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新しい年があけました。 Bonne Année 2013年こんにちは!
2013年1月1日 火曜日 晴れ

 日の出入・月の出入 (東京)
  日の出 06時50分  : 日の入 16時39分
  月の出 20時24分  : 月の入 08時50分 更待月

 新しい年が明けた。平成25年1月1日、巳年。
悲喜こもごもの思いを込めて世界中の人たちが新しい年を迎えているのだろう。
どんな一年になるのだろうか、、、。
世界中どうかあまり争いの無い年であって欲しいと切に願う。
大きな事故が起きないで欲しい、、、。

 どんな一年になるのだろうか、、、。
期待と不安が入り交じるが、流されることなく自然体で生きていきたいが、
波瀾万丈の運命を背負っているようだから、神様はそれを許してくださるだろうか。

 残り少ない<何万分の一>の一日一日をしっかりと地に足を付けて歩んでいきたい。
日々の足跡をブログに綴っていくことで、友人達との交流を深めていきたいな、、、、。

皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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 数年前の東京湾から房総半島の向こうに昇ってきた初日の出を拝した写真で
<迎春>のご挨拶をさせていただきます。
by pretty-bacchus | 2013-01-01 15:15 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(30)

枯れ葉践み思いでを追う日曜日
2011年9月11日 日曜日 晴

 米同時テロから10年になる。忘れられない9.11の十周年。
いろいろの記念行事がアメリカでは行われている。

 大きな事件が世界で起こる時、その事件がわたしのその後の生き方に大きな影響を及ぼすことがある。
特に11日、21日の日付の記憶が重なる事に、大きな不等辺三角形になって私の心を占めている。

★ 2001年9月11日 午後10時過ぎは事務所から帰ってすぐテレビをつけて、
そのまま立ち尽くしてしまった。

★ 2011年3月11日は 午後2時46分は何をしていたのだろう?
2月21日の乳癌手術が終わって退院したばかりだった。
揺れる室内に何も出来ないでいた。

遡ってみて、、、
★ 1963年11月21日金曜日 ケネディ大統領暗殺事件の時はまだ学生だった。
アサシネー=暗殺という単語を覚えたのもこの時だった。

★ 1966年4月21日

★ 1968年4月21日

★ 1969年7月21日 アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たした日、その大きなニュースに包まれて、
私はパリの駐在員としてパリに着いた。

★ 1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫自決の時ははどんな仕事をしていたのだろうか?
そう私はパリの駐在員として、オルリー空港のカウンターにいた。

そして
★ 1981年3月21日 メリディアンチェーンの代表受諾

★ 1987年3月21日 メリディアンチェーンの代表を突然辞任

★ 1987年4月21日 

★ 1999年12月21日 パリ撤去

★ 2000年4月21日  パリで目に異常>>5月に帰国して緊急手術

★ 2006年11月21日 晴天の霹靂起こる

まだまだ沢山の日々が頭をよぎる、、、、

 不思議に記憶が蘇りいろいろと神経のシナプスが動き始めた。
どこかでその記憶を追いながら、手はずっとマックの上を動いていた。
昨日の夜遅くから憑かれたようにマックのバックアップをはじめてしまっていた。
なぜだかわからないが、しておかねばとどこかで声がしているようなのだ。
いつ何が起こるかわからないこの地球なのだから、、、、。

ここ数年はタイムマシーンで毎日夜中に自動的にバックアップは行われているのだが、
そのハードが壊れることだってあるのだから、安心の為にもうひとつのハードディスクに
完全版をおいておこう、、、、。
しかしその前にはいくつものハードディスクの整理をしなければならない、、、。

 日曜日はそんな風に過去を振り返りながら過ぎていった。
あとどのくらいの日曜日を迎えることができるのだろうか、、、、、、

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(2006.10.19 Paris )

by pretty-bacchus | 2011-09-11 23:59 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(4)

春立つも時の流れに足踏みし
2011年2月5日 土曜日 晴

 T先生からお電話をいただき今後のことを少しお話しさせていたいた。ありがたい!
ほぼ乳癌の宣言をうけて一週間がたったが、体調はきわめて悪くないのだ。
でも今日はなんだか気持ちが萎えてしまったようで、一日中床に着いてしまった。
友人から送ってくれるメールや留守電やコメントにその度涙してしまっているからかもしれない。

