ノートルダム大聖堂とリルケ、Xマスイリュミネーション
2014年12月14日(日) 霧の朝、巴里六日目 a0031363_21252852.gif

 早くに目が覚めてしまった。
日本ではそろそろお通夜の時間だろう。
八時を過ぎた頃から近くの教会の鐘が鳴り始めた。
テレビではパリのいくつかの教会の御ミサの中継が始まった。
母と弟と連れ合いに電話。
弟の葬儀を思い、パリの空からそれぞれに気持ちを託した。

http://keico.exblog.jp/20517282
2014年12月12日 金曜日 パリ 雨の暗い朝 その一
雨の暗い巴里の朝に弟の訃報をうけました。
             
 今朝もう一つの訃報が入った。
柳澤保雄氏が亡くなられた。
出発前に持ってくる予定の本の氏の<ヨーロッパ美術を読む旅>もあったがおいてきてしまっていた。
柳澤保雄氏は朝日新聞事業株式会社代表取締役社長を長いことなさって、今の朝日サンツアーズの
旅シリーズの元を築いた方。
<美の旅>も<たのしい仲間>も彼と間辺さん、亡くなった奥氏、国松さんなどのスタッフの賜だろう。
その旅を創りはじめた1980年代の初めにご一緒させていただいたことが何度もある。
独特の感性とオーラを持った方で、私のエールフランス&メリディアンチェーンの時代には
最後まで応援してくださった。
心よりご冥福をお祈りします。

http://keico.exblog.jp/653487
2004.07.14
シリア、ヨルダン、レバノンへの旧約聖書への旅

a0031363_5351882.jpg
(右がゼノビア女王を偲んでのパルミラの夕景に立つ陰が柳澤社長)

http://keico.exblog.jp/2253878/
1995年2月
1995ルーヴルを語る~1999までの日記の一部

http://keico.exblog.jp/5971643/
2007.08.08
Condolence  内田勝久さんが亡くなった。

http://keico.exblog.jp/12342785/
2011年3月29日 火曜日 晴 その一
生かされん命なれかし春霞>>朝霞

http://keico.exblog.jp/16969800/
2012年12月11日 火曜日 晴れ
浅草で<楽しい仲間の旅>の忘年会

http://keico.exblog.jp/19861610/
2014年6月1日 日曜日 晴れ
1995年のパリ、英国、北欧、ヴェローナ、ヴェネツィア、ボルドー

(柳澤関係で追記)
http://keico.exblog.jp/11684667/
ロマンスカー車窓周りて雪の富士
2010年12月8日 水曜日 晴 寒し

 雨の巴里の朝に、ふくみ先生の<晩禱 - リルケを読む>を再読している。
先生が一昨年に書き上げられ上梓されたリルケ関係の内の一冊。
先生がずっと持ち歩いていて、ついについに読み込んでいく過程が切々と語られている。
ほんとうに行き詰まるような精神に裏うちされ、読者をひきこまずにはおかない文脈がつづく。

私の宝物
http://keico.exblog.jp/8334271/
2009年5月30日 土曜日 雨
志村ふくみ先生 限定版「白夜に紡ぐ」



後半の<孤独と絶望からの再生=マルテの手記>の最初の章が、<巴里行き止まりの露地>。
>>9月11日トウリエ街にて
人々は生きるためにこの都会集まってくるらしい。 しかし、僕はむしろ、ここでは皆が死んでいくとしか思えないのだ。
僕は今外を歩いてきた。中略
子供は眠っていた。大きく口をあけてヨードホルムいやいためた馬鈴薯や精神的な不安などの 匂いを平気で呼吸していた。
僕は感心してじっと見ていた。ーーーー 生きることが大切だ。
とにかく、生きることが何より大切だ。<<(大山定一訳)


 リルケがブレーメン近郊のヴォルプスヴェーデに妻子を置いて 「ロダン論」執筆のためという名目で
パリに出て来たのは 1902年リルケは27歳のときだった。
いくつかの詩や戯曲を書いてすこし出始めたばかりだが パリでは全く無名の孤独な青年にすぎなかった。
その彼が最初に部屋を借りたのはトゥリエ街十一番地であったのだ。
ノートルダム教会でローソクに灯を灯し弟の冥福を祈った後は、トウリエ街に行ってみようと決めた。

 どうやら雨があがったようだ。
まずはサンルイ島に車を止めて、ノートルダム大聖堂まで歩いた。
日曜日で人の波だったが、数分で中に入ることができた。
マリア様に手を合わせて、主祭壇に向かって着席してしばしお祈り。
弟の八尾莞爾のことを、子供の頃の思い出がつきない、、、。
こんな風にノートルダム寺院でお祈りしたのは初めてかもしれない。

a0031363_9475753.jpg


a0031363_9483090.jpg


a0031363_949516.jpg


a0031363_9494192.jpg
〔太陽が雲間から時々顔をだす、、、)

