<   2011年 12月 ( 71 )   > この月の画像一覧

☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜オルセー美術館
2011年12月14日 水曜日 雨のち晴れ
a0031363_21252852.gif
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris〜オルセー美術館 Musée d'Orsay:

 フランスでの旅の思いでが走馬燈のように走る、、、
モンサンミッシェルへの日帰りの車の旅、ロワールのフランソワ一世のシュノンソー城、、、、、、
ヘリコプターから落ちそうになって撮ったヴォルヴィックの水源、
ムートンロッチルドの図書室でのディナー、マルセリーヌのプライベートジェットで通ったサンテミリオン、、、、、
ボルドーのオペラハウスの椿姫と、その後のギャラディナー、アランジュペ氏の顔が浮かぶ、、、
ブルゴーニュの幻の葡萄畑、シュバリエを受けた時の宣誓言はなんだったかな、、、
覚えていたはずなのに、出てこない、、、

 柳沢さん達と初めて超えたピレネー山脈とサンジャンピエドゥポールの街、
サンチャゴデコンポステーラへの道のレオンの聖堂、、、、、
パリでなくなった朝日放送の原さんのこと、
、、、ベットの上でうなるように頭が回っている、、、

 そうだ〜〜〜、二十代の駐在員の頃は、泣きながらシャンゼリゼのオフィスに通ったこともあったっけ、、、
あの時いつも見守ってくれたムッシュはいまどうしているかしら、、、、

 1980年代は、世界的な動きが加速する中、戦後日本経済は80年代後半におけるバブル経済によって
絶頂期を迎えた10年間だった。
私の人生も、ある意味絶頂期の前触れだったかもしれないが、その反面青天の霹靂での最悪の事態も起きた時期だった。

 6年間のメリディアンチェーン代表としての仕事のすぐあとに手術をした。
その87年に、知人のある大きな事件に巻き込まれたのだった。
親しくしていたご家族Fさんの奥様とお嬢様を案内して何度か一緒にヨーロッパの旅をしたことが、
当時の検察には不自然とうつったようで、その上六年間の代表としての間に何十回も海外に仕事で飛び回っていた
日本女性に対する男性たちのある種の興味も含めてと思われる、突然のそれもとてもいやな事態となったが、
友人の弁護士さん達にたすけられて疑いは晴れた。
また、何年もしてからわかったのだが、事件を調べた関係者の中に母のお茶のお弟子さんのご主人がいらして、
その方が〝ケイコチャンは絶対に悪いことはしないと、何度も話してくれたとのことだった。
その方とは今は親しくおつきあいがつづいている。

すねに傷がない潔白なわたしは、常に毅然たる態度で接していたし、それどころか、ある検事さんの暗黙の依頼で、
彼の音信不通になっていた家族をパリで訪ね探すというとてつもないことなどもあって、
この事だけでも当時の日本経済と一女性の深層小説が一冊書けてしまうような様相と経験であった。
(パリはそれほど遠い都だったわけで、男性検事たちにとってもあこがれだったのだろう。)
その時の担当の検事さんの一人とは今でも交流があるのも人生の味わいであるだろう。

 その辛さを補ってくれたのは、やはり巴里!
巴里の自然と美術館とレストランであり、ワインの造り手との出会いだった。
90年代の人生を彩るフランスの貴族階級や政財界の方々やアート部門の方々と親しくおつきあいをはじめたのも、この頃だった。
人生は一度しかない、、、それならば、いただいたご縁を遠慮することなく謳歌するのもいいではないか
と思い始めたのだ。
会社人間の間は、その枠をはずしことはいけないという時代だったから、あまり人間関係を広げなかったが、
87年に辞めてからは、自然と大きなご縁が生まれはじめ、素直にその社会に溶け込んでいった。

89年には、ラ・ベル・バカントという、フランス女性のハイソなサークルのただ一人の日本女性として
加わることになった。
この会は仕事をしている中年女性がアートと食とワインを楽しみながら一緒に美しく年をとろうというようなコンセプトで、
三ヶ月に一度三つ星レストランでのランチオン、一年に一度のアウティング、などか企画された。
二十数人の女性の内には、シャンパンメーカーのオーナー夫人、ムートンのフィリピーヌ・ドゥ・ロッチルド、
プランタンなどのオーナー夫人(その数年後にシャトーラトゥールを買収したピノ−夫人)、
フランス女性最初のノテール&弁護士、シャトーカデボンのガンス夫妻、大会社の広報担当官など、
蒼々たる女性の会であった。
彼らとのその後十数年のおつきあいは、いままでの私の世界観も芸術感も大きく変えていったのだった。

a0031363_3435841.jpg
(Mar 1996 Bordeau Opera House Gala Dinner, アランジュペ首相、
バロネス・フィリピーヌ・ド・ロートシルト、マダムマルセリーヌガンス、そして私!)
a0031363_3464774.jpg
(June 1996 Les Belles Bacchante のアウティングでオランダへフェルメール展を観に!)

>>>☆回想のわが巴里の街1990~2000、に続く、、、、、。

 オルセー美術館は1986年に開館していた。
オルセー美術館 (Musée d'Orsay) は、19世紀美術専門の美術館で、印象派の画家の作品が数多く収蔵されている。
オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって
建設された
オルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。
美術館の中央ホールは、地下ホームの吹き抜け構造をそのまま活用されていて壮大で、
建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残っている。

旧印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)の収蔵品は、すべてオルセーに引き継がれて、
ノスタルジックな思いの中で印象派の絵画を鑑賞できるようになっていた。

 パリ市内の主要美術館は、それぞれのコレクション年代毎に役目が分けられている。
ルーヴル美術館は、古代から1848年までの作品が主要コレクション。
古代美術からのルーヴル以降の、1848年から第一次世界大戦の始まる1914年までの作品を展示する
オルセーはフランス近代美術の殿堂。

後期印象派やオリエンタリスムなどはもちろんのこと、二階のアールヌーヴォーのガレ、マジョレル、
ガウディの家具や 
ナンシー派のガラス工芸品は、その頃の私を魅了して、コレクション熱につながっていった。

印象派以後の時代の作品はボーブールにあるポンピドゥセンター。
ここでは、二十世紀の絵画と彫刻のコレクションを主として、フォーヴィズム、キュビズム、
シュールレアリズム、
アメリカ抽象表現主義などを揃えていての総合芸術文化施設。