 うとうととして考えてみると、そういえばというような心当たりがいくつかあるような気がする。
どうもだるくて、よく風邪気味で微熱が出ていた、
血液検車で腫瘍マーカーとかは年に数度していたが、
2008年の8月に、白血球のCRPが23.55と以上、抗生物質を数日で元にもどってしまっていた。

今思うと2008年12月末のパリでの40度の熱も、ただの風邪とかインフルエンザではなかったのかもしれない、、、
http://keico.exblog.jp/7770647/遡っての巴里の記録 七日目 12月21日 2008年12月21日 日曜日 曇り

http://keico.exblog.jp/7775435/
遡っての巴里の記録 九日目 2008年12月23日

もっともこの時点では、PETでもすればともかく、普通のマンモグラフィーでは何も出ないかもしれなかったから、
これこそが運命なのだ。

 手術によほどのハプニングでも起こらなければ、今回はなんとか手術後家へもどれるだろうが、
再発の可能性だってあるのだから、人生設計の再構築をする良い機会に違いない。
ここ数年そう思っていたが、なかなか手につかなかったから、この時期を少し考えてみよう。

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by pretty-bacchus | 2011-02-05 23:59 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(5)

「パリ歴史地図」を楽しみながらメリークリスマス!
2010年12月25日 土曜日 晴

 夕方まで静かな週末を過ごすことができた。
めずらしく手元には「パリ歴史地図」。クリスマスにはぴったりの一冊かもしれない。

 a0031363_2455990.jpgジャン・ロベール・ピット編の大判本の「パリ歴史地図」
<ジャン=ロベール ピット, Jean‐Robert Pitte, 木村 尚三郎.>: は大好きな本で、いつも近くにおいてある。


a0031363_2271121.jpgクリスマスメールに友人からパリの雪の写真をメールでおくっていただいて、
なんだかとっても<巴里>が懐かしくなったのだ。


 フランスの地方の魅力も尽きないが、パリの街の成り立ちの頃のルテシアのガリアの時代からはじまる
パリの歴史はとてもおもしろい、、、華やかで残酷で、日本の歴史のおもしろさとは、
ひと味違っためくるめく人間の歴史をかいま見ることになる。
そして、その歴史が、巴里のどの場所で起こったことかを、この本の図でみると、さらにイメージが膨らむ。
日本の木の文化と違い、石の文化は往事を今に残していることが多いのだ。

 パリのはじまりはシテ島。
紀元前三世紀にケルト系パリシア人がこの島に住み始めたということは周知の事、
フランク族の王クロヴィスが506年に、首都(シテ)と宣言してから、シテと呼ばれるようになったのだという。

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 パリを旅する人が必ず訪れるノートルダム寺院 は、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂
(Cathédrale Notre-Dame de Paris)。
フランス語で<「我らが貴婦人」聖母マリア>は、現在もパリ大司教座聖堂として使われている。
その起源はローマ時代までさかのぼり、ノートルダム寺院の敷地にはユピテル神域だったのだというが、
ローマ崩壊後キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。
(このあたりの土地や水源などについては、ジャン=ロベール ピットのパリ歴史地図の図面をみると、
ルテティア時代の事がいろいろ書かれていておもしろい!)

 ノートルダム寺院は1163年に現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成されたのだというから、
なんと62年もかかったのだ。
ファサードを構成する双塔は1250年頃まで工事が続けられ、最終的な竣工は1345年の記録があるというから、
さらに100年以上もかかっているのだ。
その後19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、
その他多くの部分が改装されて今にいたっているのだ。

a0031363_2542464.jpg (2005.10.24朝日が輝き始めた時間に、南面のノートルダム寺院)


 聖堂の工事は内陣から始めるのだという、内陣があれが日々の祭儀が行えるからだそうで、まず、
シテ島の端の東の後陣側から起工、内陣部分をととのえて、西正面と鐘塔が最後だった。
素材はパリの石だったと言うから、パリは岩盤だったのだろうか。

