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終戦の日に写真を供えて祖母想い
2005年8月16日 火曜日

「春はヴェニスの宵の夢、、、、、ら〜ら、らら、ら〜ら、らら、、、、。
 春はヴェニスの 宵の夢
    涙に夢も 泣きぬれて
     さざれの真珠と
           なぞろう うたかたの
              哀しき船出を 慕うらん

   (ヴ ェ ニ ス の 舟 歌 昭和初期に流行した歌だという)
お裁縫をしながら、“春はヴェニスの宵の夢〜〜〜”と歌っていたおばあちゃんの声が
聞こえてくるようだ、、、、。

おばあちゃんはよく、この歌を歌っていた。
 終戦の少しまえの空襲で家を焼かれて駒込神明町363番地の父の家から、母の実家に疎開した祖母。
母が二十四歳ころ、父が三十二歳ころだったというから、
祖母はおそらく五十代半ばをすぎていたのだろうか、、、、。
 
 昔風にいうと嫁の実家に疎開をしたのだから、その後の苦労は並大抵ではなかったろう。
祖父はすでになくなっていたという。
母方の祖父母は健在で、庄屋さんというか村長さん的な存在であった。
町にはまだなかった消防団の小屋も寄付をしたという。

乾麺業を営み、戦後は沢山の人々に食料を提供していたのだという。
泥棒が入っても、食料が盗まれたときは、
きっと子供に食べさせる物がないのだろうから、、、、と、警察にも届けなかったという。

 私の記憶は、、、、、
(その後ブログに書いている)

https://keico.exblog.jp/240173721/

春はヴェニスの宵の夢  涙に夢も泣きぬれて、、、、二人の祖母

2020年3月8日 日曜日 曇り


 なぜか終戦の日に祖母を思い出している。
おばあちゃんや、父や母がいるから、今の私はある、、、、いつもそう思って感謝しているが、
今日はどうもいけない、、、、
なぜか泣けて泣けて、、、。 おばあちゃん〜〜〜ん、、、、、。

 祖母が九十四歳で彼岸に旅立った時に、私は、
「あと五十年まっててください。そうしたら敬子もまいりますから、
と手紙を書いておかんにいれたのだ。
あれから何十年たったのだろう、、、、。
今は天国のどのあたりにいるのだろう、、、、。

 夜明けのヴェニスの写真を大きくプリントして、仏壇がわりの棚にかざった。
なぜか眠れぬ宵である。

終戦の日に写真を供えて祖母想い_a0031363_5525134.jpg
 これは今年の年賀状につかった写真。
サンマルコ広場に朝日がさし始め人々が動き出したころ、、、、。

終戦の日に写真を供えて祖母想い_a0031363_5581841.jpg

by pretty-bacchus | 2005-08-16 05:52 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2022-12-27 19:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2022-12-27 19:49 x
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