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「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」立春に西から友がやってきました
2017年2月4日 土曜日 晴 立春

 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」立春に西から友がやってきました

 節が開けて立春!
二十四節気のうち<立春>が一番好き。
春がやってきたのだ〜〜〜! って心が丸〜るくなる。
雨水>啓蟄>春分を経て、清明>穀雨>から立夏へといたる、この九十日あまりは本当に心が躍る。
宇宙の大きな動きにうきうきする。
小さい頃からそうだったが、とくに寒さが厳しいパリに数年すんでからは特にこの日が待ちどおしかった。
立春という節季の考えはフランスにはないだろうが、何年パリに住んでも日本人には節分がやってきて
そして立春という気持ちはとてもある。 いやなおさら思うのかもしれない。

 春がやっとその気配を見せるころには、ニースやフランス南から黄色いミモザがパリにやってくる。
パリ中のお花やさんは春の希望の色<黄色>でいっぱいになる。
人々は、一束ほんの数フランの(当時はフランでした)ミモザを買って春の訪れを喜びあう。
寒い寒い冬がようやく終わるころ、パリの家々の庭の片隅には黄色いレンギョが芽吹き始める。
やがて白いリラが咲き始め、紫のリラも続いて春のラッパを吹き始める。
プランターの色とりどりのパンジーも笑い出す、、、、。
「あ〜〜やっと春が来た! 道が凍らなくなるのだ、、、。よかった〜〜〜、と思ったものだ。

http://keico.exblog.jp/23560743/
2017年1月17日 火曜日 晴れ 
黄色は希望の春の花色>透きとうった花瓶に巴里を想って
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(1999年とあります)

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 私が住んでいた七十年代初めのパリは、今よりずっと寒かったような気がする。
エールフランス航空のパリ駐在員として滞在したその前半はオルリー空港、
後半の二年はシャンゼリゼ大通り121番地の二階の日本人応接係のティケッティングカウンターにいた。
(このシャンゼリゼ121番地は1970年代はじめ、まだそのころはリドがあり、クラリッジホテルがあり、
そしてパンナメリカン航空のパリ事務所があった)

 パリの西南のポルト・ド・オルレアンからオートルートを南に20分ほどでオルリー国際空港に着く。
(そのころは未だ成田空港もシャルル・ド・ゴール空港も存在しなかった)
当時は朝の五時頃に日本から着く、アンカレッジ経由の飛行機があり、その準備をするために出勤は
まだ暗い頃。ヴェルグラ(氷結注意)の標識が続く凍った高速通りを運転してパリ市内から空港まで向かう。
寒い寒い厳冬の冬も、立春のころには少し緩み始めと感じるのは、高速の右側の野の道々や土手に
咲き始めるレンギョなどの黄色い花たち。
あ〜〜春がやって来るのだ、、、と感無量でハンドルを握る。

 クリスチャンディオールユニフォームに着替えて、日本から着いたお客様を迎える。
日本からのお客様は長い機内の旅を終えて感動してパリに着く。
荷物や銀行の両替などお客様のお手伝いをして数時間が過ぎていく。
(当時は一フランが七十四円の頃だった)
三時半には暮れてゆく冬の巴里は、帰る頃ももう暗くなっている。

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2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

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 (制服は当時のパリファッション界の寵児のクリスチャンディオールの特別製。
一人一人がヴァンドーム広場近くのアトリエで仮縫いをしてくれたのですから、
なんという贅沢なユニフォームだったことでしょう。
空港では帽子もかぶらなければなりませんでしたが、シャンゼリゼのオフィスでは脇においていました。
クリスチャンディオールの制服は、中の白いブラウスの襟前は長方形のリボンで、
濃紺の襟ぐりが広いラウンドの襟から
それが見え隠れするのです。袖も洒落ていました。
そして胸には小さなエールフランスのマークの入った記章。
このユニフォームを着たくて試験を何度も受けた人が多かったそうです)


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2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

 その時代はまだまだパリは遠い国だった。
ふらんすへ行きたしと思へども
  ふらんすはあまりに遠し
     せめては新しき背廣をきて
        きままなる旅にいでてみん(萩原朔太郎)


 空港への道で黄色の連翹の花が咲き始めると、
春の訪れのシルシで心が躍った。
やがて紫色のリラの花が道みちに咲き始めると、もう冬には戻らない。
風もさわやかになり、春は確実に街中を埋めつくす、、、、。
白と紫のリラが花屋に並ぶ頃には、パリは春一色になる、、、、、アネモネ、パンジー、デージー、、、
この頃から五月一日のスズラン祭りのころまで、一日一日緑と花に一喜一憂しながら
希望の春の日々がつづく、、、。
それほどフランスの冬は寒く、春が待ち遠しかった。
そしてマロニエとプラタナスの木が緑をつけていく、、、。
なつかしい四十数年前のパリの立春

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2011年12月8日 木曜日  曇りのち雨
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー忘れられない事

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2011年12月10日 土曜日 凱旋門
☆回想のわが巴里の街1965~1973 凱旋門に励まされての日々

☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ
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2011年12月11日 日曜日 その一
☆回想のわが巴里の街 ーシャンゼリゼ

 〜〜〜
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2011年12月17日 土曜日
☆回想のわが巴里の街1990~2000 =十五区のアパルトマン
 ☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris ~1990~2000

