カテゴリ:♣Journey海外93シリアヨルレバ( 6 )

シリアの世界遺産都市パルミラが無事でありますように、、、
2015年5月18日 月曜日 曇り後雨

「イスラム国」が世界遺産都市パルミラの一部を占拠したと報じられ、
支配下にあるイラク北部で古代遺跡を相次いで破壊しているので一時は遺跡の破壊も懸念されたが、
翌17日にシリア政府当局は「パルミラは政府の支配下にある」と発表。シリア軍が守りを固め、
遺跡への接近を防いだようで、なんとか危機を免れたようでほっとしている。

http://keico.exblog.jp/651204
2004.07.13
追憶はゼノビア女王を偲ぶ旅
(すでに十一年前のこのブログにアップしていました!)

 パルミラを訪れたのは一度だけ、それも二十年以上前のことだが、ギリシャやエジプトやヨルダンや
レバノンに遺る古代遺跡とともに私の記憶に鮮明に残っている古代遺産だ!

パルミラはシリアの首都ダマスカスから北東へ250キロ。国土の半分以上を占めるシリア砂漠の
ど真ん中にあるこの遺跡は紀元前一世紀から紀元三世紀頃にかけ、もともと貿易の隊商都市で、
シルクロードの交易都市として栄えた<都>だった。

時代は違うがクレオパトラと並び比される才色兼備なゼノビア女王が統治した紀元三世紀の古代の
オアシス都市国家のパルミラ王国。
邪馬台国の女王卑弥呼が倭国を統べていた同じ頃に生きた女性の国であった。
最後は、ローマ軍に敗れて金の鎖に繋がれてローマまで引き連れられて処刑されたといわれている。
紀元272年のことである。翌年ローマ軍はゼノビアの素晴らしい王国を完全に破壊した。
その後、街は砂漠の砂に返されたが遺跡はかなり遺り、1980年ユネスコの世界遺産に登録された。
ローマ様式の建造物、ローマ式の円形劇場や浴場跡、列柱道路そして墓場も残っている。

 この人類の文明の遺跡が今後も無事に遺って欲しいと祈るのみ、、、。
この時のフィルムはおそらく数十本あるだろう。
(時間をみつけて探してデジタル化をしておこう、、、。)

つらい週の初めとなってしまった。

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 (ローマ帝国を敵にまわしたゼノビア女王。シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、
やがて四世紀にローマに滅ぼされた。そのパルミラの遺跡には今も夕陽が毎日沈む)


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(丑年の年賀状に使ったことがある、、、)

 このブログ内右サイドバーで<パルミラ>と検索したら、二十もでてきたし、
カテゴリ:Journey海外'93シリアヨルダンレ にも六回も書いている。

http://keico.exblog.jp/18925185/
2013年11月6日 水曜日 曇り
世界遺産の旅の写真を年賀状に、、ゼノビア女王

http://keico.exblog.jp/12135645/
2011.02.17
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書の旅

〜〜〜〜〜
 1993年にはすでに<ル・メリディアンホテル&リゾート>の日本代表は退いていたが、
現役時代に中東の代表にあっていたので、パルミラは街中ではなくこの遺跡のすぐ前の
メリディアンホテルに滞在した。
(メリディアンホテルは、いまは「シャーム・パレス・パルミラ・ホテル(CHAM PALACE PALMYRA HOTEL)と
なっているという)

http://keico.exblog.jp/10694394/
2010年5月26日 水曜日 曇り後雨
中東への出張☆回想のわが巴里の街 1980~1990

 ダマスカスを午前7時に出て、、途中何カ所かの名所によってパルミラ到着が午前11時半
(バスで4時間半)と記録にある。
ここでの二泊三日は、どっぷりと時空をこえてゼノビア女王の時代に浸ったのだった。
列柱道路(GREAT COLONNADE)、ベル神殿、三兄弟の塔墓(TOWER OF TOWER TOMBS)。
そして高台にあがっての夕陽の拝顔。

