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オリンピック決定を待ちながら旅の写真の整理を
2013年9月7日 土曜日 曇り

 数日前からどうもおかしかったが、やはりここにきて風邪を引いてしまったようだ。
それも今年の風邪といわれる咳風邪の感じ。

 横になっていてせきがでると辛いので、ついつい起きたままに、、、。
昨日の続きで2010年のイタリアに続き、2006年のイタリアの旅の写真の焼き直しをしたりして真夜中に。
あと数時間でブエノスアイレスから2020年夏のオリンピック・パラリンピック開催地を決めるIOC
(国際オリンピック委員会)投票の中継がはじまるので、このままおきてしまおうか。

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(ホテルの部屋から、トスカーナの糸杉の向こうの葡萄畑に夕陽が落ちていった、、、)


 イタリアのトスカナのヴィッラ ヴィーニャマッジオ VILLA VIGNAMAGGIO
その歴史は古く、
レオナル ド ダヴィンチ作の肖像画”モナ リザ”のモデルのアントン マリアの一族の
ゲラルディーニ家が14世紀から所有していた館である。
その後、何人かの所有者を経てサンミニアテッリ家から1987年、現在のオーナーである
ジャンニ ヌツァンテが購入した。

広大な敷地はでワインやオリーブオイルが造られている。
ワイナリーは約160㌶で、その内32㌶がブドウ畑、25㌶がオリーヴの畑で、キャンティ クラッシコ地区
(グレーヴェ イン キャンティ)の中でも特に恵まれた土地に位置しており美酒を生み出している。

アグリツーリズモのホテルとしても評判がよく、12も部屋があり古い調度品の部屋も新しく
アレンジされた部屋からもトスカナの景観がのぞめる。
又ここのテイスティングランチは好評で、いまでは世界中から観光客が訪れているという。
これも総支配人のMs.Carla Baniとスタッフの情熱の賜であろう。

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(こちらは2010年のオルチャ渓谷のサンタンティモ聖堂)

http://keico.exblog.jp/4567217/
2006.10.14 火曜日 イタリア、トスカーナにて
モナリザの里で時代をさかのぼり

http://keico.exblog.jp/4516937/
2006.10.12
モナリザの寝室で一人で恐くての二泊

http://keico.exblog.jp/18526285/
2013年9月6日 金曜日 曇り後晴れ
「イタリアの最も美しい村」オルタ・サン・ジュリオ

http://keico.exblog.jp/10927535/
2010年6月27日 日曜日 晴れ
「イタリアの最も美しい村」オルタ湖のサン・ジュリオ島へ

http://keico.exblog.jp/i37/
カテゴリ:JourneyAbroad旅海外2010 ( 31 )

(この頃は、オリンパスを使っていたのでした)


by pretty-bacchus | 2013-09-07 23:58 | ♧Journey海外2006仏伊香港 | Trackback | Comments(0)

2005年晩秋の巴里の<オペレーション・モノクロ化>
2013年1月22日 火曜日 雨のち晴れ
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 今月になって遊んでいたイニシエノ巴里のモノクロ化。
ブログにアップした後の雑なデータをただモノクロ化していったのだが、
なんだかむなしくなってきていた。

最初は、3x2,3x4,16x9と取り混ぜてトライし、
http://keico.exblog.jp/17142409/
2013年1月11日 金曜日 曇
昔のパリの写真をモノクロで遊んで、、、

次に2005年10月の巴里で、
LUMIX DMC-LX1/LX2/LX3で撮った16x9の細長写真をモノクロ化。

http://keico.exblog.jp/17158561/
2013年1月13日 日曜日 晴れたり曇ったり その一
雪降る東京で古の巴里を白黒にして、、、

次に車窓からのほんの数枚。
http://keico.exblog.jp/17153507/
2013年1月14日 月曜日 初雪 その一
初雪にパリの写真の白黒化と遊んでみたが、、

次に雨の巴里を数枚。
http://keico.exblog.jp/17164611/
2013年1月15日 火曜日 曇のち晴れ
モノクロ化の冬の巴里と白黒の初雪の東京

そして一昨日の、<ロダン=考える人>
http://keico.exblog.jp/17190821/
2013年1月20日 日曜日 曇り後はれ 寒い一日
2011年の冬のパリの<ロダン=考える人>をモノクロで遊んで

 妙にノスタルジックなモノクロになって郷愁を誘うのだが、なんだか今のちゃんと撮られて
モノクロ写真を観るにつけ、私のこれはいったい何なのだと自己嫌悪。
極めつけは、yoshipassのブログで、M9 & S-ANGULONで撮られたすっばらしい〜本当のモノクロを
拝見して完全にダウン。
Yoshi-A の写真の楽しみ  yoshipass.exblog.jp
http://yoshipass.exblog.jp/19166536/
<Monochrome の時を刻む街で>

 いままでのジャンルに入らないのも途中でモノクロ化してあったのだが、
もうブログアップはや〜〜めよ、次の巴里までにモノクロにあったカメラを探して挑戦してみよう、、、
なんて思い始めていた。

ああ、それなのに、毎回コメントで励ましてくださっていたNKさんから、一昨日のブログで
<オペレーション・モノクロ化>という新しい言葉をいただいてしまった。
quote:Commented by k7003 at 2013-01-22 03:57
「オペレーション・モノクロ化」を熱烈歓迎します。
世のため、人のため。写真する人すべてに、このブログ熟読させたい。ブラボー(^^)/
unquote:
クシュンとしている時のこういうコメントってとっても嬉しいし、
すぐその気になってしまうのは良いのか悪いのか?

