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眠くて眠くて、、、時差なのかしら?
2011年12月22日 木曜日 曇り

 静かな朝だ。
久しぶりに朝の鳥の声を聞いたような、、、そうだここは日本なのだ。
カミオンプーベル=ゴミ車ががたがたとがこないのだ、、、、なんだかほっとしてまた熟睡。

借景の木の葉はすっかり落ちて、早来春の芽生えだろうか。。。?
なんだか桃色に見える木の葉に鳥がやってきた。

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 眠い、、、、眠い、、、これがひどい時差というのだろか、それともやっぱり疲れが出たのだろうか、、、
ただ昏々と寝ている。
こんなことも初めてだ。
いろいろ初めてづくしの巴里から帰って、またまた初めてのことばかり。
これが自然回帰でこうしてだんだん年をとっていくのだろう、、、、か?

 帰国後すぐに医者にも、美容院にも行こうと予約をしておいたのに、それも出来ず、ただ昏々と眠っている。
それもパリ時間だから、夜になって目覚めて食事をしてそれから少しMacに向かうともううとうと、、、、。
せめて日記を書こうと思って写真の現像(といってもほとんどJPEG撮ってだしだが)を初めても、いつのまにやら
船をこぎ、、、、

 あと残すところ一週間ですこしばかり焦っているが、まあいいか、、、今年は、、と、自分を甘やかしてしまっている。

 せめて今回の写真でクリスマスカードを創ろう、、、と、雨の車窓からのマドレーヌ寺院のすなっぷをつかって、
簡単なレイアウトをしたが、プリンターが動かない、、、、。

これでは年賀状のプリントもできないではないか、、、、、年賀網もお休みになりそうだ、、、、。

 巴里を一枚、、、、、、
by pretty-bacchus | 2011-12-22 23:59 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(0)

日本に帰ってきました。
2011年12月21日 水曜日 晴れ

 予定より一時間遅れて午前七時五十分着羽田空港についた。
出発で荷物を左腕で持つことを試みたが、まだ胸が痛いので、急遽日本の友人にSOSを出した車での出迎えをお願いしてあった。

 ありがたかった。
留守の間のことをいろいろ話しながら、お昼前には家についた。

 久しぶりの家はやっぱりいいな、、、、、。
でももう限界だったようで、バタンキュウで、、、、。目が覚めたのは午後7時だった。

さあ、、、大変だわ、、、この今年もあと十日を残すだけで、しなければいけないことが山ほどあるのだ。

どうしよう~~~~。
荷物の整理も、写真の整理も、、、、と、いつもの私にもどっていた。

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(外苑出口にて、助手席より、、、まだ秋の気配が残る日本、、、)

巴里でもまだ黄色い葉でした。
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by pretty-bacchus | 2011-12-21 23:59 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(2)

☆回想のわが巴里の街〜帰りの機内にて その二
2011年12月20日 火曜日 雨上がり その三a0031363_21252852.gif

 不思議な旅となってしまった。
フランスでもめずらしく毎日のように雨がつづいた。
生まれて初めて旅先でけがをした。
右手は腱鞘炎、左脇胸は、たぶんあばら骨に(コートフェレというのだそうで、コートドゥブッフとかと同じとか?)
その上、実は何日めかに牡蠣にあたって苦しい思いをした。
と、、、、、いろいろで数日を横になって過ごした。

 その翌日には時計が止まってしまし、その後はゆっくりゆっくり動いている。
最後はMacが 珍しいフリーズをおこしてダウン。

初めてのパリから四十五年、両親からパリのことを聞いて興味を持ち始めたのは小さい頃だから、
パリとの関係はもう六十年以上になる。
そのパリでこうして、奇しくもこうして今までのことを振り返ることが出来たのは至福といえるだろう。
いろいろのけがや不都合はこの至福の時を与えるための神の采配だったのだろう。
二十世紀の回想は少しは書けたかもしれない。
二十一世紀になって、そろそろ引退を考えて、代を譲ったと思った矢先に、また大きな国際事件に巻き込まれた。
ほうってはおかれなかった。すべてをかけて弟を救った。
それが一段落して、やれやれ、、、これで一息を思った今年の一月に、突然のがん宣告!そして生還!
どうやらまままだ神は私を解放してはくれないようだ。
2004年からはブログで少しは書き残したが、このあたりは、またいつか書き手起きたいものだ。

 この間、連れ合いは、荷物の整理にあきるとウトウト、、、、、
目覚めるとパリに置いてあったフランス関係の歴史や現代の本をいろいろ読んでいた。
ガリアからフランク王国へ、そしてメロヴィング朝>カロリング朝>カペー朝>ヴァロワ朝>ブルボン朝 >フランス革命。
第一共和政>第一帝政>百日天下>ブルボン第二復古王政 >七月王政>第二共和政>第二帝政と進み、このナポレオン三世の第二帝政の時1853年-1870年の17年間に、セーヌ県知事だったジョルジュ・オースマンによって行われた
パリを世界都市とするためのパリ市街の大改造にいたく興味を持ったようだった。

古い巴里の街の外壁はもちろん建物の何もかも壊して、大通り、街路,行政施設の集約,緑地の配置,ガス灯,
上下水道などのインフラ整備などを、美学的な側面ばかりではなく機能性を重視したその都市計画であり、
資本主義とナショナリズムという大きな経済と政治の枠組みのなかで再構成され、それは近代化に大きく貢献し、
現在のパリ市街の原型ともなっているのだそうだ。
世界一美しい街=パリは、こうして創られたのだ。

 ホテルから出て突き当たるのがこのオースマン大通り(Bourlebard Haussmannだったから、
両側の建物をいつもながめては感心していた。
あげくのはてには、日本でも新宿通りなどは、このようにあまり高層ではなく七階くらいの高さにそろえてビルを造って、
三階くらいまでを店舗、その他を事務所や住宅にしたらどんなにいいだろう、とか言い出したりしていた。

 フランスの現代の政治経済の本を読むと、今の苦しい状況のなかで消費税が19.6パーセントという事実とその効果を考えていた。
日本では教育制度ももっと改善できるのだとか、、、エトセトラ、、、。
男の人って、ただ回想にふけってブログを書いたり写真を撮っている私とは、やっぱり違うなって妙に感心したわけでして、、、。

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 (夕方のプランタン百貨店)


 不十分だが一つの旅が終わった。
あまりにも変わってしまった<朔太郎のパリ>に唖然としたまま過ぎていってしまったような気がする。
あんなになれていたはずの<私の巴里の街>なのに、なんだか他人の街のようだった。
一番いやだったのが、街中たばこを吸う人であふれていたことだった。
数年前からオフィスでの喫煙が禁止されたようで、ビルの出口にはたばこを持って出てきてすう人がどの建物にもいた。
歩きたばこで平気で道路に吸い殻を捨てる人もいた。

a0031363_19111155.jpg(今回の巴里で一番驚いたのは、路上でたばこを吸う人の多さ! 

