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宇田川悟さんの<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>
2015年12月3日 木曜日 雨のち曇り宇田川悟さんの<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>_a0031363_21252852.gif

  雨が上がった。よかった。
なんだか疲れていてよろよろしているが、土手の道の落ち葉を楽しみながら駅へ。
ラッシュアワー前のJRで飯田橋着。
クリスマスツリーがきらきらと輝いていた。

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宇田川悟さんの<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>_a0031363_20582465.jpg

 午後5時からPORTA神楽坂の第1会議室で行われた宇田川悟さんの講演会を聴いた。
<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>
宇田川さんはもう二十年ほど前からのお知り合い。
二十年住んだパリからご帰国なさってからは神楽坂にお住みになり、お宅にもうかがったことがある。

「書斎の達人」「フレンチの達人たち」「最後の晩餐」「死ぬまえに食べておきたいものは?」など
多くの本を書いてらっしゃる。

http://satoruudagawa.blog.fc2.com
宇田川さんのブログ

 奥様葉子さんはとっても素敵な方で、ペンネーム吉村葉子で、
二十年間のパリ生活から得られた豊富な知識で、日仏の文化のちがいなどを書かれた多くの著作がある。
「」パリでみつけた」「お金をかけずに人生を楽しむ方法」「お金をかけずに食を楽しむフランス人」
「お金をかけても満足できない日本人」
ホームページのダイアリーはとても楽しい。
http://www.yokoyoshimura.com/diary/diary.html
葉子さんのホームページ
フランスの今回のサンドニでの事件も簡潔に説明なさっている。

http://keico.exblog.jp/6892809/
2008年3月12日 曇り
日仏150周年記念、日本のフランス料理150年

http://keico.exblog.jp/6901620/
2008年3月15日 土曜日 晴れ
春の一日は暮れて(2000年のダイアモンドエッフェル塔)

http://keico.exblog.jp/7720415/
2008年12月6日(土)晴れ 
スケジュール一杯の充実した週末の一日でした

 宇田川さんの講演会には何度かうかがったことがあるが今日は地元神楽坂のお話しでお客様は三十人ほど。
一時間半の予定が、主催者の意向で最後の三十分は懇親会ということで、宇田川さんはコンパクトな
内容一杯のお話しをしてくださったので、少し記録しておきたい。
(わたしが加えたいことも途中に入れて、、、)

<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>
食文化から街づくり

フランスで日本人がきらわれるレストランでの三つは
1/皿のぐるぐるまわし
  数人で食事をして、皆で皿を回して食べる。
シェフは皿の上に一つのアートを描いている。
<<ぶぜつであるとシェフは感じる。
1/写真をパシャパシャ撮る
1/ワインのラベルをはがすのを頼む

また、食中毒については日本ほど過剰な騒ぎはしない。
個人の体調の差もあると考えるようだ。
美しい物は毒がある!
 
 仏の美意識は
明晰、簡潔、エレガンス
食は近世フランス王国ブルボン王朝の十七世紀〜十九世紀に、時の権力(ルイ王朝)と一体化して確率され、
美食文化の伝統化がなされた。

ガストロノミー=美食文化(方法論)
文化として認知されて>ジョワ・ドゥ・ヴィーヴルとなった。
文化としての料理の確率は十九世紀から百五十年かかって今はフランスの政治外交にも影響を及ぼしている。

階級社会のパラレル(横社会で自分達が守られている)

三つ星が町場におりてビストロとなり、カフェともなり、豊かな日常生活を切り取り彩り、
カフェ文化として発展した。
カフェの奥には隠微が世界が時にはあり、その<俗>の対局として<聖>の教会がある。

 しかしこの十年ほど前からフランスではカフェが少なくなってきて、半分の人はカフェに
入らなくなったのだという。

(オーヴェルニュからきた人たちのことは今回は話さなかったが、私のブログで言及したことがあった)

http://keico.exblog.jp/19949581/
2014年6月26日 木曜日 曇り
1997年の今月今日6月26日の私の巴里=パリのカフェの歴史
★ 銀塩時代の写真の<オペレーションデジタル化

1994年の巴里。
銀塩時代のコンタックスStとContax G1 with viogon24での写真をスキャンしてあったので。
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1994.oct. Paris Deux Magots, Contax ST (サン=ジェルマン=デ=プレのカフェ・レ・ドゥー・マゴ )


 神楽坂にはミシュランの☆が多い。
(このあとの彼のミシュラン論はいつもながら見事。あとでゆっくり書いておこう)

神楽坂は粋と伝統の多様な文化が生きている街。
泉鏡花、永井荷風、夏目漱石らも住んだことがあり、谷崎潤一郎の<陰影礼賛>が生きている花街。
薄明かりの中の美。
大通りと中の街並みのコントラスト。
今東京にある七つの花街とは一線を画しているという。
(芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草、向島 とあとひとるはどこだろう?)