 今までの記事を読み返していたら、嬉しいトラックバックやコメントが出てきた。
:
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Commented by ぽこすけ at 2006-02-18 22:06 x
素晴らしい写真です。
心が洗われる、と言ったもの以外の重量感を感じます。
かつてパルミラはそれはそれは美しい国だったと。そしてかのゼノビアもあまりの美しさと聡明さ故、
ローマ皇帝によりその命を存えたとの風説が流れたとか。
このような歴史と人生を眺めておられるとは実に羨ましい限りです。
嗚呼、自分にほんの少しの才能と勇気があれば・・・・などとたわけた妄想です。
しかし、人生のうち一度はロシアを訪れてみたいものです。
以上、通りすがりでした。

〜〜〜〜〜〜
more>>>そして計画倒れになった出版のエピローグもブログに記録されていた。

誘われて 旅中の旅<追憶のヨルダン・シリア・レバノン>
文・写真 片桐敬子
史跡解説柳沢保雄
 <あとがき>
その仕事の旅は楽しく有意義な旅であった。そして帰国後すぐに、お電話をいただいた。
「素晴らしい旅でしたね! ツールは早速お願いしましょう。ただし一つお願いがあります。
732年のツール・ポアチエの戦いの場所を探してください」 「はいわかりました」
政府観光局やらツールの役所やらに問い合わせを続けたがはっきりしたことはわからず、
結局現地に飛び下調べをした。

 (ピレネーを越えて)の旅の、初めての宿、ツール・メリディアンでは、お客様は、
レセプション脇のラウンヂで、まずウェルカムシャンペンで迎えられるーー
しばらくその地方のスライドをお楽しみいただきながらーー。
その間に荷物はすべて部屋に運ばれ、お客様にはロビーでお待ちいただくことなく、
チェックインは終了することになる。
 翌日のバスツアーで、不思議な出会いがあり、見事、死の谷ーツール・ポアチエの戦いの場所ーに
立った一行は感激で一杯であった。

 こんなご縁で柳澤社長は、その後、私が辞めるまでずっとメリディアンをエールフランス共々
応援してくださることになった。そのご依頼は厳しいが、それがお客様に喜んでいただける
良い旅を作る原動力と情熱に結びついたと思っている。

 突然に決めた今度の中東への旅は、ヴィザやらホテルやらでスタッフの方々をてんてこまいさせ、
私もまた出張のスケデュールの変更に国際電話が鳴り響きとーーー。五日後には早機上の人となっていた。
旅を創る立場から、作られた旅の一員としてグループ旅行に加わることになったのである。

 思えばこの旅は不思議な旅であった。
壮大な自然と歴史の中にあり、目では眼前に広がる砂漠と遺跡群を追い、耳ではアラブの風の音を聞き、
肌では灼熱の太陽と軒の流れを感じ、あのアラブ独特の香りをいつも嗅ぎ---ヨーロッパの他の国とは
全く違ったその臨場感の中に浸りながら、心はいつもどこか違うところにあった。
想いはいつもどこか遠いところにあった。

 人生の折り返し点を過ぎ、あと何千日かを残すだけとなったことを心の奥でズッシリと感じ始めていたからかもしれない。
 一方では重いカメラを三台も首からかけ、
疲労困憊の毎日で、五十の体力の限界と減退を試された旅でもあった。
 「よっく途中で倒れなかったね!」 旅の終わりにいただいた柳澤さんの、
はにかみながらのお優しいお言葉に思わず涙してしまった。

 そして、この本は、はからずも、半生の追憶の記となり、自己満足と独断の旅の記録となった。
お許し願いたい。

 なお、写真は、スケデュールが限られたグループでの行動の中で撮ったスナップであり、
これもまた、自己満足に他ならない。

(その柳澤保雄氏も昨年彼岸に旅駄だれてしまった)
〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/14176788/
2011年12月16日 金曜日 雨雨雨の巴里 その三
☆回想のわが巴里の街 ~ルーヴル美術館の思い出1995 柳澤さんの思い出
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/653487/
2004.07.14
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅

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(右に立つ陰が柳澤社長)

〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/3220372/
2006.02.23
旅の記録、幻のエピローグ
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http://keico.exblog.jp/12342785/
2011年3月29日 火曜日 晴 その一
生かされん命なれかし春霞>>朝霞
〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/18949959/
2013年11月9日 土曜日 雨のち晴れたり曇ったり
やがて燃えゆく地球からパルミラの夕陽を

http://keico.exblog.jp/18925185/
2013年11月6日 水曜日 曇り
世界遺産の旅の写真を年賀状に、、ゼノビア女王

シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、やがて四世紀にローマに滅ぼされたのです)
(家庭用のチープなスキャナー .... これはホテル・メリディアン・チェーンの仕事を引き継いだ私が考えた小さなサービスの最初の一つであった。 翌日のバスツアーで、 ...
〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/16032551/
2012年8月25日 土曜日 晴れ
シリアとルーマニアで亡くなった日本女性のご冥福を祈って
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/20528141
2014年12月14日(日) 霧の朝、巴里六日目
ノートルダム大聖堂とリルケ、Xマスイリュミネーション 





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by pretty-bacchus | 2015-05-18 23:59 | ♣Journey海外93シリアヨルレバ | Trackback | Comments(2)

やがて燃えゆく地球からパルミラの夕陽を
2013年11月9日 土曜日 雨のち晴れたり曇ったり

 空は青い、白いのは雲、、、っていつ誰が決めたのだろう。
白い空が一杯で、青い雲が散らばっているような午後だった。

 遠くにまた大きな台風が発生して被害が出ている。
自然の猛威はますます大きくなるというこれからの宇宙だそうで、地球の最後も予想することが
できてきたのだから、生きいていく時間を考え直すよい機会かもしれない。

 はるか昔の旅に思いをよせて、、、、静かな週末を送れそうだ。

(二十五億年ごろに地球は燃えつきて、あの太陽に飲み込まれるのだという、、、)
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 (1997年頃に撮影、、、<パルミラの遺跡には今も夕陽が毎日沈む。
ローマ帝国を敵にまわした3世紀に存在したパルミラ王国の「女王」ゼノビア女王。
シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、やがて四世紀にローマに滅ぼされたのです)
(家庭用のチープなスキャナーなので色がでませんね、、、)

http://keico.exblog.jp/18925185/
2013年11月6日 水曜日 曇り
世界遺産の旅の写真を年賀状に、、ゼノビア女王

http://keico.exblog.jp/653487/
2004.07.14
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅



by pretty-bacchus | 2013-11-09 23:59 | ♣Journey海外93シリアヨルレバ | Trackback | Comments(0)

世界遺産の旅の写真を年賀状に、、ゼノビア女王
2013年11月6日 水曜日 曇り

 ボージョレヌーヴォーの仕事が終わると、毎年次は年賀状を考える時期で、
さて来年はどうしようかしら、、、。
来年は午年、十二年前2002年の賀状は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の壁画、
レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の写真を使った。
その数年前に大規模な修復作業が終わって、2000年の12月に訪れた時にフラッシュ無しで手持ちで
写真を撮ることが出来たのだ。
たしかコンタックスG2にホロゴンを付けていたので撮ったのだと思う。
午年の年賀状にしたので、レオナルド・ダ・ヴィンチの馬のデッサンを使ったを左の置いた。

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http://keico.exblog.jp/10584167/
2010年5月8日 土曜日 曇り
Memoires du Voyage 旅の写真を絵はがきに

 自分で撮った写真で、世界遺産を主にして年賀状を創りはじめたのは20年ほどまえからになるかしら。
印刷屋さんに出すときは八面がとれるので、ワイナリーの写真や、パリの写真も絵はがきとして
何百枚も創っていた。
写真裏には、創った年代と、杯を挙げるケイコエンジェルマークと、
それぞれのシリーズをプリントしてあるので、いつ頃創ったかはすぐにわかる。

