カテゴリ:♧Journey海外2000仏イタリア( 9 )

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>2000年12月サクレクール寺院と2014年の遠景
2015年1月28日 水曜日 曇り

http://keico.exblog.jp/20821302/
2015年1月27日 火曜日 雨のち晴れ お見舞い
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>2000年12月巴里サクレクールサクレクールの女神に祈りを込めて

 昨日のブログの<巴里サクレクールサクレクール寺院>の帰りには、
往時のパリを賑わしたモンマルトルのムーランルージュがある。

 パリの真ん中あたりのモンパルナスは1920年代の狂乱の時代、エコール・ド・パリの時代の
芸術家たちの中心地としても知られている。
一方この北のモンマルトル Montmartre は十八区でパリで一番高い丘。エドガー・ドガ、
スタンダール、アレクサンドル・デュマ・フィス、フランソワ・トリュフォーなど有名人が眠る
モンマルトル墓地、サクレ・クール寺院、画家の卵立ちが絵を描いているテルトル広場、
そしてキャバレー「ムーラン・ルージュ」、などなど、、、。
ルノワールやデュフィ、ヴァラドン、モーリス・ユトリロなど、多の芸術家たちを魅了し、
その暮らしの場となった特別な地区。

 そういえば、あれは1980年代初めだったろうか?
エールフランスの営業は、パリでムーランルージュのナイトショーを観るという観光ツアーをつくって
大勢のお客様を日本から送るイヴェントのようなことをした年があった。
あの音楽でフレンチカンカンを踊る女性や手品にお客様達は楽しんでいらしたようだ。
(その頃にはシャンゼリゼにあったナイト・クラブ・リドのほうが豪華スペクタクルの劇場だった)

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 (December 2000, Basilique du Sacré-Cœur Paris, 二十一世紀をあと数日にむかえるパリにて)

 この日の帰りは、モンマルトルの階段を少し降りた処にある当時の芸術家たちの想いを今なお宿す感じの
田園風の館のミュゼ、モンマルトル美術館へ寄って、十五区のアパルトマンまで帰った。
途中のトロカデロで2000年のエッフェル塔を撮って、、、。

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(聖堂の脇のあたり、、、、)
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(テルトル広場へ向かう小さな通りを抜けて、、、、)

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(モンマルトル美術館の中庭)
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(受付の女性)

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丘をおりるとムーランルージュの通りがある。
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街並みを走り、、、、
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ヴァンドーム広場を通って、、、、
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クリスマスイルミネーションのシャンゼリゼ通りを車で横切り、、、
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可愛いお店に寄って、、、、、
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最後はやはり記念にエッフェル塔の2000年を!
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 そして昨年のパリのサクレクール寺院。
一週間毎日雨だったのに、出発の日になって空が晴れてきた。
セーヌ左岸にある友人のアパルトマンのベランダから、北のサクレクールの聖堂も見通せる。

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(16 Dec. 2014 am10:49 Paris 朝日がパリの街を右から左へと明るくしていく、、、)

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(16 Dec. 2014 am11:18 Paris 空一杯に青空と白い雲が、そして遠くにサクレクールが!)

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(16 Dec. 2014 am12:49 Paris 望遠側いっぱいにしてサクレクールを)

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(16 Dec. 2014 pm3:05 Paris さあ〜〜日本へ出発の時間に、パリの街はすっかり冬の青空の下、、、)



http://keico.exblog.jp/20738585/
2015年1月16日 金曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年の巴里サクレクール

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2015年1月15日 木曜日 雨
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年のブローニー

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2014年5月27日 火曜日 雨のち曇り晴れ
1997年10月18日(巴里モンマルトルの丘の上、テルトル広場で)夜のテルトル広場

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2011年8月3日 水曜日 雨
簡易スキャンで夜の巴里モンマルトルと凱旋門を

 (★OldPhoto銀塩写真のデータ化が進む、、、、。


by pretty-bacchus | 2015-01-28 23:59 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback(1) | Comments(4)

★OldPhoto銀塩写真のデータ化>2000年12月巴里サクレクール聖堂の女神に祈りを込めて
2015年1月27日 火曜日 雨のち晴れ お見舞い

 雨の朝。
借景のシデの木に雨がふる、、、、。白秋の歌をくちずさんでいる、、、、。

雨はふるふる城ヶ島の磯に
              利休鼠の雨がふる
雨は真珠か夜明けの霧か
               それともわたしの忍び泣き


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(去年からこのカメラの調子が悪いが、え〜〜〜この画角とは?)