 パリの街は、円環状に発展した街。
セーヌ川を中心とした街で右岸と左岸にわかれ
パリ市の中心は、セーヌ川に二つある中州状の島、シテ島とサンルイ島で、ここがパリ発祥の地。
シテ島にはノートルダム寺院があり、パリが教会を中心に発展した街。
西にエッフェル塔、南にモンパルナスタワーがひときわ高くそびえる。ほぼ平坦なパリ市だが、
右岸にモンマルトルの丘が小高く盛り上がり、頂上にはサクレクール寺院が建っている。

http://keico.exblog.jp/20821302/
銀塩で撮った2000年のサクレクール寺院
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>2000年12月巴里サクレクール聖堂の女神に祈りを込めて
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 十九世紀半頃までのヨーロッパの都市では、通りに張り出した屋根からの排水が道の中央の排水溝に
流れ落ちるようになっていた。住民は日々出る生ゴミや汚物を通りに投げ捨てるため、
道の窪みや溝にはそれらがたまり、河川には汚物などが流れ込み、汚染されていた。
それらのパリの大改造をしたのが、ナポレオン三世の構想に沿って大規模な都市改造を企てた
セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンだった。
その後1879年にはエッフェル塔が建ち、1973年にはモンパルナスタワーが建った。
(エッフェル塔を毛嫌いしたモーパッサンは、その塔がみえないエッフェル塔の二階のレストランで
いつも食事をしていたという有名な話も)

 パリの街は人間のために作られていて、その通りは5,500あるという。
その全ての通りには必ず歩道があり、美術館と公園があり、
それはヒューマニズムの具現化であり、人々の街である。

 レストランはそのほとんどが一階の路面店で(ツールダルジャンという例外もあるが)、
その多くは路地、横丁、裏通りにあり、ミシュランの星付きレストランもひっそりした場所にある。
食文化は社交で有り、神は美に宿る。
招かれる夕食会は異業種の人が多く、席次も意味があり、全ての話題にいかに入っていかれるかが
その人の器とみられてしまう。
ディナーは、食事を通してその文化性、人間性をも語ってしまい、それからの人間関係の発生する。

もっともっといろいろお話しなさりたいでしょうに、もっともっと巴里><神楽坂の比較文化論を
お聞きしたかったのに、時間はすぎてしまいました。
ありがとうございました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://keico.exblog.jp/13216621/
2011年8月5日 金曜日 晴
シャンゼリゼ大通りの麦畑とパリの思い出

ミシュラン三つ星の中でもその頂点にたつ<ランブロワジー>は、プラス ドゥ ヴォージュにある。
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(2005年10月  Place de Vosge  夕闇のプラス ドゥ ヴォージュ)

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 (その広場の9番地にあるL'Ambroisie パリの三つ星のトップレストランのランブロワジーのエントランス
パリの街の多くの広場はとても暗い、、、、)

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(一歩入って、、、、)

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 (最初のサル、この手前角の丸テーブルがわたしの指定席!)

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 (実はこれは、、、、、???)

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 (そしてその晩の真夜中に友人の家からのノートルダム全景。

 〜〜〜〜
 講演を聞きながら私は自分のフランスでの諸々を思い出していた。
エールフランスのパリ駐在員として四年弱をすごした1970年代初め、そしてメリディアンチェーンの
日本代表として六十カ国を廻った1980年代の六年間。そして
<ラ・プリュ・フォル・ジャポネーズ! セ・ケイコ!>(もっともバカな日本の女性、それはケイコ!)
と多くの人に可愛がられての二十世紀後半の四半世紀だった。
食のシェフ達、ワインの造り手、そして一般人も貴族社会や美術界や政財界のフランス人とも交友を重ねて
とても恵まれていたのだと、今更ながらのように感謝の気持ちで一杯になった。

