カテゴリ:☆Life in Paris巴里に暮らし( 37 )

土手には今年もエンジェル・トランペットが咲き始めました
2015年6月14日 日曜日 曇り

今週は毎日のように外での食事が続き、そのうえ天気がなんともよくなく、さすがに疲れた。

うとうとした日曜日になったがとってもゆっくりできたようだ。
お野菜やらパスタやらでありあわせの夕食。

 最終もまたお約束がいくつか入っていて少しいそがしくなりそう、、、。
でもこわれる内が華と思ってがんばりましょう〜〜〜。

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(土手には今年もエンジェル・トランペットが咲き始めた、、、)
by pretty-bacchus | 2015-06-14 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(2)

<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって
2014年7月14日 月曜日 晴れ

 ドイツの劇的な勝利のニュースの頃に、明け始めた借景の木でミンミン〜〜〜と初蝉が鳴いた。
ほんとうの夏がくると日の出時間の少し前に鳴きはじめる蝉も、初めの頃はこうして暑さを感じる朝に
鳴くことがよくある。
そういえば、それはいつも巴里祭のころだったから、今年は梅雨明けが遅れているのだろう。

 今日は七月十四日、<キャトルズ ジュイエ>は日本でいう巴里祭。フランスで一番盛り上がる大きな
祝祭日。ほんとうは、フランス共和国の成立を祝う日 (Fête nationale) 。
1789年のフランス革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃の一周年を記念して、
翌年1790年におこなわれた建国記念日 が起源だそうだが、
日本では、『巴里祭』という映画を輸入し配給した東和商事社長の川喜多長政・川喜多かしこご夫妻が
『巴里祭』という邦題を考えられたと言われている。

 1,2,3 <アンドゥトゥロワ>の次に覚えたフランス語は<キャトルズ ジュイエ>だったかもしれない。
(スワサント ディセット(77は60+10+7) や、95はキャトルヴァン キャーンズ (4x20+15)など、
しちめんどくさい数字の言い方はずっと後になってからしかすらすらと言えなかった、、、)

 シャンゼリゼ大通りには黒塗りの車に先導された戦車や大砲車が列をなしてのパレードで
現役の大統領が聴衆に挨拶をしながら、勝利の象徴のL'Arc de Triomphe 凱旋門からコンコルド広場へ向かう。
広場での式典にはフランスの閣僚や時には各国の代表が出席する。

空にはフランス空軍が三色旗の煙をだしながら凱旋門の上をかすめて飛び去る。歓声が沸く、、、。
夜はTour Effel (エッフェル塔) の目の前に広がるParc du Champ-de-Mars (シャン・ドゥ・マルス公園) で
花火があげられる。

一昨年のブログから
http://keico.exblog.jp/13086064/
2011年7月14日 木曜日 晴
暑く疲れた一日でした。パリ祭に

フランス2のニュースで、パリの革命記念日のシャンゼリゼ通りの軍事更新をキャプチャーしたもの、
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(数年前の友人の写真から、、、)
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  空軍のジェットは列をなして飛び始め、やがてアクロバットごときに飛び動く
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(ノートルダム寺院の真上を飛ぶヘリコプター)

 巴里のその時刻、日本時間では七月十五日午前二時(パリ時間十四日午後六時)に
私はこの世に生を受けた。その日は暑い日だったという。
フランスに西洋に憧れていた父の願いがかなって、娘はパリでの祭りの歓喜の頃に
此の世にあらわれたのだろう、と小さい頃から親も私も勝手に思っていた。
(その父は一度もパリにはいかずに、何度招いてもうんといわずに、その代わりに、
母が何度もパリを楽しむことになった、、、)

 大学の卒業式の翌日からエールフランス国営航空に入社した私は、翌年にはアコガレのパリを訪れて、
友人達の羨望と嫉妬さえかったものだ、、、。
その頃(四十数年前)のパリは、萩原朔太郎の時代とははるかに違うが、やはり、まだまだ遠かったのだ。

 その四年後には、パリへの日本人駐在員とし赴任して四年間のパリの生活をすることになった。
羽田空港で万歳で家族と友人達に送られて、私は当時はめずらしかった女性駐在員として旅だったのだ。

 仕事は厳しく大変だった。
ジャンボ飛行機就航で、旅行者が大量に増え始めるその時期だった。
日本から到着したVIPのお世話をするのが主な仕事だった、、、、。
その頃は、セリーグの巨人が優勝すると、パリにご招待された頃だったから、高校の大先輩の
長島さんと再会したのもあの頃だった、、、。

