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ママありがとう!( 宮下 規久朗 "カラヴァッジョ巡礼 )
2011年1月31日 月曜日 晴

 早一月も終わりだ。
激動の2011年と思っていたが、まさかこんな形で最初の月がすぎさろうとは、誰がかんがえただろうか。

 朝起きたら、一昨日の手当をした胸の左の半分が、白桃が腐りかけた時のように赤紫色に褐色していた。
注射針をさして、生体検査をしたのだから、内出血をしているのかもしれない。
痛みはあまりないから、まあ一日様子をみよう。

でも白い肌がいたたしい、、、ことによったらこの一部分がまもなくなくなってしまうかもしれないと
思うと愛おしくなってきた。
こんなことなら美しい内にヌードを撮っておいてもらえばよかったな、、、
そういえば去年の春に、友人の写真家に、
“ヌードを撮ったことがありますか?とメールを入れたことがあったが、実現しなかったことが悔やまれる。

それにしてもこのひどさは普通か異常かを先生にうかかうのに、写真をとっておこう、、、。
カメラをだして、鏡に映った上半身をセルフポートレートを試みたが、これがなかなかむずかしい。
構えたカメラがじゃまになってチャンと撮れたのは数枚だった。

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(数年前に玄関の鏡にうつして撮ったのが出てきた)


 バカなことをしていたら、やはり母に報告したくなった。
久しぶりの電話での声は元気そうだし、思い切って話し出した。
“乳癌、、、、大丈夫ですよ、、、、乳癌って今はなおる病気なのでしょう、、、
それに貴女には良い先生方がついてらっしゃるでしょう、、、と。
“よかった、ふみこおばさんのことがあるから、ママはどんなにか驚くと思ったから、
昨日は電話をできなかったの、
“い、、いえ、そんなことで驚いていたら、九十までは生きていられませんよ、、、

まいりましたね、、、この老女にはいつも驚き励まされているのです。
ありがとう、ママ!
(でも、あとで弟に聞いたらとっても心配していたというのだが、、、、)

a0031363_23444780.jpg (数年前のお茶会で、母、、、)

 〜〜〜

 午後の便でアマゾンから、数日前に注文していた本が数冊届いた。
一冊でもそろわないと、時間がかかるらしい、、、

さくらさんや郁子さんとカラヴァッジオの話をしていたら、もっと知りたくなった。
もともとそんなに好きな作家ではないが、ドラマティックな人生を送りながら、
個性の強い作品を残しているし、なんといってもバッカスを二点。
一点は往々強いバッカスで、もう一点のバッカスはまるでカラヴァジョ自信のように、
狂気の後の焦燥のようであり、破壊への誘いでもあるかのように、、、どこか異常なバッカスだ。

カラヴァッジオかなりな乱暴者で変わり者で有名で、1606年には殺人を犯している。
ローマから追放されたが、教皇の恩赦を待ちながら、ナポリ、マルタ、シシリアと流れ、
最後はマラリアで亡くなっている。

 本は整理をするのを優先とし、新しい本の購入はなるべく控えたいと思っているのに、
新しい作家が出てきたり、新しい論説がでるとどうしても読みたくなる。
今回は、宮下 規久朗 氏の著書を四冊もアマゾンに注文してしまったのだ。

宮下 規久朗 "カラヴァッジョ巡礼 (とんぼの本)"
宮下 規久朗 "もっと知りたいカラヴァッジョ?生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)"
宮下 規久朗 "不朽の名画を読み解く"
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そして
あとは、昨年暮れにみたモーリス・ベジャールの<M>、三島作品を少し読み直してみたいと思っていたので、
彼の愛した美術をみてみたくなったのだ。

http://keico.exblog.jp/11748191
 三島由紀夫没後40年生誕85年記念東京バレエ団『M』2010年12月19日 日曜日 

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 宮下 規久朗, 井上 隆史 "三島由紀夫の愛した美術 (とんぼの本)"

 まさか入院になるとは思っていないときの注文だったが、これで入院ライフも退屈にはならないだろう。
かっての入院時には、この時とばかりに沢山の本を持っていったのだが、
手術の後って文字ばかりのむずかしい本は意外に疲れることがわかっていたので、
きれいな写真が多いこれらの本は、ちょうど良いのではないだろうか。
あとはiPadの青空文庫、i文庫HD,iBooksにダウンロードしてある数百冊の昔の作家の作品を乱読しよう。

あれあれ、いつのまにか入院ライフを楽しむことを考えていますね〜〜〜〜!
ママありがとう!
by pretty-bacchus | 2011-01-31 23:59 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(7)

サッカー・アジアカップ優勝おめでとう~!
2011年1月30日 日曜日 晴か曇りか、はたまた嵐か

 サッカー・アジアカップ優勝~!
サッカーのアジアカップ決勝はオーストラリアに1―0で快勝しましたね。
それも、あのカタールのドーハにて。
おめでとう〜〜〜! 延長試合には手に汗を握りました。

いや〜〜〜泣けましたね〜〜〜。
ザッケローニ監督が両手の拳をにぎって喜びをあらわしていましたね〜〜!
素晴らしい采配での日本チームの優勝、そして彼にとっても国際試合での初めての優勝ですから
嬉しかったでしょうね。
こういううれし涙は何度でもいいですね〜〜。