例えば、裏のシリーズ名は、
Serie: Memoires du Voyage,2000
Serie:Plaisir de Vivre
Serie:Cahier du Voyage
など、など、、、、。
ほとんどが2000年までで、その後は自家プリントになった。
この何十年の絵はがきは、海外の友人にも毎年送るので、ずいぶんと喜ばれたものだ。
その絵はがきがまだ沢山残っていて、ときどき使っているが、ウェブ時代になって
メールですませることが多くなってなんんだか寂しい時代になってきたかもしれない、、、。

 このブログを始めた最初の頃からすでに、随分と世界遺産の関係の記録を残していた。
思えば随分と旅をしていますね。

http://keico.exblog.jp/2253897/
2002.1.1のブログ
記録から>世界遺産の写真があるもの。

 今年の世界遺産は富士山だが、先取りをしてすでに今年の年賀状に使ってしまったし、、、
さてさてどうしようか。
いままで使ってない世界遺産は沢山あるが銀塩時代のものだからポジをスキャニングしなければならないし、
奥のほうにしまってあるし、、、。
プリントしたファイルをみてみたらいろいろありましたね、、、

 1997年だったかしら?シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅では沢山写真を撮っていました。
シリアはアラビアのロレンスの舞台となったアカバ・ワディラムをかわきりに、ペトラ、
十字軍の要塞ケラク、マケラス・メデバ、イエスキリストのネボ山、アンマン、ジェラッシ、
レバノンレのバールベック。
ヨルダンはダマスカス、ホムス、クラック・デ・シュバリエ、ラタキア、ウガリット王国の遺跡エブラ、
シメオン、アレッポ、ハマ、 ゼノビア女王を偲んでのパルミラ、と今では戦闘多く絶対に
観光の旅はできない各地を歩いていました。 

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(ローマ帝国を敵にまわした3世紀に存在したパルミラ王国の「女王」ゼノビア女王。
シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、やがて4世紀にローマに滅ぼされたのです。
そのパルミラの遺跡には今も夕陽が毎日沈む)

a0031363_23262518.jpg(パリに住む画家、吹田泰恭さんの牛のカットを入れて年賀状に少し使って、、、)

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 スキャニングする楽しみができたようです。
(でも家庭用のチープなスキャナーなので色がでませんね、、、)
さてどれを使おうかしら?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://keico.exblog.jp/651204/
2004.07.13

追憶はゼノビア女王を偲ぶ旅

http://keico.exblog.jp/653487/
2004.07.14
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅

http://keico.exblog.jp/3220300/
2006.02.20
ブログ上での旅の記憶のはじまり

http://keico.exblog.jp/3220372/
2006.02.23
旅の記録、幻のエピローグ

http://keico.exblog.jp/5770820/
2007.06.22 金曜日
夏至きたり 古の旅はるかなる 

http://keico.exblog.jp/5971643/
2007.08.08
Condolence  内田勝久さんが亡くなった。

http://keico.exblog.jp/11717256/
2010年12月13日 月曜日 雨 寒い一日でした
うさぎ年の年賀状の準備

http://keico.exblog.jp/13224030/
2011年8月6日 土曜日 晴
1980年代後半からの旅の思い出いろいろ

http://keico.exblog.jp/16983306/
2012年12月13日 木曜日 晴れ
旅で撮った世界遺産の写真で年賀状の記録

http://keico.exblog.jp/17104083/
2013年1月4日 金曜日 晴れ
いただいたお年賀状に返事を書いて




by pretty-bacchus | 2013-11-06 23:58 | ♣Journey海外93シリアヨルレバ | Trackback | Comments(2)

