2001年のヴェニスの写真(銀塩にて)
2011年3月29日 火曜日 晴 その一
>>>2001年の旅のカテゴリーに再録。

 日の出 05時33分  : 日の入 18時00分
日の出は早くなり、日の入りが早や六時をすぎて、どんどん遅くなる、、、、
日中の時間がどんどん長くなる。
あと何日かすれば<百花咲き競う>清明 なのだが、地震津波の震災後の回復もまだまだで、
原発は不安と不信を増すばかり。
自然災害は人災にも及んで政府不信もひどくなる日々。
  
 生かされた命に感謝して、まず自分も元気に日常生活に戻ろうと気が焦るが、まだまだのようで、、、、
いやいや少し甘えているのかもしれないと叱咤激励するものの、
だらだらと一日を過ごしてしまって反省の一日。

 <春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる>
清少納言の頃とはいかず、たなびく雲も山も見えずに、わずかに鳥の声が聞こえ始めると目覚めてしまう、、、
あの地震の後は東京の私でさえ、少し寝不足なのかもしれない、、、、。

 まず寝床で日経WEB版を読むようになったが、やはり最終ページの文化欄は紙版で読みたいと
切に思うようになった。
紙の手触りが好きということもあるが、長年読み慣れた文化欄のページの配列が
なんともいえないのかもしれない。
例えば一昨日は、左端から<私の履歴書>の27回目で安藤忠雄さんの<瀬戸内 美しい風景復活へ植樹>
その下は、ウィークデーは<交友録>という小さいコラムがあって時には知り合いが
書いたりしていておもしろい。

 一月からの日曜日週一コラムで、今回は、樺山紘一さんの(欧人異聞)で、<フランス救う聖なる猛女>
およそ千年の開きがある五世紀の聖ジュヌヴィエーヴと西暦1429年のオルレアンの聖女
ジャンヌ・ダルクの二人をおもしろく比較し語っておられる。
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 そして、中央の文化欄の中心は、阿刀田高さんの<新しい生き方を求めて >、
右上はいつも最新の美術情報や絵があり、二月は<描かれたギリシャ神話>でたいてい十回くらい続いた。

一番下の二段は小説で、今は、阿部龍太郎の<等伯>であの長谷川等伯の小説でなかなかおもしろい。
最終ページの文化欄はこういうわけでなかなか読みでがある。
そのうえ日曜日は、中のページの日曜版の瀬戸内寂聴さんの<奇縁まんだら>や、
俳壇、歌壇もなかなかだし、見開きページでの<美の美>も普通ではなかなか見られない
画像と記事があって参考になる。
SUNDAY NIKKEIの読書欄も多岐のジャンルに渡ってのいろいろを紹介している。

 数年前に、この文化欄担当の方にワインのことでアドヴァイスを求められて、
日本外国人記者クラブでお目にかかったことがあったが、この文化欄を担当なさっているのは
ほんの数人の方ということがわかって、ますます親しみやすくなったのかもしれないが、、、、。

 というわけで、<日本経済新聞>と名がつくが、一面の<春秋>と社説と、最後の面だけ見て、
あとはぱらぱら、、、、株価などは絶対見ないのだから、月4500円はお高いですね、、、、、
いえあるいは安いのか?。
ここ一年くらいは、不況で広告主が少なくなって広告料がさがったからか、
40ページの半分以上が一面広告という日が何日かあって少しうんざりだったが、
また少しずつ普通になってほっとしている。
 
 樺山紘一さんのことはいつもよく思い出す。
もう十六年前にもなるが、朝日新聞事業部主催の<ルーヴルを語る>の講演会で一緒させていただいた。
なんと、こともあろうに、美術史家の樺山紘一先生と千足先生と一緒に舞台にあがって、
ルーヴル美術館のトークショーに引っ張り出されたのだから、今考えるとぞっとするではないか!
何十年の間に、何十回も足を運んではいるが、自分の好みで観ているわかだから、
人様に語れる知識など深かろうはずはない、、、、。
急遽パリに飛び、一週間朝から晩までルーブルをみてまわっての、にわか勉強だったのだ。

 先日PC内部の掃除をしていたら、その時書いたメモがいろいろ出てきた。
当時はマックにブックはなかったので、たしかダイナブックを持っていっていたと思う。
マックでは漢字トークでは読めなかった書類が、二転三転で、
なんと今のインテルマックでは読めることがわかって、整理の途中、、、。
このトークショーの記録もあとで、ブログ上に少し記録をのこしておきましょう、、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ 企画書&案内書:
 朝日サンツアーズ 創立25周年記念行事
* ルーヴルを語りパリを歌う * 
  トークショー”ルーヴル美術館の楽しみ方”
       平成7年2月15日 午後二時半

