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都内某病院の眼科に入院しました
2014年3月26日 水曜日 晴れ 病院 

 予定をかえていただき一時に病室にチェックイン?
八階の個室フロアーをとっていただくことができた。もうずいぶん前にお世話になった南西の角部屋。
ナースセンターにご挨拶して入室。
さっそく荷物をだして<お泊まり>の支度を十数分で終えた。
ほんとうに旅でチェックインして滞在の準備をする感じで今までの経験っておそろしいものだ。

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 MacやiPad,iPhoneを机においてiTunesで音楽をながして、リラックス。
ネットに繋げるために初めてiPhoneのテザリングを使用、、、素晴らしい!
(そういえば前回の2001年の入院の時には、新しいMacBookをKさんにお願いして買って
届けてもらったりしたものでした、、、)
今回は本は二冊しかもってこなかった。ふくみ先生の<一色一生>の改訂版。
これは追記もあるがなによりも文字が大きくなっているのがなによりもありがたい。
それとずっと読めていなかった数ヶ月前のナショナルジェオグラフィックの脳の特集。
あとはiPadにいろいろ入れてあるからあきることはないだろう。

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(Macを開けたらパリの友人からお家に咲いた桜のメールが届いていた。
嬉しい〜〜〜メルシーミル!)

 真正面にヒルトンホテル、その向こうにチェンチュリーハイアット、その先には都庁の高いビル、
そして左手のずっと奥にワシントンホテルが見える。
ベランダの右西側の太い柱の向こうには以前は富士山がみえたのだが今はもうビルビルビル、、、。
家の屋上から見えるビルかもしれない。

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 一時間後に担当の看護師さんとミーティング。
入院手続きで何枚もの記入用紙に書いたこと同じ事もいくつも聞かれて、
まだそこまで連動してないのだろう。

 その後十五階東病棟の眼科へ。
ご担当チームの先生が二人で今までの経過を確認。
十三年前に右側と左側の手術のさいのカルテと写真が残っていて、緊急手術で失明を免れて網膜を
シリコンで吊ってある右目と、半年後に眼底出血で硝子体を入れ替えた手術の様子がすぐにわかる。
同じ病院で治療を続けると言うことの大切さを実感。

http://keico.exblog.jp/19170609/
2013年12月15日 日曜日 晴れ
寒い晴天に病の記録をひもといて、、、

 その最たる事が2001年の目の手術。
2001年四月半ばからはイタリアのヴィネックスポの仕事を終えてパリに数日滞在していた。
友人のアパルトマンでノートルダムの朝焼けをみていた。
ポツンとなにか音がした。外ではなくて私の体の中だった。
すぐにはそれが何だかわからなかったが、それはきっと網膜に穴が空いたときの音だったとわかったのは、
二週間後のゴールデンウィーク明けのT医大の眼科でであった。

 その場で緊急入院、緊急オペ。右目裂孔原性網膜剥離で失明の危機。
再手術の可能性有り。運動障害あり、今回成功しても問題はいろいろ残る。
失明の危険大への誓約書署名と、、、、あれよあれよと続いた時には、さすがの驚いたものだった。
そして硝子体のどろどろが脳の方までいく寸前に、ウルトラCの真夜中の手術でで救われたのだ。
網膜はシリコンで吊られてガスが入れられて、数日は頭の位置に丸い穴が空いた病院のベットで
うつぶせでうなっていたのだった。
その六ヶ月後には今度は左目で新生血管ができて混濁。硝子体手術。
この時は数日の入院ですんだのだが、I先生に失明の危機有りと言われていた。

 数年前からその左目の視力がどんどん落ちで、眼鏡を何度も変えていた。
今年二度眼科に行ったが、網膜のことではなく白内障の手術をすすめられていたのだが拒んでいた。
それが先月あたりからまたどんどん視力がなくなってきて、遠くのものが小さく細く見えてきた。

 先生が今回の手術を勧めてくださったわけを今年の一月に撮った眼底の写真で詳しく説明してくださった。
左の眼底は何カ所かが小さく割れている個所があって、その為に物が小さく見えたり木が細く
みえたりしたのだろう。
そのうえ水晶体が曇ってきていて堅くなっていて視力が落ちて白内障がすすんでいるのだという。
(今日の検眼結果は0.2だった)
右が0.8で少し近眼気味なので、これにあわせて左に眼内レンズを挿入する手術をするようだ。
目の大きな図を示しながら詳しく説明がつづく。
水晶体に0.2ミリほどメスを入れて、その後レンズを砕いて吸収する
<超音波乳化吸引術・計画的嚢外摘出術>なのだそう。
その後の説明は怖ろしかった。
手術に伴う合併症の可能性と危険性が沢山あるのだという。
麻酔時もそうだが、術中合併症として破嚢、硝子体出血があり、破嚢や核落下の時には手術延長があり、
駆逐性出血と時には再手術で失明の恐れもあり などなど。

