生きる歓び Plaisir de Vivre。人生はつらし されど愉しく美しく:♪JourneyAbroad海外2010
2016-12-06T00:38:26+09:00
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人生は辛く哀しいことが多すぎる。でもアール&プレジール・ドゥ・ヴィーヴル生きる歓びをめざしたい。心豊かに美しくいつも明るく生きていきたい。 Photo by Keiko Katagiri (奈良桜井の聖林寺十一面観音菩薩 国宝)
Excite Blog
NKさんの<パンテオン広場に夜は更けて>のパンテオン内部を
http://keico.exblog.jp/19888557/
2014-06-10T23:57:00+09:00
2014-06-11T04:01:39+09:00
2014-06-11T03:55:29+09:00
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♧JourneyAbroad海外2010
NK's PhotoBlogさんの
http://k7003.exblog.jp/9551012/
パンテオン広場に夜は更けて
を見て五年前のローマでのパンテオンの中を
- パンテオン、
小説の出発点として出てくるパンテオン教会、教会として転用されたため破壊を免れ原形をとどめた
ローマ最古の神殿
http://keico.exblog.jp/11013570
2010年7月20日 火曜日 晴れ 暑い!
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
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「イタリアの最も美しい村」オルタ・サン・ジュリオ
http://keico.exblog.jp/18526285/
2013-09-06T23:59:00+09:00
2013-09-08T04:20:23+09:00
2013-09-08T04:15:31+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
熱帯夜二十五度以下の夜は何十日ぶりだろう、、、。
稲妻もゴロゴロもなく久しぶりによく寝られた感じ。
少しかたづけものをして、夕方にAさんの車で銀座の画廊へ。
友人のR子さんは、昨年八月にご主人を亡くされた後に近親をお二人亡くされ、
先月には四つ下の妹さんも逝ってしまわれた。
全員ガンだったようで、それも全員手術が成功していたのに再発したのだそうだ。
なんだか私も自分のことを考えてちょっとブルーに。
暮れた週末の銀座から四谷経由赤坂へ。
車をあずけてしまって赤ワインと軽くパスタ&チーズ。
一緒に取材の旅をしたフランスやイタリアの話にも花が咲いて楽しい数時間。
涼しくなった夜にMacの調整。
現像していなかった2010年6月〜7月の写真も現像も少しだけすることができて、
秋の夜長の先取り、、、でもこんなペースではいつになったら旅の写真の整理が終わるのだろうか、、、、。
2010年のイタリアの旅は、東京からパリ乗り継ぎで北のトリノに入り、その後はバスで十日間をかけてローマまでという美術と美食&ワインの旅。
http://keico.exblog.jp/i37/
カテゴリ:JourneyAbroad旅海外2010 ( 31 )
旅の途中で少しだけ写真の現像は出来たが、web環境はあまり良くなくてブログのアップは
まだ中途半端のまままになっている。
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2010年6月27日 日曜日 晴れ
モーニングコール06:30.
アオスタの谷からノヴァラの郊外のオレッジオのサン・ミケーレ聖堂を拝してから
オルタ・サン・ジュリオへお昼すぎに到着。
オルタ湖は、南北10km、幅2kmの小さい湖。コモ湖よりもさらに小さい。
アルプスの山々に囲まれてたたずむ姿から「緑に包まれた小さな宝石」と呼ばれていて、
多くの観光客が訪れる景勝地。
(ホテルの窓からサンジュリオ島が見える、、、)
(サンジュリオ島の細い道から海を、、、)
(島から戻って港のそばで、、、)
(ホテルへの帰り道、、、)
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http://keico.exblog.jp/10927535/
2010年6月27日 日曜日 晴れ
「イタリアの最も美しい村」オルタ湖のサン・ジュリオ島へ
(オルタ・サン・ジューリオ(Orta San Giulio)は、イタリア北西部、ピエモンテ州ノヴァーラ県
(Novara)のコムーネで、人口約千人。ミラノの北西約85kmに位置する。
オルタ湖(Lago d'Orta)の東岸から湖に突き出た岬に築かれた街)
街には車は入れないから歩くしかない。街を端まで歩き、小さな船着き場からモーターボートに乗って数分の、
オルタ湖に浮かぶ美しい中の島サン・ジュリオ島へ。
「イタリアの最も美しい村」の1つに認定されている村。
その先には、サン・ジューリオ島(Isola San Giulio)の小島が浮かぶ。
四世紀以来の歴史のあるサン・ジュリオ聖堂で祭壇に手を合わせた。
〜〜〜〜〜〜〜
(最後にもう一枚は、
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読書と写真の整理は旅心をくすぐって
http://keico.exblog.jp/13429052/
2011-08-31T23:59:00+09:00
2016-12-06T00:24:45+09:00
2011-09-01T03:21:19+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
八月ももう最期の日となってしまった、、、、、。
夏休みの絵日記が終わっていない、、、、昆虫採集の箱入れのレイアウトがまだ、、、、、
植物採集は未だ新聞紙の中に入ったまま、、、、どうしよう〜〜〜おばあちゃん、助けて〜〜〜〜〜。
子供の頃の夢をみていてめ目がさめた、、、、ほんとうに昨日のことのようにチョウチョの羽根の色や、
トンボの目が迫ってきていた。
そんなことを友人と話していて、一つの言葉がどうしても思い出せなくて、、、、
積んであった本を崩して探した。
あった! 杉本秀太郎の「京都夢幻記」と「異境の空、パリ・京都・フィレンツエ」
京都に住む作家というか文明批評家で、雑誌にもよく記事をかいていらっしゃるし、
絵双紙とかアールヌーヴォーとかにも詳しい作家。
この小さな本「異境の空、パリ・京都・フィレンツエ」は、デザインを田中一光さんがしていて、
カヴァー絵が浅井忠さんだったから良く覚えていた。
「考えるというのはいつでも、思いがよそごとに傾く状態に陥ることである。よそごとを考えているときは、
私たちは今いる場所にじつはいないにひとしい。在は不在に、不在は在に、いれかわっている。
そして在は次々によそごとに食われて、絶え間なく不在に変わっていく。
それが考えごとの宿命であろう。
つねなる異郷の空のもとで、放浪、漂泊しているひとりの不在者の声が三都市のあいだに共鳴する、、、、、」
裏カヴァーに書かれたこの言葉を、海外で暮らしている友人と実感したかったのだ。
浅井忠のカヴァー絵のグレーの空と廃墟と水辺の赤い小屋と柳が生きてきくるこの一節!
十五年前の初版の時には、私はそれを読みこなせていなかったのだ。
歳を重ねると今まで見えなかったものもみえてくることもあるのだ。
今年の秋は少しまとめて本を読みたいものだ。
夕方になって桜さんからメールをいただき
http://blog.livedoor.jp/lasalledeconcert/
<落合桜 パリの風>
来月の音楽会のフォーレの演奏の時に、トスカーナの映像を映したいとのこと、、、、。
私の手術の時間に演奏してくださった、あのイタリア風楽曲「トスカーナのセレナード」。
http://blog.livedoor.jp/lasalledeconcert/ 3月30日のブログで
「トスカーナのセレナード」落合訳 ビュッシーヌ仏訳
イタリアに伝わる詩をビュッシーヌが仏訳しフォーレ曲をつけたのだそうだが、
その後彼女がフランス語訳をなさって、それをカードを創ってお送りしていた。
キュリアスメタルのA4より少し小さめのいぶし金のような用紙の上に、
桜のペダルを少しデフォルメして全体に散らして流し、、、
下の方にはすこしだけそのまま散らしてみて原紙とした。
二つ折りの中にフランス語と落合桜さんの訳をおいて、外は、曲の題名と桜さんのクリスチャンネームの
Sacra-Marie-Jeanneもそっと入れた。
表の左にはトスカーナのモナリザの生家のヴィッラヴィーニャマッジオ Villa Vignamaggio の
館の写真を入れたのだが、、、、
ブログでもかなりの数の写真をアップしているが、まだ未現像のものを探してみた。
去年の夏のイタリアの旅の写真は78ギガもあって、現像したのはほんのわずかで、
ブログにアップしたのは更に少ない。
その上、旅の途中はネットを使えなかったから、ブログで日記を書いたのがかなり後で、
日にちが前後していて、自分でみても、どの日が先か後かがわかりにくい、、、。
まあ、、それはそのままにしておいて、トスカーナのオルチャの緑あふれる数枚をみつけた。
いや〜〜〜いいですね、、、この空と緑と空気感は!