郁子さん、婆美以さん、さくらさん、mokonotabibitoさん、 galleryFさん達にも励まされて、
そしてあのヴェニスや巴里を夢のように撮られる小瀧達朗さんにまで鍵コメントをいただいて、
なんだかとっても嬉しくなって、、、。

http://keico.exblog.jp/17126928/
2013年1月8日 火曜日 曇
ギャルリーバウハウスで小瀧達郎写真展 「VENEZIA」を鑑賞

 とそんなわけで前置きが長くなりましたが、今回は最後の「オペレーション・モノクロ化」をご披露します。
主に2005年の10月に撮ったもので、オリンパスの広角のものと、2011年12月の初冬の巴里。
まずは2005年から

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(Paris, Oct,2005, Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂、友人のアパルトマンからの朝の全景。もう二度と撮れないアングルだ)

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(Paris, Oct,2005, Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂、正面ファサードを見上げて)

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(Paris, Oct,2005, Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム大聖堂、北のファサード)

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(Paris, Oct,2005, La Seine、朝のブキニスト)

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(Paris, Oct,2005, La Seine、サンルイ近くで)

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(Paris, Oct,2005, La Seine、花市場近くで)

そして手ぶれ補正が内頃の夜の手持ちのノートルダム

a0031363_235740.jpg (Paris,Oct.2005 La Seine et Le Notre Dame a minuit)

次は、サンジェルマンへ、、、

a0031363_2453516.jpg(Paris, Oct,2005, Place de Furstemberg フュルスタンベール広場 Musée National Eugène-Delacroix ドラクロワ美術館の前で)

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(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くで)

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(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くで)

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(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くで)

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(Paris,Oct.2005, Saint-Germain-des-Prés,サン=ジェルマン=デ=プレ近くのマルシェで牡蠣やさん)


次はセーヌを渡ってのシャンゼリゼにて

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(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通りの近くにて)

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(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通り)

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(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通り)

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(Paris,Oct.2005 、L'Avenue des Champs-Élysées、シャンゼリゼ通り)


そして、プラス・ドゥ・ヴォージュへ

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(Paris, Oct. 2005 Place de Vosges プラス・ドゥ・ヴォージュの角のカフェで)

a0031363_256332.jpg(Paris, Oct. 2005 Place de Vosges プラス・ドゥ・ヴォージュの公園で)

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(Paris, Oct.2005 Restaurant L'AMBROISIE a 9 Place de Vosges, 三つ星の最高峰のレストランランブロワジーの玄関から )

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(Paris, Oct.2005 Restaurant L'AMBROISIE a 9 Place de Vosges, 三つ星の最高峰のレストランランブロワジーの最初のサルのお花と壁のタピスリー )