旅の記録、幻のエピローグ
2006.02.23

English Here

(一昨日からの続き、、、、)すごい〜〜〜タイガーの検索機能は、、、。
昨日に続いてPC内をいじっていたら、十数年前の記録がでてきた。
途中でクラッシュして記録を失った物が多かったし、助かった記録もホルダーの整理ができていなかったの
だが、なんと、新しいOSタイガーの検索機能のスポットライトに、ヨルダンといれたら、
1994/08/11/17:56に書かれたヨルダン関係のワープロがいくつも出てきた。
すご〜〜〜い、
嬉しい〜〜〜。
もっと早く見つかっていたら、この写真集は実現したかもしれないのに、記録を無くして挫折してしまったのだ。
ブログに少しだけ記録を残しておきたくなった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本の題:誘われて 旅中の旅<追憶のヨルダン・シリア・レバノン>
取材・文・写真:片桐敬子
旅の計画:史跡解説柳澤保雄

目次
0.賛辞:中東の旅 :内田勝久(前イスラエル大使)
プロローグーーーー(原稿紛失)
ヨーロッパ・アジア・アフリカ3大陸の交差点
シ リ ア
1. アカバ・ワディラム ー アラビアのロレンス
2. ペトラ ー =インディー・ジョーンズの撮影にも使われた宝物館を持つ幻想の岩窟都市「ペトラ」
岩窟を縫って続く隘路シクを抜けると、突然眼前に現れるエル・カズネ(ファラオの宝物館)、色とりどりの
砂岩の山肌に刻み込まれた横穴式墳墓やローマ式劇場、柱廊通り
3. ケラク ー クラックデシュバリエ 十字軍の要塞
4. マケラス・メデバ
5. ネボ山=6世紀のモザイク地図で知られるマダバのセント・ジョージ教会、
預言者モーゼ昇天の山やネボ山
6. アンマン=「東洋のポンペイ」と呼ばれるジェラシ遺跡を見学し、ヨルダンの首都アンマン
7. ジェラッシ

レ バ ノ ン
1. バールベック=フェニキア人の故郷レバノンで「バアルベック大神殿

ヨ ル ダ ン
1. ダマスカス=紀元前2000年からの歴史を持つシリアの首都ダマスカス
メソポタミア文明期の出土品を展示する国立考古学博物館、世界最古のモスクの一つと言われ、
洗礼者ヨハネの首塚があるウマイヤド・モスク、十字軍時代の英雄サラディーンを祀るサラディーン廟など
2. ホムス
3. クラック・デ・シュバリエ=現存する十字軍の要塞の中でも最高傑作とされる、難攻不落
の「騎士の城」
クラック・デ・シュヴァリエ城
4. ラタキア
5. ウガリット王国の遺跡 ー アルファベット
6. エブラ
7. シメオン
8. アレッポ
9. ハマ=大水車
10. パルミラ ー ゼノビア女王を偲んで=砂に滅んだ隊商都市「パルミラ」

エピローグ
旧約聖書の旅-----柳澤保雄(朝日新聞事業株式会社代表取締役社長)

後書き:多才な女性、そして努力の人・片桐敬子----坂野貞夫
(エールフランス国営航空会社日本支社支社長付)

現地地図
あとがき
=================================
このエピローグはPCの記録に残っていた。
ーーーーーーーーーーーーー
誘われて 旅中の旅<追憶のヨルダン・シリア・レバノン>
文・写真 片桐敬子
史跡解説柳沢保雄
 (前紛失)
 その仕事の旅は楽しく有意義な旅であった。そして帰国後すぐに、お電話をいただいた。
「素晴らしい旅でしたね! ツールは早速お願いしましょう。ただし一つお願いがあります。
732年のツール・ポアチエの戦いの場所を探してください」 「はいわかりました」
政府観光局
やらツールの役所やらに問い合わせを続けたがはっきりしたことはわからず、
結局現地に飛び下調べをしたがはっきりしないまま。
 朝日新聞事業の旅中の旅の第一回(ピレネーを越えて)の旅のことである。初めての宿、
ツール・メリディアンでは、お客様はバスで到着後すぐにレセプション脇のラウンヂで、
まずウェルカムシャンペンで迎えられるーーーほんの十数分その地方のスライドを
お楽しみいただきながら、、、。
その間に荷物はすべて部屋に運ばれ、お客様にはロビーでお待ちいただくことなく、
チェックインは終了する
ことになる。これはホテル・メリディアン・チェーンの仕事を引き継いだ私が考えた小さな
サービスの最初の一つであった。
 翌日のバスツアーで、不思議な出会いがあり、見事、死の谷でツール・ポアチエの戦いの
場所に立つことが出来た一行は感激で一杯であった。