 冬のセーヌは暗く寒いが、遠くからこの美術館の光が見えてくるとなぜかほっとするのだ。
ルーブルとは違った美術館の安らぎがあるのもこの美術館なのだ。

a0031363_10544069.jpg


a0031363_1055579.jpg
(14 December 2011 Paris、La Seine 対岸の建物の灯火がともり始める頃に、セーヌをゆく船の灯火もつく、、、) 

a0031363_1054529.jpg
(14 December 2011 Paris、Pont des Arts sur La Seine ) 


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
14 December 2011 Paris
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>http://keico.exblog.jp/14176547
そして今日の巴里 2011年12月14日
a0031363_213449100.jpg (バスに乗って、、、、)

a0031363_21355444.jpg



~~~~~~~~~

後日バスの中からのスナップ:
a0031363_4325063.jpg
 (18 December 2011Paris, Musée d'Orsay:
De la fenêtre de voiture de l'autobus 42)

More>>1980年代後半からの旅の思い出いろいろ
by pretty-bacchus | 2011-12-14 23:56 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(2)

今日の巴里 14 December 2011 Paris
2011年14月12日 火曜日 
a0031363_21252852.gif
a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
14 December 2011 Paris

 フォションのお昼のオムレツ追加。
http://keico.exblog.jp/14162469/2011.12.12のブログ
by pretty-bacchus | 2011-12-14 17:48 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(0)

☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜メリディアンチェーン
2011年12月13日 火曜日a0031363_21252852.gif
☆回想のわが巴里の街1980~1990

 70年代最期に大きな手術を受けた後、1981年の三月に突然辞表を出した。
あ^〜これで、あまりストレスもなくゆっくり出来る〜〜〜。
しかしそうはいかなかったのだ。

 この時期はジャンボがどんどん飛びはじめ、日本からの海外への出国者が500万人をこえたばかりだった。
航空会社がホテルの経営に乗り出したのもこの頃だった。
JALのJALホテルシステム、そしてエールフランスのホテルメリディアンチェーン。

 ホテルメリディアンチェーンはエールフランスの100%子会社としてパリに設立されていて、
第一代代表の原滋さんが二年でしりぞかれて、その後がまに、こともあろうか女の私にお鉢が回ってきたのだ。
本社はパリで、まだホテルも二十ほどしかなく発展途上にあった。

とても無理だし女だし(当時はそういう時代でした)と辞退を重ねたのだが、人事部長におしきられた。
あなたしかいない、、、パリを知りホテルを知り業界を知っているのは、、、などとおだてられて、、、、。
説得の話が続いて、冬なのに、何時間も座っていた椅子が汗びっしょりになった。

 家に帰って相談したら、連れ合いはなんと
「面白い経験だからしてみたらいいよ、とのたまわったのだから、もうびっくり!
かなり跳んでいたカップルだった(のだろう)
(その十年前パリ駐在員に出た時も、そう言ったのだ)
そして当時としては全く異例の逆単身赴任で、私は多くの人に万歳で送られて羽田空港を発ったのだ。

 ~~~~~~~~~~~

 突然に放り込まれたホテルチェーンの仕事の辞令を受けて、数日後にはパリの本社で面接を受けていた。
マレスコ社長の最初の質問は、「今度のミッテラン政権をどう思いますか? であった。
日本語だって答えられない内容なのに、フランス語で言えるわけはないではないか、、、、って思いながら、わからないままに、
「機内の新聞で読んだのですが、フランスに新しい風がふくのではないでしょうか、、、
というような答えをした。
これがよかったのだと、かなり後から聞かされた。
フランスのチェーンのそれも国営会社の代表として仕事をするときに、
政治的なことは自分の意見をあまり言わない方がよいらしいことも後で教えられた。

 早速に出席したパリ本社の会議でも目を白黒ばかりであったが、
誕生したばかりのフレンチタッチと優雅な内装やアメニティー、そしてホスピタリティーを売りにして
世界中に進出しはじめた
<憩いの場所>の仕事におもしろさを感じ始めたのだ。
日本航空のJALホテルシステムも同じ時期に出来ていた1981年のことである。

 さっそくに世界各地のホテルを訪れてのマーケッティング。
日本人客を送るためのプロモーションプランを作っていった。
この時に、今まで泊まってみていたヨーロッパの四つ星ホテルでの経験がとても役に立ったことはいうまでもない。
パリの本社では、女性が大勢活躍していた。
ミリアム・ルールというチャーミングな女性が私の直属の上司で、その上に男性達だったが、
ここではハラスメントなどなかったし、和気藹々の会議であり発展途上のホテルの仕事だった。
今思うと古き佳き時代で、思う存分仕事をすることができたと思っている。

 中近東にもホテルは進出していた。
しかし、中近東の仕事は少々勝手が違っていた。
パリやニューヨークや東南アジアならともかく、中近東は今でもそうだが、当時女性が、
それも日本女性が一人で出張に出かける地域ではなかった(と思う)。
黒いスーツと黒いアタッシュケースを新調して、ビザを取って、一人旅立ったのは
81年のクウェイト、シャルジャ、アブダビのリサーチだった。

当時現地にはすでにインターコンティホテルも、ヒルトンホテルなどがあった。
アブダビとシャルジャのメリディアンは出来たばかりであった。
現地のホテル全部を訪れて、その施設とホスピタリティーとかのソフトを含めてみて歩き、
日本人の目で見て本社にレポートを書くのも仕事の一つだった。
(今のようにPCは進歩していなかったから、帰国してからタイプを打ってレポートを書くことになる)
それらのホテルと比較して、メリディアンのホテルをどういう風に販売促進していったらよいかを
研究しなければならなかったのだ。
五十度近い炎天下を現地スタッフと一緒に何日かを歩いたものだ。(もちろん車で)