岸恵子さんとか、松本弘子さんはもう活躍なさっていた。
東和映画の川喜多長政、かしこご夫妻が、日本とパリを往復なさって、かしこさんはいつもお着物で、
あこがれと羨望の気持ちで、チェックインや荷物のお手伝いなどをしたりして、、、
かしこさんとお嬢様の和子さんは、数々の名作を日本に紹介していらして、
よく父と話をしていたので、お目にかかれるのがとても嬉しかった、、、。

 サンモトヤマの茂登山長市郎さんや、吹田貿易の吹田安雄さん達が、ヨーロッパの美しいものを
日本に紹介するために、自ら年に何度もパリにいらしてらした、、、
グッチもルイヴィトンもマイセンも日本にはまだ紹介されていなかった頃である。

 お客様の荷物がミッシングになると、大きな荷物置き場をかけまわり、フランス人に驚かれた。
でもそうすると必ず出てきたのだから、、、。
三船敏郎さんのスペインから東京への乗り継ぎ便に遅れそうになったときは、地上と機長にお願いして
出発を少し遅らせていただいた、、、、日本で重要なお仕事があったのだと聞いたので、、、。
帰国後自筆でご丁寧なお手紙をいただいて、そのお人柄に接してとっても嬉しかったり、、、。
思い出はつきない、、、、な。

 外交官、芸術家、商社の方々、映画関係、そしてお忍びの政治家達、、、と、おそらく日本にいたら
あまりお目にかかれなかった方々と、お話が出来たのも、パリに駐在していたからだろう、、、と思う。
(そうそうアランドロンともビーズをしました!<<<年がわかろうというものですね)

 英語科だったから、フランス語は第二語学で不十分、その後の日本経済台頭のまだまだ前だったから、
“日の出ずる国、からやってきた小さな女性駐在員は、それはそれは大変だったのです。
最初の数ヶ月は、テレビもない冷たいホテルの部屋で、一人涙に暮れたことが何度あったことか、、、。

 後半の二年は、あの56メートルの凱旋門を見つめながら、ジョルジュサンクのメトロを降りて、
泣きながらシャンゼリゼ大通りのエールフランのオフィスに出勤、トイレで泪をふいてから
仕事場についた毎日が続きましたね、、、。
今でいうパワハラ的なことが多くあったのです。
でも、やがて私は、、、、それを乗り越えて、パリに住む幸せをかみしめながら、一歩一歩大人?!に
なっていったのです。

 芸術の都巴里の逸品たち、自然豊かなフランス全土の食とワイン、風物、、、
私たちは毎週末にフランス中を、いや欧州中を旅しながら、フランス駐在を楽しみ始めた。
フランス人たちの粋とエスプリ、マナー、冷たそうな裏の優しさ、人間愛、なども
この時代に自然とわかっていったに違いありません、、、。

二十代から三十代に養われたヨーロッパ文化は、その後の人生に大きな豊かな感性を与えてくれた。
(それは日本文化の基礎があってのことなのだが、、<<<両親に感謝!)
その後、フランス人庶民のおもしろさや、ハイクラスや貴族の方々とのサンパナ交流も、
この時代の自分があるから、フラン人のその両方の素敵さや、いやらしさも納得できたのでしょう、、、。

あの苦しい経験と、乗り越えた自分自身の自信と強い思いがなかったら、その後の私は、
また別の路を歩んでいたにちがいない。
そしてこれでもかこれでもかと襲ってくる人生の苦境や晴天の霹靂、まさかの坂に負けそうになりながらも、
それらをなんとか乗り越えて、生きることを楽しむことは出来ていなかっただろう、、、。

 パリに住んで仕事をしたことも、偶然の神の采配というのなら、神様ありがとうございます。
(でもドラマティックなアップ&ダウンの人生も、そろそろゆっくりしたくなりました。
神様、どうぞ晩年はもう少しゆっくりさせてくださいませね、、、、お願いします、、)

 今年もまた、バースデーイヴは、iTunesでラジオの142ストリームある中のinternationalの番組の内の、
Chanteurs.org(64ビートレット)のFrench songs since 1890 of the dead artists、artists perdu
で、パリ祭の夜のパリの生音楽を聴きながら、一人でこれを書いている。
いつもは、この中のJazzセッションで、ニューオーリンズのジャズハウスからのライブとか、
BBCのオペラとかクラシックがBGMになっているのに、今日のこの日は、やはり、フランス語のアクサンと、
昔のシャンソンが妙に良くにあう、、、
あ〜〜あの曲が始まった、、、ロンタンロンタン〜〜〜〜

 こんな一握りの幸せも、Oさん達に言わせると、“贅沢な、、、"ということになるかもしれない、、、。
でも彼らは、きっと、私が山にこもって清水を求めて歩き回り、自給自足の生き方をしても、
“贅沢な、、、" そう言うに違いない、、、。