 こんなご縁で柳澤社長は、その後、私が辞めるまでずっとメリディアンをエールフランス共々応援してくだ
さることになった。そのご依頼は厳しいが、それがお客様に喜んでいただける良い旅を作る原動力と情熱に
結びついたと思っている。体を壊して会社をやめてからも柳澤氏との交流はつづいた。
 柳澤さんからの電話で突然に決めた今度の中東への旅は、ヴィザやらホテルやらでスタッフの方々を
てんてこまいさせ、私もまた出張のスケデュールの変更に国際電話が鳴り響きとーーー。
五日後には早機上の人となっていた。(このいきさつはプロローグに書いた記憶があるが紛失してしまっている)
 旅を創る立場から、作られた旅の一員としてグループ旅行に加わることになったのである。

 思えばこの旅は不思議な旅であった。
壮大な自然と歴史の中にあり、目では眼前に広がる砂漠と遺跡群を追い、耳ではアラブの風の音を聞き、
肌では灼熱の太陽と時の流れを感じ、あのアラブ独特の香りをいつも嗅ぎ---ヨーロッパの他の国とは全く
違ったその臨場感の中に浸りながら、心はいつもどこか違うところにあった。想いはいつもどこか遠いところ
にあった。
 人生の折り返し点を過ぎ、あと何千日かを残すだけとなったことを心の奥でズッシリと感じ始めていたから
かもしれない。
 
 一方では重いカメラを三台も首からかけ、疲労困憊の毎日で、中年の体力の限界と減退を試された旅で
もあった。
 「よっく途中で倒れなかったね!」 旅の終わりにいただいた柳澤さんの、はにかみながらのお優しいお言葉に
思わず涙してしまったものだ。

 その旅の記録が本となった。そして、この本は、はからずも、半生の追憶の記録となり、自己満足と独断の
旅の記録となった。お許し願いたい。
 なお、写真は、スケジュールが限られたグループでの行動の中で撮ったスナップであり、これもまた、
自己満足に他ならない。
=================================
この写真エッセイ本が十数年前に実現していたらと思うと残念である。
セ・ラ・ヴィ!

続きはクリック
by pretty-bacchus | 2006-02-23 23:59 | ♣Journey海外93シリアヨルレバ | Trackback | Comments(2)

シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅
2004.07.14

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(賞をとったペトラの写真と、世界遺産のDVD に採用されたカヴァー)

もう10年も前になるのだ。あの中東への旅は、、
 フランスの仕事を終え、ほんの数日出来た休みを、私は朝日サンツアーの旧約聖書の歴史の旅に
加わわることにした。
巴里からの私は、東京からのグループとローマ空港のトランジットルームで合流するという離れ業で
始まった旅は、想像を超えた旅の記録となった。

 シリアはアラビアのロレンスの舞台となったアカバ・ワディラムをかわきりに、ペトラ、
十字軍の要塞ケラク、
マケラス・メデバ、イエスキリストのネボ山、アンマン、ジェラッシ、レバノンレのバールベック。
 ヨルダンはダマスカス、ホムス、クラック・デ・シュバリエ、ラタキア、ウガリット王国の遺跡エブラ、
シメオン、アレッポ、ハマ、 ゼノビア女王を偲んでのパルミラ。 

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(右に立つ陰が柳澤社長)

 すでに60数カ国を仕事と休暇で歩いていた前半世紀の旅とははるかに越えた目から鱗の旅であった。
 コンタックスの重いカメラを3台首からさげてフーフーいいながらの旅であったが、
その写真のできばえは素晴らしかった。
 帰国してすぐに旅の記録をフォトエッセイストとして本にするようお話をいただいたが、
結局多忙にまぎれ実現しなかった。
 その本のエピローグの原稿の一部が古いマックにのこっていた。
一つの記録として、ウェブログに残しておこう。