これはカンボン通りのシャネルの二つ前の建物、、、)
数年前に建て物ないでの喫煙が禁じられたそうで、
どのビルの前には人があふれてプ〜カプカ、きたなくなった灰皿はそのままだし、、、歩行者はたまったものではありません、、、)

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 二つ目は、ルーマニア系らしいが、若い女の子二人を使っての、やり手おやじのスリかっぱらいのたぐいが多かったことだ。
それぞれの時代でやり方が変わってきているようだが、最近は可愛い女の子がパリの地図をもって近づいて
くる。
〝エクスキューズミー ○×へはどういけばいいのでしょう〟と話しかける。
少し英語が出来て鼻の舌の長い男性はすぐにひっかかってしまうようで、地図を見ながら話しているあいだに、
近くに控えていた男性がバックをうばうというやり方のようで、パリの住人ですら引っかかったことがあるという。

メトロの降り口も多いようで、今回はメトロを控えてしまった。
旅慣れたはずの連れ合いが今回は怖がっていたほどだった。
スリは現行犯逮捕なので、なかなかつかまらずに、捕まってもすぐ出てきてしまうらしい。
言葉がわからず唖になるのが良いようだが、しつこくしてきたら、日本語で〝ポリスにいこう、、〟というのが良いようで、
何度か難を逃れた。
奪われることも困るが、首からさげたカメラなどをかばって引きずられてけがをするケースもあるというから気をつけていた。

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a0031363_21503664.jpg(昔からの友人にも会えた。定年で仕事をやめて、いわゆる年金生活を謳歌しているのだ!)

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 (この写真学の真ん中には27年まえに生まれたばかりの彼を抱き上げている私の写真があって、
そのあまりの若さに皆んなで唖然!)


 初めての体験もいろいろあった。
ほんの十日間ほどのあいだに、ずいぶんいろいろの番号のバスに乗ってしまった。
メトロがだめでタクシーが混んでいて、もちろん今回はリムジンもなくで、、、それがかえって功を奏した。
オペラ座を中心のその後ろから、脇から、オペラ通りでと行き先によって少し乗り場も降り場も違うのだが、
バスの脇に大きく主要デスティネーションが書いてあるので問題ない。
52番は凱旋門、42番はエッフェル塔、21&26番がノートルダム、68&95番がルーブル、ミュゼドルせー、
29番がヴォージュ広場、そして凱旋門近くからフォーブールサントノレを通ってマドレーヌ寺院を経由して
オペラ座へつくバスには何度もお世話になった。
渋滞で途中で下ろされたことがあったが、それもまた<巴里>なのだろう。

 バスには古いバスト新しいバスがあるようで、古い方は降りるをしらせるブザーが数が少ないので。降りるよ〜〜って。
声をかけて人混みを分けていく人も多かった。
年寄り席はないが、なんとなく若い人が変わったりして、席をゆずりあっていた。
書かれたルールがなくとも人間のルーフが生きているのだ。

a0031363_4392147.jpg(こちらは新式バスで込んでくると座っている人が立って椅子をたたんでいる、、、)

a0031363_4511551.jpg (バスの中には人生がいろいろある、、、カルティエによって人々の顔や服装も違うのだ)

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      (17 December 2011 Paris, pm3:33 à la place de Concord par la fenêtre du Bus42)

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  (18 December 2011 Paris, pm7:00 par la fenêtre du Bus52)
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   (52番のバスのなかからフォーブールサントノレ通りのバーバリーの店をカシャッ! 傘もレインコートのない人はコートをほしかったろうな、、、)

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 (18 December 2011 Paris,車がなくて途方にくれてたどり着いたのはアレキサンダー三世橋の側の63番バス乗り場、、、、セーヌ川の欄干から遠くのコンコルド広場をカシャッ(


 前日に洗った下着が乾かないのもはじめてだった、、、なにせ毎日雨で湿度が90%もあったのだから。
懐かしい人にも会えた。しかし彼らはそれぞれの生活がある。いつもは頼ることは出来ないかもしれない。
大使館の機能もあまりよくないようで、パリの日本人はあきらめているという。

 ここはもう私の<遠い昔>の巴里ではない。
それをふまえた上でのパリとのお付き合いをしよう、、、、、そして次のパリへの旅はいつになるのだろうか。
すべてを引き上げたつもりだったが、次への旅心が、今こうして日本へ帰る機内でもう始まっている。
<エトランジェ>として<旅人>としての、新しい<巴里への旅>への挑戦がまた始まるのだろうか?

 しかしその前に、この日本でしておかねばならないことが山ほどある。
人生の残された時間をどんな風に使うかをまず考えなければならないだろう。

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  (18 December 2011 Paris,オペラを背に日がぎらぎら輝くヴァンドーム広場を)


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(11 December 2011 Paris, Arc de Triomph アヴニューマルソーからの凱旋門)

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 (アンヴァリッドから、ナポレオン砲のかたなに輝く今年のエッフェル塔)
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〜〜〜〜〜
写真はまだまだ整理がおわりそうもない、、、、
by pretty-bacchus | 2011-12-20 23:58 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(2)

☆回想のわが巴里の街〜帰りの機内にて
2011年12月20日 火曜日 雨上がり その二 機内にて a0031363_21252852.gif

 荷物の整理が中途半端ながら終わったのが午前四時。
ほんの二時間ほどうとうとして、目が覚めた。
今朝のパリは静かなようだ。昨日一昨日と一日中車の音とクラクションがうるさかった。
クラクション禁止のパリでは珍しいことでった。

 昨日母に電話をしたが出なかったので、弟にメールをいれてあった。
〝こんばんは!何か大変ですね!先日ママと皆既月食を見ました。
寒い夜中なのに45分一緒に庭にいました。凄いママですね!とても元気ですので安心して下さい!