あまり長くなってしまうので、2011年1初冬の巴里のごく一部の<オペレーション・モノクロ化>は
続きで、、、
continue、、、2011 Operatton Monochrome

~~~~~~~~
おまけの二枚は1994年の巴里。
銀塩時代のコンタックスStとContax G1 with viogon24での写真をスキャンしてあったので。
>>>モノクロ化は後でしてみましょうか、、、。

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1994.oct. Paris Deux Magots, Contax ST (サン=ジェルマン=デ=プレのカフェ・レ・ドゥー・マゴ )

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 (Paris,oct. 1994 Les Deux Magots,
 (ガラスの中の写真を撮っていたら、ギャルソンの写真もどうぞ、、、、って、ポーズをつってくれて、、
こういうのがまたパリのカフェの楽しいところ。
左のギャルソンはもう二十年もここで仕事をしていると話していたが、まだいるのかしら?)


(すでに下記にアップ済みでした)

http://keico.exblog.jp/14576500/
2012年1月30日 月曜日 雪模様 のち晴れ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二
by pretty-bacchus | 2013-01-22 23:59 | ♧Journey海外2004~05仏伊 | Trackback | Comments(11)

☆回想のわが巴里の街2000~2010 新しい現像ソフトで
2012年6月19日 火曜日 曇り後雨a0031363_21252852.gif

 太陽のない朝ってどうしてこんなに暗いのだろう、、、
光のあたらない緑ってどうしてこんなに暗いのだろう、、、って、あたりまえのことなのに大きなため息。

 午後になって日本中が台風圏に巻き込まれた。
古代の昔から台風の被害が語られているのに、今に至ってなんら解決策がないのは、
自然の脅威のおそろしさなのだろう。

 夕方になって借景の木々がぎしぎしと揺れてきた。
いよいよ関東地方にも上陸するのだろう。

 Adobe Photoshop Lightroom 4をいろいろ試しているが、まだいまひとつ自分のものにならずに試行錯誤。
 2005年のパリの数枚を現像。
この頃は、教会の椅子、公園の椅子、カフェの椅子と椅子を撮ることに凝っていた時代。
もう一度ゆっくりと撮って歩きたいという願いを込めながら、新しい現像ソフトでのトライアル。
残された人生は長くないのだ、、、と思いながら。

2005年10月の巴里、、、サンセヴラン教会

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http://keico.exblog.jp/14576500/
2012年1月30日 月曜日 雪模様 のち晴れ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二

http://keico.exblog.jp/i44/
☆回想のわが巴里の街2000~2010





by pretty-bacchus | 2012-06-19 23:23 | ♧JourneyAbroad海外2010 | Trackback | Comments(5)

☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005
(ブログ書きかけて出かけて、帰宅したらきえてしまっていました。
ほとんど終わっていたのに、、、)

2012年1月29日 日曜日 雪模様 のち晴れa0031363_21252852.gif

 静かな日曜日。でも寒い。
日本中が寒気におおわれてしまっているようで、北国も日本海側も大雪の被害が出始めているという。
友人の妙高あたりも三メートルを上回ったという。
雪かきだけでも大変だろうに、暖房が充分でない被災地はどんなにか辛いことであろうと思いながらも何も出来ないわたし。

 工事の音が無い日曜日で久しぶりにゆっくりと寝ることが出来たようだ。
巴里の写真集を抱いたまま寝てしまっていて、痛い腕が痛い痛い、、、。

 昨夜から始めてしまった写真の整理、、、
木村伊兵衛さんの泣けてくるような幽玄なコンコルド広場を何でもみてしまうと、自分の写真の稚拙さを思い、全てを滅却したくなる誘惑にかられてしまう。

 しかし、、、いやまてよ、巨匠とアマチュアの違いは承知の上で、せめて一個人の趣味の世界の写真と思いなおそうではないか、とぶつぶつ言いながらマックに向かって写真の整理をはじめた。

 デジタルに移った2000年以前のポジ&
ネガは、おそらく生きている間には整理ができないであろうとことは確実になりつつある。
せめてデジタルカメラを使い始めた2000年からの旅の写真の整理だけでも少ししようではないか、、、と、心を新たにして外付けハードをマックにつなぐ。

 二十一世紀になってからの海外の旅は、2000年、2001年、2004年、2005年、2006年、2008年、2010年、2011年。
カテゴリの<JourneyAbroad旅海外2005>
http://keico.exblog.jp/i44
<JourneyAbroad旅海外2005>以降からは、すでにこのブログをはじめていたから日時の記録はできているが、旅上での数行と一~二枚の写真だけの日が多い。

Journey abroad旅の思い出
Journey abroad旅1960~
Journey abroad旅1970~
Journey abroad旅1980~
Journey abroad旅1990~
Journey abroad旅2000~
JourneyAbroad旅海外2005
JourneyAbroad旅海外2006
JourneyAbroad旅海外2008
JourneyAbroad旅海外2010
JourneyAbroad旅海外2011
JourneyAbroad旅海外2012

 エプソンの当時のP2000にバックアップしたデータの内2005年以降の巴里の部分だけでも少しづつ現像をすませよう。
この時は、出たばかりの
= ニコンD70にNikon AF-S VR Zoom 24-120mm、
= LUMIX DMC-LX1 そして
= Olympus E-300にZUIKO DIGITAL ED 7-14mm
それから望遠用に
= CanonEOS 20Dに 出たばかりのEF70-300mm F4-5.6 IS USM
といういでたちだった。

私たちが使えるデジタル一眼レフが出て数年のことで、いろいろ試写=挑戦をしたいという気持ちもあったのだろう。

http://keico.exblog.jp/2418575/
2005.10.22のブログ
EOS 20D 望遠テスト

http://keico.exblog.jp/2385012/
2005年10月19日のブログ
車窓から 枯れ葉のパリは 我が街か

 バックアップを二カ所に置いているので、一つを手元に置いて時々六年前の<☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage>を回想することにしよう。
カテゴリの<JourneyAbroad旅海外2005>のそれぞれの日に写真を加えながら、、、、。