  梅雨があけた暑い夏の初めに、誕生日の前日のパリ祭に、、、
  14 July 2004
____________
エピローグ
 (前半が消失している)

 フランスへのその仕事の旅は楽しく有意義な旅であった。そして帰国後すぐに、お電話をいただいた。
「素晴らしい旅でしたね! ツールは早速お願いしましょう。ただし一つお願いがあります。
732年のツール・ポアチエの戦いの場所を探してください」 
「はいわかりました」
政府観光局やらツールの役所やらに問い合わせを続けたがはっきりしたことはわからず、
結局現地に飛び下調べをした。

 (ピレネー山脈を越えて、サンチャゴ・デ・コンポステーラまで)の旅の、初めての宿となった
ツール・メリディアンでは、お客様は、レセプション脇のラウンヂで、まずウェルカムシャンペンで迎えらるーー
しばらくその地方のスライドをお楽しみいただきながらーー。
その間に荷物はすべて部屋に運ばれ、お客様にはロビーでお待ちいただくことなく
チェックインは終了することになる。

 翌日のバスツアーで、不思議な出会いがあり、柳沢社長の念願であった依頼の場所に見事、
死の谷ーツール・ポアチエの戦いの場所ーに立った一行は感激で一杯であった。

 こんなご縁で柳澤社長は、その後、私が辞めるまですっとメリディアンをエールフランス共々
応援してくださることになった。
そのご依頼は厳しいが、それがお客様に喜んでいただける良い旅を作る原動力と情熱に結びついたと思っている。

 突然に決めた今度の中東へ旅は、ヴィザやらホテルやらでスタッフの方々をてんてこまいさせ、
私もまた出張のスケデュールの変更に国際電話が鳴り響きとーーー五日後には早機上の人となっていた。
 旅を創る立場から、つくられた旅の一員としてグループ旅行に加わることになったのである。

 思えばこの旅は不思議な旅であった。
壮大な自然と歴史の中にあり、目では眼前に広がる砂漠と遺跡群を追い、耳ではアラブの風の音を聞き、
肌では灼熱の太陽と軒の流れを感じ、あのアラブ独特の香りをいつも嗅ぎ---
ヨーロッパの他の国とは全く違ったその臨場感の中に浸りながら、心はいつもどこか違うところにあった。
想いはいつもどこか遠いところにあった。

人生の折り返し点を過ぎ、あと何千日かを残すだけとなったことを心の奥で
ズッシリと感じ始めていたからかもしれない。
 
 一方では重いカメラを三台も首からかけ、疲労困憊の毎日で、五十の体力の限界と減退を試された旅でもあった。
 「よっく途中で倒れなかったね!」 旅の終わりにいただいた柳澤さんの、
はにかみながらのお優しいお言葉に思わず涙してしまった。

 そして、この本は、はからずも、半生の追憶の記となり、自己満足と独断の旅の記録となった。お許し願いたい。

 なお、写真は、スケデュールが限られたグループでの行動の中で撮ったスナップであり、これもまた、自己満足に他ならない。
終わり_______________

 いつか小さなフォトエッセイの本を出したいものである。

(梅雨明けの極暑の宵に。誕生日を明日にひかえたパリ祭に昔の記録の整理の途中で、、、、。)
 

 
by pretty-bacchus | 2004-07-14 00:00 | ♣Journey海外93シリアヨルレバ | Comments(0)

追憶はゼノビア女王を偲ぶ旅
2004.07.13

a0031363_202639.jpg
 
 ローマ帝国を敵にまわしたゼノビア女王。シルクロードの中継地点であったパルミラ王国は、やがて4世紀にローマに滅ぼされた。
そのパルミラの遺跡には今も夕陽が毎日沈む。
by pretty-bacchus | 2004-07-13 20:28 | ♣Journey海外93シリアヨルレバ | Trackback | Comments(5)