カテゴリ:♣JourneyAbroad海外98仏伊( 8 )

1998年6月コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式
2015年1月31日 土曜日 晴れ   a0031363_21252852.gif
★OldPhoto銀塩写真のデータ化

 寒い朝、、、太陽が揺れ始めると借景のシデの木に鳥たちがやってきた。
遠くのガラス越しから撮るのだが、なかなかうまくいかない、、、。

23日のブログで<明日にでもデータお越しをしておこう>と書いてかもう一週間以上がたってしまった。
http://keico.exblog.jp/20798889/
2015年1月23日 金曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1998年4月のボルドー,サンテミリオン

 1998年のこの年は、カテゴリだけをみても、JourneyAbroad海外'98仏伊
Journey海外Sep'98仏ロワール、journey海外Sep98仏シャンパーと旅をしていて、
その一部がCD化してあるので、今月は★OldPhoto銀塩写真のデータ化にのめり込んでしまった感じ。

 1998年6月9日はボルドー市長代行の助役さんの元、メドック&グラーブのコマンドリーボンタン主催で
ボルドーのシャトー ランシュ バージュで行われた受賞式で、コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・
メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの称号を授与されている。
Commanderie du Bontemps de Medoc et des Graves de Bordeuax 

その時の写真は右サイドバーの中ほどにアップしてあるボンタンのガウンを着た一枚しかなかったのだが、
今回の★OldPhoto銀塩写真のデータ化の整理のなかに、二本のポジと、どなたかかにシャッターを
おしてもらったネガ一枚でてきたのだ。

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(途中の普通の畑もきれい、、、、)

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 1855年のパリ万国博覧会の際、ときの皇帝ナポレオン三世は、フランスのボルドーワインの展示に
格付けが必要と考えてワインのランク付けが行われた。
それが以降<1855年のボルドーワインの公式格付>けとなっている。
ワインはその重要度により第一級~第五級にランク付けされた。
赤ワインは、グラーブのシャトー・オー・ブリオン以外はすべて、メドック地区産出のものであった。

そのなかでもその後一番話題を呼んだのは、1855年の格付け時に五級だったにもかかわらず、
ときに「スーパーセカンド」とも呼ばれるポーイヤックのランシュ・バージュと、
1973年に一級に返り咲いたムートン・ロッチルド(この時のヒストリーもファンタスティックで
フィリピーヌと関係者から聞いたことをいずれ書いておきたい)

 シャトー・ランシュ・バージュ。その畑は北側のムートン・ロッチルドとラフィット・ロッチルド、
南側のピション・ラランドとピション・バロン、ラトゥールの中間にあるすばらしいの土壌にあり、
手入れが行き届いた素晴らしい葡萄畑が広がっている。
ポイヤックらしさ一杯の赤ワインで「貧者のムートン・ロッチルド」とも評されているるワイン。

 受賞式はそのシャトー・ランシュ・バージュで行われて、
その時の受賞者はこのシャトーの改装の時に絵を描いたアメリカ人アーティストと日本からは私だけ。
受賞式に招かれたときには、どうしてかわからなかったが、あとでいろいろ聞いて少しだけ納得。
それを遡る六年前にはブルゴーニュのワイン騎士団のシュヴァリエ・ドゥ・タストヴァンをいただいたが、
ボルドーのコマンダリーを続けていただいた日本人は当時ではいなかったのかもしれない。

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(中庭ではすでにウェルカムが行われていた。
このシャトーのオーナーのミシェールカーズ氏と女性はボルドー市の助役のMs.B.)

 すっきりと晴れた六月の午後に、私はパリから駆けつけた。
すでにブログで書いたことがあるが、レセプション用の装いがなかったので、パリのシャネルで
黒いシルクジョーゼットのミディ丈の袖無しドレッシーなワンピースを選び、
腕を出すのが恥ずかしかったので、クチュリエが特別にわけてくれた長い黒のジョーゼットを
肩からかけていただけだった。胸にはその二年前に行われたボルドーオペラハウスのギャラの時に
ベルバカントだけに送られた白いシャネルのキャメリア。

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このあと名誉のガウンを着せていただいて記念写真!

