四半世紀前の仕事ライフと十五年前の巴里を
2014年10月31日 金曜日

 神無月最後の日となってしまった。
先週にSTさんからメールをいただいて、ワインとお酒の輸出入についてアドヴァイスをして欲しいとの
ことだったが、ようやく出かけることができた。
細かい事務的なことや税務関係のことは私はまったく弱いので、
ながいこと貿易経験のある連れ合いと一緒に出かけた。

 青山一丁目の古い?新青山ビルの向こう側に十年ほど前に建った高層ビルの十二階。
ガードマン二人が立つ玄関のタッチパネルで、訪ねる部屋番号を押して中から確認されて広いロビーに入る。
ここまでは六本木ヒルズやお台場の友人友人の高層マンションと一緒。
ロビー右端にある受付嬢の脇を通ってエレヴェーターに乗った。あれ〜〜十二階が無い?
一度外に出て奥の方のもう一基に乗った12あり。押したがビクともしない。
え〜〜?
外に出てSTさんに電話をしたら、なんと受付嬢の脇にあるタッチパネルをもう一度押さないと
エレヴェーターが作動しないのだという。
このセキュリティ対策が売りでこの高層マンションが外国企業のVIPが多いのだという。

 これから貿易の仕事をしたいというT氏は三十七歳。
自己紹介のあと、彼の今までのお仕事と今後どんなことをしたいかをうかがった。
ご苦労をなさったあと、最近の十年ほどはお知り合いの会社で大きな実績をあげて、
子会社もつくり責任を果たせたので独立をしたいという。

なかなかの青年なのだが、なにかどこか違う、、、これがジェネレーションギャップというのだろうか? 
いやそれだけではない、、、。
フランスへいってまず美味しいワインを飲みたい、そして日本酒をフランスへ輸出したいということは
わかったが、、、。
STさんのお許しを得て、思ったことを話し始めたが、私はなんということか、
次々に立て板に水の如しでお説教じみたことを話し続けてしまったのだ。
“まず貴方は謙虚でない、、、”から始めて、、、、、、
最後は“今のままではまずフランスに行ってもすぐには無理ですね” とピシャリ!
嗚呼〜〜なんとしたことか、、、!息子がいたらこんなふうにいつもお説教をしていたのかもしれないなと。
でもきっとこの青年がどこか見どころがあると思ったのかもしれないのだが、、、わかってもらえないだろう、、、。

 一時間半ほどでお時間がないらしく先に帰られたので、STさんと三人でしばらく歓談。
STさんは五十代後半で、今の若い三十代の方々の思考と行動の善し悪しをいろいろ話してくださった。
彼等には彼等のルールがあるが、人間としての最低のルールは守って欲しいと思っているということだった。
わたし達が歳をとったのかもしれないが、なんだかどっと疲れてしまっておいとました。

 ポツリポツリと雨が降り始めて、隣の新青山ビルの東館に入った。
エールフランス&メリディアン時代に十五階のオフィスで十数年仕事をした思い出が甦った。
“真夜中によく迎えに来ましたね、、、”と連れ合い。
最後の六年間のホテルメリディアンチェーンの時代には何十カ国も回り、日本にいるときは、
真夜中までレポートを書き(まだPCで打てる時代ではなくタイプライターとテレックスの時代だった)。
ビルの警備のオジサンがいつもいつも心配をして一時間毎に見回りをしてくれたものだった。

 なつかしさのあまり一階の広場までいったが、植田いつ子さんのお店もケイフローリストも
どこもかも別のお店になっていた。
地下におりたら、昔よく行ったお蕎麦屋さんの<くろ麦>があったので入ってみた。
メニューは以前通りで、板わさとさつま揚げにお酒は剣菱のぬる燗、おそばは名物の三色蕎麦。
おもわず昔の事、、、といってももう四半世紀もたっていたのだが、、、をいろいろ思い出して
話し込んでしまった。

 戦後の日本で教育を受け、昭和の高度成長期に社会に出て、それぞれの道でそれなりの仕事で精進し、
バブルの波に乗ったわたし達は、平成の初めからの日本沈没にどっぷりと巻き込まれて
大きな人生を終えたような気がする。
そのほんの一部をぼちぼちとブログに書き始めているが、辛かった経験だけでは悲しいし、
自慢話になってしまってもいけないし、あくまでも謙虚に人間的にと思っているのだが、
年上の方とかお人によっては、そうは思わないのかもしれない、、、わたし達がさきほどの青年を
そう思ったように、、、。
そんな時はぐさりとお小言を下さる方はいらっしゃるだろうか、、、。

 雨の上がった青山通りを高齢者二人はとぼとぼと歩くのでした、、、。
カメラを持っていたのに一枚もシャッターを押さなかった十月最後の一日だったのでした。

 〜〜〜〜〜
(ブログ内で少し思い出を、、、、、)

