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2011年12月6日の巴里モンパルナスの真夜中のカフェレストラン
2014年7月26日 土曜日 晴れ 猛暑日か?a0031363_21252852.gif

 暑い。音がうるさいので除湿器も扇風機も止めると、数時間で寝室は蒸し風呂状態になるのだろう?
一番奥にある部屋なので、隣からも、もちろんリヴィングルームからの冷房もきてはくれない。

 朝からうるさいように蝉が鳴く。今日は借景の緑のあいだを蝶々がいくつも飛び回っている。
暑さで朝顔が可愛そう。プラスティックの鉢のうえに、朝顔市をめざして温室で大切に
育てられたのだろうから、このベランダでの風と直射日光は辛いのかもしれない。
なんとか夏中もって朝顔の命を全うして欲しいと思うのだが、、、。

 2011年12月のパリの未現像を少し整理して、、、、、。

ラ・クーポールで友人家族と夕食のあと、真夜中のモンパルナスにて、、、

http://keico.exblog.jp/14138304/
2011年12月6日 火曜日 その三
今日の巴里 06 December 2011 Paris〜La Coupole

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(102 boulevard du Montparnasse 75014 Paris)
ラスパーユ通りヴァヴァンに立つのは、かのロダンのバルザック像)

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(裏通りに入って、、)

 モンパルナス(Montparnasse)は、パリのセーヌ川左岸、モンパルナス大通りとラスパイユ大通りの
交差点を中心とした一帯。
1920年代にはエコール・ド・パリの時代の芸術家たちの中心地でありレオノールフジタ等も住んでいた。

 モンパルナスのナイトライフの中心であるカフェはヴァヴァン交差点近くに集まっている。
ル・ドーム、ラ・ロトンド、ラ・クーポール、ル・セレクト、ラ・クロズリ・デ・リラなど
魅力的なカフェレストランが多く、サンジェルマン界隈と共に昼夜人々が集まってくる。
こうしたモンパルナスのカフェやバーは芸術家たちの溜まり場であり交友の場所でもあり、
その姿を今に伝えている。
〜〜〜

追加:ラ・クーポールのトイレへ通じる壁のシャンパン会社の広告は洒落ていた。

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by pretty-bacchus | 2014-07-26 23:59 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback | Comments(0)

ウッディ・アレン監督・脚本<Midnight in Paris)>
2012年6月8日 金曜日 曇り後雨

http://midnightinparis.jp/
昨日の続き、、、。

「ミッドナイト・イン・パリ」を観ることができた。
映画の評判もわかれているし、ちょっと迷っていたのだが、Scottesさんのコメントで背中を押された感じ。
スコットさんが数日前のコメント欄で
〝その映画、粋でよかったですよー。pretty-bacchusさんも気に入ると思います〟
って言ってらしたし、是非観てみたいと思ったのだ。
http://keico.exblog.jp/15490790/
2012年6月3日 (日曜日)晴れか曇りか
どうしたことか一日中うとうと

スコットさんとお会いしたときは、カメラの話やお酒の話、アメリカの事などを話したが、
パリの話題はあまりなかったように思うのだが、、、。

 今話題の「ミッドナイト・イン・パリ」は、ウッディ・アレン監督・脚本によるラブコメディ。
憧れのパリに婚約者とその両親と一緒にやってきたアメリカ人映画脚本家(オーウェン・ウィルソン)が、
ワイン会の後に少し酔って、真夜中のパリの町を酔って歩いているうち、
1920年代のパリにタイムトリップしてしまい、ヘミングウェイ、ピカソ、
ダリなど憧れの芸術家たちが活躍する時代に夜な夜な出会ってしまい著名な人物と次々に会うというお話し。

 お金持ちのアメリカ人両親とその娘の婚約者としてパリに着いた主人公のジル。
初日のパリでワイン会で酔った主人公が真夜中のパリを歩いている。
真夜中十二時の鐘の音がなり始めると、 一台の黄色いプジョウのクラシックカーが坂の方からやってきた。
誘われて乗り込み、シャンパンを飲みながら連れていかれたのは賑やかな集まりの<夜の巴里>

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 (映画「ミッドナイト・イン・パリ」公式サイトよりスナップ)


主人公が、なんだか時代が違うと思ったのは、それはすでに2010年には存在していない人々の宴。
それはジャン・コクトーのパーティで、コール・ポーター、F・スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダがいて
彼らと話し込んでしまった。彼があこがれていたその時代の巴里の世界!
当時パリに活躍していた作家、画家、音楽家など、後に有名になる人たちがぞろぞろと登場する。 

 その次の日にフィッツジェラルド夫妻、ポーター夫妻と行ったクラブでは、ジョセフィン・ベイカーが歌っていたり、
次のバーでは、アーネスト・ヘミングウェイ等と出会う。
ヘミングウェイが語るセリフは、すべてヘミングウェイの作品そのもの。
ジルはもう興奮していて、ヘミングウェイに自分の小説を読んでくれないかと頼んだのだが、
ヘミングウェイに「自分は読みたくないが、代わりにガートルード・スタインを紹介しよう!と。
パリの文化、芸術に憧れる彼は何もかもにもう有頂天!
あわててホテルまで小説の原案を取りに戻って、ふたたび元の場所まで戻ると、
そこは現代の2010年でコイン・ランドリーになっていた。
(あ〜〜! あのコインランドリーの場所を知っている!)

