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宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発
2011年4月16日 土曜日 雨のち晴 その一

 4時半起床、5時前にチェックアウトの予定を、前日夜中に6時にかえた。
天気予報は雨だったからだ。
雨、、、、でも、午後にははれるようだった、、、、。
地元のNさんのメールで決行を決めていた。
<春雨に煙る大女優との逢瀬を想像するだけでわくわくしますね>

BUT、、、、 ほとんど寝ずに起きた朝には、雨があがっていた。
カーテンを開けた。目の前の名古屋城の上の雲が割れて、いまにも太陽が顔をだしはじめていた。
晴れ女の面目躍如だ!

宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_10183732.jpg   (am5:55

ウェスティン名古屋キャッスルホテルの窓から。
(Yさん、良いお部屋をありがとうござした)


宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_10193914.jpg (am6:00  名古屋城の公園の桜が朝日に見え始めた、、、、、 )


 Nさんの黒い車がフロント前で待っていてくださった。
ホテルの皆さんに送られて、岐阜県本巣市根尾板所今村に向かう。
そうなの、、、、、なにせ岐阜の山の根尾の樹齢1,500余年の桜に会うためにやってきたのですもの、、、、。
念願の淡墨桜。
会いたい会いたいと思っていたのに、今日まで果たせなかったが、とうとう、その日がやってきたのです。
乳がんからの生還でまだ二ヶ月もたっていないが、今この機会を逃したら、またいつ実現できるかわからない、、、、
Nさんのご好意をすなおにうけることにしたのです。

 道はすいていた。名古屋の町をでるともまもなく三春>のごときに、桃やレンギョの花が咲きき、
背の低い横に枝が張った富有柿の畑がつづいて、きれいな清流の流れにそって遠方に赤い橋がみえてきた。
あのかすみの彼方が根尾の里!
あれが本巣市根尾村への入り口なのか?
二時間弱で現地根尾村に到着してしまったのか?

宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_10265044.jpg   (いつものように走る車の助手席からカシャッと、、、)

宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_10272987.jpg  (橋をわたって、かすみのかなたへ、、、、一歩ずつ、、、、)


 すでに車は沢山あったが、四つあるパーキングの一番上まで誘導していただける事ができた。
(私は身体障害者?ではないのですが、、、、)
眼前に1550歳の老女は、何本もの二世、三世の小さい桜の木で守られるように、
お社の前に手を広げていた。
まず数まい激写! すぐに数段上ってお社に手を合わせた。
どんな思いで、この老木は古代の昔から、ここに立ち尽くしていたのだろうか!

 ホームページで見ていたように、十数本の添え木に支えられようやくたっているようだ。
空洞になりかかった太い幹はどっしりしているが、その上から大きく横に広げた両手からは枝がのびtれ、
薄いピンクの花を沢山つけていた。
これはあと何日で淡墨色に変わっていくのだろうか!
それは命の壮絶な叫びではないのだろうか!
何度もの危篤状態を奇跡的に救われて、いままで生き延びてきたと、市のホームページに説明されていた事を
思い出して、私は思わず手を合わせた、、、“永きにわたって、本当にお疲れさま”、、、、と。
風が流れた、、、、山の間から朝の白い靄がたちあがり、、、やがて雲間からぎらぎらと太陽が顔を出した。
桜が揺れた、、、、、薄い桜色が微笑んだ。
カメラを構えながら、私はまた手を合わせた。
“永きにわたって、本当にお疲れさま”とまたつぶやいた、、、、こうして生き続ける事に疲れたでしょうね〜〜〜〜。

何百本もの細い根が繋がれて治療され生き延びているが、それは人間のエゴだったのではないか、、、。
寿命を全うさせるのも一つの姿だったのではないか、、、、。

 やっと会えた1550歳の老女の迫力に圧倒され、そのパワーに引きずられながら、私はどっと疲れを感じ始めた。
昨日あまり寝ていない、、、とか、手術顔まだ二ヶ月もたっていないのだ、、、、とかの理由ではない。
この大きな手を広げて叫んでいるこの<老女>にぐいぐいと引きずられての疲労感と満足感だったのだろうか。

宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_1031401.jpg



 このあと私たちは思わぬ旅路をえらぶことになり、長い永い一日となったたのだが、、、、あとは
続く、、、、、、

 (現像ソフトがないので、あとは帰京してから、、、、)

〜〜〜〜〜〜

本巣市のホームページから
宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_15423965.gif


宇野千代のあの根尾の淡墨桜を観に出発_a0031363_15432512.jpg








more>>>>>本巣市のホームページから

http://www.city.motosu.lg.jp/
本巣市のホームページから
<樹齢1,500余年、樹高16.3m、幹囲9.9mの世界一の名桜。
満開はつややかな白、散り際には淡墨色になることから淡墨桜と名付けられました。
開花シーズンには、1日8,000人近く訪れます。>

<< 彼岸桜和名ムレヒガン・・・三好學博士
ウバヒガン・・・牧野富太郎博士
エドヒガン・・・大井次三郎博士
樹齢1,500余年
樹高16.3m(平成3年測定、以下同じ)
幹囲目通り9.91m(〃)
枝張り東西26.90m 南北20.20m
指定大正11年10月12日 内務省天然記念物指定
(指定の事由)由緒ある桜の代表的巨樹>>

