梅原猛先生の思い出は<アルスシムラ>開校式&入学式とレセプションで
平成31年1月15日(火)  曇りのち晴れ (遡って
   2019年1月15日 火曜日

梅原猛さんが亡くなられた。 享年九十三歳。
心よりご冥福をお祈りいたします。

独特の古代史論、文学・歴史・宗教論。スーパー歌舞伎(ヤマトタケルなど)、
スーパー狂言、スーパー能も手がけられた。
 多くのご著書があり、父の本箱にも何冊もあった。
私が初めて知ったのは父の本箱にあった『哲学する心』『隠された十字架 法隆寺論』など。
今世紀になって、は最澄と空海、親鸞も書いていらした。
でも完読したのはなかったかもしれない。無念!

十数年前の日本経済新聞の<私の履歴書>は読んでいて、
最初の日に肝臓癌のお話しを書いていらしたのを覚えている。
今日の日経には、瀬戸内寂聴さんが
梅原猛さんを悼む 純粋無垢なロマンチスト>を書かれていて、
その笑顔と出会いから長いおつきあいの歳月のなかの素敵なエピソードを
いろいろご披露なさっていた。
<梅原さんは京都にとっては宝もののような存在になり、文化面では最高の権威者になっていた>


 私は何度か会でお目にかからせていただいたことがある。
わたしから言葉をかけられる立場ではないので、
いつも周りの方とのお話しをうかがっていただけだったが、
一度、あのお優しい眼差しでじっと見られたことがあった。
わたしは緊張して会釈だけしかできなかった。

 最後にお目にかかったのは六年前の志村ふくみ先生のの会でのことであった。

https://keico.exblog.jp/17654086/
志村ふくみの<アルスシムラ>開校式&入学式とレセプション
2013年4月16日 火曜日 晴れ

http://keico.exblog.jp/17620941/
2013年4月15日 月曜日              
志村ふくみ・洋子の染織の世界 <アルスシムラ>
から続く、、、

 <アルスシムラ>の開校式でのこと。
テレビ、雑誌&新聞社のカメラがまわり先生方と来賓の皆さんのご入場が始まった。
梅原猛さん、瀬戸内寂聴さん、細見美術館長の細見さん、JT生命誌研究館館長、ご来賓の方々、、。
ふくみ先生に続いて梅原先生が会場にお入りになられた。

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 第一期生の生徒は本科十三名、予科二組二十四名の三十七人の式で、
そうそうたる来賓の方がいらしていた。 
 次々にご挨拶をなさり、梅原先生もすまされて着席。

そしてご来賓のご挨拶の終わり頃に、途中でなんと梅原先生が感激して立ち上がられ、
再度お話されたのです。
京都には三人の老怪物がいると言われています。
西には瀬戸内寂聴、東には梅原猛、真ん中に千玄室と言われているが、
その真ん中にもう一人美しい怪物がいるのです。
それが志村ふくみです。頑張って楽しい学校を作って下さい”と!
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 なつかしい思い出ですので、その日のブログを再掲載しておきましょう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さかのぼって、4月16日の
志村ふくみの<アルスシムラ>開校式&入学式とレセプション
そして同時オープンしたGALLERY FUKUMSHIMURA

http://keico.exblog.jp/17620941/
2013年4月15日 月曜日     
志村ふくみ・洋子の染織の世界 <アルスシムラ>
から続く、、、

 アルスシムラARS SHIMURA 開校式に出席した。
私が染めて 私が織って 私が着る……>の記念すべき日。
今後入学式は数限りなく行われるだろうが、開校式と一緒の入学式は今日のこの日しかない。

入学式のご案内には<入学式は自由参加といたしますが、
当日は皆様とアルスシムラにとって記念すべき
一日となることを願い準備をすすめております。
まだ出欠を迷われている方もぜひご参加ください>とあった。

 前日に京都に入って、熟睡できないままに早くに起きてしまった。
京都は黄砂で山々が見えない朝。この時期には多いのだそうだ。
この砂がかぶってしまった草木を先生方はどんなにかご心配になってらっしゃるだろうか。

 午後一番で岡崎の神宮道に向かった。
岡崎の平安神宮の赤い鳥居が見える道の瀟洒な建物の一階に、
学びの館<アルスシムラ>と<GALLERY FUKUMSHIMURA>がオープンした。

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 アルスシムラの源流は、ふくみ先生のの母上の小野豊にまでさかのぼる。
柳宗悦の民藝運動、黒田辰秋・青田五良の上賀茂民藝協団、富本憲吉らと親交を結び、
自ら理想的な教育を実践する場として「昭和学園」を設立なさったのだ。母上からの影響で染織の道に
入ったふくみ先生は、紬織を「工芸」から「芸術」へと昇華させ独自の美の世界を創造なさり、
その技術と魂はいま洋子さんや直弟子に引き継がれて<アルスシムラ>として実を結んだ。

<自然の不思議さに驚き、真理を追究しようとする姿勢は芸術家の特質です。
アルスとは、もともとラテン語で「技術」「芸術」を表わします。授業では、染めたり織ったりの
手仕事を通して物に触れ、物の命に近づく、驚きと憧れの体験を大事にしていきます。
心が躍動する色彩体験は、芸術家としての魂を育てる最高教育です。
学びの場は日本文化の中心地・京都にあります。そこでの染織体験を通して自然に目覚め、
ひとりでも多くの方が自らの創造性を育てていかれることを願っています>
(入学案内から)

 お祝いの花々が一杯のギャラリーは、織機がおかれ糸が置かれ、
そして<しむらの色のルーツ>が語られる展示になっていた。
テレビ、雑誌&新聞社のカメラがまわり先生方と来賓の皆さんのご入場が始まった。
ふくみ先生、梅原猛さん、瀬戸内寂聴さん、ご来賓の方々、、。

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a0031363_22471622.jpg (明日から使う織機の手前に新入生の待ち席があった)

 会場への先生方のご入場が終わってすぐに生徒達の入場となった。
大きな拍手に迎えられて一人づつ着席。わたしは最後にそっとつづいた。
細見美術館の学芸員の吉川さんの司会で開校式&入学式は始まった。