a0031363_9502313.jpg


(橋を渡ってシテ島へ)
a0031363_951223.jpg


a0031363_952219.jpg

(ノートルダムの北側は閉まったまま)
a0031363_9531217.jpg

a0031363_9535989.jpg

(正面のタンパン)
a0031363_9543771.jpg


a0031363_9574887.jpg


a0031363_9581392.jpg

a0031363_9584264.jpg


 (サンルイ島までは、反対側の中庭を通って歩いた。なんとこの橋も鍵で一杯だった)
a0031363_1003583.jpg


a0031363_1011069.jpg


a0031363_1014666.jpg



 トゥリエ街はパリ左岸の リュクサンブール公園とパンテオンのちょうど間に右に五棟左に五棟の
数十メートルのある小さな通りだった。
(写真を撮ってふくみ先生に送りたい。)
普通のパリのアパルトマンの入り口。 ドアの前の石段はすこしすり減っている。
ライナー・マリア・リルケはこの建物の一番安い最上階に住んでいたという。
毎日必死に階段を上った降りたりして、ひとりパリの孤独を味わっただろうか。
前のカフェでは、孤独を楽しんでいるような中年が一人ぼつねんとしていた。
この通りには日本人が定宿にしていた安ホテルがあり、このリルケの住まいの隣だったそうで、
留学中の黒田清輝や明治の日本に活躍した芸術家や文化人(与謝野晶子も?)が若き時代を
この場所ですごしたという。

a0031363_10362817.jpg
(リュートゥーリエ)

a0031363_10371811.jpg


a0031363_10382154.jpg
(この扉の最上階の屋根裏部屋?)

折しも巴里は狂乱の時代といわれた1910~20年。
ことによったらレオナール・フジタ藤田 嗣治も遭遇していたかもしれない。
この時代はレオナール・フジタの名声の陰に隠れて、多くの日本人画家が巴里に住みながらも
焦燥していたともいわれ、ある画家の夫人は九十歳までお元気で、往事の巴里の生き証人だったが
昨年に亡くなられたこと。
そのレオナール・フジタ藤田嗣治の生涯を描いた映画がJO主演で今撮られているそうで
友人が少しかかわっている、来年が楽しみだ。

 ボードレールの『パリの憂鬱』とリルケの『マルテの手記』に及ばず、パリには二つの顔があるといわれる。
一つは明るく陽気で自由青春謳歌の<生>のパリ、もう一つは陰鬱な「死都」としての巴里。

 その巴里で、暗い雨ばかりの厳冬の巴里で弟の訃報に接し、また柳澤さんのことを知り、
人の命を考えてしまう。
そして、それを越えて生きることを真剣に考えなければならないのだと、
ノートルダム大聖堂で祈りながら思っていた。
残された命は何千日、ことによったら巴里はそろそろ遠い国になり、
日本でしなければいけないことに専念しなければいけないのかもしれない。

 マドレーヌ寺院の周りを一回りして、サントノーレのイリュミネーションを車窓からカシャカシャ、
コンコルドからシャンゼリゼ通りに向かっていただいた。
今年のクリスマスイルミネーションはなんだか寂しく、LEDの限界なのだろうか。

a0031363_1061564.jpg


(色が変わって、、、とてもきれい!)
a0031363_107710.jpg


a0031363_108221.jpg


a0031363_1084720.jpg
(フォーブールサントノレ通りを横切って、、、)

a0031363_1010588.jpg(マキシムドゥパリを通って、コンコルド広場へ)

a0031363_101152.jpg


a0031363_10115033.jpg



 彼女は旅案内のお仕事もしてらっしゃるのでいろいろ詳しい。
巴里の最近のホテルは普通のホテルも値段が上がって高いのに、高級ホテルがどんどんオープンしている。
クリヨンがリノヴェーションに入り閉まっているが、ジョルジュサンクのフーケッツの後にオープンしたのが、
シャングリラとペニンシュラ。ザ・ペニンシュラパリ - Parisは凱旋門に近いアベニュークレベール19番地に
数ヶ月前にオープンしたばかりで、六年を費やして造られたそのデザイン、ラグジュアリーさ、
快適さにおいてパリの最高級ホテルになっているのだそう。

それならばとクレベール通りにはいっていただいてペニンシュラを横に見て、
突き当たりの広場の角のカフェでお茶。
ここはあまり観光客はこず、現地のクラスの人が多いようで、男性女性がとてもシック!
お茶のつもりが軽くサラダをとったのだが、その大きさにビックリ!
サンテミリオンの赤ワインで乾杯して、いろいろ話し込んでしまった。
今夜も鍵があけにくいかもと心配していたが、鍵が得意な彼女が送ってくださって一安心。

a0031363_10471988.jpg


a0031363_10142743.jpg


a0031363_1015218.jpg


 無事に帰宅。真夜中に借景のエッフェル塔は雲間にゆれて、ふわ〜と飛びついてしまいそう。
そういえば亡くなった弟は子供の頃、大雪の日に、がらがらと何枚もの板戸を開けて戸袋にしまう作業の途中で、
雪の美しさにその雪の上に躍り出てしまったことがあったのだ。

 巴里の最期から二日目の夜は静かに暮れてゆきました。

a0031363_10162748.jpg


a0031363_1017128.jpg


a0031363_10174012.jpg
(モットピケイのメトロの屋根。タクシー乗り場もみえている)

〜〜〜〜〜〜〜〜 写真をクリックすると大きくなります 〜〜〜〜〜〜〜


by pretty-bacchus | 2014-12-14 23:58 | ♧Journey海外2014PAR巴里 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://keico.exblog.jp/tb/20528141
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by nanahan at 2014-12-17 15:50 x
素敵なパリの町を写真と共に歩く思いでした
Commented by pretty-bacchus at 2014-12-18 20:23
ナナハンさん、応援をありがとうございます!!

名前
URL
削除用パスワード


<< 巴里の最後の晩は旅友と和食の<...      「色を紡ぐ-しむらの着物」展i... >>