カテゴリ:♥Person父母,師友人,人生の宝物( 278 )

浅田真央ちゃんお疲れ様でした、沢山の感動をありがとうございました。
2017年4月11日 火曜日 曇りのち小雨

 帰宅してバタンキュウで寝てしまったので、真夜中すぎに目が覚めた。
午前二時半、iPadで日経のウェブ版を開いた。
パッドの上に涙がぽろぽろと落ちた、、、、。

フィギュアスケートの浅田真央ちゃんが引退を表明したというニュースだった。
自分のブログで昨日の夜に語ったのだという。

「どうして練習してはいけないんですか」と佐藤コーチに話すほど練習量の多く、
自分の目標に向かって努力したという。
自分ができる最高のレベルで挑まなくてはいけないとストイックにがんばった女性。
日本に一大フィギュアブームを巻き起こし、日本中を銀盤の世界の魅力に引き込んだ日本女性!
その後のスケーターに大きな影響と与え続けていた真央ちゃん。

二回のオリンピックでもドラマティックな演技で、日本中をいや世界中を湧かせてくれた。
三年前の外国人記者クラブでの会見が思い出された。

彼女のあまりにも多くの活躍を語り始めたら何時間あっても終わらないだろう。
五歳からのスケートで二十六歳まで。語りつくせない苦労は沢山たくさんあったであろう。

お疲れ様でした真央ちゃん、そして沢山の感動をありがとうございました。
次の人生もきっときっと輝き続けていくのでしょう! 頑張ってくださいね!

 〜〜〜〜
真央ちゃんのブログで、気持ちを語っていた。
http://mao-asada.jp/mao/
真央ちゃんのブログ
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http://keico.exblog.jp/19510713/
2014年2月25日 火曜日 晴れ
帰国後の羽生結弦くんと浅田真央ちゃん

http://keico.exblog.jp/19512676/
平成26年2月26日(水) 曇り
日本外国特派員協会での浅田真央ちゃん

~~~~~~~
 桜は、昨日の大横川の橋の上から、、、、

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by pretty-bacchus | 2017-04-11 23:58 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)

ハンガリーからのお土産で素敵な贈り物をいただきました。
2017年3月30日 木曜日 晴れ

 先週素敵な贈り物をいただいた。
真っ白なタオルで大切に包まれた宅急便の段ボールから現れたのは
モダンなワインの箱で、なかを開けたらまたビックリ!
なんと、TOKAJI Imperium 2000 ASZU ESZENCIA!
Imperiumってすごい!日本ではあまりみかけることがない銘酒!
2000年は、夏に日照が良好で九月には湿度が高く、
貴腐菌のボトリティス・シネレアがよく育った過去一世紀で最高のvintageの一つだそう。

(ブログがおかしくて、ようやくログインできたら、今度は画像がいくつも載ってしまう、、、、)

[

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 美しいボトルをそっと取り出してみると、なんともいわれぬぬったりした色が輝いていた。
マ〜〜嬉しい! でも困った〜〜〜さあ〜〜〜どなたといただこうかしら?
やはり、これは一席もって先生とご一緒にいただきたいですね〜〜〜!

 ハンガリーの大学に講演に入らしたY先生からのおみやげ!
