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宇田川悟さんの<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>
2015年12月3日 木曜日 雨のち曇りa0031363_21252852.gif

  雨が上がった。よかった。
なんだか疲れていてよろよろしているが、土手の道の落ち葉を楽しみながら駅へ。
ラッシュアワー前のJRで飯田橋着。
クリスマスツリーがきらきらと輝いていた。

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 午後5時からPORTA神楽坂の第1会議室で行われた宇田川悟さんの講演会を聴いた。
<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>
宇田川さんはもう二十年ほど前からのお知り合い。
二十年住んだパリからご帰国なさってからは神楽坂にお住みになり、お宅にもうかがったことがある。

「書斎の達人」「フレンチの達人たち」「最後の晩餐」「死ぬまえに食べておきたいものは?」など
多くの本を書いてらっしゃる。

http://satoruudagawa.blog.fc2.com
宇田川さんのブログ

 奥様葉子さんはとっても素敵な方で、ペンネーム吉村葉子で、
二十年間のパリ生活から得られた豊富な知識で、日仏の文化のちがいなどを書かれた多くの著作がある。
「」パリでみつけた」「お金をかけずに人生を楽しむ方法」「お金をかけずに食を楽しむフランス人」
「お金をかけても満足できない日本人」
ホームページのダイアリーはとても楽しい。
http://www.yokoyoshimura.com/diary/diary.html
葉子さんのホームページ
フランスの今回のサンドニでの事件も簡潔に説明なさっている。

http://keico.exblog.jp/6892809/
2008年3月12日 曇り
日仏150周年記念、日本のフランス料理150年

http://keico.exblog.jp/6901620/
2008年3月15日 土曜日 晴れ
春の一日は暮れて(2000年のダイアモンドエッフェル塔)

http://keico.exblog.jp/7720415/
2008年12月6日(土)晴れ 
スケジュール一杯の充実した週末の一日でした

 宇田川さんの講演会には何度かうかがったことがあるが今日は地元神楽坂のお話しでお客様は三十人ほど。
一時間半の予定が、主催者の意向で最後の三十分は懇親会ということで、宇田川さんはコンパクトな
内容一杯のお話しをしてくださったので、少し記録しておきたい。
(わたしが加えたいことも途中に入れて、、、)

<「食文化からみたまちづくり」パリと神楽坂を比べながら>
食文化から街づくり

フランスで日本人がきらわれるレストランでの三つは
1/皿のぐるぐるまわし
  数人で食事をして、皆で皿を回して食べる。
シェフは皿の上に一つのアートを描いている。
<<ぶぜつであるとシェフは感じる。
1/写真をパシャパシャ撮る
1/ワインのラベルをはがすのを頼む

また、食中毒については日本ほど過剰な騒ぎはしない。
個人の体調の差もあると考えるようだ。
美しい物は毒がある!
 
 仏の美意識は
明晰、簡潔、エレガンス
食は近世フランス王国ブルボン王朝の十七世紀〜十九世紀に、時の権力(ルイ王朝)と一体化して確率され、
美食文化の伝統化がなされた。

ガストロノミー=美食文化(方法論)
文化として認知されて>ジョワ・ドゥ・ヴィーヴルとなった。
文化としての料理の確率は十九世紀から百五十年かかって今はフランスの政治外交にも影響を及ぼしている。

階級社会のパラレル(横社会で自分達が守られている)

三つ星が町場におりてビストロとなり、カフェともなり、豊かな日常生活を切り取り彩り、
カフェ文化として発展した。
カフェの奥には隠微が世界が時にはあり、その<俗>の対局として<聖>の教会がある。

 しかしこの十年ほど前からフランスではカフェが少なくなってきて、半分の人はカフェに
入らなくなったのだという。

(オーヴェルニュからきた人たちのことは今回は話さなかったが、私のブログで言及したことがあった)

http://keico.exblog.jp/19949581/
2014年6月26日 木曜日 曇り
1997年の今月今日6月26日の私の巴里=パリのカフェの歴史
★ 銀塩時代の写真の<オペレーションデジタル化

1994年の巴里。
銀塩時代のコンタックスStとContax G1 with viogon24での写真をスキャンしてあったので。
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1994.oct. Paris Deux Magots, Contax ST (サン=ジェルマン=デ=プレのカフェ・レ・ドゥー・マゴ )


 神楽坂にはミシュランの☆が多い。
(このあとの彼のミシュラン論はいつもながら見事。あとでゆっくり書いておこう)

神楽坂は粋と伝統の多様な文化が生きている街。
泉鏡花、永井荷風、夏目漱石らも住んだことがあり、谷崎潤一郎の<陰影礼賛>が生きている花街。
薄明かりの中の美。
大通りと中の街並みのコントラスト。
今東京にある七つの花街とは一線を画しているという。
(芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草、向島 とあとひとるはどこだろう?)

 パリの街は、円環状に発展した街。
セーヌ川を中心とした街で右岸と左岸にわかれ
パリ市の中心は、セーヌ川に二つある中州状の島、シテ島とサンルイ島で、ここがパリ発祥の地。
シテ島にはノートルダム寺院があり、パリが教会を中心に発展した街。
西にエッフェル塔、南にモンパルナスタワーがひときわ高くそびえる。ほぼ平坦なパリ市だが、
右岸にモンマルトルの丘が小高く盛り上がり、頂上にはサクレクール寺院が建っている。

http://keico.exblog.jp/20821302/
銀塩で撮った2000年のサクレクール寺院
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>2000年12月巴里サクレクール聖堂の女神に祈りを込めて
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 十九世紀半頃までのヨーロッパの都市では、通りに張り出した屋根からの排水が道の中央の排水溝に
流れ落ちるようになっていた。住民は日々出る生ゴミや汚物を通りに投げ捨てるため、
道の窪みや溝にはそれらがたまり、河川には汚物などが流れ込み、汚染されていた。
それらのパリの大改造をしたのが、ナポレオン三世の構想に沿って大規模な都市改造を企てた
セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンだった。
その後1879年にはエッフェル塔が建ち、1973年にはモンパルナスタワーが建った。
(エッフェル塔を毛嫌いしたモーパッサンは、その塔がみえないエッフェル塔の二階のレストランで
いつも食事をしていたという有名な話も)

 パリの街は人間のために作られていて、その通りは5,500あるという。
その全ての通りには必ず歩道があり、美術館と公園があり、
それはヒューマニズムの具現化であり、人々の街である。

 レストランはそのほとんどが一階の路面店で(ツールダルジャンという例外もあるが)、
その多くは路地、横丁、裏通りにあり、ミシュランの星付きレストランもひっそりした場所にある。
食文化は社交で有り、神は美に宿る。
招かれる夕食会は異業種の人が多く、席次も意味があり、全ての話題にいかに入っていかれるかが
その人の器とみられてしまう。
ディナーは、食事を通してその文化性、人間性をも語ってしまい、それからの人間関係の発生する。

もっともっといろいろお話しなさりたいでしょうに、もっともっと巴里><神楽坂の比較文化論を
お聞きしたかったのに、時間はすぎてしまいました。
ありがとうございました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://keico.exblog.jp/13216621/
2011年8月5日 金曜日 晴
シャンゼリゼ大通りの麦畑とパリの思い出

ミシュラン三つ星の中でもその頂点にたつ<ランブロワジー>は、プラス ドゥ ヴォージュにある。
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(2005年10月  Place de Vosge  夕闇のプラス ドゥ ヴォージュ)

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 (その広場の9番地にあるL'Ambroisie パリの三つ星のトップレストランのランブロワジーのエントランス
パリの街の多くの広場はとても暗い、、、、)

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(一歩入って、、、、)

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 (最初のサル、この手前角の丸テーブルがわたしの指定席!)

