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1997年の今月今日6月26日の私の巴里=パリのカフェの歴史
2014年6月26日 木曜日 曇りa0031363_21252852.gif
★ 銀塩時代の写真の<オペレーションデジタル化

 パリの老舗カフェにはそれぞれ素敵な歴史がある。
そのひとつはサンジェルマン・デプレの「カフェ・ド・フロール」。
私がパリに住んでいた頃にはそこに行けばサルトルとボーヴォワールに会えたはずだ。

すぐそばにあるもうひとつの老舗カフェは「レ・ドゥ・マゴー」。
キュビズムの誕生をじっと見ていた生き証人だろう。
ピカソやブラックが常連で、ヘミングウェイも頻繁に訪れていたという。

 1994年の巴里。
銀塩時代のコンタックスStとContax G1 with viogon24での写真をスキャンしてあったので。
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1994.oct. Paris Deux Magots, Contax ST (サン=ジェルマン=デ=プレのカフェ・レ・ドゥー・マゴ )

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 (Paris,oct. 1994 Les Deux Magots,
 (ガラスの中の写真を撮っていたら、ギャルソンの写真もどうぞ、、、、って、ポーズをつってくれて、、
こういうのがまたパリのカフェの楽しいところ。
左のギャルソンはもう二十年もここで仕事をしていると話していたが、まだいるのかしら?)
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2013年1月22日 火曜日 雨のち晴れ
2005年晩秋の巴里の<オペレーション・モノクロ化>

a0031363_11363387.jpg (サンジェルマンの角のカフェ・ドゥー・マゴで)
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2013年1月30日 水曜日 晴れ
銀塩時代の写真の<オペレーションモノクロ化>


(ワンちゃん連れの素敵なカップルが歩いたいたので、カメラを向けて、いいですか? って聞いたら、
ロベール・ドアノー「パリ市庁舎前のキス」のようにね、、、て言って肩を組んでくれたのだ)
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2012年1月30日 月曜日 雪模様 のち晴れ
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris2005 その二