さらに術後合併症としては二週間ほどたってからも感染症があり、嚢胞様黄斑浮腫や緑内障、
さらに網膜剥離もありうるのだというから、説明がすすむうちにますます怖ろしくなってきた、、、。
途中いくつもの質問もした。
“すぐに本は読めますか?”
“旅にも出られますか?”
“カメラは?” エトセトラ、、、
これらの説明を聞いた上で承諾書にサインを終えた。
手術の際にはやむを得ないことなのだろう、、、。

 いろいろ検査が続いて少し疲れた。
夕方T先生がいらしてくださった。この病院の名誉教授で今は週数回すしかいらっしゃらないはずなのに
こうしてわざわざいらして下さって本当にありがたい。
しばらく色々と世間話などして帰られた。本当にありがとうございました。

 瞳孔は開かれたままだし、本を読む気力はでないが、夕陽を撮って現像して、
そしてブログを書く楽しみは残っていた。



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(左奥の青空の下の白い建物がワシントンホテル(

都内某病院の眼科に入院しました_a0031363_2302398.jpg (今夜の夕食は、、、)

 就寝前に母と話すことが出来た。
なんと九十四歳になるのに白内障もないというのだ。
でも近くが見えにくくなっているというので、今度一緒に眼鏡をつくりにいくことを約束。
ありがたい母を持って幸せだ。

 明日は病院タイムで七時起床八時には手術のためのいろいろの薬がはじまり、
十二時には点滴が始まるという。
一時半に車いすで病室をでて手術室にむかうというから、点滴はたぶん軽い麻酔なのだろう。
手術自体は点眼麻酔という。

 皮肉にも病院にいたほうがその日のうちにブログをアップできるなんて、、、、。
今夜は白いカーテン越しに都庁の街路灯とホテルへの誘導ランプを見ながら眠りにつくとしよう、、、。

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27 July 2004 火曜日
蝉の声日の出の時を告げて鳴く(2002年入院の記録)

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2005.8.11
2001年の失明の危機の思い出その二

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病超え高き低きに宙ぶ人生(入院の記録)

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失明の危機を脱した2001年の手術の思い出

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小さな旅は、人生の旅のほんの一時なのかもしれない

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2012年12月14日 金曜日 晴れ
二十一世紀の巴里への旅を追憶して

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2001年11月17日土曜日 ハ晴れ
日記から目の手術の記録をブログに移行


by pretty-bacchus | 2014-03-26 23:00 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(6)
Commented at 2014-03-27 04:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by pretty-bacchus at 2014-03-29 01:22
鍵コメントさま、「頑張れ!」のエールを嬉しく拝受いたしました。
手術は無事終了し、合併症もでずのようです。
貴女様もこの病院ででしたか、きっと同じ頃に私もここで同じ手術をしていました。

眼科のほうは別の病院で大規模だったのですね。
同年配で同じような時代に活躍なさっていらした貴女様ですので、とてもシンパシーが沸いてきています。
あの頃の仕事とする女性はいまよりもずっとずっとストレスが多かったですよね。病の一部はやはりストロスというのはあり得ることなのですね。

お母上の納骨も間もなくですね。最後まで十分に看取られたことに心底感じ入っています。
北の国から富士山の見える墓地へご一緒なさるころには葉桜になっているかもしれませんが
お母上はきっとお喜びになられるでしょうね。
Commented at 2014-03-29 16:27 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tanuki_oyaji at 2014-03-29 19:19
pretty-bacchusさん、こんばんは〜♪
手術、無事終了されたご様子で何よりです。
早く全快されることをお祈りしています。
Commented by pretty-bacchus at 2014-03-29 22:18
鍵コメントさま。ありがとうございました。
ほんとうにお互いに良く堪えて頑張ってきましたね。
時代と共に変わる仕事観ですが、まだまだ男女平等は遠いさきのことなのかもしれません。

退院してすぐに母校の土手の桜を楽しんできましたので、後ほどアップいたしますね。
都心の桜をお楽しみ下さいね。
Commented by pretty-bacchus at 2014-03-29 22:20
tanuki_oyajiさん、こんばんは。
お心とても嬉しく思います、ありがとうございます。

そちらの毎日の鳥たちにとても癒されています。
こちらもありがとうございます。

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