(あ〜〜早くまたイタリアに行きたいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!)
写真の整理は旅心を誘うことにもなる。
私にとっては「異境の空、パリ・東京・トスカーナ」かな?
(2010 June, Toscana サンタンティモ聖堂)
(右前方の高台にモンタルチーノの街が見えている)
堂内にたった一つ現物が残る深い彫りの柱頭は、カベスタニー作とされ、12世紀のもの。
この時期(12世紀)に、地中海各地でロマネスク彫刻を手掛けたカベスタニーの職人(Maitre de Cabestany)と
言われる彫刻職人さんの作品。
この職人が一人だったのか、もしくはグループだったのかわからないが、
その彫りの深い特徴のある柱頭は見事。
ここの柱頭は、狐目をした虎のような動物が今にも下に襲いかかってくるようで、
望遠はもっていなかったけれど、バックに入れた双眼鏡でしっかりと見てきました。
ラングドックやペルピニアン西部にわずかにのこっている名工のもの、
ピレネーの山懐のセラボンヌ、サン・ミッシェル・ド・キュクサ、サン・マルタン・ド・カニグーなどは、
(more>>>>セラボンヌの入り口柱頭)
エールフランスの機内誌の取材で訪れたことがあったが、それが何度も来ていたトスカーナの平原にあったとは!
〜〜〜
(2010 July Toscana モンタルティーノの聖堂)
そしてオルチャ渓谷に陽は沈み逝く、、、、
(2010 July sunset in Toscana)
(この日の夕陽もきれいでした、ヒトヒの無事に感謝して手をあわせました)
(1997
昇りつけた狭い丘の上にひっそりと建つロマネスクの聖堂、セラボーヌの入り口の柱頭)
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あのチンクエテーレの海の碧さがなつかしい
http://keico.exblog.jp/13057933/
2011-07-10T23:59:00+09:00
2011-07-12T03:22:11+09:00
2011-07-11T00:30:38+09:00
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♧JourneyAbroad海外2010
日の出 04時33分 : 日の入 19時00分
日の入りは19時でぞっととまったまま、、、何日続くのかしら、、、。
Iさんから絵はがきを二枚いただいた。
イギリスの旅を楽しんでいらっしゃるようで、なんだか羨ましい〜〜〜。
暑い、、、なんと36度をこした関東の都市があったとのこと、、、。
あ〜あ、一年前のあのチンクエテッレの碧い海がなつかしい〜〜〜。
去年の今頃はイタリアの旅から帰り、写真の整理を始めたが、まだまだ全部が終わっていない、、、。
それではと少し現像処理を始めたのだが、やはり碧い海から始めてしまって、、、ほんと先にすすまない。
(2010.07.02 am10:05 世界遺産のチンクエテーレ Cinque Terre の海の街PORTEVENERE着) (街を歩き突先の海へ降りてつかのまの海の色を楽しんだ)
(イタリアのリビエラ海岸にあるチンクエテーレはイタリア語で5つの土地を意味する。
街から街へは小さなボートで移動する、、、、これがまた楽しいのだ、、、。
なかにははしけのない船着き場のあって、岩に梯子をよこにして乗船下船して、それから岩をよじ登るようにして、街へのたどりつくところもある、、、)
http://keico.exblog.jp/i37/
2011年6月のイタリアへの旅の記録
この暑さに、お隣からいただいたカレーで簡単に夕食をすませてしまった。
だんだん横着になっていく自分におしおきをしなければなりませんね、、、、
夜に母とお中元のことでしばらく話した。
まだまだその風習は深く残っているようで、続けることが良いことなのやら、、、そろそろ数を減らした方が良いのやら、、、、母の年代ではむずかしい選択のよう、、、。
明日からの週は予定がぎっしりで忙しくなりそう、、、その上バースデーウィークでもあって夜のお招きもあって嬉しい悲鳴、、、、そんな内が花でもあるのでしょう!
今夜は早寝をいたしましょう、、、、。
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炎天や歩みすすめど道遠く
http://keico.exblog.jp/11145665/
2010-08-17T23:59:00+09:00
2011-03-31T03:47:38+09:00
2010-08-18T03:22:49+09:00
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♧JourneyAbroad海外2010
もう限界かなってちょっとぐったりしてる。
今日の気温は、さらに記録更新らしい。今年一番の暑さなのだそうだ。
日本列島は高気圧に覆われて晴れて猛暑日。
都心ではこの日朝の最低気温が28.9度というからなにおかしいんだわ、、、。
その上この暑さはしばらく続くのだそうだから、うう〜〜〜〜。
実は我が家の今年の空調は故障したままで、万全ではない。
いろいろの方に相談したが、もともとのセントラルヒーティングを直すのには、集合住宅故に問題が多すぎて、
その上最近は、近隣の問題とかもあるようで、一小市民にはいかんせんどうしようもない。
現代社会の大きなるつぼにすっとんと入ってしまった感じだ。
各戸、室外機を付いたクーラーを設置する事は出来るのはずだが、これが管理組合が禁止とかで、、
、
ほんとに、他のお宅はどうしているのだろう
かろうじて設置できた窓用のクーラーは、一つの寝室だけで、それも八畳用だから、とうてい他の部屋には及ばない。
各部屋に除湿器と扇風機を置いて、なんとかしのいできたが、これが実は今まではそれほどつらくなかった。
扇風機の風の心地よさを何十年ぶりに味わって、夜は外気の風がなんとなくくすぐったくて、、、
ほんと、、、、それがそんなにつらくなったのだ。
友人たちはあきれて、敬子さん死んでしまいますよ〜〜って、心配してくれて、
方法を考えてくれるがどうしようもないことがわかって、お昼にすずしいレストランに誘ってくださったり、、、、。
汗ぐっしょりになるから1日何度もシャワーを浴びて、上も下もぐっしょりの衣類は洗濯機で気持ちよくなる、、、、
汗と一緒に塩がふきだすのだろうか? 頭の上からだらだらたれた汗が時には目に入ると痛いし、
口に入るとしょっぱいのだ。
顔も腕も汗でざらざらになってしまったし、胸にはあせもができてしまった、、、。
やはり、ここにきて今までの疲れも出た上に、この猛暑日の連続でいささかまいり始めてきたな、、、。
外気温、室温にくわえて、都心のコンクリートや建物の反射熱もかなりあるから、とんでもない温度になっているかもしれない、、、
温度湿度計を何カ所かに置いてみているのだが、32~3度45パーセントくらいで、かろうじてとまっているようなのだ、、、
今までは、そんなに辛くなくて、子供の頃のクーラーの無い時代のことなどを思い出しながら、
自然児ぜんとしていたのだが、ここにいたって、、、、、、、、、、。
友人の別荘に避難する手もあるのだが、あまり迷惑をかけたくないし、それに緑たちがかわいそうだし、、、、。
ああ、、、残暑が怖い〜〜〜!
