晩秋の雨の日は思い出写真と戯れて
2012年 11月 23日
雨の祭日に写真ライフの思い出
十一月最後の週末で連休。
晩秋の公園を歩こうと思っていたのに、明け方からひどい雨。
外で転ぶと今は両手首をかばって変に倒れると怖いので、このところ雨の日の外出は控えている。
(玄関の柱に掛けられたカレンダー。
ウィリー・ロニ(Willy Ronisが撮った1966年のエッフェル塔。
ワタシが最初に巴里を訪れた年だ)
先だって友人が携帯の写真を嬉しそうに見せてくれた。
新聞一面の大きな広告写真で、撮ったのは彼の息子さんで被写体の一部には彼のお孫さんが写っていた。
彼の息子さんは大きな会社に属しているカメラマン。
“もうボクはとっくにかないません、、、。高校生の時に、こいつはすごいと思いましたよ、、、”
と子煩悩のAさんは目を細める。
会社員だから年収は普通なのだそうだが、彼が撮った写真はすごい金額で広告会社との契約なのだという。
写真家が仕事が少なくなって大変な時代なのに、まだまだプロがしっかりと仕事をしているのだ。
でも二十年ほど前の雑誌写真黄金期とくらべると、雑誌の数も少なくなったし、
残っている雑誌内の写真も精彩を欠いているような気がしてしまう。
不況の波が写真の作品にまで影響を及ぼしているのだろうか?
雨の祝日に昔のことを思い出している。
今から十四年前のこと。
平成十年二月二十三日 1998年2月23日 月曜日の新聞数社の中の全面広告を飾ったのは、
世界遺産がブームになり始めた頃の<ユネスコ公認ビデオ 世界遺産 全十巻
THE WORLD HERITAGE>の広告だった。

(新聞一面の倍くらいのカタログも用意された)
中心の写真は、世界遺産のペトラのあの赤い岩の写真で、その廻りに十巻のビデオが紹介されていた。
その一面写真の右下には、<photo:Keiko Katagiri>と小さく横文字で名前が入れられた。
ビデオのボックス表紙写真にもその名前が書かれていた。

そう私が1997年に<ヨルダン、シリア、レバノンの旅>で撮った写真の一枚、ヨルダンの
ペトラ遺跡の写真が全面広告に使われたのだった。
コンタックスの重いカメラ三台を首からさげてフーフーいいながらの旅であったが、
その旅の写真のできばえは素晴らしいものだった。
でも、今思うとカールツアイスのレンズだったとは言え、
被写体に恵まれての旅ゆえの写真だったと思っているのだが、、、。