 なにやら切ない冬の雨。
夕方に友人のお見舞いに表参道の病院にいった。
歳を重ねることの切なさ辛さを話しながら、、、、。
でも彼女は次の旅への夢をすててはいなかった、、、。
早くよくなってくださいね。

 彼女が好きなパリのモンマルトルの丘の上のサクレクール寺院に祈りを込めて、、、、、。

 (病院の角でパリに住む古い友人とばったりあった。昨日パリからついたということで
再会を約してわかれた)

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〜〜〜写真をクリックすると冬の巴里の街とエッフェル塔がみえます〜〜〜

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(サクレクールから下る階段は何カ所かある、、、、、)

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(テルトル広場あたりをめぐる丘をこんなに可愛い汽車があったのだ。今もあるのだろうか?)

 (December 2000, Basilique du Sacré-Cœur Paris, 二十一世紀をあと数日にむかえるパリにて)

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2015年1月16日 金曜日 晴れ
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年の巴里サクレクール

http://keico.exblog.jp/20736205/
2015年1月15日 木曜日 雨
★OldPhoto銀塩写真のデータ化>1996年のブローニー


 (★OldPhoto銀塩写真のデータ化が進むにつれて、その日の思いにあった昔の写真が
沢山あってあっぷするのに時が必要がようだ、、、)


by pretty-bacchus | 2015-01-27 23:58 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(2)

四半世紀前の仕事ライフと十五年前の巴里を
2014年10月31日 金曜日

 神無月最後の日となってしまった。
先週にSTさんからメールをいただいて、ワインとお酒の輸出入についてアドヴァイスをして欲しいとの
ことだったが、ようやく出かけることができた。
細かい事務的なことや税務関係のことは私はまったく弱いので、
ながいこと貿易経験のある連れ合いと一緒に出かけた。

 青山一丁目の古い?新青山ビルの向こう側に十年ほど前に建った高層ビルの十二階。
ガードマン二人が立つ玄関のタッチパネルで、訪ねる部屋番号を押して中から確認されて広いロビーに入る。
ここまでは六本木ヒルズやお台場の友人友人の高層マンションと一緒。
ロビー右端にある受付嬢の脇を通ってエレヴェーターに乗った。あれ〜〜十二階が無い?
一度外に出て奥の方のもう一基に乗った12あり。押したがビクともしない。
え〜〜?
外に出てSTさんに電話をしたら、なんと受付嬢の脇にあるタッチパネルをもう一度押さないと
エレヴェーターが作動しないのだという。
このセキュリティ対策が売りでこの高層マンションが外国企業のVIPが多いのだという。

 これから貿易の仕事をしたいというT氏は三十七歳。
自己紹介のあと、彼の今までのお仕事と今後どんなことをしたいかをうかがった。
ご苦労をなさったあと、最近の十年ほどはお知り合いの会社で大きな実績をあげて、
子会社もつくり責任を果たせたので独立をしたいという。

なかなかの青年なのだが、なにかどこか違う、、、これがジェネレーションギャップというのだろうか? 
いやそれだけではない、、、。
フランスへいってまず美味しいワインを飲みたい、そして日本酒をフランスへ輸出したいということは
わかったが、、、。
STさんのお許しを得て、思ったことを話し始めたが、私はなんということか、
次々に立て板に水の如しでお説教じみたことを話し続けてしまったのだ。
“まず貴方は謙虚でない、、、”から始めて、、、、、、
最後は“今のままではまずフランスに行ってもすぐには無理ですね” とピシャリ!
嗚呼〜〜なんとしたことか、、、!息子がいたらこんなふうにいつもお説教をしていたのかもしれないなと。
でもきっとこの青年がどこか見どころがあると思ったのかもしれないのだが、、、わかってもらえないだろう、、、。

 一時間半ほどでお時間がないらしく先に帰られたので、STさんと三人でしばらく歓談。
STさんは五十代後半で、今の若い三十代の方々の思考と行動の善し悪しをいろいろ話してくださった。
彼等には彼等のルールがあるが、人間としての最低のルールは守って欲しいと思っているということだった。
わたし達が歳をとったのかもしれないが、なんだかどっと疲れてしまっておいとました。

 ポツリポツリと雨が降り始めて、隣の新青山ビルの東館に入った。
エールフランス&メリディアン時代に十五階のオフィスで十数年仕事をした思い出が甦った。
“真夜中によく迎えに来ましたね、、、”と連れ合い。
最後の六年間のホテルメリディアンチェーンの時代には何十カ国も回り、日本にいるときは、
真夜中までレポートを書き(まだPCで打てる時代ではなくタイプライターとテレックスの時代だった)。
ビルの警備のオジサンがいつもいつも心配をして一時間毎に見回りをしてくれたものだった。