ふくみ先生のたおやかな声でのご挨拶から、
“一粒の種がまかれました。アルスシムラが誕生いたしました。
若い方から人生の経験豊かな方までの生徒さんに心を込めて、、、。

両親の途方もない夢であった学校の設立は夢の中にありました。
染め織るだけでなく、深い世界があり、自然には無尽蔵の豊かさがあります。
それを皆さんと一緒に探求してみたい。
危機に迫った日本の今に「日本の深い文化と美しい伝統、滅びつつあるものを何とかして伝えたい。
若い心に伝えたい、、、”と、落ち着きと麗しい若いお声でお話なされた。

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次は、哲学者の梅原猛さん(九十一歳になられるのだ)
この年齢でこういう学校を始められるのは凄い!
と絶賛なさった。
(カメラのシャッターの音で良く聞こえない〜〜)

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 次に天台宗の瀬戸内寂聴さん。
“志村先生、入学者の皆様、おめでとうございます。入学生の皆さんはなんと幸せな方でしょう、、、。
志村先生は着物織物だけでなく随筆家としては日本で一番。そしてなによりも品がいい”
学校をすることのむずかしさをお話になり、お釈迦様のことを話されながら、
伝えることの重要さとすばらしさをお話になり、
“先生がお元気なうちに、皆さんはすばらしい魂と技術を身につけてください”と。

a0031363_2253487.jpg (シャッター音はオフにしてあるが、一番後の席から拝聴しながらシャッターを押すのはむずかしい)

JT生命誌研究館館長の中村桂子さんのご祝辞。
来賓のご紹介のあと、アルスシムラを支えるスタッフのご紹介。

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a0031363_22565813.jpg (細見美術館の細見館長)

a0031363_22574910.jpg版画家の柄澤齊氏。

a0031363_22583964.jpg思惟塾塾長小柳昌司氏(ふくみ先生のお孫さん)

a0031363_22592310.jpg四人の本科・予科講師のご紹介。

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 そして入学生代表の挨拶。
今回の第一期生は本科十三名、予科二組二十四名。
“命への深い敬意、自然への深い思い、天の恵みを織り上げる大切な技術を伝えられる、
密度の濃い時間をすごしたい”
(なんだか涙がとめどもなく溢れてとまらない、、、)

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 ふくみ先生の近著<伝書>(求龍堂)をもう一人の生徒代表に贈呈式。
激励の大きな拍手が続く、、、。

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 最後は洋子さんのご挨拶。
ギャラリーで27日まで展示されているシムラのルーツのこと、不思議なご縁、、、。
夢と理想と希望を持って学校設立を決意した一年八ヶ月の準備の間に起こった様々なことなど。
挫折と失望に陥らぬようにと大変だった時期に、陰で支えてくれたのは、
講師の方々と都機工房の直弟子達だったのだ。

“今日はアルスシムラのことをいろいろお話ししようと思っていましたが、
もう頭は真っ白。空っぽになりました、、、それでいいのだと。
空っぽの器に一緒にいろいろシムラアルツの魂を創っていきたい。
皆様ありがとう。 工房の皆さんありがとう”(拍手!)

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 なんと梅原先生が感激で立ち上がられ、また話されたのだ。
“京都には三人の老怪物がいると言われています。西には瀬戸内寂聴、東には梅原猛、
真ん中に千玄室と言われているが、その真ん中にもう一人美しい怪物がいるのです。
それが志村ふくみです。頑張って楽しい学校を作って下さい”と。

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 先生方と生徒達の記念写真が撮られて、式は終了。

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 三時からは、こじんまりとだがパッショネートなレセプションが始まった。
シャンパンで乾杯!
ドイツ文学者でゲーテ研究家の高橋義人先生のご祝辞をいただき、
来賓の先生方も最後までお残りになって和気あいあいと美味しいワイン&お食事。
なんとも感動的な開校式&入学式でした。

http://www.shimuranoiro.com/ars/

a0031363_23204099.jpg (レセプションのお祝いは高橋義人先生)

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(梅原先生)

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a0031363_23224569.jpg (お祝い会の〆は洋子さんが)


 数ある著名人からのお花の贈り物の中に吉永小百合さんからの見事な鉢があった。
吉永さんも演じた、日本に古くから伝わる美しくも哀しい鶴の民話「鶴の恩返し」のおつうは、
その心を織物でのこしたが、現代版おつう<志村ふくみ>は、その魂と、
苦しみの中から自然界から命をいただきながら生み出されたその染めと織りを、
さらにニュートンからゲーテの色彩論、シュタイナーの思想を学んで得た心境は、
<色彩は光の行為である。行為である受苦である>のだと。

 三十歳をすぎて始めた織りの道は、黒田辰秋氏推薦で出品した日本伝統工芸で入選し、
その道を選び芸術家として成功されたが、それまでには女一人で始めた道であり、
閉鎖的な京都の織物の世界では認められずにどんなにかご苦労があったことだろう。

初めての著書「一色一生」から数多くの名著をお書きになっているふくみ先生のの最近の著書
「伝書 しむらのいろ」には、その<色>と日本文化の伝承だけでなく、
今までのご苦労のほどが、それぞれの章でほんの数行づつであるが書かれている。
   〜〜〜

 明治の時代に日傘をさしてお馬車で麹町の女学院に通ったお嬢様なのに厳しかったわたしの祖母、
<洋>の叔母と<和>の母から学んだ日本の女としての教育と、西洋的なことの教えを受けた
父と叔父からも学ぶことが出来なかった<ふくみ流>の魂と技のほんの一部でも、
明日から始まるその<しむら塾>でじっくりと学べたらどんなに嬉しいことか、、、。
 
<私が染めて 私が織って 私が着る……>の記念すべき日。
<魂の教育>の始まりの日。
ふくみ先生が染め織った着物を羽織ることに歓びを感じていた自分が、
今度は自分で染めて織ってみるのだ。

嬉しい青天の霹靂ともいえるだろう。
人生って面白い。
まさに<生きる歓び>だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 27日まで開催中のプレオープン展「シムラのルーツ」は、ふくみ先生の染めと織りの源流を、
第一章から第八章までの形で展開されていて、
それは、江戸から明治大正昭和へと日本人の<知と技>
<心と魂>の伝承の歴史そのもののようだ。

