「パリよ、永遠に」、七十年前巴里の美しさはこんなふうに守られたのでした!
2015年3月18日 水曜日 晴れ

 先月に書いたばかりだった。
かってパリを危機一髪で救ったのは、ドイツ軍のコルティッツ将軍とスエーデン大使だった。
第二次世界大戦の最終の1944年8月、降伏する際には徹底的にパリを爆破し燃やしつくして灰燼にしろ
パリを破壊しろというアドルフ・ヒトラーの命令が下ったが、コルティッツ将軍は最終的に命令に従わず、
爆破のスウィッチをおさずに連合国に無条件降伏しパリを破壊から守ったのだ。
それには壮大な歴史があった。

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2015年2月25日 水曜日 
あまたの歴史の積まれた巴里をどうぞお守りください

 フランス・レジスタンスと自由フランス軍によるパリの解放を描いたノンフィクションの
ルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』は実話で、ニューズウィークの二人の記者
ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピェールが調べ上げて書き上げた原作。
Is Paris Burning? (1966年)Larry Collins & Dominique Lapierre,
ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエール著 『パリは燃えているか』。

 そしてせんだって、ブログ友の<ヨーロッパ映画を観よう!margot2005.exblog.jpをみて驚いた。
同じヒストリーが新しい映画として上映中なのだ。
「パリよ、永遠に」
「Diplomatie」「Diplomacy」2014 フランス/ドイツ作品。
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マルゴーさんのブログ

 第二次世界大戦における、ナチス・ドイツによる「パリ破壊作戦」を巡る駆け引きを描いた作品。
ドイツ軍に占領されたにパリが解放される目前の出来事を描いた戦争ドラマで、かって
<パリは燃えているか>はノルマンディー上陸から、パリ解放で戦車がリヴォリ通りを行進するまでの
ドラマだったが、今回はホテルの一室だけで終始しているのだと。

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 1944年8月25日深夜ナチス・ドイツ占領下のパリ。
描かれているのは、まさに連合軍のパリ進駐前夜の1944年8月24日深夜から8月25日にかけての一日。
映画はモノクロのように始まった。濃い緑の壁に囲まれた部屋。
窓からかいま見られるのは、ルーヴル宮のかなたに遠くにかすむエッフェル塔だけ。
ドイツ軍パリ防衛司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍の元に、アメリカ・イギリス・
自由フランス軍からなる連合軍が防衛線を突破し、パリ市街に近づいてきたとの電報が届く。
ドイツの敗北は時間の問題だったが、ヒトラーにパリ破壊を命じられたコルティッツ将軍の前には、
破壊予定の場所を標したパリの地図が次々と広げられていく。
ルーヴル、エッフェル塔、オペラ、凱旋門、アンバリッド、そしてノートルダム大聖堂までも。
駅舎はオルセー、北、東、リヨン、サン・ラザール、そして橋はポンヌフを除いた三十三個所。
ノートルダム寺院には左右上下数カ所に爆弾をしかけ、セーヌ川沿いに立つエッフェルには魚雷を仕掛けたと、
ドラマで語られるシーンに唖然とする。
爆破の後にセーヌ河は数分で数十メートル盛り上がり、パリの街は死の街と化し数百万人の犠牲者がでる。
それが彼らの作戦だった。

アドルフ・ヒトラー。ヒトラーはパリが大好きで愛人を伴って二度訪れていて、
オペラ座がお気に入りだったというが、ベルリンが破壊されて今や憎しのパリに仕返しをしようと目論む。
戦時下のベルリンが廃墟と化した今、ドイツの敗北は時間の問題だったが、
パリの美しさが許せないヒトラーは嫉妬ゆえに破壊を命じたのだ。