創設がマリアテレジアというすごい大学に、日本から医学の講演にいらっしゃるって
ほんと

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ここ数年お世話になっている大学病院の消化器センターのY先生とお話ししていると、
病気が治ってしまうようなドクター。
哲男叔父に風貌が似ていらっしゃるので、なんだかとても親近感を覚えて、
数ヶ月に一度の診察の時には、夕方最後のほうにうかがうと少しゆっくりとお話しができるのも
なんとも嬉しくありがたい。
話の中で、先生は私の酒量をおわかりなのだろうし、検査の前などはさりげなく注意して下さったり、、、。

 先生はアメリカの医学大学に二年いらしたことがあり、教授先生はHungary出身の方で、
食事化の最後にはいまでも貴腐ワインを飲むのがお楽しみとのこと。
休日にはNapa Valleyのワイナリーを回ってテイスティングをするのが楽しみでらした、
うかがったことがあった。

 「医は仁術なり」、心が通う先生がいらしゃり、私は命を長らえていることに手をあわせたことでした。


by pretty-bacchus | 2017-03-30 23:59 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)

寒い午後に悲しい知らせが着きました
2017年3月14日 火曜日 小雨のち曇り

 寒い一日だった。
北の国ではまた雪がやってきているという。シカゴ、ニューヨークでも大雪とか。

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 下の弟の奥さんが亡くなった。五十九歳だった。
二年前に胃がんの手術をした後、元気になったのだが去年に再発。
今年になって何度かの危機を乗り越えていた。

 一昨日元気な話していたというのに、ガンの最後はこんなふうなのだという。
遠くにいたので長い間会っていないが、最後にあったのは十年前のお正月であった。
二人の娘は大学一年生と四年生。
お母さんに最後にあえたのは下の子の和奈ちゃんだったようで、ゆみこちゃんはまにあわなかったよう。
“パパ怖いよう〜〜怖いよう〜〜”と電話口で泣いていたと話す弟の声も声になっていなかった。
心から冥福を祈ろう。

 (ブログに残っている十二年前の写真があった。
イタリアに出発する私を空港で母と一緒に送ってくれたときのスナップ)

http://keico.exblog.jp/2324633/
2005.10.15
新しきことの初めの秋きたり(母に送られて出発)

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 ベランダにやってきた春の花も寒そうな一日だった。
ガラス越しにいろいろ考えて、、、、の午後。

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by pretty-bacchus | 2017-03-14 23:58 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)

弥平さんのお誕生日に久しぶりにピアットスズキへ
2017年2月7日 火曜日 晴 オーナーシェフ鈴木弥平さんのお誕生日に久しぶりにピアットスズキへ

 久しぶりという言葉はどのくらいのことを言うのだろうか。
数ヶ月のこともあり数年もこともあろう。
でもそれが八年にもなると、なんと言うのだろう、、、、なんて考えながら、
小さなエレヴェーターに乗った。

四階でおりて、しばらくは左手の扉を押せずにいたら、中からす〜と開いた。
“こんばんは〜〜〜ご無沙汰いたしました”
“いらっしゃいませ、、、、お変わりありませんね”とホールのマサト君。
“変わらないわけはないでしょう〜〜”と、さっそくに昔からの言葉の遊び?

満席の手前の五席はすでに静かに時がすぎていっているよう。(いいな!なんという大人の雰囲気!)
“シツレイします〜〜〜”と、そっと通り抜けて奥の五席のカウンターの一番奥に通された。
 
“とってもご無沙汰して、こうしてまたおじゃまするのがなんと勇気のいることだとわかりました、、、、”
と頭を下げた。
“いらっしゃいませ、、、”
いつもと変わらない笑顔が迎えてくれた。
 (涙をじっとこらえるワタシ)

 <ピアット・スズキ Piatto Suzuki>の鈴木弥平さん
ことところ何度もメールでお話ししているが、こうして久しぶりに顔をあさせるのはなんと八年ぶりだった。

今日は弥平さんの大台五十歳のお誕生日
どうしても彼の顔を見てお料理がいただきたいと思って、何日か前にお願いして席をとっていただいた。

 彼のお料理を最初にいただいてから、もう二十年以上になるだろう。
平田さんに憧れて水戸から上京した弥平さんは二十代後半に単身イタリアへ。
一年ほど、それまでの料理を再確認の旅をして帰国。
<クチーナ平田>でシェフを務めていた頃に、二階の席でよくお話しをしていたころがなつかしい。

三十五歳の時に独立して、「ピアットスズキ」を麻布十番に開店なさって十五年がたったのだ。
テーブル席五卓と、厨房前のカウンター席五席というレストランだが、調理場の彼からは
どのテーブルもみえるというコンセプト。
瞬く間にミシュランの話題にもなり、イタリアンを愛するお客様でいつもにぎわい、
東京で一番予約のとれないお店となっていった。

それ以来、私たちは「ピアットスズキ」だけがイタリアンとなってしまった。
二人の時はもちろんカウンター。お客様をするときは左のコーナー席とそれはそれは幸せな中年ライフを
満喫させていただいた。
楽しいときも悲しいときも、そして疲れきっているときも、いつもお腹と心を満たしてくださった。
 
それがここ八年も一度もいったことがなかったのだ。
どうしてだろう〜〜?!
考えられることはあるが、まあそれも時効でまあいいだろう、、、、。

 (カウンターの他のお客様の前では説明できないので、先週の検査でのこと故、
今日はワインが飲めないことは、メールでお知らせしておいた)
“う〜〜まず泡物が欲しいですね、、、ペリエ”をいただこうかな、、、と言ってしまって大笑い。
いかに長い間イタリアレストランにいっていなかったことか!