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(ギャラーフクミシムラの入り口左には織機が置かれている。その壁際には、色糸が、、、
そこから第一章が始まる)
(クリックすると写真が大きくなって文字が読めるようになります)

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a0031363_23493171.jpg (Foveonで)

第一章<小野家と志村家>

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a0031363_23414672.jpg (トリミングして小野家から志村家の家系が、、、)

第二章<民芸運動とその人たちいとの出会い>から、
(青田五郎、平塚らいてうの人たちとの歴史も)
a0031363_235855100.jpg<指スヤ都 見シヤ茲ヲ>


(都機の原点となっている)

a0031363_2348245.jpg (人間国宝の富本 憲吉さんの器、河井寛次郎さんの花入れなど、六十年前のもの)

a0031363_084996.jpgふくみ先生の母上の時代の、柳宗悦
「工藝の道」


a0031363_0134351.jpg(黒田辰秋さんの黒柿紙刀)

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第三章<昭和学園の設立>

a0031363_0155476.jpg(若くして亡くなった夭折の画家 
長兄の小野元衛さんの絵が掛けられていた)

第四章<近江での暮らし>
<メレル・ヴォーリスとの出会い>
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<キリスト教との出会い>
伝道者としてのヴォーリスとガラリア丸の湖畔伝導

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 ギャラリーフクミシムラは十坪くらいの広さだろうか。
中心には、先生作の風呂先や袱紗が飾られている。
右奥には、初めての日本伝統工芸展(1957年)で入賞した作品の<方形文綴れ帯>が
さりげなく置かれている)

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a0031363_122472.jpg<方形文綴れ帯>

第五章 <京都へ>

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第六章 <ヨーロッパ哲学との出会い>
「都機工房」名前の由来

ゲーテやシュタイナーの思想と出会い、「都機工房」を設立後は、
日本伝統の着物という枠を超えて、「色」という普遍的な美を目指すようになった。

a0031363_1333787.jpg(ゲーテの色彩論について)

a0031363_1371766.jpgしむらのいろ 色の色彩環

a0031363_1375338.jpg(色の色彩環の下には、草木や根から染められた色糸が、、、)
(右から、たまねぎ、くちなし、刈安、紅花、蘇芳、紫根、藍)

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a0031363_1343933.jpg (コーナーにはご著書が)

第七章 <ビザンチン文化とイスラム文化>
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第八章 <日本の色彩と言葉>

a0031363_226428.jpg (梅原猛さん、寂聴さんとの写真が飾られている。表には両先生が、、)





(写真はクリックすると大ききくなって文字が読めます)








# by pretty-bacchus | 2019-01-17 23:59 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

全豪オープンテニス男子シングルで<錦織圭>を午後には<大相撲初場所>で白鵬を
2019年1月17日 木曜日 晴れ 

 いや〜〜〜途中でやめるのって無理でした!
朝から<錦織>をずっと見てしまいました。
テニスの全豪オープンでの男子シングルス二回戦が行われ朝の九時からライブ放送。
世界ランク73位のクロアチアのカルロビッチとの一戦。
BGMでみながら他のことをしようと思ったのに無理でした。

 すごい試合でした。二メートルを超す長身のカルロビッチのサーブはすさまじいもので、
なんとエースを五十九回も打ったのでした。
三十度を越す炎天下で、6-3, 7-6 とリードした錦織、5-7, 5-7で2セットを失いフルセットへ。

そのフルセットも6-6となりタイブレークへ。
なんとこのタイブレークは最初に十点とった方が勝者となる<テンポイントタイーブレーク>
というルールのようで、もうどきどきして見ていられなかったが、
一点一点取っていって最後は10-7で破ったのです。おめでとう〜〜〜!

四時間弱のフルセットはまさにデットヒート。
試合が終わってコートにへたへたと膝をつき手をついたが、
彼はすぐに立ち上がって両手を開いて天に向け、そして観客に応えたのです。
いいですね〜〜〜!
 英語での見事なインタビューのあとの日本語のでは
“勝てたのが不思議、とも語っていました。

 午後三時からは大相撲の初場所。
相撲は子供のころは父に連れられて以前の国技館へなんどか行っただけ。
それが何年か前に新国技館の砂かぶり言われる溜席で白鵬の優勝を観戦してから
すっかり相撲ファンになってしまっていますね。
もうもう十年もまえのことになるのですね。

目の前にその姿を魅せていただいたときは、ほんとうに感動しました。
不知火方の凛々しい土俵入りがほんとうに美しいかった。
そのすばらしさに目覚めて、
毎回興味深く観戦するようになっている。

そういえばフランス人の友人は、あの技の四十八手はなんともロジカルで
おもしろいのだと言っていたのです。
シラク大統領もお好きでしたね!

その数年後に白鳳産のお食事の席にご一緒させていただてから、
スッカリファンになってしまっています。
今日も病院にいっていた連れ合いが抜糸が終わって帰ってきたので一緒に観戦。

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(昨日までは白い網の帽子をかぶっていたのでしたが、、、、)


2010年9月26日日曜日 晴れ
大相撲、九月場所千秋楽の「溜席」で白鵬優勝を観る

夕陽がカーテンを染めるころに大相撲夏場所の観戦。白鵬さん頑張って!
2018年5月22日 火曜日  晴れ  オナガが遊んで

〜〜〜〜
(ブログ内の白鵬さんのいろいろ}

すさまじい苦労があったとは思えぬような温和な眼差しのお顔と存在感。
話す言葉もやさしく、人々への気のつかいも凄い。
それぞれの方とも気さくに話されて、ほんとうにいい男〜〜〜。
ワタシは皆さんの写真を撮っていたが、最後に一緒にはいってくださって、、、、
ありがとうございます。

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(身長192cmの白鵬さんは大きい!)
一面に施された細かい縮みの藍染めの素晴らしいお召し物、
<白>の文字と綱が染め混まれてそれはそれは美しいものでした)