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 (実はこれは、、、、、???)

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 (そしてその晩の真夜中に友人の家からのノートルダム全景。

 〜〜〜〜
 講演を聞きながら私は自分のフランスでの諸々を思い出していた。
エールフランスのパリ駐在員として四年弱をすごした1970年代初め、そしてメリディアンチェーンの
日本代表として六十カ国を廻った1980年代の六年間。そして
<ラ・プリュ・フォル・ジャポネーズ! セ・ケイコ!>(もっともバカな日本の女性、それはケイコ!)
と多くの人に可愛がられての二十世紀後半の四半世紀だった。
食のシェフ達、ワインの造り手、そして一般人も貴族社会や美術界や政財界のフランス人とも交友を重ねて
とても恵まれていたのだと、今更ながらのように感謝の気持ちで一杯になった。

ワインと食にどっぷりとつかって、<ベルバカント>というワイン&食&文化のすごい倶楽部の
ただ一人の日本女性に選ばれた頃だった。ボルドーにもブルゴーニュにも年に何度も通っていた。
♥ブルゴーニュのシュヴァリエ・ドゥ・タートヴァン(利酒騎士団)の称号を授与されたり(1992年)、
ボルドーでCommanderie du Bontemps de Medoc et des Graves de Bordeuax コマンダリー・デュ・
ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの称号を授与されたのもこの時代だった。

http://keico.exblog.jp/20835025/
2015年1月31日 土曜日 晴れ  
1998年6月コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式 
★OldPhoto銀塩写真のデータ化

http://keico.exblog.jp/20798889/
2015年1月23日 金曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1998年4月のボルドー,サンテミリオン

(09 June 1998 Bordeaux , Chateau Lynch-bages,
コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式)

http://keico.exblog.jp/14182547/
2011年12月16日 金曜日
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris 1990~2000ー三つのシュヴァリエ

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2015年1月31日 土曜日 晴れ  
1998年6月コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式 
★OldPhoto銀塩写真のデータ化

http://keico.exblog.jp/21820973/
2015年11月6日 金曜日 晴れ
シャトー・クリネのヴァーティカルテイスティング&ディナーで昔を思い出して

http://keico.exblog.jp/19888552
2014年6月10日 火曜日 曇り その二
1995年10月のボルドーのシャトーでの思い出写真

 〜〜〜〜〜
 お誘いしたKさんと一緒に赤坂へ。
知らないお店で食事をすると、まずワインが高くて美味しくないことが多いので、勝手がきくお店で
ゆっくりとヴィッラヴィーニャマッジオのグランセレクションを
いただき、おつまみとゴルゴンゾーラのペンネをいただきながら、フランスの今昔などを話しながら、
夜はふけていきました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

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(二十一世紀を前にエッフェル塔にはカウントダウンの光が入った)

ミレニアム2000年のカウントダウンの
1990年代最期の、夜のパリの大好きな一枚は、
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(好きな写真の一枚。1999年12月、西暦2000年まであと22日とエッフェル塔に灯がともる。
メリーゴーランドが回って人々を夢に誘っていた、、、。
(この時代のコンタックスツアイスレンズで、夜に手持ちで一瞬のこの写真を撮るのは至難の業だった)

 エッフェル塔にダイアモンドイリュミネーションが輝きだしたのは、
ミレミアム2000年を過ぎてからだった。
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そして、一枚前のショットは前日の2000.12.17 の真夜中のパリの光り輝くエッフェル塔の一枚でした。
  2000年の12月からダイアモンド照明がされ、二十一世紀へのカウントダウンがはじまった。
(夕闇のトロカデロからシャイヨー宮、アンバリッドなどがのぞまれる)
(最初のデジカメ200万画素でも、こうしてなつかし記憶と思い出になる。
一瞬の写真が長い間の記録になり、のこされていく、、、、、やっぱり写真は素晴らしい!

 写真って楽しい〜〜〜そしてデジカメ時代の写真って凄い!
写真の記録は記憶を甦らせ、時に希望の光を放つのだ!
 
a0031363_814599.jpg  (毎時5分〜10分だけダイヤモンドイリュミネーションのエッフェル塔の年齢は? )
(21 Dec,2008 Paris)

http://keico.exblog.jp/8948153/
2009年9月10日のブログ

http://keico.exblog.jp/9435668/
2009年12月14日 月曜日 曇り後晴れ
エッフェル塔は御年120才

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(December 2014 Paris)



by pretty-bacchus | 2015-12-03 23:59 | ☆Books本の虫,講演,講習会など | Trackback | Comments(2)

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1998年4月のボルドー,サンテミリオン
2015年1月23日 金曜日 晴れ
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<銀塩時代のポジ&ネガのデジタル化、続き>

 1990年代は我が人生で一番旅をしただろう。
80年代後半に、古巣のエールフランスを退職し、大きな手術を乗り越えたあとの1980年代後半から
2001年までの十数年は、今振り返ってみても信じられないような旅が続いた。
1970年代初めの四年弱のパリの駐在員、1980年代からの六年間のホテルメリディアンチェーンの
日本代表などを務めたフランスの会社の社員としての制限やたががはずれて、
自由に自分自身の思いで旅を味わえるようになったからかもしれない。
それはアート関係やワイン関係、政財界もふくめて、日仏伊の大きな渦に巻き込まれたかのように、
地球儀がくるくる回っていった。
それは<旅>そのものであり、四十代から五十代半ばまでの十数年の<人生の旅>でもあったのだ。
信じられないような人間関係が生まれていき、おそらくそれまでの日本人女性では
あまり出来なかったようなめくるめく体験であったろう。