 あ〜!ダミアの曲が始まった〜〜〜〜
パリのフォーブールでは、ダン・ラ・リュー街では、、、、、、いい曲だ、イイ声だ!
そう、、、、パリの街では、パリの人口だけの人々の生き方があり、笑い声も泪もあるのだ、、、。
東京だって、日本だって同じ、、、。

ソンブルディマンシュ(暗い日曜日)<ダミアの歌< は時にはいいけれど、明るい日は必ずくる、、
それぞれが、それぞれの人生の“生きる歓び“を味わいたい、、、この世に生を受けたのだから、、、。
この二十世紀から二十一世紀への歴史的瞬間に生きていて、それを愉しめることに感謝!
(そしてスティーブジョブズさん、ありがとう!)

バースデーイヴに、、、キャトルズ・ジュイェの曲が流れて、、、、。

 あの<巴里>での生活とその後のフランス通いがなかったら、今頃私はどんなふうに別の生涯を
送っていたのだろうか、、、とふと思う事が多くなった。
それだけ歳をとったということなのだろう。

 かたや京都では、祇園祭の酔いよい宵宵宵山。
今年は巴里にも京都にもいかれずに、東京の片隅でぐったりとして十六夜をながめながら横たわっていた、、、
嗚呼!

http://keico.exblog.jp/18104779/
2013年7月14日 日曜日 曇り 雷雨
木槿の隣に最後の山梔子の花が

http://keico.exblog.jp/15324687/
2012年5月15日 火曜日 雨
肴あり友ありて飲み緑雨

http://keico.exblog.jp/14153200/
2011年12月11日 日曜日 その一
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ーシャンゼリゼ
☆回想のわが巴里の街 ーシャンゼリゼ

〜〜〜〜〜〜〜〜
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 このシャンゼリゼ121番地は1970年代はじめに、二年間毎日通っていた事務所があった。
まだそのころはリドがあり、クラリッジホテルがあり、そしてパンナメリカン航空のパリ事務所があった。
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(2006.12.00 冬でもこんなの空が青いこともある! 

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  (2008.12.19 遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)

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(June 1998 Parisコンコルド広場)

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(1999.12.09 雨のコンコルド広場、ミレニアムまであと22日の夜に)= ★OldPhoto銀塩写真のデータ化の内

http://keico.exblog.jp/14176742/
2011年12月16日 金曜日 雨 その二
☆回想のわが巴里の街1980~1990 エッフェル塔100年記念

http://keico.exblog.jp/13216621/
2011年8月5日 金曜日 晴
シャンゼリゼ大通りの麦畑とパリの思い出

http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/7306016/
2008年7月14日 火曜日 暑い一日だった。
"Le Quatorze Juillet"=マイ・バースデーイヴに、、、




by pretty-bacchus | 2014-07-14 23:58 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(10)

巴里の夢回転木馬ごとごとと
2011年6月21日 火曜日 晴れたり曇ったa0031363_21252852.gif

http://keico.exblog.jp/12930040/
昨日のブログ
<東京―パリを2時間半で 超音速、無公害機構想>

 一夜明けて、、、
東京―パリを2時間半のニュースで少し夜更かししたので、遅い時間に起き出した。
凄い時代になりましたね、、、” と家人。
何のお話し? ああ、、、、まだ寝ていたい〜〜
東京―パリを2時間半のニュースが各紙に載ってますよ、、、
私はすでに真夜中にブログに書いていますよ〜〜〜。日本の新聞より早いのですよ〜〜〜うっふふ、、、

でも新聞には、あまり大きく扱われていなかったのは、ニュースソースが同じで、
その詳細がわからないためだろう。
でもネットはすばやかった。
午後一にはグーグルの検索で、すでに何百万という記事がヒットした。
その原理も機体の詳細もわかったので、追記として昨日のブログに図を追加した。

 2050年には就航だが、2020年には試運転が始まるらしいから、なんとかお願いして、
その試運転に潜り込ませていただこう、、、。
そのままあの世行きでも、研究結果に寄与できれば嬉しい、、、とバカなことを考えていたら、
なんとコメント欄で、ご一緒しましょう、、、と先制攻撃をいただき、ほんとに驚いてしまった。
  
 パリ巴里パリ、、、、
横光利一の<旅愁>の頃は、ヨーロッパを旅行するには船で一月もかかっていたあのパリ。
萩原朔太郎の「旅上」の
「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん」

