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名匠クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観た。
2016年11月6日 日曜日 晴れ 映画

「ハドソン川の奇跡」を観た。
七年前に起こった感動の事実にもまさる、いや重ねての感動の映画だった。
名匠クリント・イーストウッド監督がトム・ハンクスを主演に迎え、2009年にで起こった
エアバスA320旅客機がニューヨークのハドソン川に不時着水し、155人の乗客全員が無事生還した
奇跡的な航空機事故と、その後の国の対応と人間模様をを題材とした力作。

 2009年1月15日午後3時30分頃に起こったあの事故は鮮明に覚えている。
ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が、
ニューヨークのマンハッタン近くのハドソン川に不時着水した航空事故である。

以下ウィキペディアより参照
USエアウェイズ1549便はラガーディア空港離陸直後カナダガンの群れに遭遇。
両エンジンの同時バードストライクというレアケースによって両エンジンが停止し、
飛行高度の維持が出来なくなった。即座に機長のチェズレイ・サレンバーガーは操縦を副操縦士から交代し、
同時に空港管制に対し、この状況の報告と非常事態を宣言。
操縦を交代した副操縦士は事態を改善すべくQRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)を実施した。
当初機長は空港への着陸を目指し、予定していたラガーディア空港か、進行方向の延長上にある
テターボロ空港への着陸を目指していたが、機長は高度と速度が低すぎるため空港への着陸は不可能と
判断し、ニューヨークの市街地への墜落を防ぐべく、ハドソン川への緊急着水を宣言した。
これにより低高度でレーダーから消失してしまうため、空港管制は周囲の航空機へ1549便の
目視チェックを要請し、観光ヘリ二機がこれに応じた。

その後急降下しつつ失速を避けて、着水間近に客室に対して「衝撃に備えて下さい」とのみ伝えた。
不時着まで数分の出来事のため客室に詳細を伝える猶予はなかったのだが、
アテンダントらは事情を察して客に最善の指示をした。
事故発生から約三分後、機はニューヨーク市マンハッタンとニュージャージー州ホーボーケン市の間に流れる
ハドソン川へ時速270km程で滑走路着陸時と同様の滑るような着水をした。

スムーズな着水により機体損傷は尻餅による後部壁下部の一部だけで、乗客ら全員が迅速に機内から
脱出シューターで脱出し、また両主翼に避難することができたのだ。
真冬で氷点下六度の気温、水温二度という状況であったという。
機長とアテンダントらは、機内の毛布や救命胴衣を回収しつつ乗客への配布、逃げ遅れを防ぐべく
機内の確認など不時着水という非常事態に冷静に対処した。
特に機内の確認については機長が既に浸水が始まっていた機体後方まで機内に残っている乗客がいないか
二度確認に向かい、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから機長も脱出した。
事故機は着水から約一時間後に水没したが、それ以前に二十四分で百五十五人全員の生存が確認されていた。

 その奇跡的な着水の模様と人々の活動はまもなく詳細に伝えられて、私は感動して長いブログを書いたのを
よく覚えている。

http://keico.exblog.jp/7821613/
2009年1月16日 金曜日
米旅客機がハドソン川に不時着水 乗客乗員155人無事に感涙
名匠クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観た。_a0031363_23472045.jpg
↑のブログより、

「ハドソン川のヒーロー」"miracle on the Hudson"と賞賛されたサレンバーガー氏は、
陸、海、空の事故を扱う米運輸安全委員会の事故調査に加わったこともあり、
現在も航空会社操縦士協会で安全担当の委員長を務めているのだという。

たった一人の力ではないけれども、一人のこの人がいなかったら惨事は大きくなっていたにちがいない。

ありがとう、機長さん!
(アナウンスの声も落ち着いていたという)

(なんとよいおかおをしてらっしゃる!)

http://keico.exblog.jp/7945576/
2009年2月11日 水曜日
「ハドソン川の英雄」チェスリー・サレンバーガー機長の独占インタビュー 

乗員も乗客も全員が無事に生還したことから、ニューヨーク州知事のデビッド・パターソンは、
この件を「ハドソン川の奇跡」と呼んだのだそう。

 ところがその後この<事故>は、思わぬ方向に進んだのだ。
前例のない偉業をおこなったことから、調査委員は「事故は操縦者の過失によるものでは?」と、
サリー機長に疑惑の目を向け、意外な方向へと展開していく。
空港に戻れたはずだと、機長のチェズレイ・サレンバーガー氏が政府の公聴会に呼ばれて弾劾されたのだ。
どちらかの空港への到着は可能であり、危険を冒したのは正しくないと。

 その後のサリーの心的葛藤が克明に描かれるが、映画は時系列ではなく、事故の模様と調査の過程を
交互に描き、機長のフラッシュバックによって事故の記憶を呼び覚ますような手法で語られていく。
一人の貴重な機長の熟練した操縦技術も群を抜く。

