失明の危機を脱した2001年の手術の思い出
2005.8.11

工藤様
四年前の2001年の手術の折に主治医の助手先生に送ったメールがマックに残っていましたので
お送りします。
ブログにアップすると記録として消えないからよいかな、、、と思いまして、、、、。
______________________________
08 May 2001,Tokyo,23;10
丸山先生

 この度は大変おせわになりました。
先生のなにげない、心からのお優しさと、的確な説明と診察、その処置に、今回の入院ライフは、
ゆっくりとした気持ちで、心配の無いものになりました。
本当にありがとうございました。

 病院脱出のような感じで、早々と退院させていただき、感謝多謝です。
病院では、白い壁、遠くのビルと、空と雲。なんと、色のない世界なのだろう・・・と、
見え始めた目で見えた世界を少々心配しておりましたが、家路に帰る道筋の、御所の緑と、
鮮やかなツツジの深紅に感激!
 “よかった、、、、色がよ〜〜く解る!

 家のベランダは、留守の間にルビー色のバラが咲き乱れていました。
茶庭には、さつきが花を残し、真っ白な山法師と梅香卯木が薫風に揺れていました。
借景の緑のグラデュエーションは、今までにも増して鮮やかでした。
改めて、「ああ。よかった。見えるようになって!」と、感無量でした。
仏壇の父や、おばあちゃんに報告しました。

 それにしても、今回は、大分だらしないところをお見せしたしまったようで、恥ずかしく思いおります。
どうぞ、岩崎先生、坂井先生にも、お詫び申し上げてください。

 緊急入院、緊急オペ。右目裂孔原性網膜剥離で失明の危機。再手術の可能性有り。
運動障害あり、今回成功しても問題はいろいろ残る。失明の危険大への誓約書署名と、、、、
あれよあれよと続いた時には、さすがの私も驚きました。
血圧が上がってしまいましたね。お恥ずかしい!
(高山先生のウルトラcの手術で、慣れているはずでしたのに、、、、、でも、
考えたら十数年前のこと絵で、それも、お腹でしたもの、、、、、)

 手術の数時間前からはじまった30分おきの目薬は、きっと麻酔薬だったのですね。
一時間前に軽い安定剤の注射が打たれ、手術室へ。
十数年前の手術室より、小さかったようですが、、、、。
何人もの先生が、てきぱきと動かれ、まな板の鯉。足が固定され、両手が縛られて、観念しました。
心電図用のパッチ、血圧計、左手に持たされた小さい板は心臓が止まったとき用の器具だったのでしょうか?
目尻と目がしらに。ズブ〜!という音で刺さった注射は麻酔薬!? それとも???
病院にいた間にいろいろ伺っておけばよかったと思っています!!

 最初から最後まで意識がはっきりしているというのは驚異ですね。良いのやら悪いのやら? 
でも、体にとってはよいことなのでしょうネ。
直径2.5センチくらいの小さいチイサイ眼の手術は、想像を絶するモノでした。
医学の進歩はすごいですね!!。
網膜にあいた穴を塞ぐために液体窒素で凍らせる。
硝子体が網膜の後ろに流れてグジュグジュにはがれてしまった網膜を、少しずつ引き上げて縛っていく、、、
その圧力は手術中ずっと感じていました。
シリコンのつっかいを強膜の両方にかけ、シリコンの輪っかをかける。
これだけでも信じられないことですのに、最期は高圧ガスをいれて網膜全部がおちてこないようにする。

「もう少しだよ」岩崎先生が何度かおっしゃっていましたね。
我慢の限界であったように思います。
しかし、その医術のすごさに途中から痛みもわすれて、感動して涙がでそうになりました。すご〜い!!

 数年前でしたら、そして、手術が的確に短時間でおこなれていなかったら、
絶望であったというのは、納得がいきました。
それにしても、下向きのまま一昼夜の絶対安静は、つらいものでした。熱もでて、、、、、
何度もシーツとパジャマを変えてもらいました。看護婦さんも大変だったと思います。
ありがとうございました。

高山教授も「すごい手術だったね!」とおっしゃってました。
全てが顕微鏡をかけて行われていたのだそうですね。

 緊急手術の一夜があけて数時間もしないのに、早朝7時に丸山先生がいらしてくださったときには、
さらに驚きました。
そしてすぐ検査室へ、、、。
手術成功!。失明回避がわっかった時には、妙に静かな気持ちでした。
でも、それからが大変でした。12時間で天と地の差。
4時間前には、失明の恐怖を味わって血圧が上がっていましたのに、今日のこの思いは?
そのギャップに神経がやられました。一日ハイな気持ちが続き、一人でおしゃべりをしていました。