 そのウィットに富んだ会話が抜群におもしろい。
ヘミングウェイが文学を語るし、ピカソの愛人の女性アドリアナがまた魅力的!
モジリアーニの恋人であっという彼女。
当時のファッショナブルな様相で夜な夜な現れるのだ。

会話がとっても素敵で、時々知らない言葉は字幕をちらり、、、
(スコットさんはこれを言語だけで観てらしたのかしら?
NK先生は、この翻訳をどんなふうに思われるのかしら?)って、頭をよぎる、、、。 

 久しぶりにこの映画の現本の脚本を読んでみたくなった。
(その昔英語を学び始めた頃に、興味のある映画の脚本をよく読んでいたし、オペラを楽しむようになってからは
その原本を読んだ物だった)

 大画面で映画を観ているときの脳の働きはおもしろい! 映像と音楽と会話の向こうで、
自分の脳に蓄積された記憶が走り、時には忘れていた昔の思いでが突然と蘇ってくる。
私の脳は映画の世界と自分が巴里に住んだ世界が入り込み二乗にも三乗にもなって飽和状態にんってくる。

 1920年代に入り込んで、主人公が会う歴史上の人々がもう写真で見ているその人物そっくりで、
席のあちこちから笑いが起きている。
前仏大統領サルコジ夫人としても知られるイタリア出身のカーラ・ブルーニがロダン美術館の学芸員として
出ているのもご愛嬌。
撮影は2010年というからもう大統領夫人になっていたはずなのに映画に出ている?

あのロダン美術館の<考える人>の脇で、彼女がロダンの愛人だった女性の話をしているのも、なんだかおもしろい。
http://keico.exblog.jp/14644374/
平成24年2月9日(木)  晴れ

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 真夜中のパリ、ミッドナイトのクラブやバー、脳内記憶が猛烈によみがえる、、、、、。
〝あ〜〜あの場所、あのバー、あのディスコティックに行ったことがある〜〜〟と、
私の脳は数十年前のパリにいたる、、、。
私の最初のパリは1965年だったから、ちょうどこの話と現代の半分くらいの時代。
きっと1920年代のなごりが残っていたパリだったのだろう。

 ジルが何日目かの夜に1920年代にあった人と一緒にタイムスリップしたのはベルエポックの時代。バーのテーブルに座ったロートレック>が絵を描いている。もう実物そのまま!
そこに現れたのは<span style="color:rgb(102,102,102);">アンリ・マティス、ポール・ゴーギャン
など皆んなもうそっくりなの!

 現代と1920年代を行き来しながら、婚約者との関係を悩みアドリアナに魅かれる自分に悩むギル。
でも、シュルレアリストのサルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエルとマン・レイからは、
「それはごく自然なことだ」と言われて
そうなのかと、サ・セ・パリ!

 最後にアドリアナに誘われたところは、マキシム・ド・パリ。
まさに1890年代のパリでフレンチカンカンを踊るあのスカートの裾をあげて踊る女性達。
http://keico.exblog.jp/14277925/
2011年12月28日 水曜日  晴れ
a0031363_121539100.jpgマキシム・ドゥ・パリ


 誰もが、去ってしまった良き時代をなつかしみ、1920年代の文化人たちは、
さらに過去の1890年代の巴里にこそほんとの文化があったと口を揃えてベルエポックを絶賛する。
彼らはさらにルネッサンス期に憧れるていると言い出す始末。
現実に満足できず、過去に郷愁を募らせる文化人達は、未来への希望を持とうとしないと、
痛烈に皮肉っているのは誰あろうウディ・アレン監督なのだろう。

 終始流れる音楽はクラリネットとギター曲とシャンソンの名曲「聞かせてよ、愛の言葉を」などで、
桜さんが詳しいその時代の作曲家達は出てこないのが残念。
それにもっと残念なのは、ベルエポック時代の場面にモンマルトルのルーランジュージュも、
モンパルナスのラ・クーポールも出てこない。
ここにレオノールフジタやキキ等が出てきたらもっと楽しかったかな、なんて思ってしまう。

http://keico.exblog.jp/14138304/
2011年12月6日 火曜日 その三
今日の巴里 06 December 2011 Paris〜La Coupole
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06 December 2011 Paris


 舞台のホテルはフォーブルールサントノレにあるブリストルホテル。
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HÔTEL LE BRISTOL PARIS
12 December 2011 Paris


三つの時代の場面にあったワインはいつもシャトーブリオンのボトルだが、
口のあたりが微妙に違っていておもしろい。

 そして雨のパリがなんとも素敵、、、アレキサンダー三世橋の雨の夜、、、ジルが一人で歩いている、、、。
http://keico.exblog.jp/7770652/
遡っての巴里の記録 七日目 12月21日の続きで
遡っての巴里の記録 七日目 12月21日続き〜アレキサンダー三世橋から
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 (左奥にはライトアップされたアンヴァリッドがみえる)

a0031363_405558.jpg18 December 2011 Paris、pm6:50 au Foubourg St.Honore )



 〝去年十二月の私のパリはほとんど雨だったのだ、、、。あれからまだ半年しかたっていないのに、
なんだかもっと長い時間がたってしまったような錯覚に陥ってしまう。

http://keico.exblog.jp/i38/
JourneyAbroad旅海外2011

 <ミッドナイトインパリ>は去年のカンヌ映画祭で最初に上演されて話題となり、
その後数多くの映画賞でノミネートされて脚色賞をとり、
最後は第84回アカデミー賞でアレン自身三度目となる脚本賞を受賞したという作品。

 パリの良き時代や文学絵画が好きな人にはとても楽しめる映画だろう。
でも若い人にはそうではなかったかもしれない。
帰りのエレヴェーターで一緒になったカップルの会話は、
〝いや〜〜面白かったね〟と男性。
〝パリの観光が全然なかったわ〜〜。知らない人が何人も出てきたし〜〜〜〟

なるほど、この映画の評論がわかれたのもうなずける。
<ミッドナイトインパリ>はパリの観光映画ではなく、普通の映画以上に観る人の趣味や素養が
鑑賞眼の要となるのであろうから、、、。

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(19 December 2011 Paris pm11:08, Opera)

a0031363_3254141.jpg (サンルイ島から、後陣を拝する。サンルイ島にかかる橋からながめるノートルダム寺院は、まるで宇宙船のようだ)


(写真は、 <ワタシの夜の巴里>

http://www.youtube.com/watch?v=qPev0UA0lmw

http://youtu.be/qPev0UA0lmw
by pretty-bacchus | 2012-06-08 23:59 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(2)