ゴシック建築を代表する建物であり「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産と一緒に、
1991年にユネスコの世界遺産に登録された。

 ノートルダム寺院を撮った写真は銀塩時代もデジタルになってからも沢山ある。
ここ数年は、対岸のアパルトマンの四階から撮る機会に恵まれている。
窓を開けると、東側から昇ってくる朝日に輝く南側一面が見渡せる。
散歩でサンルイ島へと歩くときは、後陣をじっくりとながめられる。

a0031363_2582981.jpg     (2005.10.22の真夜中に、対岸のアパルトマンの四階から。         無謀にも手持ちでトライしているが、1/6秒でなんとか絵としてはみることが出来る)


 北側にはあまり観光客はいかないようで、ゆっくりと歩くことが出来、反対側のお土産物やさんなどで、
おじさんとおしゃべりをしたり、、、、。
この、日の当たらない北側だが、北扉口中央柱には優美な聖母子像が立座している。
金槌のような物で悪魔をたたきのめす暴力的なマリア様だ。

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 (聖堂の北側をずっと歩くとこのコーナーにでる、この道も好きだ、、、
道のむこうのカフェにすわって聞いている人もいる。鳩も静かに耳をかたむけているいみたい、、、、)


 正面にはこの時期、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られているだろう。
聖誕祭のごミサには昔々一度だけ座したことがあるが、もう一度あの荘厳な場に座ってみたいものだ、、、、。

a0031363_3154647.jpg (夜、セーヌ川を渡りシテ島に立ち、正面に佇むと、何ともいわれぬ世界に引き込まれていく、、、、)

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(グルッと一回りして、サンルイ島に渡り、後陣を拝する。
サンルイ島にかかる橋からながめるノートルダム寺院は、まるで宇宙船のようだ。
このカットは年賀状につかったことがある)


 
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 大聖堂の上にあるシメールのギャラリーに行くには、大聖堂の建物の外にある入り口から
狭い螺旋階段を登っていかねばならない。
四十年前にたった一度だけその外階段を上ったことがあったが、もうこれからは無理だろうな、、、


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(対岸の四階から超望遠で撮ったガーゴイル)


 聖誕祭に、ノートルダム寺院の歴史をひもときながら、静かに写真の整理をしているのも良いものだ。
ブログ初公開のも何枚かある、、、、

 今年はテレビでヴァチカンのごミサの中継が見られるだろうか?
BSテレビのライブで初めて中継されたのは、十五年くらい前だろうか?
すごい時代になったものだと、その感動はいまだに脳にしみついている。

 その他のフランス関係の歴史書、美術書や、通ったオペラや音楽会美術展のカタログ、
食べ歩いたレストランのメニューなども、全部まだパリの友人の家に預けたまま、、、。
いつの日か、またパリにアパルトマンを借りられたら、それらを見ながら、、、教会の鐘の音を聞きながら、
最晩年を送りたいと思っているが、、、、さてさて、そんな日がやってくるのだろうか、、、、。
神のみぞ知る!
メリークリスマス!

 最後は友人から届いた、昨年のクリスマスのノートルダム寺院とエッフェル塔
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(追加)1970年代初めの若かりし頃の私、この写真はNというプロが撮ってくださった)
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http://keico.exblog.jp/11647524/
散る黄葉思いはいつも我がパリよ 2010年12月1日 水曜日 

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ロイターのニュースが今入りましたので、、、
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by pretty-bacchus | 2010-12-25 23:59 | ♧Journey海外2004~05仏伊 | Trackback | Comments(3)

モンタンの枯れ葉の巴里に君想い>>モンタンの枯葉の巴里や君想う
2010年11月9日 火曜日 曇り、風強し
 
 モンタンの枯れ葉に乗って郷愁の巴里

 枯れ葉のことを書いたのは11月2日、
偶然に去年の11月2日にも、同じようなことを書いていたことを発見。
季節の移り変わりっておもしろい、、、、。

http://keico.exblog.jp/9193966/

枯れ葉の頃にはジャック・プレヴェール&イヴモンタンのLes feuilles mortes
2009年11月2日 月曜日 


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  (風で歩道にからからと枯れ葉がまっていく、、、)

a0031363_1651178.jpg (2005年10月19日 pm5:30 イタリアからパリに着いて空港からホテルの途中でタクシーの窓からのスナップ。
モンタンの家の近くです)