よかった! 水星とか宇宙とかも好きで、91歳になるのに感性が衰えない母はほんとうに素晴らしい!
今回はお茶関係の方にもパリであったが、日本文化がパリで開花しているのは嬉しいことだ。
ロダン美術館でみたゴッホの<タンギー爺さん>の背景には日本の浮世絵が描かれていたが、
ジャポニズムが周期的にパリで話題になっているようだ。

(写真後で、、、)

 テレビのニュースをつけた。
どのチャンネルも金正日死去のニュースで、この歴史的な朝の雨のパリにいることの不思議を思う。
何かの新しい予感のこの時を一瞬でもあじわいたい。

 11時に飛行機なのに、7時45分にホテルを出た。セキュリティーのサンディカ(組合)のストライキが数日前から続いていて、
フランス各地の空港はひどい混雑だという。
ロアシーにいくには何本かの道があるが、今日の運転手さんは北へ進み、クリニャンクール近くの朝市を走っていた。
まだ準備のためかカミオンが沢山止まっていて、これからの賑わいがみえるよう、、、、次回には来てみてみよう、と、
すでに次回を考えている。

a0031363_7355356.jpg (こんなに暗いのにもう出勤の人が動き始めたようだ、、、)


 45分でシャルルドゴール空港到着。
JALグローバルクラブカウンターでチェックイン。
出発前に聞いていたように4月から荷物の規定が変わって、なんと一個32キロまでの荷物が三つも良いようで
(一説によると全日空との競争のようだが)上手に旅をするとかなりの荷物を持って帰れるわけだ。

 その後のパスポートコントロールも20分ほどで通過。
9時をすぎて、突然に笛の音が響きわたり、シュプレヒコールがはじまった。
押しあうような音も聞こえてきて、組合員達がデモ行動をしているのが聞こえてきた。
フランスの冬の風物詩となってしまったグレーヴ=ストライキだが、週32時間労働と
ストレスの多いセキュリティーの仕事への特別手当とかで、今回はあまり市民の共感を得ていないようで
比較的静かな感じだったが、キャンセルする機も出始めていてクリスマス休暇ででかける家族が被害者のようだ。

 それからが大変だった。おそらく中間管理職とか臨時の人がしているのだろうから、丁寧なのだが時間がかかる。
その上なれていないから誘導も上手ではなく、セキュリティーをやっと終わって一息した頃にはもう搭乗時間。
それも一番はしの42番ゲートだからそのまま進み、結局デューティーフリーでのウィンドウショッピングの時間もなくゲートへ。

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 20分遅れて搭乗が始まり10時50分には機内の人となった。
朝の空港の空気は澄んでいて気持ちが良い。
天使の階段が、空港を包み込み、、、最後のパリに思いをはせた。

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a0031363_7442389.jpg (pm12:20)

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 ここからが長かった。最終搭乗者をまつこと一時間半、機はようやく頭をあげて離陸。
雨上がりの空港がきれいで、なぜか涙がながれゆく、、、。
 席は03Aで移りゆく機外を撮っていたが、やがて少し眠ってしまったようだ。
このコンパートメントもほとんど満席で、子供がうるさく、、、まあ仕方がないか、、、。
Macをとりだして、メールをチェック、、、ああ機内ではネットがだめだったのだ。

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a0031363_754063.jpg (pm14:42)


 機内で洋食で肉を食べたのは初めてかもしれないし、美味しいというコーヒーも試してみた。
行きはうどんだったので、帰りはカレーライスとサラダ、、、食欲はあるので、どうやら元気で帰れそうだ。

 漆黒の機外に時々エンジンの光が光る。
前の液晶の地図はChangehun? どこだろう、、、ああハバロフスクもでた。
あと三時間で東京着、機外の温度はマイナス81度 高度11887、、、不思議でならない、、、
この筐体がどうしてこの空を飛んでいるのだろう。何度聞いたって納得できても、でも、、、わからない。

パリ時間10時過ぎに、遠くの空が燃えてきた。
朝の訪れの光が下の雲を白くし始めた。

a0031363_7521383.jpg (パリ時間22:13、日本時間6:13)

a0031363_757534.jpg(パリ時間22:27、日本時間6:27)

(ISO6400 望遠ぎりぎりで手持ちの世界。 ノイズが沢山だがこの宇宙の色の一部を垣間見られるのは嬉しい、、、、)


 荘厳なその一瞬を連写した。
ほんの数分で太陽は輝きだして普通の空になってしまった。
不思議な朝だった。
宇宙の不思議さをこうして機内で凝視している自分がもっと不思議でならなかった。

ほんとうに今回は不思議な旅となってしまった。

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(パリ時間22:57、日本時間6:57 朝日が昇る!)



(続く、、、、)
by pretty-bacchus | 2011-12-20 23:23 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(16)

巴里よ、しばらくお別れですね〜〜〜
2011年12月20日 火曜日 午前7時a0031363_21252852.gif

 これからホテルを出発、
朝のJL便にて。

到着は明日の朝に成田へ、いや羽田へ。
by pretty-bacchus | 2011-12-20 23:13 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(0)

☆回想のわが巴里の街 ~ 我が人生を振り返って
2011年12月20日 火曜日 雨 
我が人生を振り返ってa0031363_21252852.gif

☆回想のわが巴里の街1965~1973
♥回想のわが巴里の街1973~1980
♥回想のわが巴里の街1980~1990
☆回想のわが巴里の街1990~2000

 最後の日の夜明けを迎えている。
荷物の整理が途中のまま、荷造りをして、あと数時間でも横になりたいのに、目がさえてMacに向かっている冬の巴里。

思えば、八十年代後半からの最晩の二十世紀後半の十数年が、私にとっては最後の充実した第三の人生だったに違いない。
第一が生まれたときから学校を卒業するまでの二十二年、
第二は、そのあとのエールフランス&メリディアンチェーンでの二十三年、
そしてそれからの十数年の五十代最終までがわたしの第三の人生。
それぞれに充実した日々であったが、この第三が一番自由に羽ばたいていたように思われる。

第一の時代のキーワードはやはり、自然との交わり、勉学、教育だろうか、、、。
第二の時代は、新しい事への挑戦、そして仕事、海外、だろうか、、、、。
そして第三は、それらをすべて背負っての新しい世界への飛躍かな、、、、。

 外国人との交流を思い出せば、
幼稚園から中学まで、日曜学校の神父様と父や叔父の知り合いの外国人、
十代後半から二十代前半の大学時代は神父様と先生方、
卒業後すぐにエールフランス入社だから、会社のフランス人上司
二十代後半から三十代はパリの駐在員としてドップリと会社のフランス人たち、街の人たち、
そしてジャクリーヌとその家族、美容師のF、近くのレストランのオーナー達、家主くらいかな、、、。