 なつかしさのあまり一階の広場までいったが、植田いつ子さんのお店もケイフローリストも
どこもかも別のお店になっていた。
地下におりたら、昔よく行ったお蕎麦屋さんの<くろ麦>があったので入ってみた。
メニューは以前通りで、板わさとさつま揚げにお酒は剣菱のぬる燗、おそばは名物の三色蕎麦。
おもわず昔の事、、、といってももう四半世紀もたっていたのだが、、、をいろいろ思い出して
話し込んでしまった。

 戦後の日本で教育を受け、昭和の高度成長期に社会に出て、それぞれの道でそれなりの仕事で精進し、
バブルの波に乗ったわたし達は、平成の初めからの日本沈没にどっぷりと巻き込まれて
大きな人生を終えたような気がする。
そのほんの一部をぼちぼちとブログに書き始めているが、辛かった経験だけでは悲しいし、
自慢話になってしまってもいけないし、あくまでも謙虚に人間的にと思っているのだが、
年上の方とかお人によっては、そうは思わないのかもしれない、、、わたし達がさきほどの青年を
そう思ったように、、、。
そんな時はぐさりとお小言を下さる方はいらっしゃるだろうか、、、。

 雨の上がった青山通りを高齢者二人はとぼとぼと歩くのでした、、、。
カメラを持っていたのに一枚もシャッターを押さなかった十月最後の一日だったのでした。

 〜〜〜〜〜
(ブログ内で少し思い出を、、、、、)

 最初の旅はアブダビメリディアンのオープニングの準備の仕事。
一応、黒のパンツスーツと黒のアタッシュと仕事モードでいったのに、空港に迎えもあったのに、
税関で小一時間もまたされることになったのだった。
すでにあったヒルトンホテルやインターコン、シェラトンなどを視察したり、
当時中東で日本料理屋さんで成功していた方々にもお話しを聞いて、私は数日の間に、
マーケッティングをすませた。
帰りの機のなかで数十枚のレポートを書いて、帰国後すぐにパリの本社に送付。
その結果というか、幸か不幸か次のプロジェクトの為に、また私はクウェイトやアラブ首長国連邦、
シャルジャなどにも行くことになったのだ、、、、、、、、。

アブダビメリディアンのオープニングでは、商社や現地の会社の方をお迎えしての
レセプションもいくつかこなした。
当時の中山大使、JALの支店長の有賀さん、商社の知人などなど素敵な男性方に助けられて、
役目をこなすことができたのかもしれない。
翌日の現地の新聞にも大きく写真入りで報道された。

THE GULF NEWS 、1982年3月13日 土曜日のアブダビの新聞。
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 (王族、現地政財界、日本大使館商社関係等の何百人もの出席のこのレセプションでは、
わたしはなんと英語と日本語で長い挨拶をしたのだった。今考えると怖ろしいことだ!)


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(時は1980年代初め、普通でもあまり日本人がいかなかった中近東の仕事に、うら若き!細い
チャーミングな日本女性が、たった一人で空港におりたったのだから、それはそれは話題になった)

(天までも驚いたのか、翌日は砂漠に何十年ぶりの大雨が降った。外気は50度!
(右は外務省からの中山大使と左は日本航空の有賀支店長。私はこのレセプションの為に、
紺地に濃い渋朱色の切り替えの中に更紗模様を描いた着物をデザインして創った。
それにしてもなんと細かったか〜〜〜目をつぶってしまっていて残念、、、)
(この着物は後に巴里に住む友人のお嬢様にさし上げてた)


http://keico.exblog.jp/10694394/
2010年5月26日 水曜日 曇り後雨
中東への出張☆回想のわが巴里の街 1980~1990

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜詳しくは、これをクリックしてみてください。
http://keico.exblog.jp/5485974
つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu 2007.04.26

http://keico.exblog.jp/5626037
2007.05.22火曜日想い飛ぶ  リラの花咲く 巴里のころMemoires du Voyage-Paris

http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/14105309
2011年12月4日 日曜日
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

http://keico.exblog.jp/14105427
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり

http://keico.exblog.jp/14150458
2011年12月10日 土曜日 凱旋門
☆回想のわが巴里の街1965~1973 凱旋門に励まされての日々

http://keico.exblog.jp/14175732
2011年12月13日 火曜日
☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜メリディアンチェーン

http://keico.exblog.jp/14195254
2011年12月20日 火曜日 雨 
☆回想のわが巴里の街 ~ 我が人生を振り返って
 
~~~~~~~
★OldPhoto銀塩写真のデータ化
☆回想のわが巴里の街1990~2000

まだ未公開の、私の前世紀最後の巴里。2000年4月14日のパリ、リュクサンブール庭園の数コマを
(14 April 2000, Paris, Jardin du Luxembourg)
(ラ・ヴィレット公園、テュイルリー庭園、ビュット・ショーモン公園などと並ぶ最大級の公園で、
パリっ子の憩いの場の一つ)

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(散歩する日と、思う人、考える人、そして昼寝をする人、、、)

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(ジョルジュサンドの像の前で遊ぶ鳩くん)


 リュクサンブール公園にはフランスで最も古い養蜂学校があるんですって。
パリのアパルトマンを引き上げて数ヶ月後の春のパリ。この頃は、最晩年に余裕があって
健康に問題がなかったら、もう一度パリに住みたいと思っていたのだ。

http://keico.exblog.jp/9220441/
2009年11月8日 日曜日 晴れ
パリの蜂蜜、ボルドーの蜂蜜、「ばんけい峠のワイナリー蜂蜜計画」

http://keico.exblog.jp/5626037/
2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

http://keico.exblog.jp/14149612/
2011年12月9日 金曜日
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー世界遺産

http://keico.exblog.jp/19956599/2014年6月30日 月曜日
1996年パリと1999年12月の前世紀のアパルトマン




by pretty-bacchus | 2014-10-31 23:59 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(2)

初代のデジカメFUJI FinePix4700Zで撮ったイタリアの旅
2012年6月5日 火曜日 曇り

 どんよりした空。
わたしも今朝の空のよう、、、。
今日も一日中外に出ずじまいで、ぼちぼちと写真の整理とネットサーフィン。

 新しい2TBの外付けHDに写真データを全部写し終わった。

http://keico.exblog.jp/15452337/
2012年5月27日 日曜日 晴れ
MobileMe からiCloud への移行はしないことにしたが、、

途中が抜けているのは、数年前にオリジナルを入れたLaCieの三台がうごかなくなっているからだが、
そのバックアップを取ったのがあったので、かなり救われている。

 デジカメを使い始めた2000年のデータはその一部を現像して、ときどき少しだけブログにアップしただけなので、
それ以外のをいじってみている。
それにしても旅の記録は数百万画素の初期デジカメで充分に楽しめると思うと、進化する高性能だが
重い超高級カメラは、私のような素人にはもはや必要ないのかもしれない。
 
 云われるまでもなく最近の私のブログは書くことも撮る写真も中途半端で、自分でも腹がたっている。
なんだか一つも二つもパワーが入らず何かが抜けてしまっている。
超軽い簡単カメラのP510の画像も決して気に入ってない、
せてもRAWで取れるともう少し違ってくるのかもしれないが、、、。

それといって今のこの手ではNEX-5Nですら重く感じてしまうからいやになってしまう。
いやな二乗三乗で滅入ってしまうのではワタシラシクナイとむち打つのだが、いやはや、、、。
友曰く“ケイコサンそれが歳をとると言うことですよ”だそうで、
加齢ということに、もっともっと慣れなければいけないのだろう。
禅寺に出て数日お世話になろうか、、、。

 2000年のイタリアフランスの旅の初期デジカメの記録を少しばかりアップしておこう。

a0031363_223964.jpg (2000.12.09 pm2:28 パリ>ミラノの便の搭乗口で、、、)

a0031363_275362.jpg (パリ>ミラノの機内から眼前のアルプスと眼下の海と島を、、、)

a0031363_282174.jpg (さて、この山はどこの山だろう、、、)

a0031363_2105713.jpg (機内食の写真にあのお皿セットが写っていました。
ジャン・ピカール・ル・ドゥー デザインのBERNARDAUD製のリモージュのプレート)

http://keico.exblog.jp/14317646/
2012年1月2日 月曜日 晴れ
お年賀状をありがとうございました。

http://keico.exblog.jp/14339545/
平成24年1月4日(水) 晴
前世紀のエールフランスの食器と天馬

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 (今、手元にあるのはキャビアセット)

  〜〜〜〜〜〜〜
a0031363_2123161.jpg (翌日は早速に、修復なったレオナルド・ダ・ヴィンチの<最後の晩餐>を観に、、、)

http://keico.exblog.jp/821688/
2004.08.07のブログ
ダ・ヴィンチの面白さに朝の蝉を聴く

http://keico.exblog.jp/821807/
2004.08.07
ダ・ヴィンチ・コード、昨日の続き。最後の晩餐

http://keico.exblog.jp/1468175/
2004.12.23
数日を 残す週末 賀状刷る

http://keico.exblog.jp/3210620/
2006.02.19
ダ・ヴィンチ・コード

http://keico.exblog.jp/3461792/
2006.04.09
断りて 春眠むさぼる 日曜日