 中入り後の二十組の取り組みだけで二回も審判達が変わり、
呼び出しと行司二組毎に変わっていた。
相撲の行司の服装の色と紋と帯が美しく、行司が変わるたびに、
その服装の色と織が変わるのだ!
下がる房と共に、日本美の形と伝統色が相撲にあったのには感動。

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a0031363_427412.jpg (行司は木村庄三郎)

http://keico.exblog.jp/15371335/
2012年5月20日 日曜日 曇り
勝利の涙はなんとも素晴らしい!

https://keico.exblog.jp/16867937/
2012年11月25日 日曜日 晴れ後曇り
白鵬優勝を祝って有機栽培農家の新米=肌美人をいただいた

https://keico.exblog.jp/17859368/
2013年5月26日 日曜日 晴れ
五月場所大相撲千秋楽 白鵬さん二連続全勝優勝二十五回目の賜杯おめでとう

http://keico.exblog.jp/20242490/
2014年9月28日 日曜日 晴れ
数日遅れのお墓参りで法恩寺さんへ

白鵬の<この国の魂と相撲の神様が認めてくれてくれたからこの結果があると思います>と涙

http://keico.exblog.jp/20434573/
2014年11月25日 火曜日 雨 寒い一日
アップ寸前の黄葉と鳥のブログがまた消えた!
白鵬の<この国の魂と相撲の神様が認めてくれてくれたからこの結果があると思います>

http://keico.exblog.jp/20803587/
2015年1月24日 土曜日 晴れ
朝の光に少しだけ春をみつけました

http://keico.exblog.jp/21265635/
2015年5月24日 日曜日 曇り 4100歩
沈みゆく夕陽を追ってドクダミの土手をあるいた小一時間

https://keico.exblog.jp/21489243/
2015年7月26日 日曜日 晴れ 猛暑日
白鵬 三十五回目の優勝 おめでとう!
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(髪をなおして表彰式のために土俵にもどった白鵬、テレビをカシャッ)

優勝のインタビューもなかなかだった。
暑い中、大変厳しい(名古屋)場所で三年連続で優勝してうれしく思います」そして
相撲中継で白鵬について「力が落ちていますね」と語った解説者の舞の海を意識してか、
あまり寂しい言葉は言わず、温かい応援をしてほしいと思います」と発言した。 
また「我々の大先輩が今場所限りで引退ということで、
その最後の花道を優勝パレードで一緒に乗せることが
出来たのでよかった
」と旭天鵬のことについて言ってしまった。
(その旭天鵬が敗れて涙を拭きながら花道を戻る姿は印象的だった)

いつも辛口の解説者の北の富士(元横綱)は「出色の場内インタビューだった」と
白鵬の率直なコメントに好印象を抱いていたのもなぜかほほ笑ましい。
力士の力量ももちろん国技の相撲を支える彼らのハーモニーが嬉しかった千秋楽だった。


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 (この美しい白いしめ縄はとても重いのだそうだ)

https://keico.exblog.jp/22282761/
2016年1月24日 日曜日 晴れ
寒い日曜日はTVでスポーツ観戦:錦織圭八強入り&琴奨菊が初優勝おめでとう!

https://keico.exblog.jp/22840129/
2016年5月22日 日曜日 晴れ
オナガがベランダのムスカリの水苔を盗みにやってきました
<大相撲夏場所>は横綱白鵬が横綱鶴竜を下して全勝で今場所を終えた。

https://keico.exblog.jp/22912586/
2016年6月14日 火曜日 晴れ
オナガが朝のベランの中に入り込みました

https://keico.exblog.jp/23375059/
2016年11月16日 水曜日 曇り その一
白鵬が通算千勝を達成おめでとう!。特年前の溜席の勇姿を思い出して

https://keico.exblog.jp/23537062/
2017年1月8日 日曜日 曇り 暗い一日
暗い日曜日に大相撲初場所が始まりました

https://keico.exblog.jp/23568110/
2017年1月22日 日曜日 晴
思わぬアクシデントが起きて左手負傷と腰打撲/
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(実に良いお顔をしてますね!)
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 横綱になって初めての怪我での休場のあいだのこの一年間は、彼の名前はメディアでは
ほとんど見られなかった。

https://keico.exblog.jp/23580889/
2017年1月25日 水曜日 晴
日経新聞の<春秋>で稀勢の里とチカラビトなどに感動

https://keico.exblog.jp/23752958/
2017年3月26日 日曜日 小雨 寒い一日
新横綱稀勢の里が見事に逆転優勝、おめでとうございます。

https://keico.exblog.jp/23925175/
2017年5月28日 日曜日 晴れ
白鵬さん全勝優勝おめでとう〜〜!

https://keico.exblog.jp/237311011/
2017年7月23日 日曜日 曇りときどき小雨
白鵬さん二場所連続39度目の優勝おめでとう〜〜!

今回の優勝インタビューでは、最初の一言が “名古屋の皆さん、
サンキュー!”三十九勝とサンキューをかけたのだ。(お見事!)
(そのあとに彼が話したのは、彼が六歳の時にモンゴルを訪れた日本相撲の一行のおみやげが
名古屋のウイロウだったと言って、名古屋の方々を喜ばせたのだが、
アナウンサーはわからなかったようだ)
そして最後の言葉は、“相撲は奥が深いね”だった。

偉業を達成した直後の言葉としては本当にその彼の言葉自身が奥が深いものだった。
(その間、横綱になって初めての怪我での休場のあいだのこの一年間
メディアは彼の名前を語らずに日本人横綱の稀勢の里の話ばかりだったのだ。

そこには、それまでのある時期からの相撲界を一人横綱として相撲界をひっぱってきた白鵬にも
モンゴルの相撲人達にたいしての尊敬などは一切なかった。
彼らはどんなにか悔しいと思ったことだろう、、、、。)

(そのうえ角界のある派はモンゴル人をいじめる人がいるのだという)
<チーム白鵬 最強横綱支える2人>と言う記事もあった。
主治医を務める杉本和隆・苑田会人工関節センター病院長であり、
もう一人は専属トレーナーとして一年で140日以上寝食をともにする
大庭智成・九州医療スポーツ専門学校競技スポーツトレーナーなのだそう。