〜〜^^〜〜
外のあまりの蒸し暑さにまたまた外出をやめた。暑いなかを歩いたってなかなか先に行き着かないし、、、、
今日は新しい本を読み始めた。昼はすずしい部屋を独占して、小さな机をおいて、パソコンと本の山になってしまっている。
郁子師匠が、夏休みを終えられて、また俳句の添削をしてくださり始めた。
いつも、お〜〜怖わ! 厳しい〜〜! と思うも、ありがたくとても勉強になっていて嬉しい。
フランスにもイタリアにも詳しい先生は、今回のイタリアの旅のブログをとても喜んでくださったようで、
添削の御礼に、今日現像した新しい写真をあっぷしておきましょう。
いずれも、6月29日のプラートのドゥオーモの、フィリッポリッピの連作フレスコ画の
<聖ステファノと洗礼者ヨハネの生涯>の観賞のほんの数分の連射。
入り口から入って、右側を回って奥の間にある三面と天井のスナップ。
すでに、ブログでアップしているのに、後で追加することにしよう。
http://keico.exblog.jp/10930424
6月29日の当日のブログ
(午後三時半に着いた)
http://keico.exblog.jp/11062519
イタリアの旅の写真の整理を少し
2010年7月29日 木曜日
の写真と少しダブルかもしれないが、、、
こぶりなファサードの下の小さな木の門をくぐって中にはいると正面のもう<その部屋>がみえた。
「サロメ」が主題のこのフレスコ画の作品を、こんなに間近ではっきりと見たのは初めて。
洗礼者ヨハネの生涯「ヘロデの宴会」の画面は、左から右のほうに向かって時間の経過に従って、
三つの場面を組み合わせていて、サロメが三回登場している。
一番左にヨハネの首を載せる皿を準備するサロメ、真ん中に妖艶に舞うサロメ、
右には母ヘロディアに洗礼者ヨハネの首を手渡すサロメ、、、、、
(トリミングしてみたら、首ははっきりみえた)
(カラヴァッジオの<ヨハネの首を持つサロメ>の作品よりずっと好きだ)
リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』の第4場のサロメの踊り(7つのヴェールの踊り)の場面で、
一枚一枚ベールを脱ぎながら歌う少女が、預言者の生首に接吻するというオスカー・ワイルド原作の世紀末的退廃芸術と、
ヨルダンの広陵とした砂漠の中に、こつ然と現れたあの平らな丘の、
その現場とが一緒になって(十数年前の旅で訪れたのだ)、これで、私の中でのサロメへの旅は完結したのかもしれない。
しかし、それはうわつらだけの観賞と自己満足であって、
本当はもう一度じっくりと『新約聖書』を読み直さなければならないのかもしれないのだが、、、。
〜〜〜
more>>>
http://www1.kcn.ne.jp/~aida/Lippi/works.html
フラ・フィリッポ・リッピはイタリア・フィレンツェ初期ルネサンス、コジモ・デ・メディチ時代の画家。
http://www1.kcn.ne.jp/~aida/Lippi/works.html
フラ・フィリッポ・リッピはイタリア・フィレンツェ初期ルネサンス、コジモ・デ・メディチ時代の画家。
フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406年 - 1469年10月8日)はイタリア、ルネサンス中期、
コジモ・デ・メディチ時代の画家。ボッティチェリの師でもあった。
初期の作品はマザッチョの影響が大きく、当時、新しい技術である遠近法をマスターしていたが、
さらにゴシック的な装飾を加えていった。
フラ・アンジェリコが模範的な修道士だとしたら、フラ・フィリッポ・リッピは正反対であったといわれている。
画僧として活躍しながらも詐欺行為や修道女とのスキャンダルが多く、最後には環俗している。
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鳴けよ鳴け命の限り蝉たちよ (ヴァチカンの御ミサ)
http://keico.exblog.jp/11133956/
2010-08-14T23:59:00+09:00
2013-03-14T05:33:29+09:00
2010-08-15T21:22:22+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
蝉の合唱がなんとなく寂しくなってきた。
もう夏の終わりなのだろう。
精一杯に鳴くが良い、、、、
<蝉たちよ命いっぱい鳴くがいい
日の出も5時になってしまい、だんだん日中の時間がすくなくなるのだろうか。
記憶すべき日や事故が多く、心がいたむ8月ももう半分終わってしまった。
なんだか疲れきっているのに、どこかで何かが鋭くついてくる。
夏の疲れのひとつなのか、、、、。
イタリアの旅の写真は、ブログにアップするくらいの写真の整理は終わった感じで、
あとは何かの折に現像し直してプリントにしたりすれば良いかもしれない。
今回はメインはD90とD5000ダッタので、聖堂の鐘の音とか、チンケテッレの海の輝き等を動画に撮っている。
最後の出発の日のヴァチカンの御ミサも入っている。
祈りの気持ちを込めて再生してみた。
天井から燦々と降り注ぐ太陽の柱の下を、荘厳な音楽にのって枢機卿たちが歩む姿は美しい。
ブレブレの動画が3本あるが、その一つをiMovieで遊びYouTubeにアップしてみよう。
イタリアの旅の最期の日、空港へ発つ前の二時間をダン・ブラウンの「天使と悪魔」
<Angels & Demons Tour in Rome>の教会を数カ所周り、最期にヴァチカンを訪れた。
サンピエトロ大聖堂での17時からの御ミサが始まろうとしていた。
天上から燦々と太陽の柱が降り注ぎ、荘厳な音楽とパイプオルガン、そして枢機卿達が入場し始めた。
旅の締めくくりに遭遇したこの御ミサはなんだったのだろう。
偶然ではなく必然であったにちがいない。
お天気に恵まれて、素敵な旅仲間とご一緒に、イタリアの歴史とワインを訪ねて、
全員元気に帰国できたこの旅の無事に感謝を込めて、私は手を合わせた。
(iMovieからYouTubeの途中でどうもおかしくなってしまう、、、、アップは後になる、、、)
〜〜〜〜〜〜
http://この日のブログから
keico.exblog.jp/11013432
中ではオルガンが奏でられていた。
5時から始まった御ミサだった。
いただいた葉書大の60数ページの冊子には数枚の写真と賛美歌の楽譜があった。
CARDINALE TARCISIO BERTONE枢機卿の IN OCCASINE DEL 50TH ANNIVERSARIO
とあった。
(小冊子の表紙の絵は 誰の受胎告知なのだろうか?)
