2011年 12月 03日 ( 3 )

☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage-Paris ー旅立ち
2011年12月3日 土曜日a0031363_21252852.gif

 明日パリに発つことになった。
一緒にパリに旅立つのは何年ぶりだろうか、、、。
1996年が最期だったと思うので、なんと十五年ぶりになる。
(その間だ別々には何度も旅をしているのだが、、、)

 ここ数年どちらからともなく話している。
“あとどのくらい元気でいられるのだろうかね〜〜”
“あと何度くらいパリの空気をすえるかしら、、、”
まだまだと思っていたのに、両方ともいささか病を得るようなってしまった。
元気な内に、いままで海外でお世話になった方々へのご挨拶の旅をしておきたいと切に思うようになった。
 
 最晩年は日本とパリで半々くらいの生活をしたいと思っていたが、
どうやら今後は病院ということを考えなければならないようになってしまった。
それなら、やはり友人知人のお医者様が多い日本になるだろう。

それならば、まずパリの後始末をしなければならない、、、、。
前世紀最後にばたばたと引き上げたパリのアパルトマンの諸々が、まだぐずぐずと残っている。
大きな家具やベットや台所用品などはそれぞれに処分したし、日本で使いたいモノは
何度かにわけて持ち帰ったが、もう一度パリに住むことになるだろうと思っていたので、
ちょっとした細かいモノが残してある。

読みかけの本、レストランのメニューやワインリスト、集めた切手(そういえば、
郵便曲のおじさんと仲良くなっていろいろ便宜をはかってくれましたね、、、、

美術館のカタログ、オペラのカタログ、大好きなナプキンとテーブルクロスのセット、
枕カヴァーとシーツの組み合わせ、二客ずつのティーカップやお皿、使い慣れたお鍋、
壁に掛けていた小さな絵たち、
カーテンの切れ端、ペン皿とペン、はき慣れた靴、エトセトラエトセトラ、、、
皆捨てるには忍びない大好きがモノばかりなのだ。

 今度の旅では、それらをすべて処分しなければならないし、預かっていただいた方へも丁重にお礼をしたい。
その他の仕事が終わったら、残った時間を久しぶりに、昔住んだ頃のパリの街角を訪ねてみたい。

 久田宗匠ともよくお話しした<舞踏会の手帳>という映画は、未亡人になった若いクリスティーヌが、
16歳の時の初めての舞踏会の手帖を頼りに、昔の踊り相手を訪ねて回る寂しい物語だった。
わたし達は、昔住みなれた巴里の街を四十年ぶりに一緒に歩いてみよう。

 そして、今までの人生の整理の旅、、、多くの方に助けられて今まで生きてこられた事に
心からの感謝を込めて、
今回のパリでのいちにち一日をすごしていこう。
そして毎日少しずつ、巴里と関係した私たちの歴史をつづっていくことにしよう。
すでにブログで書いたことも新しいことも。多分手前みそになってしまうことも、遭遇した最悪の青天の霹靂も、、、、、

オンニヴァ! さあ〜〜出かけましょう!

a0031363_084753.jpg


 この借景ともしばらくお別れだ。
帰国した頃には梧桐に葉はすっかり落ちてしまっているだろう、、、。
by pretty-bacchus | 2011-12-03 23:59 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(6)

☆回想のわが巴里の街1965~1973 凱旋門に励まされての日々
2011年12月10日 土曜日 凱旋門 & シャンゼリゼ大通り
a0031363_21252852.gifa0031363_21252852.gif
http://keico.exblog.jp/9187764/
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々
2009年11月1日 日曜日 曇り

「凱旋門 Arc de triomphe (アルク・ド「戦勝のアーチ」
凱旋門はパリだけでもカルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門など多数存在する。
でもなんといってもトワール凱旋門Arc de triomphe de l'Etoileは、シャンゼリゼ通りの西端、
シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門が一番。

アウステルリッツの戦いに勝利した記念に、1806年にナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、
ルイ・フィリップの復古王政時代1836年に完成している。。
12本の通りが放射状に延び、その形が光り輝く「星=étoile」のように見えるので、
この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」と呼ばれている。

凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓があり、いつも灯火と花が絶えない。
でも、今はこの広場は「シャルル・ド・ゴール広場 la place de Charles de Gaulle」となっている。
フランスは偉大な人の名前がついた通りや広場は多く、時代によって変わっていったりするのだ。
凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓があり、いつも灯火と花が絶えない。

 この五〇メートルの凱旋門、
私は二年間の間だ、毎日この凱旋門と睨めっこをして、そして励まされていた。
ジョルジュサンクのメトロを降りてのほんの数分を、この高い凱旋門をじっとみながら、
目にはいっぱい涙をためて、ぐっと拳を握りしめて、、、エールフランスのオフィスに通った。

凱旋門から三つほど手前左側の三色旗のはためく社員通用口から入ると、
まずお手洗いに飛び込んで、涙の顔をきれいにして、笑顔をつくって自分の席につく毎日、、、、。
シャンゼリゼ121番地のエールフランスの二階奥のお客様特別カウンター、そこがオルリー空港のあとの私の
“あこがれのパリ”のはずの職場だった。

すでにパリの生活には慣れていたが、今で言うパワハラ(パワーハラスメント)にあっていたのでした。
涙無くして通えるようになったのは、あの偉大な凱旋門が、
“頑張れ、がんばれ、、負けるなケイコ、って毎日毎日慰めてくれたから、、、、。
空を見上げてぐっと手に力をこめて、あるときは雨傘ごしに凱旋門をあおぎ、くる日もくる日も凱旋門とお話をしていた。