 第一回入院報告を、友人にメールで知らせたのも、この日でした。
そして、失明の危機が脱したと解り、早速、入院ライフを楽しみはじめたのもこの日でした。困ったモノです。
でも、先生が「いろいろな患者さんがいらっしゃいますが、こんなに入院ライフをエンジョイなさって
いらっしゃる方は初めてです。ポジティヴシンキングですね!と、おっしゃててくださったときは、
嬉しかった!!

 海外出張用の小さいB5のポータブルコンピューターの代わりに、新しいマックのG4を、
この苦しみに討ち勝ったご褒美に買いたいと先生にお話ししましたら、
「個室ですから無理がないようになさればイイデスヨ。」と、先生がおっしゃったときには、
ウエ〜〜と仰天しました。

 金曜日には、本当に新しいマッキントッシュのパワー・ブックの到着。
先生もびっくりなさったことでしょうね。
あのすっさまじいい手術の後に、それも、こんなオバンがですから・・・!

 友人の水谷八重子さんが、川中さんに頼んでくださり、ふつうでしたら3週間もかかるところを、
中2日で見つけてくださったのです。ありがたい友情です。
このオモチャが無かったら、モーツァルトを聴きながら、ただじっと、青梅街道の暗い建物をみて、
気持ちが暗くなっていたかもしれませんもの・・・・・

 最初の大きな手術は70年代後半の、まだ、東京医大が古い建物頃でした。
高山先生ですので、安心していましたが、
「生を終わるときに病院で静かに息を引き取る準備をしているのだ」と思いました。そしてそのときも、
現代の医学で私は再生すると、確信していました。
しかし、今回が一番つらかったように思います。目の腫れは引きましたが、
まだ、
周りは真っ黒でお岩さんのようです。
「大丈夫。必ず元に戻る」と、おっしゃってくださった先生のお言葉を信じていますが、、、、。

 家に帰りましたが、21日まで安静というご指示を守り、仕事場にも行かずに、
家でゆっくりしています。
友人からお見舞いに届いた織物や、花や草が家中に一杯。
いつもとは違ったゆったりとした充実したデイリーライフを送っています。
退院の時に先生が書いてくださった退院後の注意を守り??
食事もワインも元に戻って、おいしくいただいています。

「神様がくださった特別休暇」は、また、新しい生の認識を与えられた一時でもありました。 
現代医学を再認識し賞賛でき、先生方のお仕事を理解出来た実りある一時でありました。
睡眠時間を削って,土曜も日曜も無く、患者さんを看ている先生方に心底頭が下がりました。
そして、私は今回もまた、その試練を乗り越えて、私自身の新しい精神ライフと、
医学の世界のテクノロジー確認の感を手に入れることが出来たように思います。

 こんなことが、我が身に起こってみますと、周りに同じような苦しみの方が多いことが解りました。
友人の息子さんは、アメリカで調子を崩し、仕事を終えて帰国してから病院に行ったら、
遅すぎて失明してしまったそうです。
また、別の知り合いは、2度も手術をしたとのこと。
他の方の痛みが解るのも、我が痛みを味わってこそのことでしょう。

 目を閉じると見えた、高圧ガスの大きなコロナは、日に日に小さくなり、昨日には、一円玉くらいになり、
今朝起きたら消えていました。
二ヶ月らい続くとおっしゃっていましたが、早すぎるのでしょうか?少し心配です。
(本日の実写添付します)
来週の月曜日には、また病院に参ります。
よろしくお願いいたします。

 ようやく、ゆっくりと、メールを書く気持ちと時間が出来ました。
先ずは、先生にお礼の気持ちをお伝えしたくなりました。
どうぞ、今後とも、たくさんの大変な患者さんを助けてください。

 回復が早い中年患者から
心からの感謝の気持ちを込めて・・・・・
○△敬子

☆!
本日、シャブリ特急をお送りいたしました。オリヴィエラ・ルセスストルという、
隠れたる銘造り手のワインです。少し冷やしてお召しください。



by pretty-bacchus | 2005-08-11 02:02 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(0)
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