ロダン美術館 <考える人>十態 & ゴッホ「タンギー爺さん」
平成24年2月9日(木)  晴れ

 十二月の旅の写真の整理を少し、、、、。

http://keico.exblog.jp/14202063
2011年12月18日 日曜日 晴れ その五のブログへ
今日の巴里 18 December 2011 Paris~ロダン美術館

 続き、、と書いてあのままになっていたロダン美術館の写真を少しアップしておこう。
今日は<ロダン 考える人 十態 と <地獄門>>

 入場したのは三時半すぎ、庭の最終時間は四時半だったのでまず表庭から初めて裏庭をまわって
正面玄関にもどるかたちになった。

 夕陽をあびて<考える人>も<地獄門>も刻々と微妙に表情を変えていった。
こんな光のページェントは初めてのことでシャッターを切るのがそれはそれは楽しかった。

 中に入ると正面にはこじんまりとした美術館の建物が、、、

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右斜めに<考える人>が座す。
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後ろを振り返ると<考える人>、そのはるか向こうにはエッフェル塔がみえる。

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 <地獄門>は正面の敷地ぎりぎりに立つ。
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 (庭をぐるっと回って中へ入りました、、、少しだけアップしましょう)
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 夕陽が沈み始めたのは、中に入って<カテドラル>を鑑賞し始めた頃で、
これもまた夕陽を浴びてその様子が素敵だった。
ガラス越しに広い庭の遙かかなたが緋色に燃えてパリの一日の終わりをつげていた。

どうやらこの美術館は夕方が見頃時なのかもしれない。

〜〜
この二階にはロダンのコレクションが数千点展示されていて、その中にはあのゴッホの<タンギー爺さん>や
ルノアールもあった。
ロダンはエジプトの発掘品の多くも集めていたという。

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「タンギー爺さん」Le Pere Tanguy
フィンセント・ファン・ゴッホ 
油彩、カンヴァス 92×75cm パリ、ロダン美術館所蔵



1887年夏頃に描かれたとされる作品はオーギュスト・ロダンのコレクションとなり、ここにある。
背景には浮世絵が描かれていて、ジャポニスムが最も良く表れた作品とされている。




 ウィキペディアによると背景に描かれている浮世絵は文京区千駄木にある店「いせ辰」の版画が
基になっているという。
• 歌川国貞=三代目歌川豊国 「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」
• 歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師 義経さくら範頼の祠」
• 歌川広重 「富士三十六景 さがみ川」

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜

a0031363_51858.jpg(ミュゼの裏庭からは遠方にアンヴァリッドが見える、、、)

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 (作品=カテドラル が夕日に映えて、、、)

夕焼けはロダン美術館の窓ごしに、、、
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(18 December 2011 Paris Musée Rodin)


 少し多すぎました。
美術館の場所や説明は、ウィキペディアをみてください。

           〜〜〜
 アート作品を撮るということは、ただその記録を収めるだけになってしまうのだ、と
いつも思いながら結局シャッターを押しているのだでの未熟なわたしなのです、、、、。
なかなかNKさんのようにはいかないものですね。
NKさんのブログより
<すでにしてオブジェがアーティストの作品であるものを写真に撮るという行動でいつも心しているのは、
ただ、真正面から対象だけをそのままで精密に撮ったのでは、それは、ボクの写真たり得ない、ということです>
by pretty-bacchus | 2012-02-09 23:58 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback(1) | Comments(24)

『スティーブ・ジョブズI』第一巻をiPadで読み終わった。
2012年1月27日 金曜日 曇り

 iPadで566ページの本をようかく読み終わった。a0031363_2111318.jpg
ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳の
『スティーブ・ジョブズI』



 iPadの生みだしの親の伝記はどうしてもそのメディアで読みたかった。
でも
疲れた!


 iPadで電子書籍が読めるようになって、わずかに一年半しかたっていないのに、
その進化はすごいものがある。
今やアマゾンでの書籍化の数は増えに増えているそうで、書籍化の自由さ便利さに加えて、
その印税も十パーセントではなく七十パーセントと言うことが大きな理由らしい。

 iPadの初期の時代(といってもわずか十八ヶ月前だが)にiBook上にダウンロードしたものは、
ほとんど短編が多かった。
マックや写真の雑誌もあったし、時には便利なこともあった。
雑誌の中の写真やグラフのデータをコピペすることができるし、その文章を参照することも出来る。
でも、それ以上ではなかった。

 一冊の本をiPad上のソフトで完読したのは初めてだった。
iPadを世に送り出した<スティーブ・ジョブス>の本だから、ぜひiPadで読んでみたかった。
いくつかの選択技のなかで
VOYAGEEBOOKSを選んで、ダウンロードしたのはずっと前だった。
時にはソファーに座り、時には寝室での就眠儀式としてだが、なかなか前に進まなかった。

 スティーブ・ジョブスの凄さ=奇人さには心酔していたのだが、少年時代から三十代前半までの
一巻目を読み終えるにはつねに大きな驚きと疲労感がつきまわった。
いや~~ききしに勝る奇人=天才は、時には多くの人を傷つけながらも、世の中の多くの人に使えるような
コンピューターを造りたいという思いに情熱を傾けたのだ。
インド放浪、禅、ヴェジタリアン、現実歪曲フィールド、アーティストなど、、、。
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏との対立、アップル社内での人間関係、そして女性遍歴、ジョブズ氏本人の思いがなども赤裸々に明かされている。
著者は何百人もの関係者への取材を重ねたうえでの執筆で、美点も欠点をも含めたジョブズ氏の生きざまを描いている。
二十世紀から二十一世紀への最も重要な架け橋をかけ時代を変えた「人間スティーブ・ジョブズ」の
後半生をすぐに読みたくなったが、しかし今度は紙の書籍で読むことにしよう。
時には親指でぱらぱらと前にもどったりしながら、紙の香りを感じながら読みたいと真から思ったので、、、。
IT機器を使いこなし享受している私だが、やはり読書の楽しみは紙媒体というのは譲れそうもない。

 、、、が、その間にも書籍をデジタル化することが進化をして、先週のアップルの発表によると、
ついに誰でも電子ブックや電子教科書が作れる時代に突入した。
「iBooks Author」
スティーブ・ジョブスの置き土産がいよいよ歩き出したのだ。
                    