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 ボンタンの儀式が行われ、壇上でワインのコメントと誓約を言わされてラッパがなって十数分で終わった。
その後シャトーの見学とかも行われて、その夜はジロンド河により近い新しく出来ていたホテルの
Chateau Cordeillan-Bages シャトー コルディアン バージュでオフィシャルなディナー。
(その数年前のオープンのすぐ後に泊まったことがあった)。

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(整然としたシェも美しい)

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(その後はアーティストの作品を観て歩いて、、、、)

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(ワインの容量は通常は750ml.(0.750リットル)。
ハーフ、ブテイユ、マグナム(2本)、ダブル・マグナム(4本)、ジェロボアム(6本)、
アンペリアル(8本)、バルタザール(16本)、ネブカドネザール(20本)、メルヒオール(24本)。
ボルドーではマグナムより大きいのは、旧約聖書からとられている。
たとえばマグナムは北イスラエル王国の最初の王ヤロブアム一世、ネブカドネザールは
バビロニアの王ネブカドネザル二世の名前)


a0031363_3262554.jpg(ボルドー市の助役のMRS.Bは弁護士さんでもある。
この時の市長は首相もしたことのあるアランジュペ氏だった)

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 写真をみてみると、私のチープなフランス語で、まあどんな風に運んだのだろうと冷や汗が出てくる、、。
1990年代は毎年ボルドーには行っていて、シャトー・カデ・ボン、シャトー・ムートン・ロッチルドも
シャトー・ラツールなどでの特別なお招きで少し場数をふんで度胸ができていたのかもしれない。

 十七年前の五十代のころの(自分が写った)思いで写真を、
一月のブログの最後に少しだけアップしておきましょう。

  〜〜〜〜〜〜
おまけで追記*(あとで消すかも、、、)

ホテルの洗面所の鏡でセルフポートレートを撮っているのもありました。
きっと記念に残したかったのでしょうね、、、!)

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(コンタックスG1を持っています!)


http://keico.exblog.jp/14182547/
2011年12月16日 金曜日
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris 1990~2000ー三つのシュヴァリエ

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

http://keico.exblog.jp/13671659/
2011年9月23日 金曜日 晴
1995年のボルドー シャトー・ムートン・ロッチルドの秋色
 
このあと十月には、シャトー・ムートン・ロッチルドとシャトー・ラツールでのレセプションにお招きされた。

http://keico.exblog.jp/19888552/
2014年6月10日 火曜日 曇り その二
1995年10月のボルドーのシャトーでの思い出写真




by pretty-bacchus | 2015-01-31 23:59 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(4)

今日のブログ投稿から消えてしまった部分をアップ
2015年1月26日 月曜日 晴れ >>続き。

 ブログアップの後、投稿の枠には残っているのに、アップすると最後の方がきえてしまっています。

http://keico.exblog.jp/20816855/
2015年1月26日 月曜日 晴れ 三月の気温とか
<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1998年初夏のシャトゥーとマルメゾン

イル=ド=フランス地域圏(Île-de-France)とは、フランスの首都パリを中心とした地域圏。
http://ja.wikipedia.org/wiki/イル=ド=フランス地域圏
イル=ド=フランス地域圏

 パリから日帰りで往復できる美しい歴史的な街がたくさんある。
ヴェルサイユ、世界遺産フォンテーヌブロー宮殿のフォンテーヌブロー 、
バルビゾン派絵画の発祥の地のバルビゾン、サン=ジェルマン=アン=レー、中世の街が残るプロヴァン。
ゴッホが最晩年を過ごしたオーヴェル=シュル=オワーズ Auvers-sur-Oise 。
マルヌ川上流のモー Meaux 、ポントワーズ、モーリス・ラヴェルの晩年の家がのこる
モンフォール=ラモーリー、
建築家ル・コルビュジエの代表作サヴォア邸のあるポワシー。
(そしてゴシック建築のノートルダム大聖堂シャルトル大聖堂があるシャルトル は、サントル地域圏)。

