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ヌーヴォーの友への便り熟成し
2010年11月10日 水曜日 晴れ

 キレイな夕空だった。
薄青の空に、薄ピンクの雲がながれていた。
でも早い、、、、4時半には暗くなり始めてしまうのだ。
木の葉が落ちはめて隙間がおおくなったから、その向こうに見える空の空間が多くなっていて、、、
薄暗くなるのがわかる。秋ってやっぱり寂しいな〜〜〜〜

 ヌーヴォーのお仕事は終わった。
あとはギフトとして差し上げる友人への手紙の宛名書きと投函が残っている。
手紙はすでにできているので、あとは宛名を書くだけ、、、

ヌーヴォーの友への便り熟成し_a0031363_11155065.jpg

 
 毎年お送りする方の数は少しずつふえているから少し大変、、、。
お一人お一人にいろいろお話ししながら筆ペンで宛名を書くから時間がかかる、、、、
もっともかかり以前は全部の文も筆で書いていたものだが、、、、
晩秋の便りとしてワイン二本を箱に入れてお送りする。
本当はキレイな化粧箱にいれて手製熨斗紙をつけないのだが、
空港で通関後の仕事としてはかまり無理があるので、数年前から、
プチプチに包んで簡易箱にいれるだけになってしまた。

たったそれだけのことだが、なんだか一年の締めくくりになるように思えるのだ。
二十数年続いている方もいるし、今年初めての方もある。
私たちの心の琴線にふれた方への贈り物だから、ほんの小さい事のきっかけのこともある。
わざわざお歳暮をお送りするのはちょっとオーヴァーになると思う方も、季節の新酒、
それもフランスからのボージョレヌーヴォーだと、とても喜んでくださるから、それがとっても嬉しいのだ。

http://keico.exblog.jp/9248902
最後は友人へのギフトのご挨拶状の準備 2009年11月14日
去年のブログでは  <<<クリック、s.v.p
去年は、薄紅色のA4用紙と、両面パールのキュリアスメタルという紙で、かなり凝って創ったのだが、
ことしは簡単に、用紙はコンケラーにしてプリンター仕上げ。
最初のご挨拶と、中頃にパスカルからの今年の詩をのせて、最後の結びは毎年大体同じになってしまう。
これまでの長い間のお礼と、新酒でご一緒に杯をあげられる事に感謝を込めて、、、

http://keico.exblog.jp/11434280/
2010年 シャトー・ドゥ・ピゼイのボージョレ・ヌーヴォー 2010年10月15日 金曜日 
<<<クリック、s.v.p

 今年の結びは、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 葡萄酒とその文化の魅力にとりつかれて半世紀、プレジール・ドゥ・ヴィーヴル
(生きる歓び)をもっとうに、ワインの仕事に携わって三十数年が経ちました。
 お世話になった皆様に、晩秋の便り&ボージョレ・ヌーヴォーをお送りしはじめて二十数年。
 歳を重ねてその数は増え、ワインの輪が更なる芳醇な人の輪を醸しだし、
 私たちの人生を心豊かな実りに導いてくれています。
 ご縁をいただいた皆様の温かい励ましとご厚情に支えられて今日まで続けてこられました。
 心よりお礼申し上げます。

 皆様とご一緒に今年もまたシャトー・ドゥ・ピゼイのボージョレ・ヌーヴォーで
 五穀豊穣の悦びを祝えることに心よりの感謝を込めて、、、
   ア・ヴォートル・サンテ! 乾杯! 

〜〜〜〜〜

 ワインも人の輪も熟成していくのだ。
あと何年続けることが出来るかわからないが、そのためには健康でいなければならない、
と少しだけ思っている秋の酔い、いや宵。

 先だって伊勢和紙で購入した、和紙に紅葉をすり込んだ大きな紙が一枚あるので、
それで封筒を創ったが、数枚しかできなくて、、、、さてどなたにしようかしら、、、。

ヌーヴォーの友への便り熟成し_a0031363_691294.jpg

(漉いた薄い和紙の下に別のいろいろの紙で封筒を作って二重封筒にするとおもしろいのが出来た)