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2011年12月17日 土曜日
☆回想のわが巴里の街1990~2000〜巴里のお花やさん
 巴里のお花やさん
 アパルトマンの一階がオランダ人の花屋さんで、日本と比べるととっても安かったから、
七階の部屋もベランダにもいつも沢山お花があった。
ベランダには観葉植物や、色とりどりの薔薇の鉢が陣取っていた。
切り花のチューリップやアネモネなどは、一束10本で数フラン、何百円かで買えたから、
仕事の帰りにお花屋さんを覗くのが楽しくてしょうがなかった。

 店員のフランス人のゲイのダニエルは日本のイケバナを覚えたがっていた。
毎週末に生花を買うときに少しずつなんとなく日本のイケバナを教えた。
シン、ソエ、タイは、天地人で、、、とか、昔覚えた少しばかりの池坊を、、、、。
感性豊かな彼は、すぐに覚えて、フランスとはひと味違った花束を創ったから、お客さんにとても喜ばれて、
“ブシコ・フルールには、緑の手を持つジャポネーズのアドバイスのお花があるのよ、、、、と、
遠くからも買いに来るようになったという。

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(バスを降りたら目の前がこのビルで、住んでいた七階の大きなバルコニーにはいつも花がありました。
住んでいるときにはここがバス停って知らなかったお馬鹿さんです)

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[#IMAGE|a0031363_21512577.jpg|201112/18

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2012年12月20日 木曜日 
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage 2008 バックトゥー2008年12月20日
晴れたり曇ったり その二

 〜〜〜〜〜
 そしてフランスで忘れられない<黄色>の圧巻は、なんと言ってもオーヴェルニュ地方のあの
黄色いプランタジュネ、エニシダの花!

http://keico.exblog.jp/19940226/
2014年6月25日 水曜日
1996年6月オーヴェルニュ地方、ラ シェーズ=デュー、イソワール、
オーヴェルニュ地方の神の家シェーズ=デューの取材の折りに通った田舎道での
このジュネの花は圧巻だった。

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 イギリスの家系にに由来する「プランタジュネット」。マメ科の植物エニシダの木で、
プランタジネット朝は中世イングランド王国の王朝。フランスの貴族であったアンジュー伯アンリが
1154年にイングランド王ヘンリー二世となり1399年にリチャード二世が廃されるまで続いた。
このあたりの英国史は大学の時に太ったイギリス人神父様に教わったがよく覚えていない。
(ボルドーの領主でフランスとイギリスを支配した女性エレオノーレ ダキテーヌとワインの関係もおもしろいのだが、、、。)
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 この立春の夜に京都の友が上京
その昔彼女の祇園のお店でアルバイトをしていたタイチ君の結婚式出席のため。
タイチ君は京大卒のあと東京の会社に就職してトントンびょうしで今は部長さん。
披露宴の後の九時頃に同じ頃にお店にいたS君もI君も一緒に高田さんのお店で約束した。
“お久しぶり〜〜〜! お変わりありませんね〜〜〜!
“そんなことあるはずないでしょう〜〜〜二十年ぶりくらい?
“いや、お顔も声のはりも変わりません〜〜
三人ともかなり酔っているようだ。
彼らも立派になっていて、今は三十代中頃のおじさん、いやお兄さん。
二人は仏教大学をでていて、S君は愛知県のあるお寺さんの副住職。

 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」イイデスネ〜〜!
まずは赤ワインからのおもてなし。乾杯〜〜〜!
飲まない私を心配してくれたが、今回ばかりは禁酒。
昨日の突然の<日帰り入院>エトセトラで、入浴、重い物、遠出、油ものなど禁止、
そして二週間は酒類絶対厳禁
ワインを楽しみながら夕食をするというのが長い間の習慣になっているので、それができないのが辛い。
ましてや遠来の友と杯を重ねられないのがなんともわびしい!
 
 何と彼らとの話に花が咲いたのは、仏教の伝来と高僧たちのこと。
鑑真、最澄と空海、法然、親鸞。なんという酒席であることか!
子供の頃の父のサロンを思い出した。

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(酔ってますね〜〜〜!)

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(高田さんオリジナルの銘カクテル<二種のミントのモヒートに魅入る彼らは可愛かった!)
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 立春は嬉しい邂逅となった。
古代中国で考案された二十四節気、文字の発明の甲骨文字のころにはすでに概念があったという。
太陽の動きをもとにして陽が移動する天球上の道を黄道といい、黄道を二十四等分したものが
二十四節気なのだそう。
元もと二十四節気は、中国の気候を元時代に名づけられたもので、日本では江戸時代に用いられた暦から
採用されたが、日本の気候とは合わない名称や時期もあるという。
それを補足するために二十四節気のほかに、土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの
「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたのが日本の旧暦だという。

 去年の2016年10月31日には、中国の「二十四節気」がユネスコ無形文化遺産への登録勧告が決定したというから、おもしろいですね!

http://www.unesco.org/culture/ich/en/RL/the-twenty-four-solar-terms-knowledge-of-time-and-practices-developed-in-china-through-observation-of-the-suns-annual-motion-00647


by pretty-bacchus | 2017-02-04 23:58 | ◐Nature空,海,夕陽,緑花,鳥蝶 | Trackback | Comments(2)
Commented by nanahan at 2017-02-08 09:14 x
良いパリ時代でしたね。愚生はそのころインドのどさ回り~~^。
Commented by pretty-bacchus at 2017-02-09 04:30
ナナハンさん、前世紀の巴里の一人の日本人の人生模様ですね。

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