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過ぎてゆく 日々の早さを 巡る暮れ
2005.12.16

 聖林寺の倫子さんから京観世など京のお菓子がが届いた。
招福戌というお干菓子などカラフルなセット、来る年への願いが思えて嬉しい贈り物に頭を下げる。 

 ありがとうございます、と感謝をして、早速にあけて柚餅をいただき始めて、美味しい〜〜〜〜〜〜。
そしてあまりの美しさに写真をとった。過ぎてゆく 日々の早さを 巡る暮れ_a0031363_1645356.jpg 暮れはもういけない。いろいろいただき嬉しいのだが、またまた太ってしまった。
でも誘惑にまけて、またパクリ。








  倫子さんのお寺を厳寒のころにサンテグジュペリ氏と訪れてからもう一年がたってしまったのだ。
 あの十一面観音菩薩の写真に、その後私は毎日手を合わせている。
奈良の桜井の真言宗の寺院。
訪れるに価値がある三つ星の寺である。








今年の2月1日の写真。この桜が咲き始めることにまた訪ねたいものだ。
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http://www1.kcn.ne.jp/~shorinji/
HPよりーーーーーーーー

 聖林寺に移った観音さまは明治二十年、アメリカの哲学者フェノロサによって秘仏の禁が解かれ、
人々の前にその美しい姿を初めて現した。この時、フェノロサの驚き尋常でなく、
門前から大和盆地を指して、この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、
この仏さま一体にとうてい及ぶものでないと述べたと伝えられている。今に残る本堂脇の厨子は、
その際フェノロサらが寄進したものであり、文化財保護施設の魅とも言うべき工夫がなされている。

 明治三十年、旧国宝制度ができると共に国宝に指定された。さらに、昭和二十年六月、
新国宝制度が発足すると第一回の国宝に選ばれた。
この時指定された国宝仏はわずかに廿四を数えるに過ぎない。
美術的な解説はいろんな書物に述べられているが、まことに、これ程美しく、
その尊厳な姿に胸を打たれて、自然に手を合わせられる仏像は少ない。
(中略) 
戒律と祈祷の寺であった聖林寺にも拝観客が訪れるようになった。
けれども、京都や奈良のように至便ではないことが幸いして、ここは観光客の喧騒には無縁である。
緑なす木々に風わたる山の小寺は訪れる人に安らぎと思索の空間を保証している。境内の静寂を保つのも、
あるいはこの寺の住持の務めの一つかもしれない。この寺を護るさだめを負い、経に言う「恒ニ作ス二衆生ノ利ヲ一」を契う筆者には郷土の哲学者・保田與重朗の次の歌ほど深く心に響くものはない。

  けふもまた かくて昔となりならむ
    わが山河よ しずみけるかも
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 前ご住職の倉本弘玄氏の意志をついで国宝の菩薩像を守る母上とお姉様と倫子さんの
お顔はお優しく、まなざしはとても澄んでいらして、、、。
過ぎてゆく 日々の早さを 巡る暮れ_a0031363_7382573.jpg
(観音さまへの階段)

by pretty-bacchus | 2005-12-16 08:47 | ☆Wine & Dineワイン&食事 | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from i need money at 2014-10-30 12:32
タイトル : i need money
過ぎてゆく 日々の早さを 巡る暮れ : 生きる歓び Plaisir de Vivre。人生はつらし、されど愉しく美しく... more
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