最強横綱を作り上げるトレーニングがあるかという質問には、笑顔で「ない」と断言され、
スクワットから、しこ、てっぽう、すり足など相撲の基本を軸に
地道な基礎的な繰り返しを徹底する。
しかし、実はこれが一番難しい、と。 この横綱のすごいのは自己管理能力であり、
本場所中はお酒も一切飲まない。辛抱、努力、我慢が、勝つ喜びとなり、家族の幸せ、
支援者らにこたえること、そして自分に返ってくることを知っているのだという。

本場所では朝からいつもの運動を繰り返していて、取組前でもゆっくりとしたしこ、
すり足でじっくりと汗をかいているのだという。
若い人にまねて欲しいとテレビでの辛口の解説の
北の富士さんが言っていた。その北の湖さんも、先場所も今場所でも、
“今日の取り組みにおもわぬイイ相撲をみせてもらった。と。
“白鵬の必死さが伝わってきた場所だったと、前の海さんが解説していた。

https://keico.exblog.jp/237984319/
2017年11月12日 日曜日 晴れ
大相撲九州場所が始まりました。横綱白鵬さんを想って

https://keico.exblog.jp/238019625/
2017年11月24日 金曜日 晴れ
横綱白鵬さんとプーリア州の羊のチーズのブッラータ

https://keico.exblog.jp/238025643/
2017年11月25日 土曜日 晴れ
借景の黄葉が真っ盛りになりました。あと何日の命でしょうか?
大相撲九州場所は横綱白鵬が千秋楽を待たずに優勝。
歴代最多を更新する通算40度目の優勝を飾った。
おめでとう〜〜〜!

!https://keico.exblog.jp/238029700/
2017年11月26日 日曜日 晴れ
横綱白鵬四十度目の優勝おめでとうございます。

そして、、、、
https://keico.exblog.jp/237886831/
2017年10月10日 火曜日 晴れ
白鵬さんとのお食事会にお招きをうけました!
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 マグナムワインを抜くときにちょっとしたハプニングもあって楽しい思い出が増えた。
皆さんの写真を撮っていたが、最後に一緒にはいってくださって、、、、ありがとうございます。
恥ずかしいですが、Web日記なので記録しておきましょう。

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(お刺身やお肉のあとに、ちゃんこ鍋をいただきました)

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https://keico.exblog.jp/237741061/
2017年9月10日 日曜日 晴れ
三横綱が初日から休場で大相撲の秋場所が始まりました

https://keico.exblog.jp/237282615/
2017年7月20日 木曜B 晴れ
地元の<わかば>で鯛焼きを買って病院へ
真夜中に横綱白鵬が通算1047勝の歴代最多記録に並んだニュースに一人で拍手。
<横綱白鵬が大相撲名古屋場所12日目で通算1047勝目をあげ、
元大関魁皇の持つ歴代最多記録に並んだ。初土俵から98場所での達成は、魁皇より42場所早い。
優勝38度。実績は名横綱たちと比べても群を抜いている>

https://keico.exblog.jp/237293354/
2017年7月21日 金曜日 晴れ
渋滞の道を病院へ急いだのですが、、、、
 スポーツニュースで白鵬の1048勝を知る。
白鵬おめでとうございます!千秋楽まであと二日、先場所に続いての優勝をお祈りします。



# by pretty-bacchus | 2019-01-17 23:58 | ♪Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)

病院、稀勢の里引退、歌会始の儀、そして
2019年1月16日 水曜日 晴れのち曇り 病院

 今年初めての病院。
血液検査の結果は数字が悪いところはそれなりに可も無く不可も無く。
Y先生としばらくお話しできるだけで癒されて感謝。
(詳しい検査は来月になりました)

 東京タワーの灯火が灯る頃に終わって、ミニバスで六本木ヒルズまで。
病院の帰りの定点観測になったいるルイ・ヴィトンの軍艦ビルを撮ってから
タクシーで帰宅。


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(定点観測の病院ロビーからの東京ワワー}
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(信号を渡りながら、、、、)
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 横綱稀勢の里が引退を明らかにした。
十数年ぶりの日本国籍の横綱となって二年。横綱になるまでの厳しい苦労も多かった力士。
平幕相手に力なく負けた初場所の始まりに心配になっていたが三連敗となってしまっていた。

 その会見は涙なくしては見られなかった。
「けがをする前の自分に戻ることはできなかった。やりきったという気持ちです。
私の土俵人生において、自分の中では一片の悔いもございません」と話し涙をぬぐった。
涙もろい稀勢の里が涙を必死に堪えているのがまた涙を誘う。

 八場所続いた休場に覚悟をもって練習してきただろう。
稽古の大事さをわかっているから我慢と努力をつづきたという。

 じっと目を閉じて土俵際で出番を待つ姿は忘れられない。
仲間にもファンにも暖かい人柄だったという。
その人間味こそ稀勢の里の魅力だったのだろう。
土俵上で稀勢の里に向けられた声援は温かかった。
どんなに負けても厳しい言葉は飛ばなかった。

 精一杯の稽古のあとに覚悟しての初場所出場だったのだろう。
そして三連敗で決心! 男の涙に多くのファンはうなだれていた。
年寄「荒磯」の席が用意されていると言うから、
これから沢山の強く心優し弟子を育ててほしいものだ。

 夜のニュースで、皇居・宮殿で行われた新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」を見た。
平成最後の「歌会始の儀」のお題は「光」。
天皇陛下と皇后さまは、長年暮らした御所の庭の自然について詠まれていらした。
天皇陛下のお歌は、
「贈られし ひまはりの種は生え揃ひ 葉を広げゆく初夏の光に」は
阪神淡路大震災で亡くなった小学生の名前にちなんだ「はるかのひまわり」の種を
御所の庭に植え育てながら成長を見守ってきた思いを詠まれたのだという。