〜〜〜〜〜
再生保護

再生保護について

 名木淡墨桜は千数百年の長きにわたって生き続けたが、その生命に衰えを見せ始めたのは、
大正初期の大雪で太さ約4mの一の枝が折れ、本幹に亀裂が生じた頃からである。

 その後、村ではいろいろと保護に努めて来たが、昭和23年頃には遂に枯死するかとも思われる状態になった。
文部省から本田博士が派遣され調査されたが、今後3年以内に枯死は免れないだろうとの認定がされた。
その間、多くの名士がこの名木の枯死を惜しみ、松岡楯雄氏等の提唱によって、
淡墨桜顕彰保存会の設立準備が進められ、当時の県下知名の有志多数の賛同を得てその設立を見るに至った。

 そして、当時老木起死回生の名手として知られた、岐阜市の医師前田利行翁にその策を問われた。
翁はその得意の回生術が果たして適応するか否かは、実地視察をしなければ分からないとして、
昭和23年秋、諸名士及び管理者の根尾村その他関係者と詳細な調査をされた。
その結果回生が可能であるとの断定をされ、前田翁は、翌年24年3月10日から、
先にその技術を教授した中島英一氏外数名を率いて来村され、多数の人夫を督励し、
4月5日までかかり238本の根接ぎが行われたのである。

〜〜〜〜〜〜
根接ぎの概要とその成果

 本幹周囲の土壌を掘り起こすと巨根は殆ど枯死の状態で、その腐朽個所には無数の白蟻が生息していた。
直ちにそれを駆除すると共に、近くの山から山桜の若根を採取し、僅かに活力のある残根に、
特殊な方法でできる限り多く根接ぎを施したのである。
この間に降雪があり積雪を見たが、多くの人夫等を督励してこれを除き、施術部の凍結を防ぐと共に、
土壌の入れ替えや肥料を施した。
 施術後の淡墨桜は異常なほど発育繁茂して、往年の盛観を思わせるほどになり、
多くの人々に喜ばれるほどになった。
このように多くの人々の努力により、現状保持以上の成果を得られたことは、
淡墨桜を語る上において特筆すべき事柄であると云わなければならない。

 その後、次のような方法により保護に努めてきた。

1. 希薄な肥料(燐酸・窒素・加里等を含むもの)を毎年施す。
2. 枝や葉の消毒を春秋の2回行う。
3. 周囲10m内外での耕作を禁止する。
4. 柵を厳重にして根接ぎを施した場所への立ち入りを禁止する。
5. 枯死枝や寄生木を取り除く。
6. 樹下や周辺の雑草を取り除く。

〜〜〜〜〜
宇野千代と淡墨桜

 昭和34年9月の伊勢湾台風は、この老木に大きな被害を与えた。
太い枝が折れ葉や小枝は殆どもぎ取られ無残な姿になってしまった。根尾村では、早速支柱を増し、
施肥にも十分配慮を払ってきたが樹勢の回復は遅々として進まなかった。
 そのような時期、昭和42年4月11日に作家宇野千代女史が来村されたのである。
侘びしく立っているこの老桜の痛々しい姿に心をうたれ、グラビア紙太陽の昭和43年4月号に
その感想文を発表すると共に、岐阜県知事平野三郎氏に書簡を寄せられ、
何とかこの淡墨桜が枯死するのを防いで頂きたい旨を切々と訴えられたのである。

 平野知事はこれに応え、昭和43年4月9日に親しく視察され、早速県文化財審議会に桜の保存を指示された。
審議会は岐阜大学教授堀武義先生に桜の診断を依頼し保護の方法の指示を願った。
堀教授は診断の結果、幹周辺をこれまでより広く柵で囲み根を守る・支柱を増やして枝を守る
・白いカビを削り取って幹を守る・大量の肥料を与えて若返りをはかる等々、
その他細部にわたって根尾村に指示されたのである。

 以来、これ等の作業に対して国・県から補助金が交付されるようになり、地元や有志の浄財とも合わせて
保存に努めている。近年では技術の進歩により、平成元年に延命手術を施して以来、
8年度までに4回の手術を行った。
これは保護増殖を目的とした手術で、桜本来の生命力を甦らせ樹勢を回復させるものである。
その内容は、腐朽部除去・殺菌剤散布・木質強化剤塗布・ウレタン充填等である。
今後は、主幹部や枝部の空洞に発生している不定根を地面にまで導く技法が検討されている。
 このように多数の人々の努力により、不死鳥のごとく蘇った老桜は、これからも毎年満開の季節を迎えるであろう。
by pretty-bacchus | 2011-04-16 23:55 | ✿ฺCherryBlossomさくら桜サク | Trackback | Comments(4)
Commented by mokonotabibito at 2011-04-17 17:50
おお、見えてきましたね!
もっとアップで見たいです(笑)
これからの展開を楽しみにしています。

それにしても、日本の歴史を長く見守って来てくれた桜の御姿に敬服するばかりです。

神代桜や淡墨桜というのは、エドヒガンですね。
やはり日本の桜の昔からある野生種として最高のものですね。
この種を片親として育成されたソメイヨシノは平均寿命が70年といわれますので、それとは比べものにならないほど長寿ですね。
Commented by bell73221 at 2011-04-18 11:02
偶然にも、今私の家で、宇野千代さんの「淡墨の桜」という、お線香を使っていいます、その薫り、パッケージのデザインの桜を見ていたら、そこはかとなくいにしえの空気が感じられました、そしてpretty-bacchusさんとシンクロしたような気分になって嬉しかったです^^
Commented by pretty-bacchus at 2011-04-19 03:44
mokonotabibitoさん、この桜には歴史有りで、多くの人々の愛情と奇跡の復活があったようです。
少しづつ書いていきましょうね、、、

Commented by pretty-bacchus at 2011-04-19 03:46
bell73221さん、そうでしたか。
根尾の売店でもお線香を売っていました。

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