 そしてプライヴェートでも今日は一日泣いていました。
もういけません、一日中涙に暮れていたのです、、、それもうれし涙です。
カーテンを開けていつものように借景の枯れ木に鳥をみる余裕もなかったのでした。
はたして今日は晴れていたのか曇っていたのかもわかりません、、、、。

 サッカーが終わった頃に、京都の友人から電話。
彼女には昨日最初に病院の事は知らせていたので、なんと一日のあいだに多くの方から
情報を集めてくれたようです。
京大医学部、京都の女性達、そして浄土宗の高僧や、お寺さんにいたるまで、彼女の顔は広いのです。
なんと多くの方が乳癌で手術をしていたか、彼女もビックリ。
そして彼女のアドヴァイスは的を得ていました。私よりずっといさぎが良い!

 そして、ブログでは、コメントで励まして下さる方、鍵コメントで本音を語って下さる方、
句を詠む励まして下さる方、メールで励ましを下さった友人達と、一日中その度うれし涙にくれていました。
あるブログ友の方は、ガンが発症して9時間の手術を受けて、
その後再発せずに写真ライフをおくっていらっしゃることがわかりました。
<執刀して頂いた時の病院から変わられたのですが先生を頼って遠くまで通っております。やはり
がんともなれば自分の寿命を託せる先生に全てを任せる事が何かと良い結果を導き出してくれるかと思います>
そして、
<多分このことをブログにUPされるにはかなり考えられたことと思いますが、
勇気を出して書かれたことは凄く素晴らしいと思いました>
<心より応援しておりますので・・・ガンバッテ!と、長い文をしめくくっていました。
ブログのお付き合いだけで、それもお互いにあまりコメントを残さない関係でしたのに、、、
もうおろおろとうれし涙にくれてしまいます。
ありがとうTさん。

Kさんは、
<もし私に出来る事があるのなら、なんでもします!
神様にお祈りだってします。 お守りをいただきに神社にだって行きます
(そんな事しか思いつかない自分が情けないです>

 さっき留守電を聞いてまた嬉しビックリ、友人達の声が残っていました。
お母様をガンで亡くされている八重子さんも、、、。

 一方若い友人にはしかられてしまいました。メールで
<ひょっとしてマンモグラフィーとか超音波とか毎年検査してなかったとか?
それはダメダメです。私は毎年いやいやながら、マンモグラフィーやり続け、
最初の頃は痛かったのにの、昨今はひどく簡単になって喜んでやりにいってます>
私はなんと何十年もしていなかったでした、、、、。
でもマンモグラフーで発見されるまで毎年検査を受けるのって、とっても性分にはあってない気がします。

 悩みは一つ、母になんて知らせたらよいのやら、来週の金曜の最終病名がわかるまで
待った方が良いのかとおろおろしています。
母は妹を乳癌で亡くしています、その頃の母の事を覚えていますので、、、。
従兄弟が高校生の時で、その後の進学のことも心配していた時期でした。
自分の病の悩みより、母の事の方が心配になっています。

 頭の中で、どこかで何かがくるくる回っています。
寒い夜なのです。
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(ノートルダム寺院の空高く吠えるガーゴイル。なぜかこの写真をアップしたくなりました。
悲しみと憂いととまどいを秘めながら、超然として鎮座する怪獣は何を思うのでしょう?
2005年10月に、対岸の友人のアパルトマンから超望遠で撮った一枚、まだVRレンズはないころでした。
この位置からこの表情を撮ったガーゴイルは珍しいです、、、、、)
by pretty-bacchus | 2011-01-30 23:59 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(8)

昨日の続きでまた東北新幹線に乗って、、、
2011年1月29日 土曜日 晴

 時の流れとはいったい何なのだろう。
何秒かでその後の人生が一転する経験はしているが、今日のこの四時間は何を意味するのだろうか、、、、
目の前に光っている丸の内のビル群を見つめながら、しばし感慨にふけった午後1時ジャスト。
四時間前に朝日に輝くあのビル群を、もっと遠い八重洲口から見上げていた。
今は同じビル群がまったく違う光を放っていた。

 暦という日常の動きの中に、非日常をみているこの感覚をなんといえばいいのだろうか。
<飛行機で時空をこえる>のとはまた違った時の移ろいを、人生で初めての<妙に新鮮で新しい体験>として
脳と心を独占していた。

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(午前8時半の東京駅八重洲口、建物の近くまではタクシーは入れずに、大通りの信号でおろされてしまう。
そのまわりにはゴミぶるこの山、、、これで国の仕事、都の仕事と? いずれにしても行政はひどいものだ。)

〜〜〜〜〜〜〜

 包帯の交換とCTの結果を聞きに私は、昨日よりもっと早き時間に東京駅に着いた。
緑の窓口の親切なお兄さんは、グリーン、指定、回数券、定期の利用範囲の違いと料金を親切に説明してくれた。
大きな改札を入り、二日目なのにもう勝手知ったる感じで、おにぎりやさんでお味噌汁を飲んで体をあたため、
地下に降りて手をあらった。通人時間帯だから多くの人が同じように動いているのが新鮮だった。
朝八時台のこんな時間に東京駅にいるのは何十年ぶりだろう、、、、。