 最初の旅はアブダビメリディアンのオープニングの準備の仕事。
一応、黒のパンツスーツと黒のアタッシュと仕事モードでいったのに、空港に迎えもあったのに、
税関で小一時間もまたされることになったのだった。
すでにあったヒルトンホテルやインターコン、シェラトンなどを視察したり、
当時中東で日本料理屋さんで成功していた方々にもお話しを聞いて、私は数日の間に、
マーケッティングをすませた。
帰りの機のなかで数十枚のレポートを書いて、帰国後すぐにパリの本社に送付。
その結果というか、幸か不幸か次のプロジェクトの為に、また私はクウェイトやアラブ首長国連邦、
シャルジャなどにも行くことになったのだ、、、、、、、、。

アブダビメリディアンのオープニングでは、商社や現地の会社の方をお迎えしての
レセプションもいくつかこなした。
当時の中山大使、JALの支店長の有賀さん、商社の知人などなど素敵な男性方に助けられて、
役目をこなすことができたのかもしれない。
翌日の現地の新聞にも大きく写真入りで報道された。

THE GULF NEWS 、1982年3月13日 土曜日のアブダビの新聞。
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 (王族、現地政財界、日本大使館商社関係等の何百人もの出席のこのレセプションでは、
わたしはなんと英語と日本語で長い挨拶をしたのだった。今考えると怖ろしいことだ!)


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(時は1980年代初め、普通でもあまり日本人がいかなかった中近東の仕事に、うら若き!細い
チャーミングな日本女性が、たった一人で空港におりたったのだから、それはそれは話題になった)

(天までも驚いたのか、翌日は砂漠に何十年ぶりの大雨が降った。外気は50度!
(右は外務省からの中山大使と左は日本航空の有賀支店長。私はこのレセプションの為に、
紺地に濃い渋朱色の切り替えの中に更紗模様を描いた着物をデザインして創った。
それにしてもなんと細かったか〜〜〜目をつぶってしまっていて残念、、、)
(この着物は後に巴里に住む友人のお嬢様にさし上げてた)


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2010年5月26日 水曜日 曇り後雨
中東への出張☆回想のわが巴里の街 1980~1990

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜詳しくは、これをクリックしてみてください。
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つづき、オンリーイエスタディーMemoires du Voyage-Arabu 2007.04.26

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2007.05.22火曜日想い飛ぶ  リラの花咲く 巴里のころMemoires du Voyage-Paris

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2009年11月1日 日曜日 曇り
☆回想のわが巴里>凱旋門に励まされての遠いパリの日々

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2011年12月4日 日曜日
☆ Memoires du Voyage ~なつかしの羽田空港から巴里へ出発

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2011年12月5日 月曜日 その二 巴里着
☆回想のわが巴里の街1965~1973  パリとの始まり

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2011年12月10日 土曜日 凱旋門
☆回想のわが巴里の街1965~1973 凱旋門に励まされての日々

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2011年12月13日 火曜日
☆回想のわが巴里の街1980~1990 〜メリディアンチェーン

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2011年12月20日 火曜日 雨 
☆回想のわが巴里の街 ~ 我が人生を振り返って
 
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★OldPhoto銀塩写真のデータ化
☆回想のわが巴里の街1990~2000

まだ未公開の、私の前世紀最後の巴里。2000年4月14日のパリ、リュクサンブール庭園の数コマを
(14 April 2000, Paris, Jardin du Luxembourg)
(ラ・ヴィレット公園、テュイルリー庭園、ビュット・ショーモン公園などと並ぶ最大級の公園で、
パリっ子の憩いの場の一つ)

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(散歩する日と、思う人、考える人、そして昼寝をする人、、、)

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(ジョルジュサンドの像の前で遊ぶ鳩くん)


 リュクサンブール公園にはフランスで最も古い養蜂学校があるんですって。
パリのアパルトマンを引き上げて数ヶ月後の春のパリ。この頃は、最晩年に余裕があって
健康に問題がなかったら、もう一度パリに住みたいと思っていたのだ。

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2009年11月8日 日曜日 晴れ
パリの蜂蜜、ボルドーの蜂蜜、「ばんけい峠のワイナリー蜂蜜計画」

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2007.05.22火曜日 晴れ
想い飛ぶリラの花咲く巴里のころMemoires du Voyage-Paris

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2011年12月9日 金曜日
☆回想のわが巴里の街1965~1973 ー世界遺産

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1996年パリと1999年12月の前世紀のアパルトマン




by pretty-bacchus | 2014-10-31 23:59 | ♧Journey海外2000仏イタリア | Trackback | Comments(2)
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Commented by ナナハン拝 at 2014-11-01 14:00 x
重苦しい日々もあっての長い人生でしょうが、結果がすべてでしょう、このような生き生きとしたパリのフィルムが残っていて、愚生どもが楽しめるというのはあなた様の、「おのれの仕事を甘く見ていなかった」真摯なお人柄でしょうね、そのような人から見れば、文明の甘えん坊などは許せないのでしょうなぁ~~と、小感を。
Commented by pretty-bacchus at 2014-11-02 03:48
ナナハンさん、いつもありがとうございます。<小感>考えさせられています。
この日のブログは書くことをためらったのですが、これでもかなりとてもかなり控えて書いたのでした。この若者が今後どんなふうに私の回りで存在していくか、今日の私の<実感>のひとかけらでもブログ日記に残しておきたかったのです。さてさて、、、

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