事故調査の過程でのシミュレーションの上では「エンジン停止後、すぐに空港へ引き返していた場合、
ギリギリではあったが緊急着陸は可能だった」ことが判明したのだが、それは「エンジン停止後、
QRHなどをせずに空港へ引き返す」という条件付きであり、事故機の機長達は訓練通りQRHを実施したため、
空港へ引き返すための時間がなくなっていたのだ。
実際「QRHなどをした上で空港へ引き返す」というシミュレーションを実施したテストパイロットたちは、
ほぼ全員が空港到着前に機体が墜落する結果となり、あのまま墜落すれば、市街地に墜落し乗客はおろか、
ニューヨーク市民にも大きな被害が及び、より大惨事になっていた可能性があったことも証明されて、
彼が下した不時着水の決断は正しかったことが立証されたのだという。

http://movies.yahoo.co.jp/movie/ハドソン川の奇跡/356041/story/
名匠クリント・イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」を観た。_a0031363_502466.jpg


 わたしはそれらの後日談はまったく知らずに、今度の映画をみることになった。
奇跡の脱出劇の背後に隠された数々の真実にただただ驚いてしまった。

俳優としても監督としても活躍するクリント・イーストウッド監督と、名優トム・ハンクスが
タッグを組んだ人間ドラマが画面一杯に踊っていた。
機長は乗客の命を救ったのか、それとも危険にさらしたのか? 

機長の手記をもとに描かれているというから、その迫力たるや!
緊急着水の迫真に満ちた描写、フラッシュバックのように主人公を襲う映像は、判断を誤り
マンハッタンに突っ込む凄惨な幻像、英雄が犯罪者になりかねないというこの世の中の事実。
実際の事故を扱っているので、その結末はわかっているはずなのに、あれよあれよとドキドキしながら
手に汗を握ってしまう。
そしてほのぼのと語らえる人々の人間愛に涙してしまっていたのだ。

 公聴会の最後に全員がイアホーンで聞いた、事項発生から着水までの数分の操縦席での記録を聞き終わって
一度席をたった機長とコパイが外にでて、“誇りに思う”とうなずきあったのが印象的だった。
離陸してから着陸するまで全ての人命を預かる機長のなした大きなことと、その自信と誇りが素晴らしい!

そして、最後に真実がわかった捜査官の女性が、この奇蹟は最後はXの存在であり、それは貴方です
と言ったのだが、サレンバーガー氏は、それは違いますと!
すぐに駆けつけてくれた観光船の船長、消防達、ヘリの人、などなど全ての人たちで、
そして搭乗していた全員の方々によると静かに話したのだ。

副操縦士は、もう一度したいですかと尋ねられて、七月ならと一言。
この言葉は、厳寒の着水がいかに大変だったかを物語っているのだろうが、
そのような言葉は映画の中では一つも語られずに最後のこと一言が生きている。
そのようにくだくだとした説明の言葉が少ない素晴らしい脚本であった。

 実際に同じ状況を作って撮影したというから、それはそれは大変なことであったろう。
そしてハドソン川がとてもきれいだった!

映画の最終章のタイトルロールの左側三分の一位に、実際に搭乗していた乗客が何人もがそれぞれの座席番号をもって登場し、最後には、チェズレイ・サレンバーガー氏ご夫妻が
その方達と一緒に笑顔で登場。
今はクリスマスカードが沢山来ますと、奥様がおっしゃっていたのが印象的だった。
(私も今年はクリスマスカードをお送りしたいな、、、)
チェズレイ・サレンバーガー氏は2010年に引退しているという。

 クリントイーストウッドは御年86歳だが、その映画造りの演出力は枯れるどころか、その奥深いさと鋭敏さををますます増すばかりだ。

楽しい映画鑑賞の日曜の午後となった。

 〜〜〜〜〜

 子供の頃のヘリコプターは別にしても、長い距離の飛行機に乗り始めたのは、大学を卒業して
飛行機会社に入社してからだった。最初のパリは1965年?

初任給一万六千円の時に、エコノミークラスでも六十万円もした時代だ。
そのあたりのことは何度かブログに書いている。

http://keico.exblog.jp/14105309/
2011年12月4日 日曜日
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

http://keico.exblog.jp/14105427/
2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり
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http://keico.exblog.jp/
2012年12月16日 日曜日 晴れ その二
☆回想のわが巴里の街 Memoires du Voyage 2008 バックトゥー2008年12月16日

http://keico.exblog.jp/20001633/
2014年7月14日 月曜日 晴れ
<キャトルズ ジュイエ>=七月十四日、巴里祭の夜に思い出にふけって

明らかにバードストライクとみられる事故に遭遇したことがある。
まだ、東京パリ間に直行便もモスクワ経由のない時代のこと。ジャンボが就航したばかりだったかな?
アンカレッジを飛び立ったすぐあとに、右エンジンから発火、
まもなく近くの空軍基地に緊急着陸したことがあった。

