花の女 フランソワーズ・ジローの回顧展
2010年 06月 04日
その気になれば行ける距離の展覧会でも、ついつい遅くなって結局いきそびれてしま美術展や
コンサートは数多ある。
三月に銀座のシャネルで行われていた
<フランソワーズ・ジローの日本初回顧展>も、丸印をつけておいて見ていなかった。
そのあと笠間日動美術館で、<花の女 フランソワーズ・ジロー ピカソ、マティスとともに>
A Life in Art, Françoise Gilot La Femme-Fleurとしてしていたが、それは遠くて行かれなかった。
NHK「日曜美術館」再放送で「ピカソを捨てた花の女ーフランソワーズ・ジローが語る巨匠の素顔ー」
5月31日(日)の録画したのを見て、どぎもを抜かれた。
フランソワーズ・ジロー、なんと美しい女性だろう!
知的な瞳と年輪の美しいシワ! そしておだやかで凛として力のある話し方。
花の女といわれたフランソワーズ・ ジロー Françoise Gilot 1921年生まれの88歳。
(若い頃の写真は、原節子のようだ!)



(テレビの「日曜美術館」をカシャッ)
1943年ナチス占領下のパリでピカソと出会い、1946年から恋人として彼と一緒に暮らすようになった
フランソワーズ・ジロー。
ピカソと関わった数多くの女性は、偉大なピカソに、のみ込まれる形で生涯を終えたと
言われているのに対し(二人は自殺しているという)、彼女は六番目の女とされ、
唯一自らピカソに反旗を翻した存在としても知られている女性で、ピカソとの間に子供も
2人もうけているのに彼の元を去ったのだ。(子供はクロードとあのパロマピカソ)
週に何度も以前の愛人の元に通うピカソ、、、一度手に入れたものは手はなさないどん欲なピカソ、、、
別れを決めた彼女に、
“どんな女だってわしのような男からさっていきはしない。
ここを出るということは、今後は砂漠で生きるようなものだ、、、
と言うピカソに、
“砂漠で生きる運命ならそこでいきぬいてみせます。といって出て行ってしまったジロー。
その後のピカソの嫉妬と報復はすごかったという。(二人の年の差は四十あったのだ)
支配欲の強いピカソに愛想をつかした彼女は、画家としての道を選んだわけだが、再婚をして、
才能豊かな一人の芸術家として、マティスやコクトーなどのアーティストたちとも親交を重ねながら、
88歳となる現在でも、ニューヨーク、パリを拠点に精力的に活動を続けているという。
巨匠のちょっといやな面差しと、大きな手をガラス越しのモノクロの写真は、
ロバートキャパが撮ったのだろうか?
88歳にして、情熱的な絵を描き続けるこの女性の作品を猛烈に見たくなったと思っていた矢先に
郁子さんからメールをいただいた。
<天才との愛は、天国にして地獄。天才そのものが、天国と地獄、悪魔と神、愛とエゴの人。
その性格と生き様は、その相手の女性をも巻き込み、歓喜と悲嘆、むしろ悲劇は推して知るべしです>
そして、なんと笠間までいらして鑑賞してらしたというのだ。
なんという行動力だろう。
あのピカソの小品の「フランソワーズ」も今回来ていると知って私も俄然行きたくなった。
でも笠間日動美術館の回顧展はすでに日曜日で会期が終わってしまっていた。
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あきらめていたのに、それが三日まで延長になっているのを知って、青山さんにメールをしたら、
すぐお返事をいただいた。
“行きましょう、車で、、、”
まあ、なんという早い決断だろう。
エールフランスの機内誌<BON VOYAGE>の取材で、フランスの地方の美術館を随分いっしょに
回っているので、気心が知れている友はありがたくも嬉しい。
(編集長の菊池さんは体をこわされているのでお声をかけなかった)
今日の予定を昨日一昨日と明日に振り分け調整して午後一に出かけた。
一昨年から車がなくなっているので、久しぶりに車の旅の感じ、、、、
空は青く畑は緑、遠くを走っている汽車さえもなんだか遠足っぽくみえてしまう、、

(スカイツリーを右に左に見ながら首都高速を走る、、、)