*出演者
樺山紘一(東京大学教授)
千足伸行(成城大学教授)
片桐敬子(元エールフランス・パリ駐在員)
柳澤保雄(朝日サンツアーズ社長)
〜〜〜〜〜〜〜
両先生がそれぞれ十点ずつルーブル美術館の作品を選んで、スライドをみながらそれを語り合う、、、と、
そんな企画だった。

>>>>続く

〜〜〜〜〜〜〜
 tadさんのブログのヴェネチアの写真がとても素敵で、http://tad64.exblog.jp/
今夜は、画像の整理を少しして、銀塩時代の写真を数枚アップ。
2001年のヴェニスは、すでに何枚かアップ済みで、1995年のは初公開かもしれない。
京都のヨシエさんも一緒の旅だった。

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 (ホテルの部屋から朝があける頃に、、、、)

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(嘆きの橋の橋の彫刻と運河。
ドゥカーレ宮殿とパラッツォ・デッレ・プリジョーニ (牢宮) をつなげている。

ドゥカーレ宮殿での裁判で有罪になった者は、この橋を通って牢宮に連れられていき、
立つことが出来ないほどの高さで水も入るこの右側の牢獄に繋がれる。
「嘆きの橋」は、彼らの悲しい嘆きから来たといわれている。


(この時はたしか、コンタックスのSTと、もう一台だったと思う)


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 (朝一番の光が、ドゥカーレ宮 の間だから、サン・マルコ広場に差し込み始めるころには
人々が歩き始める、、、、
2004年の年賀状につかったのかも、、、)


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http://keico.exblog.jp/9362569
2001の写真は
ヴェニスで「冠水」のニュースに、8年前のヴェネチアを思い出して、、、
2009年12月3日 木曜日 雨

http://keico.exblog.jp/5960816
週末に写真の整理 2007.08.05 日曜日 晴れ 
# by pretty-bacchus | 2001-12-13 08:58 | ♧Journey海外2001仏イタリア | Trackback | Comments(0)

日記から
2001年 12月 1日 土曜日 満月
新宮様誕生。おめでとうございます。

2001年 12月 2日 日曜日
# by pretty-bacchus | 2001-12-01 22:55 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

日記から
20011124
退院の日に

眠れないままに、六時の起床時間を迎える。富士山が綺麗。昨夜は1時間おきの看護婦のチェックに加え、
外では一晩中救急車が走り去っていた。やはり今日も少し微熱がある。心は重い。先生が9時半にいらして、
何かいつもより違う感じあるという。昨日より調子変わったような気がする。光がどこからか入り、
黒いボーフラのようなものが出て眼の中に浮いている。昨日までは画が同じ大きさで同じように見えたのに、
今日は左目で見ると???がある。診察の時に先生に聞くも、生理現象ということもあるとのこと。
結局何かおかしいということは本人自身にしかわからないということか。
いずれにしてもこれ以上よくなることがないということは、このままで今後のあと20数年の人生を
いかにするかを考えなければいけないだろう。