http://keico.exblog.jp/6809346/
2008年2月18日 月曜日 晴れ 
マックとカメラとレンズの整理

http://keico.exblog.jp/10584167/
2010年5月8日 土曜日 曇り
Memoires du Voyage 旅の写真を絵はがきに

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(夜は、スカラ座のギャラへ、、たった二日しかないミラノなのに、春子さんのお陰で、
ダフ屋からオペラのティケットを手に入り、天井桟敷でシーズン開幕の初日ギャラ オペラを愉しんでいた)


 翌日は早出でミラノからヴェローナ経由、北の街へグアジーニというアーティストを訪ねて来るまで走った。
#IMAGE|a0031363_221815.jpg|200803/14/63/|left|567|425#]






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a0031363_2152935.jpg (帰りはすっかりくれてしまって、ヴェローナ泊)


 そして小一時間のヴェニスまで車を走らせて最後のバポレット(水上バス)に乗って、
リアルト橋の近くのレストランへ、、、)

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  (水上バスの中で、リアルト橋を撮ろうとしていたら、反対車線?に水上バスが通った。
前の席で新聞を読んでいた男性が顔をあげて、光にゆれた、、、。向こうにリアルト橋が写っている。
バスのガラスと光のイタズラで面白い一枚となった、、、)

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〜〜〜〜〜

http://keico.exblog.jp/11629623/
2010年11月27日 土曜日 
黄葉に、晩秋のパリなつかしみ

http://keico.exblog.jp/9362569/

ヴェニスで「冠水」のニュースに、8年前のヴェネチアを思い出して、、、
2009年12月3日 木曜日 雨

http://keico.exblog.jp/8565033/
2009年7月4日 土曜日 曇り

週末は Memoire de Voyage

http://keico.exblog.jp/6896303/
2000年12月10~18日イタリアフランスの旅
2000年12月10~18日イタリアフランスの旅の整理中の写真

http://keico.exblog.jp/5961405/
2007.08.05 日曜日 晴れ
暑ささけ 思い出写真と 日曜日 

http://keico.exblog.jp/5914771/
写真の整理で 旅の記憶を ひもといて


a0031363_314343.jpg (雨の中に落とされ忘れられたバゲッジはパリの空港?)



by pretty-bacchus | 2012-06-05 23:59 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(12)

パリから羽田への便でお里帰り
平成23年1月3日(月) 晴

 初撮りは、部屋の中からの二カットだけの寂しい限りの写真ライフのはじまり。
朝から元気に飛び回っている枯れ木にあそぶ鳥をカシャッとするが動いていてなかなかうまくいかない、、。

 明日からの起動に向けて今日は一日リラックス、、、、。
本も少し読めて、やっぱり本っていいなって思いながら、、、途中でうとうと〜〜〜。
体も脳もお正月やすみなのですね^^^。

a0031363_2323212.jpg  (拡大すると、春の芽生えの蕾が見える!!)


 夜中に友人から電話で、パリからの羽田着の便で着いたとのこと、、、。
嬉しいわ、、、こうして日本に着いてすぐにお電話をいただくって、、、、。
(でも、お正月からさっそく予定以外の事がいろいろ出てきて、今年も忙しくなりそうだ。)
羽田からリムジンでも高円寺のご実家まで40分くらいでついてしまうというのだから、
やっぱり羽田便で便利になるのだろう。
でも真夜中に着くし、パリへの帰り便も午前1時なのだそうで、世の中はどんどん変わっていく。
良いことには便利なことには、すぐにトライするの彼女はほんとにえらいな、、、
一週間のご実家滞在でまたすぐにパリへ帰るというから、いよいよ東京〜パリも
近くなったものだ。

 横光利一の<旅愁>の頃は、ヨーロッパを旅行するには船で一月もかかっていたあのパリ。
萩原朔太郎の「旅上」の
「ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背広をきて
 きままなる旅にいでてみん」

フランスへは行きたくても容易には行かれなかった「ふらんす」は、
それはそれは遠かったのだろうと思うとため息が出てしまう。
詩篇が発表されたのは大正二年(1913年)というから、お婆ちゃんの若い頃の時代で、
フランスにもヴェニスにもあこがれながらそれもかなわず、嫁ぐことが女の道であったのというのだから、、
そしてその後のいくつもの戦争や震災を体験して子供を育ててきたのだから、
どんなにか大変だったと思うと、、、、。
なんだか新年からお婆ちゃん達のことを偲ばれてしまってしんみりとしてしまっている。
お裁縫をしながら、“恋はヴェニスの宵の夢〜〜〜”と歌っていた
おばあちゃんの声が聞こえてくるようだ、、、、。

春はヴェニスの 宵の夢
  涙に夢も 泣きぬれて
  さざれの真珠と
  なぞろう うたかたの
  哀しき船出を 慕うらん
(ヴ ェ ニ ス の 舟 歌 昭和初期に流行した歌だという)

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(10年前の2000年の4月のヴェニスの最終水上バスの中で、出たばかりのフジのデジカメで)
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a0031363_2353673.jpg  (ヴェネツィアのカナル・グランデに架かる4つの橋の一つのリアルト橋 Ponte di Rialto)