しかし<好事魔多し>とはよく言ったもので、九十年代初めには大きな事件に巻き込まれ、
さらに九十年代最後には<青天の霹靂>で、全てを失うことになったのだ、、、。
 
 だが、築かれた人の輪はこわれることはなく、 良き時代の思いでの記憶は脳裏とこの胸に
しっかりと残り、その時代の記録は写真としてしっかりと残っていたのだ。


 この時期と重なるように写真の世界も広がっていったようだ。
若い頃のニコンやペンタックス、オリンパスなどの後に私の元にやってきたのは、
コンタックス&カールツアイスの世界だった。
結果、RTSにつづくST/RX/AX with プラナー、ディスタゴンやヴァリオゾナーであり
G1/G2 with ホロゴン、ビオゴンの世界だった。
自分の写真はあまりないが、時にあると、いつも重そうなカメラを首から下げている。
途中でレンズを交換する時間などないから、画角の違うレンズをつけた三台のカメラを首からさげて、
ホロゴンは腰につけていた。

そしてそれは、日経ムックのイタリア版の取材を助け、1990年代半ばからのエールフランス機内誌
<BON VOYAGE>取材へと続き、フランスの全てのデパルトマン(県)を撮って回り記事を
書くことに繋がっていった。>>>それは、やがて日仏会館での2005年からの
「ドルドーニュ・ペリゴールへのいざない 〜魅力あふれるフランスの地方を めぐるno.1、
からの写真展へと繋がっていったのだ。
http://keico.exblog.jp/i20/
カテゴリの下の方に、

またエールフランス&メリディアン時代に一緒に新しい旅を創るお手伝いをさせていただいた
柳澤保雄氏ひきいる<朝日サンツアーズ>の広報誌にも十数回にわたり、
ワイン&アートの記事を書くことにもなっていった。
(その柳澤さんの昨年鬼籍に入られてしまった) <<<<<(moreにいろいろ追加)

http://keico.exblog.jp/i12/1/
2014年3月3日 月曜日 曇り後晴れ
昔の写真でフランス取材を想い出して、、、
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(左の方はブルゴーニュ政府観光局の代表の方で、彼の自宅の地下のカーブでの写真、私の右は菊池さん、
その右の女性はエールフランスのパリ本社の広報部長のアンドレミエルさんで、
取材では彼女がいろいろアレンジしてくれていた)(ぶら下げているカメラはCONTAX AXかな?)

 人生も晩年を迎えた2011年の大きな手術の前に、なんだか少し心配になり、
少しだけでも記録に残しておきたいと思い、少しずつ書きためたのは、今では右サイドバーのカテゴリ:
<★Records過去の記事書いた雑誌>のなかで三十ほどになっているが、まだまだ沢山ある。ありすぎる!

http://keico.exblog.jp/i12/3/

 去年CD化した数百本の中からの<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>はぼちぼち進んでいるが、
まだまだブログにアップ出来ない写真が一杯。おそらく一生かかっても終わらないだろう。

それにこの時間のかかる<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>の仕事は、
結局自己満足にしかすぎないのだと思いながら、こうして真夜中にデータ化して書いているのは、
なんともはがゆくもあるのだ。

神様の思し召しと、多くの方々の多くの友人達のおかげで、私は人生という旅を苦しみながらも愉しみ、
そして写真ライフを楽しむことができている。
いつも感謝の気持ちを捧げながら、こうしてMacに向かって写真の整理をしているのだ。

 とさて、今夜は1998年4月のボルドーのサンテミリオンの数こま。
ボルドーは記録をみると1990年代は毎年行っていたし、年に数回ということもあった。
そのいくつかはすでにブログに記録したが、この1998年4月ははじめてのような気がする。

サン=テミリオン地域は、ボルドー近郊の町サン=テミリオンを中心とする地域のユネスコ世界遺産
としての登録されていて、それはワインとワイン畑だけではなく、
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の途上の街であり、教会などの歴史的建造物もあまたある。

(カテゴリをみると、1998年だけでも、この年は、JourneyAbroad海外'98仏伊、Journey海外Sep'98仏ロワール、Journey海外Sep98仏シャンパーと旅をしているのだ)
>>>追記へ:

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(30 April 1998 Saint-Emilion, ボルドーサンテミリオンにて)

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(ガロンヌ川河口にかかるこの橋は、エッフェル塔のアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルによって造られた。

http://keico.exblog.jp/tags/☆回想のわが巴里の街1990~2000/

<朝日サンツアーズ><旅なかま>の最終回は2000年12月号だった。
<<<スキャンして記録に。
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・朝日新聞事業株式会社の月刊広報誌「旅なかま」に連載。
タイトル「プレジール・ドゥ・ヴィーブル・楽しいワインの旅」
・81号 (1)ワインは愉しとマナー
・83号 (2)ブルゴーニュ
・85号 (3)ブルゴーニュ
・87号 (4)アルザス
・89号 (5)アルザス
・91号 (6)シャンパーニュ
・93号 (7)シャンパーニュ
・95号 (8)シャンパーニュ
・99号 (9)
・101号 (10)ボルドー
・103号 (11)ボルドー
・105号 (12)ボルドー
・107号 (13)ボルドー


追記:
 そして、この1998年の六月にはボルドー市長代行の助役さんと
コマンダリー主催で、ボルドーのミシェールカーズ氏のシャトー・ランシュ・バージュで行われた受賞式で、
Commanderie du Bontemps de Medoc et des Graves de Bordeuax 
コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの称号を
授与されている。
その時の写真は右サイドバーにアップしているガウンを着た一枚しかなかったのだが、
去年の★OldPhoto銀塩写真のデータ化の整理のなかに、カメラを渡してどなたかかに
撮っていただいたネガが一枚でてきたのだ。
明日にでもデータお越しをしておこう。

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(09 June 1998 Bordeaux , Chateau Lynch-bages,
コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式)

http://keico.exblog.jp/14182547/
2011年12月16日 金曜日
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris 1990~2000ー三つのシュヴァリエ

 九十年代前半1992年には、その当時でぇあ女性では日本では数少ないブルゴーニュのワインの騎士の
<シュヴァリエ・ドゥ・タストヴァン>を受賞して、クロ・ドゥ・ブジョウの十一月の祭典
<トゥロワ・グルリューズ>という三日間の催しに参加していたのだ。

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

http://keico.exblog.jp/13671659/
2011年9月23日 金曜日 晴
1995年のボルドー シャトー・ムートン・ロッチルドの秋色
 
このあと十月には、シャトー・ムートン・ロッチルドとシャトー・ラツールでのレセプションにお招きされた。

http://keico.exblog.jp/19888552/
2014年6月10日 火曜日 曇り その二
1995年10月のボルドーのシャトーでの思い出写真

http://keico.exblog.jp/19976322/
1999年9月の写真
マルセリーヌガンスのジュネーヴのレセプションにて




More>>柳澤さんのことを書いたブログ
by pretty-bacchus | 2015-01-23 23:58 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(4)

人生の素敵な先輩とご一緒させていただきました
2015年1月20日 火曜日 晴れ

 八十五歳になられるIさんはほんとうにダンディー。
四谷生まれでお仕事の本社も四谷にあったそうで、同じく四谷生まれの連れ合いとはよく話があって、
二人ともとても愉しそう〜〜〜! 