 ホテルチェーンとしては当時は珍しかった女性の日本人の駐在員を送ることにしたのもこの後だった。
翌年の三月にはアブダビメリディアンで大きなレセプションが行われた。
当時の現地の新聞が残っているので、いつもとってもなつかしく思い出している。
(THE GULF NEWS 、1982年3月13日 土曜日のアブダビの新聞)

a0031363_21435566.jpg

なんと細かったか〜〜〜
a0031363_44963.jpg
  あのころグーグルアースがあったら、旅はもっと楽しかっただろうな〜〜〜

ドバイ、アブダビ、シャルジャのホテルの紹介で、アラブ首長国連邦のホテルメリディアンチェーンの
オープニングパーティーに出席して私は着物姿で日本語と英語で挨拶をした。
外務省からの中山大使や日本航空の有賀さん、現地の商社の方々も出席してくださった。
鹿島建設のの石川六郎さんもいらしたと思う。
ホテルのオーナーはアラブ人だが、ケンブリッジをでたナイスガイで、引き連れていた女性たちの美しかった事がとても印象に残っている。

 なんと翌日は、「こんなことは始めてだ! と現地の人々が驚いたほどの大雨で、シャルじジャへの砂漠が水で溢れていた。
そして翌日私はまた一人で隣国クウェートへ旅立ったのだ。
なつかしい〜〜〜。

 ホテルメリディアンチェーンは、その当時発展途上にあって次々を世界中にホテルを建設し始めていた。
知名度ゼロのフランスのホテルにいかに日本人を送るかも私の仕事だった。
パリやツールやニースが比較的うまく運び出した頃に、クウェート、アブダビ、ドバイ、シャルジャとつづき、
やがて香港、シンガポール、スリランカ、アメリカではニューヨークのパーカーメリディアン、ヒューストン、
ボストンとたてつづけにオープンした。
それぞれのホテルを訪ねて販促のプラニングを進めていった。
東京にも業務提携のホテルができた。(パシフィックメリディアン)

 その後も海外への出張は続いた。
フランスの本社の多くは女性が活躍していて、日本人だからなどといってはいられらなかった。
ホテルメリディアンチェーンの60カ国のインターナショナルミーティンがあると、
その代表の三分の一は女性だった。
髪の毛を何十本もの細い三つ編みでかざったアフリカの女性もいた。
ある時などは、一週間ニースのホテルにカンズメで朝から晩まで会議会議で、夜はオフィシャルディナーがつづき、
朝遅れたりすると、その人のポジションが次にはなくなるといわれていたほど厳しい会議だった。

(その時期くらいから、世界中で女性の進出がはじまったのかもしれない。
日本では女性が23時以降働くのが禁止されていた時代で、男女均等法なる法律ができたのは、
その数年後だった)

 それから六年間私は休む事なく世界中をまわることになった。
航空会社で足があり、ホテルで宿があるということは、多くの可能性を持っていた、
マーケティング&セールスには飽き足らずに、日本とフランスの文化交流にも多くの時間をさいた。

 朝日新聞事業部とか阪急とかとのお手伝いで新しい旅の形をクリエートしていった。
ジャックメドゥサンが市長の頃に、ニースでの<日本伝統工芸週間>を花野さんと造りあげたときには、
母がお茶とお花のお弟子さんを引き連れて手伝ってくれた。

 東京ではエールフランスのオフィスの一部屋で、少ないスタッフで私は365日休み無し
、毎日真夜中まで頑張った。
夜景のおじさんが一時間おきに回ってきてくれるのがとても心強かった。

 海外出張は年十数回、パリ、ニューヨーク、香港エトセトラ、その後のレポート提出、エージェントさんへの営業、接待、、、
海外からのお客様との会議などで私はほとほと疲れ始めていた。
東京オフィスは、アジアパシフィクオフィスをカヴァアーする重要なオフィスとなり、
さらに発展の時期にあり、なんと<アジアパシフィック代表>というそのポジションをほしがる男性が
何人か出てきたのだ。
それと共にセクハラ的な言動も出てきた。

 ちょうど六年がすぎたある日、私は突然辞表をだした。
それもPAC=プランダクションコメルシアルという年度始めのエールフランス本社支社、子会社を含む戦略会議で、
フランスの本社からも何人ものおえらさんが出席していた年に一度の会議でであった。
辞表を用意していたが最後まで逡巡していてのだが、
やはり自分を抑える事が出来なかった。(若かったのだな〜〜〜)
当時の女性としては年収、地位は最高だったろう。
引き留められたが、決心は変わらなかった。
会場となった箱根のホテルの帰り道は雪で覆われ、富士山がことのほか綺麗だったのが、
昨日のことのように思い出される。

〜〜〜〜〜〜〜

 突然体中の力が抜けた。そしてその二日後に入院して大きな手術を受けた。
多分ストレスと過労とかいろいろで、私のお腹の中には大小18個もの腫瘍ができていて、
四時間半の手術を受けて、その全てを摘出したのだった。
「あと二日遅れていたら腸内で爆発して命がなかったかもしれないですよ、
と麻酔が切れるまで付いていてくださった、主治医の高山先生は微笑んでいた。
そして先生は母には、「強いんですね、とおっしゃったそうで、
母は大変な手術に耐えて強い子だったと思ったのだが、先生は麻酔がなかなかきかなくて、
お酒がツヨイのですね、、、、という意味だったらしい、、、、。

 大変であったが、しかし充実した二十三年間の仕事人生だった。
エールフランスのパリ駐在員の四年間と、メリディアンへ出向の六年間をふくめて、
二十三年の年月は、時代と共に燃焼した若さの時代だった。
「女性の進出の先駆けでしたね、キャリアウーマンのスターでしたね、
と多くの方が言ってくださるが、別にそれを意識していたわけではない。
その時代に与えられた、そう、ありがたくも与えられた仕事を必死で頑張り通しただけなのだ、、、。
それは多くの人々の支えがあったから出来たことなのだろう。
そして家族の理解があったからなのだ!