ヌーヴォーの友への便り熟成し_a0031363_6151077.jpg
 (自宅からぼちぼちお送りする方には熨斗紙をかけて、、、、) 
(シャトーのグラフィックの四角の角にカートを書いたのだが、サイズをおとしたら薄くなってしまった)

by pretty-bacchus | 2010-11-10 23:59 | ♥Wine & Dineワイン&食事 | Trackback | Comments(23)
Commented by S at 2010-11-11 12:03 x
綺麗な封筒ですね^^!アイディアと器用さ両方お持ちのかたの仕業ですね・・・♪
さて昨日エクスパックをお出ししていますが、郵便職員さんがすごくバッチィ感じにガムテープをぐっちゃぐちゃに歪ませて貼ってしまったんです(涙)もう信じられないガサツさです・・・;;
敬子様の郵便物とは雲泥の差の変テコ封筒が届きます・・・バッチクてごめんなさい><
Commented by pretty-bacchus at 2010-11-12 02:02
さくらさん、貴女のブログで封筒を創る型のことを読んで、私も創りたくなったのです。
お誕生日にお送りしますね、、、、。
桜さんのエクスパックが楽しみです、、、フランスのPTTのExpressのスティーカーが張ってあるのかしら?

Commented by 郁子 at 2010-11-12 13:26 x
ワインのエキスパートでいらっしゃる敬子さんではありますが、ヌーヴォー時期のブログを拝見していると、もはや重労働ともいうべき仕事の量と質に驚嘆するばかりです。ワインにも人にも思いが深いんですね。
去年の所をクリックしたら、100通を超える手紙の山!
言葉にならない感じです。
タイトル句は、敬子さんの今の真情そのままが詠まれているので、俳句という形式で云々されるものではないと思います。下5の「熟成し」が実感だなぁと、心中をしのぶばかり。

追記: 9日のご返事拝見。返事を読むのも楽しみなものです。グールモンの詩について、さらに私見を追記しておきましたので、ご覧下さい。
なお私自身は、堀口大学訳の「グールモン詩集」を持っていますが、ご関心の向きには、グーグルで検索すると、「落葉」の訳詩がヘボ訳?と堀口訳と両方見る事が出来ますので、ご参考までにどうぞ。
Commented by pretty-bacchus at 2010-11-13 01:23
郁子さん、重ねてありがとうございます。
ボージョレヌーヴォーは毎年の行事のようになってしまいましたね〜〜〜いつまで出来るのかと最近は思っています。

この詩の原文はすぐに見つかりました。ネット時代の恩恵ですね。
そして、堀口訳には重要な二行が抜けていたというような論戦もあり、しばらく楽しめそうです。

Commented by 郁子 at 2010-11-13 17:51 x
敬子さん、ご返事拝見。仕事そっちのけで、グールモンにかかりっきりになりました。興味津々。
先ず「ヘボ訳」は言い過ぎでしたので、反省しています。堀口と比べたらその散人訳は劣りますが、ブログをよく見てみると、それなりにやっておられるので。
さて原詩を見ると、堀口訳はリフレーンの一行を含む4聯目の3行が欠けている事が分かりましたし、一方散人訳には欠落はありません。
誰の訳だったか覚えていませんが、昔読んだ時、堀口訳にはない聯のある事に気がついていたけど、堀口訳にすっかり嵌っていたので、特に詮索しなかったのでした。
そして、敬子さんの指摘で即ネットに当たってみたところ、それに気付いた人の間で問題になり、結局確たる結論は出てない事が分かりました。
その中にあって、堀口が意図的に3行もの1聯を省く事は考えられないから、校正時にも気付かなかった印刷上のミスだったのではないか、の見解に傾いていました。
(字数一杯の為つづく)
Commented by 郁子 at 2010-11-13 18:34 x
(上よりのつづき)私は職業としてではないけど、出版には関わりがあり、校正はセミ・プロに近かったので、言えるのですが、「落葉」程度の短い詩の原稿の校正で、1聯の欠落に気が付かないなんて、100%あり得ないです。そして堀口自身がゲラに目を通さないなんて更にあり得ない事。
またこの詩は「月下の一群」などにも収録されているし、もし印刷上の不手際なら再販時に訂正が入ります。
そう考えると、堀口自身、この聯はむしろない方が好ましいと判断したのでは?彼の詩の感性、また私の感性から言っても、この聯は余分なように思われる。
落葉については2聯・3聯で十分歌っているし、この4聯目の落葉のイメージは全体の中では破調で、マイナス。むしろなくものがなと堀口が考えた事は、私には何となく分かる。
そうは言っても、訳者が勝手に省いていいはずはない。詩の翻訳は一種の創作だとしても、完成度の為に1聯を削ることは許されないから、あの世で堀口氏に聞いてみるしかない。
因みに散人氏は「足で踏み砕くと 生き物のように泣く/それは翼の音か 女の衣擦れの音のようだ」と訳しています。