11時滋が迎えに来て−。ホテルでするように荷物を簡単にまとめる。
やはり性懲りもなくヨドバシカメラによってMacのメモリーを526メガを追加する操作を30分でしてもらう。
病院から電話をして眼帯をかけていたせいかみんなが親切。私自身が身体障害者になってしまってるんだろうか。
自分の家はやはり落ち着く。夕方は1週間たべれなかったお刺身をとって野菜いっぱいの食事を済ませた。
数日眠れなかったせいか読書する時間もなくねつく。

~~~~

11月25日日曜日

今日もとっても良いお天気。8時に目が覚めるがまた床につく。滋が時々うつぶせになっているかどうか見に来てくれたよう。
ありがとう。なにしろここ一週間は昼も夜もうつぶせの生活。高圧ガスが入っているのだからしょうがないのだ。
心なしか昨日より良いような気がする。眠るれてうつぶせのせいか目の中のガスは小さくなったよう。

あああ、それにしても皮肉なものだ。
今度入院の時は10数枚のCDを持っていった。おそらく読むことは無理だろうと考え読む物は
志村先生の新作のたまゆらの道だけ。
最初の数日はモーツァルトのコンチェルト21段、23番のピアノの演奏を楽しんだ。
いつの日にかこの曲を大祐さんの演奏で聞いて見たいみたいものである。

最後の2日は前回の入院で大祐さんがくださった一枚。
静かな雰囲気の曲が10曲入っている。ラフマニノフのセンティメンタルな曲。2番目のグリークの遅すぎた春、
3番目、4番目とVCの夢、5番目マーラーは前奏曲第3番、7番目ショパンのピアノ協奏曲第2番、
八番目モーツァルトピアノ協奏曲第21番ハ長調、9番目はバッハのカンタータ第156番シンフォニーは。
それにしても何と皮肉なこと、、、と言うより、今の私の為に出来たCDのようだ。全曲がセンチメンタルでグリーク、
ラフナニノフの曲につずいて哀しい旋律の遅すぎた春。果たして私の春ももうすぎさってしまったのだ?
後は晩秋を迎えようとしているのだ。若いころを思い出された。小学校の時の卒業アルバムの文字は夢そして愛。
中学の時はそれに感謝が加わった。そしてそんなふうにして五十数年年を生きてきた。

悔いはない人生を送っていると思いつつも、もう少し五体満足ていたかった。
あああなんと最後のバッハのカンタータは副題が、
片足を墓につっこみ我は立つ。
私はっさしずめ片目を墓につっこみ我は生きるだ。バッハの全作品の中でも特に人気があるものという。
曲の選定にまた私の不思議さを思う。
# by pretty-bacchus | 2001-11-24 21:19 | from old diary日記から移行 | Trackback | Comments(0)

日記から
2001.11.23

東京医大1567にて

11月23日金曜日晴れとても暑い日がある今年の予定は松戸の本土寺で開かれている母の茶会にカメラをもって行くはずだった。
それが突然の入院と手術そして今日は一応明日退院控えている。
滋が6時に来てくれて7時40分に先生の説明があった。
今回の手術は一応成功して出血は抑えられているもよう。しかしまた後10日間予断を許さないといいことだ。

人が年を重ねるということは不思議なものだ。それは体が知っていた。
自分自身で1945年生まれだと思っているからまだ還暦だなんて考えたことはない。30代の終わり40代の終わりにもいろいろあった。
しかし考えてみると50代の終わりを迎えてこれからの人生をどうするか本当に真剣に考えてみなければならないことになった。

視力は少しは回復するかもしれない。しかしだんだんその視力は衰えていくという。そんなことがあるんだろうか。信じられない。
その昔20歳のころ、自分は決して衰えない年をとらないと思っていたことがあった。そしていつも私はその時その時の医学に救われて命をまっとうすると思っていた。
しかし一つ一つ体の機能しないながら命をながらえて何になるだろうか。
眼が見えない80はやはり考えたくない。

さあ私はどうすればいいだろう。明日からしばらく家にいることになる。
会社のことも大切だけれどこれからの自分自身のことを考えてみなければならない。
新宿副都心の夜の街のネオンを見ながら音声で入力のヴィアヴォイスという
新しいソフトでこの分を音声入力している。
# by pretty-bacchus | 2001-11-23 23:16 | from old diary日記から移行 | Comments(0)

日記から目の手術の記録をブログに移行
2001年11月17日土曜日 ハ晴れ

 朝起きて何時ものようにコンピューターもフタ開けて驚いた。
なんとスクリーンの右がカチカチと波打ってみるではないか。どうしたんだ。右の目で見ると何でもない。
左目で見てみるとなんか柱までで曲がって見える。うわーどうしたんだ。頭を振ってみる。
頭は何ともないらしい。
足がもつれることもない。疲れているのだもう少し寝よう。

 しかし結果は変わらなかった。
とりあえず大学病院にベルをした。土曜日の午後だったため予約がとれず困ったなぁ。