“筑波山が見えてきましたよ、、、、、、、、、
“ガマはいるかしら、、、、、、、、、
フランスでの旅の思い出話をしたりしながら、、、、
北に向かう常磐道はがらがらにすいていて、一時間半で笠間についてしまった。
笠間日動美術館ははじめて訪れた。
こじんまりした受付を抜けると、眼前に竹藪を背に石段の昇り坂、左の建物のフランス館、
右の日本館を通り過ぎて、野外彫刻庭園で何体もの彫刻を鑑賞しながら上りきった処に企画展示館はあった。


< 青竹に彫刻の群れ競い合い >>>>>> 若竹や彫刻群は陽を浴びて
ドアーをあけると天上から下がった赤の幕のような作品が目に入った。
アクリルの巨大なカンバスに描いたタペストリーのような作品。
フローティング・ペインティングというのだそうで、綿カンヴァス地に描かれたアクリル画。
(学芸員の方に尋ねたら、輸送がとても大変だったという)

、
でも順路は右からのようで、すぐに水墨で描かれたSelf Portreit in 1971 Front of a Window。
「漁師の娘」1942年、「パブロ・ピカソの肖像」1944年、
「白いチュチュの踊り子」1955年、「窓を背にした自画像」1971年等々<F Gilo>tのサイン入りの時代。
ところどころにこの画家のモノローグのような言葉が十数行で見やすい大きさで書かれていて、
それぞれの時代の推移がわかる。


パラヴァンも素晴らしかったが、左の部屋の天上から下がる何枚もの畳数枚もあるだろう大きさの作品群は、
この作家のもう一つの時代をみるような思いだった。(これは六十代の頃の作品群だという)
建物の外は一面の緑とせせらぎ、、、、この環境での個展を作家も喜んだに違いないと思えるような、、、、。

(ニコンの16~85mと、オリンパスの、M.ZUIKO DIGITAL9-18mmの違いが如実に出た。)

今回の回顧展は、フランソワーズ・ジローの1942年から2008年にかけて制作された
選りすぐりの作品だそうで、フランスのS・パニジェル蔵というのが多く、
なかには「グレーのハーモニー」2008年 S・へミングウェイ蔵なんていうのもあった。
1940~50 年代のエコール・ド・パリと、現代アメリカのアートシーンの架け橋となったといわれる
ジローは、その後何冊もの本を書いており、1964年の『Life With Picasso(邦題・ピカソとの生活)』や、
1987年の『 An Artist’s Journey』は読んでみたいものだ。
会場では図録も絵はがきも一枚も残っていたなったのは残念だが、それは盛会だったからなのだろう。
一階上の階にはピカソやマティスの作品もあり、ピカソが描いた若き日のフランスワーズ・ジローの
肖像画もあり、その華やかな人生の一端をかいま見るようだ。
プライベートなシーンをロバート・キャパが撮影した何点もの写真もあって、なつかしかった。
(以前ロンドンでの大きなピカソ回顧展で観たことがあったので、、、)。


<ピカソ描く「花の女」や夏の雲
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鎌倉にあった北大路魯山人の旧居・春風萬里荘が移築されていたので、そちらにも足を伸ばしてみた。



(鶯が啼いていました、、、)