 あの時代に突っ走った経験があるからこそ、今の私が、今の友が、長く続く世界の輪が、
現在の喜びも悲しみもあると思っている。
オンリーイエスタディー であるような錯覚に陥るが、もう四半世紀もまえになるのだ。

 多くの方から惜しまれて一つの第二の仕事人生に終止符をうった。
ゆっくりした人生を送ろう。晴耕雨読の人生をと考えていたのに、しかし私の激動の人生、
ドラマティックな人生が、まだまだつづくことになるとは神のみぞ知ることであった。

 辞めた87年の晩秋に大きな事件に突然巻き込まれた。
いまでいう<村木事件>にも似た摩訶不思議な事に巻き込まれたのだが、
友人の輪が助けてくれて大事にはいたらなかったのだが、心痛はひどかった。

〜〜〜〜〜〜〜

a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
http://keico.exblog.jp/14176071/
平成23年12月13日(火) 雨のち晴れのブログへ
今日の巴里 13 December 2011 Paris>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

a0031363_10131032.jpg (マドレーヌ寺院の正面ファサードの上部をバスの中から)

a0031363_10143181.jpg(13 December 2011 pm4:27 Paris, La Seine à Pont Alma )

a0031363_10145952.jpg
(13 December 2011pm5:27 Paris , Pyramide du Louvre)


More>>
by pretty-bacchus | 2011-12-13 23:57 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(8)

今日の巴里 13 December 2011 Paris
平成23年12月13日(火) 雨のち晴れa0031363_21252852.gif

 Macに向かって、k y o u とたたいた。
平成23年12月13日(火) とでて、ああ、、、今日は2011年12月13日だったのだと妙な感慨にふけっている。

 夜半からひどい雨の音、、、朝方に目が覚めてそっとカーテンをあけたら大きな雨粒がみえた。
座っているぶんには痛くないのに、横になると少し痛み、左を横には寝られない、、、。
医者に行こうかどうしようか、、とまだ考えながら、パリではいかない方を選んでいるわたし、、、。
打ち身なら打撲なら、湿布薬をすり込んで静かにしているのが一番いいに違いないから、静かに寝ていよう。
そういえば叔母も強者で、ある事故でひどい打撲と外傷もあったのに、とうとうお医者さんにいかずにすませてしまい、
ひどい傷の足をみせられたことがあった。
そういうDNAなら、それもいいではないか、、、、。


 不思議な感覚が襲っている。
昔のことがほんとうにいろいろ思い出されて、、、、どうしてしまったのだろう。
ことによったら今度のことは神様がくださった思考の至福の一時ではなかろうかとすら思えてしまう。

 友人の処から引き上げたバックの中に数々の<巴里の必需品>がある。
もう一度ぱりのアパルトマンに住もうと思っていたのだから、生活に必要な小物の何もかもが残してあった。
後ろ髪を引かれながら、一つ一つの感慨に浸りながら取捨選択。
日本に持って帰ってもあと数年で処分をすることになるであろう品なら、今のうちにかたづけてしまおう。
本もいろいろ出てきて、読みかけの本を読んだりしながら深い思いに沈んでいる。

a0031363_918977.jpg

 午後になって少しお散歩にでかけることにした。
裏の通りの青い空を見て、バスに乗ることにした。
a0031363_9191881.jpg
(13 December 2011pm5:22 Paris Blvd.Hausmann)
a0031363_9194367.jpg


 42番に乗ってオペラ>>マドレーヌ>>コンコルド>>ロンポアン、そして終点はアルマ橋。
エッフェル塔の向こうに沈みゆく夕陽に手を合わせて一日の終わりを告げた。

a0031363_9212979.jpg
(13 December 2011 pm4:22 Paris, Tour Eiffel à Pont Alma )

しばらく夕陽を撮りながら、、、、近くのダイアナ妃の記念碑も撮ろうと思ったのに、また別のバスがきて飛び乗った。
こんなふうに勝手にパリで<バスの旅>は生まれて初めてだな、、、って、今回のいろいろの生まれて初めてを楽しんでいる。

 途中のルーヴル・ポンロイヤルという駅で降りて、夕闇のシュリー宮を裏から入ってみた。
ルーヴル美術館のガラスのピラミッドが夕闇にあやしく光り、しばし時を忘れるような美しさ!

a0031363_9222088.jpg


a0031363_923977.jpg
(13 December 2011pm5:22 Paris , Pyramide du Louvre)



 結局友人のお店に寄って<美の極致>の作品をいろいろ拝見して贅沢な疲れ!
向こう岸にわたって夕食を一緒して送っていただいた。
パリで友があるのはなんとも嬉しい。

 今日の写真は450枚も撮ったようで、整理が大変だな、、、、[
(手持ちでこのような写真を撮れるようになったデジカメの進歩にも感謝!)


〜〜〜^
                                   (歩数:3573)
by pretty-bacchus | 2011-12-13 23:55 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(4)

今日の巴里 12 December 2011 Paris
2011年12月12日 月曜日 その三
a0031363_21252852.gif
a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
12 December 2011 Paris


 そして今日は、午後からカンボン通りを通って、マドレーヌ寺院の全面ではなく、裏の方に回ってみた。
NKさんの<冬のスイカ>を探訪しに、、、。


 少し歩いてすぐにわかった。
マドレーヌ寺院の裏側のエディアールの前あたりで撮ったものだ。
今は冬の味覚の牡蠣売り場になっていたが、時には野菜のことがあるようだ。
同じ角度の写真を撮るには強い逆光にカメラを向けねばならない。
ノーファインダーでシャッターをきったが、、、あらおかしい、モノクロになってしまう。
どうやらこのカメラの弱点のようだ。

a0031363_751375.jpg

a0031363_7525191.jpg

a0031363_7533544.jpg

a0031363_7554794.png

(13 December 2011 Paris,Place de la Madeleine )

 a0031363_7564087.jpg  (ラ・メゾン・ドゥ・ラ・ トリュフ La MAISON de la TRUFFEのショーウィンドが美味しそう〜〜中でお土産を買って、
食事をしようと思ったが満席。

お腹がすいたので、フォション二階のカフェに入った。
まだレストランとしても大丈夫なようで、軽いものを頼んだ。
ポワール小ネギのコンポートがなんとも美味!