 東京の下町ってかんじなのだそうで、五十年も前のそろばん塾、廃校になってしまった中学校、
今はなき魚やさんとかお寿司屋さん、瀬戸物屋のことなど、まあいつまでもお話しは続いて、、、、。

 ドイツに住むお嬢様は音楽家、そして私は時にはオペラにご一緒させていただく、、、。
三度の重篤なご病気も克服されて、今はとてもお元気。
食は少し細くなったようだが、まあ良くお飲みになりますね〜〜〜。

 もっともっと長生きなさって欲しいと一緒に乾杯!
今夜からまだ寒波がくるようです、、、、。

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(今夜はごちそうになってしまいました)


(次のパリへの旅はご一緒しましょうか〜〜?)

#IMAGE|a0031363_3515625.jpg|201501/22/63/|mid|984|738#](2000年初めのAérogare 2)

(パリの空港はオルリー空港から新しいパリ=シャルル・ド・ゴール空港 
Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulleに移ったのは1974年であった。
CDG1からCDG2へは今も拡大中。
設計は1974年の開港当初より、建築家のポール・アンドリュー (Paul Andreu)


by pretty-bacchus | 2015-01-20 23:58 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(4)

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年の巴里十五区の初夏
2015年1月18日 日曜日 晴れ

 ふっと、<ブログはもうやめてしまおうか、、、て思う症候群>に、またまた陥っていたかもしれない。
どうやらこれは私だけでなく、ながいあいだブログを続けている方が陥る現代病らしのだが、、、。

 そんなおりにメールをいただいた。
“ご機嫌如何?更新ありませんので、心配しています。
ありがたいことだ。

 さて今夜は1996年6月のパリ。ブローニーでのマロニエの頃の巴里。
アパルトマンのあった十五区のコンヴァンション通りのあたりとセーヌ川。
前回のパリで近くを通ってみた。
二十年前の古き懐かしきはパリの街は健在だった。
そのパリが今はテロの恐怖でいっぱいなのだ。 


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(オピタルブリコ前のお花屋さん、この病院は今では養老院になっているという)
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a0031363_695221.jpg(白のマロニエが咲いている)

a0031363_6104214.jpg(ここにもマロニエが、、、、)

a0031363_6121619.jpg(どこの教会だったのだろうか、、、、)

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a0031363_62099.jpg(ジャクリーヌと待ち合わせて、、、、)

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(セーヌ川を上から眺めたら、あら、、、、ら、これが巴里でしょう!)

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 そして、、、、


by pretty-bacchus | 2015-01-18 23:59 | ♣Journey海外Jun'96仏和蘭 | Trackback | Comments(8)

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年の巴里サクレクール
2015年1月16日 金曜日 晴れ

http://keico.exblog.jp/20736205/
2015年1月15日 木曜日 雨
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年のブローニー

 昨日の続きを少しだけ、、、、。
GA645で撮った1996年6月24日のパリの午後を少しだけ、、、。
 サクレクールへ至る途中にあるラパンアジ-ルと、サクレクールの裏の方にあるカフェと、
写真をみるとこのときもジェラールがいってくれたのだ。

http://keico.exblog.jp/16609931/
2012年10月14日 日曜日 雨
雨の日曜日に<美容院>の思い出

 一人の時の巴里での夜の撮影のときは、ジェラールがいつも運転役をしてくれた。
本職はインテリア会社のオーナー、副職はタクシードライバー、そしてケイコの写真撮りの助手?と
ボディーガードを務めてくれた。
そんな時には車の屋根の上の<TAXI>のマークにカヴァーをかけてしまってくれたのだ。
パリにはユニークな人がたくさんいる。そして色んな人に助けられて今の私がある。

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オ・ラパン・アジルvAu Lapin Agile 古くからのシャンソニエで、
無名時代のピカソやユトリロ、マティスなどが通っていて、貧乏芸術家たち御用達の安酒場だ。
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(December 2000, Basilique du Sacré-Cœur Paris)

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(角のカフェのお隣にはアリメンテーション、食料品やさんがあります)

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(パンやさんの入り口で、ワンチャンは中に入ろうとしているのに、
どうしてこの叔父さんは外行く人をみているのかしら?)

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(サクレクールの丘の上からはパリが一望できる)


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2011年8月3日 水曜日 雨
簡易スキャンで夜の巴里モンマルトルと凱旋門を




by pretty-bacchus | 2015-01-16 23:59 | ♣JourneyAbroad海外96仏伊 | Trackback | Comments(8)

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年のブローニー
2015年1月15日 木曜日 雨
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 雨で出かけるのを止めた。
結局少しMacに向かった。<<★OldPhoto銀塩写真のデータ化

GA645で撮った1996年6月24日のパリの午後を少しだけ、、、。
(三脚を持ち歩かないので、常に手持ちなのですが、夜はどうしたのでしょうね、、、)

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 (夜のコンコルド広場の噴水、、、、)
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2012年1月14日 土曜日 晴

コンコルド広場の噴水 & サン・ジェルマン・ロクセロワ教会



by pretty-bacchus | 2015-01-15 23:59 | ♪JourneyAbroad海外旅の思い | Trackback | Comments(2)

四半世紀前の仕事ライフと十五年前の巴里を
2014年10月31日 金曜日

 神無月最後の日となってしまった。
先週にSTさんからメールをいただいて、ワインとお酒の輸出入についてアドヴァイスをして欲しいとの
ことだったが、ようやく出かけることができた。
細かい事務的なことや税務関係のことは私はまったく弱いので、
ながいこと貿易経験のある連れ合いと一緒に出かけた。

 青山一丁目の古い?新青山ビルの向こう側に十年ほど前に建った高層ビルの十二階。
ガードマン二人が立つ玄関のタッチパネルで、訪ねる部屋番号を押して中から確認されて広いロビーに入る。
ここまでは六本木ヒルズやお台場の友人友人の高層マンションと一緒。
ロビー右端にある受付嬢の脇を通ってエレヴェーターに乗った。あれ〜〜十二階が無い?
一度外に出て奥の方のもう一基に乗った12あり。押したがビクともしない。
え〜〜?
外に出てSTさんに電話をしたら、なんと受付嬢の脇にあるタッチパネルをもう一度押さないと
エレヴェーターが作動しないのだという。
このセキュリティ対策が売りでこの高層マンションが外国企業のVIPが多いのだという。

 これから貿易の仕事をしたいというT氏は三十七歳。
自己紹介のあと、彼の今までのお仕事と今後どんなことをしたいかをうかがった。
ご苦労をなさったあと、最近の十年ほどはお知り合いの会社で大きな実績をあげて、
子会社もつくり責任を果たせたので独立をしたいという。