それから東北新幹線の改札をぬけて二十番線の<ヤマビコ>に乗車して小山まで40分、
大宮を超えた頃から途中の車窓には右方に筑波山、左にはかすかに雪をかぶった山々がつづいた。男体山だろう。

 タクシーで15分走って病院についた。
今日の運転手さんは歴史が好きなかなり年配の方で、この市の歴史をいろいろ説明してくださった。
太古からの古墳がいくつもあり、また徳川家康を関ヶ原での勝利に導いた軍議の小山評定の場所だったのだ。
日光街道西一里塚もあり、そして今では桜の名所として知られているという、、、(嬉しい〜〜〜4月には桜を見られますね〜〜)
県境を越えて隣の市へ入りまもなく病院着。
“この病院は東京から良い先生方が沢山来ているそうだね、朝は何人も駅をおりなさるよ、
と運転手さんもいっていた。

 待つこと45分。
昨日あったばかりのS先生のお顔がなぜかなつかしい。
“昨日の事はご主人は何と? とお聞きになられたのだが、私はとんちんかんは返事をしてしまったようだ。
どうやら、重大な病気の患者は家族でくるのがこの地方ではあたりまえのようで、
なんと東京から一人でやってくる女性はいないのだろう。
昨日の生研の後の治療とガーゼ替えで、もう今日は包帯はない。

大きなレントゲン写真には何十間以下の映像が映っていた。
“やはり、がん細胞があるね、、、と先生。
造影剤を入れてのCTでは、やはり乳癌のようで、ただもう一つの可能性もあり、
なんやらかんやらと四文字熟語ならぬ五文字漢字で病名をおっしゃったが、初めて聞く病名で覚えられなかった。
(私は医学用語はまったく弱く覚えられないのだ、、、)
来週になればはっきりわかるのだからそれまでに少し勉強しておこう。

問題は、手術をどこの病院でするかが話し合われた。
ここにするか、S先生のいらっしゃる東京の病院にするかをきめなければならない。
“こちらでは遠すぎてお見舞いのご主人が大変でしょう、、、と、おっしゃってくださり、、
“T先生と相談して、、、と申しあげるのが精一杯。
“大丈夫ですよ、日程とかのご相談には融通がきけますよ、、、大丈夫ですよ、、と。
なんだかほっとして、その後は、いろいろの別の話などもしたりして、なごませてくださったよう、、、、

 T先生も今日は外来は午前中だったので、一緒に東京まで帰ることが出来た。
山がお好きが先生と車両からの山々をながめて、ずっとでは申し訳ないので時には病気の質問をしたりして。
どうやら乳癌は他の内臓のガンとはかなり違うようで、DNAだけでもなく、ストレスだけでもなく、
その原因は未だに解明されていないようだし、手術の方法もかなり違うようだ、

T先生の手は離れるがどうやら、S先生の東京の病院になりそうだ。
とても信頼のおける国際医療法人の病院のようで一安心。

 先生とは東京駅でお別れして大丸へ。
10階のレストラン街で、おそばをいただきながら、この四時間の時の移ろいの運命を一人考えていた。
がそれほど悲観的になっていないのは、どうやら私はよほどおめでたいのか!
さだめをうけいれる心の準備はまだ完璧ではないはずなのに、、、。

何年もデパートではお買い物をしていないが、その後足は下着売り場に向かった。
対応してくださった感じの良い女性店員の胸には、あのピンクリボンが。
思わず、“実は乳癌の手術になりそうで、その後の下着の相談をしたい、、、と、
なんと見ず知らずに人に話してしまったが、乳癌の術後専用の下着をワコールが作っていて、
いかに患者が多いことがわかるものだ。

 一階ごとにエスカレーターを降りて途中でパジャマも買ったりして一階へ。
東京駅はもう十年以上も工事中で、いまだにタクシー乗り場が年中かわるし、いつもごみごみしている。
これが日本の表玄関なのだから、ほんとうに海外からのお客様と一緒の時ははずかしくなるというものだ。

 帰宅後まもなく西の空が燃え始めた。
何ヶ月ぶりにカメラをもって屋上にあがったのだが、すでに日は落ちていた。

真夜中に始まったサッカーをみながら、長い一日をふりかっている。

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  (帰りのタクシーは、いつもと路を変えてもらって北の丸公園から抜けた。
あと数十日もすれば、ここは桜が咲きみだれているだろう、、、)


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 (帰宅後まもなく西の空が燃え始めた。
何ヶ月ぶりにカメラをもって屋上にあがったのだが、すでに日は落ちていた)



(昨日のブログは、かなり衝撃的だそうで、友人のすすめで、しばらくの間だ非公開にした)
by pretty-bacchus | 2011-01-29 23:59 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(12)

病得て外も内にも空っ風 (乳癌の宣告)
2011年1月28日 金曜日

 二時間半ほどまたされて、ようやく看護婦さんがきてくれた。
“先生のところにご案内します。
緊急オペの時間がかかってしまって、お待たせしてすみませんでした。

 無彩色の扉を入り、初めておめにかかるS先生にご挨拶した。
“よろしくお願いいたします。
“どうぞおかけください。
“ありがとうございます。

目の前に四枚のレントゲン写真。
数時間前に撮られたマンモグラフィーだ。
大きな丸い白い陰がみえる。(え〜〜?)