最終水上バウが通り過ぎていく、、、)



 時は移り、コンステレーションで三十数時間かかっていた五十年代のジェットセットは、
外交官と、岸恵子さんや松本弘子さんの時代、そして時がたち、1961年には
ボーイング707が南回りで経由でパリへと飛んだ。
東京 - 香港 - バンコク - カルカッタ - カラチ - クウェート - カイロ - ローマ - フランクフルト - パリと、
その南回りのエールフランス便で、私は1965年に初めてのパリの地を踏んだ。
そうそう、、、それを妬んである出版社の年上男性にいじわるをされたことがあったな、、、
パリってそれほど、行きたくても行かれないあこがれの都だったのだ。
そしてその後、ボーイング747が就航して70年代初めに、その地に四年も住むことになり、
それから何百回と訪れることになってしまうとは神のみぞ知ることであった。
(母も連れて何度もいっている)

http://keico.exblog.jp/9187764
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 

それが今では、お正月休みに、ちょっとパリから一時帰国して、またすぐにとんぼ返りができる
<誰でもすぐ行かれる都>になってしまったのだ。

 コンコルドが就航した70年代後半にふと考えたことがある。
東京パリを7時間で飛べば、同じ時間にパリに着くのだから、時空の時を<無>と考えれば、
まったく同じ時間にパリに着き、その日からすごせるようになる、、、のだと。
でもまだその日は来ていない、さてさてその日はいつ来るのだろうか? 
はやぶさの時代だ、それはまもなくやってくるのだろう。

フランスのコンコルド機生産中止を画策したのは、ケネディー大統領だったという話を
ずっと前に聞いたことがあるが、人類の夢も時として政治と経済の渦に巻き込まれるのだろう。
明日からはまた世の中が動き出す、、、どうぞ心豊かな時代が再来してくれることを願うのみ、、、

 < 初乗りの機で舞い降りたパリの友
by pretty-bacchus | 2011-01-03 22:53 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(8)

糸杉のはるかに夕陽モナリザの里
平成22年6月29日(火曜) 晴れ 29 June 2010

 6時モーニングコール、嗚呼!
これがツアーの辛い所なのだが、皆さんはもっと早くから起きているのだというのだから、驚いてしまう。
7時バゲッジアウト、8時ホテル発で、今日はおもしろい試みだった。
大きな荷物はバスにのりプラートまで、人間はミラノから、ユーロスターで2時間ほどのプラートという町に入った。

 プラートのドゥオーモのフィリッポ・リッピ (1406-1469)のフレスコ画が
数年前に修復が終わっていて、その観賞の為に寄り道をしたわけだ。
きれいに彩色が戻ったフレスコ画は圧巻だった。
それを見事に説明するMさんに脱帽。
疲れもふっとんでしまうようなひと時を過ごした。

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 〜〜〜〜
バスと合流して一路、トスカーナの中心地グレーヴインキャンティーへ向かった。
この村から15分ほどで、ヴィッラヴィーニャマッジオ Villa Vignamaggioに到着。
レオナルドダヴィンチのモナリザのモデルとなったゲラルディーニ家のリサの生家で、
近年それが実証される書類が発見されている。
11世紀にはワインを造っていたという記録も残り、ワインとオリーヴオイルは、それはそれは美味!
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 皆さんの出迎えをうけて、全員、モナリザの生家の赤いヴィラにチェックイン。
私だけが、レセプションの二階の小さな部屋で、これもやむおえないかもしれない。

 
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 (全員で記念写真)


 18時半から、ワイナリー見学と三種のワインの試飲、トッレヴィキエーレをとっているDOCGのカステロディモナリザ、
ヴィッラヴィーニャマッジオ、は両方とも美味!Villa Vignamaggio!
今年の樽は、それぞれ24樽、37樽しかなく、希少な貴重品ワイン。
日本へは年間数十ケースしか入ってこない。

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 糸杉とオリーブの木と野の花の咲き乱れる小道を2〜3分で、夕食の館に着く。
女性シェフのSandroが腕を振るってくれて、到着後初めての美味しいイタリア料理をいただくことができて、皆満足。

ヴィラへの帰りの道では蛍がとんで、満点の星ぞらに糸杉が揺れていた。

 〜〜〜
ゲラルディーニ家の子孫がイギリスへわたり、ゲラルディーニ家の息子>>フィッツジェラルドになり、
その子孫がアメリカに渡って、その息子がJFKジョンエフケネディーというのは、
どうやらこれも近年イギリスの学者が研究発表したという。

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<ドイツのハイデルベルク大学図書館は、2008年1月14日、
『モナ・リザ』のモデルが、フィレンツェの商人の妻・リザであることを裏付ける文献が見つかったことを明らかにした。
1477年に印刷された所蔵古書の欄外にフィレンツェの役人による「レオナルドは今、リザ・デル・ジョコンドの肖像を
描いている」という書き込みがあった。
この書き込みは1503年10月になされ、レオナルドが『モナ・リザ』を描いていた時期と重なり、
ヴァザーリの記事が裏付けられたことになる。
これにより、モデルにまつわる論争には一応終止符が打たれた[1][3]という見方が有力であるが、
それならばなぜすぐに依頼主に引き渡されなかったのかなど、依然として疑問が残る。