皇后さまは「今しばし 生きなむと思ふ寂光に 園の薔薇(さうび)のみな美しく」と詠まれた。
お年を重ね不安を覚えたときに、夕刻の光の中に咲いたバラの美しさに
穏やかな喜びを感じたことをうたわれたという。
平安から続いているこの儀式がいつまでも続くことを祈って手をあわせた。

https://youtu.be/DHMxHzOmFQ4

 長い一日が終わった。
一昨日亡くなった梅原猛さんのことは明日にでも書いておきたい。
何度かお目にかかったことがあるが、新聞にも出ない頬ましいある日の話を。



# by pretty-bacchus | 2019-01-16 23:58 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(0)

九十六歳おめでとうございます!
2019年1月14日 月曜日 晴れ

 吹田御大のお誕生日。九十六歳になられる。
妙高におじゃまするはずだったが今回の連れ合いの事故で東京にとどまることになったので、
<祝ファックス>とお好きな赤ワインのマグナムをお送りした。

 三年前は雪深い日におじゃましている。

https://keico.exblog.jp/22190007/
2016年1月14日 木曜日 晴れ 妙高高原まで
九十三歳の御大の誕生会は雪がふる高原で

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(お部屋の窓から)
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 知己をいただいて五十数年になり、いまだに毎週お声を聞いている。
厳しくもお優しい殿!
そういえば去年途中までブログを書いて、まだアップしていないのがある。

 あとで整理をしておきましょう。

http://keico.exblog.jp/8920246/<br>
2009年9月4日 金曜日 晴れ後曇り、夜半に少し小雨
大正生まれの男性二人に魅了されて


# by pretty-bacchus | 2019-01-14 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

一月は年に召される方が多い月なのでしょうか、、、、
2019年1月13日 日曜日 晴れ

 なんとも長い一週間がすぎた。
三が日が静かにすぎて喜んでいたのに、松の明ける七日にとつぜん事故が起きた。

 救急車がきたのに一時間も病院が決まらずに,
結局夜に脳外科を受け付けてくれた慶応病院救急センターに運ばれた。
大事にいたらなかったことがわかってほっとしたが電話をつかえず、
わたしはフェイスブックのチェックイン機能をつかって関係者に居場所を連絡することを試みた。
病院にいるあいだに、すでに十数件のコメントをいただいていた。
T先生もわかってくださったよう、、、、。

フェイスブック、ツイッターは数年前に登録し、友人のページをみるだけにしていたが、
友人の依頼で半年ほど前からブログに書いたものをフェイスブックに
アップするようになった。(毎日ではないが、、、)

フェイスブックって、すぐに見る方が多いことがわかり、
それはアップしたりチェックインしたりすると、すぐに登録してある人には
メールが入るシステムらしいということもわかってきた。
まだまだ使いこなせていないが、上手に使えば
今の時代の交信方法にもなると思い、ほそぼそと続けていたのだった。

すごい時代になったものだ。
そのフェイスブックを通じて、さらに新しい驚きがいくつも起きている。
それはまたゆっくり書いておこう。


 市原悦子さんが亡くなった。享年八十二歳。
ご冥福をお祈りいたします。
シリーズ「家政婦は見た!」や「必殺シリーズ」、アニメ「まんが日本昔ばなし」の
ナレーションが最近のお仕事のようだが、私は
何十年も前に元・日生劇場での観た、水の精<オンディーヌ>役の可憐な姿が忘れられない。

フランスの劇作家ジロドゥが描く詩的な世界を、劇団四季をつくった
浅利慶太さんが初めて演出なさったときだったと思う。
薄い衣装をつけた若き日の市原悦子さんが、舞台右側の前のほうで、
体をくねり頭を前下のほうに下げて踊っていたのを覚えている。 
1960年代半ば、卒業してすぐにエールフランス航空に入社して
パリの駐在員にでるまでの数年の間だだろう。

その年にエールフランス航空に入社したのはたった二人で
もう一人は空港長の秘書になったムラナカさん。
フランス文学がすきでお芝居も好きな可愛い方だった。
私もお芝居や歌舞伎やオペラが好きだったので、すぐに仲良しになった。
彼女がジロドゥが好きだったので、きっとそれで一緒に観に行ったのだろう。 

 その浅利慶太さんも昨年この世を去っている。
寒くなるお正月ごろには亡くなられる方が多い。
睦月一月は哀しい月なのかもしれない、、、、。

祈りをこめて、、、
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(14 December 2014, Cathédrale Notre-Dame de Paris )
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# by pretty-bacchus | 2019-01-13 23:58 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

<ブラタモリ>のローマをみて、ローマへの幾つもの旅を想いだして
2019年1月12日 土曜日 曇り時々小雪?小雨

 寒い一日だった。
テレビを見るのがすきな連れ合い、あまりテレビを見ない私。
珍しく夕方から一緒に<ブラタモリ>を見た。
番組初の海外編でローマ
~“ローマは一日にしてならず”とは?~」

 タレントのタモリさんがさまざまな街を訪ね歩くバラエティー番組「ブラタモリ」は
数年前に始まったが、単なる観光地をまわる旅番組ではなく、その地の成り立ちや「地形」や
「地質」にせまり、地殻を構成する岩石を紀元前まで遡るのがおもしろい。
玄武岩、石灰岩、堆積岩, 砂岩、泥岩、礫岩、凝灰岩. 火成岩, 火山岩, 流紋岩など、番組の
回を重ねる毎にタモリさんは詳しくなって、その地の案内者を驚かせている。

 今回はローマ。
タモリ一行とガイドの男性は、「ローマがどのように繁栄したのか」を探るため、
かつてローマ市民が集った広場で紀元前八世紀のフォロ・ロマーノを訪問から始まった。
その岩石はカルカーレ、そしてバサート? 石灰岩、玄武岩?
石の柱や、井戸の跡、コロッセオをはじめ町中に残る数々の古代遺跡。

街がまるごと”世界遺産”のこのローマは、
2000年前には地中海周辺、ヨーロッパから中東、インド、更にアフリカまで及ぶ
広大な領土を支配した「古代ローマ帝国」として栄華を極めた巨大国家だった。
なぜそこまで巨大国家になり得たのかは、今も崩れずに残っている古代遺跡の
「地形」と「地質」にあったという。

 謎の建材「ローマン・コンクリート」の秘密にもせまった。
このコンクリートのおかげで今も2000年前の遺跡が残っているのだという。
当時の痕跡が残り今でも人が暮らす築2000年の建築物にもカメラは入った。