 それならばと、ちょうど繋いでいた外付けのハードディスクにある2005年の
秋のパリの未現像のフォルダーをあけてみた。
あります、あります、、、、秋のスナップショットでまだ整理していないのがた〜くさん!
未整理のままお蔵入りになるであろう、これらのフォルダーは、
このままになってしまうには少しばかり惜しいような気がするのだが、、、、
後世になって、奇特な誰かが、私のマックやハードディスクを整理してくれたら、
お宝画像がでてくるかもしれないな、、、、って、ふと何十年か後の事が楽しくなってきました、、、、。

 忙中閑ありで数枚を少しレタッチしてアップしてみた。
夜の巴里を初期のコンデジでのスナップだから、こんなものだろうが、記録としては充分だ。
あの時一緒に歩いてくれたJさんはどうしているだろう。
彼の家は、枯れ葉の頃に彼岸に発ったイヴモンタンが住んでいたサンジェルマンに近い、、、、
晩秋の巴里がなつかしい。
 
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  (2005.10.16 夜のセーヌ川)

a0031363_11344285.jpg  (翌日の巴里は晴れていた。ノートルダムに向かってのお散歩の途中)




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(少し歩いてサンセヴラン教会に入って、、、、、お祈り、、、)
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(お花屋さんで秋のお花を、、、可愛い子がママへのお花を選んでいるところでした)



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(カフェの表の椅子に座って、目を見つめながら語り合って二人が素敵でした!
お隣の人がそれも見ているのもほほ笑ましい〜〜〜〜)

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 (お隣のカフェでは叔父さんが新聞を読んでいました)<

a0031363_1225630.jpg br clear=all>(随分歩いたようですね、、、、プラス・ドゥ・ヴォージュに出てしまいました。
犬のお散歩のマダムが見えて、思わずシャッターをおしましたが、ブレブレでした)


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 (シャンゼリゼ大通りとジョルジュサンク通りの角にルイヴィットンがオープンしたのはこの年だったのですね)

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(翌日も良いお天気で、いよいよ枯れ葉が舞う頃となりました)
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 (サンジェルマン界隈でしょうか、、、黄葉した木の前にはマリア様のスタテューがありました。
ゴミ箱が外にでちるのは、今日はゴミ集めの曜日なのですね)
by pretty-bacchus | 2010-11-09 23:59 | ♧Journey海外2004~05仏伊 | Trackback | Comments(10)

枯れ葉の頃にはジャック・プレヴェール&イヴモンタンのLes feuilles mortes
2009年11月2日 月曜日 曇りa0031363_21252852.gif

 どうなっているの〜〜〜?
昨日は11月というのに25.9℃でこの時期には11年ぶりの夏日で史上3番目の暑さ、
そして今日は突然の木枯らし一号ですって、、、、。
平年より6.4度低い最低気温5.5度を記録、この秋一番の冷え込みとなったのだとのこと、、、。
地球温暖化の影響なんてものではなく、どこかで地球の軸がずれはじめているのかしら、、、?

 風が強くって葉がどんどん散っていくのってなんだかとってもせつないの、、、、
こんな時口ずさむのはやっぱり枯れ葉、それもイヴモンタンの枯れ葉。
Autumn Leavesでなくて、枯葉はやっぱりLes feuilles mortes、落ちて枯れ死んでしまった落ち葉なの、、、
最初の若い頃の映画の挿入歌の時代のではなくて、彼が年を重ねた頃の声が好き。
ジュリエット・グレコの枯れ葉も良いけれど、やっぱりYves Montandのヴァースが入った方が好き、、、
ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)の詩がなんともいえないの、、

 1991年にモンタンが亡くなったときに、私はパリの15区のアパルトマンにいました。
ニュースを聞いて、彼が住んでいたサンジェルマンの家の近くにいってみました。
彼の家の壁際には沢山の花が添えられていました、枯れ葉が舞っていた頃でした。