~~~~~~
前回訪れた折のブログは、(下記のラインをクリックしてくださると、そのページに飛びます)

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〜〜^〜〜〜
http://keico.exblog.jp/4567217
モナリザの里vignamaggio
モナリザの里で時代をさかのぼり
2006.10.14 火曜日 イタリア、トスカーナにて

http://keico.exblog.jp/5400672
2007.04.11 水曜日
花曇りの朝に祈りと感謝を込めてMemoires du Voyage-Italy
2007.04.11 水曜日 花曇りの朝

http://keico.exblog.jp/10737867/
平成22年6月1日(火) 晴れ
旅をクリエートする楽しみと歓び


〜〜〜〜〜
http://www.vignamaggio.com/english/news-vino.html#70

http://www.vignamaggio.it/index-english.html

http://www.vignamaggio.it/english/monna-lisa-leonardo-da-vinci.html


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More>>以下ネットよりプラート
by pretty-bacchus | 2010-06-29 23:30 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(0)

2000年12月10〜18日イタリアフランスの旅
2000年12月10〜18日イタリアフランスの旅の整理中の写真

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by pretty-bacchus | 2008-03-14 00:00 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Comments(2)

写真の整理で 旅の記憶を ひもといて
同じ原稿をカテゴリ違いの記録に
〜〜〜〜〜〜〜
2007.07.25 火曜日   オーシャンブルーの朝顔は八つ、、、

 大きな蝉の鳴き声で目が覚めた。
久しぶりの青空の朝、、、、、午後には暑い一日で、もうすっかり夏みたいな一日だった。

 2000年と2001年のイタリア、フランスの仕事の折り、ある芸術家とあった数枚の写真が必要になった。
ファイアーファイヤーで、写真のオリジナルを入れてある外付けのハードを立ち上げようとしたがマウントしない。
え〜〜?  どして〜〜〜〜、いろいろ試みたがダメダ。

デジカメ写真が増えるにつれて、ハードディスクが一杯になったので、数年前に、オリジナルデータを、
外付けハードディスクLA Cie200ギガに、そのバックアップを、さらもう一台のLa Cieに入れておいた。
現像したり、プリント用にいじった写真は、for Printというフルだーにいれて、内臓ハードにファイルして、
さらに外付けにバックアップを取っている。
こんなに注意しているのは、数年前にハードが突然クラッシュして、かなりのデータを失ったことがあるからだ。

 OSⅩ Tigerになってから、Spotlightで検索すると、繋げている全てのハードを探してくれるので、
いとも簡単に記録を見つけることができるから、一昔前と比べると手間も時間もかからない。