(今のラデュレは、
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2011年12月12日 月曜日 のブログへカラーで
☆回想のわが巴里の街1973~1980 -シャネルとラデュレ


~~~~1997年の今月今日6月26日の私の巴里~~~~

 今回の★OldPhoto銀塩写真のデータ化を整理宙で、今日のこの日はどうしていたのだろう、、、って
みてみたら、1997年の6月26日には巴里にいた。
そして午後をジェラールの車で巴里の散歩にでたようだ。

 巴里での車の足になってくれていた彼の本職はインテリア会社のオーナーで、
個人タクシーはどうやら友人達のためらしいことがわかったのはずっと後になってから、、、。
 いつものように十五区のブシコ通りのアパルトマンに迎えに来てくれて、
コンヴァンション通りを走ってすぐにミラボー橋へ。
 Sous le pont Mirabeau coule la Seine.    ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
  Et nos amours                  われらの恋が流れる
  Faut-il qu'il m'en souvienne          思い出す、、、
  La joie venait toujours apres la peine     悩みのあとには楽しみが来ると

二人はアポリネールの詩をくちずさむ、、、。

 ケ・ドゥ・シトロエンを走って左にグルネル橋をすぎ、やがてあのビルアッケムに着く。
そのままセーヌ川を左にみて、ケ・ドゥ・ブラニーを走り、イエナ橋、アルマ橋をすぎたところで
セーヌ河畔の<ケ>はケ・ドルせーとなり、すぐにアルマ橋を通り過ぎる。
アンバリッド橋をすぎて、あの豪華なアレキサンダー三世橋をすぎるともう前方にはコンコルド広場の
銅像が見えてくる。左に曲がってポン・ドゥ・ラ・コンコルドを渡り、コンコルド広場を右に回って
リューロオワイヤルへ。正面はマドレーヌ寺院。サントノレ通りの右角にラデュレがある。
(このまままっすぐ走ると四つ目の橋があのポン・デ・ザールなのだがサンスユニーク>
一方通行なのでそうはいかない!)

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木曜日 雨のち曇り
2014年6月12日 木曜日 雨のち曇り
巴里のPont des Arts ポン・デ・ザール(芸術橋)の今と昔

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(鍵など一つも無い。いったいいつ頃から始まったのだろうか、、、、、)
(向こうにカルーゼル橋)

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(向こうに見える大きな橋はポンヌフ、名前の意味は<新しい橋>なのに、パリで一番古い橋)
09 July 1995, Paris )
(ポンデザールの午後、セーヌ川をいく観光船をながめて静かに一時をすごす二人の後ろ姿はすてきだった)

パリのセーヌ川に架かる橋 Ponts sur la Seineは36だったが、数年前に12区のLe parc de Bercyと
La bibliothèque de Fr.Mitterrandを繋ぐ橋として、37番目の橋 が、このLe pont des Arts同様に
歩行者専用のPasserelle Simone de Beauvoir パスレル シモーヌボーヴォワールとして開通した!

 右岸のラデュレ、アンジェリーナなどの同じ界隈のヴァンドーム広場のドゥ ラペ通りの角を曲がった
すぐのサントノレ通りに、二十世紀最後のころに彗星の如く現れたのが、
<カフェ&ホテル・コスト CAFE COSTES & HOTEL COSTES>
ジルベール&ジャン=ルイ・コスト兄弟が1988年にレ・アールにオープンした出世作「カフェ」の後に、
伝統的なスタイルとは一線を画した新しいコンセプトのブランシェなカフェを次々とオープンさせた。
ブランシェbranché というフランス語を覚えてのもこの頃だった。

 ホテル・コストはコスト兄弟が最初にプロデュースしたホテルで、一見ホテルとは思えない、
なにげないエントランスを入ってドアを開けると左側に薄暗い夜のバー、
正面の奥にホテルへのフロントがある。右側のそれほど大きくはない中庭がカフェ。
全体が大きな口の字の形になっていて、ホテルの半分は吹き抜けになっていて一階のロビーと通路の様子が
見えるようになっている。

オープン後またたく間にパリのお洒落な人たちが集まるようになり、アーティスト、モデルや
映画業界人などのセレブが集うホテルとなってしまった。
そこには一種独特の大人の雰囲気がいつも漂っていた。
ダイアナ妃やビヨンセも愛した24時間世界のセレブリティが集うホテルとなったが、
そんな前に私は友人達とときどきお茶を楽しんでいた。

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 デザインを担当したのが今では数々のホテルやレストランを手がけるフィリップ・スタルク。
コスト兄弟はフランス南部のアヴェロン(Aveyron)県の出身。この県は「アヴェロンの野生児」とか
「昆虫記」を書いたファーブルの出身地として知られているが、隣接するオーヴェルニュ地方とともに
パリのカフェ文化の成立と大きな関わりがある。

この地方からのパリへの出稼ぎは十七世紀末からすでに始まっていたが、彼等はまずはフランスの地理的な
中心部から、文化の中心であるパリへの700キロもの道のりを歩くことから始まったのだ。
出稼ぎ労働者の主な仕事は「水運び」だったという。オスマンのパリ大改造以前のパリの水道施設はひどく、
そんな状況が必要とされた仕事だったという。
その後時代は遷って、彼らの転機になったのは炭屋を開いたこと。炭屋の店先で、地元のワインや
食を出すようになっていき、この炭屋兼居酒屋がパリのカフェの原型になったと言われている。

レ・ドゥ・マゴなどのカフェも全てアヴェロン県人によって作られたカフェなのだ。
そしてカフェは政治や文学の議論を楽しむ<場>になり、芸術運動の母体にもなっていった。