なかなかの青年なのだが、なにかどこか違う、、、これがジェネレーションギャップというのだろうか? 
いやそれだけではない、、、。
フランスへいってまず美味しいワインを飲みたい、そして日本酒をフランスへ輸出したいということは
わかったが、、、。
STさんのお許しを得て、思ったことを話し始めたが、私はなんということか、
次々に立て板に水の如しでお説教じみたことを話し続けてしまったのだ。
“まず貴方は謙虚でない、、、”から始めて、、、、、、
最後は“今のままではまずフランスに行ってもすぐには無理ですね” とピシャリ!
嗚呼〜〜なんとしたことか、、、!息子がいたらこんなふうにいつもお説教をしていたのかもしれないなと。
でもきっとこの青年がどこか見どころがあると思ったのかもしれないのだが、、、わかってもらえないだろう、、、。

 一時間半ほどでお時間がないらしく先に帰られたので、STさんと三人でしばらく歓談。
STさんは五十代後半で、今の若い三十代の方々の思考と行動の善し悪しをいろいろ話してくださった。
彼等には彼等のルールがあるが、人間としての最低のルールは守って欲しいと思っているということだった。
わたし達が歳をとったのかもしれないが、なんだかどっと疲れてしまっておいとました。

 ポツリポツリと雨が降り始めて、隣の新青山ビルの東館に入った。
エールフランス&メリディアン時代に十五階のオフィスで十数年仕事をした思い出が甦った。
“真夜中によく迎えに来ましたね、、、”と連れ合い。
最後の六年間のホテルメリディアンチェーンの時代には何十カ国も回り、日本にいるときは、
真夜中までレポートを書き(まだPCで打てる時代ではなくタイプライターとテレックスの時代だった)。
ビルの警備のオジサンがいつもいつも心配をして一時間毎に見回りをしてくれたものだった。

 なつかしさのあまり一階の広場までいったが、植田いつ子さんのお店もケイフローリストも
どこもかも別のお店になっていた。
地下におりたら、昔よく行ったお蕎麦屋さんの<くろ麦>があったので入ってみた。
メニューは以前通りで、板わさとさつま揚げにお酒は剣菱のぬる燗、おそばは名物の三色蕎麦。
おもわず昔の事、、、といってももう四半世紀もたっていたのだが、、、をいろいろ思い出して
話し込んでしまった。

 戦後の日本で教育を受け、昭和の高度成長期に社会に出て、それぞれの道でそれなりの仕事で精進し、
バブルの波に乗ったわたし達は、平成の初めからの日本沈没にどっぷりと巻き込まれて
大きな人生を終えたような気がする。
そのほんの一部をぼちぼちとブログに書き始めているが、辛かった経験だけでは悲しいし、
自慢話になってしまってもいけないし、あくまでも謙虚に人間的にと思っているのだが、
年上の方とかお人によっては、そうは思わないのかもしれない、、、わたし達がさきほどの青年を
そう思ったように、、、。
そんな時はぐさりとお小言を下さる方はいらっしゃるだろうか、、、。

 雨の上がった青山通りを高齢者二人はとぼとぼと歩くのでした、、、。
カメラを持っていたのに一枚もシャッターを押さなかった十月最後の一日だったのでした。

 〜〜〜〜〜
(ブログ内で少し思い出を、、、、、)

 最初の旅はアブダビメリディアンのオープニングの準備の仕事。
一応、黒のパンツスーツと黒のアタッシュと仕事モードでいったのに、空港に迎えもあったのに、
税関で小一時間もまたされることになったのだった。
すでにあったヒルトンホテルやインターコン、シェラトンなどを視察したり、
当時中東で日本料理屋さんで成功していた方々にもお話しを聞いて、私は数日の間に、
マーケッティングをすませた。
帰りの機のなかで数十枚のレポートを書いて、帰国後すぐにパリの本社に送付。
その結果というか、幸か不幸か次のプロジェクトの為に、また私はクウェイトやアラブ首長国連邦、
シャルジャなどにも行くことになったのだ、、、、、、、、。

アブダビメリディアンのオープニングでは、商社や現地の会社の方をお迎えしての
レセプションもいくつかこなした。
当時の中山大使、JALの支店長の有賀さん、商社の知人などなど素敵な男性方に助けられて、
役目をこなすことができたのかもしれない。
翌日の現地の新聞にも大きく写真入りで報道された。

THE GULF NEWS 、1982年3月13日 土曜日のアブダビの新聞。
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 (王族、現地政財界、日本大使館商社関係等の何百人もの出席のこのレセプションでは、
わたしはなんと英語と日本語で長い挨拶をしたのだった。今考えると怖ろしいことだ!)


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(時は1980年代初め、普通でもあまり日本人がいかなかった中近東の仕事に、うら若き!細い
チャーミングな日本女性が、たった一人で空港におりたったのだから、それはそれは話題になった)

(天までも驚いたのか、翌日は砂漠に何十年ぶりの大雨が降った。外気は50度!
(右は外務省からの中山大使と左は日本航空の有賀支店長。私はこのレセプションの為に、
紺地に濃い渋朱色の切り替えの中に更紗模様を描いた着物をデザインして創った。
それにしてもなんと細かったか〜〜〜目をつぶってしまっていて残念、、、)
(この着物は後に巴里に住む友人のお嬢様にさし上げてた)


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2010年5月26日 水曜日 曇り後雨
中東への出張☆回想のわが巴里の街 1980~1990

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜詳しくは、これをクリックしてみてください。
http://keico.exblog.jp/5485974
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu 2007.04.26

http://keico.exblog.jp/5626037
2007.05.22火曜日想い飛ぶ  リラの花咲く 巴里のころMemoires du Voyage-Paris

http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/14105309
2011年12月4日 日曜日
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

http://keico.exblog.jp/14105427
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり

http://keico.exblog.jp/14150458
2011年12月10日 土曜日 凱旋門
☆回想のわが巴里の街1965~1973 凱旋門に励まされての日々

http://keico.exblog.jp/14175732
2011年12月13日 火曜日
☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜メリディアンチェーン

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2011年12月20日 火曜日 雨 
☆回想のわが巴里の街 ~ 我が人生を振り返って
 
~~~~~~~
★OldPhoto銀塩写真のデータ化
☆回想のわが巴里の街1990~2000

まだ未公開の、私の前世紀最後の巴里。2000年4月14日のパリ、リュクサンブール庭園の数コマを
(14 April 2000, Paris, Jardin du Luxembourg)
(ラ・ヴィレット公園、テュイルリー庭園、ビュット・ショーモン公園などと並ぶ最大級の公園で、
パリっ子の憩いの場の一つ)

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(散歩する日と、思う人、考える人、そして昼寝をする人、、、)

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(ジョルジュサンドの像の前で遊ぶ鳩くん)


 リュクサンブール公園にはフランスで最も古い養蜂学校があるんですって。
パリのアパルトマンを引き上げて数ヶ月後の春のパリ。この頃は、最晩年に余裕があって
健康に問題がなかったら、もう一度パリに住みたいと思っていたのだ。

http://keico.exblog.jp/9220441/
2009年11月8日 日曜日 晴れ
パリの蜂蜜、ボルドーの蜂蜜、「ばんけい峠のワイナリー蜂蜜計画」

http://keico.exblog.jp/5626037/
2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

http://keico.exblog.jp/14149612/
2011年12月9日 金曜日
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー世界遺産

http://keico.exblog.jp/19956599/2014年6月30日 月曜日
1996年パリと1999年12月の前世紀のアパルトマン




by pretty-bacchus | 2014-10-31 23:59 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(2)

ホロゴンさんの羊飼いと私の羊飼いのおじさんと犬
2014年9月22日 月曜日 曇り

 <わが友ホロゴン・わが夢タンバール> http://ultrawide.exblog.jp のホロゴンさんが
新しいブログを二つオープンさせた。
先月でむずかしいお仕事を定年退職されて、たっぷりとお時間がおできになったのだろう。
一つは故郷であり現在もお住まいの奈良を中心に、彼のさすがの<さらば大和路>
http://mahorobara.exblog.jp

もう一つは、<遙かなる我がシャングリラ> http://kaibaran.exblog.jp/22622226/
<1989年8月パキスタン・カラコルムハイウェイの旅 5 牧人たちの午後>で羊飼いの一枚があった。
遙かに遠く私には絶対に足を踏み入れられないだろうパキスタン・カラコルムの牧神たちを
見事に活写してらっしゃる。羨ましき限りだ。

 そういえば、私も前世紀最後の頃に、フランス、ラングドックルシオンの大高原でa0031363_21252852.gif
車をほんの少しだけ止めて撮った羊飼いの写真があったのを思い出した。

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http://keico.exblog.jp/12578864/
2011年5月14日 土曜日 晴れのち曇り、夜に小雨
☆77号1997冬号<ラングドックルーシオンが今熱い!>
編集長:Takashi Kikuchi、写真はSapay-Trionph & Keiko Katagiri)
1997/98Hiver 冬号で、この号は中の見開きも含めてほとんどが私が撮った写真だったのだ。

http://keico.exblog.jp/i27/
記録いろいろ
2011年5月14日 土曜日 晴れのち曇り、夜に小雨

 もう一枚は、この台地から十数分走った処での羊たち。
そういえば来年は未年。これで年賀状をつくってみよう、、、。

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 (見開きと同じ、カルスト台地の荒野に放たれた羊の群れにぎらぎらと太陽が照りつけていた、、、。
なんとこの写真も車の中からとったたった一枚なのだ)

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(PC内に残っていたデータを今回現像してみたら、、、、)

(この時のカメラは、コンタックスRST?RX/AXにツアイスのレンズいろいろ, G1にホロゴン等だった)

 エールフランス機内誌も突然に今世紀初めに方針が変わってしまった。
その後、2000年の秋に、東京書籍から「フランスの発見の旅・西編」として出版された。
(フランス発見の旅 西編 菊池丘/文 青山進/写真 片桐敬子/写真)
その帯の後ろには、当時の駐日フランス大使モーリス・グールド・モンターニュ氏 Maurice GOURDAULT MONNTAGNE がフランス語と日本語で賛辞を送ってくださっている。
       <私はこの創意ある企画を慶ぶとともに、
  駐日フランス大使館がこの出版事業を後援することに心から同意いたします。
      この事業が最大の成功を収めることを希望いたします>
      駐日フランス大使 モーリス・グールド・モンターニュ


http://keico.exblog.jp/12458494/
2011年4月16日 土曜日 その四 根尾の桜から京都へ 
根尾の淡墨桜から京都へ、「春宵一刻値千金」

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http://keico.exblog.jp/6344255/
2007.10.22 月曜日 晴れ 朝顔は四つ五つ
カメラ遍歴とフォーサーズへの道




http://keico.exblog.jp/2253859/
2005.09.19
2001年のコンタックスクラブのDO94


 その後何年もたって、2005年から恵比寿の東京都写真美術館近くの日仏会館で、
新年の写真展をしていただき、
2006年1月には第2弾として<ラングドック・ルシオンへの誘い(いざない)
<La 2ème partie: Invitation à la région Languedoc-Roussillon,Le tour des provinces françaises
pleines des charmes >で、この写真も大きくプリントしていただいただき展示された。

81号1998冬号ルーシヨン(後述)と一緒になて、九年後の2006年の日仏会館での写真展
<魅力あふれるフランスの地方を巡る その二〜ラングドック・ルーシヨンへの誘い(いざない)〜〜
として実を結んだのだ。>

写真展の案内状は、イラストレーターで苦労して作成して、年賀状と一緒に送った。
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日 時:2006年1月10日(火)~1月27日(金)
会 場:日仏会館エントランスホール 
 東京都渋谷区恵比寿3-9-25 
主 催:(財)日仏会館・日仏協会
企 画:(有)みしょう社 
構成&AD:ブラン・エ・ルージュS.A. 
写真 & 文:片桐敬子 Keiko Katagiri

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左壁
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(展示は機内誌の専任カメラマンのプロの青山進さんが手伝ってくださった)

右壁
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 この写真の次にはフランスの地図を大きくプリントした。
フランスの地方行政区画「地域圏」=Regionレジオンは22の地域首都圏がある(フランスの海外県・
海外領土を除いて)。
この地方行政区画の下には県があり現在100の県がある。
機内誌本誌とワイン紀行として、このうち20の「地域圏」をルポルタージュしたのだった。

