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日記から
20011124
退院の日に

眠れないままに、六時の起床時間を迎える。富士山が綺麗。昨夜は1時間おきの看護婦のチェックに加え、
外では一晩中救急車が走り去っていた。やはり今日も少し微熱がある。心は重い。先生が9時半にいらして、
何かいつもより違う感じあるという。昨日より調子変わったような気がする。光がどこからか入り、
黒いボーフラのようなものが出て眼の中に浮いている。昨日までは画が同じ大きさで同じように見えたのに、
今日は左目で見ると???がある。診察の時に先生に聞くも、生理現象ということもあるとのこと。
結局何かおかしいということは本人自身にしかわからないということか。
いずれにしてもこれ以上よくなることがないということは、このままで今後のあと20数年の人生を
いかにするかを考えなければいけないだろう。

11時滋が迎えに来て−。ホテルでするように荷物を簡単にまとめる。
やはり性懲りもなくヨドバシカメラによってMacのメモリーを526メガを追加する操作を30分でしてもらう。
病院から電話をして眼帯をかけていたせいかみんなが親切。私自身が身体障害者になってしまってるんだろうか。
自分の家はやはり落ち着く。夕方は1週間たべれなかったお刺身をとって野菜いっぱいの食事を済ませた。
数日眠れなかったせいか読書する時間もなくねつく。

~~~~

11月25日日曜日

今日もとっても良いお天気。8時に目が覚めるがまた床につく。滋が時々うつぶせになっているかどうか見に来てくれたよう。
ありがとう。なにしろここ一週間は昼も夜もうつぶせの生活。高圧ガスが入っているのだからしょうがないのだ。
心なしか昨日より良いような気がする。眠るれてうつぶせのせいか目の中のガスは小さくなったよう。

あああ、それにしても皮肉なものだ。
今度入院の時は10数枚のCDを持っていった。おそらく読むことは無理だろうと考え読む物は
志村先生の新作のたまゆらの道だけ。
最初の数日はモーツァルトのコンチェルト21段、23番のピアノの演奏を楽しんだ。
いつの日にかこの曲を大祐さんの演奏で聞いて見たいみたいものである。

最後の2日は前回の入院で大祐さんがくださった一枚。
静かな雰囲気の曲が10曲入っている。ラフマニノフのセンティメンタルな曲。2番目のグリークの遅すぎた春、
3番目、4番目とVCの夢、5番目マーラーは前奏曲第3番、7番目ショパンのピアノ協奏曲第2番、
八番目モーツァルトピアノ協奏曲第21番ハ長調、9番目はバッハのカンタータ第156番シンフォニーは。
それにしても何と皮肉なこと、、、と言うより、今の私の為に出来たCDのようだ。全曲がセンチメンタルでグリーク、
ラフナニノフの曲につずいて哀しい旋律の遅すぎた春。果たして私の春ももうすぎさってしまったのだ?
後は晩秋を迎えようとしているのだ。若いころを思い出された。小学校の時の卒業アルバムの文字は夢そして愛。
中学の時はそれに感謝が加わった。そしてそんなふうにして五十数年年を生きてきた。

悔いはない人生を送っていると思いつつも、もう少し五体満足ていたかった。
あああなんと最後のバッハのカンタータは副題が、
片足を墓につっこみ我は立つ。
私はっさしずめ片目を墓につっこみ我は生きるだ。バッハの全作品の中でも特に人気があるものという。
曲の選定にまた私の不思議さを思う。
by pretty-bacchus | 2001-11-24 21:19 | from old diary日記から移行 | Trackback | Comments(0)

日記から
2001.11.23

東京医大1567にて

11月23日金曜日晴れとても暑い日がある今年の予定は松戸の本土寺で開かれている母の茶会にカメラをもって行くはずだった。
それが突然の入院と手術そして今日は一応明日退院控えている。
滋が6時に来てくれて7時40分に先生の説明があった。
今回の手術は一応成功して出血は抑えられているもよう。しかしまた後10日間予断を許さないといいことだ。

人が年を重ねるということは不思議なものだ。それは体が知っていた。
自分自身で1945年生まれだと思っているからまだ還暦だなんて考えたことはない。30代の終わり40代の終わりにもいろいろあった。
しかし考えてみると50代の終わりを迎えてこれからの人生をどうするか本当に真剣に考えてみなければならないことになった。

視力は少しは回復するかもしれない。しかしだんだんその視力は衰えていくという。そんなことがあるんだろうか。信じられない。