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  (風で歩道にからからと枯れ葉がまっていく、、、)

a0031363_1623450.jpg  (青山墓地の中にも、、、)

a0031363_1651178.jpg (2005年10月19日 pm5:30 イタリアからパリに着いて空港からホテルの途中でタクシーの窓からのスナップ。
モンタンの家の近くです)


KeisEchoさんのYouTubeで素敵なのを見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=6r3JM2JZK84
KeisEchoさんのYouTube


More>>プレヴェールの枯れ葉の詩
by pretty-bacchus | 2009-11-02 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback(1) | Comments(4)

読書の秋は、思考の秋でもある。
2009年9月28日 晴れのち曇り

 その昔の青山のエールフランスのオフィスのビルの二階には本屋さんがあった。
流水書房の遠山さんという店長さんは、私の好みをわかってくれていたので、
珍しい美術書やレア本は必ずとっておいてくれた。
お昼休みが楽しみだったが、いかれないとちゃんと夕方まで置いておいてくださった。

本屋さんは毎日でも行きたいのに、先週からいかれていない。
オフィスと自宅の間くらいにあるし、少し歩いたところに23時まであけている本屋さんがあって、
そこそこはそろっているので、必ずよっていた。

 昨日友人と話していて、パリとフィレンツエのことから、杉本秀太郎さんの本の話になった。
京都に住む作家というか文明批評家で、雑誌によく記事をかいていらっしゃるし、
絵双紙とかアールヌーヴォーとかにも詳しい。
著書の一冊に「異境の空、パリ・京都・フィレンツエ」というのが、
白水ブックスの“エッセイの小径”にあった。
十数年前に買って読んでいるはず、、、この小さな本は、デザインを田中一光さんがしていて、
カヴァー絵が浅井忠さんだったから良く覚えていた。

ごそごそと本棚を探してみたが、見つからない。
そうだ、今の時代はロングテールなのだ、、。
Amazon.comで検索ですぐ出てきた。
980円也で在庫有り。
アマゾンを見るたびに凄いと思うのは、この本を買った方は次の本もこういうのを買っていますというのがあって、
確かに私が読みたいような本が羅列される、、、こちらの傾向が、それまでの購入記録で分析されてしまうは、
なんともおもはゆいが、これもまたWEB時代の落とし子なのだろう。

 朝方に注文をしておいた。1500円いじょうだと送料無料なので、カメラ関係の月刊誌を一緒にかった。
次には私の傾向がどんな風に出るかも楽しみだ。
さらにすごいと思ったのは、午後一でピンポン〜〜〜〜〜何時間もしないのに、その上日曜日なのに、
もう手元に届いてしまった。

もうこうなるとダメ、、、昨日から読みふけっている。
裏表紙には、
「考えるというのはいつでも、思いがよそごとに傾く状態に陥ることである。よそごとを考えているときは、
私たちは今いる場所にじつはいないにひとしい。在は不在に、不在は在に、いれかわっている。
そして在は次々によそごとに食われて、絶え間なく不在に変わっていく。それが考えごとの宿命であろう。
つねなる異郷の空のもとで、放浪、漂泊しているひとりの不在者の声が三都市のあいだに共鳴する、、、、、」

な〜るほど、これで浅井忠のカヴァー絵のグレーの空と廃墟と水辺の赤い小屋と柳が生きてきたのだ。
15年前の初版の時には、私はそれを読みこなせていなかったのだ。
歳を重ねると今まで見えなかったものもみえてくることもあるのだ。

 読書の秋だ。
少しゆっくりと本を読む時間が沢山欲しい秋だ。
と思っていたら、志村ふくみ先生からお電話をいただいた。
いつものようにころころと愛くるしいお声! 88才の方とは思えぬ艶!
10月に東京で個展があって上京なさる。
今回は、あの東と北の海が見えるインターコンティネンタル東京ベイのコーナーのお部屋にお泊まりになる。
どんなふうにあの景色をご覧になられるか楽しみだ。
琵琶湖の朝の波のように、東京湾の光の波をお作品になされるだろうか。