イタリアの泡物のナチュラルミネラルウォーターの代表のサンペレグリノを忘れていたのだ!

 懐かしい〜〜〜!
なんともなつかしい〜〜〜。
久しぶりなので、お料理はシェフにお任せっすることにして、ワタシはもう遠慮なく
前を上を後ろを回りをキョロキョロ、、、(お隣の方にはお詫びして、、、)。
もう何も変わっていない。
ホールの方が一人新しい顔のようで、調理場のスーシェフもスタッフも、以前のまま!
時の流れがとまったように、すべて昔とおなじだった。

涙をこらえるのが大変だった。
お隣がいらっしゃらなければ、涙のあとに、はしゃいでしまったことだろう!

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(弥平さん!  お鍋もみんなピッカピカ!)

 いつものようにのピクルスとオリーブのお皿アミューズから始まり、お料理がでるころに
あのパン皿に一杯のパン、パン、、、、。
グリッシーニやパリパリと薄い板状のグリッシーニは、スプマンテでなくとも美味!
バゲット風・全糧粉風・デニッシュ生地風とどれもイイ!

 あっというまに十数皿をいただいていた。
もっとシェフとお話ししたいが遠慮して、二人ともただ黙々と季節感いっぱいのお皿をいただいた。
数時間がすぎ、最後の客となってしまった。
ごめんなさい弥平さん。

 次回の予約をうけていただいて夜の街にでた。
来るときはとぼとぼ歩いていた連れ合いは、スキップをしながら大通りまで。
なんともゲンキンなお人です!

 いつまで美味しくいただけるのかしらね、、、と、そんな会話が多くなった今、
最後の晩餐は、フレンチは斎須政雄のコートドール、イタリアンは鈴木弥平のピアットスズキ、と
決めているので、一安心の夜でした。
ありがとう! 弥平さん!

2016年2月25日 木曜日 曇り
http://keico.exblog.jp/22537690/
フレンチレストラン<コート・ドール>が三十周年を迎えました

 悲しいことが一つあった。
着いてすぐ“平田さんご夫妻はどうなさってますか?
とうかがったら、なんと去年の三月にお亡くなりになられたとこと。
“笑った顔の写真が少なくて、、、”と、小さな額の中に平田勝さんが笑っていた。
長い間ご無沙汰している間に、イタリア料理界をひっぱっていらした大御所がこの世を去っていたのだ。
最後にお目にかかったのは、平田さんご夫妻がお仕事を終えて夜遅くに弥平さんのお店に入らした時だった。
(平田さんのことは明日に書きます、、、)

<クチーナ平田>はもう一人の弟子に引き継がれ、平田さんご夫妻の最愛の弟子<鈴木弥平>が、
今、日本のイタリア料理界を引っ張っている

 実は、このブログには何十回も登場しているが
「ピアットスズキ」 鈴木弥平と書いたことが一度もなかったかもしれない。
それだけ、私の<隠しレストラン>として大事にしておきたかったのだ。

 今日のお料理の一部は、(ボケボケのスナップですが、、、)
 
☆ ボタン海老のタルタル
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(回りの白いのはエキストラヴァージンオリーヴオイルの粉末)

☆ 蛸のテリーヌ
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☆ 白金豚の自家製プロシュート
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☆ 白子とモッツアレーラチーズのオーブン焼き
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☆ スパゲッティーこはまぐりと葉唐辛子のボンゴレ
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☆ タリアテッレ牛すじのラグーソソース
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☆ 鰆の    
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☆ くろむつのソテー蕗の薹のソース
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☆ 特製ハンバーグ
   ご主人がおすきでしたですね、、、と弥平さんが、メニューにない特製をつくってくださった。
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☆ デザートはお隣さんだけ、、、
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 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/3717874
2006.06.10 土曜日
満月の月無き夜も月を愛で、藤沢さん錠爾さん弥平さんのこと

http://keico.exblog.jp/5092660/
2007.02.07 水曜日 曇り
ピアットの鈴木弥平さんのお誕生日

http://keico.exblog.jp/6928366/
2008年3月22日 土曜日 はれ
久しぶりにピアットスズキで夕食。
 このブログより、
   日本版ミシュランでは、たった二件のイタリアレストランとして、
  親方のクチーナ平田さんと選ばれたのだ。
  カウンター五席と、五つのテーブルはいつも満席で、時には一日二回転もするが、
  その味はいつも変わらないどころか、常に新しい驚きと喜びがある。
  すごいシェフだ。

  シェフの弥平さんとは、ヴィノ・ヒラタのころからのお付きあいだから、
  もう十五年くらいになる。
  私は勝手に弟みたいと思っているのだが、きっと彼は、そういうお客様が
  沢山いるに違いない。
  時には一人の女性がカウンターで食事をしてらっしゃるし、ジローラモさんや超有名人や
  ジャーナリストや、時には政財界やマスコミの方々のお顔もみられる。
