春の寒さは哀しみをしみじみと運んでくるのだろうか
2017年2月8日 水曜日 晴

 寒い朝だった。
そんな朝にも、朝日が遠くの白い建物を照らし始めるころに、借景の木には鳥たちがやってくる。
元気だな、、、鳥さんは!

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 昨日は久しぶりにピアットスズキの弥平シェフと旧交を深めとても満足な夜となった。
ありがとうございました。
でも八年のあいだに、イタリアンレストランの世代交代がいくつもあったようで、
<年々歳々花相い似たり 歳々年々人同じからず>をしみじもと思った一夜であった。

 日本でのフランス料理は、ロアンヌ、レカンなどから始まった1970年代後半から1980年代初めだろう。
それらを経て、私たちはずっと三田の斉須さんのコートドールと松本さんの
銀座ペリニオンが行きつけのフレンチとなった。

 その後イタリア料理が時代の波にのってきたのは1980年代中頃からか。
日本でのイタリア料理が成長したじめ1988年(昭和から平成に変わる前年)に
「日本イタリア協会」が設立されている。
それをになっていった一人に「クッチーナヒラタ」の平田勝さんがいる。
平田さんがシェフを勤めていた「ラ・パタータ」、そして「グラナータ」、片岡さんの「アル・ポルト」、
「トゥリオ」と、現在につながる名店が誕生しイタリア料理ブームが確固たる時代へとなっていったのだ。

平田さんは二十二歳でフレンチからイタリアンへ転向。「ラ・パタータ」のあと
「クッチーナヒラタ」のオーナーシェフとして独立。
季節によって異なる絶妙な食材とその風味を駆使なさり、また奥様の千恵子さんの口頭メニューと
そのホスピタリティーで、その独特の<味>はうるさがたをも満足させていった。
その仕事の厳しさと緻密さは業界でも有名だった。
二階にはもう少しカジュアルな「ヴィノ・ヒラタ 」があった。

そのお二人は、十年程まえに揃って癌を患ったが、幸いお元気になり復帰なさった。
お店が終わって遅い時間によく弟子の弥平さんのピアットスズキでお食事をなさっていらして、
時々お目にかかることがあった。
その数年後に「クッチーナヒラタ」は暖簾分けをして世代交代をなさった。
お二人は広尾に「ちいさな台所ひらた」をオープンなさったという。

その平田勝さんが昨年三月に彼岸に旅だったという。
一時代を築いたイタリアンの名シェフの味腕はは多くの後輩にひき繋がれてるに違いない。
ご冥福をお祈りします。

 そして今日はもうお一方の訃報を知った。
1980年代の、ワタシが三十後半から四十代にかけての十年ほどの間に、大人の着物の楽しみと江戸の粋、
そしてお見舞いの極意をそれとなく伝授してくださったある麗人F好子さん。

江戸の粋の装いは、京都のうるさがたのご婦人を驚かせたが、
彼女は次のときには自分でその色合いをつかい、そんなバカなと一瞬思ったお見舞いのお品々には
納得した退院時だったのだ。(また詳しく書きておきたい)

 春の寒さは哀しみを運んでくるのでしょうか。
そして私たちはもうやたらと眠いのです。眠い、ねむいのです。

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(夕陽にベランダの残った花がゆれている、、、)

by pretty-bacchus | 2017-02-08 23:59 | ♠Art&美術,詩歌,展覧会,お稽古 | Trackback | Comments(2)
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Commented by swingphoto at 2017-02-11 17:36
お久しぶりです。
お元気そうで何よりです。
私はバタバタ働いています。
もう直ぐコートドールは31周年です。
昨年は開店30年目の日に家族で食事に出かけました。
またよろしくお願いします。
Commented by pretty-bacchus at 2017-02-13 00:02
swingphotoさっm、こんばんは。
コメントをありがとうございました。

世界狭しとご活躍ですね!
昨年の開店30年目には私たちもいっておりました。
ご家族ずれがいらっしゃいましたが、貴方でしたのですね!
長い間おめにかかっていませんからお互いにわからなかったのでしょうね。


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