 三十代後半から四十代前半は、メリディアンチェーン日本代表として
エールフランス本社のおえらさんや、メリディアンチェーンの社長&スタッフ、
そしてホテルがあった六十カ国のGMたち、と、すでにかなりの人たちとお目にかかっていたが、、、、
そのあと仕事に突然きっぱりと終止符をうった後は、<サラリーマン生活>からの呪縛がとけて、
今までとは住む世界の違う、職業の異なったフランス人やヨーロッパ各地の人たちとの交流がふかまっていった。

 東京からパリへ、一泊二日でとんぼ返りで、翌日は香港へ、また帰国して二ユーヨークへ、
中東へとかのメリディアンチェーンの365日24時間休み無しの生活で体を壊したわたしは、
やめて二日後に入院して大きな手術をうけたのだった。
回復してからのわたしは心身共にとっても自由感を味わっていた。

 身内の会社で、しぜんに洋酒部の仕事にかかわっていったから、海外への旅では、
今までのホテル経営のレストランとパリの星レストランだけではなく、
地方のミシュランの☆のレストランにもどんどん訪れ始めた。
自然にレストランのシェフ、ソムリエさん達とも、造り手さん達とも親しくなっっていった。
ランブロワジーのピエール・ル・ムラック氏とその家族との交流も深くなった。

 八十年代後半に設立された、美術とワイン関係のフランス女性の<ベル・バカント>の会の
たった一人の日本人として選ばれて、年四回の三つ星レストランでの勉強会&食事会に東京から出かけていた。
日本ではお目にかかれなかった、絵画や美術品に近く接して、オークションハウスに通ったのも
この時期だった。

 政財界から退いたガンス夫妻が、サンテミリオンに朽ちたワインシャトーを購入したのもこの頃だった。
彼らは十年かけてパリとサンテミリオンを通って、シャトー・カデ・ボンを10年後のサンテミリオンワイン格付けで見事、
グランクリュクラッセに返り咲かせたときには、お祝いの宴にかけつけた。
二つ目のシャトー・キュレ・ボンには、マルセリーヌが幼少の頃に訪れた安芸の宮島の、
あの朱色が忘れられなくて、彼女はなんとワイン醸造の場所の天上は朱色の漆喰のような木組みにして、
そのしたの銀色のステンレスタンクと見事な調和をなしていた。
ワイン蔵は紀元前からの岩山の通路、そしてうしろの高台のは、彫刻家ベルナール ヴネの
6メートルものの字のオブジェをパリから運んでいた。
(後にこのシャトーは、シャネルに渡ることになる)

お祝いには、宮島の朱色と作った現地の大工さんたち(彼らは招かれたことをとても喜んでいた)、
パリの社交界の面々、もちろん近隣のワインナリーオーたーやベトリュスのオーナーや、
そしてボルドーからは、フィリピーヌ・ロッチルドやピノ−夫人もかけつけていた。
ベルナールがジスカールデスタン時代の大蔵官僚的な人物だったので、政界の方も出席していて
(彼らは二十一世紀になって二つとも手放して、スイスに居城を移してしまったが、、、)

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  (サンテミリオングランクリュクラッセに返り咲きを祝って、オーナーのベルナールガンスに
自作のカードをたくさん送ったものは1996年)

http://keico.exblog.jp/5691687
2007.06.05 火曜日 まだ夜は明けない
旧友の手紙を運ぶ青い風

a0031363_2349502.jpg (翼をあれが巴里の灯か! 
ボルドーからパリへプライヴェートジェットで向かう折りに)

(彼らのプライヴェートジェットの操縦室から移したたった一枚の記念の写真からカードを創った)

 ある日のブログから
<フランスでの旅の思いでが走馬燈のように走る、、、
モンサンミッシェルへの日帰りの車の旅、ロワールのフランソワ一世のシュノンソー城、、、、、、
ヘリコプターから落ちそうになって撮ったヴォルヴィックの水源、
ムートンロッチルドの図書室でのディナー、マルセリーヌのプライベートジェットで通ったサンテミリオン、、、、、
ボルドーのオペラハウスの椿姫と、その後のギャラディナー、アランジュペ氏の顔が浮かぶ、、、
ブルゴーニュの幻の葡萄畑、シュバリエを受けた時の宣誓言はなんだったかな、、、>

http://keico.exblog.jp/737899
2004.07.25
父譲りで就眠儀式は読書なの

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( 数年後のMr. &Mrs. Bernard & Marceline GANS, スイスにて1995年)

a0031363_356746.jpg 、、、、左がMarceline、右がKeiko~~~~~~。
スキャンイングは失敗ですね、、、)

下記ブログから
http://keico.exblog.jp/6126882
2007.09.06 木曜日 風雨強し、台風近し
アデュー ルチアーノ・パバロッティさん

 そして、この年1997年の最大の思いでは、ボルドーのオペラハウスで椿姫観劇とその後にフォワイエでの
真夜中から始まった夜会であった。
パリからはフランス社交界の主なる人々が集まり、ボルドーの主なるワインの造り手が集ったこの宴は
東京の女性にとって、驚きだった。
この時の写真は、ギャラの時のスナップとして上のブログの中にのせてある。
<左から、マルセリーヌ・ガンス、アラン・ジュペ元フランス首相、
マダム・フィリッピーヌ・ロッチルド、右は私で、この日のために誂えた椿の辻が花の着物で。
招待者全員が、シャネルの白い椿の布のブローチを胸に付けている>

http://keico.exblog.jp/10437146
2010年4月16日 金曜日 曇り時々雨、みぞれで寒い
残る花散るを忘るるみぞれかな

 彼らの紹介で、美術界の方々とも親しくなって、パリのドゥルーオーはもとより、
ロンドンのサザビーズやクリスティのオークションに、時にはニューヨークにも足をのばしたのは
この第三の時代であった。

 1996年のオランダのマウリッツハイス美術館での、世界中から一同に集まったフェルメール特別展は
このLES BELLES BACCHANTES ベルバカントの仲間との旅だった。
朝の7時から特別に鑑賞することができた珠玉のフェルメールとの対面だった。
(この時の写真はポジのままで整理がついていない、、、)
http://keico.exblog.jp/6805711
2008年2月17日 日曜日 晴れ
「恋するフェルメール―36作品への旅 」

http://keico.exblog.jp/13140301
2011年7月25日 月曜日
日曜美術館<“手紙”が語るフェルメールの真実

そして今雨の巴里で、
☆回想のわが巴里の街2000~2010を振り返り、
☆回想のわが巴里の街2010~2020への期待を考えている。

>>>>続く、、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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そして今日の巴里、
20 December 2011 Paris


