2011年 12月 05日 ( 4 )

☆回想のわが巴里の街 今回パリの初日に
2011年12月5日 月曜日 その三 a0031363_21252852.gif

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そして今日の巴里、
05 December 2011 Paris


 早くに着いてしまったが、ご好意ですぐにお部屋にに入れた。
ジュニアースイートなのだが、古いホテルだし改装の限界があるのでかなり古めかしい。
何十年も前からオーナーと知りあいのホテルだが、2000年までアパルトマンがあったから、
この右岸のホテルに泊まるのは何十年ぶりだろうか、、、。

Fさんご家族と一緒の時はホテルドゥクリヨンだったし、もっと前はいつも四つ星とかをあえてえらんでいたから、、、、
そうだ、、、高橋先生をワインアリーにご案内したときだから二十年もまえになる。

a0031363_843325.jpg (50数部屋の三つ星ホテルで、ちょうど私たちがパリに住んでいた頃にオープンした。

四つ星とか、現代的な大ホテルチェーンとは違ったシンパシーがあるのが良いし、
なにより入り口が一つでいつもレセプションが必ずいるから治安も良いのだ、、)

 フロントのダニエルとマリーフランスと旧交を温めて少しお部屋で少し休んだ。
半時ほどで荷物をとき、滞在のためにアレンジした。上着とコートは洋服ダンスへ、下着はアルモワールに、本は机の上に、etc,etc.
Mac用の机に電気スタンドをいれてもらって、読書用の電球は六十ワットに変えてもらった。
とにかく巴里の明かりは暗いのだ、、、、。
三日以上の滞在の時にはこれをしておかないと後々すごしやすくならないのから、、、。

 十時半には下に降りて朝食。
まだ本調子では無いので、今日はゆっくりホテルですごそうと思ったが、水がないし、、、それに雨があがったようだ。
朝食のあと少し休んで、ミネラルウォーターを買いに街にでることにした。
大通りに出て左に曲がったところに、たしかモノプリがあったはずだ。

 雨が上がって太陽が出てきた。
水たまりに映るパリの建物がなんともなやましい、、、、。

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クリスマスシーズンなので、本屋さんでは贈り物ようの本がならんでいる。
杖をついたおじいさん、会社へのとちゅうのおじさんが、本をパラパラ、、、。

a0031363_8495724.jpg  (お孫さんへのプレゼントを探しているのかしら?)

a0031363_8503656.jpg (こちらは奥様への贈り物?)


キオスクのお店はあいたばかりか、おじさんが忙しそう、、、
〝ボンジュール ムッシュ!〟
〝ボンジュール マダム!〟
この掛け合いはすでに私は巴里の人!

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a0031363_8532285.jpg (本屋さんの入り口の、ジョブズさんにボンジュール!)


 ミネラルウォーターを六本も買って、ヨーグルトと牛乳も、、、。
今回は荷物持ちとボディーガートががいてくれるので、わたしはカシャカシャの人!

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(この通りは古い建物が残っている。 はるかに高いところの屋根とライオンを撮ろうと構えたら、冬の雁が飛んでいた!)

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 ホテルに帰って、さっそくにMacに向かったのだが、ネット接続は、SWISSCOMというプロヴァイダー経由だそうで、一週間で88ユーロ(約9,500円)。
アップルストアーもすぐ近くのようだし、ネットカフェのWifiもあるようだが、ともかくもパスワードをもらって、メールのチェックと友人たちのブログを訪問。

 テレビのFrance2では、古い映画が始まったようで、BGMにしておいてフランス語に耳をならそう、、、
それにしても、日本ではうるさいと思ってしまうテレビの音が、なんとも気持ちが良い、、、。

 数人に到着をしらせて、アポイントの確認をすませた。
今日はお部屋でゆっくりしましょう、、、。
若いときと違って、その上病後で、風邪っぴき、、、、限界までの挑戦なんてやめましょうね、、、。