おやおや、、、、おもしろい、、、巴里の空も空気もいっしょのはずなのに、なぜか今の巴里と違う。
粗末な、いや素朴なバス停が今ではガラス張りのバス停になっていたり、アレキサンダー三世橋のエンジェルが金色に変わっていたりと、パリの街の変遷がいろいろかいま見られるではないか!

 巨匠は巨匠、私はわたし!
巨匠が語っていたように、
“カメラのファインダーをのぞく人間に、
感受性と観察力さえあれば、誰でも時代や文化を切り取れる記録者になれる”

その上わたしは好奇心旺盛だし、少し言葉ができるから彼らの生活に入っていくことができる。
そしてデジタルの時代なのだから、撮った写真を写真友&ブログ友と享有することが出来る。
めげずに趣味のアマテュア写真を続けましょうね、ね!
  〜Memoires du Voyage〜
   La Ville de Mon Paris!

 まずは、2005年の出発前に発売されたばかりの
= Olympus E-300にZUIKO DIGITAL ED 7-14mm
= CanonEOS 20Dに EF70-300mm F4-5.6 IS USM
すでにブログにアップしたモノは除いて、、、。

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 ( rue de Furstenberg Paris, 29October 2005)

a0031363_23423239.jpg( Place Furstenberg Paris, 29October 2005)

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(Quai de Montebello,29October 2005)a0031363_23475945.jpg

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(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 24 October 2005 ポンサンルイから夕陽に輝くノートルダムを)

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a0031363_0844100.jpg(Notre Dame de Paris ,24 October 2005)

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a0031363_365835.jpg (北側のマリア様は大好き)

http://keico.exblog.jp/14194928
2011年12月19日 月曜日 晴れ その一
のブログへ

☆回想のわが巴里の街2000~2010〜 Paris ノートルダム寺院

a0031363_0212745.jpg( Paris ,23 October 2005


巴里は犬を連れている人が多い)

a0031363_0223672.jpg(サンジェルマン近くの道で ,20 October 2005)

a0031363_0243373.jpg( Paris ,29 October 2005)

a0031363_0312484.jpg ( Paris ,25 October
2005,ノートルダム寺院の南側の遠景、望遠一杯で)

a0031363_034352.jpg( Paris ,25 October
2005,ノートルダム寺院の屋上の獣たちを、望遠一杯で)

a0031363_0381398.jpgCathédrale Notre-Dame de Paris, 29October 2005)

a0031363_04269.jpg (Place de Vosge Paris, 28 October 2005)

a0031363_581283.jpg (26 October 2005 Place de Vosge, Paris)

a0031363_594272.jpg (26 October 2005 Restaurant L'Ambroisie ,Place de Vosge, Paris)


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a0031363_1253253.jpg (Cathédrale Notre-Dame de Paris, 28October 2005)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜

次は、
小さな巨人LUMIX DMC-LX1で撮ったものから、、、
でみ、これはやっぱり色も空気感もなんだかカメラの限界ですね。

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(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 27October 2005、ポンッサンルイから手持ちで)
(この初期のLX1は手ぶれ防止もなかったので、これが限界か、、、)


続きは明日、、、
by pretty-bacchus | 2012-01-29 23:58 | ♧JourneyAbroad海外2010 | Trackback | Comments(10)

落合桜さんの美術館でのレクチャーコンサート
2011年9月14日 水曜日 晴

 それにしても暑い。
朝から蝉がなき、、、、ベランダと借景のは蝶々がきぜわしく遊んでいた。
風邪もだいぶよくなったようだが、予定を変えて一日家でゆっくりとした。 音楽家、ピアニストの落合桜さんが、研鑽を重ねたフォーレの<トスカーナのセレナード>を9月24日の、
兵庫県立美術館のレクチャーコンサートでご披露することが決まった。
フォーレの他の曲<夢のあとに>や<月の光>などと共に、、、、・。
http://blog.livedoor.jp/lasalledeconcert/archives/52007714.html
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 昨年からあたため研究してらしたこの曲、
「トスカーナのセレナード」は、イタリア語の歌詞はトスカーナの古い伝承歌で、
それをビュッシーヌというフランス人が仏訳したものを、彼女が日本語に、
それも演奏のイメージにあわせて訳されているのだ。

http://keico.exblog.jp/12352669
2011年3月31日 木曜日 曇り後雨、また晴れて
イタリア風楽曲「トスカーナのセレナード」ビュッシーヌ仏訳



その途中の段階で、2月21日の私の手術時間にずっと演奏をしてくださっていたのだ、、、、。
http://keico.exblog.jp/12174024
2011年2月22日 火曜日 入院四日目 手術の翌日

 手術室では麻酔のあとにほんの数秒で眠り始めたのだろう、、、
ごうごうと風が吹いていたような気がしていた。
どうしていつ五七五がひらめいたかも覚えていない、、、
< 手術室うごめく闇に涅槃西風

 麻酔から覚めたときには、あのトスカーナの青い空と緑がみえた、、、、
右上の方にはモンタルチーノの丘が、、、、桜さんがずっとピアノを弾いていてくださったフォーレの
トスカーナが時空を越えて手術室の天井にあったのだ、、、。
< 麻酔覚めトスカーナの空風光り