“異常はいつ頃からですか?
“体がだるいのは二年ほど前からですが、数ヶ月前から左の乳首に違和感を感じていました、、、、、
一呼吸有り、、、、

“おそらく乳癌です、、、二センチ以上ありますね
乳房の一部にではなくて、乳首の真後ろに、、
(が〜〜〜ん、まさか)
“そうですか、、、、よく本にありますが、ステージはどのくらいなのでしょうか?
 (落ち着いて聞いたつもりだが、かなりうわずっていたに違いない、、、)
“ステージⅡの終わりの方かな、、、

“どのような治療が必要なのでしょうか?手術ですか?
“そうですね、治療に従ってくれれば、寿命は大丈夫ですよ
“????
“乳房除去術ですか
“う、、、ん。

後で立ったままでずっと一緒にいてくださっているT先生の顔を見た、、、、
“ともかくすぐにセイケンをして詳しく調べてみましょう、、、、
“セイケン? (え?なんのこと、、、?)
看護婦さんが、“ごあんないします。さきほど超音波をしたお部屋です。

〜〜〜〜〜

 時計を半日ほど前にもどそう。
今朝は、早くに起きて、東北新幹線に乗ってO駅でおりてタクシーで十数分のY市のJ病院に向かったのだ。

 10時半、受付で初診の手続き。
T先生の問診>>尿検査>>血液検査(腫瘍マーカー含む)、血管が細くてなかなかでないから
いつも血液検査は大変なのだ、、、T先生はそれを知ってらっしゃるから、
きっと上手な方をつけてくださったに違いない。

 科が変わって、レントゲン室でマンモグラフィー、なんと20年ほど前には乳房をしぼられて
その上に上からが〜〜んと廉路原装置が降りてきてとっても痛かったのに、
今は透き通った台に乳房を乗せられて、看護婦さんがしずかに手を添えて、
そのうえに同じようなプラスティクのいたが降りて、はい少し動かないで、、、でお仕舞い!
>>>超音波室で、乳房の超音波、、、、これが左側はとても時間をかけて、
何枚も写真を撮っているのがわかっった。
特別に一緒に腎臓、肝臓、膵臓もとるようにお願いして、12時半終了。

 S先生のお話を聞くことになっていたが、それが三時になってしまっていた。
途中、T先生と社員食堂で昼食、そのごソファーのお部屋でテレビをみながら談笑。
<あさま>とか<なすの>とかの列車は、いつもは西村京太郎の二時間物でしかあまり縁がなかったのに、
今日はその列車に乗ってきたのだ。
この医療法人は、いくつもの施設があるようで、向こうにガラス張りの建物では、
ルームランナーをしている人が見えたりしていた。

 〜〜〜〜〜〜〜
 セイケンをするために超音波をしたお部屋にもどって、また上部を脱いで横になった。
先生がいらっしゃる前に、<手術・麻酔・特殊検査・治療・内容説明書>の下の段の、
<説明を受けた人>の欄に、サインをさせられていた。
う〜〜これって結構重傷なのだろうか?

先生がいらして、、、、、
“乳首に麻酔をうちますから少し痛いですよ、、、
その言葉が終わるか終わらないうちにチク〜〜
“痛い〜〜〜すみません、、、
“もう一本、、、、
“う〜〜〜、、、、
(おもわず腰が浮いて、からだに力が入った、、、
“はい、これからは動かないで、、、
なんだか水鉄砲のような、、、これって注射器?

看護婦さんが手を押さえてくれた。T先生のお部屋で最初についてくださった看護婦さんの親指を握った。
“いた〜〜イタ〜〜い、、、、
(私は注射器の針の痛みにめっぽうよわいのだ、、、)
麻酔がきいてないのかしら、、、ともかく乳首の真ん中あたりから針が入っているに違いない、、、、
普通は乳房だと、しこりがある場所だから乳首ではないのだという、、、
ポンと音がして、一回目はおわり、いわゆる生研=生体検査で、組織をとったのだという、二回もも痛い〜〜〜。
“あれ、ことによったら、△×○かもしれないな、柔らかいから、、、
(先生が話される専門用語はまったくわからない)
“もう一度いこう、、、、と、おっしゃっていばらくして注射器をもって入ってらした。
これがまた格別にいたくて、もがいた、、、
目を開けると、注射器の中にどす黒い血のようなものが、、、、。
左の胸に太いばんそうこがバツに張られて、
“はい、これでお仕舞い。これから胸を全部包帯で巻きます。
今夜はお風呂も、ワインももちろんダメですよ、、、
(はい、、、いたくてそんな気にならないでしょう、、、)

“次に、CTを撮ります、造影剤を入れますが、何かアレルギーはありますか?
“いえ、、、でもお腹の時も目の時も造影剤を入れるのはうまくいかなかったようで、、、
と昔の話をしたが、待ったなし。