 電子教科書にも使える電子ブック作成のためのアプリ「iBooks Author」は無償でApp Storeからダウンロードできる。
発表が教育機関向けというスタンスだったようだが、これが社会に与える影響力は、今後の出版界には
重要な大きな影響を与えるに違いない。

 文や写真やデータグラフなどを、3Dグラフィックや動画さえも、ドラッグ&ドロップするだけで本を作れ、
それをiPad向けに最適化されたインタラクティブな電子本としてアップして、誰でもダウンロードできて、
iPad上でタッチして読み進められる使える時代がやってきてしまったのだ。

サンプルをiTunes Storeからダウンロードすると
六種類の電子ブック作成のためのテンプレートが出て来て、気に入った物を選択すると、
あとは自分のデータを入れ込み差し替えるだけのようで、あっという間に電子ブックが完成するようで、
近々試してみよう。
教材作りだけでなく、誰でも簡単に写真集や電子ブックが作れる新しい時代が始まったのだ。

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(iPadの中は若い頃のKeiko!)


〜〜〜〜

本のなかのジョブズ氏に交友のなかには、パリのルーヴル美術館のガラスのピラミッドの設計家の
イオミンペイとのことも書かれている。

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 19 December 2011 Paris


ルーヴル美術館の地下のガラスのピラミッドの向こうに見えるのはアップルストアーパリの一つ。
このストアーの二階へはジョブズデザインのガラスの階段で上って、ジーニアスバーへ行くのだ)