奇しくもこの御ミサにあい、思わず椅子に座り込んで頭を垂れて手を合わせた。
この荘厳な雰囲気は、カードを盗まれての地獄から、心の天国への切り替えのようだった。
深い思いで神に感謝して、、、、。
(詳しくは後から書いておきたい)
(高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m)
(5:30)
枢機卿達がおごそかに中に入り始めたが、後ろ髪を引かれる思いで外に出た。
永遠の都ローマの魅力は尽きず、またゆっくり訪れたい。
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みんみんじーじーつくつくぼうしニーニーも
http://keico.exblog.jp/11115316/
2010-08-09T23:59:00+09:00
2010-08-11T19:28:38+09:00
2010-08-11T19:28:38+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
少しだけ涼しくなった感じ。
最期の夏を蝉たちは感じているのだろう。
みんみん、ジージー、にーにー、、、、そしてオーシンツクツク、、、
うるさいほど鳴いているが、もうあとわずかだろう、、、今年の蝉を愛でて愉しむことにしよう、、、、。
月末からは忙しくなるだろうから、今の内に旅の写真の整理をしておこうと思うのだが、なんとも暑くてパワーがでない。
今回のイタリアの旅は、パリでの小さい仕事のあと、6月25日の真夜中にトリノについてツアーの方々と合流した。
翌日からのハードスケジュールは覚悟していたが、さすがにいつもより2時間遅い8時のモーニングコールで、
おりよく部屋の窓からすぐ前の建物の上から朝日が輝きだしていた。
東京よりかなり遅い日の出で今日は8時10分。日の入りは18;30分の暦。
出発は10時、この日はイタリアの北のアオスタ近くのスーザの谷近くのの一番高い山の頂上の聖堂が目的だった。
日本人はまだあまり訪れていないという、山の頂上に立つサクラ・ディ・サンミケーレ聖堂は、
サヴォア・ロマネスクのシンボル的存在ので、ピエモンテ州トリノ県サンタンブロージョ・ディ・トリノ町
Sant'Ambrogio di Torinoにある。
トリノ郊外北西方約42Kmのスーザ渓谷の、標高962mのピルキリアーノ山 Monte Pirchiriano 山にある
ベネディクト会の修道院で、サクラ・ディ・サン・ミケーレ Sacra di San Micheleは、建物と廃墟の集まり。
ピエモンテの最も面白い建造物のひとつといわれている。
(キウーザ大修道院 abbazia della Chiusa とも呼ばれる)
10世紀のイタリア人修道士グリエルモ・ダ・ヴォルピアーノ Guglielmo da Volpiano の設計という。
(この人は請われてフランスのモン・サン・ミッシェルを設計したとも)
イタリア語でサン・ミケーレ=フランス語でサン・ミッシェルで(大天使)聖ミカエルのこと。
イタリア版、モン・サン・ミッシェルというところなのだそうだ。
トリノの街から半時ほど走った頃に、右側にその山のあたりがみえてきた。
雲がかかっているというのは、きっとまだまだ遠いのだろう。
坂道をバスはすすんだ。
(写真は後で、、、)
さらに走って、、、、
(バスの中から遠くをスナップ。)
栗の木や、ゆりの木、ねむの木の大木が多く、赤い実の木、萩、猫じゃらし、レンゲがその下に茂っていて、
ときどき黄色いミモザや青い桐の花もみえて、夏の花々が咲き乱れて山の自然が沢山残されていた。
自然の豊かさ一杯の山道をバスはすすんだ。
(バスでかなり上ったところに天空に聖堂がみえてきた
(バスが止まった狭い場所から、、、、まだあんなに遠いのだ!)
(バスを降りてから木々の香りをかぎながら15分ほどで、休憩所についた。ここで11時31分。さあ〜〜ここからだ)
(大型バスなので、下の駐車場から半時ほど歩いてようかくここまで辿り着いた。ここで入場券チェックで、
これからあのてっぺんまで石の螺旋階段を上らねばならないのだと、、、)
この修道院は断崖絶壁の上にあり、いわば要塞状になっているようで、入り口は階段の上にあり、
必死に石段を一歩一歩のボリつめなければたどりつかない。
岩の上の急なモルティ坂、死者の階段 scalone dei Morti を登り、ロマネスク様式のレリーフがふんだんに施された
ゾディーアコ門 porta dello Zodiaco 門(1120年)に至ると、ゴシック様式の扉口がある教会の右側にやっとたどりつく。
(最後の後ろに倒れそうな急な石段を二十数段上りきったところにある門には、12世紀のゾーディアックの彫りが深く残っていた。
時計はすでに13時40分。 二時間も黙々と上りつめたのだ!))
(聖堂内、ことによったら撮影禁止の札があったかもしれません、、、
でもこういう時は夢中でして、、、、)
聖堂でロウソクに灯をともしてお祈りをした後は、また黙々と下ってくるわけで、、、、
(
帰り道には野の花が風にゆれて心をなごませてくれましたが、、、、
ここから、曲がりくねった細い道を半時ほど歩いてやっとバスが待つ場所へついたのだが、
なんと
私は最後で、皆さんをずいぶん長い時間をまたせてしまったのだった。
初日からもう顎を出してしまったのでした。
〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/10924850
2010年6月26日(土) 晴れ
山の頂上に立つサクラ・ディ・サンミケーレ聖堂へ
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イタリアの旅の写真の整理を少し、フィリッポ・リッピのフレスコ画
http://keico.exblog.jp/11062519/
2010-07-29T23:59:00+09:00
2013-10-11T23:51:22+09:00
2010-07-31T23:36:29+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
おや、もうオーシンツクツクが鳴き始めた。ニーニーゼミ、ジージーゼミ、ミンミンゼミ、、、、
が激しく鳴いているその間でときどきオーシンツクツク〜〜〜>
ツクツクボーシって、少し秋模様になってからと思っていたのに、ここ数年はその順序も変わってきているようで、季節感が違ってきている。
あまりの暑さに外出を控えて、夕方まで一日中家で、旅の写真の整理をして過ごすことが出来た。
銀塩時代は、六つ切りとか四つ切りに伸ばすとかなりの経費がかかって、
何十枚もプロラボにだすのはためらったが、デジタル時代になって自家プリントをするようになっては、
A3ノビまでできるから愉しさは増している。
大きくして楽しいのは、瞬間に撮ったときには気がつかなかった、
土地の人たちの姿や風土がかいま見られて、これがなかなか面白いのだ、、、、
時には小鳥が二羽ちゅちゅしてたり、とっても可愛い〜〜〜!
(聖堂内、ことによったら撮影禁止の札があったかもしれません、、、
でもこういう時は夢中でして、、、、)
スーザの谷、 val di Susa サヴォア・ロマネスクのシンボル的存在、
山の頂上に立つサクラ・ディ・サンミケーレ聖堂。
ピエモンテ州トリノ県サンタンブロージョ・ディ・トリノ町 Sant'Ambrogio di Torinoにある。
http://keico.exblog.jp/10924850
2010年6月26日(土) 晴れ
山の頂上に立つサクラ・ディ・サンミケーレ聖堂へ
今回は、手を合わせて一枚だけシャッターを押したのだからほんの1~2分あるかかないのあの間には
目に入らなかった壁画が燦然と現れたりして旅の歓びを噛みしめている。
プラートのプラート大聖堂ドゥオーモのフィリッポ・リッピのフレスコ画が数年前に修復が終わっていて、
本当に堪能することができました。
フィリッポリッピの作品の中では、聖母子像や受胎告知よりも、私は「サロメ」が主題の
このフレスコ画の作品が好きでしたが、こんなに間近ではっきりと見たのは初めてでした。
洗礼者ヨハネの生涯「ヘロデの宴会」の画面は、左から右のほうに向かって時間の経過に従って、
三つの場面を組み合わせていて、サロメが三回登場しています。
一番左にヨハネの首を載せる皿を準備するサロメ、真ん中に妖艶に舞うサロメ、
右には母ヘロディアに洗礼者ヨハネの首を手渡すサロメ、、、、、
モンタルチーノへ向かう途中の人けのない未開の自然のような林の前でバスを降り(大型バス禁止だから、降ろされてしまって)
数分坂を昇った場所にベネディクト派の修道院モンテ・オリヴェート・マッジョーレ。
静けさがただようこの地で、オリヴェート修道士会の伝統を今も守り続けるという修道士が規則に忠実な生活を送っているのだそうです。
回廊内にはルカ・シニョレッリ(Signorelli)と ソドマ(Sodoma)による連作の28面の
“サン・ベネディクトの生涯”のフレスコ画が見事。
〜〜〜〜〜〜〜
夕方からは、Nの会の事務局のお手伝い。
http://keico.exblog.jp/10930424
糸杉のはるかに夕陽モナリザの里
平成22年6月29日(火曜) 晴れ
http://keico.exblog.jp/10959459
ピエロ・デッラ・フランチェスカの名画「出産の聖母」
平成22年6月30日(水) 晴れ]]>
曇天にベランダ彩る黒揚羽
http://keico.exblog.jp/10956716/
2010-07-10T23:59:00+09:00
2010-07-12T21:33:09+09:00
2010-07-11T10:13:59+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
朝から黒揚羽がベランダをいったりきたり。
留守の間に朝顔の蔓はあっちへいったりこっちへ来たり、、、まるで一本の苗から咲いているみたい、、、
でも空は梅雨空で、イタリアのあの真っ青な一〇日間の空がなつかし〜〜〜い!
