人気ブログランキング | 話題のタグを見る

病超え高き低きに宙ぶ人生(入院の記録)
2006.02.14

 本当なら、入院して両手に注射器を提げて一週間ほど点滴生活をすれば腸も腰も綺麗に治るのだが
自宅療養にした。
こんなにひどいのは記録をみたら4年ぶりだから、ま〜〜〜すこしおとなしくしてよう。
ブログを始める前のPCの記録を見てみたら、同じような状態で5日も入院していたのだ。
それも同じ冬のこの時期に、、、、、(入院日記をブログにアップしておこう)
==================================
入院ライフ22 Feb,2002

 パリと東京での私の生活習慣の違いはそれはそれは沢山ある。
例えば、
パリでは『ええと、この道を、あの塔に向かって東の方へ行き、セーヌを渡って北東へ少し歩けば、
きっとヴォージュ広場につく』
そんな風に東西南北は、いつも自然に体の中の磁石が動く。頭の中に巴里の地図が浮かぶ。
足が動き出す、、、、、

それが東京では、頼みは太陽の位置と☆と月。赤坂から渋谷にむかう車は、
午後の強い日差しを真正面から受ける。
ああ、渋谷は赤坂のもっと西なのか?てな具合、、、、。、、

 ホテルもしかり。昔ながらのがたがたいうエレベータであがるとリノベーションがなされた
シックな部屋があり、窓からはエッフェル塔とセーヌがみえるなんてプティホテルが沢山ある。
それが私の巴里の常宿!

 皇居を背に新宿通りを西へ進むと、四谷見付けの橋を渡り新宿御苑の庭園柵に沿って進み、
やがて新宿西口に着く。
さらに甲州街道をほんの少し進み右折後すぐに左に曲がると大きなワシントンホテル。
更に右折をすると、右手に京王プラザホテル、
左さき斜めにオフフォワイトの都庁の二本の塔がたなびく。その先の赤煉瓦はハイアットホテル。
道を渡ると波形のヒルトンホテルと、
その先の青梅街道に至る三角形地帯には、オフィスビルとホテル群が続く。
私の日本の常宿(?)はヒルトンホテルの右横壁の
小道にそった白い一八階建ての瀟洒な?ビル T.I.D.H.。そう、東京医科大学病院である。

 二十数年前に、主人の親友の高山先生にお世話になって以来、東京医大はマイホテルならぬ
my hospitalとなっている。
若い頃は、今以上にハードなスケジュールで世界中を飛び回り、何時もめっためったな体になって,
そのたび緊急入院での手術騒ぎをおこしていた。一度などは、
後二日遅かったらお腹の中の十数個の腫瘍が爆発してしまっていた、、、
なんてこともあったっけ、、、、。

 いつもいつも、先生方のウルトラCの処置で、見事に?回復し、また超多忙な生活が始まる。
十年に一度くらいにドドドッドと体の疲れがやってくる。三十代後半より四十代後半は辛い、
さて五十代はどんなかなと思っていた矢先、昨年の五月には、
巴里で右目がおかしくなり帰国後の緊急手術。
信じられない超ウルトラCの手術で奇跡的に視力を回復したものの硝子体と網膜は
現代医学のシリコンでつられている。
シリコンはこんなところまで浸透しているのだ。

 これにはいささかまいって少し気を付けていたのに、十一月には左目の緊急手術。
こちらは眼底出血で未だ回復途中か悪化途中か?。
世の中の景色は妙にムンク風に見えるし、コンピューターの枠は波打っている。
新聞の文字も、左目は右目の半分くらいの大きさにしかみえない〜それもミミズみたいののたのたと、、、。
これだけ見えるのは奇跡的ですよ、とドクターは言うので、まー、あきらめるしかないか。
しかし六ヶ月ほどで治癒力でもう少し良くなるかもしれないともいうし、
少しだけ以前より休みを取っったりワインを控えたりと、
それはそれは大変な努力をしていた。