 最後の巴里も雨のパリ。
夕食のあとオペラ通りを歩いて帰り最後の一枚を!
あのブリジットヴァルどーが微笑んでいた。
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by pretty-bacchus | 2011-12-20 03:55 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(0)

☆回想のわが巴里の街~フランス人との交流歴
2011年12月18日 日曜日 a0031363_21252852.gif

フランス人との交流歴
 
= 幼稚園から中学まで 日曜学校の神父様と、父の知り合い、
= 十代後半から二十代前半の大学時代 神父様、先生方

= 二十代前半、卒業後すぐにエールフランスの上司

= 二十代後半から三十代、パリの駐在員としてドップリと会社の人たち、街の人たち、
そしてジャクジーヌとその家族、美容師のF、家主

外国人との交流を思い出せば、
幼稚園から中学まで、日曜学校の神父様と父や叔父の知り合いの外国人、
十代後半から二十代前半の大学時代は神父様と先生方、
卒業後すぐにエールフランス入社だから、会社のフランス人上司
二十代後半から三十代はパリの駐在員としてドップリと会社のフランス人たち、街の人たち、
そしてジャクリーヌとその家族、美容師のF、近くのレストランのオーナー達、家主くらいかな、、、。


= 三十代後半から四十代前半
メリディアンチェーン日本代表として
エールフランス本社のおえらさん
メリディアンチェーンの社長、スタッフ、六十カ国の方々
レストランのシェフ、ソムリエさん達、
とくにピエール・ル・ムラック氏とその家族

= 四十代半ばから五十代後半までの十五年
どういうわけか、二十四年の古巣のエールフランスの方々とは疎遠になる。

 友人の紹介で、美術界の方々と親しくなる。
エクスペール(美術鑑定家)のキャマールさん一家、

レストランのシェフとソムリエさん達
 ワインの造り手たち

 エクスペールKさんの紹介で、マルセリーヌ&ベルナールGと知己を得る。

フィリピーヌ・ロッチルド


身内の会社で、しぜんに洋酒部の仕事にかかわっていったから、海外への旅では、
今までのホテル経営のレストランとパリの星レストランだけではなく、
地方のミシュランの☆のレストランにもどんどん訪れ始めた。
自然にレストランのシェフ、ソムリエさん達とも、造り手さん達とも親しくなっっていった。
ランブロワジーのピエール・ル・ムラック氏とその家族との交流も深くなった。

八十年代後半に設立された、美術とワイン関係のフランス女性の<ベル・バカント>の会のたった一人の
日本人として選ばれて、年四回の三つ星レストランでの勉強会&食事会に東京から出かけていた。
 
 政財界から退いたガンス夫妻が、サンテミリオンに朽ちたワインシャトーを購入したのもこの頃だった。
彼らは十年かけてパリとサンテミリオンを通って、シャトー・カデ・ボンを10年後の
サンテミリオンワイン格付けで見事、グランクリュクラッセに返り咲かせたときには、
お祝いの宴にかけつけた。
二つ目のシャトー・キュレ・ボンには、マルセリーヌが幼少の頃に訪れた安芸の宮島の、
あの朱色が忘れられなくて、彼女はなんとワイン醸造の場所の天上は朱色の漆喰のような木組みにして、
そのしたの銀色のステンレスタンクと見事な調和をなしていた。
ワイン蔵は紀元前からの岩山の通路、そしてうしろの高台のは、彫刻家ベルナール ヴネの
6メートルものCの字のオブジェをパリから運んでいた。
(後にこのシャトーは、シャネルに渡ることになる)

 お祝いには、宮島の朱色と作った現地の大工さんたち(彼らは招かれたことをとても喜んでいた)、
パリの社交界の面々、もちろん近隣のワインナリーオーたーやベトリュスのオーナーや、
そしてボルドーからは、フィリピーヌ・ロッチルドやピノ−夫人もかけつけていた。
ベルナールがジスカールデスタン時代の大蔵官僚的な人物だったので、政界の方も出席していて
(彼らは二十一世紀になって二つとも手放して、スイスに居城を移してしまったが、、、)

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  (サンテミリオングランクリュクラッセに返り咲きを祝って、オーナーのベルナールガンスに
自作のカードをたくさん送ったものは1996年)

http://keico.exblog.jp/5691687
2007.06.05 火曜日 まだ夜は明けない
旧友の手紙を運ぶ青い風

a0031363_2349502.jpg (翼をあれが巴里の灯か! 
ボルドーからパリへプライヴェートジェットで向かう折りに)

(彼らのプライヴェートジェットの操縦室から移したたった一枚の記念の写真からカードを創った)

 ある日のブログから
<フランスでの旅の思いでが走馬燈のように走る、、、
モンサンミッシェルへの日帰りの車の旅、ロワールのフランソワ一世のシュノンソー城、、、、、、
ヘリコプターから落ちそうになって撮ったヴォルヴィックの水源、
ムートンロッチルドの図書室でのディナー、マルセリーヌのプライベートジェットで通ったサンテミリオン、、、、、
ボルドーのオペラハウスの椿姫と、その後のギャラディナー、アランジュペ氏の顔が浮かぶ、、、
ブルゴーニュの幻の葡萄畑、シュバリエを受けた時の宣誓言はなんだったかな、、、>

http://keico.exblog.jp/737899
2004.07.25
父譲りで就眠儀式は読書なの

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( 数年後のMr. &Mrs. Bernard & Marceline GANS, スイスにて1995年)

a0031363_356746.jpg (ブログ初公開、、、、左がMarceline、右がKeiko~~~~~~。

スキャンイングは失敗ですね、、、)

下記ブログから
http://keico.exblog.jp/6126882
2007.09.06 木曜日 風雨強し、台風近し
アデュー ルチアーノ・パバロッティさん

 そして、この年1997年の最大の思いでは、ボルドーのオペラハウスで椿姫観劇とその後にフォワイエでの
真夜中から始まった夜会であった。
パリからはフランス社交界の主なる人々が集まり、ボルドーの主なるワインの造り手が集ったこの宴は
東京の女性にとって、驚きだった。
この時の写真は、ブログで初公開のギャラの時のスナップ。として上のブログの中にのせてある。
<左から、マルセリーヌ・ガンス、アラン・ジュペ元フランス首相、
マダム・フィリッピーヌ・ロッチルド、右は私で、この日のために誂えた椿の辻が花の着物で。
招待者全員が、シャネルの白い椿の布のブローチを胸に付けている>

http://keico.exblog.jp/10437146
2010年4月16日 金曜日 曇り時々雨、みぞれで寒い
残る花散るを忘るるみぞれかな

 彼らの紹介で、美術界の方々とも親しくなって、パリのドゥルーオーはもとより、
ロンドンのサザビーズやクリスティのオークションに、時にはニューヨークにも足をのばしたのは
この第三の時代であった。