今回のイタリアはRAWとBasicの両方で撮ったので、たまにはRAW現像をしてみようと思ったら、
現像ソフトがおかしい。Capture NX2も再インストールをしろと言ってくるし、、、
最初からみそが付いてしまったな、、、、
ともかく撮ったSDカードは、持っていった外付けHDにバックアップしてあるので、
それをさらに別のハードディスクにダブルバックアップ。
4台のカメラだから、全部で六〇ギガもあって、おそらく一生全部を現像はしないだろう、、、、。
でも全部をざっと見て、ブログにアップしておきたいのをピックアップして作業を始めた。
今日は、旅の物を洗濯機をまわしたり、小物の片付けをしながらマックとにらめっこ!
私ってやっぱりバカだ〜〜〜!
最初は、480でしたが、やはり少し小さいので、いつもの640にして、それからweb用に保存で、
数十キロに落とすことにした。
色は少し転んでしまうが、枚数が多いからその方が良いだろう、、、と思ったわけだが、、、
まず出発の日から、
6月25日の、パリからトリノへの飛行機のエールフランスマークはやはり、
あの、映画「カサブランカ」の最後に出てくるマークと同じだった。
ということはどういうことなのかしら?
よほど古い飛行機だったのかしら?
詳しい友人にメールを送ったがまだお返事がない。
映画「カサブランカ」は、私が生まれるまえ第二次世界大戦の最中に製作されたハリウッド映画なのだが、
リバイバルを何度も観ている。バンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンが素敵。
パリでの車で走っているときの彼女のなんと美しいことか!
そしてリックが最後にイルザを逃した夜霧の中を飛び立つ飛行機のシーンは何度見てもなける〜〜〜〜〜。
♪”As Time Goes By."♪(「時の過ぎゆくまま」)はその代名詞にもなった曲。
このマークが原点のエールフランスのパリ・東京路線一番機が羽田空港に到着したのは1952年だが、なんと今度の旅のメンバーの中に、1956年には、イタリア、フランス、イギリスに旅をなさったというご長老Hさんが、いらしたのにはビックリ!
御年85歳の元気な素敵な方でした!
〜〜〜
写真の整理は一日目から始めたので、その日のブログに少し追加。
まだまだ時間はかかりそうだ、、、、、。
(pm8:59 飛び立ったばかりの頃、前のキャビンの左窓から)
(pm9:29 虹色の空のアルプスの上を飛ぶ〜〜〜)
(pm9:30 夕陽がマークを照らし始めた)
(pm9:34)
(pm9:36 後の方に真っ赤な太陽が一瞬見えた、、、、まもなく前方左に月が昇り始めた、
今日は満月なのだ!)
(pm9:37 月は真っ赤なのに、どうして白くしか写らないのだろう?)
(pm9:45 トリノ上空、まもなく着陸のアナウンス、、、、)
〜〜〜〜〜〜〜
この写真を6月25日のブログに追加
http://keico.exblog.jp/10902069
2010年6月25日 金曜日
旅立ちの記録
]]>
留守中にもブログを訪れてくださってありがとう!
http://keico.exblog.jp/10945833/
2010-07-08T23:59:00+09:00
2010-07-24T18:32:10+09:00
2010-07-09T03:17:59+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
10日間の旅で、ネットにつなげたのは三日だけ、それも短い時間でした。
その間いくつかのブログ記事しか書くことができませんでしたが、今日、
エクサイトのアクセス解析をみて、なんとも多くの方が訪れて下さっていることがわかりました。
ありがとうございました。
またこの暑さですのに、毎回コメントを書いてくださった何人もの友人に、心よりお礼を申しあげます。
コメントバックは出来ていませんがお許し下さい。
また、毎日の朝顔日記や日常の記録を書きながら、旅の模様を少しづつ描いていきます。
よろしくお願いいたします。
現在旅の記録は下記をアップしています。>>(更新しました)
(下記のラインをクリックしてくださると、そのページに飛びます)
http://keico.exblog.jp/10902069
2010年6月25日 金曜日
旅立ちの記録
http://keico.exblog.jp/10904424
2010年6月25日 金曜日続き
小さな旅は、人生の旅のほんの一時なのかもしれない
http://keico.exblog.jp/10924656
2010.07.04 日曜日
トスカーナからローマに着きました
http://keico.exblog.jp/10924850
2010年6月26日(土) 晴れ
山の頂上に立つサクラ・ディ・サンミケーレ聖堂へ
http://keico.exblog.jp/10927535
2010年6月27日 日曜日 晴れ
「イタリアの最も美しい村」オルタ湖のサン・ジュリオ島へ
http://keico.exblog.jp/10929316
平成22年6月28日(月) 晴れ
アラーニャ・ヴァルセシアからサクラ・モンテ・ヴァラルロ・セシア
http://keico.exblog.jp/10930424
6月29日 プラートのドゥオーモのフィシッポリッピのフレスコ画と、モナリザの里のヴィッラヴィーニャマッジオ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/10959459/
平成22年6月30日(水) 晴れ
ピエロ・デッラ・フランチェスカの名画「出産の聖母」
http://keico.exblog.jp/10961048/
平成22年7月01日(木)今日も青い空、暑い!
ルッカから海の町ヴィアレッジョへ
http://keico.exblog.jp/10966737/
2010年7月2日 金曜日 晴れ
チンクエ・テッレ Cinque Terreの島巡りツアー
http://keico.exblog.jp/10971766/
2010年7月3日 土曜日 晴れ
モンテ・オリヴェート・マッジョーレ聖堂とサンタンティモ聖堂へ
http://keico.exblog.jp/10977241/
2010年7月4日 日曜日 晴れ
モンテプルチアーノ>ピエンツア>ローマ
http://keico.exblog.jp/10924656
2010.07.04 日曜日
トスカーナからローマに着きました
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
http://keico.exblog.jp/10926746
平成22年7月05日(月)
炎天のローマの想い時越えて
http://keico.exblog.jp/10928891
平成22年7月05日(月)
ローマではやはり<プロシュートとメロン>
2010.07.05 月曜日 晴れ 猛暑
http://keico.exblog.jp/10930208
平成22年7月05日(月)
炎暑のローマの夜景を前に
http://keico.exblog.jp/10933961
2010.07.06 pm1400 in Rome
カード紛失、、、盗難か?
http://keico.exblog.jp/10945833/
2010年7月05日 月曜日
炎暑のローマの夜景を前に
http://keico.exblog.jp/10946009
2010年7月7日 水曜日 曇り
帰国して、旅を振り返って、、、、
http://keico.exblog.jp/11013432/
2010年7月6日 火曜日 晴れ
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
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帰国して、旅を振り返って、、、、
http://keico.exblog.jp/10946009/
2010-07-07T23:58:00+09:00
2016-12-06T00:38:26+09:00
2010-07-09T05:51:20+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
予定通りJL400便で帰国できた。
スムーズに税関を過ぎて出たところにリムジンバスの人がたっていて、
招かれるように五分後の東京行きのバスにのれた。
オークラに着くまでぐっすりと寝てしまったようだ。
かなり疲れているが、沢山の思い出と共に無事に帰れたことだけでよしとしよう。
昨日のローマは結局、使用停止の手続きを中途半端なまま予定通りの行動をすることにした。
16時にセダンを頼んであった。予定通りホテルを出発した。
空港にいく前の二時間を有効にすごせた(これは後述)。
カードの停止手続きは、ホテルのフロントで一応したが、どうも不完全な感じであったので、
JALのチェックインをすませてから、他の方のチェックインの邪魔にならないように、
人の並んでいないカウンターの人に事情を話した。
今までの何十年もの旅でハプニングはいろいろあったが、
ハンドバックの中に入れたおいたカードが盗難にあったことなどなかったから、
緊急の電話番号などはひかえてなかったのが悔やまれた。
事情を聞いた日本語を話せた人は(日本人ではなかったのかしら?