(クリックすると大きくなって読めると思います)
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http://keico.exblog.jp/9078326/
2009年10月8日 木曜日 風雨強し、後晴天
台風の日に、フランス最南端のオード県のバージュ・シージャン潟の思い出

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  (もう二度とは起きない嬉しい珍事であろう。プロではない私なのに、、、、
次の号のエールフランスの機内誌「BON VOYAGE」のルーシオンの表紙は私の写真であり、
表紙も含め中のほとんどの写真が、ワタシの撮った写真が使われたのだ。
ピレネーオリエンタルのカタローニュ地方の旅編であった。
(ワインの四頁の記事もワタシの取材&記事である)


 こうして過去の記録と記憶に遊ぶだけで、この地へですら、わたしはもう二度と
行かれることはないのだろう、、、と思うと、とても寂しい秋の一日。
  〜〜〜〜〜〜
 このラングドックルシオンの号も含めて、このブログのカテゴリの
<☆Records過去の記事書いた雑誌>のすべてを、先だってお目にかかったナナハンこと福田徳郎さんは
読んでくださってらした。
JPEGでアップしてある記事をお読みになるのはとても大変なことだろうに、、、
ありがたく申し訳ないことだ。

http://keico.exblog.jp/20212100/
2014年9月18日 木曜日 晴れ
写真界の達人、人生の大先輩と杯を重ねて感謝の宵

 ブログ継続をどうしようかと悩んでいるこのときに、NK先生も、
<Pretty-Bacchus さんのお書きになることのすべては、われら同時代人の歴史の正統です。読み続けます。
アップし続けて下さい。>とコメントくださり、、、もう少しブログを書き続けることに勇気をいただいた。

 このウェブ時代の二十一世紀に、この写真を撮った前世紀にはありえなかったブログを通しての
心の友が生まれようとは、人生っておもしろくすてきだ。
この後、世の中はどんな変化がおこるのだろうか。
おそろしくありどこか愉しみでもある。


 追記*ナナハンさん、やはり645でした!!


by pretty-bacchus | 2014-09-22 23:58 | ◉PhotoExpo展東京'06ラングド | Trackback | Comments(11)

<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって
2014年7月14日 月曜日 晴れ

 ドイツの劇的な勝利のニュースの頃に、明け始めた借景の木でミンミン〜〜〜と初蝉が鳴いた。
ほんとうの夏がくると日の出時間の少し前に鳴きはじめる蝉も、初めの頃はこうして暑さを感じる朝に
鳴くことがよくある。
そういえば、それはいつも巴里祭のころだったから、今年は梅雨明けが遅れているのだろう。

 今日は七月十四日、<キャトルズ ジュイエ>は日本でいう巴里祭。フランスで一番盛り上がる大きな
祝祭日。ほんとうは、フランス共和国の成立を祝う日 (Fête nationale) 。
1789年のフランス革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃の一周年を記念して、
翌年1790年におこなわれた建国記念日 が起源だそうだが、
日本では、『巴里祭』という映画を輸入し配給した東和商事社長の川喜多長政・川喜多かしこご夫妻が
『巴里祭』という邦題を考えられたと言われている。

 1,2,3 <アンドゥトゥロワ>の次に覚えたフランス語は<キャトルズ ジュイエ>だったかもしれない。
(スワサント ディセット(77は60+10+7) や、95はキャトルヴァン キャーンズ (4x20+15)など、
しちめんどくさい数字の言い方はずっと後になってからしかすらすらと言えなかった、、、)

 シャンゼリゼ大通りには黒塗りの車に先導された戦車や大砲車が列をなしてのパレードで
現役の大統領が聴衆に挨拶をしながら、勝利の象徴のL'Arc de Triomphe 凱旋門からコンコルド広場へ向かう。
広場での式典にはフランスの閣僚や時には各国の代表が出席する。

空にはフランス空軍が三色旗の煙をだしながら凱旋門の上をかすめて飛び去る。歓声が沸く、、、。
夜はTour Effel (エッフェル塔) の目の前に広がるParc du Champ-de-Mars (シャン・ドゥ・マルス公園) で
花火があげられる。

一昨年のブログから
http://keico.exblog.jp/13086064/
2011年7月14日 木曜日 晴
暑く疲れた一日でした。パリ祭に

フランス2のニュースで、パリの革命記念日のシャンゼリゼ通りの軍事更新をキャプチャーしたもの、
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(数年前の友人の写真から、、、)
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  空軍のジェットは列をなして飛び始め、やがてアクロバットごときに飛び動く
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(ノートルダム寺院の真上を飛ぶヘリコプター)

 巴里のその時刻、日本時間では七月十五日午前二時(パリ時間十四日午後六時)に
私はこの世に生を受けた。その日は暑い日だったという。
フランスに西洋に憧れていた父の願いがかなって、娘はパリでの祭りの歓喜の頃に
此の世にあらわれたのだろう、と小さい頃から親も私も勝手に思っていた。
(その父は一度もパリにはいかずに、何度招いてもうんといわずに、その代わりに、
母が何度もパリを楽しむことになった、、、)

 大学の卒業式の翌日からエールフランス国営航空に入社した私は、翌年にはアコガレのパリを訪れて、
友人達の羨望と嫉妬さえかったものだ、、、。
その頃(四十数年前)のパリは、萩原朔太郎の時代とははるかに違うが、やはり、まだまだ遠かったのだ。

 その四年後には、パリへの日本人駐在員とし赴任して四年間のパリの生活をすることになった。
羽田空港で万歳で家族と友人達に送られて、私は当時はめずらしかった女性駐在員として旅だったのだ。

 仕事は厳しく大変だった。
ジャンボ飛行機就航で、旅行者が大量に増え始めるその時期だった。
日本から到着したVIPのお世話をするのが主な仕事だった、、、、。
その頃は、セリーグの巨人が優勝すると、パリにご招待された頃だったから、高校の大先輩の
長島さんと再会したのもあの頃だった、、、。

岸恵子さんとか、松本弘子さんはもう活躍なさっていた。
東和映画の川喜多長政、かしこご夫妻が、日本とパリを往復なさって、かしこさんはいつもお着物で、
あこがれと羨望の気持ちで、チェックインや荷物のお手伝いなどをしたりして、、、
かしこさんとお嬢様の和子さんは、数々の名作を日本に紹介していらして、
よく父と話をしていたので、お目にかかれるのがとても嬉しかった、、、。

 サンモトヤマの茂登山長市郎さんや、吹田貿易の吹田安雄さん達が、ヨーロッパの美しいものを
日本に紹介するために、自ら年に何度もパリにいらしてらした、、、
グッチもルイヴィトンもマイセンも日本にはまだ紹介されていなかった頃である。

 お客様の荷物がミッシングになると、大きな荷物置き場をかけまわり、フランス人に驚かれた。
でもそうすると必ず出てきたのだから、、、。
三船敏郎さんのスペインから東京への乗り継ぎ便に遅れそうになったときは、地上と機長にお願いして
出発を少し遅らせていただいた、、、、日本で重要なお仕事があったのだと聞いたので、、、。
帰国後自筆でご丁寧なお手紙をいただいて、そのお人柄に接してとっても嬉しかったり、、、。
思い出はつきない、、、、な。

 外交官、芸術家、商社の方々、映画関係、そしてお忍びの政治家達、、、と、おそらく日本にいたら
あまりお目にかかれなかった方々と、お話が出来たのも、パリに駐在していたからだろう、、、と思う。
(そうそうアランドロンともビーズをしました!<<<年がわかろうというものですね)

 英語科だったから、フランス語は第二語学で不十分、その後の日本経済台頭のまだまだ前だったから、
“日の出ずる国、からやってきた小さな女性駐在員は、それはそれは大変だったのです。
最初の数ヶ月は、テレビもない冷たいホテルの部屋で、一人涙に暮れたことが何度あったことか、、、。

 後半の二年は、あの56メートルの凱旋門を見つめながら、ジョルジュサンクのメトロを降りて、