でも、御部屋でブログをどんどん書きましょう、、、、ね。
イヴ・モンタンの<パリ巴里、、>を聴きながら、、、、。



~~~~~~
2011年12月5日 は
http://keico.exblog.jp/14105468/
機内からのレポート
2011年12月5日 月曜日 パリへ出発

http://keico.exblog.jp/14105427/
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり


〜〜〜〜〜〜〜
by pretty-bacchus | 2011-12-05 23:58 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(4)

☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
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http://keico.exblog.jp/14105468/
前ページからの続き、、、
2011年12月5日 月曜日 パリへ出発

 予定時間より早く着いたJL041便。
しかし、ナショナルキャリアーでない機は時としてそういうことになるのだが、駐機場まで暗い雨の空港の敷地を進み、
端っこの方に到着したのはその十五分後、そして一階に下りてリボンで区切られた卍のような柵にそって進むこと四十五分にして
やっとパスポートコントロールに着くことができた。
バゲッジも一番奥の三十番、また戻って四十番の先が出口というわけで、もうくったくた。
国際線なのに、荷物の検査も無く押し出されるようにタクシー乗り場についたのは、機が着陸してから一時間十分もたっていた。

 真っ暗な早朝なのに、タクシーのりばは手配のおじちゃんがいて、ワゴンタクシーをくださり、
一路雨のオートルートをひた走り始めたのだが、すぐに渋滞がはじまってしまった。
時計を現地時間にあわせて、六時五十分。
運転手さんはとても親切な太っちょのおじさん、ですまなそうに、こんなに朝早いのに事故ですかね、、、とか、
いろいろ話してくださる。
遅々として進まず、、、途中でペリフェッリク(外環状)に入るのをやめてもらって、懐かしのホテルメリディアンパリのある
ポルトマイヨーで降りてもらって、凱旋門をぐるっと回ってシャンゼリゼを下ってもらった。

 凱旋門ってやっぱりすごい存在感だ! タクシーの後ろの席からカシャカシャ、、、、。

a0031363_6522488.jpg  (この凱旋門に励まされて、泣きながら仕事場に向かったのは四十年前!<<<後日書いておきましょう)
(05 December 2011 Paris am8:12 Arc de Triomphe)

(タクシーの席の間から撮った動画はあとでアップできるかな?)




クリスマスイリュミネーションは夜だけのようで、四キロをくだってコンコルド広場へ。
ロンポアンからは両側ずっと<クリスマスの家>が続いている。

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a0031363_22392071.jpg(ようやく少し夜が明けてきたようだ、、、、冬のパリの日の出は遅い、、、)
 (05 December 2011 Paris am8:15 Place de la Concorde>

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 セーヌ川を右手にちらりと見ながら、ここをぐるりとまわって、左折してマドレーヌ寺院につきあたり右折。
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(05 December 2011 Paris am8:17 Place de la Madeleine >

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(05 December 2011 Paris am8:17 Place de la Madeleine >

キャプシーヌ通りの角のカフェドゥラペ、
(真夜中までにぎあっているこのカフェをこんなに朝早く通ったのは初めてだ、、、)

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(05 December 2011 Paris am8:19 Cafe de la Paix >

オペラ座を左に見てブルバールデイタリアンへ。
しばらくして左折してさらに左折でブルバールホースマンへでて、
すぐに左にまがった細い道のホテルに到着。