このまま1日静かに過ごした。
大事をとってしげさんに買い物に出てもらう。ボージョレヌーボーで、
炊き込みご飯と野菜。少しだけ、
気にして午前零時過ぎに就寝。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月18日 日曜日 晴れ秋晴れの 良い天気

 庭の紅葉も始まる。
鏡を見て驚いた。右目で見ると自分の顔は普通に見えるいやむしろ白っぽく見える。
ところが左目で見ると自分の顔がゆがみこげ茶色で2割ぐらい小さくなりまるでサルの顔を見ているようだ。
困ったなあどうしたんだろう。とりあえずゆっくりするしかない。
さすワインは控えて昨日残した瓶の底の1口だけにする。

〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月19日月曜日

 眠れないまま朝を迎える。
8時半に高山先生に電話をする。
万が一のときのことを考え30分ほど仕事のブリーフィングをする。
アジェンダを見る。ここに3週間特に特別な予定は入っていない。
気になっている事項はママの特別ワインのプライベートラベルのデザインが。
その他いろいろ総務と話して、9時半に会社を出る。

 考えてみたらもしイタリアからリブランディが来日していたら、今日はブリーフィング。
明日はあと外国人特派員クラブで50人を招いてのテイスティング。
その後ディズニーのホテルミラコスタでプレスディナー。そして明日からは彼らについて京都。
もしこれがキャンセルなっていなかったら、私は完全に命を失っていたかもしれない。
人生とは何が幸いするか分からないといつも思っていることだが、またここでひとつ現実となった。

 待つこと10分ほどで今日はすぐに中に通された。
例のごとく目の圧力の検査のあと機能検査視力検査。
左は全くダメ。瞳孔を開く薬を入れて廊下に出る。まもなくあたりがぼっととしてきた。
「KKさん」と聞こえる。人波を分けて1番の口から中に入る。
どこかで見かけた優しい人の輪郭が目に入る。
「あ高山先生だ〜〜〜。
岩崎先生の席につく。「土曜日の朝、、、」に、と話しかけるが、いつものようにこちらの話を無視して、
「ハイ顎を乗せて」という。
すぐに立ち上がり高山先生の方にいらっしゃる。
「いや網膜剥離じゃない。どちらがいいか分からないけど、眼底出血だ。
「まあ要するに加齢性だな」(<<<華麗ではないのだ、、)

 驚く私はただ呆然。
「60歳を過ぎた人の失明のほとんどがこれだ。でも貴方は50代でしょ。加齢性黄班変更症だ。」
まぁ話を要約すると網膜の裏にある胸膜の一番中心部の血管が破れたのだそうだ。
黄班血腫ということだ。
「う〜ん困った。先生また緊急入院ですか。」
5月の時のように、またたく間に血液検査、尿検査レントゲン写真、心電図といつものコースを歩く。

 入院手続きを済ませ荷物を取りに家へ帰る。全然現実感がない。
ちらかった洋服を片付け旅慣れた感じで入院の支度をする。
簡単なものだ。ふきんの中に湯飲みを1つ、スプーンを1本お箸を1組そして洗面用具。
人間最後はこれだけで死出のたびに立つのか。

 最初の入院は38歳の時の手術。そのとき思ったものだ。
私は病に倒れても、そのときの最新の医術と信頼できるドクターに救われて、寿命を全うできると、、、
でも今回はむずかいらしい。
最後の晩餐はやっぱりお寿司。ヒデさんといろいろと話をしながらボージョレヌーボーとお寿司を楽しむ。
さあ明日からどんなことなるやら。寝つけないまま朝を迎える。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月20日 火曜日 晴れ あつい

 午後1時病室入り。慣れて良いものではないが、旅先のホテルにチェックインするような感じ。
15階西奥から2番目の個室1,567号室。部屋のしつらえを済ませる。
ピンクのパジャマに着替え検温。35.0。
担当は山内先生、村瀬主治医。受け持ち看護婦は赤木さん。とても良い感じ。

16時 村瀬先生いらっしゃる。
16時10分二階の眼科外来におりる。これから受ける検査のためのパッチテストをする。
左腕に4種類の注射がが打たれる。
なんと村瀬先生は下手で下手でパッチテストのために2回もやり直しをする。痛いのに。

低い声で「これから造影剤のテストをします。ことによったら尿が黄色くなったり
皮膚が黄色くなったりすることがあります。例えば気持ちが悪くなったり湿疹が出たり
呼吸困難になったり心臓発作などが起こることがあります。」
「え!え!そんなばかな。死んでしまうこともあるんですか。
「いいやそういうことではありません。」

白い紙を取り出す。「これがね今説明した内容です。承諾書にサインをしてください。」
「造影剤をうつために承諾書を書くんですか。時代も変わりましたね。
今度は右腕にブルーの液が入った注射器でブス。
いた〜〜〜い! 「本番の時はこんなに痛くないです」。さて何秒かかったのか。李相木杭会???。