それともローマ生まれの日本人で現地採用?)
すぐに年配のイタリア人に話してくれた。
この方の対応は見事だった。
ブラックベリーを駆使して、まずイタリアのJCBに連絡したようで、次にかけた電話で、
私本人に変わったが、それがアメリカのJCBであったので、さらに日本の二四時間対応の電話番号を教えられて、
彼が電話をしてくれた。英語で事情を話して最後に私に変わった。
日本は午前二時頃のはずなのに、今度は丁寧に対応してくれた。
サーヴィスとは担当の人によるのだと実感。
JALのこの方にも丁重にお礼をいって名刺を交換して別れた。
また厳しい手荷物チェックとボディーチェックをすませて、長い長いローマ・フミチーノ空港の
ゲートまでの道はデューティーフリーの店で一杯だがあまり人は入っていなかった。
何もおみやげを買ってないので、何か、、、と思ったが、現金もあまりなくカードが無いので通りすぎで、
G11という一番奥のゲート側の待合室でようやく少しゆっくり出来た。
長くもあっというまの10日だった。
途中でパリに戻らずにすんだので、ヴィッラ・ヴィーニャマッジオ Villa Vignamaggio の後も
ツアーの方と四日間の旅をすることができた。
風光明媚な観光地も、十一世紀の聖堂もフレスコ画も、海も山も湖もすばらしかったが、
私がこの旅で一番学んだことは、これからの人生の生きき方だったような気がする。
10名全員が私よりも年上で、半数以上が80代半ばという方々の旅の仕方は素敵だった。
戦争経験もあり、おそらく人生の辛苦の経験も沢山おありだろうに、
皆さん強く明るく旅を楽しんでいらっしゃる。
なにげなく他の方のことを考えていて、バスの乗り方とか食事のとり方とか、
予定か狂うことがあっても不可抗力のことだとツアコンさんを責めることもなく、、、、等々、、。
そのことをローマでの最後の食事の時になんとなく話してみたら、そこがこの<楽しい仲間>の旅の素敵さで、
一般募集の旅ではこうはいかないことも多いという。
〜〜〜〜
搭乗時間二〇分前にゲートに。
西の空が燃えていた。
20時15分の搭乗前には、何機もの飛行機のはうか向こうに真っ赤な夕陽が沈みゆく寸前だった。
待合室でカメラバックを肩からさげたばかりだったので、カシャカシャ、、、、
昔のエールフランスのマークの機からながめた満月の真っ赤な月に迎えられて入った今回のイタリアでは、毎晩赤い夕陽に祝福されていた。
最後もこうして夕陽で送られることに感謝して手をあわせた。
(7月4日 pm407 トスカーナのモンタルチーノの村の夕陽)
マイレージでのフリーティケットなので、最後まで控えていて最後に機内に乗り込んだ。
“お世話になります”と挨拶をして座ったのは3Aで、12席あるファーストキャビン。
本来ならファーストクラスなのだが、この機はビジネスなのだそうだ。
機はなんとボーイング747-の古い古い機体。
おそらくジャンボジェットが就航した1970年頃の機かしら?
(あとでわかったのだが、コックピットやエンジン、客室内装などはあまり進歩していないが、第二キャビン以降も手洗いも新しくなっている747-400だった)
行きの機は最新の機体で、座席を動かすのも人体構造にそったウルトラソーサなのに、
この機は昔々の後ろにたおしのと、足をあげることしかできない。
その昔は、今はオフフォワイトの無機質な壁には、世界の都市が書かれていたり、
JALマークのツルがとんていたりした。
正面には洋服入れがあって、画面を手で操作して下ろしていたものだ。
螺旋階段を上った二階は操縦席の他にはソファーとバーカウンターがあって、
豊かな機内の時を過ごしたものだった。
まもなく最後の時を迎える運命の機のようで、年配のキャビンクルーと想い出話をしてしまった。
この機は九月には廃棄となるそうで、その行き先は飛行機の墓場といわれるアリゾナの砂漠だという。
最後まできちんと整備をしてアリゾナに送りとどけるときは、整備士も機長も涙なしてはいられないそうだ。
何十年も働いてくれた無機質な飛行機なのだが、そこにも心があるのだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ローマの最後に訪れたのは、サンピエトロ大聖堂。
夕陽を浴びて暑い中を聖堂に歩いた。
(2010.07.06.pm5:05 ノーファインダーで聖人像と太陽を)
中ではオルガンが奏でられていた。
5時から始まった御ミサだった。
いただいた葉書大の60数ページの冊子には数枚の写真と賛美歌の楽譜があった。
CARDINALE TARCISIO BERTONE枢機卿の IN OCCASINE DEL 50TH ANNIVERSARIO
とあった。
(小冊子の表紙の絵は受胎告知なのだろうか?)
奇しくもこの御ミサにあい、思わず椅子に座り込んで頭を垂れて手を合わせた。
この荘厳な雰囲気は、カードを盗まれての地獄から、心の天国への切り替えのようだった。
深い思いで神に感謝して、、、、。
(詳しくは後から書いておきたい)
(高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m)
(5:30)
枢機卿達がおごそかに中に入り始めたが、後ろ髪を引かれる思いで外に出た。
More>>>サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂は世界最大級の教会堂建築。
創建は4世紀で現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したもの。
高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積は49,737m²。]]>
無事帰国
http://keico.exblog.jp/10944624/
2010-07-07T22:33:00+09:00
2010-07-08T22:35:42+09:00
2010-07-08T22:33:02+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」をタクシーで二時間で回る
http://keico.exblog.jp/11013570/
2010-07-06T23:59:00+09:00
2013-03-14T06:05:44+09:00
2010-07-22T08:07:13+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
旅かばんの整理も終わり、写真の分類もほとんど終わった。
全ての現像はずっと先になるだろう、、、あるいはこのままになってしまうかもしれないな、、、。
お仲間だった皆さんに写真をお送りするのに、ヴィッラ・ヴィーニャマッジで撮った写真を使って
年間カレンダーを創った。
簡単なお礼状を書いてお送りすることにした。
(この時期にしないと、きっとずっと出来ないで、後々悔やむことになるのはわかっている、、)
皆さん人生の達人で尊敬できる方々なので、最年少だった私もちゃんとしておきたいから、、、。
それぞれ山あり谷あり、そして戦争経験という辛い思い出」があるに違いないのに、
ツアーの間中、
皆さんとても大人で、不愉快な事は何もおこらずに、時には阿吽の呼吸でお互いをかばいあっていらした。
主婦の方もいらしたが、キャリアウーマンだった方、許嫁が戦争に行ったまま今だに消息がわからない方、
ヴォランティアのお仕事を長いあいだしてらした方、ピアノの先生、お花の先生もいらした。
大きな食品会社のトップだった方と奥様もいらして、、、旅のベテランばかりだった。
<人生の旅>をじっくりと歩まれた方は、<人生の一時の旅>も謳歌なさるのがお上手なのだろう。
そして何が起こっても、ツアコンさんを信じている姿には頭が下がった。
私の旅のブログも中途半端なままになっていてちょっと反省、、、
あと半日、いや最後のローマの二時間のことを途中まで書いてそのままになっているので、
中途半端のままでも記録としてアップしておこう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
平成22年7月06日(火曜) ローマの最後の日の続き
(これは後で、この日付にファイルしよう)
結局、カード使用停止の手続きを中途半端なまま予定通りの行動をすることにした。
16時に車を頼んであった。
空港へ行く前に2時間だけ、ローマ市内を回ってもらう事にしてあった。
昨夜フロントのコンシエルジュに相談したら、まさに名コンシエルジュで、
数本の電話のあと手配をしてくれた。(こういうところは大きなホテルの良さだろう!)
