つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu
2007.04.26

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 最近経済誌でもテレビでもアラブ首長国連邦(UAEA)の話題がつきない。
日本企業の進出が急速に進んでいるという。
阿部首相も訪れることになっている中近東の重要な国だ。
この時代に、期待と不安が相半ばするという記事は、私にとってはなんだかとても遠いような気がする。

 私がかの地をおとずれたのは、なんと二十五年まえになる。
当時の現地の新聞が残っていたので、なんだかとってもなつかしく思い出している。
(THE GULF NEWS 、1982年3月13日 土曜日のアブダビの新聞)

 エールフランスのホテルチェーンであったホテルメリディアンチェーンの日本代表としての仕事で
中近東のホテルのマーケッティング&セールスにでかけた折の現地の新聞。
第一代代表の原滋さんが二年でしりぞかれ、その後がまに、
こともあろうか女の私にお鉢が回ってきたのだ。
とても無理だし女だし(当時はそういう時代でした)と辞退を重ねたのだが、人事部長におしきられた。
そのうえ連れ合いはなんと
「面白い経験だからしてみたらいいよ、とのたまわったのだから、
かなり跳んでいたカップルだった(のだろうか)
(その十年前パリ駐在員に出た時も、そういったのだ。
そして当時としては全く異例の逆単身赴任で、私は多くの人に万歳で送られて羽田空港を発ったのだ)

 突然に放り込まれたホテルチェーンの仕事の辞令を受けて、数日後にはパリの本社で面接を受けていた。
マレスコ社長の最初の質問は、「今度のミッテラン政権をどう思いますか? であった。
日本語だって答えられない内容なのに、フランス語で言えるわけはないではないか、、、、なんて
思いながら、わからないままに、「機内の新聞で読んだのですが、フランスに新しい風がふくと思います、
というような答えをした。
これがよかったのだと、かなり後から聞かされた。
フランスのチェーンのそれも国営会社の代表として仕事をするときに、政治的なことは自分の意見を
あまり言わない方がよいらしいことも後で教えられた。

 早速に出席した本社の会議でも目を白黒ばかりであったが、誕生したばかりのフレンチタッチと優雅な
ホスピタリティーを売りにして世界中に進出しはじめた憩いの場所の仕事におもしろさを感じ始めたのだ。
ちょうど日本航空のJALホテルシステムも同じ時期に出来ていた。1981年のことである。

 ホテルメリディアンチェーンは、その当時発展途上にあって次々を世界中にホテルを建設し始めていた。
知名度ゼロのフランスのホテルにいかに日本人を送るかが私の仕事だった。
パリやツールやニースが比較的うまく運び出した頃に、クウェート、アブダビ、ドバイ、シャルジャとつづき、やがて香港、シンガポール、ニューヨーク、ヒューストンとたてつづけにオープンした。
東京にも業務提携のホテルができた。(パシフィックメリディアン)

 それから六年間私は休む事なく世界中をまわることになった。
航空会社で足があり、ホテルで宿があるということは、多くの可能性を持っていた、
マーケティング&セールスには飽き足らずに、日本とフランスの文化交流にも多くの時間をさいた。
しかし、中近東の仕事は少々勝手が違っていた。
パリやニューヨークや東南アジアならともかく、中近東は今でもそうだが、当時女性が、
それも日本女性が一人で出張に出かける地域ではなかった(と思う)。
黒いスーツと黒いアタッシュケースを新調して、ビザを取って、一人旅立ったのは
1982年のまだ肌寒いころだったと記憶している。

 アブダビの空港では日本航空の有賀さんが出迎えてくださってほっとしたのもつかの間、
現地のスタッフが迎えにきてくれて税関の向こうに見えているのに、何人もの質問を受けて
通過できたのは小一時間かかったのを覚えている。
日本からの女性一人(それもうら若き細い)というのはそれほどめずらしかったのだろう。
現地の街の女性はまだ黒いベールをかぶっていた時代であったのだ。

 当時現地にはすでにインターコンティホテルも、ヒルトンホテルなどがあった。
アブダビとシャルジャのメリディアンは出来たばかりであった。
現地のホテル全部を訪れて、その施設とホスピタリティーとかのソフトを含めてみて歩き、
日本人の目で見て本社にレポートを書くのも仕事の一つだった。
(今のようにPCは進歩していなかったから、帰国してからタイプを打つことになる)
それらのホテルと比較して、メリディアンのホテルをどういう風に販売促進していったらよいかを
研究しなければならなかったのだ。
五十度近い炎天下を現地スタッフと一緒に何日かを歩いたものだ。(もちろん車で)
ドバイ、アブダビ、シャルジャの紹介の、アラブ首長国連邦のホテルメリディアンチェーンの
オープニングパーティーに出席して私は着物姿で日本語と英語を混ぜて挨拶をした。
外務省からの中山大使や日本航空の有賀さん、現地の商社の方々も出席してくださった。
鹿島建設のの石川六郎さんもいらしたと思う。
ホテルのオーナーはアラブ人だが、ケンブリッジをでたナイスガイで、引き連れていた女性たちの美しかった事がとても印象に残っている。
なんと翌日は、「こんなことは始めてだ! と現地の人々が驚いたほどの大雨で、
シャルじジャへの砂漠が水で溢れていた。
そして翌日私はまた一人で隣国クウェートへ旅立った。