インドシアングリーンの液?ということである。隣の造影室に入る。16時35分造影剤注入開始。

予想していたように全然血管が出てこない。左の腕を探してぼっと注射器を受ける。失敗失敗。
別の人が試みる。駄目。今度は女性が来る。たたいたり紐を締めてみたり叩いてみたり。
「いやこれは私に向いてない。なんとか先生、、、。
小柄な感じの良い先生が入ってくる。左右の腕をたたいたり、いろいろ、、、。
「はい結んで、、日開いて、としたりして血管を探し出す。
なんて見事に上手に右腕のいつもと少し離れた所に入れることに成功。

何とそれまで20分の時間がかかっていた。17時に顔を乗せる。
赤い光と青白い光で眼の奥の写真を撮る。レントゲン医師の説明はなかなか面白いです。
これは結果が違うところを見るためなんですよ。
面白い。頭のどこかでゲーテの色彩論がよぎる。
20分ほどで撮影が終わり15階に戻る。
続いて17時40分から10分ほど目の検査。
昨日からずっと続いて検査はこれで一段落か。18時半に食事となる。お盆には4皿。
キャベツとシイタケのスープ。きゅうりとキャベツプチトマトの酢の物。鶏肉とグリーンピースのにもの。
ご飯はアサリとコンブが少し入ったカレー味。毎日このぐらい食べていればきっとやせるだろうなぁ。

 山内先生は実直そうな感じの先生。30代後半かしら。15階診察室に移り、説明を受けることになった。
黄班部から細かい血管がはえてきてそれが切れて出血という。欧米の失明の大半はこの病気だという。
それも高年齢の。今回は特別な手術で高圧ガスを入れることにより、その血管を抑え出すのだという。
それが失敗した場合の処置をいろいろうかがう。最悪の場合は網膜をぐるぐる回して
場所を変え焦点が合うようにするだという。
5月にした手術よりも何と30倍の大変ということで、さすがの私も恐ろしくなる。
目の裁断図を見ながら水晶体動向を、網膜、中膜と説明が続く。

 部屋に帰ると連れ合いが来てくれている。
8時40分開始。小さな部屋に通され、いすがベットに早変わり。「さ、麻酔をしますよ。」
左目の骨をさけたところに突然激痛。「いた〜〜〜〜い」。
5月の時は痛くなかったのに、つい言ってしまう。
途中から高山先生の声が聞こえてとてもリラックスした気持ちになる。ますい息て??。
うんうーんと言いながら様子を数える。1分40秒ぐらいだったろうか。1つの仕事が終わる。

さて次の仕事は???。そして次はほんの数秒後の最後でガスを入れたらしい。
「さあ今日から3日間うつぶせでねてください。昼間もうつぶせのママです。これがなかなかつらい。
今は規制制度話???だととるかぐらいはこういうことが必要のようだ。これで????
回復する気分は少しは残っているらしい。さすがに今日は疲れて、、、本を見る気力もない。
モーツァルトのピアノコンチェルト21と23番が部屋に流れてベッドに横になる。
一時間おきの看護婦のチェックと、救急車の音で朝の4時まで眠れzy、、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月23日 東京医大1567にて

 11月23日金曜日晴れとても暑い日がある今年の予定は松戸の本土寺で開かれている母の茶会に
カメラをもって行くはずだった。それが突然の入院と手術そして今日は一応明日退院控えている。
連れ合いが6時に来てくれて7時40分に先生の説明があった。

今回の手術は一応成功して出血は抑えられているもよう。しかしまた後10日間
予断を許さないといいことだ。
人が年を重ねるということは不思議なものだ。それは体が知っていた。
自分自身で194X年生まれだと思っているからまだ先の還暦だなんて考えたことはない。
30代の終わり40代の終わりにもいろいろあった。
しかし考えてみると50代の終わりを迎えてこれからの人生をどうするか本当に真剣に
考えてみなければならないことになった。

視力は少しは回復するかもしれない。しかしだんだんその視力は衰えていくという。
そんなことがあるんだろうか。
信じられない。その昔20歳のころ、自分は決して衰えない年をとらないと思っていたことがあった。
そしていつも私はその時その時の医学に救われて命をまっとうすると思っていた。
しかし一つ一つ体の機能しないながら命をながらえて何になるだろうか。
眼が見えない80はやはり考えたくない。
さあ私はどうすればいいだろう。明日からしばらく家にいることになる。
会社のことも大切だけれど、これからの自分自身のことを考えてみなければならない。

新宿副都心の夜の街のネオンを見ながら音声で入力のヴィアヴォイスという新しいソフトでこの分を音声入力している。
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2001年11月24日土曜日

 病院にいるよりとてもリラックスできる。しかし目の方ははたして、、、病人だけがわかることである。