<Angels & Demons Tour in Rome>という3時間ツアーがあるとのことだったが、と聞いたのだが、
先月で終わってしまっているとのこと。
ダン・ブラウンの「天使と悪魔」の場所を全部見ておきたいといったら、夜遅いのにすぐに電話機をもった。
誰かへの最初の電話で、その場所がどこかをきいて彼はさらさらとメモった。
〜〜〜
- Basilica di Santa Maria del Popolo (聖マリアデルポポロ教会
- Piazza San Pietro (サンピエトロ広場
- Chiesa di Santa Maria della Vittoria (聖マリアデッラヴィットリア教会
- Pantheon (パンテオン
- Piazza Navona (ナヴォーナ広場
- Castel Sant'Angelo (サンタンジェロ城
- il Passetto(イル パセット
〜〜〜
“Grazie; grazie mille, Lui lo sa bene ありがとうございます。彼はよく知ってますね〜〜!”
感謝するときは、あやふやでも知っているわずかなイタリア語のヴォキャブラリーを駆使する、、、
“sono コンシエルジュ!”(私はコンシエルジュですよ)
まいった〜〜!ありがとう!
そして二本目の電話で、数カ所のこの場所を伝えたのはホテル契約の運転手だったのだろう。
この「天使と悪魔」はミリオンセラーの「ダ・ヴィンチコード」の前に書かれた作品。
『天使と悪魔』の映画化は後で、2009年公開のアメリカ映画で、原作通りローマ中を駆け回る
おもしろい作品だった。
ヴァチカンを舞台に繰り広げられるストーリーだが、バチカンの怒りを買ってローマ市内の教会での撮影を
禁止されてしまったといういわくつき。
最終的にはナポリのカゼルタの宮殿をバチカン宮殿に見立てて撮影して、映画公開にあたって
ローマ教皇のお怒りはますますひどくなっているという。
新書判の表紙はオルヴィエートのドゥオーモにある最後の審判のフレスコ画(ルカ・シニョレッリ)
主人公のロバート・ラングドン役は、前作に引き続きトム・ハンクスが演じて、
ヒロインのヴィットリア・ヴェトラ役はイスラエル人女優のアイェレット・ゾラーが抜擢された。
というわけで、その場所を一回りしたいと思っていたのだ。
翌日16時にやってきたのは、あまりさえない、英語をほとんどわからない中年のイタリア人だった、、、
が、どうしようもない。
バゲッジを後に積んで、最後はフミチーノ空港までいってもらうことにした。
私でも持ち上がるバゲッジを彼はよろよろと、やっと積んだ、、、、、、
16:10 ホテル発。
“まず、コロセウムにいってください、それから、
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会→パンテオン→サンタンジェロ城→ナヴォーナ広場→
ポポロ広場と教会→"イルPassetto"といったのだが、
コロセウムも聞いてないし、全部は回れないとそっけない、、、、
不親切な運転手さんになんとか頼んで回ってもらったのは、
- 聖マリアデッラヴィットリア教会 のあと、
- パンテオン、
小説の出発点として出てくるパンテオン教会、教会として転用されたため破壊を免れ原形をとどめた
ローマ最古の神殿として有名、観光客で一杯でした。
次にあの
- ナヴォーナ広場
小説の中でもっとも重要なマーカーとなるナボナ広場の「四大河の噴水」は、
ベルニーニの傑作で誉れ高い彫刻。
何度かきているこの広場も、この小説以来見方が違ってきている見たい、、、
噴水の中央にそびえ立つエジプトのオベリスクは小説通りですがその上に鎮座する鳩は?
- サンタンジェロ城は、走る車の中からカシャカシャ、、、
(プッチーニのオペラ<トスカ>の最後の場面で、トスカが身を投げたのが、
このサンタンジェロ城)
- "イルPassetto"も外から撮って、
最後に
- サンピエトロ広場 で、 聖マリアデルポポロ教会にはいかれなかった。
30度をこしたといわれる真夏の太陽が燦々どころかがんがんと頭上に輝いているこのオーバルの広場は
聖人に見下ろされている。
(http://keico.exblog.jp/10946009/
2010年7月7日 水曜日 曇りの一部より、帰国して、旅を振り返って、、、、)
大きな太い柱で太陽をさけて、ようやくヴァチカンの門前へ。
ここでも危険物チェックとボディーチェックをうけて境内へ。
(肌を多く出している人は入場禁止!)
ローマ教皇庁の伝統的衣装のスイス傭兵が見守る礼拝堂を越えて、サン・ピエトロ大聖堂に入った。
サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro in Vaticano
<高さ約120m、幅約156m、長さ211の大聖堂>で、
まさに今始まったカーディナルタルチジオベルトーネの50周年のごミサを経験するとこができたのです!
天井から燦々と注ぐ光に、彫刻が踊っているような感じ、、、!
荘厳な賛美歌が歌われる中を枢機卿がお出まし初めて、説教が始まる頃まで、、、、
ほんの十数分を私は時々スナップを撮りながらも、椅子に座り込んでしまっていた。
常にいろいろな事を頭の中で考えていた今回の旅の最後に、こうして祈りの場所に辿り着いた偶然は、
きっと必然であったのだろう。
晴天に恵まれて、人々に恵まれて、太古からの自然の山や海に抱かれ、
イタリア2000年の歴史の場所に立ち、発展していく課程のローマ教会キリスト教の形として残って
修復なったロマネスクの聖堂とフレスコ画を堪能して、そして食とワインを楽しんでの10日間の旅。
まさにアモーレ・カンターレ・マンジャーレの気持ちで回った今回のイタリアの旅。
でも反面どこかでいつも、これからの事を考えていたのだが、その最後にこうして、荘厳なごミサに遭遇できて、
感謝の祈りをすることが出来たのはなんともありがたいことであり、
一つのけじめを考えさせられたと思っている。
少しできすぎているかもしれないが、ある大きな<ありがたい何か>が降りてきたような気がするのだ。
真摯にそれを受け止めて今後の人生をまた歩み始めよう。
~~~
帰国して、ヴァチカンのネットをみてこのごミサの事を見つけた。
CARDINALE TARCISIO BERTONE
http://www.zammerumaskil.com/catechesi/documenti-catechesi/il-cardinale-tarcisio-bertone-omelia-per-il-cinquantesimo-della-sua-ordinazione.html
http://translate.googleusercontent.com/translate_c?hl=en&langpair=it%7Cja&u=http://www.zammerumaskil.com/catechesi/documenti-catechesi/il-cardinale-tarcisio-bertone-omelia-per-il-cinquantesimo-della-sua-ordinazione.html&rurl=translate.google.com&twu=1&client=tmpg&usg=ALkJrhgi-1GcKFVxjU7OFErlUuONhH_3nA
〜〜〜〜〜〜〜
以下は、
http://keico.exblog.jp/10946009/
2010年7月7日 水曜日 曇りの一部より
帰国して、旅を振り返って、、、、
ローマの最後に訪れたのは、サンピエトロ大聖堂。
夕陽を浴びて暑い中を聖堂に歩いた。
(2010.07.06.pm5:05 ノーファインダーで聖人像と太陽を)
中ではオルガンが奏でられていた。
5時から始まった御ミサだった。
いただいた葉書大の60数ページの冊子には数枚の写真と賛美歌の楽譜があった。
CARDINALE TARCISIO BERTONE枢機卿の IN OCCASINE DEL 50TH ANNIVERSARIO
とあった。
(小冊子の表紙の絵は受胎告知なのだろうか?)
