歩を兼ねて夕食に出て、小さな事故にあってしまった。
脳の何処かから事故が誘発でもされたのだろうか、、、、
あっというまに起きたことだった、、、、、狐につままれたみたいだったが、まだ痛い〜〜〜。
(続く)
(翼をあれがパリの灯か、Lumiere de Paris)
(十数年前になるか、、、、ボルドーのとなりのリブルヌに近い小さな空港から、
友人のプライベート機に同乗した。十人くらいが乗れる小さな機種(フォッカー7かな? 忘れた)
プロペラが目にも見えない早さで回ってキレイだった。
夕陽を追いながらパリに向かっていた折のたった一枚の、このスナップは、その後、
デザイナーの友人がCDジャケットの表紙に使ってくださった)
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日曜美術館「三岸節子」
http://keico.exblog.jp/1877012/
2005-04-24T23:59:00+09:00
2014-12-31T23:43:26+09:00
2005-04-25T04:13:26+09:00
pretty-bacchus
♦JourneyAbroad海外1970
日曜美術館「三岸節子」を見る。
強烈が自画像が記憶にのこるが、あの強烈な色の風景が、63才をすぎてから南仏のカーニュに居を
かまえてから生まれたものとは、、、すごい!
しかし五里霧中、暗中模索の連続だったという。異国なのだから、、、、。そして芸術家故!!
生を終わる最後まで苦悩しのたうちまわった素晴らしい作品をのこしたのだ。才能をもってした最高の芸術家故、
凡人では悩みえたかったことに苦しみ続けた一生であったのだ。
比べきもない私であるが、あまりにもいろいろのストレスと苦労にめげていた自分が恥ずかしく小さくなってしまう。
あまりあるものを神から、親から、友人から知人から、そして宇宙の渦巻きから与えられている自分なのに、
なんとなさけないことか、、、、。
もう少し頑張ろう! そう思いながら録画を見た。
三岸節子さんが住んでいると知って南仏カーニュを訪れたのはもう何十年も前だ。
確か私が巴里に住んでいたときだったと思う。
あの海をこの目でみて、あの椅子に座って一時を過ごし、あのカラフルな石畳をこの足で歩いたことがあるのだ。
作品を造りだすという苦しみは想像を絶するものであるし、比ぶべくもないが、人間誰でも
それぞれの人生を苦しみながら歩むのは同じかもしれない。
一時間のテレビで私が蘇った、、、、といえるかもしれない、、、、、。
都会の朝が明ける一時、、、、。]]>
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