なんと空港から一時間四十分もかかってしまって、こんなことは長い巴里の経験では初めてのこと。
<想定外>のことでした。

 知り合いのホテルなので、前日は予約をさけてくれたようで、すぐにお部屋に入ることができてほっと一息、、、、。
今回は友人のステュディオと、友人のホテルにお世話になることにしているので、まずはここで一週間の予定。
        (以上タクシーのなかからの早朝の巴里のスナップでした)
〜〜〜〜〜〜

 それにしても冬の巴里は暗く寒い。
巴里に住み始めた最初の年はこの暗い冬がつらかった。
このグレーの空の冬の巴里が好きになったのは数年たってからだった。

 急にあの時代の暗いパリを思い出してしまった。
なにせ、凍った高速道路を運転してオルリー空港まで通わなければならなかったのだから、、、。
グレーの空の冬のパリは3時半ごろには暗くなりはじめる。朝も10時半ごろまではお日様の顔を見られない。
パリの西南のポルト・ド・オルレアンからオートルートを南に20分ほどでオルリー国際空港に着く。
(そのころは未だ成田空港もシャルル・ド・ゴール空港も存在しなかった)

朝一番の高速道路は氷がはり、ヴェルグラ(氷結注意)の標識が続く。
暗い朝に車のダウンライトをつけて(パリはアップは禁止なのだ)、凍りついたオートルートA6を南下して
数十分の道を仕事場のオルリー空港に通ったものだ。
滑りそうになって何度もハンドルをもったまま道の端によって止まり私の方が凍りついた。

 日本から到着するAF273便は午前5時頃の到着だった。
東京からのテsレックスが入ると、私たち駐在員は、特別アテンドのためにフライトが到着前に
空港について
機首までお出迎えをしなければならなかった。
(当時はもちろんメールなどはなく、航空会社ですら、唯一の通信方法が、カタカタカタと印字をしながら入ってくる
テレックスだったのだ)
わずか数人しかいない日本人駐在員であるし、女性は一人だったから、熱がでようが、
ガードレールにぶつかって車がぼこぼこになろうが、まだ暗い道を必死でハンドルをにぎらねばならない。

 日本からの朝のエールフランスの第一便のAF273が着く頃には、空港はるかに真っ赤な朝日が昇り始める、、、
日は昇る、あ〜今日もまた新しい朝がきた。大きく深呼吸して私の朝は始まるのだった。
シャンゼリゼ大通り121番地の二階のティケッティングカウンターに移るまでの二年間は、
今思うとなんと大きな可能性をもった歳月だったろうか、、、

 最初の冬は泣きながらのパリの毎日だった。花のパリであるはずが涙涙のパリであった。
選ばれて駐在員としての憧れのパリでの仕事だったはずなのに、、、、、と、何度も涙した。
でもこのくらいの寒さでは涙は凍らなかったのだ、、、、、、

 友人達の羨望と嫉妬さえかっての単身赴任のパリ、、、
その頃のパリは、萩原朔太郎の時代とは、はるかに違うが、やはりまだまだ遠かったのだ、
渡航の自由化がはじまってはいたが、まだまだパリは遠い都だったから、日本からパリの空港にお着きになるのは
各界で活躍なさっている方々が多く、それはそれは目を見はるような方々が多かった。

岸恵子さんや松本弘子さんや高田美さんはすでにパリに暮らしていて、
その次の時代を作った高田賢三さんや森 英恵さんがパリでの仕事を始める頃だった。
空港の出発VIPサロンではアランドロンやオナシスが静かに出発前のシャンパンを楽しんでいたり、、、
東和映画の川喜多長政、川喜多かしこご夫妻が、日本とパリを往復して映画のお仕事をなさり、
かしこ夫人はいつもお着物でなんとシックだったことか!
彼らがフランスから日本へ紹介する映画を見るのが楽しみになった。

團伊玖磨さんにお目にかかると彼の本を読み音楽を聴く、 外交官の大高さんがスイスに赴任なさると
スイスのことを知りたくなる、
三船敏郎がロケにくると、次の帰国の時にその映画を見る、 、、、、
外交官、芸術家、商社の方々、映画俳優、そしてお忍びの政治家達、、、と、おそらく日本にいたらあまり
お目にかかれなかった方々と、お話しする機会が増えて、そのお仕事関係のことにいろいろ興味をもったものだ。

 西洋の美しいモノを日本に紹介しようと、サンモトヤマの茂登山長市郎さんや、吹田貿易の会長に
お目にかかったのもこの頃だった。
そんな日本からのVIPの到着と出発のお手伝いをするのが当初は私の仕事の一部であった。

 まだ日本の新聞も本屋さんもない時代だから、葉書で関連本を父母に頼んで集めてもらい、
安い船便でパリに着くのが待ち遠しかったものだ。

冬の暗いパリも本を読みながら、教会の鐘を聞きながら、セーヌ河畔を散歩しながら、
そして時には美術館や音楽会にいったりと、、、

 ホテルずまいの後、冬が来る前にようやくアンバリッドの近くのアパルトマンを借りることができたのが、
17 Rue Desnouette Paris Paris 15 arrondisement