a0031363_19462234.jpg (おそるおそる数段だけ上ってみた、、、I


パリには、オペラ座の脇にもう一軒アップルストアーパリがある。

http://keico.exblog.jp/14133072/
平成23年12月6日(火曜日)  曇り その二 のブログへ
今日の巴里 06December 2011 Paris

~~~~~~~~~

http://keico.exblog.jp/13918753/
2011年10月30日 日曜日 のブログ
スティーブ・ジョブズさんを思いながら、、、

more>>にジョブズさん関係いろいろ
by pretty-bacchus | 2012-01-27 23:58 | ♠Photo,Mac写真/カメラ/マック | Trackback | Comments(77)

一年間ありがとうございました。
2011年12月31日 土曜日 曇り後晴れ その一

 大晦日、おおみそか、、、、昨日のマストをやっと終わって一息ついた。
夕方には友達とも会えた。

 2011年うさぎ年は公私ともに忘れられない年となった。
東日本大震災と原発問題、大きな台風やタイの洪水などで多くの方の命が消えていった。
その後の政府の動きには唖然。
スティーヴジョブズさんも逝ってしまった。

 ヨーロッパの経済不安、チュニジアに始まったアラブ諸国の独裁者の失墜と世代交代、そして押し迫っての金正日の死去。
歴史の不思議は、こうして世界中に新しい息吹が芽生える直前の、時を同じくしての出来事で、
それは来る年への希望へと繋がっていくことだろう。

 個人的には後悔が多い一年となってしまったような気がする。
一月からの病気&手術などもあったが、本もあまり読めなかったし、音楽もあまり聴かなかった。友達ともあまり会えなかった。
社会と関わっての諸々もできなかった、、、。
目の前に起こった出来事を、ただ淡々と片付けていくしかなかった一年だった。
でも、こうして終わってみると、それは描かれた私の一生の一部として大切なことだったに違いないと思うようになった。
そして十二月の巴里での<負の初めての経験>の数々に、たとえそれが負であろうと、それらに救われたような気がする。

 もうひとつ、ブログを通して素敵なお友達が出来たのも2011年が一番かもしれない。
ブログも八年目をむかえた。
今年も多くの方が訪れてくださって、ブログを通しての新しい人間関係が育っているこの時代の特徴に
すこしばかりおののいてもいる。

読者の方々に語りかける書き方ではなく、日々の事を、日々感じたことを書いているのだが、
沢山の方に訪れていただいていて本当にありがたく、いつも心より感謝している。
何度か挫折しそうになりながらも、自分の記録としての毎日を書いておきたいと気持ちに加えて、
ブログをとおしての友情に歓びを感じ始め、多くの方々に支えられて続けてこられたのだ。

 皆さん本当にありがとうございました。
どうぞ来る年もよろしくお願いいたします。

a0031363_16594616.jpg (車窓から、、、、

December 2011 Paris, par la fenêtre de l'autobus 42)
by pretty-bacchus | 2011-12-31 16:16 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(2)

日本に帰ってきました。
2011年12月21日 水曜日 晴れ

 予定より一時間遅れて午前七時五十分着羽田空港についた。
出発で荷物を左腕で持つことを試みたが、まだ胸が痛いので、急遽日本の友人にSOSを出した車での出迎えをお願いしてあった。

 ありがたかった。
留守の間のことをいろいろ話しながら、お昼前には家についた。

 久しぶりの家はやっぱりいいな、、、、、。
でももう限界だったようで、バタンキュウで、、、、。目が覚めたのは午後7時だった。

さあ、、、大変だわ、、、この今年もあと十日を残すだけで、しなければいけないことが山ほどあるのだ。

どうしよう~~~~。
荷物の整理も、写真の整理も、、、、と、いつもの私にもどっていた。

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(外苑出口にて、助手席より、、、まだ秋の気配が残る日本、、、)

巴里でもまだ黄色い葉でした。
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by pretty-bacchus | 2011-12-21 23:59 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(2)

☆回想のわが巴里の街〜帰りの機内にて その二
2011年12月20日 火曜日 雨上がり その三a0031363_21252852.gif

 不思議な旅となってしまった。
フランスでもめずらしく毎日のように雨がつづいた。
生まれて初めて旅先でけがをした。
右手は腱鞘炎、左脇胸は、たぶんあばら骨に(コートフェレというのだそうで、コートドゥブッフとかと同じとか?)
その上、実は何日めかに牡蠣にあたって苦しい思いをした。
と、、、、、いろいろで数日を横になって過ごした。

 その翌日には時計が止まってしまし、その後はゆっくりゆっくり動いている。
最後はMacが 珍しいフリーズをおこしてダウン。

初めてのパリから四十五年、両親からパリのことを聞いて興味を持ち始めたのは小さい頃だから、
パリとの関係はもう六十年以上になる。
そのパリでこうして、奇しくもこうして今までのことを振り返ることが出来たのは至福といえるだろう。
いろいろのけがや不都合はこの至福の時を与えるための神の采配だったのだろう。
二十世紀の回想は少しは書けたかもしれない。
二十一世紀になって、そろそろ引退を考えて、代を譲ったと思った矢先に、また大きな国際事件に巻き込まれた。
ほうってはおかれなかった。すべてをかけて弟を救った。
それが一段落して、やれやれ、、、これで一息を思った今年の一月に、突然のがん宣告!そして生還!
どうやらまままだ神は私を解放してはくれないようだ。
2004年からはブログで少しは書き残したが、このあたりは、またいつか書き手起きたいものだ。

 この間、連れ合いは、荷物の整理にあきるとウトウト、、、、、
目覚めるとパリに置いてあったフランス関係の歴史や現代の本をいろいろ読んでいた。
ガリアからフランク王国へ、そしてメロヴィング朝>カロリング朝>カペー朝>ヴァロワ朝>ブルボン朝 >フランス革命。
第一共和政>第一帝政>百日天下>ブルボン第二復古王政 >七月王政>第二共和政>第二帝政と進み、このナポレオン三世の第二帝政の時1853年-1870年の17年間に、セーヌ県知事だったジョルジュ・オースマンによって行われた
パリを世界都市とするためのパリ市街の大改造にいたく興味を持ったようだった。

古い巴里の街の外壁はもちろん建物の何もかも壊して、大通り、街路,行政施設の集約,緑地の配置,ガス灯,
上下水道などのインフラ整備などを、美学的な側面ばかりではなく機能性を重視したその都市計画であり、
資本主義とナショナリズムという大きな経済と政治の枠組みのなかで再構成され、それは近代化に大きく貢献し、
現在のパリ市街の原型ともなっているのだそうだ。
世界一美しい街=パリは、こうして創られたのだ。

 ホテルから出て突き当たるのがこのオースマン大通り(Bourlebard Haussmannだったから、
両側の建物をいつもながめては感心していた。
あげくのはてには、日本でも新宿通りなどは、このようにあまり高層ではなく七階くらいの高さにそろえてビルを造って、
三階くらいまでを店舗、その他を事務所や住宅にしたらどんなにいいだろう、とか言い出したりしていた。

 フランスの現代の政治経済の本を読むと、今の苦しい状況のなかで消費税が19.6パーセントという事実とその効果を考えていた。
日本では教育制度ももっと改善できるのだとか、、、エトセトラ、、、。
男の人って、ただ回想にふけってブログを書いたり写真を撮っている私とは、やっぱり違うなって妙に感心したわけでして、、、。

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 (夕方のプランタン百貨店)


 不十分だが一つの旅が終わった。
あまりにも変わってしまった<朔太郎のパリ>に唖然としたまま過ぎていってしまったような気がする。
あんなになれていたはずの<私の巴里の街>なのに、なんだか他人の街のようだった。
一番いやだったのが、街中たばこを吸う人であふれていたことだった。
数年前からオフィスでの喫煙が禁止されたようで、ビルの出口にはたばこを持って出てきてすう人がどの建物にもいた。
歩きたばこで平気で道路に吸い殻を捨てる人もいた。

a0031363_19111155.jpg(今回の巴里で一番驚いたのは、路上でたばこを吸う人の多さ! 

これはカンボン通りのシャネルの二つ前の建物、、、)
数年前に建て物ないでの喫煙が禁じられたそうで、
どのビルの前には人があふれてプ〜カプカ、きたなくなった灰皿はそのままだし、、、歩行者はたまったものではありません、、、)

