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雨の暗い巴里の朝に弟の訃報をうけました。
2014年12月12日 金曜日 パリ 雨の暗い朝 その一              巴里四日目雨の暗い巴里の朝に弟の訃報をうけました。_a0031363_21252852.gif

 昨日は、友人の息子さんの結婚式のお祝いで一緒に衣川さんのお店で夕食。
その後は久しぶりにゆっくりと休めた。
午前七時、東京からの電話!
このアパルトマンは、世界中の固定電話には無料でかけられるというので、すぐにコールバックした。

上の弟の莞爾くんが今朝五時に息を引きとったという知らせ。
享年七十歳。今の世ではまだ早いかもしれない。

 虫が知らせたというか、発つ十日前に、まだ今回のパリは決まっていなかったのに、
ユーカリが丘の病院へ母と下の弟と連れ合いでお見舞いに行っていた。
すっかり歳をとって、病で痩せてしまったのだろう。
“どこが悪いの〜〜?”と聞いたら、“あたま、、、”と、おどけたように頭をさしていたのに、、、。
病室にもどった彼としばらく話すことができた。
二人の子供は大学をでたばかり。
“イイコでよかったですね、、、”
点滴がつけっぱなしで少し辛そうで、“点滴がね〜〜”、というのが彼と私の最後の言葉となった。

転院をしなければならなかったそうだが、その数日前だったという。
きっと次の病院は、終末医療とわかっていたのかもしれない。
兄弟の中で一番頭が良く、一番優しいと母はいつも言っていた。

今日の深夜一時に、病院から家族が召集され、朝五時に息をひきとったとの事。
苦しむ事無く、眠るように永眠した!との事だが、、、!
下の弟と母と話したが母が辛そうで、、、。
特別切符できているので帰国の日を変えることは出来ないし、帰ってもお通夜にも告別式にも
間に合わないので予定通りにあと数泊して帰ることにした。

 (私はエッフェル塔かノートルダム寺院か凱旋門の光を見ながら息を引き取りたいな、、、、。
日本の友人には灰をセーヌに流してくださいと頼んであるが、パリの友人にも頼んでおこう)

http://keico.exblog.jp/20461394
平成26年11月29日(土)  雨
ユーカリが丘の病院へ弟のお見舞い

 明けけ始めた借景のエッフェル塔を見ながら、、、。
雨のパリの朝に涙して、、、。

 涙で腫れた目を冷やして、三時半にでかけた。
まっすぐにこの通りを上れば7~8分で行かれる日本文化会館なのに、どうしたわけか
二時間もかかって
歩き続けた。ビルアッケムの高架のメトロの駅にどうしても着かない。
途中でおかしいことに気がついて何人かにきいたのに、セーヌ川の河岸がわからにという?

もう、これ以上歩けない、、、どうしよう、、、とハーハー言いながらともかくたどり着いたのが、
アンヴァリッドを正面に見る大きな通り>
なぜ? 親切な女性がメトロの駅を教えてくれたが、一人でメトロは怖くて乗れない。
タクシーのテットドゥスタシオンには車はいない。

ユネスコの建物の柵>エコールミリテール>アヴェニュー スフラン>とただただ歩いて、、、。
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(pm3:50)
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 気があせって疲れ切ったころ途中で、亡くなった弟が、
“姉さん、エッフェル塔を目指して歩けばセーヌ河畔につくから、”と言っている、、、。
そうだその通り! エッフェル塔を探した。
ちょうど五時の点灯があったばかりのようで、もう一時間半も歩いているのだ。
パリに来たこともない弟なのに、なんだかオカシイ、、、。
そういえば目的に着かずに歩きながら、ずっと弟の事を考えていた、小さい頃のことなどいろいろ。

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(pm5:03 )
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(エッフェル塔がみえた!)

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(ようやくケ・ブランリーに出たら、良い匂いがしてきた〜〜〜)

 ようやく日本文化会館についたのは五時半を過ぎていたが、顔はほでって手は冷たくて、
迎えにきてくださったMさんを驚かせた。
あまり様子がおかしいので、ともかく彼女だけには弟の逝去を話したら、
彼女も同じような経験をしたことがあって、それは弟さんが亡くなったときなのだそう。

どうやら私は二時間も<時空>を越えて彷徨ってしまったようで、彼岸に旅だってしまった弟と話をしながら
一緒に歩いていたようだ。
お葬式の出棺の時間の頃に、できたらパリの教会に行ってお祈りをしたい。
(宿に帰って携帯歩数計をみたら8700歩も歩いていた!
彼はきっと私を歩かせてくれているのかもしれない、、、)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜<http://www.mcjp.fr/「色を紡ぐ/「色を紡>は、その二で〜〜〜〜〜〜

(パリ日本文化会館 国際交流基金による)
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「色を紡ぐ - しむらの着物」展

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2014年12月12日(金)1 8時半~ 志村ふくみ氏、洋子氏による講演会
「しむらのいろ 日出ずる国の色の源泉を探る」
志村ふくみ・洋子講演会

http://www.mcjp.fr/日本語/展示/「色を紡ぐ/「色を紡ぐ
by pretty-bacchus | 2014-12-12 23:58 | ♥Person父母,師友人,人生の宝物 | Trackback | Comments(6)
Commented by 婆美以 at 2014-12-14 12:16 x
心よりご冥福をお祈り致します。合掌

心身ともにお疲れでしょうがどうぞご無事にご帰国まで。
御令弟様もきっとそれを望まれて道案内をされたことでしょう。
Commented by 郁子 at 2014-12-14 14:12 x
敬子さん、旅先での弟さんの訃報、どんなにかお辛かったことでしょう。察して余あるものがあり、私まで目頭が熱くなってしまいました。
これも運命なのでしょう、異国がパリであったことがせめてもの慰めです。敬子さんの一番お好きな教会で、弟さんの御霊の
平安と神様のご加護をお祈りになってくださいね。私も共にお祈り申し上げます。
 <敬子さんの心中を察しつつ・・・>
弟を想ひさまよふ冬のパリ
弟を偲べばにじむ冬ともし
Commented by nanahan at 2014-12-14 19:27 x
とんだことでした~心からご冥福を祈っています。
とんで帰っても魂は生き返りませんから、ご冥福を祈りつつ、スケジュールをこなされることを~~~
Commented by pretty-bacchus at 2014-12-15 05:22
婆美以さん、ありがとうございます。
不思議な体験をしていますが、なんだかすなおに受け止めています。

Commented by pretty-bacchus at 2014-12-15 05:25
郁子さん、一緒に悲しみ一緒に祈ってくださってありがとうございます。
ほんとうに不思議なことで、こんなことがあるのですね。
今日はお通夜なので、私は午後からノートルダム大聖堂でロウソクを灯して、お祈りをしてきました。

Commented by pretty-bacchus at 2014-12-15 05:27
ナナハンさん、ありがとうございます。
覚悟はしていたのですが、こんなに早いとは。
なんとなく入れた黒衣の衣を着て、今日はノートルダム大聖堂で冥福と神のご加護をお祈りしてきました。

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