馬の背に揺られながら、眼前に突然現れたエルカズネといわれるナバテア人時代の建物を速写)
http://keico.exblog.jp/12135645/
2011-02-17 23:58
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書の旅
この日のブログは、その前日に、入院を前にして今までのことを少し整理をした
前日のブログに続くものだった。
http://keico.exblog.jp/12129258/
2011年2月16日 水曜日 晴
過去のフォトエッセイストとしての記録
http://keico.exblog.jp/14192639/
2011年12月19日 月曜日 雨あめ、、、雨 その三
☆回想のわが巴里の街 1990~2000 フォトエッセイストとして
http://keico.exblog.jp/3220372
2006.02.23
旅の記録、幻のエピローグ
http://keico.exblog.jp/653487
2004.07.14
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅
アマチュア写真家としてはこれ以上の歓びはないだろう。
この一面写真も、その後のエーフランスの機内誌<Bon Voyage>の表紙や、
数年続いた機内誌の中のワイン&アートの毎回五頁の写真と記事も、私はギャラはいただかなかった。
この一面写真の時も、ビデオの現物を何冊かいただいただけだった。
それがアマチュアとしての私の誇りと思っていた。
その昔(経費の都合で)身内の会社の広報誌の写真を撮って書くようになったときに、
プロのカメラマンや編集者から、
“僕たちの仕事をとらないでくださいね”
と言われたことが深く心にかかっていたからだ。
いずれにしても今となっては、私の人生の記録として深く心に残っていて、
何年か前にこのブログの右側サイドバーのカテゴリの三番目に、
<Records過去の記事,書いた雑誌>を作って記録とすることにしたのだった。
http://keico.exblog.jp/i12/
右側サイドバーの<Records過去の記事,書いた雑誌>
若き日に仕事とプライヴェートの旅で、世界六十数カ国の何百という街々を訪ねたが、
どこのここももう二度とは行かれない処が多いような気がする。
その旅した記録をひもときながら、そして少しずつ整理をしながら、
晩年の雨の日を<思い出の写真と共に>楽しむのも悪くないかもしれない、、、。
追記*
ペトラはヨルダンの南方の砂漠と岩山に囲まれた紀元前十数世紀から栄えた古代都市。
ナバテア人(Nabataeans)の首都であり中東での人や物の行き交う要衝の地として通商都市だった。
死海とアカバ湾の間にある渓谷にあり、死海から約八十キロ南に位置している。
西にガザ北にダマスカス、紅海にも近く、砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったが、
ローマ帝国のと軋轢で四世紀にはその栄光に幕がひかれた。
その後なんと十九世紀まで地球上から忘れられていたが、1812年にスイス人の探検家、
ルートヴィヒ・ブルクハルトもよって発見されてヨーロッパへ紹介された。
このエルカズネ(宝物殿)は、一 世紀初頭に偉大なナバテア人の王の墳墓として
造られたものとされていて、切り立った岩の壁を削って造られた正面は幅 30 m高さ 43 m。
ここにたどり着くには、砂岩の岩盤の深い亀裂で形成された自然の地質特性の暗く狭い
シークと呼ばれる峡谷(所により幅わずか3-4m)の道二キロあまりを馬で行くか歩かねばならない。
そして、狭い峡谷の終わる寸前に現れるのが上の写真。
砂岩の断崖に刻まれたペトラの最も精緻な遺跡であるエル・カズネ。
この岩の扉の先を右に曲がると広大な遺跡群が現れてくる。
ここからは歩くのみで、あるけどもあるけども遺跡が続くのだ。
1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録。
2007年7月、新・世界七不思議に選出されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ペトラ
まだまだいっぱいありそうで、もう卒倒しそうです。
鮮やかなお写真、ステキです...^^
お馬で移動されたのですか...?
其れにしましても如何なる場合でも
プロが、仕事を取らないでと発言するなど
恥ずべきことだと感じます。
取られない実力を自分が身につけるべきだけのこと。
他所様を言葉で牽制すべきことではありませんね。
どんな分野でも信条伴わないプロはプロ失格です。
(と、そんなところに反応してしまいました。)
私の憧れの地です。
最後の作品、人物の位置と言い、
露出と言い、構図と言い、
85㎜でしょうか、畳み込み効果のレンズ選択と言い、
すべてにおいて完璧ですね。
崖に刻まれた神殿の淡さが幻想のペトラと彷彿とさせ、
両側の絶壁の反射光が高さを浮き上がらせています。
街のはずれ砂漠の遠方に岩山だけが見える場所からひとりづつ慣れない馬に乗せられるのです。
ゆっくりと馬の背に揺られて、道幅数メートル高さ数十メートルの道を二キロほどすすんで
曲がり角を曲がったとたんにこの光景が現れます。
カメラは首から下げていましたから急いで数枚撮ったのでした。
今と違って手ぶれ補正もない重いカメラですから、こんなふうに撮れたのは奇跡でしょうね。
ペトラはご存じのように紀元前に通商の要として栄えた都でしたが、ローマ帝国のと軋轢で四世紀にはその栄光に幕がひかれました。
その後なんと1812年にスイス人の探検家ルートヴィヒ・ブルクハルトが発見するまで地球上からは消え去ったようになっていたのですから不思議ですね。
発掘はいまだ数パーセントしか行われていないそうで、まだまだ人類の歴史の闇と光がこの世には隠されていると思うと空恐ろしくもなってしまいます。