 1996年のオランダのマウリッツハイス美術館での、世界中から一同に集まったフェルメール特別展は
このLES BELLES BACCHANTES ベルバカントの仲間との旅だった。
朝の7時から特別に鑑賞することができた珠玉のフェルメールとの対面だった。
(この時の写真はポジのままで整理がついていない、、、)
http://keico.exblog.jp/6805711
2008年2月17日 日曜日 晴れ
「恋するフェルメール―36作品への旅 」

http://keico.exblog.jp/13140301
2011年7月25日 月曜日
日曜美術館<“手紙”が語るフェルメールの真実

 
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そして今日の巴里、
09 December 2011 Paris

by pretty-bacchus | 2011-12-19 23:59 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(0)

☆回想のわが巴里の街 1990~2000 フォトエッセイストとして
2011年12月19日 月曜日 雨あめ、、、雨 その三a0031363_21252852.gif

 1990年には、ジャクリーヌと同じアパルトマンの7階が我が家だった。
東京からの巴里行きも一番多かった十年だったろう。
会社を辞めて自由に羽ばたくことができはじめたのだった。

 そして1990年から2000年の十年間は一番記事を書いた頃だった。
JJTBの雑誌で酒とアートの記事を書いたのが1990年。
http://keico.exblog.jp/11997177/
酒 の 楽 し み  〜 アール・ヌーヴォーの酒器 〜 

追加〜〜〜〜〜〜
・鎌倉書房 乾杯 91年夏号 No.14 (編集協力の形で)
・宝石のワインたち③
こだわりのバ・アルマニャック「フランシスダローズ」。
  三ツ星レストランを制覇した理由は何か。その秘密に迫る。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 その後、日経ムックで、幻のイタリアワインの造り手エドアルド・ヴァレンティーニ取材で
フォト・エッセイストとしてデビュー。
「ワインのことは大地に聴け」= '96年
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(日経ムック<イタリアグルメ&ロマン紀行>より)
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アブルッツオを二度訪ねての後だった。
インタビューをしながらメモを取り、その間にシャッターをおしての一枚。
(この写真は、昨年オランダのワインの雑誌に採用された)

http://keico.exblog.jp/9544448
ゆく年くる年 さようなら ありがとう! 2009年12月31日 

 このムックでは、イタリアの他の造り手や、ファッション貴族のコーディネーターもした。
これが引き金となり、その後のエールフランスの機内誌のへの発展していった。

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73号1996冬号オーヴェルニュと中央山塊で
(バーアルマニャックのフランシスダローズのことを少し書いた)
スカイブティックで、シャンパーニュのローノワとアレキサンドルボネを紹介。

