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護国寺での母の秋のお茶会のつづき、、、
2007年10月7日 日曜日 晴れ

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http://keico.exblog.jp/6271938/
秋茶会 命の限りか 母静か

 昨日の母の茶会の写真の整理をして一日が終わってしまった。
たまにはこんな日曜日があっても良いのでは、、、、。


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  重文の月光殿の入り口の扁額

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   入り口の前には茶碗塚が

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床に掛かる横一行
懈怠比丘不期明日」(げたいのびくみょうにちをきせず)。
啐啄斎 の手になる書。

 江戸時代の茶人千宗旦(利休の孫)は、新築した茶室の命名を大徳寺の清厳和尚に頼もうと思い、
和尚を招待した。ところが約束した時間に和尚が来ず、宗旦は別の急用のために出かけてしまった。
弟子に「和尚がお見えになったら、明日もう一度お越しいただくようお願い申し上げて」と言い残して、、

まもなくやって来た和尚は、宗旦の伝言を聞き、茶室の腰張りに
「懈怠比丘不期明日」と書き残して帰っていった。
「遅刻するような怠け者の僧であるわたしは、明日のことはお約束しかねます」という意味。
帰宅してこれを見た宗旦は、一寸先はわからぬ人生に、明日の約束を求めた自分を反省し、
直ちに大徳寺を訪ね、自作の歌を呈した。

<今日今日といいてその日を暮しぬる 明日のいのちはとにもかくにも>
明日のいのちもわからないのに、大切な「今日」をおろそかに暮らしているのは愚かなことでしたという
反省と、和尚の教訓への感謝をこめた詩。

 昨日は永遠に去り、明日は永遠の未来だ
88歳の母が、まさに今日の日のために用意した、啐啄斎 の横軸は、感無量だった。
こうして古いものが祖母から母へ、娘へ、そして今は次に世代に引き継がれて、守られているのは嬉しい。

 久田宗匠のお箱書きの宗全籠には、母の庭で丹精された茶花の
さくらたで、霜柱、ほととぎす、ふじばかまが、


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     席主の表千家の八尾三保子先生を囲んで最後に全員で記念写真を。

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  成田空港茶道部の皆さんとお弟子さん達

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  お道具の片付けと掃除を終えて、全員でご挨拶。
「今回で護国寺のお茶会は最後と思ったのですが、こうして皆さんといっしょに出来て、
お客様が沢山いらしてくださり、幸せでしたね、、、。またしましょうね、、、、、と、先生。
皆の拍手で最後がしまった。

 朝6時に地元を出て当日の準備のあとに始まったお茶会は、大寄せなので、
300人以上のお客様があったという。
皆さん疲れているだろうに、全員先生を囲んで最後の〆を。
こういうキチンとした習慣もお稽古のひとつなのだ。


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良い一日となりました。

(続く、、、、、)





by pretty-bacchus | 2007-10-07 23:03 | ○Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(0)
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