 <在と不在>を考えていたら、いま日本に一時帰国のスコットさんの心象写真のブログが飛び込んできた。
彷徨う心
心象的な写真にこのような書き出しで、
<日本へ来るとこんな気持ちのスポットに入ることがよくある。
車の中から通り過ぎる景色をぼやっと目で追っているとき、自分の存在感が消え空虚な気分になった。
生まれ育った日本に今いるのだが、ここにはもう自分の根はないのだから> と、、、、

 近くのホテルに滞在していらっしゃるのに、お会いできない。
この不在は在なのか不在なのか、、、、
思考の秋でもある。

a0031363_3504571.jpg         (杉本秀太郎さんは、エミールガレにも詳しい。
このアーティスティックは代表作の一つだ)
by pretty-bacchus | 2009-09-28 23:59 | ☆Books本の虫,講演,講習会など | Trackback | Comments(4)

データのバックアップと写真の整理の続き
2009年6月1日 月曜日 曇り後晴れ

 はや、水無月、、、どうしよう、、、、。
妙に気があせる今日この頃だ、

 昨日の写真の整理の続きで、ニコンD200+Nikon AF-S DX VR Zoom 18-200mmの記録を少しアップした。
ところが投稿画面が突然おかしくなって、全部消えてしまった。
こういうことってエクサイトはときどきあるのだ、、、。
http://keico.exblog.jp/4516937月末はデータのバックアップと写真の整理

こうして整理をしていると、二年半前の事がいろいろ思い出されて、写真っていいな、旅っていいな〜〜〜、、って
つくづく思う。

http://keico.exblog.jp/4567217
2006.10.14 火曜日
モナリザの 里で時代を さかのぼり

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場所の説明をいろいろ書いたのだが、それも消えた〜〜〜。
疲れたので、また後で追加しましょう、、、、
by pretty-bacchus | 2009-06-01 23:59 | ♧Journey海外2006仏伊香港 | Trackback | Comments(22)

ブログ歴<<右側メニューから移行(春分に)
2008年3月22日 土曜日

 ブログのレイアウトを少々変更。
右側のサイドバーのメニューにおいておいた、4年前からのブログ考を、カテゴリの
ブログ考に移して、少しすっきりさせた。
============
<ブログを始めたのは2004年からだから4年目になる。
 散歩の途中でフォトグラフ、写真ライフは愉しいな! 、、、 と始めたウェブログだが、
ブログ考は時とともに変わってきている。経過を記録しておこう。
〜〜〜〜〜〜〜

 日記形式のブログは最高!
散歩の記録、日々のたわごと、食事とワインの記録、読んだ本のこと、オペラにお芝居巴里にすんだ思い出など、日記の代わりにつけてみることにした。
でも公開すると誰にでもみられてしまうし少々恥ずかしいな?(13June04)
 〜〜〜〜〜〜
 ブログを初めて3週間がたった。なかなか面白いので、過去の旅の記録も足していくことにしよう。
 仕事と休暇で訪れた60カ国の足跡は私の半生の生き様。そして今対面している重大事も、、、。

 レイアウトも変えてモンドリアン風から情熱の赤をベースに。(17Jun 04)>
更に写真が大きく入るのに変更>この後、荒川静香さんのヘヴンリーブルーに変更  〜〜〜〜〜〜〜〜

この数ヶ月でブログの数がとても増えた。
HTMLを書かずとも、毎日ほんの数分で記録が残せる。私のブログでさえ毎日数十人の方が見てくださる。
何となく書いているブログであるが、さてさて、このまま公開にしてよいものかどうか思案している。(30 Aug04)
〜〜〜〜〜〜
 三日坊主の私が毎日書くという記録に挑戦。今では毎日書き続けることに楽しみを感ずるようになった。
時代にそった歓びか?   
 途中まで学び始めたHTMLは仕事のみ。今ではホンノ数分で出来るブログで日常雑記をつづる毎日。  
亡き父がみたら喜んでくれるのかしら?(Oct04)