Commented by pretty-bacchus at 2010-11-14 02:54
郁子さん、こんばんは。
<堀口自身、この聯はむしろない方が好ましいと判断したのでは?>
詩人の貴女は、それはそれはいろいろと読んでいらっしゃるし研究をなさっていらっしゃるのですから、おっしゃるとおりのように、私も思います。
堀口訳の詩はいろいろありますが、原語と日本語をくらべながら読んだことはないですし、グールモンの詩もあまり読んだことはありませんので、全く素人の私ですが、彼の翻訳の感性は、ことによったらグールモンの感性についていけなかったのでは?と思ったりしました。(<<そんなはずはありませんよね! すみません)
>>>>語数制限の為に下に続く>>>>>>


Commented by pretty-bacchus at 2010-11-14 02:54
>>>>>語数制限の為に上から続く>>>>>>
この破調とも言える4聯目の言葉にある
Quand le pied les écrase, elles pleurent comme des âmes,
Elles font un bruit d'ailes ou de robes de femme :
Simone, aimes-tu le bruit des pas sur les feuilles mortes ?
の中でのdes âmes, d'ailes 、そしてde robesde femmeという、田園の自然とか落ち葉とか風とか石とかではない、
生き物とか女の衣ずれとかのヴォキャブラリーに、<シモーヌ>なる相手へのグールモンの男の情念が書かれているのではとも思いました。
シモーヌと語りかけている詩が、後半には、
Viens : nous serons un jour de pauvres feuilles mortes.
Viens : déjà la nuit tombe et le vent nous emporte.
と複数になって、夜のとばりが落ちるのです。
やがて二人とも哀れな落ち葉になる前のその一瞬の男の思いではなかったかと、、、。
すみません生意気な事を言って。

新潮文庫と弥生書房の2種類のグールモン詩集をアマゾンで注文しましたので、あらためて読んでみます。
そして次回のフランスでは、情感豊かな男性と女性とに聞いてみることにしましょう。

Commented by pretty-bacchus at 2010-11-14 02:59
>>>>>語数制限の為に上から続く>>>>>>
私は専攻は英語科でしたから、フランス語は第二語学で少し学んだだけで、後は日仏学院で実用的なフランス語を数年遊んだだけですから、フランス語の小説や詩は原語ではあまり読んでいないのです。
最初から最後まで友人に教えていただきながら読んだフランス語の本は、
モーパッサンの短編集を数冊だけでした。
若い頃にもっと勉強しておけばよかったといつも思っています。


Commented at 2010-11-14 09:16 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by S 1) at 2010-11-14 10:59 x
敬子様
お呼びいただきまして恐れ入ります。此のサイト様を拝見しましただけで、またご存知のように文学部さえ卒業していない趣味の領域の者がお話に加わりますこと、本当に恐縮です・・・
文字制限がございますので以下分割いたしますネ。
Commented by S 2) at 2010-11-14 11:01 x
拙い私観ですが4つのパラグラフの進み方に興味をおぼえます。

①地の枯葉の色:筆者は少し離れて落葉の風景を見る

風の要素が加わる

②枯葉が立てる音:筆者は風と枯葉を見・聞く

足で踏み砕く要素が加わる

③枯葉が泣く音を足許に聞く→①②との対比:筆者自身が枯葉の上に立つ

踏まれた枯葉の痕

④筆者の想い:踏んだ枯葉を見る。pauvres feuilles mortesとは 地に落ちた枯葉ではなくて、地に落ちて砕かれた枯葉ではないか??
Commented by S 3) at 2010-11-14 11:03 x
上記のふうに感じながら読みまして、其うならば③のパラグラフは傍観から能動への重要な部分ではないかと。
ですので堀口様や校正の方が此れを落とされたとは考えにくいと思いました。また、此のようにキーになる部分をあえて外すことも想像し難く・・・
訳の際に堀口様が使われた原文のほうから抜けてしまっていた可能性なども考えてしまうのでした。此れに関しては想像の域を出ませんが・・・
Commented by S 4) at 2010-11-14 11:05 x
枯葉の音だけに注目しますのも面白いと感じました。
①des tons si graves(堀口様は訳しておられない)
②Elles crient si tendrement
③elles pleurent comme des ames

