☆回想のわが巴里の街~フランス人との交流歴
2011年12月18日 日曜日 a0031363_21252852.gifフランス人との交流歴
 
= 幼稚園から中学まで 日曜学校の神父様と、父の知り合いの外国人、
= 十代後半から二十代前半の大学時代 神父様、先生方
= 二十代前半、卒業後すぐにエールフランスの上司
 卒業後すぐにエールフランス入社だから、会社のフランス人上司
= 二十代後半から三十代、パリの駐在員としてドップリと会社の人たち、街の人たち、
そしてジャクジーヌとその家族、美容師のF、近くのレストランのオーナー達c

= 三十代後半から四十代前半
 メリディアンチェーン日本代表としてエールフランス本社のおえらさん
 メリディアンチェーンの社長、スタッフ、六十カ国の方々
 レストランのシェフ、ソムリエさん達、
 とくにピエール・ル・ムラック氏とその家族

= 四十代半ばから五十代後半までの十五年
どういうわけか、二十四年の古巣のエールフランスの方々とは疎遠になる。

そしてこの十五年は、ワタシの人生では、当時の日本女性としては、信じられないような人達と巡り会ったのだ。
1980年代後半から二十世紀最後の頃までで、ロイヤルファミリーでもないし有名人でもない一般人の日本女性が、
フランス人社会に受け入れられるのはまだまだ難しい時代だったのだ。

 友人の紹介で、美術界の方々と親しくなる。エクスペール(美術鑑定家)のキャマールさん一家、
 レストランのシェフとソムリエさん達
 ワインの造り手たち
 エクスペールKさんの紹介で、マルセリーヌ&ベルナールガンス、フィリピーヌ・ロッチルドさん達とと親しくなっていった。

 身内の会社で、しぜんに洋酒部の仕事にかかわっていったから、海外への旅では、
今までのホテル経営のレストランとパリの星レストランだけではなく、
地方のミシュランの☆のレストランにもどんどん訪れ始めた。
自然にレストランのシェフ、ソムリエさん達とも、造り手さん達とも親しくなっっていった。
ランブロワジーのピエール・ル・ムラック氏とその家族との交流も深くなった。

 八十年代後半に設立された、美術とワイン関係のフランス女性の<ベル・バカント>の会のたった一人の
日本人として選ばれて、年四回の三つ星レストランでの勉強会&食事会に東京から出かけていた。
定例会は、ジョエル・ロブションのジャマンで、その後はギイワボアで行われていた。
食事の後は、フランス文化の話しなどに花が咲いていた。

 政財界から退いたガンス夫妻が、サンテミリオンに朽ちたワインシャトーを購入したのもこの頃だった。
彼らは十年かけてパリとサンテミリオンに通って、シャトー・カデ・ボンを10年後の
サンテミリオンワイン格付けで見事、グランクリュクラッセに返り咲かせたときには、
お祝いの宴にかけつけた。

 二つ目のシャトー・キュレ・ボンには、マルセリーヌが幼少の頃に訪れた安芸の宮島の、
あの朱色が忘れられなくて、彼女はなんとワイン醸造の場所の天上は朱色の漆喰のような木組みにして、
そのしたの銀色のステンレスタンクと見事な調和をなしていた。
ワイン蔵は紀元前からの岩山の通路、そしてうしろの高台のは、彫刻家ベルナール ヴネの
6メートルものCの字のオブジェをパリから運んでいた。
(後にこのシャトーは、シャネルに渡ることになる)

 お祝いには、宮島の朱色と作った現地の大工さんたち(彼らは招かれたことをとても喜んでいた)、
パリの社交界の面々、もちろん近隣のワインナリーオーたーやベトリュスのオーナーや、
そしてボルドーからは、フィリピーヌ・ロッチルドや、後にシャトーラツールのオーナーになる
ピノ−ご夫妻もかけつけていた。
ベルナールがジスカールデスタン時代の大蔵官僚的な人物だったので、政界の方も出席していて
(彼らは二十一世紀になって二つとも手放して、スイスに居城を移してしまったが、、、)

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  (サンテミリオングランクリュクラッセに返り咲きを祝って、オーナーのベルナールガンスに
自作のカードをたくさん送ったものは1996年)

http://keico.exblog.jp/5691687
2007.06.05 火曜日 まだ夜は明けない
旧友の手紙を運ぶ青い風

a0031363_2349502.jpg (翼をあれが巴里の灯か! 
ボルドーからパリへプライヴェートジェットで向かう折りに)

(彼らのプライヴェートジェットの操縦室から移したたった一枚の記念の写真からカードを創った)

 ある日のブログから
<フランスでの旅の思いでが走馬燈のように走る、、、
モンサンミッシェルへの日帰りの車の旅、ロワールのフランソワ一世のシュノンソー城、、、、、、
ヘリコプターから落ちそうになって撮ったヴォルヴィックの水源、
ムートンロッチルドの図書室でのディナー、マルセリーヌのプライベートジェットで通ったサンテミリオン、、、、、
ボルドーのオペラハウスの椿姫と、その後のギャラディナー、アランジュペ氏の顔が浮かぶ、、、
ブルゴーニュの幻の葡萄畑、シュバリエを受けた時の宣誓言はなんだったかな、、、>

http://keico.exblog.jp/737899
2004.07.25
父譲りで就眠儀式は読書なの

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( 数年後のMr. &Mrs. Bernard & Marceline GANS, スイスにて1995年)

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スキャンイングは失敗ですね、、、)

下記ブログから
http://keico.exblog.jp/6126882
2007.09.06 木曜日 風雨強し、台風近し
アデュー ルチアーノ・パバロッティさん

 そして、この年1997年の最大の思いでは、ボルドーのオペラハウスで椿姫観劇とその後にフォワイエでの
真夜中から始まった夜会であった。
パリからはフランス社交界の主なる人々が集まり、ボルドーの主なるワインの造り手が集ったこの宴は
東京の女性にとって、驚きだった。
この時の写真は、ブログで初公開のギャラの時のスナップ。として上のブログの中にのせてある。

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(この写真は、ギャラの時のスナップ。
左から、マルセリーヌ・ガンス、アラン・ジュペ元フランス首相、
マダム・フィリッピーヌ・ロッチルド、右は私で、この日のために誂えた椿の辻が花の着物で。
招待者全員が、シャネルの白い椿の布のブローチを胸に付けている)


http://keico.exblog.jp/10437146
2010年4月16日 金曜日 曇り時々雨、みぞれで寒い
残る花散るを忘るるみぞれかな

 彼らの紹介で、美術界の方々とも親しくなって、パリのドゥルーオーはもとより、
ロンドンのサザビーズやクリスティのオークションに、時にはニューヨークにも足をのばしたのは
この第三の時代であった。

 1996年のオランダのマウリッツハイス美術館での、世界中から一同に集まったフェルメール特別展は
このLES BELLES BACCHANTES ベルバカントの仲間との旅だった。
朝の7時から特別に鑑賞することができた珠玉のフェルメールとの対面だった。
(この時の写真はポジのままで整理がついていない、、、)

http://keico.exblog.jp/6805711
2008年2月17日 日曜日 晴れ
「恋するフェルメール―36作品への旅 」

http://keico.exblog.jp/13140301
2011年7月25日 月曜日
日曜美術館<“手紙”が語るフェルメールの真実



by pretty-bacchus | 2011-12-19 23:59 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)
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