前と同じように左目で見ると画像は黒く見えるそして小さい。そのうえ時々色を失っている。
白いカべをみると短い黒いぼーふらのようなものがのにょろにょろしている。
どうやらまた出血が始まっているもようです。なんとか気持ちを変えなければいけない。
新聞を読み新しい芸術新潮、写真の本などを読む。
今日の音楽はリラックスしたもの。私の写真が写真に使われているらCD。
もうこんな写真を撮ることもできなくなるだろうか悲しい気分である
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2001年11月28日水曜日
検診黒いボーふらが沢山眼の中に。


〜〜〜〜〜
2001年11月の目の手術の日記は、ここで終わっている。
このウェブログに移しておくことにした。



# by pretty-bacchus | 2001-11-17 23:11 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(0)

日記から

2001年11月1日木曜日 晴れ

2001年11月2日金曜日

2001年11月3日土曜日 曇り札幌初雪

2001年11月4日日曜日」曇り寒し後晴れ
一人で、新国立のナブッコへ。

2001年11月5日月曜日
ノヴェロ解禁。
2001年11月6日火曜日
2001年11月7日水曜日

2001年11月8日木曜日

2001年11月9日金曜日

2001年11月10日土曜日
赤倉の会長のお宅へ

2001年11月11日日曜日 晴れ
妙高の朝。晴れて良いお天気。
お昼に高橋先生たちが郡山からいらして、ヴェルジェにピュリニーとラフィットイ94を、越前カニと、会長も楽しそう。
# by pretty-bacchus | 2001-11-01 22:52 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)

日記から
2001年10月28日日曜日午前9時32分

お早うございます。
日曜にお邪魔します。
凄まじかった新ワインリストの一ヶ月が終わり、リブランシーがキャンセルになって、ほっと一息ついたのでしょうか?? 昨日から本格的な風邪のようです。のどが痛いし、熱っぽいし、、、
しかし、土曜日は友人の水谷八重子さんの朗読会で、泉鏡花の滝の白糸、『義血侠血』を聴いてきました。

彼女は数年前から朗読を始めていて、瀬戸内源氏に続き、新潮社からCDを出した、滝の白糸です。今回は芸術祭参加作品で、先代八重子さんとご縁があった芝の増上寺の本堂で行われました。天井が高い広い本堂に280の椅子が置かれ、仏様を後ろに、水芸の舞台が緋色の毛氈の机で表されて、後は照明と、お香の香りだけという舞台。彼女自身の芸に対する情熱で、朗読というより音楽のないオペラを鑑賞しているようでした。

読経をバックにご住職と共にご本尊にご拝顔の後、静かに中央に進み、ご住職からお数珠を渡されて最後までそれを携えながらの朗読。
章の変わり目に、左右前方に置かれた椅子に移り腰をおろす、、、何気なく、置かれていたお茶を口にする、、、。
手に持っている原稿の表紙は色違いの和紙で、数回色が微妙に変わり、、、それを、ハラリと落とす、、、。などなど、素晴らしい演出でした。

全般は、深い緑色の縦縞の着物に、上品なページュ色の有職の帯。後半は黒に僅かな深い赤の細いラインが入ったお召し物。どちらも志村ふくみさんのお作品を、サラリと着て、あとは白足袋。それが、半襟の白とともに、磨き抜かれた本堂の内陣の木の床に映り、そのまま奈落の底に引きずられるのではないかと、、、、思うようでした。舞台とは違う足の芸!(後で本人に話したところ、つるつる滑って危なっかしくて、、、突っ張ったりと言っていましたが、それが観衆には演技と見えたのです!!)

20分の休憩を挟んだ2時間という時間ですのに聴衆は静かに聞きほれていました。
いつもの新派の舞台は女性が多いですので、今日は年輩の男性が多かったのは、文化庁から芸術祭参加の審査員が沢山いらしていたからかもしれません。

泉鏡花の原作は昔読んでいますが、読書とも、お芝居とも違う、言語の美しさには、
圧倒されました。今の私たちが忘れてしまいそうな日本語の響きを耳にすることの悦びを感じました。
村越欣弥に送金を続ける為に思わず殺人を起こしてしまった白糸。三年ぶりの再会はなんと、学問を終えて検事となった彼の初法廷。検事と白糸のやりとりの場面では、八重子の体が前後に揺れて、その迫力に手に汗をしました。お芝居の後ろ姿の芸とは又違った名演技! 演舞場でしたら,「ミズタニ〜〜〜〜!」と、声がかかるかもしれませんが、本道は静まりかえっています。純粋さを貫くために死を選んだ男と女。
人間にとって最も大切なことは恥を知ること。人をだましての栄華は最も卑しむべき事という鏡花の思想と、人間の潔さという美学は、見事に朗読で表現されていました。

無理を押して出かけて良かった! 次回にはお誘いしましょうね!