部屋を移った次の看護婦さんも上手な方で、脇でT先生が、指示を出してくださって、
ようやく手首から点滴の細い針が入って、ぽたぽたとたれてきた。
CTの台に横になって、“息を吸って、はい、止めて、、を何度か繰り返した後に、
“はい、造影剤は入りましから体が少し熱くなりますよ、
気持ちがわるくなったら言ってください、、、、

体中が熱くなってきた、、、、
“息を吸って、はい、止めて、、を数回。
“はい、終わりました、、
さっきは無表情の男性技士さんが笑っていた。
四時四十分だった。 
セイケン=生体検査の結果がでるのは一週間後との事だった。

 T先生のお部屋に移ってしばらく休憩。
東京への予定を変えて待っていてくださり、病院の車で一緒に駅まで送っていただき、
東北新幹線で東京駅着7時10分。
夕陽の後の濃い青い空がきれいだったが、写真を撮る元気はない、、、、
まさかこんなことになるとは思わなかったから、思いデジカメを持っていっていたのだが、、、
〜〜〜

 今日の突然の病院は、一つの夢から実現したのだった。
昨日T先生からお電話をいただいて、
“明日が専門の先生の日ですから午前中に病院にきてください。予約をいれておきます。
しぶしぶ従うことにしたのだが、、、。
なぜって、何十年か前に一度だけマンモグラフィーで乳房をしぼられたことがあったが、
とってもいたかったので、なるべくしたくなくなんとなく病院にいくのをためらっていたのだ。
でも、今回は少しばかり自覚症状があり、第一おじいちゃんが胃がん、叔母が乳癌、大叔母もと、
母方の家系のDNAにはガンがあることはわかっていた。
いずれ、なにかが起こるとはどこかで覚悟していたが、いつものように、
その時代の医学で命をながられると、頭の心のどこかで安堵感があった。
だか、今回は実は、去年の十月二十七日の夜に(浜松にいたのだが)おかしな夢をみていたのだ。

T先生とイタリアンレストランで食事をご一緒していて、どうも乳首がおかしいのですが、、、と
夢の中の私。
どれどれ、、、とレストランなのに、胸をあけて見ていただいた時に(これも夢)、
T先生が、“あ、これはおかしいですね、すぐに専門の先生に見てもらった方がいいですね、と、
そんな夢だった。夢って起きると忘れてしまうことが多いのに、なぜかはっきりと覚えていた。

それからすでに三ヶ月がたっていた。
暮れにお会いしたときにその話をしたのだが、おっくうにしていたのだ。
先生が名誉教授のT病院にするか、奥様が教授のTJ医大にするか、
それとも今T先生がメインでいらしている地方都市のJ病院にするか、、、、
などと理由を付けてまだ検査をうけていなかったのだ。

 大きな手術をしたのは、三十代後半と四十代後半、二度ともT先生の執刀でことなきをえて回復していた。
最初の手術なんて、もし母の時代だったら助からなかったかもしれないといわれていた。
二回目は、四時間半を要した大手術だった。

その十年後の五十代後半には目の手術で、これもT先生のおかげで、
真夜中のI先生の緊急手術が奇跡的に成功して、視力を回復した。
(私の右目の網膜は小さな二つのシリコンの球とそれを繋ぐシリコンの細い紐で保たれているのだ)
あれから十年、、、、そろそろ次は何かがくるのかしら、、、とも思っていたところだだった。
次の十年のために神様はどんな試練をなさるのだろうかと、、、も思ったりもしていた。
それが、え〜〜? 乳癌!
それもめずらしい乳首(乳頭)のガン、、、?
もっとも五人に一人が乳癌の時代だというから、時代に乗っているのだろう。
いろいろと、楽しい事も辛いことも、女性としての仕事も、世界の国への旅も、
常に時代の先取りをしてきた感ありだから、、、
(なんて自分をなぐさめている自分にあきれている反面、、なんだか少し悲しくなってきた、、、、)

 う〜〜疲れた。長い一日だった。
寒いからっかぜが吹く日だった。
予期せぬ一日だった。
人生っていろいろあったし、ありすぎたし、まだまだいろいろあるだろうが、
今日は本当に驚いた一日だった。
近くに良い病院がいろいろあるのに、トアートゥードアーで二時間以上もかかってJ病院に
いってきたわけで。なぜって病院名も大切だけれど、私は先生につくほうだから、
今はT先生のいらっしゃるこのU市の医療法人J病院で検査を受けたのだった。
そして、夢のお告げで、病巣があきらかになったのだった。

 〜〜〜〜〜〜〜〜

 心配した連れ合いが、ご飯を炊いてくれて、ありあわせで夕食。
いただいたお薬を飲んで、、、、。
明日もまた朝早い新幹線でいかなければならないので、、、、これで、今夜はこれでthe end.