今でもホテルレストラン業界の人々の出身地を聞くと、この地方とか隣のオーヴェルニュ地方や
ブルターニュ地方の人が多いという。

 私は若い頃からどこの地に行ってもその街の話題のホテルを見て回っていた。
趣味であり、エールフランスから出向でホテルメリディアンチェーンの日本代表としての六年間は
さらにそれに拍車がかかっていたかもしれない。

 <★OldPhoto銀塩写真のデータ化>の整理で愉しいのは、何年も前の今日と同じこの日に
私は何をしていたのだろう〜〜とふり返ることもその一つ。
1997年の6月26日のネガの一本がデータ化したなかにあった。
36枚撮りの順番にみてみると、この日は私の巴里においての大切な<足>であったジェラールの車で
でかけたことがわかる。

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2011年8月3日 水曜日 雨
簡易スキャンで夜の巴里モンマルトルと凱旋門を

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一枚目はこのホテルの中庭で彼を撮った写真。頭上はホテルの部屋の壁、内部のホテル内の吹き抜け。
たしかそこにあったソファーは深いモスグリーンだったような気がする。

http://keico.exblog.jp/19842972/
2014年5月27日 火曜日 雨のち曇り晴れ
1997年10月18日(巴里モンマルトルの丘の上、テルトル広場で)

 このあとセーヌ川を渡ってサンジェルマン界隈にいったのだろう。
サンジェルマン教会やボーザール美術学校、そして数年前にクローズしてしまった大好きな
傘やさんのスナップがあった。

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(美術学校の正面)

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(フュルスタンベルグ広場)

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(サンジェルマン教会の時計は三時五十分をしめしている)

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(巴里には素敵な老カップルが多い、、、)

パリの雨傘 ステッキ 日傘やさん。
MADELAINE GELY
maison fondee en 1834
218, BOULEVARD SAINT GERMAIN
サンジェルマン地区の中心にある1834年創設の伝統ある老舗の傘やさん。
動物の顔が彫られた柄の傘で、素敵な上質の傘ばかりを扱っていた。傘は内布が張られていて、
傘の骨が見えないようにされていてそのデザインもいろいろ凝っていた。
私は昔々一本だけ求めたことがあった。

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「昔は傘というものは一種の贅沢品であったのでは、、、と須賀敦子さんのエッセイ、たしか
「トリエステの坂道」のなかにあったような気がする。

 このマドレーヌジェリーさんの店は十年ほど前に高級傘メーカーAlexandra Sojfer(
アレクサンドラ ソジュフェール)に店は引き継がれたが、そのアトリエが隣接されているという。

 そういえばイヴモンタンもこの近くに住んでいたのだ、、、。
パリの思い出は尽きない、、、、。

http://keico.exblog.jp/7717663/
2008年12月5日 曇り後雨
まさにこの この一時の 散る命

http://keico.exblog.jp/9193966/
2009年11月2日 月曜日 曇り
枯れ葉の頃にはジャック・プレヴェール&イヴモンタンのLes feuilles mortes

http://keico.exblog.jp/19041458/
2013年11月22日 金曜日 晴れ
枯れ葉の頃にはいつも<イヴモンタンの枯れ葉>

http://keico.exblog.jp/14192747/
2011年12月17日 土曜日 巴里のお花やさん
☆回想のわが巴里の街1990~2000〜巴里のお花やさん

http://hotelcostes.com
THE RESTAURANT & THE TERRACE
THE BAR
POOL & SPA
<hotel costesのCD>
このホテルのラウンジ&レストランバーをイメージしたコンピレーションCDがある。
ホテルの専属DJのステファヌ・ポンプニャック(Stéphane Pompougnac)が手がけている。
「ホテル・コスト」とそのままのタイトルが付いていて1999年に第一弾が出て、
今や多分十集目以上を数えるだろうラウンジ系の人気シリーズとなっている。
私のiTunesに入っているので、それを聴きながら、、、このブログを書いている。

 現在コスト一族による飲食店の数は数十にのぼり系列会社も十数社存在しているが、
その全実態はつかみがたいという。
彼らはまた他のアヴェロン出身者と同様に、地元に対する愛情がとても深く、
地元に残った人々や企業にも利益を還元しているといわれている。

 このあたりのことは友人のランブロワジーのディレクターだったピエール・ル・ムラックからも
聞いたことがあった。
彼もブルターニュからやってきて、最初の巴里のアパルトマンは両手を広げると壁全部に触れたという、、、。

 今年の六月は巴里のはずだったから一緒に食事をするはずだったのに、とても残念。

(オーヴェルニュのこと)

http://keico.exblog.jp/19914383/
2014年6月18日 水曜日 曇り
1996年6月のオーヴェルニュ地方のプランタジュネ、エニシダの花

http://keico.exblog.jp/19940226/
2014年6月25日 水曜日
1996年6月オーヴェルニュ地方、シェーズ=デュー、イソワール、

http://keico.exblog.jp/19946335/
2014年6月27日 金曜日 雨
★OldPhoto銀塩写真のデータ化は遅々としてすすまない




by pretty-bacchus | 2014-06-28 23:58 | ♣JourneyAbroad海外97仏伊 | Trackback(1) | Comments(6)