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 24日のホールでは、トスカーナのイメージの映像もお使いになることが決まって、数日前に2006年と2010年にイタリアを旅した折りのトスカーナの写真を何枚かお送りした。
先月からマック派になられた桜さんのマックでは今回は全部の画像を確認できたようで良かった!

 その中で、桜さんが選ばれたのは二枚の写真。
一枚はあのヴィッラヴィーニャマッジオの15世紀からのモナリザのモデルのリザの館の庭から望むトスカーナの風景。
きっとレオナルドダヴィンチも目にしたであろうあの糸杉のトスカーナの原風景。

そしてもう一枚は、モンタルティーノの宿の窓から撮ったオルチャ渓谷の夕景。
美術館の担当のTさんとのデータのやりとりも終わって一安心。
大きなデータもいろいろの方法で、こうして瞬時に転送出来るようになったのだ。

 24日にはなんとか神戸まで飛んでいきたいが、無理だろうな、、、、、
お近くの方はぜひいらしてみてくださいね、、、、
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以下、4月5日のブログの再録*
http://keico.exblog.jp/12381567
2011年4月5日 火曜日 晴れ
フォーレ「トスカーナのセレナード」によせて

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 (トスカーナの奥座敷にある十二世紀の館、
15世紀には、レオナルドダヴィンチのモナリザのモデルとなったゲラルチーニ家のリザが住んでいました)、

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(糸杉のはるかかなたに夕陽が沈んでいった。
この夜遅くには天空に北斗七星が輝いていた)
 
by pretty-bacchus | 2011-09-14 23:59 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)

病いえて想うはいつもパリの秋 (2005年の秋)
2011年9月10日 土曜日 晴a0031363_21252852.gif

 一週間の立つのが何と早いことか!
時は移りゆくのに、夏の暑さは相変わらずで、湿気が高いつらく暑い一日だった。

 昨日のブログで、さくらさんがサンセヴランあたりは愛犬ブルゴーニュ君との散歩道だったとのことで、今日もそのあたりの何枚かをアップしておこう、、、。
なかにはすでに載せたもののあるが、、、、まだまだ未現像のがたくさんある、、、、。

 若い頃は春のパリが好きだった。
歳を重ねるごとに、あのグレーの空になる冬の少し前の晩秋のパリがとても好きになった。
日本の四季のように、季節感のあるパリ、、、、次はいつになるのだろうか、、、、。

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Oct.2005 Paris サンセヴランの教会のパイプオルガン

a0031363_418588.jpg  (この頃私はパリの街の椅子を良く撮っていた、、、


椅子に一人ぽつねんと座る男の背中にはそれぞれの重い人生があるのだろう、、、と思いながらシャッターをきった)

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Oct.2005 Paris セーヌのほとり
日本のお彼岸の感じでお墓まいりの花があちこちで売られている。
セーヌのほとり花市場も菊でいっぱい、、、、。


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Oct 2005 Paris サンジェルマン近く。

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Oct.2005 Paris セーヌもよどみブキニストの店もひまそうな午後、、、。

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Oct. 2011 Paris
巴里は二人ずれが良く似合う街
若いカップル、変なカップル、男と男、、、
でも俄然年老いた男女がそぞろ歩いている姿はなんとも絵になる


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Oct. 2005 Paris ヴォージュ広場 Place de Vosge

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Oct.2005 Paris 空が青いのに、暗いセーヌを見つめる少女

a0031363_1524790.jpg (Oct, 2005 下からもテラスからも絶対に撮れないノートルダム聖堂の南側のガーゴイル)

a0031363_1542051.jpg (Oct, 2005 対岸のある建物から出たっばかりの70~300で手持ちで試写をしたもの、、、)

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 (そして夜のノートルダム聖堂とセーヌ川、Oct. 2011 Paris La Seine et Notre Dame)

by pretty-bacchus | 2011-09-10 23:59 | ♧JourneyAbroad海外2010 | Trackback | Comments(8)

重陽の節句は救急の日となった
2011年9月9日 金曜日 重陽の節句 ☆回想のわがパリの街 Memoires du Voyage-Paris

 朝方にはっきりと夢をみた。
どこかかの病院の医局で先生方と話している私。
“頭の左上の方からなんだか風がながれるのです、、、、”と世間話をしていたら、
“それならちょっと調べてみようか、、、”と友人ドクターがおっしゃって、
イスに座って、前屈みになり、そのまま板に顔をつけると上から機械が降りてきて、、、、
すぐにわかるようで、先生が、“ああなにもないね、、、、
“いやいや待って、、、もう一度しよう、、、と上から機械を強くおして、頭の後部をもう一度ごしごし、、、
“大きな脳腫瘍がみえるね、、、でも陽性の感じだな、、、
って、、、
もうビックリしているところで目がさめた。

これってなんだろう、、、。
二月の乳癌は去年の10月にみた夢が現実になって早期発見となったわけで、
今回の夢はおそらく未来に起こる事柄なのかしら?
だって、こんなに簡単に脳の中がみえる機械ってまだないはずだから、、、、。

 重陽の節句だが、なにもせずに一日が終わってしまった。
もう優雅な催しなどは当分いやずっとできない日本になってしまったのかもしれない。
そんなことよりも水の被害をふせぐ研究とか地震予知とかに人智を注ぐべきなのだろうから、、、、。
9月9日はきゅーきゅーの日なのだ。

 夕方から2005年のパリの写真の整理をはじめた。
サンセヴラン教会の猫の動きをまず、、、、。

a0031363_23411695.jpg猫がやってきた、、、)

a0031363_23423991.jpg (左にいったり、、、)

a0031363_23432514.jpg  (右にもどったりして遊んでいたら、、、)

a0031363_23471422.jpg (あっという間に屋根の一部になってしまったみたい、、、)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
追記:
別名「菊の節句」とも言われ旧暦の9月9日の重陽の節句は
新暦では10月5日なのだそうです。
by pretty-bacchus | 2011-09-09 23:59 | ♧JourneyAbroad海外2010 | Trackback | Comments(4)

シャンゼリゼ大通りの麦畑とパリの思い出
2011年8月5日 金曜日 晴
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 朝からミンミン蝉が元気に鳴いていた、、、夏なのだ。
でもへんだな〜、、、他の蝉の声が今年はしない、、、。
それになによりの何年も楽しませてくれた朝顔たちが、今年はないのが悔やまれる。
朝おきてきて、カーテンを開けると微笑んでくれた<天上の蒼>がないのが、なんとも寂しい。

 簡易スキャン機はひとまずしまってしまった。
次は別の方法を考えよう、、、。
そのまえにスキャニングで残ってしまった一枚は、いつ撮ったかはわからずじまいの<シャンゼリゼの麦畑>。
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 (スキャニングがおかしくてこんなになってしまった)

 フランスは農業国で、パリ祭のあの軍事行進は国家威信を見せつけるため。
そして、シャンゼリゼは自転車レース「ツール・ド・フランス」の最終ステージのゴール地点。

 ところが、さすが農業国〜〜と思わせる催しをすることがある。
シャンぜリセ大通りの凱旋門からロンポワンのロータリーまでの1キロ強を農場にしてしまうとい催しが
春の農業祭りのおりに時々行われる。
1,000人もの農業者が参加して。トラクターもそれ以上で、フランスの農業の大半を見ることができるのも、
ひとつの農村者のデモンストレーションかもしれない。

http://keico.exblog.jp/10694394
2010年5月26日 水曜日 曇り後雨
雨の朝簾のごとし緑濃く

この写真はもう十数年前のもので、今では少し様子がちがっているかもしれないが、
前の晩は車で混んでいたあの六車線と二重の街路樹の幅が70メートルもある大通り
L'Avenue des Champs-Élyséesが一夜にして麦畑になるのはなんとも爽快である。
世界で最も美しい通り(la plus belle avenue du mondeといわれるあのシャンぜリセ大通り、、、
「極楽浄土通り」
春にはマロニエとプラタナスの木が緑をつけて、夏には木陰を作り人々のいこう通りとなり、
紅葉の枯れ葉の秋をへてイリュミネーションのクリスマスとなる、あのシャンゼリゼ!
コンコルド広場から少し昇りかげんの道を三キロあるくと56メートルの凱旋門がでんと座す
シャルル・ド・ゴール広場=わたしは昔のようにエトワール広場という言い方のほうが好き!

12本の通りが放射状に延びて、その形が光り輝く「星=étoile」のように見えるから、
この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」
「Arc de triomphe de l'Etoile」「エトワール広場の凱旋門」が凱旋門の正式名称。

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(2006.12.00 冬でもこんなの空が青いこともある! 

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  (2008.12.19 遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)


 この121番地のエールフランスのオフィスで(本社はモンパルナスだが)1970年代初めに、
わたしは数年仕事をしたことがある。
輝かしいはずのフランス駐在は、時にはパワハラの涙の日々であり、、、、、
あ〜〜いま思い出しても涙腺がゆるんできてしまう。

http://keico.exblog.jp/2077817
2005.07.07
七夕に 昔の旅を 振り返る

http://keico.exblog.jp/5483900/
2007.04.25 水曜日 雨
四半世紀 昨日の如くか 夢なりか

http://keico.exblog.jp/5485974
2007.04.26
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu

http://keico.exblog.jp/5626037
2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

http://keico.exblog.jp/5875153
2007.07.15 日曜日 雨のち曇り
パリ祭 /誕生日 重ねる歳に 重さ増し

http://keico.exblog.jp/7217551
平成20年6月16(月) 晴れ
郷愁のパリ 梅雨の晴れ間の パラプリュイ

http://keico.exblog.jp/7306016
2008年7月14日 火曜日 暑い一日だった。
"Le Quatorze Juillet"=マイ・バースデーイヴに、、、

http://keico.exblog.jp/7770647
2008年12月21日 日曜日 曇り
遡っての巴里の記録 七日目 12月21日

http://keico.exblog.jp/9180761
2009年10月30日 金曜日 晴れ
暗い朝に,冬のグレーの空のパリを思い出して

<すでにパリの生活には慣れていましたのに、
今で言うパワハラ(パワーハラスメント)にあっていたのでした。
涙無くして通えるようになったのは、あの偉大な凱旋門が、
“頑張れ、がんばれ、、負けるなケイコ、って毎日毎日慰めてくれたからなのです。
空を見上げてぐっと力をこめて、あるときは雨傘ごしに凱旋門をあおぎ、
くるくる日も凱旋門とお話をしていました。
(その凱旋門の上にのぼって撮った写真が、往時の西銀座デパートのショーウィンドー一杯の
パリの写真展のメインになったのですから人生とは不思議なものですね、、、)

下記のブログより、
http://keico.exblog.jp/9187764
2009年11月1日 日曜日 曇り
凱旋門に励まされての遠いパリの日々


 おっといけない、、、古い写真のスキャニングは、自分の歴史をひもとくことであり、
悲喜こもごもの思い出にしたってしまうことになる。
時間がいくらあってもたりないではないか、、、、。

 あとは2005年の夜のパリを数枚で、今回の簡易スキャンイング関係の写真のアップはおわりにしよう。

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(2005年10月  Place de Vosge  夕闇のプラス ドゥ ヴォージュ)

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 (その広場の9番地にあるL'Ambroisie パリの三つ星のトップレストランのランブロワジーのエントランス
パリの街の多くの広場はとても暗い、、、、)

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(一歩入って、、、、)

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 (最初のサル、この手前角の丸テーブルがわたしの指定席!)