しかし、最後の最後で、パリは生き残った。
そこには、パリを守るために一世一代の駆け引き豊かな「外交」に出た一人の男の存在があった。

 部下が去り、突然秘密の階段から現れた男は、スウェーデン総領事ラウル・ノルドリンク。
中立国であるスウェーデン人外交官ノルドリンクはパリ生まれのパリ育ち。
秘密の扉は(モン・タボール通り(Rue du Mont Thabor)とキャスティリオーヌ Rue de Castiglioneの角に
その入り口があるという。部下に確認させる将軍。
(そのあたりにはかなり詳しい私たちはわくわく、、、、。
モン・タボール通りは以前日本料理の<衣川>があった処。キャスティリオーヌの前は
インターコンティネンタルホテルで右に曲がるとサントノレ通りを過ぎるとヴァンドーム広場で
リッツホテルがある。コンコルド広場にも近い)

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 ナポレオン三世が愛人ミス・ハワードをこのホテルのこのスイートルームに住まわせて、
この秘密の階段で夜な夜な通ったのだと話す彼。
“パリではめずらしくないことです。クリヨンもリッツホテルも、、、”と。
知る人ぞ知るこのホテルは、チュイルリー公園に面したリヴォリ通り228 rue de Rivoliにある
ホテル ル・ムーリス (Le Meurice) 。だがこの名前は映画の最後のほうになってやっと出てくる。

 彼は、パリを守りたい一心でコルティッツを説得し始めるが、
“命令に背けば妻子が殺される!”と訴えるドイツ軍パリ防衛司令官コルティッツ将軍と、
パリを守りたい男の駆け引きが始まった。
ヒトラーに逆らうことなどできないコルティッツはパリ破壊への準備を着々と進めていくのだった。

 ようやく明け始めたころ、プティデジュネが届く。
パンにジャムをしっかりと塗って食べ始める将軍。(おいしそうだ〜〜!)
コルティッツ将軍の部下や、ホテルの従業員が行き交う中に二人の交渉は決裂するかに見えたが、
途中であきらめて部屋を去ろうとするときに、いつも何かが起きた。停電になったり、
連合軍の大砲の音が遠くに聞こえたりと、、、、。

 喘息の苦しみでもがく将軍を助け、妻子をムールーズ経由でスイスへ逃がすと約束する大使。
実はその道を使って彼の妻もにげのびたばかりだったとあかす。

 パリを破壊するにあたって“市民を巻き込んでは行けない!”と説得を続けるノルドリンク。
“五年後のパリを考えてくれ。君の見知らぬパリ。占領下とは大違いだ”
“パリの存在は君次第だ。征服者とおなじくらいの名誉に値する”と。
“クフリエヴマプラス (貴方ならどうする)、と何度も相手に問う将軍。
コルティッツも最後の最後には折れ破壊作戦中止を待機する部下に命じるのだった。
ノルドリンクの交渉そして説得によりパリは守られたのだ。

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 窓の扉が開かれて、解放されたパリの街が写しだされる。
ルーヴル宮、アンヴァリッド、アレクサンダー三世橋、そしてセーヌ川を前面に遠方から写し出された
ノートルダム大聖堂の美しさ!

 ホテルの外に出た従業員一同。
“ドゴール将軍が解放宣言をしますが、その隣は貴方の席です、といわれたノルドリンクは、
車で行くことを奨められたが、“アロンジ アピエ(歩いて行きましょう)という
ノルドリンクの台詞が最後だった。
最後までスリリングな展開に、“息苦しくなったから、、、”と途中で席を立ってしまった人もいた。

 エンドロールでは関係した人々の名前が流れて、そのバックには、大戦以前の狂乱のパリに愛された
レビューの女王ジョセフィン・ベーカーの「二つの愛(J’ai deux amours)」が流れていく。

 そしてこの映画の元は、パリで上演された舞台劇をフォルカー・シュレンドルフが監督、脚本と出る。
ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍には、ニエル・アレストリュプ。
スウェーデン総領事ラウル・ノルドリンクにはアンドレ・デュソリエ。
この役にこそ生まれたと思われるような二人のフランス人俳優!。

 このすさまじくも美しい史実はなんだったのだろう。神様に違いない!
男と男の生きずまるこの運命の一夜の長いドラマだった。
(実際にはそれ以前に数日の交渉の歴史があるといわれている)
もしパリが破壊されていたら戦後七十周年を迎える2015年の今の巴里は?怖ろしくなる!
嗚呼! 『パリよ、永遠に』