a0031363_7582797.jpg

a0031363_1748191.jpg

a0031363_759689.jpg


 ホテルに訪ねてきてくれたのは、Pおじさん。
旧交を深めてしばし歓談。
今日は体調今いちで、別の日にお食事の約束をして、アビアント〜〜!

~~~~~~~~~~

(今日の歩数;6560)
by pretty-bacchus | 2011-12-13 02:02 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(6)

☆回想のわが巴里の街1973~1980 -シャネルとラデュレ
2011年12月12日 月曜日 その二
a0031363_21252852.gif
☆回想のわが巴里の街1973~1980 ーオートクチュール

 この間は巴里の四つ星ホテルをいろいろ泊まっていた頃だった。
ホテルリッツはFさんご家族との定宿となっていた。
ヴァンドーム広場の表玄関から入るって、細いアーケードの廊下を通って右にまがると、
そこはリッツのヘミングウェイ−バーで、Rue Cambonに面していて、カンボン通りに抜けることができる。
知る人ぞ知る内部の道。
ダイアナ王妃は、この廊下を通って裏口にでてパパラッチを逃れたのだが、
まもなく事故にあってしまったのだ、、、嗚呼。

a0031363_16221498.jpg
(08 December 2011 Paris, ホテルリッツの裏側出口、この右側の扉からダイアナさんの車はでていったという、、、)


(そういえば、まだ今回はホテルリッツの表側のヴァンドーム広場にいっていないな、、、)

a0031363_16302659.jpg(08 December 2011 Paris,
rue Cambon, Chanel)


 小さなバーでお茶も飲めたので、泊まっていないときも時々いったりしていた。
リューカンボンの9番地にはシャネルの本店がある。
Jの友人がブティックの売り子さんをしていたので、自然に行くようになっていた。
マダムシャネルはまだ生存してらした頃だろう。
シャネルはカンボン通りに中頃の右側、サントノーレ通りにでる少し前、、、
いつも二人の男性門番が目を光らせている。

格調高いrue cambonののシャネル本店の二階では時々、オートクチュールのショーが催されていた。
パリに住んで仕事をしているときは、そんな時間も余裕も無かったが、帰国した後、
仕事を兼ねてのパリ通いの二十数年の間に、何度か招かれたことがあった。
懐かしいな〜〜〜〜 
一昨日通ってみたが、入る気になれなかったのはきっと時代が変わってしまったからだったろう、、、。

 セーヌ川を背にして、オペラ通りを進みオペラ座にぶつかったら、左に曲るとブールバール・デ・カプシーヌ。
二つ目の信号の五交ろうを右に入ると、マリアカラスが住んでいたアパルトマン。
斜め前方左がリューカンボン。そのすぐ角は、ホテルリッツの裏の入り口で、
小さな素敵なバー、それがヘミングウェイバー、今回は行く機会がないだろう、、、。
あの渋いバーマンはまだ元気にしているのかしら、、、。

 サントノーレ通りを右に曲がって少しあるくと左がコンドルド広場、右がマドレーヌ寺院で、
その角の二件目にティーサロンのラデュレ。
階段を上がった二階の角が私の好きな席、
いつもテオレとタルトーポム(アップルパイ)で本を読んだりしていました、、、、
車で遠出の時にお願いしたテイクアウトのサンドウィッチの美味しかったこと!
ここのアップルパイと紅茶が美味しくて、ここでいつも一休み、、、でも今回は満席ではいれませんでした。
a0031363_19303972.jpg
  (Parsi 07 December 2011)

 家の近くのダロワイヨーでは、朝のパンヲショコラが美味しかったな、、、
今は無い、シャンゼリゼの凱旋門近くのドラッグストアーのクロワッサンも美味だった、、、、。
少し下がったフーケは、お天気の良い日は赤いテントの下でお茶〜〜〜!
ラデュレ、ダロワイヨ、ジャンポール・エヴァン、ピエール・エルメ、フォション、、、
(太るわけですね〜〜)

 駐在中にはいかれなかったパリやフランスのミシュランの☆付きレストランをたべあるくようになったのもこの頃でした。

 そして1980年ごろには、凱旋門からほど近い、友人ジャクリーヌのアパルトマンに住むことになったのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜

 そして今日は、滞在時にはなかったお店へいざいかん!
サンジェルマンでプレのピエールエルメさんのお店へ、、、、と思っていたのだが、体調今一でマドレーヌのあたりで
お茶を濁してしまった、、、、。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

PIERRE HERME イスパハン ~Ispahan~

「スイーツ界のピカソ」と言われるピエール・エルメ氏の創造性溢れるパリスイーツ。
彼は、アルザス地方のパティシェの家系に生まれ、15歳で「ルノートル」、24歳で「フォション」の
シェフ・パティシェになり、その後「ラデュレ」に移り注目をあつめたそうです。

そして2001年、パリのサンジェルマンデプレに自店をオープンさせ、以来世界のパティスリー界のトップを走り続けています。

カラフルなマカロンはフワフワでサックサク〜〜!
そして何と言っても、ピンク色の「イスパハン(Ispahan)」がいつも話題をさらっています。
a0031363_19155710.jpg