 それなのにそれなのに、、、、、今度は、な、なんと、大腸憩室炎というお腹の痛みで緊急入院の騒ぎと
なってしまったのだ。
 このところ、妙に気が短くなっている。しなければいけないことが山とあるのにこなしきれない。
食欲はあるのに昔のように食べられない。
ワインも半分ほどで酔ってしまう、、、、疲れているのだな、と、年なのかなあ〜〜〜〜と、
でもとっても悲しくて、、、、、

 ヴァレンタインデーの朝は咳が出て熱っぽくて、、、。やがてお腹が痛くなって、、、。
風邪薬をのんで思いきって寝ることにしてお休み。
それなのに翌日は三八.五度も熱が出て、、、おかしいな、あまり熱が高くならない人なのにと、
めずらしく又お休み。
大事をとり横になって小食、でも下腹が張って変な感じ。友人のテレフォンドクター?
の高橋先生のアドヴァイスで土曜日は絶食し、
一日飲み物だけで過ごしたのにあまりお腹がすかない。やはり病院に行こう。

 高山先生に相談して月曜朝の予約をしていただく。日曜の夜だけ緩いおかゆ
(何十年ぶりにお粥を作りました)をいただき早寝。
腹痛は右下腹だけになったので、少し安心していた。

 九時半にすぐ、二階の外来で看てくださり、血液検査をすぐに。スゴい!
検査室のある四階から下におりるのまもなく、検査の結果が出てきた。
白血球が異様に高く、CRTが14,6(聞いたこともないアルファベット!炎症マーカーなのだそうだ)。
基礎数値がマイナス0.4とかなので、この数字は異常。かなり強い炎症とのこと。
入院して点滴しましょう。と、
いうわけであれよあれよという間に入院患者になってしまった。

 造影剤をいれての上腹と下腹のCT。血管が細いので、血液をとるだけでも先生方が悪戦苦闘するのに、
今回は造影剤が入らず右肘内側が晴れ上がってしまい、可愛そう、、、、
こんな風にして年々歳々年を重ねて、あと何千日かで、あの世なのかと思うと、どうもどうも・・・・。
超音波などなどの検査もすみ、二年前の腸の透視の写真が調べられて、
沢山の憩室が再認識された(一七個もあるのだそうだ。)
要するに大腸のあちこちに小さい蛸壺がたくさんできていて、そこに消化不良の食べ物や細菌がはいると
痛みがくるという病らしい。

 原因は? 『ストレスと暴飲暴食と不規則が生活と、、、それから、、、』と外科の森先生。
「先生わかりました。それなら私はピッタリです!。
(今回は、インフルエンザの菌とか食べ物の菌で、ヒドい炎症を起こして腸全体に広がり痛みが来たようですが、、)
 デモ、このママ放置したら、腸に穴があき人工肛門になったそうで、お〜〜こわ!
これがわかるまでの検査がまー大変でした。
血管が細くて、血液をとるだけでも先生方が悪戦苦闘するのに、今回はまたまた造影剤が入らず右肘内側が
晴れ上がってしまいました。
こんな風にして年々歳々年を重ねていくのだな〜〜、

 あと何千日かで、あの世なのかと思うと、どうもどうも・・・・
20年前の30代最後の、最初の大手術の時に思いました。
死に至るときの準備を神様はさせてくださっているのだと、、、思ったものだ。
それにしても、20年の間に、さ〜て何回か?少々回数が多すぎますね〜〜〜〜。
そのうえ、おそくなると確実に死に至るとは、、、、、、。今後どうすれば良いの?
--------
一度荷物を取りに帰り、午後一五時半にはベットで横になっていたのです。入院に必要なモノは、入院手続きと、
湯飲みと箸と手ぬぐいくらい。そして私は沢山の本と愛用のマックのパワーブックと数枚のDVDが必需品。
あとはホテルの部屋にチェックインする感じ。テレヴィもあるし冷蔵庫もあるし電話も自由だし、、、、
病室でも仕事は以外にはかどるもの、、、、
ところが今回は個室が満員で二人部屋。旅行だって見知らぬ人との相部屋は絶対いやなのに、困ったな。