 〜〜〜〜〜〜
 2005年も立春をすぎた。写真入りウェブログにもすっかり慣れて毎日更新している。
自分の顔写真もとうとう公開してしまった。  
 ワープロでの日記では出来ないことを今やこのウェブログでしている。
 しかしあくまでも毎日の日記。
〜〜〜〜〜〜
 このブログを続けていくかどうか迷っているうちにも友人達から励ましのメールをいただき安堵。
 自分の日々の記録として、このまま続けていく事に決めた。
(18 Sep05 十五夜に)
〜〜〜〜〜〜
 WEb2.0の時代が到来して、今やブログはHPを凌駕して新しい形をなしてきている。
 ただ日々の記録の日記として書いていくことで良いのかどうか? 誤解を招くことになるのではないかと、自問自答の日々である。
(15 Jul06誕生日に)
〜〜〜〜〜〜
 記録と自分史と思って続けてきたが、昨年の青天の霹靂事件以来いやがらせの書き込みがされるようになって
悩んでいる(私が被害者なのに〜〜)
(03Feb07節分の夜に)
〜〜〜〜〜〜
 友人達に励まされて、また日々の記録を毎日つけ始めることにした。
皆勤賞をめざして、、、
(04 Mar07)

 ブログトップに、続ける事への決断宣言?みたいな一項目をつけくわえた。
これは自分自身への課題の意味もある。(June2007)
〜〜〜〜〜〜

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Four years have passed since the weblog was started.
I have written the diary every day and updated it daily with the photographs.
How I could followed well until now for a long time.

Though the diary came to be written with PC in 1987 at the time of beginning to use Macintosh,
many diaries and essaies have been lost by the hard disk crash on the way.

I have thought that the diary might be put on the world in the other side
after the weblog was begun even though the personal record, and continued to write down every day.
Now, the world of WEB2.0. changed rapidly and go in the IT Age.

Many people came to visit my blog now.
And it has come to go out to the retrieval of Google variously.
In one sense, it became a frightening world.
Hereafter, I will take care about "It is seen" only a little.
And I am writing the record of old memories and travels all over the world etc.
in addition to the variety of my life and of every day.
Until starting on a journey to that world of the west paradise where the evening sun sinks.

with my sincere best regards and thanks,

Pretty-Bacchus, Keiko
15 July 2007 on my birthday in Tokyo, Japan
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Under the date of top-line of the blog of every day, there is English Here(英語に翻訳)
The page changes if this is clicked, and a small book appears in Japanese on the page BizLingo.
The English translation of the article appears in about 10 seconds after it pages moving.