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 二つ目は、ルーマニア系らしいが、若い女の子二人を使っての、やり手おやじのスリかっぱらいのたぐいが多かったことだ。
それぞれの時代でやり方が変わってきているようだが、最近は可愛い女の子がパリの地図をもって近づいて
くる。
〝エクスキューズミー ○×へはどういけばいいのでしょう〟と話しかける。
少し英語が出来て鼻の舌の長い男性はすぐにひっかかってしまうようで、地図を見ながら話しているあいだに、
近くに控えていた男性がバックをうばうというやり方のようで、パリの住人ですら引っかかったことがあるという。

メトロの降り口も多いようで、今回はメトロを控えてしまった。
旅慣れたはずの連れ合いが今回は怖がっていたほどだった。
スリは現行犯逮捕なので、なかなかつかまらずに、捕まってもすぐ出てきてしまうらしい。
言葉がわからず唖になるのが良いようだが、しつこくしてきたら、日本語で〝ポリスにいこう、、〟というのが良いようで、
何度か難を逃れた。
奪われることも困るが、首からさげたカメラなどをかばって引きずられてけがをするケースもあるというから気をつけていた。

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a0031363_21503664.jpg(昔からの友人にも会えた。定年で仕事をやめて、いわゆる年金生活を謳歌しているのだ!)

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 (この写真学の真ん中には27年まえに生まれたばかりの彼を抱き上げている私の写真があって、
そのあまりの若さに皆んなで唖然!)


 初めての体験もいろいろあった。
ほんの十日間ほどのあいだに、ずいぶんいろいろの番号のバスに乗ってしまった。
メトロがだめでタクシーが混んでいて、もちろん今回はリムジンもなくで、、、それがかえって功を奏した。
オペラ座を中心のその後ろから、脇から、オペラ通りでと行き先によって少し乗り場も降り場も違うのだが、
バスの脇に大きく主要デスティネーションが書いてあるので問題ない。
52番は凱旋門、42番はエッフェル塔、21&26番がノートルダム、68&95番がルーブル、ミュゼドルせー、
29番がヴォージュ広場、そして凱旋門近くからフォーブールサントノレを通ってマドレーヌ寺院を経由して
オペラ座へつくバスには何度もお世話になった。
渋滞で途中で下ろされたことがあったが、それもまた<巴里>なのだろう。

 バスには古いバスト新しいバスがあるようで、古い方は降りるをしらせるブザーが数が少ないので。降りるよ〜〜って。
声をかけて人混みを分けていく人も多かった。
年寄り席はないが、なんとなく若い人が変わったりして、席をゆずりあっていた。
書かれたルールがなくとも人間のルーフが生きているのだ。

a0031363_4392147.jpg(こちらは新式バスで込んでくると座っている人が立って椅子をたたんでいる、、、)

a0031363_4511551.jpg (バスの中には人生がいろいろある、、、カルティエによって人々の顔や服装も違うのだ)

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      (17 December 2011 Paris, pm3:33 à la place de Concord par la fenêtre du Bus42)

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  (18 December 2011 Paris, pm7:00 par la fenêtre du Bus52)
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   (52番のバスのなかからフォーブールサントノレ通りのバーバリーの店をカシャッ! 傘もレインコートのない人はコートをほしかったろうな、、、)

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 (18 December 2011 Paris,車がなくて途方にくれてたどり着いたのはアレキサンダー三世橋の側の63番バス乗り場、、、、セーヌ川の欄干から遠くのコンコルド広場をカシャッ(


 前日に洗った下着が乾かないのもはじめてだった、、、なにせ毎日雨で湿度が90%もあったのだから。
懐かしい人にも会えた。しかし彼らはそれぞれの生活がある。いつもは頼ることは出来ないかもしれない。
大使館の機能もあまりよくないようで、パリの日本人はあきらめているという。

 ここはもう私の<遠い昔>の巴里ではない。
それをふまえた上でのパリとのお付き合いをしよう、、、、、そして次のパリへの旅はいつになるのだろうか。
すべてを引き上げたつもりだったが、次への旅心が、今こうして日本へ帰る機内でもう始まっている。
<エトランジェ>として<旅人>としての、新しい<巴里への旅>への挑戦がまた始まるのだろうか?

 しかしその前に、この日本でしておかねばならないことが山ほどある。
人生の残された時間をどんな風に使うかをまず考えなければならないだろう。

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  (18 December 2011 Paris,オペラを背に日がぎらぎら輝くヴァンドーム広場を)


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(11 December 2011 Paris, Arc de Triomph アヴニューマルソーからの凱旋門)

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 (アンヴァリッドから、ナポレオン砲のかたなに輝く今年のエッフェル塔)
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〜〜〜〜〜
写真はまだまだ整理がおわりそうもない、、、、
by pretty-bacchus | 2011-12-20 23:58 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback | Comments(2)

☆回想のわが巴里の街2000~2010〜 Paris ノートルダム寺院
2011年12月19日 月曜日 晴れ その一a0031363_21252852.gif

2010年12月25日のブログから
http://keico.exblog.jp/11783936
2010年12月25日 土曜日 晴
「パリ歴史地図」を楽しみながらメリークリスマス!

 パリのアパルトマンが無くなった翌年の2000年にお世話になったのは、友人のアパルトマン。
モンテベロ通りにある歴史建造物の三階で、ノートルダム寺院を一望できる。

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a0031363_2542464.jpg (2005.10.24朝日が輝き始めた時間に、南面のノートルダム寺院)


a0031363_2582981.jpg     (2005.10.22の真夜中に、対岸のアパルトマンの四階から。         無謀にも手持ちでトライしているが、1/6秒でなんとか絵としてはみることが出来る)


 2000年4月のイタリーでのヴィニタリーの仕事を終えてパリにもどった私は、ここで突然目に異常をきたした。
痛みは無かったので、予定通りにフランスでの仕事をこなして5月のはじめに帰国。
ゴールデンウィーク明けにようやく病院にいったのだが、即緊急入院・緊急手術で、奇跡的に失明を免れたのだった。

 手術の後は眼球にガスが入っていてしばらくは飛行機に乗ることは禁止されていたので、次の訪欧は2004年。
そして2005年のイタリア商務省招待のイタリアへでの商談のあと一週間ほど、
ここにとどまり、毎日対岸のノートルダムを撮ったのだった。

 ノートルダム寺院を撮った写真は銀塩時代もデジタルになってからも沢山ある。
対岸のアパルトマンの四階から撮る機会に恵まれての撮影はすばらしい経験だった。
窓を開けると、東側から昇ってくる朝日に輝く南側一面が見渡せる。
散歩でサンルイ島へと歩くときは、後陣をじっくりとながめられる。
 普通なら下から首をあげてながめる聖堂を、遠方とはいえ真横からながめるのは感動の連続だった。

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 ゴシック建築を代表する建物であり「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産と一緒に、
1991年にユネスコの世界遺産に登録された。

 パリのはじまりはシテ島。
紀元前三世紀にケルト系パリシア人がこの島に住み始めたということは周知の事、
フランク族の王クロヴィスが506年に、首都(シテ)と宣言してから、シテと呼ばれるようになったのだという。