 1970年代のパリの駐在員時代からこのイル=ド=フランスの街々は何度も訪れていた。
お休みには小一時間も車で走ってフォンテンブローの森にいったりしていたものだった。
写真も沢山撮っていたはずなのに、そのあたりはネガで撮ってプリントを愉しんでいたのだろうから、
棚の奥の奥で鎮座まして一生出てはこないだろう。


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(グーグルアースから)


 続いて、ボンヴォワヤージュの取材記録を

#IMAGE|a0031363_1325888.jpg|201501/29/63/|mid|1780|981#]



by pretty-bacchus | 2015-01-26 23:59 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(4)

週末も<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>マルメゾン
2015年1月25日 日曜日 晴れa0031363_21252852.gif

 1990年代の<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>をぼちぼちしながら、ゆっくりと過ごした週末。

 一昨日の1998年4月のサンテミリオンに続いて、その年の5月のパリ近郊のマルメゾンなどなど、、、。
いや〜〜おもしろくて止められない、、、。

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(借景の青空を愛でながら、、、、)

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(21 May 1998 Malmaison, France)
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by pretty-bacchus | 2015-01-25 23:59 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(5)

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1998年4月のボルドー,サンテミリオン
2015年1月23日 金曜日 晴れ
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<銀塩時代のポジ&ネガのデジタル化、続き>

 1990年代は我が人生で一番旅をしただろう。
80年代後半に、古巣のエールフランスを退職し、大きな手術を乗り越えたあとの1980年代後半から
2001年までの十数年は、今振り返ってみても信じられないような旅が続いた。
1970年代初めの四年弱のパリの駐在員、1980年代からの六年間のホテルメリディアンチェーンの
日本代表などを務めたフランスの会社の社員としての制限やたががはずれて、
自由に自分自身の思いで旅を味わえるようになったからかもしれない。
それはアート関係やワイン関係、政財界もふくめて、日仏伊の大きな渦に巻き込まれたかのように、
地球儀がくるくる回っていった。
それは<旅>そのものであり、四十代から五十代半ばまでの十数年の<人生の旅>でもあったのだ。
信じられないような人間関係が生まれていき、おそらくそれまでの日本人女性では
あまり出来なかったようなめくるめく体験であったろう。

しかし<好事魔多し>とはよく言ったもので、九十年代初めには大きな事件に巻き込まれ、
さらに九十年代最後には<青天の霹靂>で、全てを失うことになったのだ、、、。
 
 だが、築かれた人の輪はこわれることはなく、 良き時代の思いでの記憶は脳裏とこの胸に
しっかりと残り、その時代の記録は写真としてしっかりと残っていたのだ。


 この時期と重なるように写真の世界も広がっていったようだ。
若い頃のニコンやペンタックス、オリンパスなどの後に私の元にやってきたのは、
コンタックス&カールツアイスの世界だった。
結果、RTSにつづくST/RX/AX with プラナー、ディスタゴンやヴァリオゾナーであり
G1/G2 with ホロゴン、ビオゴンの世界だった。
自分の写真はあまりないが、時にあると、いつも重そうなカメラを首から下げている。
途中でレンズを交換する時間などないから、画角の違うレンズをつけた三台のカメラを首からさげて、
ホロゴンは腰につけていた。

そしてそれは、日経ムックのイタリア版の取材を助け、1990年代半ばからのエールフランス機内誌
<BON VOYAGE>取材へと続き、フランスの全てのデパルトマン(県)を撮って回り記事を
書くことに繋がっていった。>>>それは、やがて日仏会館での2005年からの
「ドルドーニュ・ペリゴールへのいざない 〜魅力あふれるフランスの地方を めぐるno.1、
からの写真展へと繋がっていったのだ。
http://keico.exblog.jp/i20/
カテゴリの下の方に、