「フォロ・ロマーノ」コロッセオ」「アッピア街道」、、、、
アッピア街道」はBC312年に、南方にある火山が爆発して玄武岩が流れたその上に、
玄武岩で道を造ったのだという。
ガタガタと車が走る真っ直ぐで丈夫な狭い道のアッピア街こそが軍隊派遣を可能にして
すべての道はローマに通ず>の支配を可能にした。
地中海周辺、ヨーロッパから中東、インド、スリランカまで及び、
更にアフリカまで及ぶ広大な領土を支配したのだ。

 このあたりの説明は現地の専門家の教授などがあたり、それを現地に住むガイドの
国家試験免許をもつ日本人が通訳しながら、さらに下にテロップがでて、ともてよく理解でした。
このガイドさんは一歳半からローマに住み四カ国語を話せるという日本人男性で、
凝灰岩、玄武岩、花崗岩、石灰岩などの岩の専門用語なども見事に翻訳しながら
タモリさんに伝えていく。素晴らしい!

 海外編はまだ続き、ローマのあとにはパリも予定にはいっているという。
楽しみだ。

 さて<私のローマ>はといえば、最初のローマは五十二年前の1966年
そのあと何回も訪ねているが最後は2011年かな。


(何度もブログに載せていますが、コロッセオの中でのスナップです)
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(40年前なのに、なんとモダンなコットンピケのアンサンブルを着ているのでしょう!
デザイナーだった叔母が創ってくれたのでしょう。 

そして2011年
ヴィッラヴィーニャマッジオにお客さまをお連れした後に
グループをローマでお送りして、翌日は一人で
ヴァチカンとダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で廻ったのでした。

鳴けよ鳴け命の限り蝉たちよ (ヴァチカンの御ミサ)
2010年8月14日 (土曜日) 晴れ

最後の出発の日のヴァチカンの御ミサも入っている。
(高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m)

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いただいた葉書大の60数ページの冊子には数枚の写真と賛美歌の楽譜があった。
CARDINALE TARCISIO BERTONE枢機卿の IN OCCASINE DEL 50TH ANNIVERSARIO<br>
とあった。
(小冊子の表紙の絵は 誰の受胎告知なのだろうか?)

中ではオルガンが奏でられていた。
5時から始まった御ミサだった。
 奇しくもこの御ミサにあい、思わず椅子に座り込んで頭を垂れて手を合わせた。
この荘厳な雰囲気は、カードを盗まれての地獄から、心の天国への切り替えのようだった。
深い思いで神に感謝して、、、、。

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(高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m)<br clear="all"> <br>
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 枢機卿達がおごそかに中に入り始めたが、後ろ髪を引かれる思いで外に出たのでした。

永遠の都ローマの魅力は尽きず、またゆっくり訪れたい。


ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
2010年7月20日 火曜日 晴れ 暑い! 猛暑日だった。

ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
2010年7月20日 火曜日 晴れ 暑い!
2010年のイタリアの旅の全部はこれをクリック

http://keico.exblog.jp/11013432
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る

2010年7月20日 火曜日 晴れ 暑い! 猛暑日だった。

2011年4月2日 土曜日 晴
ヴァチカンVaticanのサン・ピエトロ大聖堂での御ミサ

2010年7月6日午後5時15分
ヴァチカンVaticanのサン・ピエトロ大聖堂での御ミサ
06 July 2010
三つのパートからなるブレブレの動画ですが、
新しくなったiMovieで遊びYouTubeにアップしてみました。
新しくなったiMovieのテストですが、いろいろあるテクニックをほとんど使えていません。
(そっと押し殺した声は現地のままで、アフレコではありません、、、)

2010年7月6日午後5時15分
ヴァチカンVaticanのサン・ピエトロ大聖堂での御ミサ
06 July 2010




〜 ☆ 〜

 なかでも特に忘れられないのは1970年のパリ>ローマの便。
その飛行機にはアラブゲリラにより爆弾が積みこまれていたが不発に終わったのだが、
その機には私も乗っていたのだ!
この爆弾が不発に終わった事件は、翌日のローマの新聞の一面を飾り大騒ぎになった。

その頃、私はエールフランス航空のパリ駐在員としてパリに住んでいた。
日本万国博覧会が大阪で行われていたころだ。
1970年代初めには幾つもの航空機の事故が続いておきていた。
アラブゲリラがしかけた爆弾でパンナメリカン機がオルリー空港で破壊されたり、
オリンピックインド航空がパリ郊外のエルムノンビルに墜落したり、
そしてその数年後にはミュンヘンオリンピックでもアラブゲリラの事件が起きている。

 日本からローマにお客さまと入っていた連れ合いに会いに行くために、
私はウィークエンドをつかっての旅だった。
どの日かのブログに詳しく書いているが、、、、、
その便は乗客が三分の一位乗ったキャラベル機で、
ローマに近くなってきたら乗務員が全然こなくなった。

左の窓側席にすわっていた私はなにげなく上に載せたバックを隣の席におろした。
まもなくフミチーノ空港に着陸。
このローマの空港は何度かきていて良く知っていた。
いつものように窓からそとをみていたが、がたがたと地上をいく機が空港ビルではなく
左の原っぱのほうにどんどんすすんでいく。

変だな、、、と思う間もなく、やがて機は停まった。
とたにん前方コックピットから、うわ〜〜と叫びながらスチュワーデスが
後ろに一人で走って行った。
キャラベル機は後ろから蛇腹階段がおりて、
その急な階段を後ろ向きで一段一段降りるのだ。

すこし時間がたって、“すべての荷物をおいてすみやかにおりてください、と
キャプテンのアナウンス。
乗客はしずかに後ろに進み始めたが、うわ〜〜という声が時々聞こえていた。
わたしはハンドバックとカメラだけはこっそりと前に抱えて進んだ。
降り口近くになり、狭い空間から前方にみえたのは何台もの
赤い光を放っている何台もの消防車だった!