であった。

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 グーグルアースで、パリで住んだ三つのアパートメントにピンをうってみた。
 そのどれもからエッフェル塔がみえていたのが、よくわかる。

 あれはもう40年も前になるのだ、、、、、、
フランス語もおぼつかない私が突然の巴里駐在員に任命されて、
あれよあれよというまに巴里で仕事をすることになったのは、、、。

 人類初の月面到着から36年。1969年7月21日、日本時間午前5時18分。
月に兎がいると信じていた子供のころの思いはかなく、月から送られてくる映像は、ごつごつとした石ばかり、、、。

 この日私は午後の機で東京を発ち、四度目のパリ行きの旅路についた。 
出発の羽田空港(当時はまた成田がなかったのです)は、アポロのテレヴィの中継を見る人でごった返していた。
万歳!ばんさい! その万歳三唱は、アポロの月到着を祝うのではなく、私がパリへ発つのを見送りにきてくれ
た十数人の友人達と両親兄弟が全員手をあげてお祝いをしてくれているのであった。
海外への旅が自由になってまだ数年しか経っていたかった当時は、外国に旅発つというのは珍しく大変なことであったのだ。
母は涙をかくせずに、でも、にこにこと手をふっていた。

月に人類初到着のニュースで送られた私は、その興奮が機内に残るまま巴里に到着した。
パリでも空港のテレヴィはそのニュースでもちきりだった。

 そしてこの日から、私のパリ駐在員3年8ヶ月が始まった。それは涙と感動の二十代の若き日の経験であった。
慣れない仕事に疲れ果て、ホテルに帰ってドアをしめると崩れるように座り込み
崩れてしまっていた、、、、

 英語科だったから、フランス語は第二語学で不十分、その後の日本経済台頭のまだまだ前だったから、
“日の出ずる国>からの女性駐在員は、それはそれは大変だった。
最初の数ヶ月は、テレビもない冷たいホテルの部屋で、一人涙に暮れたことが何度あったことか、、、

あのころ、、、、、
あの頃も今もいつも、わたしは必死で戦っていた、人生というまか不思議な魔物と、、、、。
あの苦しい体験と、それを乗り越えた自分自身の自信と強い思いがなかったら、その後の私は、
また別の路を歩んでいたことだろう、、、

そして、これでもかこれでもかと襲ってくる人生の苦境や、まさかの坂に負けそうになりながらも、
生きることを楽しむことは出来ていないだろう、、、

http://keico.exblog.jp/2110531/
2005.07.20のブログ
満月の 月の兎は 今はなく

http://keico.exblog.jp/715454/
記念日は アポロ11号 月に着く
2011年12月12日 月曜日
記念日は アポロ11号 月に着く
2004.07.22
 人類初の月面到着。1969年7月21日、日本時間午前5時18分。この時私は三度目のパリ行きの機内にいた。 

http://keico.exblog.jp/9187764
その頃の若い私はクリックしてみて下さい
凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 
by pretty-bacchus | 2011-12-05 10:10 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(4)

今日の巴里 05 December 2011 Paris
2011年12月5日 火曜日 
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もう一枚の、翼をあれが巴里の灯か! をmore>>に追加。
(二十年ほど前にボルドーからパリへプライヴェートジェットで向かう折りに)


http://keico.exblog.jp/14105468/
もう一枚の、翼をあれが巴里の灯more>>>>
2011年12月5日 月曜日 パリへ出発
by pretty-bacchus | 2011-12-05 09:09 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(0)

☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage Paris
2011年12月5日 月曜日 パリへ出発a0031363_21252852.gif

 JL041 01時30分発の直行便。
到着予定は午前06時20分、所要時間は12時間50分の予定。

アップグレードで、一番前のコンパートメントの3AとCを下さった。
JALシェルフラットシートなので横になれる。
まずマックを電源に繋いでブログをあける。