またエールフランス&メリディアン時代に一緒に新しい旅を創るお手伝いをさせていただいた
柳澤保雄氏ひきいる<朝日サンツアーズ>の広報誌にも十数回にわたり、
ワイン&アートの記事を書くことにもなっていった。
(その柳澤さんの昨年鬼籍に入られてしまった) <<<<<(moreにいろいろ追加)

http://keico.exblog.jp/i12/1/
2014年3月3日 月曜日 曇り後晴れ
昔の写真でフランス取材を想い出して、、、
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(左の方はブルゴーニュ政府観光局の代表の方で、彼の自宅の地下のカーブでの写真、私の右は菊池さん、
その右の女性はエールフランスのパリ本社の広報部長のアンドレミエルさんで、
取材では彼女がいろいろアレンジしてくれていた)(ぶら下げているカメラはCONTAX AXかな?)

 人生も晩年を迎えた2011年の大きな手術の前に、なんだか少し心配になり、
少しだけでも記録に残しておきたいと思い、少しずつ書きためたのは、今では右サイドバーのカテゴリ:
<★Records過去の記事書いた雑誌>のなかで三十ほどになっているが、まだまだ沢山ある。ありすぎる!

http://keico.exblog.jp/i12/3/

 去年CD化した数百本の中からの<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>はぼちぼち進んでいるが、
まだまだブログにアップ出来ない写真が一杯。おそらく一生かかっても終わらないだろう。

それにこの時間のかかる<★OldPhoto銀塩写真のデータ化>の仕事は、
結局自己満足にしかすぎないのだと思いながら、こうして真夜中にデータ化して書いているのは、
なんともはがゆくもあるのだ。

神様の思し召しと、多くの方々の多くの友人達のおかげで、私は人生という旅を苦しみながらも愉しみ、
そして写真ライフを楽しむことができている。
いつも感謝の気持ちを捧げながら、こうしてMacに向かって写真の整理をしているのだ。

 とさて、今夜は1998年4月のボルドーのサンテミリオンの数こま。
ボルドーは記録をみると1990年代は毎年行っていたし、年に数回ということもあった。
そのいくつかはすでにブログに記録したが、この1998年4月ははじめてのような気がする。

サン=テミリオン地域は、ボルドー近郊の町サン=テミリオンを中心とする地域のユネスコ世界遺産
としての登録されていて、それはワインとワイン畑だけではなく、
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の途上の街であり、教会などの歴史的建造物もあまたある。

(カテゴリをみると、1998年だけでも、この年は、JourneyAbroad海外'98仏伊、Journey海外Sep'98仏ロワール、Journey海外Sep98仏シャンパーと旅をしているのだ)
>>>追記へ:

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(30 April 1998 Saint-Emilion, ボルドーサンテミリオンにて)

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(ガロンヌ川河口にかかるこの橋は、エッフェル塔のアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルによって造られた。

http://keico.exblog.jp/tags/☆回想のわが巴里の街1990~2000/

<朝日サンツアーズ><旅なかま>の最終回は2000年12月号だった。
<<<スキャンして記録に。
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・朝日新聞事業株式会社の月刊広報誌「旅なかま」に連載。
タイトル「プレジール・ドゥ・ヴィーブル・楽しいワインの旅」
・81号 (1)ワインは愉しとマナー
・83号 (2)ブルゴーニュ
・85号 (3)ブルゴーニュ
・87号 (4)アルザス
・89号 (5)アルザス
・91号 (6)シャンパーニュ
・93号 (7)シャンパーニュ
・95号 (8)シャンパーニュ
・99号 (9)
・101号 (10)ボルドー
・103号 (11)ボルドー
・105号 (12)ボルドー
・107号 (13)ボルドー