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 (実はこれは、、、、、???)

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 (そしてその晩の真夜中に友人の家からのノートルダム全景。
これはもう絶対に絶対に撮れない記念の一枚となった)

(全て手持ちでスナップでした)
 〜〜〜〜〜〜〜〜
more>>>このブログ内で<シャンゼリゼ>で検索したら、なんと沢山でてきた。
moreに記録で残しておこう。

More>>>このブログ内で<シャンゼリゼ>で検索
by pretty-bacchus | 2011-08-05 23:59 | ♪JourneyAbroad海外旅の思い | Trackback | Comments(6)

巴里の夢回転木馬ごとごとと
2011年6月21日 火曜日 晴れたり曇ったa0031363_21252852.gif

http://keico.exblog.jp/12930040/
昨日のブログ
<東京―パリを2時間半で 超音速、無公害機構想>

 一夜明けて、、、
東京―パリを2時間半のニュースで少し夜更かししたので、遅い時間に起き出した。
凄い時代になりましたね、、、” と家人。
何のお話し? ああ、、、、まだ寝ていたい〜〜
東京―パリを2時間半のニュースが各紙に載ってますよ、、、
私はすでに真夜中にブログに書いていますよ〜〜〜。日本の新聞より早いのですよ〜〜〜うっふふ、、、

でも新聞には、あまり大きく扱われていなかったのは、ニュースソースが同じで、
その詳細がわからないためだろう。
でもネットはすばやかった。
午後一にはグーグルの検索で、すでに何百万という記事がヒットした。
その原理も機体の詳細もわかったので、追記として昨日のブログに図を追加した。

 2050年には就航だが、2020年には試運転が始まるらしいから、なんとかお願いして、
その試運転に潜り込ませていただこう、、、。
そのままあの世行きでも、研究結果に寄与できれば嬉しい、、、とバカなことを考えていたら、
なんとコメント欄で、ご一緒しましょう、、、と先制攻撃をいただき、ほんとに驚いてしまった。
  
 パリ巴里パリ、、、、
横光利一の<旅愁>の頃は、ヨーロッパを旅行するには船で一月もかかっていたあのパリ。
萩原朔太郎の「旅上」の
「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん」

フランスへは行きたくても容易には行かれなかった「ふらんす」は、
それはそれは遠かったのだろう。

 時は移り、コンステレーションで三十数時間かかっていた五十年代のジェットセットは、
外交官や岸恵子さんや松本弘子さんの時代。
そして時がまた少したち、1961年にはボーイング707が南回りで経由でパリへと飛んだ。
東京 - 香港 - バンコク - カルカッタ - カラチ - クウェート - カイロ - ローマ - フランクフルト - パリと、
その南回りのエールフランス便で、私は1965年に初めてのパリの地を踏んだ。

それを妬んである出版社の年上男性にいじわるをされたこともあったりした時代だった。
パリってそれほど、行きたくても行かれないあこがれの都だったのだ。
そしてその後、ボーイング747が就航して、70年代初めにその地に四年も住むことになり、
それから何百回と訪れることになってしまうとは神のみぞ知ることであった。

http://keico.exblog.jp/9187764
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 

 それからすでに四十年か!母も連れて何度もいっているパリへの入国スタンプは何百回にもなっている。
すでにアパルトマンは引き上げたが、最晩年をパリと東京の両方に住もうと思った夢も、
今回の病気で半ば失っているが、こうして新しい高速ロボットの時代に突入したら、
また次の世界が見えてくるかもしれない。

きっと、最期の夢はあまり大きくない豪華客船で、<旅愁>の世界での旅も良いかもしれない、、、、と、
うつらうつら思い始めている。
その時はどなたとご一緒なのかしら?
宝くじがあたったら、いままで仲良くしてくださった友人や写友の方や何人もご招待して、
パリ行脚がしたいな、、って、これも見果てぬ夢かしら?

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(好きな写真の一枚。1999年12月、西暦2000年まであと22日とエッフェル塔に灯がともる。
メリーゴーランドが回って人々を夢に誘っていた、、、。

この時代のコンタックスツアイスレンズで、夜に手持ちで一瞬のこの写真を撮るのは至難の業だっただろう、、、)

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(いずれも2005年10月)
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More>>1997年と2000年のエッフェル塔は
by pretty-bacchus | 2011-06-21 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(6)

栄光のJFKからCDG、そして地に落ちたDSK
2011年5月18日 水曜日

 フランスの友人からメールが入った。
“keiko ODOROITA DESHONE, DSK GA KEIKO NO TOMODACHI DE NAKUTE YOKATTA DESUNEE”
7国語をあやつる彼女は時々何語で書いてきたのかわからないことがある。
“ケイコおどろいたでしょうね。DSK デーエスカーがケイコの友達でなくてよかったですね”
え? あ、、、そうか! ニューヨークで逮捕されたあの男性!

 新しい三文字のイニシャルが話題になっているのだ。
ここ数日20HのFrance 2ニュースでは、福島のニュースに変わり、大半がこのニュースだ。
<DSK>がJFKを飛ぶ立つデコラージュ寸前のAF機内で逮捕!
イニシャルで誰だか分かれば大物だということだが、JFKと<DSK>はあまりにも違いすぎる。

 三文字アブリビエーションは、今ではあたりまえのように使われるが、最初に意識したのは、
大学に入って必須授業で読まされ始めたTIMEからだった。四十数年も前!
一番忘れられないのは<JFK>John F. Kennedy ケネディ元米大統領のとき、、、。
1963年11月22日に暗殺された後のタイム誌はまだどこかにとってあるはずだ。
ケネディ大統領暗殺<John F. Kennedy assassination>
Assasinationという言葉を覚えたのもこの時だった。

 その何年か後に、まさか何百にも及ぶ三文字を一生懸命覚えなければならなくなるとは
その頃には<想定外>だった。
エールフランスに入社して、まず指示されたのが、世界中の空港名を三文字で覚えることだった。
IATAコードで、東京はTYO, ニューヨークはNYCだが、空港がいくつもあって、
ラガーディア空港 LGA 、ニューアーク・リバティー国際空港 EWR、
そしてジョン・F・ケネディ国際空港 JFK:
ジョン・F・ケネディ大統領の栄誉を讃え、死後一月後あたりに、アイドルワイルド空港が
「ジョン・F・ケネディ国際空港」(John F. Kennedy International Airport, IATAコード:JFK) と
正式決定されていた。