  超無名人は私たちくらいかもしれないと思うことすらある。

  ちょっと疲れた一週間だったし、まだ手が少し痛いしっっ、、、で、
 “今日は野菜を中心にお願いします、、それに左の人差し指が使えないのでナイフフォークは無理かな、、、
  その一言で、新しいレシピーを思われる、見たこともない皿が次々に出されて、ほんとうに嬉しい驚きだ。
  言われなくとも解っていたごとくに、次々と野菜料理が創られていく課程を見ながらの
  カウンターでの食事は至福の一時だ。
  いやなことがあっても、これで全てが報われるような気持ちになる。

 “ありがとう、弥平さん、ありがとう、食材を作る農家の皆さん、ありがとう葡萄を作り人、
  ありがとう〜〜自然の神様、、、と、心の中で手を合わせて食を進めた、、、、。

http://keico.exblog.jp/3618969/
2006.05.16 火曜日
シチリアからのマエストロ パスクアーレ ジューディチェ 

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(その時の写真を持参して思い出話を、、、、、ある一日は貸し切りにしていただいたのでした。)
何と若かったでしょう!)

 まだまだ沢山ブログはある、、、、。


by pretty-bacchus | 2017-02-07 23:59 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(6)

七草はウェブ時代の小倉百人一首で遊びました
2017年1月7日 土曜日 晴れ 七草

 早いものですでに松が明けた。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ 春の七草ですね。
おばあちゃんがつくってくれた七草粥がなつかしい〜〜〜。

七草粥はつくらなかったので、最後になった下仁田葱とユメピリカでまねごとを。

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http://keico.exblog.jp/23487085/
2016年12月18日 日曜日 晴
そろそろMacBook Proの替え時なのですが悩んでいます
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 お習字の松川玉堂先生からいただいたお正月の一枚は<人生一夢>。
夢の続きをもうすこし見ることができそうで幸せです。

 少しゆっくりできる三連休なので、読みたいと思って保存しておいたメルマガをちらほら見ていたら、
おもしろいアプリをみつけた。
iOS用なので、iPhoneにダウンロードしてみた。
小倉百人一首を覚えるためのアプリで、百の絵札は本物のようで美しい。
和歌は、掲載順だけでなく読み順、主題、歌集名、決まり字でも表示し検索できるので、
ウェブ時代ならではの楽しみもある。

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https://itunes.apple.com/jp/app/xiao-cang-bai-ren-yi-shou/id382730643?mt=8

絵札をプロの読み手が朗読しているので、七草に久しぶりに百人一首を楽しんで子供の頃を思い出している。

1 番歌 天智天皇
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わかころもてはつゆにぬれつつ

 季節の歌、恋の歌、六歌仙の歌など、そして女性作家が二十一人もあらためてわかって、
このアプリはすばらしい。

あまりにも有名なのは
小野小町
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに

伊勢大輔
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな

和泉式部
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな
あらざ いまひとたびの あふこともがな


 母に電話でそのことを話したら、なんと
“これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関 〜〜〜
“心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 〜〜〜〜
と、ろうじはじめた。
一番最初に覚えたのは、蝉丸 のこの和歌だったという。

覚えるコツの頭の一文字を取っての「一字決まり」の七句をすらすらと電話の向こうで歌い出した。
“「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」と覚えたの、と。

 むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに
  きりたちのぼる あきのゆふぐれ 087

 すみのえの きしによるなみ よるさへや
  ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ 018

 めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに
  くもがくれにし よはのつきかな 057

 ふくからに あきのくさきの しをるれば
  むべやまかぜを あらしといふらむ 022

 さびしさに やどをたちいでて ながむれば
  いづこもおなじ あきのゆふぐれ 070

 ほととぎす なきつるかたを ながむれば
  ただありあけの つきぞのこれる 081

 せをはやみ いはにせかるる たきがはの
  われてもすゑに あはむとぞおもふ 077

二字決まりが42首、三字決まりが37首、四字決まりが6首、五字決まりが2首、六字決まりが6首あるという。

 恐るべし九十七歳!