追記:
 そして、この1998年の六月にはボルドー市長代行の助役さんと
コマンダリー主催で、ボルドーのミシェールカーズ氏のシャトー・ランシュ・バージュで行われた受賞式で、
Commanderie du Bontemps de Medoc et des Graves de Bordeuax 
コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの称号を
授与されている。
その時の写真は右サイドバーにアップしているガウンを着た一枚しかなかったのだが、
去年の★OldPhoto銀塩写真のデータ化の整理のなかに、カメラを渡してどなたかかに
撮っていただいたネガが一枚でてきたのだ。
明日にでもデータお越しをしておこう。

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(09 June 1998 Bordeaux , Chateau Lynch-bages,
コマンダリー・デュ・ボンタン・ドゥ・メドック・エ・デ・グラーブ・ドゥ・ボルドーの受賞式)

http://keico.exblog.jp/14182547/
2011年12月16日 金曜日
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris 1990~2000ー三つのシュヴァリエ

 九十年代前半1992年には、その当時でぇあ女性では日本では数少ないブルゴーニュのワインの騎士の
<シュヴァリエ・ドゥ・タストヴァン>を受賞して、クロ・ドゥ・ブジョウの十一月の祭典
<トゥロワ・グルリューズ>という三日間の催しに参加していたのだ。

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

http://keico.exblog.jp/13671659/
2011年9月23日 金曜日 晴
1995年のボルドー シャトー・ムートン・ロッチルドの秋色
 
このあと十月には、シャトー・ムートン・ロッチルドとシャトー・ラツールでのレセプションにお招きされた。

http://keico.exblog.jp/19888552/
2014年6月10日 火曜日 曇り その二
1995年10月のボルドーのシャトーでの思い出写真

http://keico.exblog.jp/19976322/
1999年9月の写真
マルセリーヌガンスのジュネーヴのレセプションにて




More>>柳澤さんのことを書いたブログ
by pretty-bacchus | 2015-01-23 23:58 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(4)

1998年6月の巴里 セーヌ河畔とコンコルド広場のコンコルド
2014年5月30日 金曜日 晴れ
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<銀塩時代のポジ&ネガのデジタル化、続き>

 昨日まで葉が落ちてもれもんの木にしがみついていた揚羽蝶の幼虫が今朝は見えない。
どうしたのだろう、、、。
この世の生を受けて生き残るのはほんの1%ということなので、命の糸が心配になってしまう、、、、、。

 昨日の<1998年6月18日の巴里 セーヌ河畔>の滞仏はエーフランスの機内誌
<ボンボワヤージュ>の南仏の取材のためだった。

 パリに到着後、菊池さんや青山さんと合流して目的地に向かう、、、。
その前後は私一人の時間、、、。そんな時期が数年続いた。
愉しい思い出一杯のパリ!

 この日はきっとタクシーで用事をたしていたのだろう。
35mではなくどうして645まで持っていたのだろうと不思議に思っている。

http://keico.exblog.jp/19848158/
2014年5月29日 木曜日 晴れ
1998年6月18日の巴里 空港そしてラセーヌ
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 巴里にはセーヌ河上の船で生活する人々がかなりいる。居住権は認められているようだ。
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 車でセーヌ河畔の道路を通るときにはいつも車窓からカシャカシャ、、、。
アレキサンダー三世橋は美しい。
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途中で上の道に出て、、、マロニエの葉が茂っている頃の六月。

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グランパレを見上げると、、、。
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コンコルド広場に、コンコルドが展示されていた。
何かの催しの一部だろう、、、カシャッ!
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やがてセーヌ河畔にも灯が灯り始めて、、、、ひと日の終わりになる、、、、。
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by pretty-bacchus | 2014-05-30 23:58 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback(1) | Comments(9)

1998年6月18日の巴里 空港そしてラセーヌ
2014年5月29日 木曜日 晴れa0031363_21252852.gif

 (銀塩時代のポジ&ネガのデジタル化、続き、ブローニー編)

 巴里。1970年代はじめの四年間のパリでの生活以降は、パリは日本からの便の終着駅であり、
そこから始まる旅の始点でもあった。
 
 何百回と繰り返した出国と帰国、欧州各都市、中東北欧などへの旅の初めと終わりには必ずパリがあった。
それが私の巴里!