その昔20歳のころ、自分は決して衰えない年をとらないと思っていたことがあった。そしていつも私はその時その時の医学に救われて命をまっとうすると思っていた。
しかし一つ一つ体の機能しないながら命をながらえて何になるだろうか。
眼が見えない80はやはり考えたくない。

さあ私はどうすればいいだろう。明日からしばらく家にいることになる。
会社のことも大切だけれどこれからの自分自身のことを考えてみなければならない。
新宿副都心の夜の街のネオンを見ながら音声で入力のヴィアヴォイスという
新しいソフトでこの分を音声入力している。
by pretty-bacchus | 2001-11-23 23:16 | from old diary日記から移行 | Comments(0)

日記から目の手術の記録をブログに移行
2001年11月17日土曜日 ハ晴れ

 朝起きて何時ものようにコンピューターもフタ開けて驚いた。
なんとスクリーンの右がカチカチと波打ってみるではないか。どうしたんだ。右の目で見ると何でもない。
左目で見てみるとなんか柱までで曲がって見える。うわーどうしたんだ。頭を振ってみる。
頭は何ともないらしい。
足がもつれることもない。疲れているのだもう少し寝よう。

 しかし結果は変わらなかった。
とりあえず大学病院にベルをした。土曜日の午後だったため予約がとれず困ったなぁ。
このまま1日静かに過ごした。
大事をとってしげさんに買い物に出てもらう。ボージョレヌーボーで、
炊き込みご飯と野菜。少しだけ、
気にして午前零時過ぎに就寝。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月18日 日曜日 晴れ秋晴れの 良い天気

 庭の紅葉も始まる。
鏡を見て驚いた。右目で見ると自分の顔は普通に見えるいやむしろ白っぽく見える。
ところが左目で見ると自分の顔がゆがみこげ茶色で2割ぐらい小さくなりまるでサルの顔を見ているようだ。
困ったなあどうしたんだろう。とりあえずゆっくりするしかない。
さすワインは控えて昨日残した瓶の底の1口だけにする。

〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月19日月曜日

 眠れないまま朝を迎える。
8時半に高山先生に電話をする。
万が一のときのことを考え30分ほど仕事のブリーフィングをする。
アジェンダを見る。ここに3週間特に特別な予定は入っていない。
気になっている事項はママの特別ワインのプライベートラベルのデザインが。
その他いろいろ総務と話して、9時半に会社を出る。

 考えてみたらもしイタリアからリブランディが来日していたら、今日はブリーフィング。
明日はあと外国人特派員クラブで50人を招いてのテイスティング。
その後ディズニーのホテルミラコスタでプレスディナー。そして明日からは彼らについて京都。
もしこれがキャンセルなっていなかったら、私は完全に命を失っていたかもしれない。
人生とは何が幸いするか分からないといつも思っていることだが、またここでひとつ現実となった。

 待つこと10分ほどで今日はすぐに中に通された。
例のごとく目の圧力の検査のあと機能検査視力検査。
左は全くダメ。瞳孔を開く薬を入れて廊下に出る。まもなくあたりがぼっととしてきた。
「KKさん」と聞こえる。人波を分けて1番の口から中に入る。
どこかで見かけた優しい人の輪郭が目に入る。
「あ高山先生だ〜〜〜。
岩崎先生の席につく。「土曜日の朝、、、」に、と話しかけるが、いつものようにこちらの話を無視して、
「ハイ顎を乗せて」という。
すぐに立ち上がり高山先生の方にいらっしゃる。
「いや網膜剥離じゃない。どちらがいいか分からないけど、眼底出血だ。
「まあ要するに加齢性だな」(<<<華麗ではないのだ、、)

 驚く私はただ呆然。
「60歳を過ぎた人の失明のほとんどがこれだ。でも貴方は50代でしょ。加齢性黄班変更症だ。」
まぁ話を要約すると網膜の裏にある胸膜の一番中心部の血管が破れたのだそうだ。
黄班血腫ということだ。
「う〜ん困った。先生また緊急入院ですか。」
5月の時のように、またたく間に血液検査、尿検査レントゲン写真、心電図といつものコースを歩く。

 入院手続きを済ませ荷物を取りに家へ帰る。全然現実感がない。
ちらかった洋服を片付け旅慣れた感じで入院の支度をする。
簡単なものだ。ふきんの中に湯飲みを1つ、スプーンを1本お箸を1組そして洗面用具。
人間最後はこれだけで死出のたびに立つのか。

