八十六歳のダンディーな男性との銀座の宵は<芸>をしのびて
2017年11月15日 水曜日 晴れ 久しぶりの銀座

 きれいな朝は嬉しい、、、、。
借景の緑もだいぶすくなくなってきた、、、、。

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 今夜真夜中はボージョレヌーヴォーの解禁日前で樽割りの日。
シャトー・ドゥ・ピゼイの15リットルの樽づめボージョレヌーヴォーは日本へは限定二十個だけ入ってくる。
樽から一杯ずつ蛇口から注ぐには、樽を開けるときにちょっとしたテクニックが必要で、
今夜は連れ合いと私が銀座方面担当?

 みちば御大の銀座六丁目の<懐石みちば>では、明日はお客様に振る舞われるようで、
今夜のうちに樽の支度をしておかねばならない。
開店まぎわのお店のバーカウンターで十数分で、は〜いお終い。最初の杯の試飲は女将とソムリエさんに。

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 すっかり暮れた銀座通りは華やかな彩りをましていて、七丁目までの数分を銀ブラ気分!
一本北の通りに入って銀座七丁目のクラブえんへ。ここでTさんと久しぶりにお目にかかることになっていた。
電話をすると軽やかに階段をおりてらして、とても八十六歳とはみえないお元気さ!
いつもながらのダンディーさ!
十数年ほどのおつきあいなのだが、浅草の三社祭や本物の吉原芸者の芸を売っても身は売らぬの
<みなこお姐さん>の最晩年の<芸>と太鼓持ちの<芸>などを鑑賞させていただいたことがある。
ブログに書いていたので、すぐに出てきましたね。(ブログのWeb日記って素晴らしい〜〜〜!)


 御大はこのお店に贈り物で樽をプレゼントしていらして、その樽の開栓を今夜に。
ここのママさんは前にお目にかかっているが、アルピニストで日本の山はすべて単独行。
最近はマッキンレーにいどんできたという方で、とてもステキな五十台の女性。

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(暗がりのバーカウンターではボケボケになってしまいました)
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 明日からすぐにサービスできるようにして解禁前なので試飲だけ。
あとはサンドウィッチなどをいただいて小一時間歓談。
なつかしいお話しに華が咲いて、、、、すてきな男性と一緒ってほんとうに素晴らしいですね!

 銀座の夜はふけていき、、、、それでも十時をすぎるとタクシーが中に入れないようで、
銀座のシンデレラタイムは十時なのだそうです。
送っていただいてありがとうございました。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<みなこお姐さん>の最晩年は、

http://keico.exblog.jp/10730598/
2010年5月31日 月曜日 晴れ
芸一筋九十年を生き抜いた最後の現役芸者みな子お姐さんが亡くなった。
(ブログより)最初にお目にかかったのは、一昨年だった。豊吉さんのお招きで、浅草三社祭と浅草見番での
「くみ踊り」の
ご招待いただいた時だった。
観客席で、粋にお着物を召されて、きちんと正座している後ろ姿は、それはそれはきまっていた!
会が終わってスナップをとらせていただいて少しお話しをさせていただいた。

http://keico.exblog.jp/7123842
2008年5月18日 日曜日 晴れ
浅草神社の浅草三社祭と浅草見番での「くみ踊り」

 一度お姐さんの芸を皆さんに見ていただきましょう、、、と豊吉さんがおっしゃってくださって、
実現したのは、翌年になっていた。
みな子お姐さんの「華より花」の出版お祝いということで、八重子さん、岡本さん、
連れ合いも一緒にお招きを受けた。

keico.exblog.jp/8616496
2009年7月10日 金曜日 曇り
みな子お姐さんの「華より花」の出版お祝い=前章

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 “今日は水谷先生のお祝いと、みなこさんのお祝いで、鶴亀をやらさせていだきます。
庭の砂ハ金銀の〜、、、、珠を連ねて敷妙の〜、、、、、五百重の錦や瑠璃の枢。シャコのゆき桁瑠璃の橋。
池の汀の鶴亀は、蓬莱山も与処ならず〜〜〜君の恵ハ、、、、ありがたや〜、、、、、、(中略)
めでたけれ〜〜〜〜!よう〜〜〜!