 1966年のルネ・クレマンの「パリは燃えているか」とはまた違った意味での、
1944年8月7日~25日までのパリ解放までを描いたドラマ。
ルネ・クレマンの作品は、リヴォリ通り以外は、すべて街中ロケが行われてパリの美しさが描かれていた。
その頃には関係者が沢山生存していて創るのがむずかしかったというし、
ゲシュタポの赤と黒の旗があまりにも鮮烈すぎるので、モノクロになったともいわれている映画。
(出演者も蒼々たる俳優達だった)
今回は、モノトーンに近い、濃い緑色の壁に囲まれた一室内での生きずまる展開。

 事実を元に描かれた密室ドラマはほんとうに素晴らしかった。
久しぶりに脚本を読みたくなった映画だった。
帰り際に久しぶりにこの映画のパンフを購入した。
お隣の女性も“今回は買ってしまいますよね、、、”と。

 最後にパリを救うことを決断した将軍。
捕らえられた将軍は三年間拘束され釈放された。
十一年後の1955年には、フランスから礼状が送られたという。
二人は1960年代中頃まで健在だったという。

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http://paris-eien.com
公式URL
http://paris-eien.com/history.html
動画が見られます


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 本当なら今頃はパリにいるはずだったのだ。
せめて映画で楽しんだ数時間であった。



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(12 December 2014 サンルイ島より)

http://keico.exblog.jp/20548054/
2014年12月16日 火曜日 晴れ 巴里六日目 出発の日
青空の巴里をさようなら〜〜JALの空の見えない苦しい機内へ
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(シャイヨーキュウに日が当たり始めた)


http://keico.exblog.jp/19851497/
2014年5月30日 金曜日 晴れ
1998年6月の巴里 セーヌ河畔とコンコルド広場のコンコルド

 車でセーヌ河畔の道路を通るときにはいつも車窓からカシャカシャ、、、。
アレキサンダー三世橋は美しい。
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http://keico.exblog.jp/14549102/平成24年1月28日(土) 曇り
<木村伊兵衛天然色でパリを撮る、秘蔵写真でよみがえる58年前の町並み>を見て
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(Cathédrale Notre-Dame de Paris, 24 October 2005 ポンサンルイから夕陽に輝くノートルダムを)

by pretty-bacchus | 2015-03-18 23:59 | ♬Theaterオペラ演劇スポーツ | Trackback(1) | Comments(6)
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Tracked from ここなつ映画レビュー at 2015-03-23 12:47
タイトル : 「パリよ、永遠に」
そう、きっと、本当に大切な事が決まる時は、夜明け前の最も暗い頃から黎明のほの明るさが辺りを包み、やがて本格的に明けていく厳かで静謐な時間の中なのだろう。そして朝の光の中、眩しさと疲労とで目を細めながら、これが大切な時間だったのだとはっきりと自覚する。1944年、敗戦色が濃くなってきたドイツ軍は、ヒトラーの狂信的な命令により、ヨーロッパの拠点地の一つであるパリを、その街を全て破壊する事を企てる。セーヌ川を取り巻く全ての橋(ボンヌフの橋は除く)、ノートルダム寺院、凱旋門、エッフェル塔、ルーブル美術館、コン...... more
Commented at 2015-03-20 14:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by margot2005 at 2015-03-20 22:59 x
こんばんは。
映画ご覧になってレビュも書かれたのですね。
本作は舞台劇のようでして、二人の俳優の息詰まるやり取りにドキドキしました。

セーヌと橋...あのエンディングはとても印象的で素晴らしかったです。
またパリの景色が見たくなります。
Commented by pretty-bacchus at 2015-03-21 01:50
鍵コメントさま、真夜中ですね〜〜〜!

Commented by pretty-bacchus at 2015-03-21 01:51
margot2005さん、はい早速に観て参りました。
ほんとうにいき詰まる一時間半でした。
ご紹介をありがとうございました。

Commented by nanahan at 2015-03-22 15:14 x
お話に触発されて愚生も映画を拝見しましょう。
Commented by pretty-bacchus at 2015-03-22 19:16
nanahanさん、ぜひいらしてください。
前作とはまた違った面白さです!

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