 航空便で着く荷物には一つ一つすべてAWB, Air Waybillががつけられていて、
各航空会社によって始まりの三桁が違っている。
エールフランスは057-ではじまり、その後は確か7桁の数字がついた。
(今はもっと多いかもしれない)
フランス語の三文字では<LTA>Lettre de Transport Aerianのこの契約書には、
シッパー、コンサイニーの名前、荷の内容はもちろん、どのタリフ、航空運賃 、
発送先から転送先まで全てが書かれていて、三文字アルファベットが多かった。
(大学の商業英語で貿易のことは少し学んでいたのでとても役になった)

 今やどのジャンルでも三文字、四文字が多くなって、<IMF>International Monetary Fund 国際通貨基金、
<GDP>Gross Domestic Product国内総生産、このあたりは日常目にし、耳にするようになったが、
五文字となると、それぞれのアブリビエーションを覚えるのは大変だ。
それよりも何の略かはわからずにあたりまえのように使われているのがワンサとある。
本部がパリにある「ユネスコ」は周知の言葉でユネスコなのだが、
英語の正式名称は United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの頭字語である
UNESCO (juːˈneskouィユーネスコウ)の略。


 フランスではというと、戦勝記念碑の凱旋門 は、Arc de triomphe アルク・ド・トリヨーンフの直訳で
「戦勝のアーチ」。
シャンゼリゼ通りの西側の広場はエトワール広場Place de l'Étoileと呼ばれていたが、
第二次世界大戦で
ナチス・ドイツに占領されていたパリを解放した軍人・大統領のシャルル・ド・ゴール将軍の栄誉を讃えて、
1970年に「シャルル・ド・ゴール広場」と改称された。

a0031363_4552239.jpg  (タクシーの中から、、、)

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(2006年のパリにて、晩秋でもこんなの空が青いこともある! 

a0031363_4561153.jpga0031363_21252852.gif


そして2008.12.21のクリスマスイリュミネーションの凱旋門。
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  (遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)

 シャルル・ドゥ・ゴール国際空港 L’aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle
(英語ではCharles de Gaulle International Airport)はCDG
1970年代初頭にこのシャルル・ド・ゴール国際空港が開港するまでは、パリの唯一の国際空港であったのは
オルリー空港でORY。(私はここで1970年初めの数年仕事をしていた! 
CDGに移った頃には、シャンゼリゼのティケッティングカウンターでだった)
☆>>more>>>に思い出のいくつかを、、、

 IATAコードLBG のル・ブルジェ空港 Aéroport Le Bourgetは、フランスで最初の本格的空港として、
パリ郊外北方のセーヌ=サン=ドニ県のル・ブルジェに1919年に開港したが、今はたしか軍事用とか
特別に使われているようだ。
<君の瞳に乾杯>Cheers! Looking at you, kids.のあの映画「カサブランカ」の
最後の場面でハンプリーボガードのリックが涙をのんで、昔の恋人とその連れを送った空港だ。

a0031363_1545389.jpg映画「カサブランカ」は、私が生まれるまえの第二次世界大戦の最中に製作されたハリウッド映画なのだが、
リバイバルを何度も観ている。
バンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンがなんとも素敵で、
パリの街中を車で走っているときの彼女のなんと美しいことか!


そしてリックが最後にイルザを逃した夜霧の中を飛び立つ飛行機のシーンは何度見てもなける〜〜〜〜〜。
♪”As Time Goes By."♪(「時の過ぎゆくまま」)はその代名詞にもなった曲。

a0031363_109553.jpg  あのマークが原点のエールフランスのパリ・東京路線一番機が羽田空港に到着したのは1952年。a0031363_21252852.gif 

a0031363_9551633.jpg 
このマークがついた古い機種で去年パリ〜トリノを飛んだ。
(2010.06.29 pm9:29 虹色の空のアルプスの上を飛ぶ〜〜〜)

http://keico.exblog.jp/10956716
2010年7月10日 土曜日 曇り後晴れ
曇天にベランダ彩る黒揚羽



 そして、今フランスどころか世界中での話題は<DSK>逮捕のニュースでもちっきりだ。
フランス人のドミニク・ストロスカーン国際通貨基金(IMF)専務理事のセクハラ事件。
ホテルのルームサービスの女性に対するセクハラ行為で、緊急逮捕状がでて、出国手続き後の機内での逮捕と
いうのだから、その騒ぎはどんなだったのだろう。
あの広い広いジョン・F・ケネディ国際空港 JFKは大変な騒ぎだったのだろう。

フランスではすでにアルファベット3文字で通っていて、次期仏大統領に最も近いといわれていた
人気政治家だった男性が<容疑者>となってしまったわけだが、フランス人の友人は
“もう、彼の事はフランスではまえから知られていましたよ、、、。
何年か前にフランスでも同じようなことがあったときには、メディアは知っていても
どこも後追いしなかったのよ、、、。この暗黙のタブーを破るとその人がたたかれるの、、、”
フランスでもしかりなのだ!
“フランスでは政治家の能力と私生活はべつで、国の利益を守る政治家の能力を優先するの、、、、、”
(日本では三本指報道で、ほんの数ヶ月で辞任に追い込まれた首相もいましたね、、、)
フランスでは「謀略だ」とかばう声もあるようだが、さもありなんと責める声の方が今回は多いようで、
政治生命がたたれるだろうといわれている。

 そういえば、ミッテラン大統領の20年ほど前の隠し子報道の時は、
「だからなんなの?」という言葉が話題になったように、フランスではこの種の政財界の人の男女関係には
国民もルーズだったし、ミッテラン大統領のその女性と子供が、彼の告別式に堂々と出席したことは
パリマッチの雑誌で大きく写真入りで報道されて、その報道に驚いたものだった。

“DSKが街のどこかの通りの名前になることはこれでぜったいにないです。
これからしばらくは政治家の私生活に厳しい目が向けられて、報道の仕方が違ってくるかもしれないから
女性にとっては良かったよかった、、”
と友人のメールは結んでいた。
(フランスで女性の参政権が認められたのはヨーロッパ諸国ではかなり遅く、日本と同じ1945年だった)

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More>>>凱旋門とブログの検索をしたら、いろいろでてきましたね。、、・

More>>>パリの思い出のいろいろ
by pretty-bacchus | 2011-05-18 23:59 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(0)