フランスへは行きたくても容易には行かれなかった「ふらんす」は、
それはそれは遠かったのだろう。

 時は移り、コンステレーションで三十数時間かかっていた五十年代のジェットセットは、
外交官や岸恵子さんや松本弘子さんの時代。
そして時がまた少したち、1961年にはボーイング707が南回りで経由でパリへと飛んだ。
東京 - 香港 - バンコク - カルカッタ - カラチ - クウェート - カイロ - ローマ - フランクフルト - パリと、
その南回りのエールフランス便で、私は1965年に初めてのパリの地を踏んだ。

それを妬んである出版社の年上男性にいじわるをされたこともあったりした時代だった。
パリってそれほど、行きたくても行かれないあこがれの都だったのだ。
そしてその後、ボーイング747が就航して、70年代初めにその地に四年も住むことになり、
それから何百回と訪れることになってしまうとは神のみぞ知ることであった。

http://keico.exblog.jp/9187764
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 

 それからすでに四十年か!母も連れて何度もいっているパリへの入国スタンプは何百回にもなっている。
すでにアパルトマンは引き上げたが、最晩年をパリと東京の両方に住もうと思った夢も、
今回の病気で半ば失っているが、こうして新しい高速ロボットの時代に突入したら、
また次の世界が見えてくるかもしれない。

きっと、最期の夢はあまり大きくない豪華客船で、<旅愁>の世界での旅も良いかもしれない、、、、と、
うつらうつら思い始めている。
その時はどなたとご一緒なのかしら?
宝くじがあたったら、いままで仲良くしてくださった友人や写友の方や何人もご招待して、
パリ行脚がしたいな、、って、これも見果てぬ夢かしら?

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(好きな写真の一枚。1999年12月、西暦2000年まであと22日とエッフェル塔に灯がともる。
メリーゴーランドが回って人々を夢に誘っていた、、、。

この時代のコンタックスツアイスレンズで、夜に手持ちで一瞬のこの写真を撮るのは至難の業だっただろう、、、)

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(いずれも2005年10月)
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More>>1997年と2000年のエッフェル塔は
by pretty-bacchus | 2011-06-21 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(6)

雪のパリ サンルイ島の雪景色
2010年12月11日 土曜日 晴

 寒い朝に起きたら巴里の友人からメールが入っていた。

<2010年12月9日に
 巴里は雪アランドロンの頃想い

 寒さがましてきた。
パリでは、23年ぶりの大雪でエッフェル塔や空港が一時閉鎖したという。
23年前の大雪の日、私はパリにいた!
友人と珍しくシャンゼリゼ大通りの映画館で、アランドロンの映画を見ていた。
夕方遅くに地下からあがった私たちは驚いた。
あの大通りが、もう〜〜一面の雪だったのだ。
そうか、、、あれから23年がたつのだ、、、、感無量! >

と書いたら、巴里の友人からiPhoneで撮った、サンルイの写真を送っていただいた。
とても寒いそうだ。

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by pretty-bacchus | 2010-12-11 11:11 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(6)

ヨーロッパにも寒波到来、パリにも雪が
2009年12月20日 日曜日 晴れ
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 Kさんが病に、、、、心配だ。
40代はいろいろ心身共に変化がおきる年代だと思う、、、。
私も24年の楽あり苦ありであったが充実した第一線での仕事を突然に辞めたのも、
社内のごたごた以上に、体が要求したのかもしれないと思う。

辞めてすぐに大きな手術で甦った。晴耕雨読の人生後半をと思ったのだが、そうはとんやがおろさなかったわけで、、、、

 ヨーロッパもすごい寒波が襲って来ている模様で、英仏海峡のトンネル内でパリロンドン間の
ユーロスターが途中でえんこ(でもこれは寒波とは関係ない故障だったようだと思ったのだが、、)
トンネルの中で18時間も立ち往生で、2千人以上の乗客が翌日まで車内に閉じ込められたのだそう、
、、、。遭遇したお客様はどんなにか苦しかったことだろう、、、、
食べ物も水もなくて、一時は零下五度まで下がって皆震えていたという、、、
でも全員無事でよかった〜〜〜。
 (やっぱり寒波により事故が起きたよう。氷点下の地上から暖かいトンネルに入った際に
電気系統が故障したようだ)

 パリも雪とのことで、Yさんから写真がメールで着いた。
ノートルダム寺院の前では、マルシェ ドゥ ノエルは今まではなかったのに、
今年は真夜中まで賑やかなのだそうで、あ〜〜一年前だったらよかったのに、、、、、

 去年の今日のシャンゼリゼ大通りのマルシェがなつかしい〜〜!
http://keico.exblog.jp/7770647/
遡っての巴里の記録 七日目 2008年12月21日 日曜日 曇り

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by pretty-bacchus | 2009-12-20 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(4)

実況中継 Live from Paris Night!
パリの友人から、さっき届いた今のエッフェル塔。

ネット時代はますますすごくなりそう〜〜〜
詳しくはあとで、、、

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by pretty-bacchus | 2009-12-14 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(0)

枯れ葉の頃にはジャック・プレヴェール&イヴモンタンのLes feuilles mortes
2009年11月2日 月曜日 曇りa0031363_21252852.gif

 どうなっているの〜〜〜?
昨日は11月というのに25.9℃でこの時期には11年ぶりの夏日で史上3番目の暑さ、
そして今日は突然の木枯らし一号ですって、、、、。
平年より6.4度低い最低気温5.5度を記録、この秋一番の冷え込みとなったのだとのこと、、、。
地球温暖化の影響なんてものではなく、どこかで地球の軸がずれはじめているのかしら、、、?