イスファハンっていったらイランのあのブルーを思い浮かべてしまいますが、それお甘みシリーズに用いてピンクとは?
イスパハンとは、ダマスクローズの一種でピンクの薔薇の名前なおだそうです。

その薔薇をとじ込めたようなイスパハンというお菓子は、
ピンク色のローズペタルマカロンに、ローズペタル味のクリーム、ライチ、ラズベリーを挟んだお菓子。
トップにのった薔薇の花びらに飴の水滴がとろ〜りと光っていて、、、。

バラの味のマカロンの間にはフランボワーズがぐるりと挟まれ、中にはライチがしのばせてあり、
口に含む前から、バラの香りがふわ〜と漂い、やさしいライチの風味とフランボワーズの酸味が、
なんともいえぬバランスで口いっぱいに広がり、、、、まさに絶品スイーツ!

More>>ブログ内いろいろ
by pretty-bacchus | 2011-12-12 23:59 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(5)

☆回想のわが巴里の街1973~1980 =旅と滞在ホテル
2011年12月12日 月曜日 その一  雨のち曇りのち晴れそして、、、a0031363_21252852.gif

☆回想のわが巴里の街1973~1980 ー

 巴里の駐在を終えて帰国したのは1973年春だった。
日本は先進国の仲間入りをしはじめていた頃だった。

 すでに帰国していた連れあいは、前の商社を辞めてから四年のブランクのあとに新しい会社を設立していた。
主にスポーツ用品や車、革製品などを扱う貿易会社で、ヨーロッパ文化の色濃い品物やワインも入っていた。

 帰国後の住宅は、麹町町、池田山と二転三転して、最終的に神宮前のT作曲家が住んでいたマンションを
家具付きのまま譲り受けた。

 この7~8年の間は、ほんとうによく旅をした。
帰国後すぐには、タヒチへの第一便が就航したのは1973年で、モームのあの島をトランジットしてタヒチへの旅となった。
時差の為に私はこの年の誕生日を二度お祝いしてもらった。
モーレア、ボラボラの思いではいろいろ深い。

a0031363_17215942.jpg 





(1973年かな? タヒチ就航の第一便でタヒチに飛んだ、、、駐在代表のHさんと
ボラボラのバリハイの山をバックに)

a0031363_17245239.jpg (エールフランスの日本就航二十五周年記念パーティーで、自分のデザインのモダンな着物を着て、、、


な、、、なんとバックは黒のクロコで、エルメスで着物ようにこぶりに特注したものです。こんな時代もあったのだなって、感無量です!)

これも1970年代半ばだが何年だったかしら?)



http://keico.exblog.jp/10987807/
2010年7月15日 木曜日 曇り
誕生日に宇宙よ友よありがとう!

http://keico.exblog.jp/12897874/
2011年6月15日 水曜日 のブログへ
タヒチの写真をアップしたブログ


 ヴァリッグ航空のインターライン招待旅行での、リオデジャネイロ、ブラジリア、
イグアスの滝などのブラジル旅行、ブエノスアイレス。
http://keico.exblog.jp/8013747/
2009年2月28日 土曜日 曇り
旅の記憶に浸って>リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリア

 アエロフロートソヴィエト航空の特別旅行で、冬のモスクワ、赤の広場、レニングラード、
南のソチなど主な都を訪ねることができた。

 この頃は、巴里への仕事も休暇も、パリの話題のホテルや四つ星を泊まり歩いた。
欧州の歴史と文化をあじわうようにという、父のアドヴァイスもあったかもしれない。
一流ホテルですごすある種の緊張感、細々とさらりと隠されてお迎えの心、ギャルソンのもてなし方と、
それに応えてそっと手渡すチップの仕方、そしてなんといってもコンシエルジュの使い方(頼み方)、エトセトラ、、、。
パリのホテルは、ホテルリッツのヘミングウェイバー、ホテルドゥクリヨン、ブリストル、ムーリス、
プラザアテネ、
ジョルジュサンク(今のフォーシーズン)などなど。
ロンドンでも、チューリッヒでも、ローマでも、、、それは旅の醍醐味ともなり、快適なMUSTの経験となった。
 そして、駐在時代にはあまり行かれなかった、シャネルやエルメスやイブサンローランなどの
メゾンにいくようになったのも、この頃からだった、

 帰国後の仕事は予約課に配属されたが、広報も営業も、時には巴里の駐在員が休暇の時は、
その臨時要員として送られたりしてマルティにいろいろさせられていたが、むしろそれを楽しんでいたかもしれない。
やがて会社では大きな組合問題が起こって、醜い争いと発展していき、私は会社側と組合側の板挟みになって
ほとほと神経がまいっていった。

 その頃、一世を風靡していた山口百恵ちゃんが突然の引退結婚宣言をした。
1980年10月5日での日本武道館であった。
百恵ちゃんと友和さんは、友人のTさんと親しかったので、何度か一緒に食事をしたり飲んだり、
また高輪の住まいにおじゃましたこともあったりしていた。

http://keico.exblog.jp/2090577/
2005.07.12のブログ
山口百恵ちゃんとの思い出

あの若い彼女が結婚を機にいさぎよく辞めたニュースは、百恵ファンを狂乱させていた。
私も少なからず考えされられた。
そしてこの数ヶ月後に、私は突然辞表を出したのだった。

まさかそれが次のメリディアンチェーンでの、すさまじく忙しく世界を飛び回る仕事に結びつくとは思いもしなかった。


>>>☆回想のわが巴里の街1980~1990へ続く、、、