 最初の入院は38歳の時の手術。そのとき思ったものだ。
私は病に倒れても、そのときの最新の医術と信頼できるドクターに救われて、寿命を全うできると、、、
でも今回はむずかいらしい。
最後の晩餐はやっぱりお寿司。ヒデさんといろいろと話をしながらボージョレヌーボーとお寿司を楽しむ。
さあ明日からどんなことなるやら。寝つけないまま朝を迎える。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年11月20日 火曜日 晴れ あつい

 午後1時病室入り。慣れて良いものではないが、旅先のホテルにチェックインするような感じ。
15階西奥から2番目の個室1,567号室。部屋のしつらえを済ませる。
ピンクのパジャマに着替え検温。35.0。
担当は山内先生、村瀬主治医。受け持ち看護婦は赤木さん。とても良い感じ。

16時 村瀬先生いらっしゃる。
16時10分二階の眼科外来におりる。これから受ける検査のためのパッチテストをする。
左腕に4種類の注射がが打たれる。
なんと村瀬先生は下手で下手でパッチテストのために2回もやり直しをする。痛いのに。

低い声で「これから造影剤のテストをします。ことによったら尿が黄色くなったり
皮膚が黄色くなったりすることがあります。例えば気持ちが悪くなったり湿疹が出たり
呼吸困難になったり心臓発作などが起こることがあります。」
「え!え!そんなばかな。死んでしまうこともあるんですか。
「いいやそういうことではありません。」

白い紙を取り出す。「これがね今説明した内容です。承諾書にサインをしてください。」
「造影剤をうつために承諾書を書くんですか。時代も変わりましたね。
今度は右腕にブルーの液が入った注射器でブス。
いた〜〜〜い! 「本番の時はこんなに痛くないです」。さて何秒かかったのか。李相木杭会???。
インドシアングリーンの液?ということである。隣の造影室に入る。16時35分造影剤注入開始。

予想していたように全然血管が出てこない。左の腕を探してぼっと注射器を受ける。失敗失敗。
別の人が試みる。駄目。今度は女性が来る。たたいたり紐を締めてみたり叩いてみたり。
「いやこれは私に向いてない。なんとか先生、、、。
小柄な感じの良い先生が入ってくる。左右の腕をたたいたり、いろいろ、、、。
「はい結んで、、日開いて、としたりして血管を探し出す。
なんて見事に上手に右腕のいつもと少し離れた所に入れることに成功。

何とそれまで20分の時間がかかっていた。17時に顔を乗せる。
赤い光と青白い光で眼の奥の写真を撮る。レントゲン医師の説明はなかなか面白いです。
これは結果が違うところを見るためなんですよ。
面白い。頭のどこかでゲーテの色彩論がよぎる。
20分ほどで撮影が終わり15階に戻る。
続いて17時40分から10分ほど目の検査。
昨日からずっと続いて検査はこれで一段落か。18時半に食事となる。お盆には4皿。
キャベツとシイタケのスープ。きゅうりとキャベツプチトマトの酢の物。鶏肉とグリーンピースのにもの。
ご飯はアサリとコンブが少し入ったカレー味。毎日このぐらい食べていればきっとやせるだろうなぁ。

 山内先生は実直そうな感じの先生。30代後半かしら。15階診察室に移り、説明を受けることになった。
黄班部から細かい血管がはえてきてそれが切れて出血という。欧米の失明の大半はこの病気だという。
それも高年齢の。今回は特別な手術で高圧ガスを入れることにより、その血管を抑え出すのだという。
それが失敗した場合の処置をいろいろうかがう。最悪の場合は網膜をぐるぐる回して
場所を変え焦点が合うようにするだという。
5月にした手術よりも何と30倍の大変ということで、さすがの私も恐ろしくなる。
目の裁断図を見ながら水晶体動向を、網膜、中膜と説明が続く。

 部屋に帰ると連れ合いが来てくれている。
8時40分開始。小さな部屋に通され、いすがベットに早変わり。「さ、麻酔をしますよ。」
左目の骨をさけたところに突然激痛。「いた〜〜〜〜い」。
5月の時は痛くなかったのに、つい言ってしまう。
途中から高山先生の声が聞こえてとてもリラックスした気持ちになる。ますい息て??。
うんうーんと言いながら様子を数える。1分40秒ぐらいだったろうか。1つの仕事が終わる。

さて次の仕事は???。そして次はほんの数秒後の最後でガスを入れたらしい。
「さあ今日から3日間うつぶせでねてください。昼間もうつぶせのママです。これがなかなかつらい。
今は規制制度話???だととるかぐらいはこういうことが必要のようだ。これで????