 風が強くって葉がどんどん散っていくのってなんだかとってもせつないの、、、、
こんな時口ずさむのはやっぱり枯れ葉、それもイヴモンタンの枯れ葉。
Autumn Leavesでなくて、枯葉はやっぱりLes feuilles mortes、落ちて枯れ死んでしまった落ち葉なの、、、
最初の若い頃の映画の挿入歌の時代のではなくて、彼が年を重ねた頃の声が好き。
ジュリエット・グレコの枯れ葉も良いけれど、やっぱりYves Montandのヴァースが入った方が好き、、、
ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)の詩がなんともいえないの、、

 1991年にモンタンが亡くなったときに、私はパリの15区のアパルトマンにいました。
ニュースを聞いて、彼が住んでいたサンジェルマンの家の近くにいってみました。
彼の家の壁際には沢山の花が添えられていました、枯れ葉が舞っていた頃でした。

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  (風で歩道にからからと枯れ葉がまっていく、、、)

a0031363_1623450.jpg  (青山墓地の中にも、、、)

a0031363_1651178.jpg (2005年10月19日 pm5:30 イタリアからパリに着いて空港からホテルの途中でタクシーの窓からのスナップ。
モンタンの家の近くです)


KeisEchoさんのYouTubeで素敵なのを見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=6r3JM2JZK84
KeisEchoさんのYouTube


More>>プレヴェールの枯れ葉の詩
by pretty-bacchus | 2009-11-02 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback(1) | Comments(4)

☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 曇り
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 ジョルジュサンクのメトロを降りて緩い坂を見上げると眼前に凱旋門が威容を誇っている。
凱旋門 Arc de triomphe、言わずとしれた巴里の中心。 (そしてレマルクの凱旋門!)

 ピアニスト落合桜さんのブログ「パリの風」によると
http://blog.livedoor.jp/lasalledeconcert/
桜さんの10月11日のブログ
quote:〜〜〜〜〜〜〜
<古代ギリシャ・ローマ風のものに傾倒してナポレオンが命を出した凱旋門もやはり古代ローマ風建築・・・
パリ凱旋門の建築家ジャン・フランソワ・シャルグランは、ローマ皇帝ティトゥスの凱旋門をイメージしました。
(イタリア、フォロ・ロマーノの凱旋門もいつか訪問記に記しましょうね)
世界一大きな凱旋門ですが、広い広いエトワール広場ではなんだか大きさの感覚が狂って小ぶりに見えますね。
実際には高さ50m 幅45m アーチ曲面29m シャトー・ランドン産の石組み重量10万トンです。

ナポレオン自身の遺骸が帰還した場所。その後も様々な大儀式の場所になりました。
第一次大戦勝利パレードも此処を通りました。ガブリエル・ペリのお話の舞台になったドイツ軍占領の後、
パリ開放パレードも凱旋門です。
今の形にエトワール広場を整備したのはジョルジュ・オースマンですネ! >
unquote:〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜

 五〇メートルの凱旋門、
ジョルジュサンクのメトロを降りてのほんの数分を、私はこの高い凱旋門をじっとみながら、
目にはいっぱい涙をためて、ぐっと拳を握りしめて、、、何ヶ月もの間通い続けました。
シャンゼリゼ大通り、凱旋門から三つほど手前左側の三色旗のはためく社員通用口から入ると、
まずお手洗いに飛び込んで、涙の顔をきれいにして、笑顔をつくって自分の席につく毎日、、、、。
シャンゼリゼ121番地のエールフランスの二階奥のお客様特別カウンター、そこがオルリー空港のあとの私の
“あこがれのパリ”のはずの職場だったのです。

すでにパリの生活には慣れていましたのに、今で言うパワハラ(パワーハラスメント)にあっていたのでした。
涙無くして通えるようになったのは、あの偉大な凱旋門が、
“頑張れ、がんばれ、、負けるなケイコ、って毎日毎日慰めてくれたからなのです。
空を見上げてぐっと力をこめて、あるときは雨傘ごしに凱旋門をあおぎ、くるくる日も凱旋門とお話をしていました。
(その凱旋門の上にのぼって撮った写真が、往時の西銀座デパートのショーウィンドー一杯のパリの写真展の
メインになったのですから人生とは不思議なものですね、、、)