佳い七草となりました。



by pretty-bacchus | 2017-01-07 23:58 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(4)

パリから一時帰国している友人と久しぶりに長い時間を
2017年1月6日 金曜日 晴れ 寒し その一

 パリから一時帰国している友人と、久しぶりに長い時間おしゃべりできた。
知り合った三十七年前のことなどを懐かしく思い出して、その後の奮闘や一生懸命の時代を
“よく頑張りましたね〜〜〜”とお互いに話せるのってとっても嬉しい。
彼女もまだまだ難題をかかえているが、後を継げる男の子とお嬢さんに恵まれているのだが、
あと五年は頑張らなければと納得している。

日本に住むお母さんが九十四歳になって、とても心配になっていて、外にもでられなくなって
毎日おさんどんをしているよう。

 次回はパリであいましょうね、、、、、、と、かたく約して別れたのです。

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(先付  すっぽんスープとクリームチーズの茶碗蒸し)

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(御椀  ずわい蟹すり流し お餅 京菜花)

by pretty-bacchus | 2017-01-06 23:59 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)

成田山新勝寺の新春初護摩のご祈祷のお札と御神酒が届いた
2017年1月3日 火曜日 晴れ

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 母から成田山新勝寺の新春初護摩のご祈祷のお札と御神酒が届いた。
こうして何十年も元旦の初護摩ご祈祷をしてくださり、翌日には届けてくださる。
ありがたいことだ。
成田山新勝寺は平安期に天皇より命じられ御護摩祈祷によって、将門の乱を収束させたという開山縁起を持つ。

 カドブンのミヨチャンこと加藤三保子は町の人気者だったようで、東京に嫁いだが、
戦後に東京の家を失い、祖父母が住む成田に疎開して帰ったのだ。
戦後の苦しい時代のなかにも、実家のもんおばあちゃんや父方の千佐おばあちゃんに守られていたのだろう。
戦後京成電鉄の上野駅から国鉄の上野駅までの浮浪者のあふれる地下道の壁に定期的に
花を生けていた時代があった。
お友達と池坊の成田支部を立ち上げたのはその頃のことだっただろう。

その戦後まもなくから茶道と華道の門戸をあけて、お月謝がだせない人にも教えたり、また
新勝寺さんのお献茶などにもご奉仕していたことがあった。
龍ケ崎の千代倉俊子叔母やマナイタの叔母とも年に数回お茶会をしていたような記憶がある。
代々の市長さんたちと計らって、成田市の文化会をつくったりと若い頃の話はつきない。

戦後の日本中がたいへんな時期に、母のまわりにはいつも笑顔があったような気がする。
父のサロン的な集まりにも嫌な顔をしたことがなかった。
自分の若い頃の着物が、彼らの酒代に代わっていったのに、、、、。
彼らが東京で仕事をするようになっても、皆さんいつも、ミホコサン三保子さんと訪ねてくれたのです、、、。

 去年のお正月には、九十六歳の年女で池坊の初生けに招待されて、見事な数分のスピーチで
先代のお家元のことなどを語り、現宗匠の涙を誘ったようです。

http://keico.exblog.jp/22224264
2016年1月6日 水曜日 晴れ
<華道家元池坊新春初生け式>に臨んだ年女の母
 <華道家元池坊新春初生け式>で母が年女で壇上に

 それにくらべてワタシはなんともだらしのない娘であろうかとなさけなくもなっている。
去年は母にあまり会えなかったので、今年は何度もあっておきたい。

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 夕方に西の空が燃え始めた。
急いで屋上にあがったが、すでに今日の陽は沈んでしまっていた。
何事も<時>が大切なのだ。
心して時を考えて今年は生きていきたいな、、、。


 この日のブログを書く前に、このブログで母の事をどんな風に書いていたのかと、ブログ内検索で
<母>と入れてみたら、でてきました出てきました、、、、。

 ワタシはこうして毎年年始には、母のことを書いたブログをひもとくであろう、、、、。

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(2007年88歳の母は、静かに穏やかだった。護国寺での母の秋のお茶会で)

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More>>><母>と入れてみたら、でてきました出てきました
by pretty-bacchus | 2017-01-03 23:59 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

お正月二日目はおばあちゃんの夢をみて、子供の頃をなつかしみ
2017年1月2日 月曜日 晴れ

 初夢は祖母の夢をみた。
父方の祖母(八尾千佐)は千葉家のお嬢様で、祖父とは台湾の台湾総督府であったと聞いている。

そのおばあちゃんが夢にあらわれて、にこっと笑って、母方のお家の仏間に座ったのだ。
どうしたのだろう、、、?
