2005年 04月 03日 ( 3 )

春雷に 花もこごえて 
2005.04.03

 一転にわかにかき曇りごろごろごろ、、、、。

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by pretty-bacchus | 2005-04-03 23:59 | ☆CherryBlossomさくら桜サク | Trackback | Comments(0)

春雷に 立ち寄りし墓 悲しけれ
 旅の楽しみはつきない。
仕事で週末を京都にすごした。熱をおしての旅は少々辛い。
桜祭りのお手伝いである。
 
 ホテルから木屋町を高瀬川沿いに四条に下がる。華やかな先斗町とは対照的に陰鬱な歴史の街並でもある。
幕末には勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士たちが、追われてこの露地に身を潜めたり待ち伏せしたりした路地がたくさんある。
「あ、ここは佐久間しょうざんの討ち死にの場所だ」この時代の歴史が好きな連れあいは歓喜の声をあげる。
酒を浴びるように飲んでの帰り道に襲われて若い命をおとしたという。

 桜にはまだ早く家並みの小さな花に目がいく時期。いつもなら通り過ぎてしまう小さな寺が目に入った。
奥に咲く色とりどりの春の花が見に飛び込んだから、、、。
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 道に飛び出るような大きな石の標識に、豊臣秀次の墓とある。その右に書かれていた歴史の事実に唖然として、
導かれるように中に入った。桃、れんぎょ、水仙、スズラン、白木蓮、椿等々奉納された木々、春が一時に訪れたよう、、、、。
 瑞泉寺。悲惨な歴史の一頁が遺る寺であった。
関白豊臣秀次他59人が眠る寺であった。
一時は秀吉の後継者とされた秀次は、淀の方に秀頼が生まれるや一転、邪魔な存在になり、淀の方を囲む武将たちの策謀に乗せられ、
あらぬ疑いをかけられて、文禄四年(1595)七月、高野山で自害させられた。
秀次の幼児、妻、妾たち39人も三条河原で死刑に処せられ次々と斬殺されていった。
遺骸はその場に埋められて塚とし、その上に秀次の首を石櫃(いしびつ)に納めて置いたという。
 その後鴨川の氾濫などにより次第に荒廃したが、慶長16年(1611)角倉了以が、高瀬川の開削中に
この墓石を発掘し、この地に移し塚を再建して堂宇を建立したという歴史をもつ寺。
僧桂叔(けいしゅく)を開墓とし、寺号は、秀次の法号瑞泉寺殿をとって瑞泉寺と名付けられたのだそうだ。
 本尊阿弥陀如来像が安置され、境内には、妻、妾たちの墓及び犠牲者49人の五輪塔がある。
昭和十六年に松下幸之助氏が阿弥陀堂を奉納したとある。
墓に手をあわせ、阿弥陀如来に今日の一日を感謝して願いを込めた。
色とりどりの花々に囲まれて静かに眠ることを願って、、、、。

 空はにわかに暗くなり、すごい音で春雷が走った。

 京都の旅は、パリの旅とよく似ている。ふと足を止めた小さな路地に歴史の跡が遺っている。
旅の楽しみは続く。
 
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by pretty-bacchus | 2005-04-03 23:59 | ☆Journey inJapan国内旅記 | Trackback | Comments(0)

忙中閑有り
 フィレンツエ展を見る。珍しく滋と。
京都では、ちょっと時間を見つけて、よく美術展をみることが出来る。
 春雷。
河久サンにて早い夕食をとって帰郷。調子悪し。
週末も仕事をするとつかれるな〜〜〜。
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by pretty-bacchus | 2005-04-03 23:47 | ○Art&美術,詩歌,展覧会,お稽古 | Comments(0)