 制服は当時のパリファッション界の寵児のクリスチャンディオールの特別製。
一人一人がヴァンドーム広場近くのアトリエで仮縫いをしてくれたのですから、
なんという贅沢なユニフォームだったことでしょう。
空港では帽子もかぶらなければなりませんでしたが、シャンゼリゼのオフィスでは脇においていました。

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(数週間前にHさんが送ってくださった写真です。空港で撮ったのでしょうか、、、、
クリスチャンディオールの制服は、中の白いブラウスの襟前は長方形のリボンで、濃紺の襟ぐりが広いラウンドの襟から
それが見え隠れするのです。袖も洒落ていました。
そして胸には小さなエールフランスのマークの入った記章。
このユニフォームを着たくて試験を何度も受けた人が多かったそうです。


 デザイナーであった叔母が、学生の頃につくってくれた緑のアンサンブルに似ていて驚いたのを覚えています。
デザインブックか何かで見たのかもしれません、、、洒落た叔母でしたから、、、)

 http://keico.exblog.jp/2808550
2005.12.09叔母の長男の千代倉邦彦が亡くなって

http://keico.exblog.jp/3277129/
2006年3月2日

http://keico.exblog.jp/5538540
2007.05.05 母の誕生日、ままありがとう!



 このカウンターでは、みぎれいにしていることもとても必要といわれて、
一週間に一度だけ、お昼休みをかけて近くの美容院で髪とマニュキュアをしてもらいました。
大学の卒業式まで化粧っ気なしの私でしたから、パリでの生活は一つ一つが驚きでした、、、
そう何もかもです、、、。

 三十数年前の二十代の頃の、遠いとおい昔の思い出です。
はじめてあかす私の秘密です。

http://www.youtube.com/watch?v=TzCjwjERoxo
城達也のJET STREAM
 今夜は、城達也のJET STREAMを聞きながら、いや今の時代ですからYou Tubeでみながら、
人生の旅のひとときを思い返しています。
“果てしのない夢の旅の終わりは、あなたの新しい旅の始まりです。ジェットストリーム あなたと私の夢の旅”

 私の人生の旅ももう少しつづきそうです、、、、夢見る乙女が夢見るオバンになっても、まだ果てしなく、、、、



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 マックの検索機能Spotlightスポットライトは素晴らしい!
凱旋門と入れたら、
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と出てきました。
いずれも走る車の中からのスナップです。

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(冬でもこんなの空が青いこともある! 
パリにも、至る所青山有り、、、ちょっと意味がちがいますね、、、)


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そして2008.12.21のクリスマスイリュミネーションの凱旋門。
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  (遥かにかすむ凱旋門、シャンゼリゼ通りを横切るときに、窓越しにカシャっと)

More>>>エトワール凱旋門
by pretty-bacchus | 2009-11-01 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(22)

☆回想のわが巴里>>暗い朝に冬のグレーの空のパリを思い出して
2009年10月30日 金曜日 晴れa0031363_21252852.gif

 早や10月も終わりだ。
日出が6時0分 日没 16時48分 昼時間10時48分
だんだん世の中が暗くなる、、、それでなくとも暗いニュースが多いこの時期に暗い冬はつらくなる。
朝起きて驚いた、外が見えない! なんと窓の外は不透明なビニールが貼られてしまってえいた。
とうとう空気感すら見えない工事になってしまった。

a0031363_18502737.jpg   (外で人が動いて仕事をしている、、、)


 暗い、、、、くらい、、、
そうだ、、、、フランスも今週末で夏時間が終わって、暗い冬の巴里がやってきているに違いない。
急にあの暗いパリを思い出してしまった。
巴里に住み始めた最初の年はこの暗い冬がつらかった。
グレーの空の冬のパリは3時半ごろには暗くなりはじめる。朝も10時半ごろまではお日様の顔を見られない。
暗い朝に車のダウンライトをつけて(パリはアップは禁止なのだ)、ヴェルグラといわれる凍りついた
オートルートA6を南下して数十分の道を仕事場のオルリー空港に通ったものだ。
滑りそうになって何度もハンドルをもったまま道の端によって止まり私の方が凍りついた。