迎えにきたのだとしたらまだすこし早すぎるし、きっといろいろまいっている私を
慰めに来てくれたのだろう、、、と考えることした。
あるいは久しぶりに一緒にお正月のお遊びのカルタトリをしてくれるのかしら?
子供の頃は二日はお書き初めとカルタトリの日だったのです、、、、。

1978年に九十四歳で亡くなっているから、もう三十九年もたったのだ。
戦争で東京の駒込神明町の家を焼かれて、しばらくは焼け残った千葉三郎さんのお家でお世話になり、
その後母の実家がある成田土屋村に疎開したという。

母の母、加藤もんも由緒ある家柄の血を引き、東京の麹町の女学校にお馬車で通った下総のお嬢様だったのに、
時代は容赦なく、すべての人々を巻き込んで戦後の混沌とした時代に突入したのだだろう。
(加藤本家の祖は後醍醐天皇の忠臣 藤原師賢公から<藤>の一字を賜り加藤という名字をたまわったのだそう)
その祖母は、関東大震災のお堀の様子も覚えていて話を聞いたことがある。

 お正月二日か三日めは、いつもカルタ取りをしていたような思い出がある。
一番上手なのは、母と祖母(父方)だった。
百人一首はすべて覚えていて、とるのがとても早かった。
カルタは古い古い母の実家の加藤家から伝わったものだった。

 戦後に乾麺業をしたりして多くの奉公人もいて、味噌も家で造り、年末のお餅つきにはご近所はもちろん、
遠くの方々にもお届けしていた。
おじいちゃんは、ひょうひょうとしていたが、戦後に村で欠けている事をいろいろ手がけ、
角の空いている自分の土地に消防団小屋を造ってご奉仕をしていたのを覚えている。

 もんおばあちゃんの最後は1970年、私がパリ駐在員時代の頃で、仕事でフランスに行っている敬子には
知らせないようにと言っていたそうだが、弟の連絡でようやくパリから駆けつけた私の手を握って
最後の息を引きとった。
倒れてから二十一日がたっていたという。
その八年後に千佐おばあしゃんも天寿を全うしている。

弟が大事に持っていた古い写真を数年前にスキャンしてあったので、年の初めにウェブ日記の記録の一つに。
なんと良き時代だっただろう!

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(この写真には1977年とあるから、大学を出て、エールフランスに入社して、
パリの駐在員を終わって帰国したあとだ。祖母と下の弟ゆうちゃん悠二くんと。
祖母は1978年10月になくなったので九十三歳の時)

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(ポラロイドが色あせて残っていた。三十七年前の写真で、母もなんと若くて素敵なことだろう〜〜〜!
五十代後半かしら?
父が肩に手を当てているのは母の同級生のお嬢さんでたしかエミ子ちゃん。
下の弟が大事にぼろぼろになってももっていて、
彼の友人達、父母、祖母がいて、なんともなつかしい。
たしか四畳半か六畳のお茶室だった。当時の家の模様もわかって、写真って凄いですね!)