おや、おかしい、、、ネット環境はだめなのかもしれない。
それならば少し日記だけ書くことにしよう、、、、。

01:00搭乗、01:30走行開始、時間通りだ。
ゴトゴトゴトとだんだんスピードをあげて機は真夜中の空港を滑走し始めた。
カシャカシャカシャとシャッター音。
01:40分離陸。ぐを〜〜〜〜というあの音が突然おこり機はあっというまに飛び上がった。

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a0031363_23302915.jpg (両翼相和し、JAL & ANA)

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 シートベルト着用のサインが消えて、お夜食のサービスが始まった。
〝お飲み物はなにになさいますか?〟感じの良い乗務員に思わず
〝ブラディーメァリーをお願いします、、、ウオッカは極小にしてくださいネ〟
となりの御仁はウーロン茶!
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〝逆なのですね、、内もそうなので、、、〟と乗務員のお姉さんがにこにこ、、、。


乾き物とカナッペがでるようなので、久しぶりに頼んだのだが、まさか真夜中の2:20分に、
お昼の時のこのカクテルを頼むとは? そのうえ、まだ熱っぽく、めずらしく
頬がリンゴのようになっているのに、、、。

 Macの電源を切って、一冊バックにいれた<ヴェルレーヌ詩集>を少し読み始めた。
sacraさんのかなり前のブログにあったので、、、覚えていたのです、、、。

 今日の機体はボーイングスーパー777とかで、40年前の機体とはあまりにも違うのは当然だが
なんだか無機質になってしまって空の優雅さがなくなってしまったようだが、
これも軽視節減から生まれたのだろう。
機内食はむしろ質素になっているようだ。

少し寝られれば明日が楽だろうが、なかなか寝付かれないままに、
いろいろの事が思い出される。

 最初の旅は、Mさんという同じ年に入社した(三人だけだった)仲良しと一緒だった。
彼女はフランス語が上手で、私は片言とそんな二人の旅は弥次喜多道中のようだったが、
駐在員のHさんのおかげで楽しいお初の巴里となったのだった。
ホテルはルーヴル美術館に近いホテルだった。
途中分かれて彼女はウィーンに、わたしはローマへと、、、。

初めてのローマ
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  (40年前なのに、なんとモダンなコットンのアンサンブルを着ているのでしょう!
デザイナーだった叔母が創ってくれたのでしょう。 
そしてこの波打つ帽子、もうこんな帽子があったのでしょうかね〜〜?
そしてなによりも、なんと細かったことでしょう〜〜〜〜!

ハンドバックと一緒に下げているのはカメラ? 機種はなんなのでしょう? 
ミノルタかオリンパスペン?)

〜〜〜〜〜〜〜〜

 最初の巴里は、凱旋門もなにもかもパリの街の建物は真っ黒だった。
アンドレマルローの案で、それらが荒い流されて、60年代後半にはパリは白く生まれ変わったが、
その事業は国をあげえのものであり長い時間を要したという。

 その旅の写真が友人の目に止まって、<巴里>という写真展が有楽町の西銀座デパートで行われたのは
1966年?
あの細長いショーウィンドーをぐるっと囲んだ私が撮った写真群は、
当時の人たちに驚嘆と羨望すら与えたようだ。
(写真を全部返していただくことになっていたのだが、約束は反故にされてしまい、
幽霊のように自分の写真が雑誌などに使われたりもした)

a0031363_120781.jpg (この写真展ではHさんが撮った私の写真も一枚飾られたのだった)


萩原朔太郎の有名な詩「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し、
せめては新しき背広を着て気ままなる旅にいでてみん」が実感の時代だったのだ。

 凱旋門の上でであった尼僧とシャンゼリゼ通りを縦長の一枚に納めたショットが
大きくのばされて話題にになった。
ご愛敬で、トロカデロ広場の石柵にエッフェル塔を背に腰掛けた細い私の写真も飾られていた。

 〜〜〜〜〜
 少しうとうとして目が覚めた。日本時間五日の午前九時。まわりでは朝食を始めた方がかなりいる。
私たちもいただきましょうかね、、、。
お隣は和定食、私は洋食、これがななかな美味だった。

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 念のためにもう一度だけ風邪薬と抗生物質を飲んだ。
ともかく日本を発ってしまって、巴里に着いたら少し休めば良いと思って強行出発をしたのだが、