奇しくもこの御ミサにあい、思わず椅子に座り込んで頭を垂れて手を合わせた。
この荘厳な雰囲気は、カードを盗まれての地獄から、心の天国への切り替えのようだった。
深い思いで神に感謝して、、、、。
(詳しくは後から書いておきたい)
(高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m)
(5:30)
枢機卿達がおごそかに中に入り始めたが、後ろ髪を引かれる思いで外に出た。
More>>>サン・ピエトロ大聖堂
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
More>>- サンタンジェロ城
サンタンジェロ城(聖天使城)の名前は、590年にローマでペストが流行した際、
時の教皇グレゴリウス1世が城の上に剣を鞘に収める大天使ミカエルの姿を見てペストの終焉を予感した、
という故事に由来するそうです。
プッチーニのあのオペラ<トスカ>の最後の場面で、トスカが身を投げたのが、
このサンタンジェロ城なのですが、友人のHPよると
<空砲による見せ掛けの処刑が終わり、トスカはカヴァラドッシに駆け寄ります。
しかし、処刑はスカルピアの密命により実弾で行われ、カヴァラドッシはすでに死んでいました。
あまりのことに気も狂わんばかりのトスカ。
そこへスカルピア殺害の犯人であるトスカを追って密偵スポレッタや警官達が迫ってきます。
そしてトスカは「スカルピア、神様の御前で!」との言葉を残し、屋上から身を投げるのです。
昔の解説書には「トスカは屋上からテヴェレ川へと身を投げた」と書かれていたものですが、
現場に来てみればとても無理。トスカが飛び降りたのはカッサ(受付)の前でしょう。>
http://www.youtube.com/watch?v=Q1fqVEgXlNg
http://www.youtube.com/watch?v=PUvPm0xKdv0&feature=related
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カード紛失、、、盗難か?
http://keico.exblog.jp/10933961/
2010-07-06T15:36:00+09:00
2010-07-06T22:39:50+09:00
2010-07-06T22:39:50+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
in Rome
暑い!
冷房がききすぎるので、低くして二度寝をしたら、今度は汗で目が覚めた。
いつものように、手持ちのバック代わりとオーヴァーナイトバックから支度を始めた。
緊急用に持ってきた、ムシコナーズや軟膏や湿布薬、スリッパや歯ブラシは捨てて、少しでも荷物を軽くする。
いつのころからか、大きい荷物は一つ、機内持ち込み一つと、バックが入った小さなショルダーを一つに決まっている。
一人で運べる数と大きさはこれだけだろう、、、、
チェックアウトにフロントにおりてカード入れをだしたら、いつものカードがない。
そのうえ、カードいれのカードが三枚中から飛び出している。
5枚持ってきたので、そのうちの二枚が抜かれたのだ。
JCB-JALグローヴァルカードとDCカード。
バックの中を探したが無い!
ペンケースもない!
う〜〜〜ン、ローマでか?
ともかくフロントからJCBローマプラザに電話をしてもらったが、出発を前に時間がないのに、とても事務的でいらいら、、、
そういえば、ローマについたからおかしな事が数回あった。
部屋に帰ったら、荷物の位置が少し動いていた。
次は、ベットサイドの壁の電球が落ちていた、、、、
気になったがたいした事は無いので、そのままにした、、
バックはいつも持っていたが、チェックインの時に長い間床に置いていた。
あとは、手洗いにいくときに、ツアーの人の側に頼んでおいておいただけ、、、、
う〜〜んん、
これから食事で、4時にはホテルをでる。
これが最後のローマでのブログになるだろうに、、、、
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炎暑のローマの夜景を前に
http://keico.exblog.jp/10930208/
2010-07-05T23:34:00+09:00
2010-07-14T19:24:33+09:00
2010-07-06T07:51:49+09:00
pretty-bacchus
♧JourneyAbroad海外2010
午後十時半。
結局ホテルの十階のレストランで夕食をすませた。
ちょうど夕陽が沈んだ後の9時半のローマの空はきれいで、一番星がきらきらと輝き始めた。
空の壁から出てくるように、ツルのような白い鳥が何十羽も舞い飛んでいるローマの夜は素敵だ!
D5000を持ってきていたので、カシャカシャと食事をしながら撮りまくった。
(帰国してからのアップになるでしょう、、、)
>>>
(一番星がきらきらと輝いていた)
今夜は、親指ほどの子だこのサラダと、ニョッキ、デザートはマチェドニア、
最後にカモミールを飲みながらマックで遊んでいる。
40席ほどの席の半分はうまっていたが、なんと一人だびの人が多いのだろうか、、、
味はまあまあだが、そのサーヴィスはひどいものだった、、、、
まあ、不況のイタリアでは仕事のモチベーションも落ちているのだろう、、、。
四つ星ホテルでこれだから、あとはおして知るべしか?
ローマで一番美味しいというRというレストランにいく予定だったが、独りででかけるのを躊躇した。
一人旅のちょっとした感で、危険をさけられるのならそのほうが良い。
なんとも臆病になったものだ。
7月のローマは静かだと言う。
パリと同じでローマっ子はヴァカンスに発ち、あとの街には観光客が世界中からおしよせる。
このホテルもいろいろな肌の色の人々がロビーやレストランを闊歩している。
大きなホテルの一つのおもしろさかもしれないが、どうも疲れる。
客ぶりもホテル側も、ずいぶんと様相が変わってしまったような今回のローマ。
部屋も最悪で一晩中エレヴェーターの音がきこえる。
朝があけると反対側の窓から工事の音、冷房の調整も良くないし、どうも風邪気味、、、、
でも、これがイタリアなんだ、いやローマなんだろうと思うと腹もたたないし、、、
郷に入ればなんとやらが一番良いのだろう。
あまりの暑さに外にでるのをやめて、一日部屋でゆっくりした。
かおちゃんのコメント通りになってしまったがそれでよいのだと、、、
ローマにやってきて観光をしない日本人が一人くらいいたっていいかもしれない。
今度の旅もまったく別のツアーとは違っていたのだろう。
全員、何度もイタリアに旅している方で、今回はフィレンツエもピサもシエナもアッシジも、
一般的な観光地は素通りだった。
こんなツアーがあるのだと妙に納得して嬉しくなった。
皆さん旅慣れてらして、ツアーマナーも心得ていらして、最後まで気持ちよい旅をすることができた。
モナリザの里は、なんとなく私が説明役だったが、あとはMさんが旅の名所や聖堂の説明で、これが素晴らしかった。
彼とは15年前に数日北欧の旅にご一緒させていただいているが、その時よりも一回りも二回りもツアコンぶりも知識も
大きくなっていて、とくに彼の聖堂やロマネスクやゴシック、はたまたイタリア史にいたっては舌を巻いた。
彼の創る旅を毎年待っている人が多いというのも納得だ。
昨日の最後の夕食で、なんとなく同席の方にいろいろうかがってみたら、やはり、
この<たのしい仲間>の旅は一味も二味も違う事がわかった。
その昔1980年代初めに、Y社長が新しい旅の形を創るお手伝いをさせていただいたのがついさっきのようで、
皆さんはその頃からのお客様のようで、今はなきOさん、Kさんの名ツアコンのお話にも花が咲いた。
海外への旅人の年間数がその当時の何倍にもなっているのだから、何度も旅を楽しみ人が増えているのだろうが、
今の若者の数は減っているという。
失われた二十年の影響は大きいのだろう。
〜〜〜〜
涼しい風が吹いてきた。
23時、そろそろ部屋にかえるとしよう。
これから29日の記録をかけると良いのだが、、、、
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6月29日 プラートのドゥオーモのフィシッポリッピのフレスコ画と、モナリザの里のヴィッラヴィーニャマッジオ
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