その後も、アラブゲリラが爆弾をしかけた機に乗っての不発に終わったローマ便、
テルアビブでの事故機の経験、
嵐の香港でたった一機到着成功の時は死ぬかと思ったのは1982年ごろ、
この時のパイロットだったのも元空軍の機長だったとのことだった。

カナダのヴァンクーバー空港で、胴体着陸で72時間缶詰で出たり入ったり、、、。
などなど、、、

 そして2016年の今まで、四十数年の間に、私は乗客として何百回もの飛行機に乗っている。
思えばいくつもの危ないシリアスな飛行機事故にも遭遇しているが、こうして生き延びて、
かろうじて元気にしているのが、なにか不思議な気がしてしまう。

http://keico.exblog.jp/6042978
2007.08.23 木曜日 事故の思い出

http://keico.exblog.jp/7072885
2008年5月3日、旅の記憶に

http://keico.exblog.jp/17169714/
2013年1月16日 水曜日 曇のち晴れ
ボーイング787の事故と半世紀弱の旅の思い出

http://keico.exblog.jp/21548754/
2015年8月12日 水曜日 晴れ
国際宇宙ステーション内のレタスと御巣鷹山事故から三十年に思いを寄せて

http://keico.exblog.jp/21853528/
2015年11月18日 水曜日 小雨 
借景の木々をみながら危険だった旅の思い出に、、、


 その昔エールフランスに入社したばかりの頃に整備部に大竹さんという寡黙な部長さんがいらした。
その方はいつも飛行機は着陸時が一番こわい、とおっしゃってらしたことを思い出している。
その頃私は羽田のエールフランスの事務所で働き始めたばかりだった。
都心からの高速道路ができたばかりの頃で、その開通にはブルーバードファンシーデラックスで
自分でハンドルを握って一番乗りをしたころの事。

 飛行機事故は、新しいテクノロジーが開発されて機種の名前が変わっていくエポックの時期に
多く起こっているような気がする。
ボーイング関係の飛行機事故で忘れられないのは、入社してすぐの1966年の2月、3月に起こった
連続航空機事故。1966年2月にボーイング727-100型機の全日空羽田沖墜落事故で133人全員が死亡し
単独機として当時世界最悪の事故となった。

そしてこの年この後にはボーイング707の航空機事故が相次いで発生していたのだ。
カナダ太平洋航空のダグラスDC-8が羽田空港の濃霧のなか着陸に失敗して大破炎上した
着陸失敗事故が起こったのは三月。
“着陸失敗、炎上だ”という声に事務所を飛び出して、はるか向こうに火の柱をみたのをよく覚えている。

その頃の制服姿の写真は
http://keico.exblog.jp/9187764/
2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

http://keico.exblog.jp/10956716/
2010年7月10日 土曜日 曇り後晴れ
曇天にベランダ彩る黒揚羽

 回数を乗ればそれだけ事故に遭遇する確率は多くなるのだろうが、
こうして命を長らえられていることに、なんらかの意味があるのだろうことを考えなければならない。

http://keico.exblog.jp/20032334/
2014年7月23日 水曜日 晴れたり曇ったり
熱帯夜に飛行機事故の旅の思い出にふけって

 神様からいただいたこの<命>をもっと大切にしなければ罰が当たるということなのかも知れない。
肝に銘じておこう!

 青天の霹靂なにするものぞ! 波瀾万丈なにするものぞ!
もうしばらく頑張ってみよう、、、。
by pretty-bacchus | 2016-11-06 23:58 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback | Comments(4)
Commented by nanahan at 2016-11-08 14:19 x
良い感動的な映画でしたね。最後の「7月ならね」が利いています
アメリカならではの国威発揚映画、往年のジョンフーオードの
一連の西部劇を(国策映画でしたね)思い出しました。
何で国内線にあんなにイスラム人などのっていたのか?~~
よくわからないのです。
Commented by pretty-bacchus at 2016-11-08 18:05
ナナハンさんもご覧になられたのですね。
アメリカならではの国威発揚映画>>たしかにそうですが、それがいかにも
アメリカ的でしたね、

Commented by tad64 at 2016-11-09 11:58
私はまだ見ていないのですがこの事故はまだ鮮明におぼえています。
そしてその後機長に疑いが掛けられたことをTVで知ったときは驚きました!
ところでpretty-bacchus さんも何度と無く飛行機の事故や危ない事態に遭遇されたんですね、驚きです!
私もかなりの回数フライトしましたが一度もその様な危険な事態には遭遇しなかったのがラッキーとしか言い様がないのでしょうかね???
Commented by pretty-bacchus at 2016-11-12 02:07
tad64さま、こんばんは。
事故のことをブログに書いた時に、tadさんからコメントをいただいたのを覚えています!

この機長は、疑いをかけられてほんとうにつらかったでしょうね。
人生は何がおこるかわからないものなのだと思います。
この映画、ぜひご覧になってくださいね。

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