 そ、、、、それが、外付けがマウントしないのでは、話にならない。
20年のマック経験のノウハウ全てを駆使してもダメダ〜〜〜〜。
明日には、数枚の写真がいるのだ〜〜〜〜。
コンピュータがだめなら、脳内コンピュータに切り換えるしかない。
目をつぶって、脳内をぐるぐるまわす、、、、、。
え〜〜と、それ以前は? もっと前の外付けは? などなど、、、
なにせ、すくなくとも1992年ごろからの、仕事と個人のデータがギッシリとマックの中につまっているから
それを頭の中でたどっていくのも大変なのだ。
面をつぶって考えを巡らせること数分、、、、、、

 そうだ、写真は、外付けに移すときに、エイリアスをつくって、内蔵のハード内の写真のホルダーのなかに
いれてあるはず、、、。
あったあった、、、、、ともかく2000年と2001年の頃は、今のLaCieはなかったから、
ということはバックアップを以前のYANOかBuffaloの外付けに入れたのが残っているかもしれない。
あれ〜〜〜その外付けが見あたらない、、、、、。事務所においてあるのかしら、、、、。

 思わぬ所から出てきたハードディスクに、2000年からの最初のデジカメのデータが残っていた。
なんと最初のデジカメのFUJI FinePix4700Zのデータが全部入ったホルダーがあった。
よかった〜〜〜〜。
探していた写真が見つかった。

 と、ここで終われば全てよしなのだが、、、、。
BUT,But, ,,,,,,,マック狂、写真好きのバカな都会女は、他のデータに釘付けになった。
(世界初「スーパーCCDハニカム」搭載とうたわれた、このデジカメは200万画素だったのだ。)
(今では携帯電話も300万画素を超える時代なのだ)

撮ったことは覚えているし、プリントしたかもしれないが、それが今どこにアルか判らない写真が、
いろい〜〜〜ろある。
ミラノのスカラ座、『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、
機内からイタリアの半島を撮ったワンショット、
それに2000年12月にミレニアムのカウントダウンの特別照明に輝くエッフェル塔もある、ある、、、、〜〜〜〜。
結局少し整理をしてブログの記録に残しておこうと、真夜中まで格闘、、、、、。
 
 これが戸棚の中にファイルされていたら、こうはならなかっただろう。
やっぱりコンピュータとは、もう離れられない。

 (なにげなく、このフジのファインピックス4700Zをグーグルの検索で、このカメラを検索して驚いた。
7年前にでた、この初期のデジカメはなんと高かったことか、、、、。
それ以上に7年前にはこうしてグーグルですぐ情報が引き出せることなどはできなかったのだから、、、、)
http://www.fujifilm.co.jp/news_r/nrj592s.html

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 2000年12月9日の17:38分とExif データにある。
東京から乗り継ぎで、パリーミラノのフライトに乗ったのだろう。
外は雨に曇っていた。なつかしいパリの空港を窓から愉しんでいたら、
荷物を運ぶカートからスーツケースがひとつ落ちた。
誰一人気がつく人もおらずに、ずっとそのまま、、、。あの荷物はどうしたのだろうか、、、、、?

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たった二日しかないミラノなのに、夜には春子さんのお陰で、ダフ屋からオペラのティケットを手に入れて、
天井桟敷でシーズン開幕の初日(二日目だったかな?)のギャラ オペラを愉しんでいた。
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  翌日出発前に駆け込んで、修復が済んで二十数年ぶりに公開された最期の晩餐を鑑賞できた。
このデジカメではボケボケだったが、CONTAX G1+ホロゴン16mで撮った写真はきれいに撮れていて、
翌年の年賀状につかった。
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  2000年の12月からダイアモンド照明がされ、二十一世紀へのカウントダウンがはじまったエッフェル塔
(夕闇のトロカデロからシャイヨー宮、アンバリッドなどがのぞまれる)

 200万画素でも、こうしてなつかし記憶と思い出になる。
一瞬の写真が長い間の記録になり、のこされていく、、、、、やっぱり写真は素晴らしい!
by pretty-bacchus | 2007-07-25 12:03 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Comments(0)

日記から<レオナルドダヴィンチの最後の晩餐を鑑賞>
2000.12.11〜

ミラノでの仕事。
 昨年の今日は、新装なったレオナルドダヴィンチの最後の晩餐を鑑賞した。
15分の幸福に感謝!
フラッシュなしでカメラが許されてなんカッとか撮ることができた。

 夜はスカラ座で、
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by pretty-bacchus | 2001-12-13 12:13 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(0)