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今年最後のシャトー・ドゥ・ピゼイのボージョレヌーヴォー樽の会は雪国で
2017年11月29日 水曜日 晴れ 妙高へ

 北陸新幹線で東京から上越妙高へ。
東京駅で信じれないことが起こって出発が遅れた。

 東京駅のタクシー降車場は、止まりっぱなしの自家用車で一杯で中に入れず、、、、。
表の道路でおりることになってしまった。

 緑の窓口でかなり並んで、グリーン指定席と乗車券をクレジットカードで購入した。
いつものように窓口でジパングで切符を購入、東京から妙高高原の往復。
帰りは伸びても良いように四日以内の最終便をとっている。いつもそうしている。

少し早く家を出たのでゆっくりした気持ちで切符売り場にいた。
いつもとまったく同じパターンなのだが、今日は切符売り場には外国語を話す東南アジア系の客が十数人で
アーもないコーでもないと変な英語で五つのカウンターの係が困り顔だった。

すぐに出る列車にはぎりぎりなので、一時間後の列車にした。
“東京から上越妙高の往復です。こちらが出発用と、指定席と乗車券を二枚重ねて、
“帰りはこちらですから、袋にいれて、とカウンターにある小さな切符用の袋に入れてくれた。
親切な美しい女性だった。

 次の列車には充分な時間はある。
この東京駅は、地下に降りないと珈琲一杯飲めない。大丸で買い物をする時間もないだろうと、
早めだが中央改札を入った。
コンコースの途中のおにぎりやさんでお茶とおにぎりを買って、すこしゆっくりできた。

 左側の二十一番の階段を数段登って、北陸新幹線の乗り場の改札へ。
中に入ると待合室があるというので改札に二枚を重ねて入れた。
ガシャッと前の小さなゲートが閉まってしまってしまった。もう一度トライ、同じにダメだった。

係員は別の人にかかりっぱなしだし一人しかいないよう。
“あの〜〜〜すみません、、、、”と、言っても、こちらを見てもくれない。
別の人も、あの、、、と寄ってきている。
それでも前の人のが終わると、先に声をかけた私のことをみてくれた。
“ゲートが閉まってしまうのですが、、、、”
“これじゃ入れませんよ。どこにいくのだすか?”
“切符通りで上越妙高までです。北陸新幹線ですよね。とわたし。
(上越新幹線というのもあるのだから、これだけでもすでにややこしい)
“乗車券は越後湯沢までですよ”
“え〜〜?”
さきほど八重洲口の一眼大きな緑の窓口で購入した旨を伝えて、領収書をみせた。
“おかしいですね〜〜〜”
“ここはJR東日本ですから、切符をかったのはJR東海ですから、何もできませんよ。もどって買い換えて下さい”
“え〜〜〜? それって、両社はうまくいっていないのは読んだことがありますが、今切符を買って入った私は
どうしたらよいのですか?”

今日は暑いし、コートも着ていて荷物ももっているので、頭から汗がだらだら流れている。
“どうしてもこれに乗らないとならないのです。なんとかしていただけませんか? もうすでに
一列車遅れているのです。九十四歳が待っているのです、、、なんとか乗せて下さい” 深く頭を下げた。

 少し考えていた彼は、“ついてきて下さい。少し歩いて一番近い切符売り場へ。
と、ちょうど別の男性がやってきて彼に説明してくれた。
偶然にJR東海の人のようで、普通なら一度外へでて、購入した売り場で交換なのだそうだが、
困り果てて汗だくなオバンをみてか、時間が無理かと思ったかはわからないが、二人で何か相談して、
“ここを動かないで待って下さい。購入したクレジットカードを貸してくください。

カードを預けるのをためらったが、だんだん時間もなくなるし、彼らにまかせるしかないだろう、、、、
ここは日本なのだから、と判断。
十数分で新しい切符が発行されて持ってきてくれたが、今度は出発までに時間が迫っていた。
“ついてきてください。普通の改札は通りませんから、着いたら係員に切符をわたして下さい”
“はい、ありがとうございます”

若い男性だから歩くのが速い。
ふうふう言いながら、二十一番線のホームの端から歩き始めた。
グリーンは一番先の十一号車扉だからはるかかなたで見えない。それでも係員が誘導してくれているので、
各扉前に並んでいる人達も少し道を空けてくれながら、ようやく十一番についたのは、発車二分前。
“よかったですね、、、” “よかった〜〜” と同時に声にだしていた。
“ありがとうございました、、、”と頭をさげながら、思わず涙がでてしまった。

ともかく乗り込んで、席についたら、まだホームにいて下さった。
本当にありがとうございました。お名前を聞くのも忘れてしまったが、
これは日本だからできたことなのだろう、、、と、窓口の女性のミスなのに、責める気持ちも薄れていった。

 車内は満席で、あまりの息切れと汗に、お隣の中年男性が
“大丈夫ですか?” 
“はい、ありがとうございます。すみません、、、数分したら汗も引くでしょう。
お見苦しくて申し訳ありません、、、、”
足下にガラガラバックを収納。肩からかけたカメラバックをその上に、PCが入ったトートバックも足下へ。
いつものことだが一人旅の時は、自分の両手でマネージできる数しか持って歩かない。(当たり前ですね!)