今日は、暗い日曜日です。大祐さんのエグモントをBGMにこのメールを書いています。
明日からは又超急がしの一週間でしょう。
スケジュールがめちゃくちゃの私を助けて下さるお二人には感謝です。
ps。
下記は、セイワの翻訳顧問??の原滋さんの新国立劇場のこけら落としのアイーダに助演参加した際の、出演メモの個人HPです。ゼッフィレッリ演出の素晴らしい舞台のアイーダでした。ご覧になりましたか???
彼は、エールフランスのパリ主席駐在員、タヒチ空港長などを歴任しながら、最後まで管理職になるのを固持した珍しい人で(私の入社時の厳しい上役でしたの!)、定年退職後は、オペラ、音楽三昧の日々を送っている人です。うらやましい限りで、わたくしもはやくそうしたいと思っていますのに、ママなりません、、、。
今日はこれからS会長のお供です。
 そして最後の晩餐。高木町スカイパークで、
会長ご持参の、マグロ、甘エビ、取り立てキノコ、クレソン、ムルソーペリエールで乾杯・感無量なり。

2001年10月30日火」曜日 曇り

2001年10月31日金曜日
# by pretty-bacchus | 2001-10-30 23:28 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)

日記から移行

2001年10月27日土曜日
今週もすさまじい一週間だった。

2001年10月28日日曜日午前9時32分

お早うございます。
日曜にお邪魔します。
凄まじかった新ワインリストの一ヶ月が終わり、リブランシーがキャンセルになって、ほっと一息ついたのでしょうか?? 昨日から本格的な風邪のようです。のどが痛いし、熱っぽいし、、、
しかし、土曜日は友人の水谷八重子さんの朗読会で、泉鏡花の滝の白糸、『義血侠血』を聴いてきました。

彼女は数年前から朗読を始めていて、瀬戸内源氏に続き、新潮社からCDを出した、滝の白糸です。今回は芸術祭参加作品で、先代八重子さんとご縁があった芝の増上寺の本堂で行われました。天井が高い広い本堂に280の椅子が置かれ、仏様を後ろに、水芸の舞台が緋色の毛氈の机で表されて、後は照明と、お香の香りだけという舞台。彼女自身の芸に対する情熱で、朗読というより音楽のないオペラを鑑賞しているようでした。

読経をバックにご住職と共にご本尊にご拝顔の後、静かに中央に進み、ご住職からお数珠を渡されて最後までそれを携えながらの朗読。
章の変わり目に、左右前方に置かれた椅子に移り腰をおろす、、、何気なく、置かれていたお茶を口にする、、、。
手に持っている原稿の表紙は色違いの和紙で、数回色が微妙に変わり、、、それを、ハラリと落とす、、、。などなど、素晴らしい演出でした。

全般は、深い緑色の縦縞の着物に、上品なページュ色の有職の帯。後半は黒に僅かな深い赤の細いラインが入ったお召し物。どちらも志村ふくみさんのお作品を、サラリと着て、あとは白足袋。それが、半襟の白とともに、磨き抜かれた本堂の内陣の木の床に映り、そのまま奈落の底に引きずられるのではないかと、、、、思うようでした。舞台とは違う足の芸!(後で本人に話したところ、つるつる滑って危なっかしくて、、、突っ張ったりと言っていましたが、それが観衆には演技と見えたのです!!)

20分の休憩を挟んだ2時間という時間ですのに聴衆は静かに聞きほれていました。
いつもの新派の舞台は女性が多いですので、今日は年輩の男性が多かったのは、文化庁から芸術祭参加の審査員が沢山いらしていたからかもしれません。

泉鏡花の原作は昔読んでいますが、読書とも、お芝居とも違う、言語の美しさには、
圧倒されました。今の私たちが忘れてしまいそうな日本語の響きを耳にすることの悦びを感じました。
村越欣弥に送金を続ける為に思わず殺人を起こしてしまった白糸。三年ぶりの再会はなんと、学問を終えて検事となった彼の初法廷。検事と白糸のやりとりの場面では、八重子の体が前後に揺れて、その迫力に手に汗をしました。お芝居の後ろ姿の芸とは又違った名演技! 演舞場でしたら,「ミズタニ〜〜〜〜!」と、声がかかるかもしれませんが、本道は静まりかえっています。純粋さを貫くために死を選んだ男と女。
人間にとって最も大切なことは恥を知ること。人をだましての栄華は最も卑しむべき事という鏡花の思想と、人間の潔さという美学は、見事に朗読で表現されていました。

無理を押して出かけて良かった! 次回にはお誘いしましょうね!

今日は、暗い日曜日です。大祐さんのエグモントをBGMにこのメールを書いています。
明日からは又超急がしの一週間でしょう。
スケジュールがめちゃくちゃの私を助けて下さるお二人には感謝です。
ps。
下記は、セイワの翻訳顧問??の原滋さんの新国立劇場のこけら落としのアイーダに助演参加した際の、出演メモの個人HPです。ゼッフィレッリ演出の素晴らしい舞台のアイーダでした。ご覧になりましたか???