~~~~~~~~~

a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
12 December 2011 Paris

a0031363_8173618.jpg
HÔTEL LE BRISTOL PARIS

 そして今のパリのホテルは、オペラ座近くの三つ星Rホテル。
ギャルソンもコンシエルジュデスクもないが、レセプションがすべてをしてくれて、
ファムドゥメナージュも荷物のおじさんもとってもサンパで心がなごむ。
これが今の私の身の丈に合った<巴里の宿>!

a0031363_15483456.jpg
 (窓からはヴァンドーム広場のあのナポレオンの塔もコンコルド広場のオベリスクも見えないが、、、、、通りの向こうの建物だけがみえるだけ、
でも上を見れば青空が!)

a0031363_1671558.jpg


a0031363_15511444.jpg



~~
more>>>ウィキペディアより

More>>ウィキペディアより
by pretty-bacchus | 2011-12-12 23:56 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(4)

今日の巴里 11 December 2011 Paris
2011年12月11日 日曜日 雨 その三a0031363_21252852.gif
a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
11 December 2011 Paris

~~~~~~~~~~~~~~

その二は
http://keico.exblog.jp/14153200
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ

 昨日はダウンだったので、今日こそは行かねばならぬ、と悲壮な覚悟。
胸脇の痛みは痛み止めと湿布薬で柔らいているが、どうも体のバランスが悪い。
テーピングで湿布のガーゼを固定して、カメラは首からちゃんとかけて、
でもハンドバックもおいて肩からかける小さなカメラバックにお財布とパスポートのコピーをいれて傘をさして、、、という格好。

 ともかくも約束通りにでかけて、用事をすませることができて一安心。
今回でかけてきた最初の目的はだいたい終わったわけで、その次は進行中。
実は三つ目の内緒のミッションがあって、出発間近にIさんからささやかれたもの。
それはここ数年のパリのミシュランの星付きのレストランのリサーチ!だったのですが、
それはまだ一つだけした行っていなくてちょっと焦り気味。
四つ星のレストランにも知る人ぞ知る裏の動きがあって、名前は残ってもシェフが変わったりとか、、、。
日本人のシェフのレストランも十指に余るレストランがオープンして話題になっているし、
近郊の有機野菜で成功しているテツヤさん関係のレストランも数件あってと、急に忙しくなってきた。

 午後には友人の家を訪ねて談笑。
新築をしてもう十一年になるのだそうで、ル・タン・パス・ヴィット!と皆でため息の午後。
ご子息も彼女も今日は、
チェロのお稽古だそうで、在仏10年の芸大出のK先生が教えにいらした。
今日のおさらいはフォーレのエレジーで、彼女の弾きと先生のお教えの両方を聞くことができて初めての経験。
こういう曲にさくらさんのピアノが伴奏したらどんなふうになるのかしら? って想像したりして、、、。
お二人のお稽古をしばらく拝聴して夕方にはそっと失礼して、雨上がりの道をシャンゼリゼ大通りへと向かいました。

a0031363_6502728.jpg
11 December 2011 Paris, Arc de Triomph アヴニューマルソーからの凱旋門


 クリスマス前に日曜日でもうすごい人で、ぶつかるように皆歩いていて、でもなんだか楽しそう〜〜〜。
今年のシャンゼリゼのクリスマスイリュミネーションは、木に豆電球を沢山つける今までとはまったく違っていて、
とっても新鮮だが、でもちょっと寂しい気もして、友人に聞いてみたら理由がわかりました。

 今年のシャンゼリゼ大通りのイリュミネーションはカラフル。
27ものプロジェクトの中から選ばれた新しい光だそう。
二百本の街路樹ににそれぞれ三色の光の輪が取り付けられて、赤、白、青、緑、ピンクと色が変わったり、点滅したり、
二色になったりととても華やか、、、。
120万個の三色LEDが使われていて、さらに枝には小さな丸いミラー版がつけられていて、光を反射させるのだという。
総費用100万ユーロ(一億円!)
でもパリジャンの人気はわかれていて、今までのほうが良い〜という人も多いとか!

a0031363_651418.jpg
11 December 2011 Paris, Avenue


 途中にラデュレの臨時店舗が出来ていて、もうすごい人人人、、、私もならんで日本へのお土産を買おうと思ったら、
三日間しか持たないのですって、、、残念。そしてごめんなさい、さくらさん〜〜〜〜〜〜〜。
一番小さい紫のコフレを買ったのであとで写真を撮っておきますね。

a0031363_724171.jpg


a0031363_744679.jpg (シャンゼリゼのラデュレ)

a0031363_762217.jpg (歩道の反対側に仮説の売り場ができて列をなして並んでいた、、)

a0031363_781563.jpg (人の間からカメラを入れてノーファインダーでカシャッと、、)

a0031363_793553.jpg
 (マカロンの塔!)

a0031363_7105823.jpg


a0031363_7183037.jpg

a0031363_7212848.jpg


 ロンポワンのタクシー乗り場で待つこと三十分、、、さすがに寒くなって悲しくなって、、、どうしようと思ったとたん、
あの五十二番のバスを思い出して、、、そうだエルメルの前で止まったと言うことはそれをさかのぼれば、
きっとあの道をはしっているはず、、、。
昼間なから切手市をしている処を通って、ためなが画廊の前をとって、フォーブールサントノレへ。
ブリストルホテルの豪華なクリスマスイリュミネーションを横目にみてきょろきょろ、、、ありました、左手のほうにバス停が!
時間表をみたらこのこの時間帯は十分おきに走っているようで、
今回は生まれて初めてのパリのバスに強くなったみたいで、、、えっへん!

バスはエリーゼ宮を通り、ソニアリキエルやサンローランのお店をすぎてエルメス、ランバンを通って、
ロイヤル通りを左に曲がってマドレーヌ寺院を右折でキャプシーヌ通りへ。オペラ座で下車したら雨がざっと降ってきて、、、
困った傘がない〜〜〜。
ともかく信号を渡って目の前のカフェドゥラペのテントの下に避難。

a0031363_7114662.jpg


あら〜〜冬の味覚の貝やエビが美味しそう〜〜ごっくん。
少し時間は早いのに結局中に入ってしまってお席をお願いしてほっと一息。
オペラ座の光がみえる天井がたかい豪華なこのレストランは観光客が多いようで、
このお店でディナーをいただいたのは確か一度しかなかったような、、、、。

a0031363_713791.jpg

a0031363_714883.jpg

a0031363_7144340.jpg


a0031363_7153620.jpg (コーヒーのお砂糖はさくらさんのおみやげ、、、、マカロンがでたので、ラデュレで求めたマカロンをあけてカシャッ!)

 プラトーロイヤルという海に幸の盛り合わせとブルジョワさんのサンセールの相性が抜群。
iPhoneとiPadで食事中に遊んでいたお隣のアメリカ人カップルが話しかけてきて、
途中から左どなりは中国人でiPhoneでお料理の写真を撮っていて、、、と国際色豊かなお店で、結構楽しめた夕食となりました。
ギャルソンもなかなかで英語も上手でお上りさんになれている感じ。
メインディッシュは、<すずきの抹茶仕立てエノキとともに>にしたのですがお味は今いちで、
レストランってむずかしいですね〜〜!
(というわけでお料理の写真は撮る気なしとないました、、、、)

 まだやまない雨で傘をお借りしてホテルまで早足、、、。
長い一日が終わりました。

(歩数は7200でした)
by pretty-bacchus | 2011-12-11 23:59 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(4)

今日の巴里 09 December 2011 Parisの続〜串揚げの<修>さん
2011年12月11日 日曜日 雨 その二

(雨のおかげで時間ができて、こうしてお部屋の中で写真の整理とブログの更新ができています)

2011年12月09日 金曜日 
http://keico.exblog.jp/14149612
2011年12月9日 金曜日のブログ
a0031363_21252852.gif