ワインと食にどっぷりとつかって、<ベルバカント>というワイン&食&文化のすごい倶楽部の
ただ一人の日本女性に選ばれた頃だった。ボルドーにもブルゴーニュにも年に何度も通っていた。
♥ブルゴーニュのシュヴァリエ・ドゥ・タートヴァン(利酒騎士団)の称号を授与されたり(1992年)、
ボルドーでCommanderie du Bontemps de Medoc et des Graves de Bordeuax コマンダリー・デュ・
ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの称号を授与されたのもこの時代だった。

http://keico.exblog.jp/20835025/
2015年1月31日 土曜日 晴れ  
1998年6月コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式 
★OldPhoto銀塩写真のデータ化

http://keico.exblog.jp/20798889/
2015年1月23日 金曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1998年4月のボルドー,サンテミリオン

(09 June 1998 Bordeaux , Chateau Lynch-bages,
コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式)

http://keico.exblog.jp/14182547/
2011年12月16日 金曜日
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris 1990~2000ー三つのシュヴァリエ

http://keico.exblog.jp/20835025/
2015年1月31日 土曜日 晴れ  
1998年6月コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式 
★OldPhoto銀塩写真のデータ化

http://keico.exblog.jp/21820973/
2015年11月6日 金曜日 晴れ
シャトー・クリネのヴァーティカルテイスティング&ディナーで昔を思い出して

http://keico.exblog.jp/19888552
2014年6月10日 火曜日 曇り その二
1995年10月のボルドーのシャトーでの思い出写真

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 お誘いしたKさんと一緒に赤坂へ。
知らないお店で食事をすると、まずワインが高くて美味しくないことが多いので、勝手がきくお店で
ゆっくりとヴィッラヴィーニャマッジオのグランセレクションを
いただき、おつまみとゴルゴンゾーラのペンネをいただきながら、フランスの今昔などを話しながら、
夜はふけていきました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

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(二十一世紀を前にエッフェル塔にはカウントダウンの光が入った)

ミレニアム2000年のカウントダウンの
1990年代最期の、夜のパリの大好きな一枚は、
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(好きな写真の一枚。1999年12月、西暦2000年まであと22日とエッフェル塔に灯がともる。
メリーゴーランドが回って人々を夢に誘っていた、、、。
(この時代のコンタックスツアイスレンズで、夜に手持ちで一瞬のこの写真を撮るのは至難の業だった)

 エッフェル塔にダイアモンドイリュミネーションが輝きだしたのは、
ミレミアム2000年を過ぎてからだった。
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そして、一枚前のショットは前日の2000.12.17 の真夜中のパリの光り輝くエッフェル塔の一枚でした。
  2000年の12月からダイアモンド照明がされ、二十一世紀へのカウントダウンがはじまった。
(夕闇のトロカデロからシャイヨー宮、アンバリッドなどがのぞまれる)
(最初のデジカメ200万画素でも、こうしてなつかし記憶と思い出になる。
一瞬の写真が長い間の記録になり、のこされていく、、、、、やっぱり写真は素晴らしい!

 写真って楽しい〜〜〜そしてデジカメ時代の写真って凄い!
写真の記録は記憶を甦らせ、時に希望の光を放つのだ!
 
宇田川悟さんの<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>_a0031363_814599.jpg  (毎時5分〜10分だけダイヤモンドイリュミネーションのエッフェル塔の年齢は? )
(21 Dec,2008 Paris)

http://keico.exblog.jp/8948153/
2009年9月10日のブログ

http://keico.exblog.jp/9435668/
2009年12月14日 月曜日 曇り後晴れ
エッフェル塔は御年120才

宇田川悟さんの<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>_a0031363_23215911.jpg
(December 2014 Paris)



by pretty-bacchus | 2015-12-03 23:59 | ☆Books本の虫,講演,講習会など | Trackback | Comments(2)
Commented by kurabusobae at 2015-12-07 07:54
なるほど~~食文化は大変な教養が必要です。と大いに納得しました。
あほな島国のアジア人がまねしてもなかなか追いつきませんね。

たとえば近江の坊さんの精進料理(懐石を含む)と大和(奈良)の古寺の
食文化は全く違いますから(共通点が少ない)だから、大和から見れば、
京都、近江は(山猿なのしょうね)
Commented by pretty-bacchus at 2015-12-11 04:59
kurabusobaeさん、
精進料理は素晴らしいと思います。
フランス料理は、それを文化とまで持っていった課程もスバらしいですね。

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