 全員一つのバスに乗せられて、またどんどんと原っぱの遠くの方に進んだ。
外は小雨が降り始めていた。
ややしてからだったろう。チェックインバゲッジが乗った車がついて、
さらに空のバスがもう一台ついた。
やがて説明があり、アラブゲリラが爆弾をしかけた、、、と説明があった。

それからが長かった。
チェックインバゲッジが一つづつバスの前に運ばれて、誰のものが聞かれ、
その持ち主は、ボディータッチをされたうえ、空で着いていたバスに移る。
何十人かがつづいて終わった頃には全員寒くて震えていた。
あるいは恐怖からだったかもしれない。

 いつもの税関検査ではなく、特別ゲートを通ってようやく到着ロビーについたのは、
おそらく何時間もあとだったろう。
その頃には空港のアナウンスもあったようで、空港中が騒ぎになっていた。
それまで恐怖心はあまりなかった私だったが、
連れ合いの顔をみたとたんに震えがきて泣き出していた。

 翌日の新聞によると、大きな荷物が一つ残ってその中に爆弾があったが、
不発に終わったのだそうだ。
ヴィアヴェネートにあるエールフランス航空の事務所では
ローマ駐在員の岡村さんが待っていて下さった。
“ご無事でよかったですね〜〜〜” 。またもや涙腺が壊れてしまった。

 最初の飛行機の旅から半世紀以上がたった。
年に十数回のこともあったから、もう何百回も飛行機にのっている。
そして何度も大きな事故に遭遇している。
こうして生かされているのは、まだしなければいけないことがあるからなのだろう。
頭を垂れて、その使命をまっとうしなければならない。

https://keico.exblog.jp/238691204/
真夜中の飛行機事故のニュースに、過去の旅の事故の記憶に震えて
2018年8月1日 水曜日 晴れ

<ローマ>で、このブログの右サイドバーの検索をかけてみたら、まあありますね、、、、。

寒い朝は、きれいな朝! 半世紀前の思い出にふけって!
2018年10月22日 月曜日 晴れ

七十三度目の原爆忌、ジョエル・ロブションさん、フランス人との交流歴など
2018年8月6日 月曜日 曇り また台風が発生

海を見ながら、ダンブラウン<オリジン上下>を読み終わりました
2018年7月18日 水曜日 晴れ

小雨の日にいにしえのローマの旅を想いだして
2017年10月25日 水曜日 小雨

暑い一日の終わりに半世紀の旅の事故の記録に酔っている。
2017年10月2日 月曜日 晴れ 暑い一日

三月のローマではヴィーニャローラ、初めてのお料理に感激
2017年3月31日 金曜日 晴れ後曇りのち雨

皆様今年も一年ご覧いただきありがとうございました。
2016年12月30日 金曜日 晴れ
 そのローマでの一枚の写真は数年前にHさんから送られた写真!<br>
なんともなつかしいことごとだろう!

初夢はイタリアン、思うは<暦>の不思議と旅ごころ
2016年1月3日 日曜日 晴れ

借景の木々をみながら危険だった旅の思い出に、、、
2015年11月18日 水曜日 小雨 魚真

お正月に子供の頃のことをいろいろ思い出されて、、、
2015年1月3日 土曜日 晴れ

NKさんの<パンテオン広場に夜は更けて>のパンテオン内部を
2014年6月10日 火曜日 その一

イタリア文化会館で「文学の町、トリエステ」の講演にでかけました
2014年4月24日 木曜日 晴れ イタリア文化会館

年の瀬に旅を想い新しき本を読む<ダン・ブラウン「インフェルノ」>
2013年12月29日 日曜日 晴れ 今日もきれいな青い空

「イタリアの最も美しい村」オルタ・サン・ジュリオ
2013年9月6日 金曜日 曇り後晴れ

ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出
2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ
このブログには、半世紀前からの飛行機の歴史を書いている

この日のコメントには、NKさんとNORIさんが賛辞を送ってくださった。
Commented by k7003 at 2013-01-18 03:20 x
片桐敬子さんでなければ書けない、この濃密精緻な航空機記事、
ブログで終わっていいはずはない、断じて。
NHKよ、朝日新聞よ、、、誰か動いてよ〜〜〜〜〜
無力な自分が歯がゆくてならぬ。
(>_<)

Commented by nori at 2013-01-18 06:32 x
おはようございます。
NKさんのおっしゃる通り敬子さんしか書けないです。
改めて飛行機の歴史を読み直し、感慨も知識も深まります。
duke daysのご紹介ありがとうございました。

2011年12月5日 月曜日 パリへ出発
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris

2011年4月2日 土曜日 晴
ヴァチカンVaticanのサン・ピエトロ大聖堂での御ミサ

鳴けよ鳴け命の限り蝉たちよ (ヴァチカンの御ミサ)
2010年8月14日 (土曜日) 晴れ

ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
2010年7月20日 火曜日 晴れ 暑い! 猛暑日だった。

ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
2010年7月20日 火曜日 晴れ 暑い!

帰国して、旅を振り返って、、、、
2010年7月7日 水曜日 曇り

炎天のローマの想い時越えて
平成22年7月05日(月) 晴れ

2010年6月27日 日曜日 晴れ
「イタリアの最も美しい村」オルタ湖のサン・ジュリオ島へ

残る花散るを忘るるみぞれかな(飛行機事故の記憶)
2010年4月16日 金曜日 曇り時々雨、みぞれで寒い

初めてのローマは1966年?
四十数年前の初めてのローマで
若者の活躍に酔って、40年前の旅の思い出に浸って、、、 
2009年8月2日 日曜日 

2009年11月1日 日曜日 曇りのブログへ
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

2009年1月16日 金曜日
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙

zzzzzzzzzz
まだまだありますね、、、
 ついつい昔を思い出して、ネットサーフィンです。
他にすることが沢山あるのに〜〜〜〜〜困ったことです。

~~~~~
倒れてみてそれぞれのお店の椅子を思っているようで。
一番気に入ったのは高田さんのバーの黒いカッシーナだと、連れ合いはいいだしました。
何十年もまえのものだが、腰の下に入っているクッションがなかなかとのこと。

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お隣には素敵なお三方がいらっしゃいました!
ISOが低く手持ちでちょっとぶれてしまいましたが、、、、。

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# by pretty-bacchus | 2019-01-12 23:58 | ☆JourneyAbroad海外の思い出 | Trackback | Comments(0)