回復する気分は少しは残っているらしい。さすがに今日は疲れて、、、本を見る気力もない。
モーツァルトのピアノコンチェルト21と23番が部屋に流れてベッドに横になる。
一時間おきの看護婦のチェックと、救急車の音で朝の4時まで眠れzy、、、、
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2001年11月23日 東京医大1567にて

 11月23日金曜日晴れとても暑い日がある今年の予定は松戸の本土寺で開かれている母の茶会に
カメラをもって行くはずだった。それが突然の入院と手術そして今日は一応明日退院控えている。
連れ合いが6時に来てくれて7時40分に先生の説明があった。

今回の手術は一応成功して出血は抑えられているもよう。しかしまた後10日間
予断を許さないといいことだ。
人が年を重ねるということは不思議なものだ。それは体が知っていた。
自分自身で194X年生まれだと思っているからまだ先の還暦だなんて考えたことはない。
30代の終わり40代の終わりにもいろいろあった。
しかし考えてみると50代の終わりを迎えてこれからの人生をどうするか本当に真剣に
考えてみなければならないことになった。

視力は少しは回復するかもしれない。しかしだんだんその視力は衰えていくという。
そんなことがあるんだろうか。
信じられない。その昔20歳のころ、自分は決して衰えない年をとらないと思っていたことがあった。
そしていつも私はその時その時の医学に救われて命をまっとうすると思っていた。
しかし一つ一つ体の機能しないながら命をながらえて何になるだろうか。
眼が見えない80はやはり考えたくない。
さあ私はどうすればいいだろう。明日からしばらく家にいることになる。
会社のことも大切だけれど、これからの自分自身のことを考えてみなければならない。

新宿副都心の夜の街のネオンを見ながら音声で入力のヴィアヴォイスという新しいソフトでこの分を音声入力している。
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2001年11月24日土曜日

 病院にいるよりとてもリラックスできる。しかし目の方ははたして、、、病人だけがわかることである。
前と同じように左目で見ると画像は黒く見えるそして小さい。そのうえ時々色を失っている。
白いカべをみると短い黒いぼーふらのようなものがのにょろにょろしている。
どうやらまた出血が始まっているもようです。なんとか気持ちを変えなければいけない。
新聞を読み新しい芸術新潮、写真の本などを読む。
今日の音楽はリラックスしたもの。私の写真が写真に使われているらCD。
もうこんな写真を撮ることもできなくなるだろうか悲しい気分である
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2001年11月28日水曜日
検診黒いボーふらが沢山眼の中に。


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2001年11月の目の手術の日記は、ここで終わっている。
このウェブログに移しておくことにした。



by pretty-bacchus | 2001-11-17 23:11 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(0)

日記から

2001年11月1日木曜日 晴れ

2001年11月2日金曜日

2001年11月3日土曜日 曇り札幌初雪

2001年11月4日日曜日」曇り寒し後晴れ
一人で、新国立のナブッコへ。

2001年11月5日月曜日
ノヴェロ解禁。
2001年11月6日火曜日
2001年11月7日水曜日

2001年11月8日木曜日

2001年11月9日金曜日

2001年11月10日土曜日
赤倉の会長のお宅へ

2001年11月11日日曜日 晴れ
妙高の朝。晴れて良いお天気。
お昼に高橋先生たちが郡山からいらして、ヴェルジェにピュリニーとラフィットイ94を、越前カニと、会長も楽しそう。
by pretty-bacchus | 2001-11-01 22:52 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(0)