おもえばこの頃から、今回の病巣はあったのだろう。http://keico.exblog.jp/8834036/
血液検査でのCRPの値(C-reactive protein)が異常に高い 2009年8月19日 水曜日

http://keico.exblog.jp/8851659/
“普通ではない”とは“異常”のことなのだろうか 2009年8月22日 土曜日

今までの病歴は
http://keico.exblog.jp/6845899/
胃カメラの検査の床や梅日和 2008年2月28日 木曜日 

(さて、この記録をブログで公開にするか、非公開にするかをまだ悩んでいる)>>結局アップ。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

祈りを込めて、、、、
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(デジタル元年2000年の12月に、ミラノのサンタ ・マリア・デレ・グラチエ教会で、
ダビンチの「最後の晩餐」を撮った。
Capture NX2で再現像してみた)


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by pretty-bacchus | 2011-01-28 23:59 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(11)

地方の病院に出かけたのだが、、、
2011年1月28日 金曜日

 二時間半ほどまたされて、ようやく看護婦さんがきてくれた。
“先生のところにご案内します。
緊急オペの時間がかかってしまって、お待たせしてすみませんでした。

 無彩色の扉を入り、初めておめにかかるS先生にご挨拶した。
“よろしくお願いいたします。
“どうぞおかけください。
“ありがとうございます。

目の前に四枚のレントゲン写真。
数時間前に撮られたマンモグラフィーだ。
大きな丸い白い陰がみえる。(え〜〜?)

^^^^

(さきほど全部をアップしたのだが、友人からブーイングありで、続きはとりあえず非公開にした。
シリアスなことをあまりにも日常の日記に書きすぎるのではどうかと思うという
アドヴァイスだったのだが、、、、、
これが私のブログなのだと思ったりもして、しばらく考えてから公開にするかもしれないが、、、)
by pretty-bacchus | 2011-01-28 23:58 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(2)

ポリフェノールとレスベラトロール=赤ワインの効果
2011年1月27日 木曜日 晴 寒い

 他の欧米諸国と同様に、赤ワインが良く飲まれている南フランスでは、
脂肪摂取量が多いにもかかわらず、動脈硬化の患者が際立って少ないのだという。
この一見矛盾とも思われるデータが、専門家の注目を集め「フレンチパラドックス」と呼ばれている。

この事実の原因を解明する研究は、欧米のグループでかなり以前からされていたのだが、
日本の国立健康・栄養研究所とサントリーが共同研究を実施して、
赤ワインが動脈硬化を予防する科学的根拠を世界で初めて解明したのは十年ほど前だった。
この研究によると、血液中のLDL=悪玉コレステロールが酸化されることによっておこる動脈硬化が、
「赤ワイン」には、このLDLの酸化を抑えるポリフェノールという物質が豊富に含まれていることが明らかになった。
以来猫も杓子もポリフェノール効果を話すようになり、ワインを飲むのにエクスキューズをしたり、、、、
今ではワインだけでなくいろいろの食品でいわれようになった。

 さらに昨年、赤ワインが記憶に関わる脳の神経細胞の数を倍増させ、認知能力を高めることが、
岡嶋研二・名古屋市立大大学院教授のチームの動物実験であきらかになった。
「レスベラトロール」という成分により、脳の中で記憶をつかさどる「海馬」と呼ばれる部分の神経細胞が
増えるそうで、嬉しいことに『持続して摂取する必要がある』とのこと。

 そんなわけで毎夜赤ワインを飲んでいるもう友人達は欣喜雀躍!。
かくいう私もその例外ではないのだが、最近はどうも酒量が落ちたし、食道あたりがしみるしと、、、、
まあ、歳なのでしょうが、、、、。
でも明日は検査で、今夜はさすがに白いご飯、お味噌汁、西京漬け、そしてお漬け物と日本的なお食事でした。

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(この写真はデジタル初期の2003年の初めに、コンタックスからでたCONTAX Tvs Digitalでの試写。
赤ワインを撮ろうと思ったのですが、前の美女にピントをあわせていました。
手持ちで1/4秒、この頃の初期のデジカメは手ぶれ防止もないし。ISOも厳しかったはずなのですが、、Capture NX2で焼き直し)
by pretty-bacchus | 2011-01-27 23:59 | ♥Wine & Dineワイン&食事 | Trackback | Comments(4)

ベランダに鶯かしらメジロかな
2011年1月26日 水曜日 曇り 寒い

 今日の夜の会を失礼してしまった。
つきあいが悪くなったと思われてもよしとしよう。
気が進まないし寒いし、だるいし、、、、
でも、私を待っていて下さった方もいらしたようで、申し訳ない、、、、。

 どのメディアでも、私の年齢は<老年>の域に入ってしまっていて、
なんだか
それをみているだけでも具合が悪くなりそう、、、、外からのこの圧力はすごいものだ、、、
自分では若いと思っても実年齢はごまかせないのだ、、、
平均寿命年齢を考えればあと20年以上あるのだからと思っているのに、
どんどんマイナス思考に陥っていく、、、、
そうなると、考えなくてはならないことは沢山ある。
嗚呼〜〜〜

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(ベランダの端の枯れかかっているコノテガシワに鳥がやってきた、、、諏訪〜〜カメラ、、、、、、、
座ったままでカシャカシャ、、、、メジロかしら鶯かしら? )
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  (トリミングしてみましたが、、、、)

by pretty-bacchus | 2011-01-26 23:59 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(5)

PK戦で韓国を破った!
サッカーアジア杯、決勝へ、

PK戦で韓国を破った!
おめでとう!