(その凱旋門の上にのぼって撮った写真が、往時の西銀座デパートのショーウィンドー一杯のパリの写真展の
メインになったのですから人生とは不思議なものですね、、、)

 制服は当時のパリファッション界の寵児のクリスチャンディオールの特別製。
一人一人がヴァンドーム広場近くのアトリエで仮縫いを重ねてつくってくれたのですから、
なんという贅沢なユニフォームだったことでしょう。
空港では帽子もかぶらなければなりませんでしたが、シャンゼリゼのオフィスでは脇においていました。
クリスチャンディオールの制服は、中の白いブラウスの襟前は長方形のリボンで、濃紺の襟ぐりが広いラウンドの襟から
それが見え隠れするのです。袖も洒落ていました。
そして胸には小さなエールフランスのマークの入った記章。
このユニフォームを着たくて試験を何度も受けた人が多かったそうです。
そんな時代でした。

このカウンターでは、みぎれいにしていることもとても必要といわれて、
一週間に一度だけ、お昼休みをかけて近くの美容院で髪とマニュキュアをしてもらいました。
大学の卒業式まで化粧っ気なしの私でしたから、パリでの生活は一つ一つが驚きでした、、、
そう何もかもです、、、。

 そしてその少し下がったジョルジュサンク通りには、レマルクの小説凱旋門にでてくる赤いテントのカフェ フーケがあったのですが、
今はホテルになってしまいました。
休憩時間にちょっとおすまししてお茶をしたものでした。
遠いとおい昔の思い出です。

 それから何百回と訪れたパリで、この界隈に用事がなくとも必ず車ででも通りすぎたい、仰ぎ見たい凱旋門です。


a0031363_17205887.jpg 







 (パリの駐在員の頃)

(December 2011, Paris)


~~~~~~~~

a0031363_17938.jpgそして今日の巴里、
09 December 2011 Paris



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
more>>>
by pretty-bacchus | 2011-12-03 23:58 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(0)

今回の仏蘭西への旅のブログについて
2011年12月3日 土曜日  その一
a0031363_21252852.gif

 朝から氷雨の土曜日、、、。
今朝は鳥たちもやってこない。
やはり旅立ち前はせわしなく、出かける予定だったが、この寒さでやめにしよう、、、。
そして少しブログの準備、
今撮ったのを、すぐにマックで現像してアップするトライアル。

a0031363_1152209.jpg

a0031363_11524948.jpg


 今回の旅のブログと写真は、
帰国してからゆっくりと現像になるだろうが、その日に撮ったもののなんとか少しでも
その日にアップしたいと思っている。
前回と違って、ネットの状況を確認してあるので、大丈夫だろう。

旅の記録というよりは、半世紀にわたるフランスとの関わり書きながら、我が人生を振り返ってみたいと思っている。
独りよがりになりがちかもしれないが、ブログを日記と考えているのだから、それもまたよかろうと、、、、。

 巴里に住んだ時の思い出のいろいろも<Life in Paris巴里に暮らして>のカテゴリには入れずに
<JourneyAbroad旅海外2011>のカテゴリにいれておく。
(カテゴリが二つ選べればよいのだが、一つしかないので)
タグを年代別に作って、あとからすぐに記録として参照できるようにしておこう。
☆回想のわが巴里の街1965~1973
☆回想のわが巴里の街1973~1980
☆回想のわが巴里の街1980~1990
☆回想のわが巴里の街1990~2000
☆回想のわが巴里の街2000~2010
☆回想のわが巴里の街2010~2020
ことによったらもう二、三のタグを作って今後の巴里にも使うかもしれない、、、。

 これらの関連をどのようにリンクさせたらよいかはまだ考えていないが、
どうしたらどこから見始めても私の人生の内の<巴里>記録として残るのだろうか、、、、。
このブログ内の検索で巴里と入力すればよいのだが、そえでは膨大な数がでてきてしまい、
“あ〜〜あのときは?と思ったときにすぐには出てこないだろうから、カテゴリとタグと検索を
上手に駆使する方法を考えねばならない、、、これ以上たまらない今のうちに、、、。

そして滞在中のパリや、巴里の回想を書くときには、動く三色旗を日付の後にたなびかせることにしよう、、。
a0031363_21252852.gif

 旅の準備も大分終わった。
こちらから持っていくものは防寒衣類と、カメラとマック、そして友人達へのおみやげの陶器くらい。
正装のアンサンブルは一着だけで大丈夫だろう。
黒いヒールと、あとはカーディガンとパンツ、下着、、、そうそう薬を忘れないようにしないと、、、。
それにパスポートをクレジットカードと小銭、、、、。

桜さんのブログにあったように、
<防犯ブザーよりも 咄嗟の時の即断力。
豆知識本よりも 状況を見極める目。
安全地帯を記した地図よりも 危険を切り抜ける機転>

今日の内に母と弟ともう一度連絡、そして夕方にはKさんAさんが来てくださって留守の間のもろもろをお願いしよう。

そしてこの日が来たことに感謝して、心静かに手を合わせよう、、、。
by pretty-bacchus | 2011-12-03 12:00 | ♧Journey海外2011PARパリ | Trackback | Comments(1)