 その後も海外への出張は続いた。
フランスの本社の多くは女性が活躍していて、日本人だからなどといってはいられらなかった。
ホテルメリディアンチェーンの60カ国のインターナショナルミーティンがあると、
その代表の三分の一は女性だった。
(その時期くらいから世界中で女性の進出がはじまったのかもしれない。
日本では女性が23時以降働くのが禁止されていた時代だ)

髪の毛を何十本もの細い三つ編みでかざったアフリカの女性もいた。
ある時などは、一週間ホテルにカンズメで朝から晩まで会議会議で、夜はオフィシャルディナーがつづき、
朝遅れたりすると、その人のポジションが次にはなくなるといわれていたほど厳しい会議だった。

 東京ではエールフランスのオフィスの一部屋で、少ないスタッフで私は365日休み無し、
毎日真夜中まで頑張った。
夜景のおじさんが一時間おきに回ってきてくれるのがとても心強かった。
(男女均等法なんといる労働規則なども無い頃だし、そんなことはいっていられなかった)

 海外出張は年十数回、その後のレポート提出、エージェントさんへの営業、接待、
海外からのお客様との会議などで私はほとほと疲れ始めていた。
東京オフィスは、アジアパシフィクオフィスをカヴァアーする重要なオフィスとなり、
さらに発展の時期にあり、なんとそのポジションをほしがる男性が何人か出てきたのだ。
そしてセクハラ的な言動も出てきた。

 ちょうど六年がすぎたある日、私は突然辞表をだした。
それもPAC=プランダクションコメルシアルという年度始めのエールフランス本社支社、
子会社を含む戦略会議で、フランスの本社からも何人もが出席していた年に一度の会議でであった。
辞表を用意していたが最後まで逡巡していてのだが、
やはり自分を抑える事が出来なかった。(若かったのだな〜〜〜)
会場となった箱根のホテルの帰り道は雪で覆われ、富士山がことのほか綺麗だったのが、
昨日のことのように思い出される。

 突然体の力が抜けた。そしてその二日後に入院して大きな手術を受けた。
多分ストレスと過労とかいろいろで私のお腹の中には大小18個もの腫瘍ができていて、
四時間半の手術を受けて、その全てを摘出したのだった。
「あと二日遅れていたら腸内で爆発して命がなかったかもしれなかったよ、
と麻酔が切れるまで付いていてくださった、主治医の高山先生は微笑んでいた。
そして先生は母には、「強いんですね、とおっしゃったそうで、
母は大変な手術に耐えて強い子だったと思ったのだが、先生は麻酔がなかなかきかなくて、
酒がつよいのですね、、、、という意味だったらしい、、、、。

 大変であったが、しかし充実した二十三年間の仕事人生だった。
エールフランスのパリ駐在員の四年間とメリディアンへ出向の六年間をふくめて、
二十三年の年月は、時代と共に燃焼した若さの時代だった。
「女性の進出の先駆けでしたね、「キャリアウーマンのスターでしたね、
と多くの方がいってくださるが、別にそれを意識していたわけではない。
その時代の与えられた、そう、ありがたくも与えられた仕事を必死で頑張り通しただけである。
それは多くの人々の支えがあったから出来たことなのでもある。

そして、あの時代に突っ走った経験があるからこそ、今の私が、今の友が、長く続く世界の輪が、
現在の喜びも悲しみもあると思っている。
オンリーイエスタディー であるような錯覚に陥るが、もう四半世紀もまえになるのだ。

 多くの方から惜しまれて一つの第一の仕事人生に終止符をうった。
ゆっくりした人生を送ろう。晴耕雨読の人生をと考えていたのに、しかし私の激動の人生、
ドラマティックな人生が、まだまだつづくことになるとは神のみぞ知ることであった。

  アラブ首長国連邦のニュースをみていて、なつかしく昔を思い出している。
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なんと細かったか〜〜〜
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  あのころグーグルアースがあったら、旅はもっと楽しかっただろうな〜〜〜

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想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris 2007.05.22火曜日 
by pretty-bacchus | 2007-04-26 03:33 | ♢Journey海外82中東アブダビク | Trackback | Comments(0)
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