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 朝に巴里に到着、機内から最初の一枚。

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(Paris, 02 June 1998)


 夕方の巴里 セーヌ川にかかる橋の上から、、、

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(Paris, 02 June 1998, La Seine)

by pretty-bacchus | 2014-05-29 03:16 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(4)

トロカデロ広場の鳩のチュ
1998.06.00

 トロカデロ広場の鳩のチュ

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by pretty-bacchus | 2014-05-24 23:40 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(0)

台風のニュースに一憂しながら旅を想って
2008年9月19日 金曜日 曇りのち雨つよし

English Here

 台風がきている、、、それもとても大きい台風で、南の島ではすでに被害がでている。
痛みはほとんど消えたようだが、まだ足腰がぎくしゃくしているので、今日も外出禁止令!

 新聞もテレビも、アメリカ経済と世界恐慌にもならんとするニュースばかり、、、
かの国は、組織が動き大統領が解決案を国民に説明するのはさすがだが、
日本は何もかくたる説明もなく、国のトップの威信なんてあったものではない、、、
悲しき秋の風雨の一日だった。


 先週京都の友人のお店で、久しぶりに大きくプリントされた酒飲みおじさん達の写真を見た。
右下に小さく私のサインが、、、、、うっふふ〜〜〜
みんな楽しそう、、、、って、言いながら、私たちの杯もまたすすんだのだった。

 2005年の、フランスのドルドーニュペリゴールの写真展での一枚を差し上げたのだが、
さて、、、原盤はどこにあるのだろうと、心配になって探してみた。
この時代は、まだ銀塩で、それも、重いカメラを何台も持って旅をしたし、、、、
ポジが残っているのが、なんだかほっとする。

この頃のエールフランスの機内誌“ボンボワヤージュ"のルポルタージュは、
青山カメラマン又はフランス人カメラマンが撮っていたので、ワイン&アートの旅以外は、
私はもっぱら風景とスナップを趣味で撮るのを楽しんでいた。

フランスの地方の街を歩いていると、実に味のあるおじさん達にめぐりあう、、、
それも夕方のカフェや酒場で和気藹々と盛り上がっていると、つい声をかけてみたくなり、
一枚二枚カシャカシャ、、、、
時には、一緒にどうですか、、、と誘われたりするのだが、
撮影の予定に入ってない場所だから、編集長とプロカメラマンは、どんどん先にいってしまうから、
いつも追いつくのが大変だった。

 それでも、帰国して整理をしてみると、そんな折りの写真がとっても生活感があって思い出になるし、
編集長が気にいったりするのだ、、、

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中で一枚、外で一枚のたった二枚のスナップなのだ、、、、、
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 この2005年の写真展の会場の日仏会館の中柱に掛けた飲んべいおじさんは、とっても好きな写真、

 釣りのおじさんの写真は、細い橋を車で渡っていたら、おじさんが釣りをしていて、窓をあけて
“何が連れるのですか〜〜? と、声をかけて一枚カシャっと、、、
なんとも言えないいい顔をしたおじさんだった、、、、

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 そんな歩きながらのスナップ写真は、青山プロが
「僕には撮れない写真です」といってくださるのが、お世辞でも嬉しくて又撮ることになる、、、、

 少し元気になったようで、カメラを持つ気持ちが出てきたみたい、、、
明日は晴れるといいな〜〜〜

(あ〜〜でも、ダメみたい、、
<台風13号>東海から関東20日にかけ大雨とニュースが出た、、、


2005年の写真展挨拶状  << click please.

2005年の写真展初日に << click please.
by pretty-bacchus | 2008-09-19 23:59 | ♣JourneyAbroad海外98仏伊 | Trackback | Comments(6)