選ばれて駐在員としての憧れのパリでの仕事だったはずなのに、、、、、と、何度も涙した。
でもこのくらいの寒さでは涙は凍らなかったのだ、、、、、、

 日本からの朝のエールフランスの第一便のAF273が着く頃には、空港はるかに真っ赤な朝日が昇り始める、、、
日は昇る、あ〜今日もまた新しい朝がきた。大きく深呼吸して私の朝は始まるのだった。
シャンゼリゼ大通り121番地の二階のティケッティングカウンターに移るまでの二年間は、
今思うとなんと大きな可能性をもった歳月だったろうか、、、

友人達の羨望と嫉妬さえかっての単身赴任のパリ、、、
その頃のパリは、萩原朔太郎の時代とは、はるかに違うが、やはりまだまだ遠かったのだ、
渡航の自由化がはじまってはいたが、まだまだパリは遠い都だったから、日本からパリの空港にお着きになるのは
各界で活躍なさっている方々が多く、それはそれは目を見はるような方々が多かった。

岸恵子さんや松本弘子さんや高田美さんはすでにパリに暮らしていて、
その次の時代を作った高田賢三さんや森 英恵さんがパリでの仕事を始める頃だった。
空港の出発VIPサロンではアランドロンやオナシスが静かに出発前のシャンパンを楽しんでいたり、、、
東和映画の川喜多長政、川喜多かしこご夫妻が、日本とパリを往復して映画のお仕事をなさり、
かしこ夫人はいつもお着物でなんとシックだったことか!
彼らがフランスから日本へ紹介する映画を見るのが楽しみになった。
團伊玖磨さんにお目にかかると彼の本を読み音楽を聴く、 外交官の大高さんがスイスに赴任なさると
スイスのことを知りたくなる、三船敏郎がロケにくると、次の帰国の時にその映画を見る、 、、、、
外交官、芸術家、商社の方々、映画俳優、そしてお忍びの政治家達、、、と、おそらく日本にいたらあまり
お目にかかれなかった方々と、お話しする機会が増えて、そのお仕事関係のことにいろいろ興味をもったものだ。
まだ日本の新聞も本屋さんもない時代だから、葉書で関連本を父母に頼んで集めてもらい、
安い船便でパリに着くのが待ち遠しかったものだ。
冬の暗いパリも本を読みながら、教会の鐘を聞きながら、セーヌ河畔を散歩しながら、
そして時には美術館や音楽会にいったりと、、、
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 次の年の冬には、グレーの空の枯れ葉が落ちきったこの季節が好きになっていた。
サンモトヤマの茂登山長市郎さんや、吹田貿易の吹田安雄さんと初めてお目にかかったのもその頃で、
http://keico.exblog.jp/8920246
大正生まれの男性二人に魅了されて 2009年9月4日 

ヨーロッパの美しいものや絵画、陶器、ファッショングッズを日本に紹介するために、
若かった御大ら自ら年に何度もパリにいらいていらした頃、
グッチもルイヴィトンも日本にはまだ紹介されていなかった頃、、、、
パリの暮らしに少し慣れ始めた私は、サンジェルマンやサントノレ通りやカンボン通りを歩き、
知らない小径を歩いて地図に赤い線を引いていった。地図はだんだんと色づいていった。
週末はクリニャンクールの蚤の市を歩き回ったり、、、。

 芸術の都巴里の逸品たち、自然豊かなフランス全土の食とワイン、風物、、、
私たちは毎週末にフランス中を車で走り回り、フランス駐在を楽しみ始めた。
(やがてヨーロッパ全体に足を伸ばすようになった)
フランス人の粋とエスプリ、マナー、冷たそうな裏の優しさや人間愛、、、、
多くのことをこの時代に学んでいったのだ。
祖父母、父母から学んだ日本文化の基礎の上に、この二十代に養われたヨーロッパ文化は、
その後の私の人生に大きな豊かな感性を与えてくれたのだと思う。
学校では絶対に学べなかった実生活で肌で感じた文化の香りと味だった。

 その後、ジャンボ飛行機就航で、旅行者が大量に増え始めて、パリの姿も段々変わっていってしまった、、、、、

暗い日本の冬の始まりに、暗い空の冬のパリでも明るく過ごしたパリの頃を思い出してしまった。
次のパリ行きが待ち遠しい、、、、

http://keico.exblog.jp/7306016/"Le Quatorze Juillet"=マイ・バースデーイヴに、、、2008年7月14日 火曜日 

http://keico.exblog.jp/573233/
懐かしき 巴里の夢路は 涙して

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 (自宅の壁を飾る若い頃のフランス時代の写真はなつかし〜〜〜い!)

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 (四年前の2005.10.29日のパリは青空だった。友人の家の窓から)
by pretty-bacchus | 2009-10-30 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback | Comments(8)

目覚めは 桃とiフォーンで郷愁がつのって
2008年8月27日 水曜日 晴れから曇りへa0031363_21252852.gif

English Here

 突然、ミンミンゼミががなりはじめた。
虫の声が聞こえ始めた昨日の朝は夢だったのかしら、、、、?

