東日本大震災から五年がたったのだ
2016年3月11日 金曜日 曇り後小雨

 あれから五年がたった。
<3.11>といわれるようになった東日本大震災。
2011年3月11日午後2時46分に発生した太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、
さらにこの地震によって福島第一原子力発電所事故が起こってしまったのだ。

 あの日の津波の映像は生々しく残っているし、今日もまた地震と津波、被災者の方々、
いまだに行方不明の方々のテレビのニュースを見ていて涙が絶え間なく続く、、、、。
今日の追悼式での天皇陛下お言葉に手を会わせて黙祷した。
 
https://www.nhk.or.jp/news/html/20160311/k10010439811000.html
天皇陛下 東日本大震災追悼式でのおことば

 何も出来ない自分がなさけなく、またあの日、当時九十一歳の母が三越に取り残されて一夜をすごしたが、
退院まもなかったわたしは救えにいけなかったのもいまだに悔やまれている。

 〜〜〜〜〜
https://www.youtube.com/watch?v=f2JGUL_mJqk
3,11 東日本大震災、当日夜のニュース 前編


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 悶々と一日をすごして、夕方に出かけた。
タクシーを拾おうとしたその前にめずらしき車が止まった。
白いフィアット チンクエチェント55!

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(車には、ROMA と書かれていて、コロセウム、パンテオンのイラストが描かれていた。
お洒落な方がのっているのだろう、、、、)

 なつかしい〜〜〜! 四十五年前にエールフランスのパリの駐在に出たときに、数年乗ったことがある。
これに乗って暑い日も寒い日も、あの凍ったヴェルグラの高速を自分で運転してオルリー空港に通ったのだ。
パリの細い小径を乗り回して、地図上に一度通った道に赤い印をつけてパリの街を制覇すると思っていた頃が
とてもなつかしい、、、。

震災のニュースでの涙で腫れた目にまた涙が流れる。
決して辛かった思い出ではないのだが、なぜこんなにも今夜は涙がでるのだろう。
(シャンゼリゼ通りのエースフランスのオフィスに変わったときには、BMWに変わり、そしてその後は?)

 帰りの裏道でもまた赤い車をみつけた。これもチンクエチェントだったろう。
鎮魂のあとに出会った白と赤のフィアットに昔の事が偲ばれて、、、、、なんだか不思議な一夜だった。

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回想のわが巴里の街1973~1980
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by pretty-bacchus | 2016-03-11 23:58 | ♡Daily life日々の事など | Trackback | Comments(4)
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Commented by kurabusobae at 2016-03-13 07:56
よいなぁ~~ちびのフィアット!!!そういえば、たしか、イタリアの戦闘機のメーカーですね?違ったかしら?~~ナナハン拝
Commented by 郁子 at 2016-03-13 14:50 x
「あれから五年」・・・そう、5年が経ったのですね。
私もテレビの画像とともに、黙祷を捧げました。
今なお帰らぬ御霊に、胸掻きむしられ、祈るほかありません。
   五年目の3 ・ 11 海凪ぎて
   凪ぐ海に津波の記憶鳥帰る

翻って、東京の街のスナップ、敬子さんは何時もいいところにカメラアイがありますね。
今日のこのスナップ、気に入りました。私は車に無縁に生きてきましたが、
キャリア・ウーマンだった頃の敬子さんは、颯爽と乗り回していらしたのですね。
イタリアの白い車、こんなしゃれたイラストの描かれた車は、
イタリアでも見たことがありません。
微笑ましく素敵なセンス・・・
敬子さんには思い出が一杯あって、それが今なおカメラ・ワークに繋がっているのですね。
帰りに、赤の55に会ったのも奇しきこと。
思い色々の3 . 11 でしたね。
Commented by pretty-bacchus at 2016-03-13 18:46
ナナハンさん、車の歴史は戦争の歴史もひきずっていますね、、、。フィアットといえばアニェッリさんのことも
忘れられませんね。

Commented by pretty-bacchus at 2016-03-13 18:55
郁子さん、こんばんは、
素晴らしいおうたをありがとうございました。

目の前にこの車が止まったのですから驚きカシャッでしたが、写ってくれtほっとしています。
こんな洒落たイラストの主はどんな方かと、声をかけてみたかったのですが、タクシーが止まってしまってそれにのってしまいました。
今思うと残念です。もう二度と会えないかもしれないのですから、、、、。
ナンバープレートの基が日本への輸出仕様ではないので、ローマで乗っていたのかもしれないな、、と思ったりしました。

悲しき一日の後に紅白のフィアットにあうのは、なぜか糾える縄のごとしの私の人生そのものかもしれませんね。


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