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 パリを旅する人が必ず訪れるノートルダム寺院 は、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂
(Cathédrale Notre-Dame de Paris)。
フランス語で<「我らが貴婦人」聖母マリア>は、現在もパリ大司教座聖堂として使われている。
その起源はローマ時代までさかのぼり、ノートルダム寺院の敷地にはユピテル神域だったのだというが、
ローマ崩壊後キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。
(このあたりの土地や水源などについては、ジャン=ロベール ピットのパリ歴史地図の図面をみると、
ルテティア時代の事がいろいろ書かれていておもしろい!)

 聖堂の工事は内陣から始めるのだという、内陣があれが日々の祭儀が行えるからだそうで、まず、
シテ島の端の東の後陣側から起工、内陣部分をととのえて、西正面と鐘塔が最後だった。
素材はパリの石だったと言うから、パリは岩盤だったのだろうか。

 ノートルダム寺院は1163年に現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成されたのだというから、
なんと62年もかかったのだ。
ファサードを構成する双塔は1250年頃まで工事が続けられ、最終的な竣工は1345年の記録があるというから、
さらに100年以上もかかっているのだ。
その後19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、
その他多くの部分が改装されて今にいたっているのだ。


 北側にはあまり観光客はいかないようで、ゆっくりと歩くことが出来、反対側のお土産物やさんなどで、
おじさんとおしゃべりをしたり、、、、。
この、日の当たらない北側だが、北扉口中央柱には優美な聖母子像が立座している。
金槌のような物で悪魔をたたきのめす暴力的なマリア様だ。

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 (聖堂の北側をずっと歩くとこのコーナーにでる、この道も好きだ、、、
道のむこうのカフェにすわって聞いている人もいる。鳩も静かに耳をかたむけているいみたい、、、、)


 正面にはこの時期、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られている。
聖誕祭のごミサには昔々一度だけ座したことがあるが、もう一度あの荘厳な場に座ってみたい、、、思い切って出かけてみた。s

a0031363_3154647.jpg (夜、セーヌ川を渡りシテ島に立ち、正面に佇むと、何ともいわれぬ世界に引き込まれていく、、、、)

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(グルッと一回りして、サンルイ島に渡り、後陣を拝する。
サンルイ島にかかる橋からながめるノートルダム寺院は、まるで宇宙船のようだ。
このカットは年賀状につかったことがある)


 
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 (年賀状にしたこともある)

 大聖堂の上にあるシメールのギャラリーに行くには、大聖堂の建物の外にある入り口から
狭い螺旋階段を登っていかねばならない。
四十年前にたった一度だけその外階段を上ったことがあったが、もうこれからは無理だろうな、、、


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(対岸の四階から超望遠で撮ったガーゴイル)


a0031363_1524790.jpg (Oct, 2005 下からもテラスからも絶対に撮れないノートルダム聖堂の南側のガーゴイル)

a0031363_1542051.jpg (Oct, 2005 対岸のある建物から出たっばかりの70~300で手持ちで試写をしたもの、、、)

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(追加)1970年代初めの若かりし頃の私、この写真はNというプロが撮ってくださった)
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http://keico.exblog.jp/11647524/
散る黄葉思いはいつも我がパリよ 2010年12月1日 水曜日 

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 (そして夜のノートルダム聖堂とセーヌ川、Oct. 2011 Paris La Seine et Notre Dame)



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そして今日の巴里、
19 December 2011 Paris

ノートルダム寺院までいきつけず、アンバリッドのカシャッ!
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by pretty-bacchus | 2011-12-19 21:21 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback | Comments(2)

☆回想のわが巴里の街1990~2000〜巴里のお花やさん
2011年12月17日 土曜日 巴里のお花やさん
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 風が強くって葉がどんどん散っていくのってなんだかとってもせつないの、、、、
こんな時口ずさむのはやっぱり枯れ葉、それもイヴモンタンの枯れ葉。
Autumn Leavesでなくて、枯葉はやっぱりLes feuilles mortes、落ちて枯れ死んでしまった落ち葉なの、、、
最初の若い頃の映画の挿入歌の時代のではなくて、彼が年を重ねた頃の声が好き。
ジュリエット・グレコの枯れ葉も良いけれど、やっぱりYves Montandのヴァースが入った方が好き、、、
ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)の詩がなんともいえない、、

 1991年にモンタンが亡くなったときに、私はパリの15区のアパルトマンにいた。
ニュースを聞いて、彼が住んでいたサンジェルマンの家の近くにいってみた。
彼の家の壁際には沢山の花が添えられていて、枯れ葉が舞っていた頃でした。

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 (建物の屋根のあたりに張り出したガラスの板に枯れ葉が散って、、、でもこれってどうやってお掃除するのかしらと、、、カシャッ)

 今は真冬、、、、シャンゼリゼには、クリスマスイリュミネーションが輝き、
クリスマスまであと一週間。
でも今年の冬はまだ秋が残っているようで、本格的な寒さではなく雨ばかり、、、。
そろそろストライキのニュースがちらほらで、それもフランスの一二月の風物詩かな?って皆で話して、、、、。

 私たちの滞在もあと数日を残すだけとなってしまった。
今日の土曜日は、クリスマス前で、もうすご〜〜い人で、一年に一度だけのプレゼントを待つ子供大木というから、
家族ずれで近所のがラリーラファイエットあたりは人とぶつかり合いながら歩かねば、、、。
そしておまわりさんもあっちこちに、、、、、。

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(December 2011, Paris Galerieslafayette 全品40%オフとかで人が一杯、そとにも商品のデモの露天が出たりしていました)

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 フランスでは、「私は緑の手をもっていない、というと、園芸とかお花がにがてのこと。
“敬子は大きな緑の手をもっているから、ベランダがいつもお花で一杯ね、、、て、
友人のジャクリーヌはいつも感心していた。
彼女が途中で投げ出してしまった鉢を七階の私のベランダに持ってあがると、
数日で元気になって、命を長らえて、時には翌年も花をつけたから、お花屋さんも驚くこと驚くこと、、、

 アパルトマンの一階がオランダ人の花屋さんで、日本と比べるととっても安かったから、
七階の部屋もベランダにもいつも沢山お花があった。
ベランダには観葉植物や、色とりどりの薔薇の鉢が陣取っていた。
切り花のチューリップやアネモネなどは、一束10本で数フラン、何百円かで買えたから、
仕事の帰りにお花屋さんを覗くのが楽しくてしょうがなかった。

 店員のフランス人のゲイのダニエルは日本のイケバナを覚えたがっていた。
毎週末に生花を買うときに少しずつなんとなく日本のイケバナを教えた。
シン、ソエ、タイは、天地人で、、、とか、昔覚えた少しばかりの池坊を、、、、。