 まな板の鯉。すぐに右手の手首に点滴の注射針は刺され、24時間点滴の始まり。
ひととおりの準備が終わると、
さあ〜て、、、。もぞもぞ、、、、
 テレビも見ずに病室でコンピューターにむかっている中年女に、外科の先生方は驚いてあきれている様子。
右手は二四時間、栄養と抗生物質の二本の点滴がつきっぱなし。左での操作はいささか時間が掛かる。いらいら、、、、、、。
そう、このいらいらが今の病気に良くないと言うが無理な話!
 夜は本当は寝ていたいのに、同室の女性が、ヒドい痛みで24時間うなっているので、わたしもおつき合い。

 副学長の高山教授は総大将。佐藤先生、須佐婦長、担当看護婦のの鈴木忍ちゃんの可愛いこと!
いつもながらの先生方と看護婦さんのプロフェッショナルなお仕事ぶりには脱帽。
今回は外科の先生方が担当で、なぜかみんな太ったナイスガイ!
私のお腹を見て森先生は『ぼくのお腹のように立派だね!』と同病相憐れみ!!
『飲み過ぎ、食べ過ぎをせずに、規則正しい生活をして、ストレスを持たずにいれば、今後は大丈夫でしょう』
と先生。
そんなことは出来るはずはないのです。
『ベットで息を引き取るまで無理でしょうね。退院したら先生一緒にお食事しましょうね!』
ともかく、緊急入院と病院になれて、まるで都心のホテルにチェックインするような感じには困ったものです。

 病院に入院するときは、八階から十八階までの病床の西棟がお奨め!ヒルトンの隣。
遙か彼方に朝夕富士が拝めて最高なのです。
起床時間がなんと六時。ヒルトンホテルに朝日が当たり始める頃、右手遙か奥、
ビルのジャングルのかなたの丹沢山塊の彼方に雪をかぶった霊峰が輝き初めます。
手を合わせて一日の平穏を祈ります。病院ライフに一日ひねもすのたりのたりかな、、、。
 都庁の正面に人があふれ出す頃、富士の右方に真っ赤な夕日が沈め初め、空はピンクに染まり始めます。
厳粛な一瞬です。

 こんなふうにして春うららの今日退院をしました。(無理矢理に、、)

自宅のベランダも春で一杯。やっぱり家はいいな!
健康はいいな!。五日あけただけで木々の梢もすっかり春。銀木星も白い花をつけ、鉢植えの薔薇は、
かわいい芽をだしはじめていました。鳥たちも賑やかに迎えてくれました。
 性懲りも無く、早速夜のご飯は、お刺身と白ワインをいただいてしましました。
美味しかった!! デモ、ごはんはお粥。そしてお薬もチャンといただきました。
しばらくは自重することでしょう。

 今週お目に掛かる予定で出来なかった友人、仕事をキャンセルした方、同年代の同胞、
頑張っている若い後輩達に、病院ライフエッセイをお送りします。
フォトエッセイストよろしく、デジカメの窓辺の景色も添付しました。

平成十四年二月二十二日いいや2002.02.22、ゾロメの日でした。
敬子
ーーーーーーーーーーーーーーーー
23 Feb2002
久しぶりにゆっくり休めて、家っていいな!
ゆっくり起きて、さ〜て、昨夜おくった病院日記はどんなだったかな?
アレ、なんて尻切れトンボの日記だったのでしょう。お目汚しでごめんなさい。
退院して、やっぱりホットしてたのでしょう。

後半は、今回隣に同日に緊急入院した40代の女性の延命のために各科の先生方、
看護婦さん達の寝ずの治療に感激したことを書こうと思っていましたのに、、、、、。
医療問題が話題になる昨今ですが、今回の、この病院の医療に関わる先生方々の良心と、
緊急入院にもかかわらす、その医療の最先端を駆使しての処置はすばらしさものでした。
私の今回の入院は、それをかいま見てくるようにとの神様のお計らいだったのかもしれません。
そんな気がしています。
いずれゆっくりレポートいたします。
おやすみなさい。
敬子
病超え高き低きに宙ぶ人生(入院の記録)_a0031363_4313162.jpg

病院の病室から富士山を
=================================
by pretty-bacchus | 2006-02-14 23:59 | ★Hospital 病院、病い、お洒落 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード


<< うつ      一脚が 杖に変わりて 月夜道 >>