 我が家は不思議な家だったかもしれない。
昭和二十年代後半から三十年代後半だったろうか、戦後の日本中が大変な時期なのに、
いつも家にはお客様がたえなかった。
本郷に住んでいた祖母と父母は、東京の最後の空襲で家を焼かれて、
しばらく祖母の甥の千葉三郎さんのお宅にお世話になった後は、母の実家に戻ってきていた。

きっともう六十歳をこえていたであろう祖母はどんな思いで<嫁>の実家おに世話になったのだろうか。
もんおばあちゃんは、やはり戦争で家をなくして頼ってきた遠い親戚達も家において面倒をみていたし、
穀物を盗みにきたのが床屋のオヤジと知っていながら、家族の為だろうからと言って捕らえなかったという。
素晴らしいDNAを持った二人の祖母と母は、どんな苦しい時代でも素晴らしい家族であったのだ。

 その頃は食料品だって十分ではなかったろうし、お酒だってあまりなかったろうに、、、、、、
いつも父や叔父の友人達や学校の先生とか町内の方があつまっては,文学論や政治論などをかわしていた、、、
デカルトカントショーペンハウエル、、、それがどんな人かも知らずに、私はその言葉だけが
しばらく頭に残っていた。

試験勉強をしていて、うるさいな〜〜と言うと、
“こんなことで勉強ができないなら学校など止めてしまえ、と言う父も、お客様が帰ると
“けいこ、お茶が入ったぞ、、、”と声をかけてくれたものだった。
船会社にいた横浜の叔父からのきれいな紙に包まれたチョコレートやバターがいつもあったし、
農家の方はお野菜とかを持ってきてくれたりしていた。

お酒がなくなると、母の着物が一枚一枚なくなっていったのは、ずっと後になって知ったことだ。
(ずいぶんあとの良い時代になって、町の質屋さんから大きな柳行李が二つ届けられて、
中は母の着物だったのだ)
そんなお客様方の中から後に医者、文学者、磁気の大家、町長さん、政治家が生まれていった。

 小学校から高校までの仲良しだった美也子さんは、そんな様子をわかっていてくれたようで、
一昨年上の弟の莞爾が亡くなったあとにメールをいただいた。

<びっくりしました。「カンジサン」がなくなったなんて…。
若い頃貴女の家に遊びに行って貴女が居なくてもお婆さんもお父さんも快く招き入れてくれて
「カンジサン」ともよくお話しました。
その等の顔まで思い出されます。


 今こうして私があるのはそれまでの父母や祖父母たち、その前のご先祖様が時代を生きてくれたからだと、
しみじみ思うお正月です。

莞爾くんのこと

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2015年1月3日 土曜日 晴れ
お正月に子供の頃のことをいろいろ思い出されて、、、

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2014年12月12日 金曜日 パリ 雨の暗い朝 その一 
雨の暗い巴里の朝に弟の訃報をうけました(旅のカテコリにも) 

 (なつかしい写真をもう一枚、、、、)

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(祖母のご法事の時に。母は無地に近い着物に黒い帯をしめているから、三回忌とか七回忌だったのだろうか?
とすると19xxの頃か? 私はセリーヌのスカートとジレを着ているし、
ルイヴィットンのバックをもっているから、パリから帰国していたのだろう、、、)

 
 〜〜〜〜〜
 母の事は明日にかいておきましょう。

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2015年1月9日 金曜日 晴れ
母との話しは戦後七十年の日本の歴史そのもののようだ

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2015年1月3日 土曜日 晴れ
お正月に子供の頃のことをいろいろ思い出されて、、、


by pretty-bacchus | 2017-01-02 23:59 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)

上の弟 八尾莞爾の命日でした
2016年12月11日 日曜日 晴

上の弟八尾莞爾の命日。先週三回忌を終えた。
<莞爾>は論語よりいただいたと父が言っていた。
後半の十数年はあまり会うことがなかったが、二人の子供に恵まれて、地元の沢山の友人に
カンチャンカンチャンと慕われて、最後まで母と一緒の住まいで幸せだったろう。

 一昨年の十一月最後にお見舞いに行ったのが、最後になってしまった。

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平成26年11月29日(土)  雨
ユーカリが丘の病院へ弟のお見舞い

 志村ふくみ先生の個展で訪れていたパリで訃報を受けて道を彷徨ったことを思い出している。
その後ノートルダム大聖堂でも祈りを捧げることができたのが、せめてもの私の心の救いになっている。

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2014年12月12日 金曜日 パリ 雨の暗い朝 その一 
雨の暗い巴里の朝に弟の訃報をうけました。  
巴里四日目

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2014年12月14日(日) 霧の朝、巴里六日目
ノートルダム大聖堂とリルケ、Xマスイリュミネーション 

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(14 December 2014, Cathédrale Notre-Dame de Paris )
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 疲れ切っているので、ドクターケイコ?の指示で数日自宅静養をすることにした。
昨日のおもしろかったある祭事のブログも書けていないが、一日中ネットともPCとも別れてゆっくりと。

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(エントランスの山茶花が咲き始めた)


by pretty-bacchus | 2016-12-11 23:59 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)

立冬は寒い一日となりました、母が元気でほっとして
2016年11月7日 月曜日 晴れ 立冬

 寒い一日だった、まさに立冬!
数日前から頭痛をうったえているという母と話したくて何度も電話をしても出てくれない。
携帯をいつも忘れて出かけてしまうようなのだ。

まもなく弟からメールが入った。
敬ちゃん!今日の朝、9時に病院に出掛けるつもりでしたが、10日が、2ヶ月に一回の定期検診の日で、
インフルエンザの予防接種の日!ですので、10日に病院に行く事に成りました。
普段は、痛い?痒い?などと口にしないママですので大変心配しましたが、出稽古の日や
家でのお稽古の日!になると、人が変わった?かのようにシャキッと!します。

今日は、ママは今から午後2時に歯医者で、3時から高校に出稽古です。
お弟子さんが同行しますのでだいじょうぶ!ですので心配しないで下さい!