枯葉の音は、ただ "重い音" からだんだんに人間らしい表現へ近づいて参りますね。そうして枯葉を踏みしだき、イメージの中で擬人に近づいてきた葉を最後に自分たちに喩える・・・

時間と行動の順と流れの途中が落ちていることに訳者様がお気づきにならないとは ほぼありえない気がしますと申したくて・・・拙い意見でした。
Commented by 郁子 at 2010-11-14 14:09 x
敬子さんのパリの美しい晩秋のフォトから、自然と想起されたグールモンの「落葉」に私が何げなく触れた事から、ここまで話が盛り上がるとは!嬉しいですね。久しぶりに詩について語り合えて。
この話題にSさんを敬子さんがお誘いになったんですね。
敬子さんのご意見も尤もで面白く拝読。Sさんの熱心な分析批評もまた、とても興深く読みました。
ただお二人とも、グールモンの原詩を基本にした見解の展開なので、その限りにおいては説得力があります。
堀口が欠落させた4聯目は、お二人が見るように、エロスの匂いがします。
グールモンの連詩「シモーヌ」は11全てが愛の抒情詩ゆえ、極めて象徴的ながら、エロスは重要な要素になっています。
従ってこの4聯目は、グールモンにとっては必然のパラグラフ。原詩におけるリズム・音韻の効果は、詩のイメージの流れの中で、シモーヌへ迫る愛の深化を遂げていると確かに言えましょう。(つづく)

Commented by 郁子 at 2010-11-14 14:50 x
(上記よりつづく)問題は、堀口訳の4聯目の欠落ですよね。
これまでの見解として、1)訳者の故意 2)校正ミスが考えられてきました。Sさんは99%の疑義を挟みながらですが、3)使用テキストにおける原文そのものが欠落 を出してこられましたが、3つの中でこれが最もあり得ない想定です。
グールモンは古典には入らないけど、訳者は必ずメインテキストの他に、幾つかの異なる版元のものを、必ずサブテキストとして参照します。またグールモンの詩は他の人によっても訳されているし、彼自身何度か版を変える際に、「加朱改定」をしたと弥生書房74年刊の解説の最後にはっきりと記しているのです。
だとすると、訳者として禁じ手且つ傲慢の謗りさえ受けかねないけれど、私は堀口自身の感性が、この4聯目を日本語に移した時の詩の流れに同調出来なかったと判断するしかない。「ついてゆけない」とか「訳す力がない」というのではなく、「詩の翻訳は一種の創作」という彼の誇り・ポリシーで自分の落葉世界の為に、意図的に省いたと私は思います。(つづく)
Commented by 郁子 at 2010-11-14 15:34 x
(上記より)勿論、それは傲慢不遜、許されない事です。しかしそうした彼の構図を証拠付ける事例は、他にもあります。
いみじくもSさんが指摘している2聯目の des tons si
graves を訳すことなく、「姿はさびしい」と独自のイメージをもってきている事などです。
こうしてみると、堀口氏は自らの詩的感性・美意識で、
翻訳を超えて、自らの「落葉」という完成美の世界を歌いたかったのだと推測されます。
原詩を読むと、確かにお二人の意見は正当性があるし、今回原詩を改めて読んでみて、私にもグールモンの意図が読み取れました。
この4聯目が存在する堀口訳を永遠に味合うことが不可能な今、私は堀口氏の詩の翻訳に対するポリシー、在り方の功罪両面をみる良い機会になった事を喜びたい。
しかし、堀口氏の翻訳詩のすべてを、原詩と照合したわけではないので、彼のこうした極端な意図的作業は、恐らくそんなに多くはなく、意訳はともかく、欠落のような荒事は稀で、堀口氏の翻訳の功績は、詩のみでなく散文においても絶大のものがあると確信しています。
ここまで深い議論の出来たことを、改めてお二人に感謝します。
Commented by S 5) at 2010-11-14 18:56 x
敬子様
再びお邪魔いたします。此ちらで郁子様にもご返信申し上げますこと、お赦しくださいませね。