1997年10月18日(巴里モンマルトルの丘の上、テルトル広場で)
2014年5月27日 火曜日 雨のち曇り晴れa0031363_21252852.gif

<銀塩時代のポジ&ネガのデジタル化、続き>

 檸檬の葉はほどんどなくなってしまった。
どうやら、揚羽蝶だけでなく、蛾の幼虫のまえの尺取り虫もいるようで始末が悪い。

ミナミさんにいろいろアドヴァイスをうけて、お箸でつまんで捨てるのが良いのだそうだが、、、、、
そんな勇気はない、、、困った〜困った、、、。 もう少し静観するしかなさそうだ、、、。
#IMAGE|a0031363_16555578.jpg|201405/28/63/|mid|234|188#]

 ブローニーのデジタル版を少しだけ整理。
1997年10月18日のパリ、モンマルトルのサクレクールの裏のテルトル広場の数コマをアップしましょう。
この日は35ミリの方を沢山撮ってデジタル化に出してあるのが、まだできてこないので、
まずブローニーの何枚かを。
こうしたスナップをどうして慣れない645で撮ったのかは不明。きっと挑戦したかったのにかもしれない。

 テルトル広場はパリの北のモンマルトルの坂を上がったサクレクール寺院の後ろ側にある小さな広場。
昔も今も、画家達が集まり観光客の似顔絵を描いたりしている。
モンマルトルは現代美術の中心だった時代があり、二十世紀初頭には、パブロ・ピカソや
モーリス・ユトリロなど多くの画家がこの地で暮らしていた。
(テルトル広場もラパンアジールなどの写真は、35ミリの方にあるので、また後日アップしましょう)

<Paris, 18 Oct.1997 モンマルトルの丘の上のテルトル広場で、ブローニーで歩きながらのスナップ>

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a0031363_17211925.jpg(モンマルトルの丘のダリダ広場で)

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(1997.10.18 Paris by Contax ST, サクレクールからの帰り道)

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 一人で巴里に滞在の時に夜の写真を撮りたいときは、ジェラールがいつも運転役をしてくれた。
本職はインテリア会社のオーナー、副職はタクシードライバーで、美容師のレミーポルトレの親友!
そして“ケイコの写真撮りの助手?、と喜んで、いつも運転手とボディーガードを務めてくれた。
そんな時には車の屋根の上の<TAXI>のマークにカヴァーをかけてしまってくれるのだった。

 パリにはユニークな人がたくさんいる。さんないろんな方々に助けられてパリの生活をエンジョイして、
今の私がある。
でも彼らにももう十年以上も会っていない、、、今頃どうしているのだろうか。あいたいな〜〜。

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 パリ駐在時代の二十代後半からは美容院は<レミー ポルトレ>。
ジャクリーヌの紹介でいったその美容院はルーブルに近いオペラ通りにあった。
そのあと彼はそこをやめて髪のこと指圧のことなどいろいろと勉強して腕を磨いた。
アレキサンドル(Alexandre de Paris)というパリの一流美容師の片腕にまで上り詰め、
ヨルダンの王妃にこわれて数年ヨルダンにいっていたこともあった。

今はチュイルリー公園に近い細い道で、<Salon de coiffure Paris REMI PORTRAIT>の
オーナーになっているが、十数席の小さな店はいつも年配の女性で一杯。
髪を洗いながら、助手の女性が足のマッサージをしてくれたり、
時間があると小さな小さな別室でトリートメントをしてくれる。

十数年前に、髪の健康にあたえる重要性を唱え、
« Cheveu, parle-moi de moi »と本を執筆している。
パリに行ったときはいつもなんとか予約の間をぬってしてくださるありがたい友。

 〜〜〜〜〜
(追記でおまけは、当時の十五区の巴里のアパルトマンの七階のベランダ。久しぶりに見て
泣きたくなるほどなつかしい〜〜〜! このアパルトマンのことは後日に書いておきたい)
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〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/13201187/
2011年8月3日 水曜日 雨
簡易スキャンで夜の巴里モンマルトルと凱旋門を

http://keico.exblog.jp/16609931/
2012年10月14日 日曜日 雨
雨の日曜日に<美容院>の思い出
            〜〜〜〜〜〜〜
Wikipediaよりサクレ・クール寺院

サクレ・クール寺院 (Basilique du Sacré-Cœur) は、
フランスおよびフランス語圏に多く存在する教会堂。
「聖なる心」(聖心)を意味し、イエス・キリストに捧げ、守護として祀っていることを意味する。
パリの モンマルトルのサクレ・クール寺院 - パリの北のモンマルトルの丘にあるバジリカ聖堂。
パリの市街を一望できる丘の上に立っている。

Wikipediaよりテルトル広場*

テルトル広場(仏: Place du Tertre)は、パリ18区のモンマルトルの丘にある広場。
標高は約130メートル。かつてのモンマルトル村の中心で、最初の村役場があった。
平坦な頂上にある小さな丘を意味するTertre(テルトル)の頂上にあることから、
広場の名前が付けられた。

画家達が集まり観光客の似顔絵を描いており、モンマルトルが現代美術の中心だった時代を想起させる。
20世紀初頭には、パブロ・ピカソやモーリス・ユトリロなど多くの画家がこの地で暮らした。

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by pretty-bacchus | 2014-05-27 23:59 | ♣JourneyAbroad海外97仏伊 | Trackback | Comments(2)