This is a free service of the company of this weblog Excite, which is the automatic translation
by the machine. I roughly think that it can understand here though there is sometimes
a considerably strange translation, too. (機械翻訳のため、時にはおかしな翻訳がある)
~~~~~~~~~~~~~
Looking forward to hearing from you on the Comments on the last line of each day.

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 ブログのコメントのやりとりが増えたし、いろいろ学ぶ事が沢山ある。
ブログからうまれる友が何人かできた。
新しい時代の交友なのだろう、、、、 (01 March 08)
by pretty-bacchus | 2009-03-20 09:09 | about myblogブログ考、その他 | Comments(0)

米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙
2009年1月16日 金曜日

English Here

 零下7度のニューヨーク。
ラガーディア空港から飛びだったエアーバスが、三分後にハドソン川の水辺に降りた。 
水温一度の河の上で、尾翼にまで逃れて救援を待つ人々はどんな気持ちだっただろうか。

 「米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事」
http://cityroom.blogs.nytimes.com/2009/01/15/plane-crashes-into-hudson-river/?hp
(New York Times)


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 全員無事に救出されたニュースを繰り返し見ている。
何度見ても感涙が止まらない、、、
よかった〜〜155人の全ての人がほんの数人の軽傷で助かったのだ。


 ラガーディアは、国際線中心のJFKに対して国内線中心の空港。
(私はその昔、ケネディー空港が霧で着陸が出来ないときに、
あの空港に一度だけおりたことがある)
全員生きた心地がしなかったに違いないが、救出された後は、
この瞬間の事故に冷静に対処して最後まで機内を見回った機長に感謝をして称えていた。

Captain Sullenberger サレンバーガー機長機長、58才、
飛行歴四十数年で元空軍の経験もあるこの機長の沈着な決断と操縦が、
週末の世界中に明るい話題をくださった。
手を合わせて感謝!!

「ダブル・バードストライクだ」と管制に報告し、管制塔は寄りのニュージャージー州の
小規模空港に着陸を指示したが、その後音信不通、その三分後には、
ハドソン川に不時着したのだ。
「着水するので衝撃へ用意をしてください!」と機内放送した直後の不時着は、
機首を少し上に向けての安定したものであり、それも河の流れにちゃんと沿っていたという。
すごい!
川には多くの船舶が航行していたし、大きな橋も何本もかかっているのに、
その間をぬって着水を敢行する最終判断に至ったその瞬間の気持ちはどんなだったのだろうか。
そして、着水後の沈着な指示と、最後まで何度も、すべての乗客が無事脱出したか機内を
見回って確認していたという。

惨事を防いだその冷静な判断と操縦には、彼の人生の経験と仕事に対する責任と情熱全てが
全開したに違いない。
そして、この奇跡には神のご加護ももちろんあったであろう。

「女性と子供が先だ」と乗客の一人が叫び、皆を落ち着かせたと言うし、
着水後すぐに、市消防当局や沿岸警備隊の来る前にも、
民間の現場付近を航行するフェリーも観光船も救助にかけつけたという。
 
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「ハドソン川のヒーロー」"miracle on the Hudson"と賞賛されたサレンバーガー氏は、
陸、海、空の事故を扱う米運輸安全委員会の事故調査に加わったこともあり、
現在も航空会社操縦士協会で安全担当の委員長を務めているのだという。

たった一人の力ではないけれども、一人のこの人がいなかったら惨事は大きくなっていたにちがいない。

ありがとう、機長さん!
(アナウンスの声も落ち着いていたという)

(なんとよいおかおをしてらっしゃる!)



 空港に引き返そうと無理に旋回していたら失速して墜落した可能性が高いというから、
もしマンハッタンの街のど真ん中に落ちていたら、と想像しただけでも身震いする。
ブッシュ大統領の最後は、いやオバマ氏の最初は真っ暗になっていただろう。
エアバスは、ヨーロッパの科学の粋を集めてつくられたハイテク航空機だが、
鳥や自然の災害には無防備なのだ。
そのおそろしさを、空を飛ぶ不思議と恐ろしさをまざまざとみせつけられたニュースだった。

 四十数年の間に、私は乗客として、何百回の飛行機に乗っている。
いくつもの危ない飛行機事故にも遭遇している。
明らかにバードストライクとみられる事故に遭遇したことがある。
まだ、東京パリ間に直行便もモスクワ経由のない時代のこと。
ジャンボが就航したばかりだったかな?
アンカレッジを飛び立ったすぐあとに、右エンジンから発火、
まもなく近くの空軍基地に緊急着陸したことがあった。

その後も、アラブゲリラが爆弾をしかけた機に乗っての不発に終わったローマ便、
テルアビブでの事故機の経験、
嵐の香港でたった一機到着成功の時は死ぬかと思ったのは1982年ごろ、
この時のパイロットだったのも元空軍の機長だったとのことだった。

カナダのヴァンクーバー空港で、胴体着陸で72時間缶詰で出たり入ったり、、、。
などなど、、、
http://keico.exblog.jp/6042978
007.08.23 木曜日 事故の思い出

http://keico.exblog.jp/7072885
2008年5月3日、旅の記憶に

 回数を乗ればそれだけ事故に遭遇する確率は多くなるのだろうが、
こうして生を長らえられていることに、なんらかの意味があるのだろうことを
考えなければならない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 飛行機の旅は怖さばかりではない。感動もたくさんある。

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 (美しい! 窓枠のアートにわくわく、感動!)

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 窓をあける、エンジンの遥か彼方に飛行機雲をしたがえた銀色の機が飛んている。
窓の下には真っ白な雪原が正面からの光をうけて輝いている。
標高10330メートル、向かい風150メートル、速度807キロ、外気温度−55度。

(三年前の東京ミラノ便)


by pretty-bacchus | 2009-01-16 23:55 | ♪JourneyAbroad海外旅の思い | Trackback | Comments(10)