(二鼓は二三松さん、この日は、カメラの動画でほとんど最後まで記録が残っているが、まだ整理をしていない)

 お客さんのお酌をしながら、一緒に日本酒(菊政がお好きだった)を美味しそうにあがる。
少しお酒が入った方が良い声がでるとおっしゃりながら、、、、。
そのお三味線とお歌は見事だった。
背筋をピンと伸ばした凜とした姿は、私たちを圧倒し、そして心から楽しませてくださったのだ。
最初の一曲は、お祝いの「鶴亀」で、89歳とは思えぬ色つやと色気!
こういう日本女性が、今の時代に生きて現役でお仕事をなさっていることは奇跡に違いないと思った。

 <一族は秋田や北海道で豪農であり、長女であった彼女は、大正のはじめに7歳で両親と一緒に東京に
でたが、それはだまされていて一家は苦労。11歳で芸者見習いとして奉公に出るが、父親は、
花魁と芸者が違うのだと言うことを何人にも確認してのことだったという。
“お転婆であったから、、、、”とからりと語るみなこ姐さんだが、辛くないはずはない!
寝る間も惜しんで芸の道にはげみ、12歳のときにはお座敷に出るようになり、
16歳で下の者に教えるまでに上達して一人前の芸者になってしまった
そして1945年3月の東京大空襲で九死に一生を得て、廃墟と化した吉原で再起を図ったのだ。> 
(私のブログより)

 次にお目にかかったのは、浅草の釜飯やさんで、ラフな感じの洋服で、幇間(ほうかん)の櫻川七好さん、
鼓の二三松さんもご一緒だった。
この時、みなこおねえさんは、大腸のポリーブの簡単が手術を受けた後で、少し痩せられていたが、
浅草のことなど、をいろいろお話しなさりながら、やはりお酒を飲んでらした。
ご自宅のお風呂は入りにくいので、近くの銭湯にいくのだが、都からは月4枚の券しかでないなどとも、、、

http://keico.exblog.jp/9262462
2009年11月16日、月曜日 曇り
浅草の釜飯やさん、浅草寺、そして、、、

 「吉原の芸者は器量が良くて売るんじゃない、芸で売るのだ。
「芸は打っても体はうらぬ」花魁と芸者の区別が付かない所はたくさんあったが、吉原はきっちり分かれていて、
厳然たるしきたりがあったのだという。
それを厳と貫いて、江戸から受け継いだ日本の芸を、大正初期から学び、今に伝えて
現役で芸の師匠をして女芸道をかっ歩していたのだ。
(本物の芸者は、吉原芸者で、赤坂でも新橋でも、神楽坂でもないといってらした。)
芸一筋に生き、戦中、戦後から現在に至る吉原の栄枯盛衰を“最後の吉原芸者”として見つめてきた姿が、
ご著書『華より花』にはいっぱい詰まっている。

「今が一番幸せ」が口癖だった。
人を楽しませて、ご自分もシアワセと、それが生き甲斐だったのだろう。

 最後にお目にかかったのは、今年の二月だった。
「桜なべ中江別館 金村」で、それはそれは楽しく桜鍋をご一緒させていただいた。
吉原の大門近くに最後まで残ったお茶屋&料亭「金村」は、昨年人の手に渡ったが、
見事に甦っていた。

http://keico.exblog.jp/10015808
2010年2月19日 金曜日 晴れ
 春の宵は新装なった「金村」で桜鍋

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(みな子おねえさんと、鼓の二三松さんと豊??さんで記念写真。
豊??さんの今日のネクタイは、桜色のエルメスで、馬の柄!
馬肉の桜なべ屋さんのお食事にあわせていらっしゃるとは、なんともお洒落ですね〜〜〜)

a0031363_1492238.jpg (89才とはどうしても思えぬお元気さと姿勢!)


 6月になったら、この「金村」さんをお借りして、桜鍋をいただき、みな子お姐さん、二三松さん、
七好さんの江戸の芸を10人ほどで鑑賞しましょうと、豊吉さんはお考えになっていらしたのだ。

 芸一筋90年 <華の生涯>を生き抜いた最後の現役芸者みな子お姐さんは
逝ってしまった。
その最晩年に、日本の女性のすさまじい美しさと生き様に接することができ、その芸の深さを鑑賞できたことに
深く感謝している。
五回という少ない回数だったが、凝縮した時であり、いろいろ学んだことでもあった。

心よりご冥福をお祈りしよう。
合掌。

http://keico.exblog.jp/7594199/2008年10月21日 火曜日 晴れ
神田淡路町界隈と浅草吉原の最期のお茶屋さん

http://keico.exblog.jp/7123842/
2008年5月18日 日曜日の三社祭のブログ

http://keico.exblog.jp/7125108/
2008年5月18日 日曜日の三社祭の続き

昨日の浅草神社の浅草三社祭のくみ踊りのの写真のつづき
続き、、


by pretty-bacchus | 2017-11-15 23:58 | ♥Wine & Dineワイン&食事 | Trackback | Comments(0)
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