彼は、エールフランスのパリ主席駐在員、タヒチ空港長などを歴任しながら、最後まで管理職になるのを固持した珍しい人で(私の入社時の厳しい上役でしたの!)、定年退職後は、オペラ、音楽三昧の日々を送っている人です。うらやましい限りで、わたくしもはやくそうしたいと思っていますのに、ママなりません、、、。
今日はこれからS会長のお供です。
 そして最後の晩餐。高木町スカイパークで、
会長ご持参の、マグロ、甘エビ、取り立てキノコ、クレソン、ムルソーペリエールで乾杯・感無量なり。

2001年10月30日火」曜日曇り
# by pretty-bacchus | 2001-10-28 23:38 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)

日記から移行
2001年10月28日日曜日午前9時32分

お早うございます。
日曜にお邪魔します。
凄まじかった新ワインリストの一ヶ月が終わり、リブランシーがキャンセルになって、ほっと一息ついたのでしょうか?? 昨日から本格的な風邪のようです。のどが痛いし、熱っぽいし、、、
しかし、土曜日は友人の水谷八重子さんの朗読会で、泉鏡花の滝の白糸、『義血侠血』を聴いてきました。

彼女は数年前から朗読を始めていて、瀬戸内源氏に続き、新潮社からCDを出した、滝の白糸です。今回は芸術祭参加作品で、先代八重子さんとご縁があった芝の増上寺の本堂で行われました。天井が高い広い本堂に280の椅子が置かれ、仏様を後ろに、水芸の舞台が緋色の毛氈の机で表されて、後は照明と、お香の香りだけという舞台。彼女自身の芸に対する情熱で、朗読というより音楽のないオペラを鑑賞しているようでした。

読経をバックにご住職と共にご本尊にご拝顔の後、静かに中央に進み、ご住職からお数珠を渡されて最後までそれを携えながらの朗読。
章の変わり目に、左右前方に置かれた椅子に移り腰をおろす、、、何気なく、置かれていたお茶を口にする、、、。
手に持っている原稿の表紙は色違いの和紙で、数回色が微妙に変わり、、、それを、ハラリと落とす、、、。などなど、素晴らしい演出でした。

全般は、深い緑色の縦縞の着物に、上品なページュ色の有職の帯。後半は黒に僅かな深い赤の細いラインが入ったお召し物。どちらも志村ふくみさんのお作品を、サラリと着て、あとは白足袋。それが、半襟の白とともに、磨き抜かれた本堂の内陣の木の床に映り、そのまま奈落の底に引きずられるのではないかと、、、、思うようでした。舞台とは違う足の芸!(後で本人に話したところ、つるつる滑って危なっかしくて、、、突っ張ったりと言っていましたが、それが観衆には演技と見えたのです!!)

20分の休憩を挟んだ2時間という時間ですのに聴衆は静かに聞きほれていました。
いつもの新派の舞台は女性が多いですので、今日は年輩の男性が多かったのは、文化庁から芸術祭参加の審査員が沢山いらしていたからかもしれません。

泉鏡花の原作は昔読んでいますが、読書とも、お芝居とも違う、言語の美しさには、
圧倒されました。今の私たちが忘れてしまいそうな日本語の響きを耳にすることの悦びを感じました。
村越欣弥に送金を続ける為に思わず殺人を起こしてしまった白糸。三年ぶりの再会はなんと、学問を終えて検事となった彼の初法廷。検事と白糸のやりとりの場面では、八重子の体が前後に揺れて、その迫力に手に汗をしました。お芝居の後ろ姿の芸とは又違った名演技! 演舞場でしたら,「ミズタニ〜〜〜〜!」と、声がかかるかもしれませんが、本道は静まりかえっています。純粋さを貫くために死を選んだ男と女。
人間にとって最も大切なことは恥を知ること。人をだましての栄華は最も卑しむべき事という鏡花の思想と、人間の潔さという美学は、見事に朗読で表現されていました。

無理を押して出かけて良かった! 次回にはお誘いしましょうね!

今日は、暗い日曜日です。大祐さんのエグモントをBGMにこのメールを書いています。
明日からは又超急がしの一週間でしょう。
スケジュールがめちゃくちゃの私を助けて下さるお二人には感謝です。
ps。
下記は、セイワの翻訳顧問??の原さんの新国立劇場のこけら落としのアイーダに助演参加した際の、出演メモの個人HPです。ゼッフィレッリ演出の素晴らしい舞台のアイーダでした。ご覧になりましたか???
彼は、エールフランスのパリ主席駐在員、タヒチ空港長などを歴任しながら、最後まで管理職になるのを固持した珍しい人で(私の入社時の厳しい上役でしたの!)、定年退職後は、オペラ、音楽三昧の日々を送っている人です。うらやましい限りで、わたくしもはやくそうしたいと思っていますのに、ママなりません、、、。
今日はこれからS会長のお供です。
 そして最後の晩餐。高木町スカイパークで、
会長ご持参の、マグロ、甘エビ、取り立てキノコ、クレソン、ムルソーペリエールで乾杯・感無量なり。

2001年10月30日火」曜日 曇り
# by pretty-bacchus | 2001-10-28 23:32 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)