a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里、
09 December 2011 Paris
http://keico.exblog.jp/14149680/
今日の巴里 09 December 2011 Paris2011年12月09日 金曜日 

.
 ルーヴルと修さんの写真の整理が少しできましたので、ルーヴルの方は
http://keico.exblog.jp/14149612
こちらに追加して

修さんの方をアップしておきましょう。
(あとで、この日にちに追加しておきますが、、)

<修>オーナー鵜飼修さんの滞仏はたしかもう十年以上、他のお店で何年もお仕事をなさってこのお店を三年前にオープンなさったとか。
黒い漆喰の天上と柱を見事に生かした店の造りで、奥に串焼きにカウンターが数席で、
あとは5テーブルで20席くらい、席は奥の席が10席くらいのシックなお店。

サンミッシェルから細い道を入り左折してrue du Segerへ。
予約は九時ごろになってしまいましたが、、、
a0031363_1747286.jpg


a0031363_18391751.jpg  (まずアミューズが、、)

a0031363_18491489.jpg (お造りの新鮮さとお味は抜群、パリなのにわさびは本わさび!)

a0031363_1851919.jpg (顔をあげるとあげている彼の顔が、、、ノーファインダーでカシャッ)

a0031363_18521813.jpg (串は三本つづお皿にもられて、それぞれの説明をしてくださる、、、)

a0031363_18534888.jpg (今夜のメニュー、ワインはサシャーヌモンラッシェの赤2008年、作り手はかの ○☆△!

a0031363_18575389.jpg (お茶漬け、、、、)

a0031363_18584529.jpg (左手を挙げてノーファインダーでトライしたら、こんなによく撮れました〜〜〜)


a0031363_19123310.jpg (デザートはヨーグルト仕立てで、、、)
a0031363_190136.jpg (お隣の席のフランス人にも丁寧に説明されてました)


 最後まで送ってくださって、ありがとうございました。
開店後すぐにのリーマンショックでお客様が減って大変だったようですが、フランス人のお客様もふえたようで、
半年前にミラノの串あげやさんにいらした方がジョインされてパリでのお店でご活躍。
このお店ほどカリテプリを感じたパリでのお店はないかもしれません。

a0031363_19174113.jpg

a0031363_19232352.jpg


真夜中には満月が輝いていましたが、お腹いっぱいの酔いどれ足ではピンがさだまりませんでした。

(追記) そしてこの満月を、皆既月食を母は弟とずっとみていたそうです。
(今日の歩数;7165)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/14149680/
今日の巴里 09 December 2011 Paris2011年12月09日 金曜日 のブログから

More..Paris2011年12月09日 金曜日 
by pretty-bacchus | 2011-12-11 23:58 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(7)

☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ
2011年12月11日 日曜日 その一a0031363_21252852.gif
☆回想のわが巴里の街 ーシャンゼリゼ

 今日も雨の予報、、、晴れ女のはずなのに、こんなに雨も珍しい。
パリにてすらも珍しい毎日の雨予報。
a0031363_13274089.jpg


 約束の時間だが、どうしてもこの通りを通りたかった。
あの凱旋門を目指してシャンゼリゼ大通り走ってもらった。

 コンコルド広場から少し昇りの道の4キロ弱が、シャンゼリゼ大通り。
六車線と二重の街路樹の幅が70メートルもある大通り L'Avenue des Champs-Élysées。
世界で最も美しい通り(la plus belle avenue du mondeといわれるあのシャンぜリセ大通り、、、「極楽浄土通り」
春にはマロニエとプラタナスの木が緑をつけて、夏には木陰を作り人々のいこう通りとなり、
紅葉の枯れ葉の秋をへてイリュミネーションのクリスマスとなる、シャンゼリゼ!

 コンコルド広場から少し昇りかげんの道を三キロあるくと56メートルの凱旋門がでんと座す。
「Arc de triomphe de l'Etoile」「エトワール広場の凱旋門」が凱旋門の正式名称だったが、シャルル・ド・ゴール広場が今の正式名となったが、わたしは昔のようにエトワール広場という言い方のほうが好き!
12本の通りが放射状に延びて、その形が光り輝く「星=étoile」のように見えるから、この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」

 このシャンゼリゼ121番地は1970年代はじめに、二年間毎日通っていた事務所があった。
まだそのころはリドがあり、クラリッジホテルがあり、そしてパンナメリカン航空のパリ事務所があった。
(ブログ)

 このシャンゼリゼ大通りが一番賑わうのは7月14日のフランス革命の大行進と、12月31日のレヴェイヨンの年越しの時だろう。
国旗の色と同じ飛行機雲をなびかせて、戦闘機が上空を飛び、通りには戦車が行進して国家の軍事をこっきする様は見事である。 フランスは農業国で、パリ祭のあの軍事行進は国家威信を見せつけるためにちがいない。
その行進にはエコールポリテクニックの学生達も加わり、その先頭を女性があるいたことがあった。

 さすが農業国〜〜と思わせる催しをすることがある。
凱旋門からロンポワンのロータリーまでの1キロ強を農場にしてしまうとい催しが春の農業祭りのおりに時々行われる。
1,000人もの農業者が参加して、トラクターもそれ以上で、フランスの農業の大半を見ることができるのも、ひとつの農村者のデモンストレーションかもしれない。前の晩は車で混んでいたあの六車線L'Avenue des Champs-Élyséesが一夜にして麦畑になるのはなんとも爽快である。
(more>> に写真を)
 そして、シャンゼリゼは自転車レース「ツール・ド・フランス」の最終ステージのゴール地点でもある。

 凱旋門に向かって左側のジョルジュサンク通りの角には、<凱旋門>の処で書いたが、赤いテントが目印のカフェフーケがあった。
今は、新しいホテルになり、その名も
フーケッツ・バリエール・パリ
FOUQUET’S PARIS BARRIÈRE PARIS
George V & Avenues Champs-Elysees 75008 Paris

 
a0031363_4555099.jpg
(2006.12.00 冬でもこんなの空が青いこともある! 

a0031363_9423869.jpg
  (2008.12.19 遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)


 そして、後には、コンコルド広場が、、、、、

a0031363_23453610.jpg  (パリ、コンコルド広場の噴水の夜景)

http://keico.exblog.jp/10584167/
2010年5月8日 土曜日 曇り
Memoires du Voyage 旅の写真を絵はがきに

~~~~~

そして今日の巴里、
10 December 2011 Paris

日曜日ですごい人!
a0031363_723463.jpg
10 December 2011 Paris, Avenue des Champs-Élysées (こっち向いてカシャッ、、、
横断歩道の真ん中で忙しい〜〜〜〜!
a0031363_7342437.jpg
(あっち向いてカシャッ、、)

a0031363_011016.jpg


a0031363_7281539.jpg
 (ロンポワンのタクシー乗り場から望遠ぎりぎりで、遠景のビルとエッフェル塔を)


続きは、
a0031363_17938.jpg
そして今日の巴里へ、、、、
11 December 2011 Paris


〜〜〜〜〜〜〜〜
more>>>このブログ内で<シャンゼリゼ>で検索したら、なんと沢山でてきた。
moreに記録で残しておこう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

More>このブログ内で<シャンゼリゼ>
by pretty-bacchus | 2011-12-11 23:57 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(4)