☆ 74号1997春号プロヴァンスと光の画家達
☆ 75号1997夏号モナコ
☆ 76号1997秋号ポルトガル
ここまでは、スカイブティックのワインの選択やらと中の写真を少し担当。
~~~~~
 77号からは<<新フランスワイン紀行>>として、
フォトエッセイストKeiko Katagiri としてフランスワインと文化をかかせていただいた。
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 1997年春にラングドック&ルーションの一週間のルポルタージュ、ここには青山さんが同行せずに、
フランス人のカメラマンだった。
編集長は私の写真をとても気に入ってくださり、
77号1997冬号ラングドックの号は、ワインのページだけでなく、
タイトルページ二面見開きと中の記事全部の写真の半分ほども私の写真が使われた。

a0031363_1395321.jpg (A4変形の見開きの右ページ)

a0031363_1422212.jpg (見開きの左ページ)


 <<新フランスワイン紀行第一回>>、文・写真で記事の執筆と写真を四ページ。
タイトルは<ラングドックルーシオンが今熱い!>

http://keico.exblog.jp/12578864/
011年5月14日 土曜日 <ラングドックルーシオンが今熱い!>
77号1997冬号<ラングドックルーシオンが今熱い!>
   <<< (Please click here)
ちょうどこの頃から、フランスのラングドック地方のワインが話題になり始めた頃だから、
この記事は貴重であったようで、何年もたってから有名なソムリエさんからとてもほめられたんものだ。

 78号1998春号ノルマンディー
 <<<新フランスワイン紀行第二回>>は
<アルザス ワイン街道はメルヘンの世界>
> 記事の執筆と写真
スカイブティック (全部)
http://keico.exblog.jp/12917228/
<アルザス ワイン街道はメルヘンの世界>>  <<< (Please click here)

 79号1998夏号アウモール海岸北ブルターニュ
 <<<新フランスワイン紀行第三回 < ブルゴーニュわいん街道黄金丘陵を行く 〜コート・ドール〜>>
記事の執筆と写真
スカイブティック (全部)
(後日、そのページを書いて、ここにリンクを張って記録としよう)>>>

http://keico.exblog.jp/6032654/
2007.08.22 表紙と内容など
AIR FRANCE機内誌に「新フランスワインの旅」

http://keico.exblog.jp/13208454/
2011年8月4日 木曜日 新フランスワイン紀行第三回の機内誌をスキャンして    <<< (Please click here)
ブルゴーニュの栄光の三日間<トゥロワ・グロリューズ>

☆80号1998秋号ペリゴールの五月
タイトルページ二面と中の全部の写真
 <<<新フランスワイン紀行第四回>> < フォアグラとトリュフの国のワイナリー
 〜ドルドーニュとロットの流域〜>
>
記事の執筆と写真
スカイブティック (全部)
http://keico.exblog.jp/12577186/
エールフランスBV80号1998秋号ペリゴールの五月   <<< (Please click here)

http://keico.exblog.jp/12571963/2011年5月13日 金曜日 曇り ペリゴールの一部
<新フランスワイン紀行第四回>> < フォアグラとトリュフの国のワイナリー
 〜ドルドーニュとロットの流域〜>

通りすがりのスナップ<<ペリグーの飲んべえ達>

81号1998冬号ルーシヨン 

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(表紙の写真も私だったの! 強行軍で歩きつづめの日に歩きながらのスナップだったが、
他の人は撮っていなかったので、、、)

タイトルページ二面と中の全部
 <<<新フランスワイン紀行第五回> < ルーシヨン 南仏ピレネー山地の母堂畑 コートヴェルメイユを行く >>
記事の執筆と写真、スカイブティック (全部)<<<まだアップしていない。

http://keico.exblog.jp/13249952/
2011年8月9日 火曜日 晴 に関連
コリウールのあの青い海がなつかしい〜〜〜

そして
 82号1999春号シャンパーニュ・アルデンヌ地方
 <<<新フランスワイン紀行第六回>> < 煌めきのシャンパーニュ ヴァンダンジュの秋を行く >
記事の執筆と写真、シャンパーニュを北から南まで有名どころほとんどを訪ねてそのレポート、
新しいローノワとアレキサンドルボネを紹介。
スカイブティック (全部)

http://keico.exblog.jp/11307720/2010年9月19日 日曜日 晴れ <煌めきのシャンパーニュ>   <<< (Please click here)
<煌めきのシャンパーニュ> ヴァンダンジュの秋を行く

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(その一部のページ)


83号1999夏号フランスの庭 ロワール渓谷
 <<<新フランスワイン紀行第七回>> <ロワール渓谷のワイン フランスの庭園を行く>
記事の執筆と写真
(後日、そのページを書いて、ここにリンクを張って記録としよう)

 その後の写真も記事も用意したが、会社の体制が変わって、菊池編集長もお辞めになり、
しばらくの間は機内誌も出なかった。
フランスの二十の地方を全部ルポルタージュする予定だったが、途中で終わってしまってとても残念だった。

 カメラは銀塩の最後を飾った、CONTAX ST or RX or AXとCONTAX G1/G2+CarlZeiss Hologonだった。
たったワンカットだけ、この旅のすぐ前に発売になったFUJIFILM TX-1で撮ったパノラマの写真があった。


 思えば充実した時期だった。二十世紀最後の数年だった。
すでに私は五十代だったのだ。
別の仕事もあったのに、取材前の準備と、現地での取材と写真撮り、帰国後の整理と編集に日夜励んだ。
 その後
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西編、東編として東京出版から発売されて、また日仏会館での写真展として発展していった。


 それと平行するように、朝日新聞授業部の旅の雑誌<旅なかま>内に隔月で二ページいただき、
ワインと美術の事をかかせていただいたりもして、これも数年続いた。
タイトル「プレジール・ドゥ・ヴィーブル・楽しいワインの旅」

 その他に身内の会社の広報誌<Places de Vin>の季刊誌も作っていたから、
その海外取材と編集にも多くの時間を費やした。
それは大変だったがとても楽しいことであり、充実した十年だった。

周囲の理解があったからこそ、友人達といっしょだったからこそ、そして海外で迎えてくださった
多くの友と造り手の情熱を感じたからこそ出来た事でもあったのだ。
エールフランスをやめてからも又、エールフランスという狭まられたものでなく、(フランスのタクシーの運ちゃんから、
貴族社会まで)大きな世界の体験として、一人の日本人として、ここから生まれた新しい人間関係が、その後の私の人生に彩りを添えてくれている。


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2011年2月16日 水曜日 のブログへ
過去のフォトエッセイストとしての記録

http://keico.exblog.jp/i12
カテゴリ:Records過去の記事,書いた雑誌 ( 25 )

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そして今日の巴里、
19 December 2011 Paris


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(19 December 2011 Paris pm11:08, Opera)

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最後のパリの一枚も雨のパリの夜、、、、、、)
by pretty-bacchus | 2011-12-19 23:23 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(2)

今日の巴里 19 December 2011 Paris~巴里の最期の日
2011年12月19日 月曜日 晴れ 午前十一時 
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今日の巴里、
19 December 2011 Paris


 いよいよ今日が最期の日となった。
こんなに長くフランスへの<旅>を一緒したのは初めてかもしれない。

かたずけものはいっこうにはかどらずに多くをパリの友人にそのままおいておくことになった。
さくらさんがご興味をもった古いお鍋もすでに友人が使っていた。

エルメスの空き箱やまだ差し上げていなかった新しい桐の桜の小箱は、ホテルのバルコンにさらして
行く先を模索中、、、、
なのにもう時間がない。

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 今また私は不思議な感情に浸っている。
平成23年12月19日(月)正午、、、、
(今回はMacの時計を日本時間のままにしたので、いろいろと狂っているが、、、)
時は確実にすぎていき、明日のこの時間には私は地上を離れて機内の人となっている。
なんだかとっても不思議でたまらない。
 移りゆく<時>とはなんなのだろう、、、、地球何億年のそのほんの小さな点ほどの<時>にたゆたっている<いっとき>のパリでの時間は、あと十数時間で過ぎゆき、しばしのあいだ宇宙と空の間を大きな物体で運ばれて次の地点へと帰りゆく。
でもそれは永遠の地ではなく、やがて次の最後の旅立ちへの一通過点に過ぎない。
こんなふうに過ぎゆく時をどんなふうに考えたら良いのだろう、、、、
何度考え直しても終わりのない瞑想がうずまくだけなのだ。


 強い雨のなかを午後に少し買い物にでた。