手を止めてこんなにサッカーを観戦したのは始めてだった。

なんと、結果がでたら、友人達からメールが入った!
彼らも手に汗握ってみていたのだ、、、、

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(試合終了で、歓び集まる選手達、、、、ソファーに座って、遠くのテレビをカシャッ)
by pretty-bacchus | 2011-01-26 01:12 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(6)

酒 の 楽 し み  〜 アール・ヌーヴォーの酒器 〜
2011年1月25日 火曜日 晴れたりうす曇り a0031363_21252852.gif
 (この日のオリジナルのタイトルは
<温燗の旨し横目に白ワイン >> 燗酒やちらと横目に白ワイン>であった)

 寿司には熱燗、、、いやとんでもない、、、ぬる燗ですよね、、、、。
お寿司やのカウンターで日本酒を飲み人の多くは、“熱燗”といっている。
でも私はいつも白ワイン。白身のお刺身や貝類にはやっぱり白ワインだな、、、、。

 父はぬる燗が好きだった、それも特級酒はいけないといっていた。
お客様が多かったから、経済的なこともあったのだろう、、、。
戦後かなりたっても物資が充分でないころにも、いつもお客様であふれていた父のサロンでは
いつも若い先生や作家希望の男性やお医者さんたちが集まって酒を飲み交わしデカルト、カント、
ショーペンハウエル、西田幾多郎、漱石、横光、フランス文学などに口角泡を飛ばしていた。  
酒代に母の着物が一枚二枚と減っていくのを、彼らは知ってか知らずか、、、

 叔父や浅井そうめいさんや斉藤さん、後日市長になられたKさん、時には健二叔父さんたちと一緒に、
作家や詩人の方もよく父のところに遊びにいらしていた!
戦後まだあまり物資が充分でなかったであろう時代なのに、皆が集まると祖母と母は
酒と美味しいものを振る舞っていた。
おいしいお刺身やすき焼きが珍しい時代に、それをあてにしていらしていた方もあったと、
何十年も後に聞かされた、、、、。
(この陰に母の着物が一枚一枚減っていったのも、何年も後に大きな柳行李が二つ送り返されてき時に、
初めてその事情を私は知ったのだったが、、)。
彼らは夜中まで文学や政治、はてまた世界の事柄をよく話していたことを覚えている。
皆んなが巣立って、偉くなっても、彼らは実家に帰ると必ず父母を訪ねてくれたものだ。

 その昔(1992年)に、編集者の友人が独立しての初めての仕事に、
JTBから当時はやりだしていたムックをだすコーディネートをしたことがあった。
彼女の独立初仕事で「ウィスキーとブランディーの本」というムックを世に出した時で、
フランスのアルマニャックメーカーや造り手をご紹介したが、
“酒の楽しみはまた美と文化、そして友・・などと、うそぶいていた私を、
彼女は、おだてにのせハシヤスメの頁を任された。
そして数ページの写真と記事を提供した。
父が亡くなったすぐ後であり、父の酒の思い出などを書かせていただいたのだが、
その時の原稿が記録の中から出てきた。

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酒 の 楽 し み  〜 アール・ヌーヴォーの酒器 〜  

 物心ついた頃から酒はごくちかくにあった。
”酒は友と、人生を、愛を語り、ほどほどに酔いしれるがよい。”と言いながら、
父はいつも老若男女に囲まれ、ほどほどどころか、常に大酒を飲んでいた。戦後何もないときにも、
家にはいつも文学青年達が集まり酒をくみかわし、やれデカルトだカントだと酔いしれていた。 
母の着物が一枚一枚少なくなり、それは酒と肴にかわっていったことは、そのずいぶん後でわかったことである。
 ある日(小学生の終り頃であろうか)、時代が少し落ち着いた頃に、町のある質屋さんから
大きな行李が二つ届けられた。酒に化けていた母の着物が質屋の主人の好意でそっくりそのまま返ってきた。
(その内の一枚は今も大事に私のたんすのなかにある。) 

 はるかに昔の記憶が、その時の感激が、今年の春の父の死をきっかけに突然に蘇った。
その頃家に集まっていた青年達は、学者に医者にそして政治家にと活躍し、
もうそろそろ定年をむかえる頃であろう。

 父譲りの私にとって、酒は友と語りあいながら酔いしれるまで楽しみ飲むのがあたりまえになっていた。
酒は日本酒であり、時にはワインでありウイスキーであり又コニャックであった。

 縁あって二十代後半にフランスに四年ほど住んだ。当然のことのようにワインにのめりこみ、
気がつくと夕食にはいつもワインがあった。 ここでもまた友は何時も欠かせぬ存在であった。
ある時はシェフと、またあるときはソムリエさんと明け方まで杯をかたむけ語りあったものであった。

 半白も近くなり、少し人生に疲れを、寂しさを感じはじめた頃に、私の最大の酒の楽しみは、
一人静かに杯をかたむけることに変わった。
酒はアルマニャック、それも我が愛する純な”フランシス ダローズ”。
音楽は好きな曲をBGM程度で良い。ジャンルの違う本を2〜3冊。
右手に大ぶりのブランデーグラス。左膝わきのソファーの肩に本。
そして脇机のドームのタンブラーにはミネラルウオーター。
部屋中にひろがる香気と深く沈んだ黄金色の輝きは一日の疲れを静かに癒してくれる。