そのあと6時から空港公団へ出稽古で、8時過ぎに帰宅して電話が入りました。
もう寝ている時間ですから電話はでないのかもしれません。
いつもは10時ごろ迄は電話に出ますが、今日のように終日外出の時は、早く就寝しますので、
電話しますと起こしてしまいますので、明日の午前中にでも電話してあげて下さい。
よろしくお願いします。

ママはまったくモンスター?!ですね!普段はおばあちゃん?ですが、
茶道、華道のお稽古!などの日はスィッチが切り替わって、シャキッとして、とても
九十六歳のおばあちゃん?ではありません!
凄い?人間! スゴイ!人ですね。さすが敬ちゃんの母上!ですね!>

長い間ご奉仕の形で茶道や華道を教えるのは、戦後まもなくからだから、もうとうに六十年以上は
たっているのだろう。

 それでも弟が家へ行ったくれたのだろうか、まもなく母から電話が入って少し話すことができた。
足首までのヒートテックのレギンスもソックスも送ってあるのにまだタンスから出していないという。
気をつけて一でも長く元気でいてほしい!

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(土手の曼珠沙華の葉は寒さにも凛としている)

 昨日は久しぶりの映画だったが、二人ともその時間を満喫。
またいきましょうね、、、と同じ趣味ができたようで嬉しいな、、、、、。

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2016年11月6日 日曜日 晴れ 映画
名匠クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観た。

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(赤坂見附で車窓から、国賓の旗がなびいている。左手には新赤プリ!)

午後二時半に家をでて、タクシーでとばしてもらって三時の回に間に合った。
有楽町マリオンの時計が踊り始めていた。なつかしい〜〜。
その昔は日劇があり、その後は西武デパート。ビル正面にあるからくり時計は三十数年前からある。
毎時間定時にビルの壁にかかる大きなからくり時計の文字盤蓋が開きはじめ、
なかから金色の人形が出てきて楽器を吹き踊り始める。四分半ほどで、また踊りながら壁の中に帰って行き、
やがて文字盤が戻って蓋が閉まっていく。
昔は多くの人が見て楽しんでいたのに、今日はほんの数人しかいない。
待ち合わせ場所にも人気があったようなのだが、今はどうなのだろう。

有楽町マリオンのからくり時計
https://youtu.be/WjFWgci7cJM

 映画を見終わったのが五時で、急いで下に降りたら、ちょうど蓋が開き始めたところで、
嬉しくてカシャカシャ、、、。

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 暗くなった道を歩いて<千疋や>さんでフルーツパフェと思ったのに満席で、もう少し歩いて、
銀座四丁目の甘み屋さんの<鹿の子>に入った。
すずらん通りを入って二軒目のビルの一階から二階へ上がったところが喫茶なのだが、こちらはガラガラ。
渋皮付き餡蜜を食べたがイマイチ。場所がわかりずらいだけではなく、これでは虎屋さんにも
千疋やさんにも負けるかも知れない、、、、。
お客さんはきっと良く知っているのだろう。

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 四丁目の信号は人 人 人。
少し先のバス停で六時の都バスに乗った。
途中でさっきの時計が見えた。六時の人形が踊っていた。

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 お買い物を何もしてこなかったので、久しぶりに魚真さんへ。
店長の山床さんや大介さんが、いらっしゃい〜〜お元気でしたか〜〜と、元気に迎えてくれて嬉しい〜〜〜。
冬の魚とホタテが美味しそうでお刺身に。
あとは小皿でいろいろいただき、本ししゃもと煮魚で白いご飯とお漬け物。
お隣りさんはしらす茶漬けをいただいて美味しそう〜〜〜!
近くのこうした魚とお野菜が美味しい和食やさんがあるのはなんともありがたい。

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(リカコちゃんは大学生で週に数回のお仕事。いつもきれいにネイルをしていて、そっと触ってしまう。
昔なら食べ物屋さんなのにと驚くのだが、今はネイルはお化粧の一つのようで、せんだっての
某大手銀行の女性も長い爪にダークピンクのネイルだったのだ!)



by pretty-bacchus | 2016-11-07 23:58 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(2)