やはり元気で巴里の地を踏みたいですもの、、、。

 この一番前のコンパートメントは満席で、皆さんかなり旅慣れた方とみうけられ、
それぞれの姿で旅をたのしんでいるようだ、、、。
(斜め前の女性がお化粧を始めた、、、、巴里到着はまだなのに、、、)

 まだ巴里までは五時間。
前の画面には航路が刻々と出て、そのときの高度、スピード、巴里までの時間、
東京の時間などがわかりこれがなかなな楽しい。
カシャカシャかしゃかしゃ、、、、そしてすぐにMacに導入。
すぐにもアップできるのだが、機内ではネットが出来ない。以前はできたのに、
これもまた経費節減故だろう。

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 巴里到着は午前五時四十分と決定したようで、まだ真っ暗な巴里。
この時期は九時過ぎないと白々としてこないから、真っ暗な巴里に着くことになる。

この真夜中にフライトを気に入りはじめていたが、一つ不満は、窓の外が真っ暗なのだ。
午前発の飛行機だったら、今頃は太陽が沈み始める頃で、窓の外はだんだんとピンクから深紅に変わる頃だろう。
その雲の上の一時のページェントはなんとも美しく大好きな時間なのに、、、、、。


巴里まであと一時間半になった。機内食は昔と比べると豪華ではないが、
楽しい簡単がメニューがふえたようで、<お好きな時に>という一頁にはなんと12ものメニューがある。
その中で<そら麺亭>の中の一品の、
<さのラーメン〜たっぷりのネギをのせて〜〜〜>を巴里時間四時に注文
(これはお薬を飲みために、、、といいながら、、、)

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 そして午前四時半、巴里まであと一時間となった頃に機長のアナウンスが突然、
いつものように始まった。
“皆様、、、おはようございます。
当機は一時間後にパリ、シャルルドゥゴール空港に着陸予定でございます。
現地からの報告によりますと、パリのお天気は雨もよう、気温は六度とのことでございます”

 到着体制に入ってからの巴里の街の灯はきれいだった。
だめもとで、カメラを構えた。
すごい、この暗い外景をこんなふうにとらえることができるのだこのカメラは!
NikonD7000には出来ない可能性を秘めていると思っていたが、
小さいだけで無くたくさんの可能性を秘めている。
銀塩時代にはできないことだが、いつまでも銀塩をなつかしむのではなく、
デジタルカメラの時代だからこそ撮れる写真の限界に挑んでみよう、、、
アマチュアだからこそ試せる妙味のあるのではないかと思いながらシャッターを切り続けた。

 <翼よあれが巴里の灯だ>

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 時差の為、午前五時四十分ににシャルルドゴール空港にターミナル2Eに到着。
快適な深夜便のフライトだった。


 とうとうやってきてしまった。
巴里とは不思議な都だ。
旅で着いた、、、というのではなく、帰ってきた! という感じなのだ。
四十年も前に四年しか住んでいなかったのに、なぜか着くとほっとする。

 しかしこの後が大変だった。

続く、、、、

 〜〜〜

日の出入・月の出入 (計算地:東京)
  日の出 06時35分  : 日の入 16時28分
  月の出 13時01分  : 月の入 01時27分

パリでは、iPadでチェック
日の出入・月の出入 (計算地:巴里)
  日の出 時分  : 日の入 時分
  月の出 時分  : 月の入 時分

「世界の日の入り、日の出」
http://www2k.biglobe.ne.jp/~c-navi/sun/

パリの月別の日の出、日の入り時間を月別
日本と比べれば、その変化の激しさは一目瞭然。フランスの大部分は日本の最北端「宗谷岬」よりも
高緯度にあるのですから。

 7月 >>  5 時 51 分 21 時 58 分(サマータイム表示(+1時間))
 12月 >> 8 時 22 分 16 時 57 分

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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〜〜〜
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More>>もう一枚のパリの灯
by pretty-bacchus | 2011-12-05 07:07 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback(1) | Comments(14)