感性豊かな彼は、すぐに覚えて、フランスとはひと味違った花束を創ったから、お客さんにとても喜ばれて、
“ブシコ・フルールには、緑の手を持つジャポネーズのアドバイスのお花があるのよ、、、、と、
遠くからも買いに来るようになったという。


(今日のブシコーフルール 17 December 2011 Paris, Boucicaut Fleurs à Paris 15ème)
店主のロンが、keiko~~って、大きな腕手手向かえてくれた。今は何年かに一度しかいかないのに、
名前をちゃんと覚えていてくれる。

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(バスを降りたら目の前がこのビルで、住んでいた七階の大きなバルコニーにはいつも花がありました。
住んでいるときにはここがバス停って知らなかったお馬鹿さんです)

a0031363_21502897.jpg (車で帰ってきたばかりで戸口であいました)

a0031363_21512577.jpg (お客様も交えてロンとサンドリンで記念写真を!)

a0031363_21524857.jpg (友人にお花を買って、今度はお嬢様も一緒に!)

a0031363_21541390.jpg (ミモザやムスカリや
チューリップ、もちろん季節のシクラメンも。
(大きなシクラメンが900円!)

昔も今も10本で200円くらいで、オランダ直輸入のこのお花屋さんは安いし新鮮、そして親切がお店です)


 パリのアパルトマンを去って、まもなく両目の手術をすることになり、
数年ぶりに出かけたパリで、すぐに走ったのは、このお花屋さん。

 「ダニエル エ モール。
背の高い主人が悲しそうに告げた。
彼は、その前の年にエイズであの世に旅立ったのだという、、、。

 花屋さんの前を通ると、いつもこの感性豊かだった、
私の華道のいっときの弟子?だったダニエルを思い出す。
今頃は、天国で、
“これはね、緑の手を持つケイコというジャポネーズから教えてもらったの、、、、
な〜んて、いいながら皆んなに花束を配っているのだろうか、、、、

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http://keico.exblog.jp/7137639
緑の手を持つジャポネーズ
2008年5月22日 木曜日 晴れ

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そして今日の巴里、
17 December 2011 Paris



  行きも帰りも初めての経験の42番のバスの<旅>
オペラ近くからコンヴァンション・ブシコーまでの往復一時間強の旅はそれはそれはおもしろかったので、
その模様を現像中です。
しばらくお待ちを!

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(17 December 2011 Paris, pm3:33 à la place de Concord par la fenetre du Bus42)


More>>「パリ歴史地図」
by pretty-bacchus | 2011-12-17 23:58 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback | Comments(2)

今日の巴里 14 December 2011 Paris
2011年12月14日 水曜日 曇り
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そして今日の巴里、
14 December 2011 Paris
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 今日はサンテグジュペリ伯爵とはお昼のお約束。
いつも電話やメールでお話しているから、そんなに長い間お目にかかってないとは思えないような気がする。
3:11のあとも、友人の会でのチャリティーオークションに、彼の造るシャトー・ドゥ・ティルガンのワインを
提供してくださって、自筆の励まし文を送ってくださったりしてくださっていて、、、。

http://keico.exblog.jp/12319598/
2011年3月24日 木曜日
のブログへ

地震へのチャリティオークションーディナーとフランス

 彼の日本への最初の旅は、私の写真展の最終日の<日仏交流の夕べ>への招待に応じてくださったのだった。
http://keico.exblog.jp/1586550
2005.01.25
のブログへクリック

満月に フランスより着きし 王子様

http://keico.exblog.jp/1596968
2005.01.29のブログへクリック
空元気の麗人と いわれて、、、

http://keico.exblog.jp/1621298
2005.02.02 サンテグジュペリ伯爵、京都で最期の日へのブログへ
雪の金閣寺と竜安寺石庭

2005.02.02 サンテグジュペリ伯爵、京都で最期の日

English Here

京都に住む友もこんな金閣寺ははじめてという素晴らしさ!
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 竜安寺では、15あるといわれる石が雪でみえない石庭。
廊下に座り、しばしメディテーションにふけるサンテグジュペリ氏。
お連れして良かった!
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石庭への階段
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(Comte François-Xavier de Saint-Exupéry a Kyoto 02 Feb.2005)
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この写真展は、右サイドバーの<
PhotoExpo写真展東京奈良Jan0>に
http://keico.exblog.jp/i20
PhotoExpo写真展東京奈良Jan0 ( 52 )

http://keico.exblog.jp/2473245
2005.10.25 パリにて、のブログへ
久しぶりのランブロワジー

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 彼が自然農法と有機栽培で造るChateau de Tiregandのワインと農産物のページは
http://www.chateau-de-tiregand.com/
シャトー・ドゥ・ティルガン

このcontactの欄には現地の人々に加えて六カ国のインポーターの名前があり、日本はわたしなのだが、
年間わずか数十ケースしか入らないので、これまた十数人の熱狂的なお客様だけの口に入ることになってしまう。

 1912年まではボルドー右岸の原産地アペラシオンだったので、味は優しくまろかだで美味だが、
今のベルジュラックの原産地呼称で、値段は高値のボルドーの半値でリーズナブルなのだ。

 昨日の体調の悪さが続いたままにお昼過ぎにホテルをでた。
お招きを受けたのはサンラザール駅から少し西に入ったお店だった。
アンドレさんというお店のオーナーが大きな腕で迎えてくださった。

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(続く、、、)



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(14 December 2011 Paris,
Gare Saint-Lazare)

(パリの六つの大きな主要ターミナル駅の一つのガール・サン=ラザール サンラザール駅は、ノルマンディー地方へ向かう特急列車(コライユ・アンテルシテ Corail Intercités)が発着している。
その他ヴェルサイユ、ナンテールなどへの近郊列車も。

クロード・モネの絵や、あの水をまたぐ写真でも有名になっている。

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 (駅の近くのトレンチコネクションというトレンチコートのお店がある
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a0031363_18211422.jpg (アランドロンやリノバンチェラ、そしてかのアメリカ人刑事もきていたコートのようだ)


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そしてホテルへ帰る細い道で事件は起きた(いや起きそうになった)>>別項で。

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(今日の歩数;6465)
by pretty-bacchus | 2011-12-14 23:59 | ♧JourneyAbroad海外2011 | Trackback(15) | Comments(10)