せめて友人達に小さなおみやげをもって帰りたい。
お土産は大きなモノはお互いに負担になるし、手頃がものがむずかしい。
強い風と斜めの雨に傘をさして歩き付いた処は、マドレーヌ寺院の後ろの道のトロンシェ通りだった。
この雨に傘をささずに歩く人が多くて驚きながら、私もカメラをだして濡れながらノーファインダー、、、。
どっちもなんだか変な感じ!

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 おみやげは、メゾンドゥトリュフのトリュッフ入りのパスタ、リゾット、、、

a0031363_10403252.jpg(このお店にくるのは、パリでもかなりハイソのご婦人と聞く、、、、、
長いあいだグラムと値段を店員と相談して、最後は140グラムの黒トリュフを数万円で買うことにしたようだ、、、)

そして新しい話題のお店のアフリカからのヴァニラの<茶>。
それと小さい八折りのパリの地図を二〇ほどホテルからいただいた。
今はiPhoneを持ってパリの街を歩く人が増えたようだが、やはりポケットに入るこの地図は便利だ。

(地図の写真を、、、)

 バスの行き先をきいても横文字ではわからなかったりしても、フォネティックに耳で覚えていて、
地図の中の日本語を目でおうと、たいてい間違いなく目的地にいくこともわかった。
(この地図をブログを見てくださっているブログ友の方に差し上げます。
鍵コメントでお名前とご住所をお知らせください)

たとえば京都では、駅が八条口で、中心が四条河原町、あとは北の御所と、東と西の要所と、
<まるたけえびすに、、、>の幼歌を暗唱していればたいてい大丈夫なのと同じかもしれない。

 それにしても、今回のパリは何も買わないパリだった。
これも初めてかもしれず、はじめてづくしの冬のパリとなった。
自分のものを買ったのは、ルーヴル美術館のさげる袋(15ユーロ)とロダン美術館の袋(20ユーロ)だけ。

 そろそろパリの本格的な寒さになった。
あと少しだけ☆回想のわが巴里の街を綴っておこう。
by pretty-bacchus | 2011-12-19 22:22 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(2)

☆回想のわが巴里の街2000~2010〜 Paris ノートルダム寺院
2011年12月19日 月曜日 晴れ その一a0031363_21252852.gif

2010年12月25日のブログから
http://keico.exblog.jp/11783936
2010年12月25日 土曜日 晴
「パリ歴史地図」を楽しみながらメリークリスマス!

 パリのアパルトマンが無くなった翌年の2000年にお世話になったのは、友人のアパルトマン。
モンテベロ通りにある歴史建造物の三階で、ノートルダム寺院を一望できる。

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a0031363_2542464.jpg (2005.10.24朝日が輝き始めた時間に、南面のノートルダム寺院)


a0031363_2582981.jpg     (2005.10.22の真夜中に、対岸のアパルトマンの四階から。         無謀にも手持ちでトライしているが、1/6秒でなんとか絵としてはみることが出来る)


 2000年4月のイタリーでのヴィニタリーの仕事を終えてパリにもどった私は、ここで突然目に異常をきたした。
痛みは無かったので、予定通りにフランスでの仕事をこなして5月のはじめに帰国。
ゴールデンウィーク明けにようやく病院にいったのだが、即緊急入院・緊急手術で、奇跡的に失明を免れたのだった。

 手術の後は眼球にガスが入っていてしばらくは飛行機に乗ることは禁止されていたので、次の訪欧は2004年。
そして2005年のイタリア商務省招待のイタリアへでの商談のあと一週間ほど、
ここにとどまり、毎日対岸のノートルダムを撮ったのだった。

 ノートルダム寺院を撮った写真は銀塩時代もデジタルになってからも沢山ある。
対岸のアパルトマンの四階から撮る機会に恵まれての撮影はすばらしい経験だった。
窓を開けると、東側から昇ってくる朝日に輝く南側一面が見渡せる。
散歩でサンルイ島へと歩くときは、後陣をじっくりとながめられる。
 普通なら下から首をあげてながめる聖堂を、遠方とはいえ真横からながめるのは感動の連続だった。

〜〜〜〜〜

 ゴシック建築を代表する建物であり「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産と一緒に、
1991年にユネスコの世界遺産に登録された。

 パリのはじまりはシテ島。
紀元前三世紀にケルト系パリシア人がこの島に住み始めたということは周知の事、
フランク族の王クロヴィスが506年に、首都(シテ)と宣言してから、シテと呼ばれるようになったのだという。

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 パリを旅する人が必ず訪れるノートルダム寺院 は、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂
(Cathédrale Notre-Dame de Paris)。
フランス語で<「我らが貴婦人」聖母マリア>は、現在もパリ大司教座聖堂として使われている。
その起源はローマ時代までさかのぼり、ノートルダム寺院の敷地にはユピテル神域だったのだというが、
ローマ崩壊後キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。
(このあたりの土地や水源などについては、ジャン=ロベール ピットのパリ歴史地図の図面をみると、
ルテティア時代の事がいろいろ書かれていておもしろい!)

 聖堂の工事は内陣から始めるのだという、内陣があれが日々の祭儀が行えるからだそうで、まず、
シテ島の端の東の後陣側から起工、内陣部分をととのえて、西正面と鐘塔が最後だった。
素材はパリの石だったと言うから、パリは岩盤だったのだろうか。

 ノートルダム寺院は1163年に現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成されたのだというから、
なんと62年もかかったのだ。
ファサードを構成する双塔は1250年頃まで工事が続けられ、最終的な竣工は1345年の記録があるというから、
さらに100年以上もかかっているのだ。
その後19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、
その他多くの部分が改装されて今にいたっているのだ。


 北側にはあまり観光客はいかないようで、ゆっくりと歩くことが出来、反対側のお土産物やさんなどで、
おじさんとおしゃべりをしたり、、、、。
この、日の当たらない北側だが、北扉口中央柱には優美な聖母子像が立座している。
金槌のような物で悪魔をたたきのめす暴力的なマリア様だ。

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 (聖堂の北側をずっと歩くとこのコーナーにでる、この道も好きだ、、、
道のむこうのカフェにすわって聞いている人もいる。鳩も静かに耳をかたむけているいみたい、、、、)


 正面にはこの時期、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られている。
聖誕祭のごミサには昔々一度だけ座したことがあるが、もう一度あの荘厳な場に座ってみたい、、、思い切って出かけてみた。s

a0031363_3154647.jpg (夜、セーヌ川を渡りシテ島に立ち、正面に佇むと、何ともいわれぬ世界に引き込まれていく、、、、)

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(グルッと一回りして、サンルイ島に渡り、後陣を拝する。
サンルイ島にかかる橋からながめるノートルダム寺院は、まるで宇宙船のようだ。
このカットは年賀状につかったことがある)


 
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 (年賀状にしたこともある)

 大聖堂の上にあるシメールのギャラリーに行くには、大聖堂の建物の外にある入り口から
狭い螺旋階段を登っていかねばならない。
四十年前にたった一度だけその外階段を上ったことがあったが、もうこれからは無理だろうな、、、


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(対岸の四階から超望遠で撮ったガーゴイル)


a0031363_1524790.jpg (Oct, 2005 下からもテラスからも絶対に撮れないノートルダム聖堂の南側のガーゴイル)

a0031363_1542051.jpg (Oct, 2005 対岸のある建物から出たっばかりの70~300で手持ちで試写をしたもの、、、)

〜〜〜〜〜〜
(追加)1970年代初めの若かりし頃の私、この写真はNというプロが撮ってくださった)
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http://keico.exblog.jp/11647524/
散る黄葉思いはいつも我がパリよ 2010年12月1日 水曜日 

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 (そして夜のノートルダム聖堂とセーヌ川、Oct. 2011 Paris La Seine et Notre Dame)



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そして今日の巴里、
19 December 2011 Paris

ノートルダム寺院までいきつけず、アンバリッドのカシャッ!
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by pretty-bacchus | 2011-12-19 21:21 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(2)