郁子様
はじめまして^^ お考えお聞かせくださってありがとうございました。お2人のお陰でグールモンを見返すことができ感謝しております。ご指摘もありがとうございます。出版の世界に遠い者の軽はずみでしたが、考え直してみますとサブテキストを用いなかった筈はありませんね。仰るとおりだと思います。
Commented by S 6) at 2010-11-14 19:00 x
ご指摘を頂く前に考えましたのは此うでした。
音の3つの変化を例に取りましたのは、堀口様が訳されていない部分へ注目してのことで、【③のパラグラフが抜けていたからこそ、①の音も詩の流れに組みこむ重要性を感じなかったのでは? 】 と・・・ 

其れらはそっくり逆で、はじめから創作要素を持っていたからこそ③の削除に加えて①を変更し、①'色 - 視覚 ②'音 - 聴覚 ③'想念 の形を取った・・・ ということなのですね? 此のほうが日本詩歌のような流れに近く感じました・・・ そこで堀口様に纏わる本を拙宅の書棚から探してみました。
Commented by S 7) at 2010-11-14 19:02 x
日本文学者さん周辺の数少ない持ち合わせのなかに堀口様86歳のときのインタビューを纏めた書物がありました。
"日本語のよさを最大に生かせるのは、やはり短歌だ" とのお言葉とともに、主格を省いて意味を伝えられる言語として 歌の良さを述べていらっしゃいました。

単語を "材料" と仰る歌感覚のあたりなど読んでおりますと、ご自身の詩の感性として創作されたかもしれない事もなるほどと頷けます。

今となっては真相はわからないことですが、様々にお話を伺え糧になりましたこと、感謝いたします^^ 楽しい日曜日でした。どうもありがとうございました^^
Commented by pretty-bacchus at 2010-11-15 00:38
鍵コメントのMさん、そうなのですね。
<地下のカタコンブの上で暮らすパリの人の身近な死生観と堀口大学>のことはそうなのですね。
どうぞ、次は、鍵ではなくいろいろお聞かせくださいね。

Commented by pretty-bacchus at 2010-11-15 21:31
郁子さん、詩人の郁子さんのコメントはとても説得力があります。
詩に門外漢の私が「ついてゆけない」などと書いた事を反省しています。
素晴らしい訳詞や詩の実績を残している堀口大學氏に申し訳なかったと思います。
それにしても郁子さんと桜さんとこうして何十にもわたり、グールモンの、<シモーヌ>をお話しできたことで、私はあらためてフランスの詩を読んでみたくなりました。

<この4聯目を日本語に移した時の詩の流れに同調出来なかったと判断するしかない>
と郁子さんがおっしゃるように、彼のこの時期の意図的に省いた心情を研究したらおもしろいかもしれませんね。

桜さんも書いていらっしゃるように、des tons si
graves、si tendrementという情感をどうして訳さなかったでしょうね?
このsi プラス副詞、形容詞の右脳の感性があってこその、次へのパサシオンと思うのですが、、、、。

結論は、やはり郁子さんがおっしゃるように、
<堀口氏は自らの詩的感性・美意識で、翻訳を超えて、自らの「落葉」という完成美の世界を歌いたかったのだと推測されます>のように私も思います。

いろいろとありがとうございました。

Commented by pretty-bacchus at 2010-11-15 21:38
桜さん、風の要素から、枯れ葉の痕まだのご解釈は、さすが音楽家の桜さんと思いました。
おっしゃるように、
des tons si graves、Elles crient si tendrement、elles pleurent comme des ames
を訳していないのは、げせませんね〜〜〜。

私は、この詩だけではないのですが、si プラス副詞とか形容詞の形が好きで、この詩でもこれがあるからこそ、次に続くviens:nous serons の二行が生きてくるようなきがします。
しかしおっしゃるように、
<③の削除に加えて①を変更し、①'色 - 視覚 ②'音 - 聴覚 ③'想念 の形を取った・・・ ということなのですね? 此のほうが日本詩歌のような流れに近く感じました>

 他の詩でも堀口訳は、彼独特の追加の訳が多いそうですから、それも彼の詩歌への思いだったのかと、そして彼の日本語のリズムへの自信があったのかもしれませんね、、、。

桜さんのお宅に、堀口氏86歳のときのインタビューを纏めた書物がおありになるとは、すばらしい事ですね。

桜さんのブログで、原語も載せて下さっていてありがとうございました。
 
久しぶりにフランス語の詩の世界に遊んだ週末でした。
ありがとうございました。

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