 ようやく落ち着いたのは上野もすぎて大宮あたりからだった。
気がつくと今日はなんと空がきれいなのだろう。

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 少し落ち着いたのでiPadでメールをチェック。
昨日午後に発生した日本郵便の問題が気になっていた。
家を出て数時間のあいだにすでにトナミの部長さんがオッフィスにわざわざいらしてくださったようで
ありがたい、感謝!

それにしても今回の日本郵便の対応の悪さはひどすぎる。
14日着の<生もの扱いの新酒>が27日になってもある方の処に着いておらず、
局に照会しても伝票の照合にも応じないのだそう。
そのあいだに局は自分のほうでいろいろ調べたようで、誤配の可能性があるレストランを勝手に訪ねて、
勝手に取り戻そうとしていたのだ。(過ちを求めずに隠そうとしているのは明らか。)

連れ合いにまかせると正論でぶつかってしまうから事が大きくなってしまう。
(郵便局にはお世話になっているから穏便にクレームをしたいのだ)
私が帰京するまで待って欲しいと言ってきたのだが、すでに麹町郵便局を訪ねて局長にあい、
話がつかずその本局の市ヶ谷局にまで話が及んでいるかんじ。
こうなっては後は彼らにまかせることにしよう、、、。

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 車窓の景色は数十分ですでに<旅の空>!
空が飛び雲が流れて、、、、建物が走る、、、、。
いいいな旅って! 二泊三日を半分仕事とはいえ、少しゆっくりしましょうね。と自分に言い聞かせる。

 膝さきのバックからカメラをだしてカシャカシャ、、、。
まもなく浅間山がみえてきて、軽井沢あたりの家並みを走って、一時間少しで長野!
なんと今では1時間46分であの妙高高原駅についてしまうのだ。

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 京都から金沢経由で着いた、今夜のお客様のお姐さんたちを迎えに来ていた宿のバスが
待っていてくれた。良かった!
冬の雪国は暮れるのが早い。明るい内についたのに、赤倉の宿に着く頃には日はとっぷり暮れていた。

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(バスの車窓から途中の雪を)


 S山荘にまず全員おじゃまし、マロングラッセとお紅茶をいただき、それから対めんの旅荘おかやまさんへ
チェックイン。
ここの溫泉はとてもよいのだが、順義のお手伝いをしなければならないから、
ゆっくり入っている時間はないだろう、と諦めた。

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 今夜はS氏主催のシャトー・ドゥ・ピゼイのボージョレヌーヴォーの樽を開けての五穀豊穣のお祝いの会。
ご近所の方やいつもお世話になっている先生方が上越市からもお招きをうけている。
住み慣れた京都を離れて、最晩年を若い頃に過ごされたこの山荘で送ることになさったのは今世紀の初めで、
以来十七年毎年こうして晩秋の会をオーガナイズなさっていらっしゃるのは弱い九十四歳になられる御仁。

フランスイタリアドイツなどからマイセン、リモージュをはじめ、美しい品を戦後の日本に紹介なさった方。
美術会にも茶の世界にも精通していらっしゃるので、千家の宗匠も、ふくみ先生も時にはいらしゃって一時を
すごされている。
この赤倉の妙高高原に西欧文化とともに京文化も導入することに成功している感じ。

私は1970年代初めのエーフランスのパリの駐在員時代に初めてお目にかかってから、
いろいろ教えていただいているので、かれこれ四十七年になる。
厳しい方だが、それはそれはお優しい方なのだが、普通のおつき合いではそれが解らない方も多いに違いない。

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(乾杯〜〜〜!)

 今夜のお客様は十数人であとは岡山さんのお身内の方とかも参加なさって六時半に会は始まった。
岡山さんは、赤倉が村の時代の村長さんもなさっていてこのあたりの重鎮の方。
彼の開会の弁から始まって、乾杯はT教授、そして私がすこしばかり今年のモルゴンの気候とワインの
出来具合などを短く説明。
お料理は土地のもの、ご到来の京都からのお品といろいろ。
宿のお嫁ちゃんのカニ牡蠣グラタンやローストビーフも美味!

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(ヤスヒロさんはパリから帰ったばかりで、まだ少しお疲れ気味)

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(樽はやはり一味違うね、、、と御大。
御大はイイオカオをなさっていますね〜〜〜! とても九十四歳とは思えませんね)

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(最後にきれいどころが全員は言って記念写真!)


 御大は中心にお座りになり満足そう!
こうして真夜中まで和気藹々となんとも素晴らしい五時間がすぎていったのです。

来年は造り手のパスカルデュフェートルを日本にお呼びしたいですね、、、と来年への夢が繋がりました。
お元気でいらしてくださいね、我らが御大!



by pretty-bacchus | 2017-11-29 23:59 | ☆Wine & Dineワイン&食事 | Trackback | Comments(0)
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