なんだかだるくて起きたくない、、、、、夏の疲れと数日の徹夜の疲れがでたのかしら?
今日は早くに事務所にでなければならないのに、どうしよう、、、、

 そっと手を伸ばして、iフォーンを探す、、、onにして、iPodをタップして静かな音楽をかけた、、。
岸辺さんのアコースティックギター、、、、横になったままのけだるい一時になんともよくあう、、、、
BGMはそのままにニューヨークタイムズを読む。
iフォーンを買ったその日に、いろいろれた無料ソフトの一つだ。
大統領選挙戦での、クリントン女史の記事が大きく扱われている。

 日経ビジネスのNbonlineは、IT関係のニュースが多いのでブックマークをしてあるが、
そうだ、いれたままのシャネルの秋冬のコレクションを見てみよう、、、
そっと画面を斜めに触れていくだけで、iフォーンの大きな画面に64着の新作が次々に現れる。
今年の色は黒、茶とグレーのようだ。その中にワインレッドが一着と、フーシャが一着、
最後は純白のウェディングドレス!
You Tubeではないけれど、まるで動いているみたい、、、
でも、これはコングレス会場とかの大々的なショーの一部のようだ。

 シャネルのファッションショーは、やっぱりrue cambonの本店の二階が最高だ。
格調高いリューカンボンのシャネル本店の二階では時々、オートクチュールのショーが催されている。
パリに住んで仕事をしているときは、そんな時間も余裕も無かったが、帰国して後、
仕事を兼ねてのパリ通いの二十数年の間に、何度か招かれたことがあった。
懐かしいな、〜〜〜〜 

 セーヌ川を背にして、オペラ通りを進みオペラ座にぶつかったら、左に曲ると
ブールバール・デ・カアプシーヌ。
二つ目の信号の五交ろうを右に入ると、マリアカラスが住んでいたアパルトマン。
斜め前方左がリューカンボン。そのすぐ角は、ホテルリッツの裏の入り口で、
その昔、この中に小さな素敵なバーがあった。その名はヘミングウェイ、、、今でもあるのかしら?
あの渋いバーマンはまだ元気にしているのかしら

 ヴァンドーム広場の表玄関から、細い廊下を通って、カンボン通りに抜けることができる。
知る人ぞ知る内部の道。
ダイアナ王妃は、この廊下を通って裏口にでてパパラッチを逃れたのだが、
まもなく事故にあってしまったのだ、、、嗚呼。

 シャネルはカンボン通りに中頃の右側、サントノーレ通りにでる少し前、、、
いつも二人の男性門番が目を光らせている。

サントノーレ通りを右に曲がって少しあるくと左がコンドルド広場、右がマドレーヌジンで、
その角の二件目にティーサロンのラデュレがある、ここのアップルパイと紅茶が美味しくて、
ここでいつも一休み、、、時には少しもどってアンジェリーナで、アイスクリームを楽しんで、、、

 グーグルアースで、パリを見てみる、、、、静かに地図が流れて行く先を探すかのように時が流れる、、、

あ〜〜懐かしい、、、切ないほど懐かしい〜〜〜〜巴里!
一昨日からの写真の整理で、郷愁に灯がついてしまったようだ。

起き上がる前にiフォーンで遊ぶのが習慣になってしまいそうな予感がする。

 寝室は甘い匂いで満ちている、、、昨日T先生から送っていただいた大きな桃を一つ
寝しなにお皿にのせておいたのだ。
「川中島白桃」をよりおいしく食べていただくために!! という小さな手作りの説明が入っていて、
二〜三日お部屋に飾って優雅な時を楽しみながら加熟を待って下さいとあった。
ほんとなんとも切なく甘い朝になった。
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 (左上に少し見えるのがヴァンドーム広場の角で、すぐ前がリッツホテル、
そこから細い廊下がつづいているのがわかる、、、、。
緑の庭で、夏は朝色もいただけるのだ、、、)

(これらを今話題になっているグーグルマップのストリートビューでみたらどんなふうにみえるのかしら?)

=朝のことを想い出しながら、真夜中にブログをアップしている女あり=

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(セーヌ河畔のブキニストのトタンの屋根越しに、秋色のセーヌ河)

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

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2005年10月のbブログから
http://keico.exblog.jp/2473214/

セーヌの水を見つめる少女


http://keico.exblog.jp/2473292/
だまし鏡のセルフポートレート

http://keico.exblog.jp/2425523
曇天のブキニスト
by pretty-bacchus | 2008-08-27 23:59 | ☆Life in Paris巴里に暮らし | Trackback(4) | Comments(0)