 ある時、長い年月を静かに眠っていたアルマニャックにはそれ相応のグラスをあわせたくなった。
パリ在住の頃からぼちぼちと集めだしたガレ、ドームのアール・ヌーヴォーのグラスは
まさにうってつけであった。          
 一九世期末のわずか十数年の間にヨーロッパに花開いたアール ヌーヴォーは、
その名の通り新しい芸術の波であり、フランスでは、エミール・ガレとドーム兄弟等に代表される
一つの装飾芸術様式である。 
1846年にナンシーに生まれたガレは、ロレーヌ地方の自然界の中に、草花や昆虫に、海の小動物たちに、
生の美しさとはかなさを見いだし、それを幻想的な姿でガラスに家具に陶器に写しあらわした。 
彼の作品はまた、当時ヨーロッパの人々を魅了していた日本美術の影響を強く受け、
深いもののあわれと輪廻感にあふれていると言われている。 

 ひとり哀しく杯をかたむける時には、まさにそれは気持ちと一体となり、
不思議な心の落ち着きと透明な時間を与えてくれる。
若いときには思いもよらなかった人生の幸せなひとときである。
そして今、友との最大の楽しみは”茶事”である。
幸いにも酒と美は父と共にあり、茶の湯の世界は母と共にあった。茶事は厳粛なものである。
一汁一菜で酒をいただくは、濃茶をおいしくいただくため。余韻を残して静かに去る。
が、しかし、ひとたびワガママムスメが加わると、それはいつも酒を楽しむ茶事と化す。
宴も終りにはワインがブランデーが供され世のふけるのも忘れ杯をかたむけ語りあう。
まさにひとりよがりの幸せな贅沢である。

 ありがたいご縁で寄せていただける、かのあこがれ尊敬する京の宗匠の、歴史とともにいきた
詫びた茶室でのお茶事のあとに、何百年も守られてきた茶器茶碗を肌に感じ、
いつの日かアール・ヌーヴォーの酒器で、”フランシス・ダローズ”心ゆくまで
味わってみたいものである。
日本と西洋とでそれぞれ時をへたその器たちは、どんな響きをかなでてくれるであろうか。
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 この時期、久田宗匠のご自宅でのお茶時はまさにその感をていした。
京都の四人の文人に東京からは私一人の特別なお茶のお稽古だった。
千鳥の杯は日本酒だが、お茶事が終わって二階のお部屋では、洋酒でヨーロッパの話しなどにも華が咲いた。
しかしまもなく日本中は不況の波に巻き込まれていった。
これらの酒器ももちろんもう私の手元にはない。
なによりも宗匠は昨年の秋に彼岸に旅立ってしまった。
時は非情にも止まることはなく、年はあっけなく過ぎてゆく、、、、。
またまた昔の思い出に浸ってしまった。

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この雑誌を友人達に送ったときのカードも出てきた。
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 物心ついたころから酒と美はごく近くにあり、それが私の半生をきめたように思われます。
友との酒の楽しみと、美しきを愛でる心を教えられた父も今は亡く、
明け方まで語りあった友も一人二人と去り、
咽喉をうるおしてくれた美酒は心の記憶にだけ残り、いまや肝臓を肥らせているだけ・・・
 そして集まった美しき物達も多くは私の元を離れ、いずれ次の世代に受け継がれていくさだめ・・・
たまらない虚しさにおそわれている今日このごろです。
 そして結局一人でまた美酒をあおっている始末・・・!?
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と、これは20年前にこの雑誌を友人達に送ったときの送り状の一文。

(カテゴリに、<Records過去の記事、書いた雑誌など>を付け加えて、記録としたい。)

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by pretty-bacchus | 2011-01-25 23:59 | ◎Records過去の記事書いた雑誌 | Trackback(1) | Comments(2)

厳寒に鳥もふくらみて
2011年1月24日 月曜日 曇り 寒い

 いや〜〜なにか変な時代になってしまった。
電話ですむことをメールでやりとりして双方納得、お互いの都合の良い時間に更新ができるから
それはそれでよいのかもしれないが、、。
昨年電話を紛失して以来、あまり不便さを感じていないのは、ほんとうに変だ!
納得していてもなんだか寂しいし、これまでとはまったく違った日常になりつつあるのは、
これはやっぱりおかしい。

 曇った寒い一日だった。
今夜の歩きは、西麻布から青山を通って外苑に出て、それから坂を下りて鮫が縁門へおり、、、、、。
ここで気がついた、鮫が縁門という信号の名前が無くなっていたのだ、、、
どうしてだろう?(南大門となっていた)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
結局あまり歩けずにダウン、、、だらしがないな〜〜〜。

a0031363_1626022.jpg(借景の枯れ木の鳥も寒そう〜〜鳥もふくらんで、わたしもふくらんでます〜〜〜)

by pretty-bacchus | 2011-01-24 23:59 | ♪Walking散歩坂道祭り | Trackback | Comments(2)