泣きながらシャンゼリゼ大通りのエールフランのオフィスに出勤、トイレで泪をふいてから
仕事場についた毎日が続きましたね、、、。
今でいうパワハラ的なことが多くあったのです。
でも、やがて私は、、、、それを乗り越えて、パリに住む幸せをかみしめながら、一歩一歩大人?!に
なっていったのです。

 芸術の都巴里の逸品たち、自然豊かなフランス全土の食とワイン、風物、、、
私たちは毎週末にフランス中を、いや欧州中を旅しながら、フランス駐在を楽しみ始めた。
フランス人たちの粋とエスプリ、マナー、冷たそうな裏の優しさ、人間愛、なども
この時代に自然とわかっていったに違いありません、、、。

二十代から三十代に養われたヨーロッパ文化は、その後の人生に大きな豊かな感性を与えてくれた。
(それは日本文化の基礎があってのことなのだが、、<<<両親に感謝!)
その後、フランス人庶民のおもしろさや、ハイクラスや貴族の方々とのサンパナ交流も、
この時代の自分があるから、フラン人のその両方の素敵さや、いやらしさも納得できたのでしょう、、、。

あの苦しい経験と、乗り越えた自分自身の自信と強い思いがなかったら、その後の私は、
また別の路を歩んでいたにちがいない。
そしてこれでもかこれでもかと襲ってくる人生の苦境や晴天の霹靂、まさかの坂に負けそうになりながらも、
それらをなんとか乗り越えて、生きることを楽しむことは出来ていなかっただろう、、、。

 パリに住んで仕事をしたことも、偶然の神の采配というのなら、神様ありがとうございます。
(でもドラマティックなアップ&ダウンの人生も、そろそろゆっくりしたくなりました。
神様、どうぞ晩年はもう少しゆっくりさせてくださいませね、、、、お願いします、、)

 今年もまた、バースデーイヴは、iTunesでラジオの142ストリームある中のinternationalの番組の内の、
Chanteurs.org(64ビートレット)のFrench songs since 1890 of the dead artists、artists perdu
で、パリ祭の夜のパリの生音楽を聴きながら、一人でこれを書いている。
いつもは、この中のJazzセッションで、ニューオーリンズのジャズハウスからのライブとか、
BBCのオペラとかクラシックがBGMになっているのに、今日のこの日は、やはり、フランス語のアクサンと、
昔のシャンソンが妙に良くにあう、、、
あ〜〜あの曲が始まった、、、ロンタンロンタン〜〜〜〜

 こんな一握りの幸せも、Oさん達に言わせると、“贅沢な、、、"ということになるかもしれない、、、。
でも彼らは、きっと、私が山にこもって清水を求めて歩き回り、自給自足の生き方をしても、
“贅沢な、、、" そう言うに違いない、、、。

 あ〜!ダミアの曲が始まった〜〜〜〜
パリのフォーブールでは、ダン・ラ・リュー街では、、、、、、いい曲だ、イイ声だ!
そう、、、、パリの街では、パリの人口だけの人々の生き方があり、笑い声も泪もあるのだ、、、。
東京だって、日本だって同じ、、、。

ソンブルディマンシュ(暗い日曜日)<ダミアの歌< は時にはいいけれど、明るい日は必ずくる、、
それぞれが、それぞれの人生の“生きる歓び“を味わいたい、、、この世に生を受けたのだから、、、。
この二十世紀から二十一世紀への歴史的瞬間に生きていて、それを愉しめることに感謝!
(そしてスティーブジョブズさん、ありがとう!)

バースデーイヴに、、、キャトルズ・ジュイェの曲が流れて、、、、。

 あの<巴里>での生活とその後のフランス通いがなかったら、今頃私はどんなふうに別の生涯を
送っていたのだろうか、、、とふと思う事が多くなった。
それだけ歳をとったということなのだろう。

 かたや京都では、祇園祭の酔いよい宵宵宵山。
今年は巴里にも京都にもいかれずに、東京の片隅でぐったりとして十六夜をながめながら横たわっていた、、、
嗚呼!

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2013年7月14日 日曜日 曇り 雷雨
木槿の隣に最後の山梔子の花が

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2012年5月15日 火曜日 雨
肴あり友ありて飲み緑雨

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2011年12月11日 日曜日 その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ
☆回想のわが巴里の街 ーシャンゼリゼ

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 このシャンゼリゼ121番地は1970年代はじめに、二年間毎日通っていた事務所があった。
まだそのころはリドがあり、クラリッジホテルがあり、そしてパンナメリカン航空のパリ事務所があった。
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(2006.12.00 冬でもこんなの空が青いこともある! 

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  (2008.12.19 遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)

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(June 1998 Parisコンコルド広場)

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(1999.12.09 雨のコンコルド広場、ミレニアムまであと22日の夜に)= ★OldPhoto銀塩写真のデータ化の内

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2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

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2011年8月5日 金曜日 晴
シャンゼリゼ大通りの麦畑とパリの思い出

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2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

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2008年7月14日 火曜日 暑い一日だった。
"Le Quatorze Juillet"=マイ・バースデーイヴに、、、




by pretty-bacchus | 2014-07-14 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(10)

1996年6月20日のパリ、セーヌ河をいくJAPAN丸には富岡八幡宮の御神輿が鎮座まし!
2014年5月31日 土曜日 晴れ その一a0031363_21252852.gif

銀塩時代のポジ&ネガのデジタル化、続き

 1996年6月20日のパリの夕景
セーヌ河をいくJAPON丸には富岡八幡宮の御神輿が鎮座まし

 サンルイ島へ渡る橋の上からノートルダム寺院の向こうに沈みゆく夕陽をながめていた。
なんだかお囃子が聞こえてきたような、、、、
やがて夕陽の向こうから日本人が沢山乗った小さな船が近づいてきた。船壁にはJAPONの文字。

富岡八幡宮の提灯やのぼりがたって、御神輿が鎮座ましていた。
半纏にはちまき姿の人や、神主さんまで手を挙げて、、、、、。
思わず私も手をふってしまった。

富岡八幡と言えば江戸三大祭の一つ深川八幡祭りは有名。
お神輿に水をかけながら練り歩き、辰巳芸者もあでやかに!

 帰国してプリントして富岡八幡宮さんに送った覚えがあるのですが、
こうして原盤が出てきてデジタル化して、ウェブに記録できてなんだかとっても嬉しいで〜〜す!
日本文化バンザイ〜〜〜! 
おいら江戸っ子!

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by pretty-bacchus | 2014-05-31 23:58 | ♣Journey海外Jun'96仏和蘭 | Trackback | Comments(3)