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ピカソと言えば、私はピカソがジローの次の愛人ジャクリーヌ・ロック(後に結婚)とあったころに、
南仏ヴァロリスの陶器工房で働いていたという女性と、ニースであったことがある。
そう、もう25年前くらいだろうか、、、、。(いや、、、1980年ごろだろうか、、、、)
日本伝統芸術祭りをニースで行うべく企画して、その準備のために何度もニースに赴いた頃だった。
小柄なその女性は、すでにかなり年配であったが、ピカソやフランソワーズ・ジローや
ジャクリーヌ・ロックとのことを話していたような記憶がある。
ピカソの陶器のお皿を何枚かわけてもらったが、今はもう手元にない。
フランス人芸術家が芸術文化勲章コマンドール章やドヌール勲章シュヴァリエ章を受章は
ごくあたりまえかもしれないが、その受賞の後にフランソワーズ・ジローは、さらに1996 年に
フランス大統領から国家功労勲章オフィシエ章を授与されている。
さらにニューヨーク ナショナル・アカデミー・オブ・デザインのアカデミー会員にも
選出されているというのは素晴らしいことだ。
テレビでは、ゲストの瀬木慎一さんはお年をめして、評論はもう以前の彼では無いような気がした。
山本陽子さんはミスキャストではなかっただろうか、、、、。
(私は女優としての彼女を決して嫌いなわけではないのだが、、、)
ここで、“私が思うには、、、、云々、、、と身振り手振りで語るのはどうかと思うが、
といってこの番組は山本容子さんでもいけない、、、。
ピカソのことを魔術師なんて思う山本陽子さんには(もちろん私にもだが)、
<天才の神にして悪魔なる怖ろしさ(郁子さんの言葉)>はわからないだろうから、、、、、。
セントラルパークに近い、アトリエ付きのニューヨークの家で、
“君は成長していく植物みたいだ”とピカソにいわれたとにこやかに語るフランソワーズ・ジローは、
“めざめているかいないかのその瞑想しているような時”が好きと、目を輝かせていた。
吹き替えをしていた女優の声は、この薄暮の時の雰囲気にも言葉にも全然あっていなかった。
落ち着いてはっきりと凛とした口調で語るこの米寿のフランソワーズ・ジローの生の声を聞きたかった。
NHK「日曜美術館」は、時としてミスキャストのゲストを招くことがあるのが残念だ。
二度とみられないであろう、<花の女 フランソワーズ・ジローの回顧展>を観ることができた
幸せをありがとう!
背中を押してくださった郁子さま、ありがとうございました。
出口にあった、S・パニジェルの言葉のパネルが印象に残った。
書き留めたのを後でアップしておきましょう、、、
< >
(カタログが全部売り切れて、彼の言葉が印象に残ったのでことわって撮らせてもらったがぼけてしまった)〜〜〜〜〜〜〜〜〜
回顧展は、
http://www.excite.co.jp/News/politics/20100602/20100603M10.089.html
会期を三日も延ばした笠間日動美術館では、その夜をかけて次の展覧会の準備
「岩合光昭写真展 地球の宝石」で大変だったことだろう。
会期を延期してくださってありがとうございました。
http://www.francoisegilot.com/frames.html
フランソワーズ・ジローのアーカイブ
http://www.nichido-garo.co.jp/museum/exhibition.html
笠間日動美術館
東京への帰り道
夕陽がきれいだったが、とても混んでしまっていた。




銀座で楽に見られた筈だのに、情報に疎かったばかりに、私は早起きし、敬子さんは車で遠路笠間まで行く羽目になったのですが、考え方によっては、それが却ってジローへの思いと、絵への印象を強くして、忘れられない思い出になったと、今は喜びさえ感じています。
ご覧になる機会を逸した方は、とても残念ですが、このブログと、また紹介されている「ジローのアーカイブ」に飛ぶことで、それなりの満足は得られるので、よしとしたいです。
さて文中の二つの俳句。後の方の「ピカソ描く~」は取合せの必然性という点で、季語が難しいのですが、若い彼女には合っていていいかと思います。
因みに、実は私も同じ季語で当日の思いを詠んでいたのでした。<夏雲や「花の女」に駆られ行く>
なお一句目の「青竹に~」は問題点が少々。竹関係の季語はやや面倒なので、歳時記を見てほしいのですが、青竹とは言わず「若竹」(今年竹)と言います。
それと下5は悪くはないけど、下記のように添削してみました。
若竹や彫刻群は陽を浴びて
今回は郁子さんに背を押されていってまいりました。
ありがとうございました。
笠間には、銀座にはなかったフローティング・ペインティングが、多くあったそうで、かえって良かったかもしれませんね。
郁子先生も、夏雲や「花の女」を詠んでいらしたのですね、、、嬉しい〜〜^!
<青竹とは言わず「若竹」>なのですね、、、その度歳時記を見た方が良いのでしょうが、なかなか出来ずに反省です!
師匠句も添削句もありがとうございました。
[url=http://www.g32ho5h8310q3g6nu0m2q68m7trd69kvs.org/]uivbdbgk[/url]
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