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美しき思い出巡る秋の暮れ、マティスつづき
2004.11.14
マティスつづき、、

 ニースは、フランス人が老後を過ごすのに一番住みたい街だという。
いろいろの分野で活躍の後一線を退いた経済人や元外交官も終の棲家として、
この地を選ぶとという。


 何度目かのニースの滞在の一日、私はいつものようにつづれ折りの坂
道を上りマティス美術館に向かった。
ニースの街から海を背にして、だらだらと坂を30分ほどのぼると
オリーブの森が広がる斜面にマティス美術館は建っている。
赤茶色の瀟洒な建物。後ろを振り返ると左の後方に海が輝いている。

最後の坂を曲がってまもなくの右側にかわいらしいカフェがあり
デジュネの案内が木の椅子においてあった。

 その日はマティスの素描を何枚も手に取り鑑賞することができた。
筆書きのようなサラリと、しかし強いタッチで描かれた女性の作品の数々が心に残った。

 いつもは通り過ぎていたのだが、先ほどのお店に吸い込まれるように入った。
(美しいものの鑑賞と感動の後はお腹がすくのかもしれない、、、!)
 20人も入れば一杯になってしまうであろう、そのお店には二組のお客様がいた。
会釈をして席に着く。
数十フランの決まったコースを頼んで私は昼食を静かに味わった。
美術館のカタログをパラパラとながめながら、、、。

 時々人の視線を感じていた。
外国人が珍しいのだろう、、、と思っていた。
「ラディッション シルヴプレ」と会計を頼んだときに、
答えたのは店のマダムではなく、最初から席にいた初老の紳士だった。

「日本の方ですか?」「ウイ ムッシュウ」
「お一人でご旅行ですか?」「ウイ ムッシュウ」
「マティスがお好きですか?」「ウイ ムッシュウ」
「あなたの微笑みはマティスのデッサンのようですね!」
「え〜!」  もごもごもご、、「メルシー ムッシュウ」

 問われるままに、その後その紳士と日本のことをいろいろ話した(ような記憶がある)
(さ〜〜そろそろホテルにもどらなければ、レセプションが待っている)

「お目にかかって嬉しかったです」私は立ち上がり握手をしながらお礼を述べた。
彼はこれいじょう優しい眼はないであろうと思われる綺麗な眼で私を見つめた。

そして静かに、「人を愛しその人の為に静かに命を絶った日本の女性がいました。
私は今日貴女にお目にかかって、そのような女性がいることが解りました。
ありがとう!」
私はなんのことか解らなかった。多分眼をパチクリしたかもしれない。
「オペラ蝶々夫人はご存じですか?」「ウイ ムッシュウ」
「先ほどから貴女の食事の仕草や話し方をみていて、私は感動を覚えているのです。
日本へは一度だけいったことがあります。
日本では探せなかった私の蝶々夫人を今日私は見付けました」
(でも、私は芸者ではありませんのですが、、、)

 感動したのは私のほうであった。
後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。
なんでもう少し、その紳士といろいろ話をしなかったのだろうかと、、、
二十数年経った今も深くくやまれる。
 その数日後にその店できいてみたら、
彼は戦後に活躍した有名な外交官だったという。
引退後ニースに住み、
妻を亡くし一人で余生をおくっている人だということがわかった。

 今、我が家のリビングルームの入り口には、一枚のマチスがかかっている。
色の魔術師マティスのもう一面の素朴な素描に惹かれた二十数年前、
悲しみと苦しみのどん底にいた時に巡り会った作品である。
 好きで集めた美しい物の数々はひとつずつ手元を離れて寂しくなったが、
この笑顔の素描だけは遺しておきたいと思った。
(画廊の友人の好意であとしばらくはいてくれそうである)

 最晩年に描いたといわれていた、強い線で絵がかれた笑顔の女性の絵。
それは不思議な絵で、私が悲しくなると悲しそうに、
嬉しいときは嬉しそうにして、我が家の一員になっている。
 私を優しく包んでくれるその彼女に、私は手を合わせて祈る。
どうぞ明るい力を下さい、、、と。

 ゆっくりした週末はやはり嬉しい。
昔のことが思い出されるのも歳のせいであろう。
 今日のバックグラウンドは名映画カサブランカ。何度観ても涙する、、、。

美しき思い出巡る秋の暮れ、マティスつづき_a0031363_081135.jpg

by pretty-bacchus | 2004-11-14 02:11 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)
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